行方不明の象を探して。その223。

「いいか、パパの言うとおりにしろ」

 

「分かりました。これでいい?」

 

「わかるか?」

 

「頭おかしいんじゃね?」

 

「何言ってるんだ?」

 

「これ以上、牛乳を買うお金はない。お金がないという意味ではなくて、これ以上、牛乳にお金を使うつもりがないという意味で」

 

「じゃあこのままでいいのか?」

 

「はい。低温殺菌、低カロリーのままで」

 

「パパなんて地獄に落ちればいいんだよ」

 

「でも、そんなことにはならない」

 

「ついに農場を買うことができる、ってな感じでしょうか。自分で牛乳を生産することができれば、牛乳に煩わされることもない」

 

「パパと話しているといつも気が狂いそうになる。パパもあたしも気が狂ってるに違いない」

 

「買い物袋を玄関に置いてきてしまった」

 

「とっとと自立して家から出て行け!」

 

「最初からパパから逃げたかった。でもお金はちゃんと払ってくださいね。自立といっても経済的自立ではなくて、狂ったパパから独立ということで、よござんすね?」

 

「パパはお前をそんなことを言う人間に育てた覚えはない」

 

「説明できます」

 

「語感がおかしいな」

 

「狂ったパパに言われたくありません。説明できますと言ったでしょう?」

 

「パパが今持っているナイフも絡んでるのか」

 

「フィフティ・フィフティです」

 

「で、どうなるんだ?」

 

「どうなるんでしょう。さっき地鳴りみたいなのが起こりましたからね」

 

「どういう意味だ?」

 

「つまり、3つに分けたんです。でも、あたしをダメにしないでね。あたしがお願いしているのはあたしの分を借りることです。働くようになったら返しますから」

 

「お金のことは気にしないでほしい。それよりパパは悲しい。さっき言ったことは撤回する」

 

「キスしてほしいの?」

 

娘は何か不思議な苦い薬を飲んだように歪んだ唇を、歯の隙間から息を吸い込む音を立てながら、顔のそばに近づけた。娘は愛の苦痛をやわらげようと、まず乾いた唇を唇に荒々しくこすり合わせた。そしてぎこちなく噛みを振って一旦退き、それからまた近づいて、開いた口をむさぼってもなすがままで、そのあいだに、自分の心臓も喉も内臓もすべてを捧げてもかまわないという気持ちになり、娘の不器用な手の中に娘が来た場所を握らせた。

 

何か化粧品の匂いがしていた。もうそんな歳になるのか。ちょっと前までは

 

「パパー今日はお仕事ないからお出かけするんでしょ?」

 

なんて言っていたのに。妻も気づいていたのだと思う。娘が幼女の頃から、娘に対して特別な感情を抱いていたことを。

 

甘くて安物の、小遣いの範囲から買える香水もどきの匂いが、彼女のビスケットのような体臭と混ざり合い、感覚はそれ自体でオーガズムを向かえていた。

 

「動かないって言ったじゃない」

 

娘は言った。罪悪感しかない。娘との関係に拘泥するほど道徳的に落ちぶれた人間ではない。でも、娘だけは・・・。

 

「ここにいたくない。人生の終わりまでこんなところにいるのはごめんだわ」

 

「信用していないのか?」

 

「もちろん、そんなことはないわ。育ててくれたことに感謝しているわ」

 

「逃げたいんだろ。パパから」

 

「こんなことしておいて、信用しろとでも言うの?

 

「置き去りにするつもりなのか?」

 

「その通りよ」

 

雨が降っている。雨の音が聞こえてくる。

 

「もう学校へ行く」

 

「農場を借りよう。そこでパパと一緒に暮らそう。学校なんて行かなくていい。もちろん田舎じゃなくてさ、今ぐらい都内に近い場所で。お前に番人になる。農場で」

 

「中学を出たら女子寮に入るって言ったでしょう」

 

「そういうことは一度、忘れてみてはくれないだろうか」

 

流し台には水が入っているボウルがある。

 

「何もすることがない。お前がいなくなったら、クソみたいな人生が過ぎていくのを眺めるだけだ。そうなったら一体どこに行けばいいんだ?

 

「密告すれば警察に捕まっちゃうよ」

 

「お金ならいくらでもあるから」

 

「それ以外は何もない。無能なパパ」

 

「シッ!静かにしないとママが起きてしまう」

 

「もしママが起きてきたら、どんな表情をするかしら?」

 

「そうなったらお前の首を絞めるぞ。お前がママを狂わせた」

 

「でも、本当にそうだとして、だからどうなの?」

 

「そうだとしたら・・・」

 

「パパはママにそうやっていつも嘘をつき続けてるのよね」

 

「とっくにバレてるさ。ママは勘が鋭い。知らないふりをずーっと続けてきたんだよ」

 

「ある時、知らないフリをするのはもうやめて、話を聞いてくれないかと提案をした。でもママは話に耳を傾けなかった」

 

「嘘つきの言葉に耳を傾ける人なんていないから」

 

「お前、どうかしてるよ。パパとママがおかしくなって、なんとも思わないのか?」

 

「すべてが変わる。今にわかるわ」

 

「パパとママが望むならね」

 

「家庭を崩壊させるつもりはないだろう」

 

「分からない。勝手に崩壊していくんじゃない」

 

「学校に行ってきます」

 

「生意気なやつだ」

 

「金なんてクソ食らえって思っているわ」

 

容赦なく降り注ぐ雨は止むことがなかった。

 

「おっさん、気にすんなよ。素晴らしい人生を送れるぞ!」

 

娘はそう言いながら家を出て学校へ行った。

 

「何が素晴らしい人生だ!」

 

娘にも自分の人生にも悪態がつけなかった。キッチンとリビングの2つの時計が示すのは異なる時間。もちろん両方とも間違っている。ここのは遅すぎる。もうひとつは、あたかも無防備の永続性。ただ、それに関係する。雨に濡れる小枝のように。我々は自らを守ることができない。小枝と雨。素晴らしい詩人だ。そうだろう?

 

一時停止して考えた。急に再開し、娘からの切迫感が伝わってくる。しばらく深く考えてみた後、探りを入れてみた。空気がヒリヒリする感じ。それが収まるのを待つ。時々、娘の声が不協和音を切り裂く。なんだか内なる波のようなものが急に私を包み込む。今、彼女が学校で待っている。箱の中で何かが動いている。それを開けてみる。中には骨や土がある。そして、封をする。もう一度開けてみる。そのまま。出発して、帰還。なぜだろう?

 

道を進んでいく。カモメが絶えず飛んでいる。彼らの急降下やつつきから私の足を守るための即席の盾。アスファルトが権力の複雑な模様を織りなす政治的な謀略の入り組んだ都市の中で、歴史の声が共鳴する。私は再び立ち上がり、できるだけ遠くまで旅をすることにした。後ろでしつこい咳の音が聞こえるが、振り返らない。

 

やがて静寂がやってくる。毛布をかけて、野外で休むことにした。その後、私は少し改善された避難所であるここに落ち着いた。おそらく、ここなら邪魔されずにすむだろう。目が覚めるたびに、タオルが顔にかけられる。一般的には平凡で目立たないとされるアスファルトは、政治的なドラマが演じられるキャンバスとして、争われる領域として浮かび上がってくる。アスファルトとカモメは国家の権威とそれが通り過ぎる道路との関係を模索している。水が滝のように流れ、溺れるような感覚。タオルが取り除かれると安堵する。彼らは去り、他の人々がやってくる。夜が訪れ、影が長くなる。掘り起こしては止め、また掘り起こす。

 

大衆の新しい言語は、都市民衆の集合意識を形成するためのレトリックとプロパガンダの操作を示唆している。メトロポリスは、政治的宣言のリズムで脈打つダイナミックな力となる。私は街頭デモや都市の混乱が持つ変革の力を掘り下げ、それらを暴徒そのものを改革するメカニズムについて考える。苦しいが、私は黙って耐える。聞こえるかもしれない。それを抑える。彼らは去り、私につかの間の安息を与える。沈黙。娘は逃げ出そうと内側に留まる。再び静寂。橋の下で心臓のように脈打つ列車。待つ。それは消える。娘たちの番が近づく。