ウォールデンから。

mimisemi2007-02-19

そんな感じで前に書いたやつをアップっぷします。ついてこれる人だけついてきてください。
前に書いたやつって?ってのもなしで。以下引用ほったらかし。

ところでお前らは俺様が前に書いたコンピューターミュージックとコムピューターミュージックの違いがわかっておるのだろうな?
もう一回続けるぞ。あのね、本屋とかに行くとLaptop Musicとかいうタイトルの本があったり無かったりするわけですよ。
そこでその本を見ると当然俺としてはMegoの連中にインタビューをしている部分があったり、例えばフェネスの音作りは
こんな感じです的なことが書いてあったりするのかなって思うわけよ。カールスティン・ニコライはこんな感じでサイン波と
お付き合いしていますとかね。で、実際、中身を見てみると所謂、昔からあるデスクトップミュージックの延長上にあるもの
っていうか、単純にデスクトップがラップトップに変わっただけのもので、まぁ非常につまらんわけよね。ここでね、
まぁ偉そうなことを書くのもどうかと思うんだけど、こういった童貞Mみたいなコンピューターミュージックってのは
物凄くどうかと思うんですよ。っていうのは例えばヒップホップみたいな、シーケンサーリズムマシンとタンテだけで
やってたような音楽も全部デジタル化っていうか、コンピューター化してるわけですよ。プロセスが。ここでつまらんのが、
例えばヒップホップのザラついた質感みたいなのの元ってのは、恐らくあんまし金が無かったブロンクスあたりの黒人連中が
かっぱらってきたか、当時はユーズレスだと思われていたローランドのリズムマシンみたいなのを格安で買ってきて、
それでリズムを鳴らしていたとか、録音する機器がテープデッキしかなくて、マイクやなんやらも全部音質が悪いやつで、
それでなにもかもローファイになったんだけど、それがめっちゃかっこよかったとか、そういうのがあるわけですよ。
まぁルーツとしてね。でも今って例えばプラグインか、もっといえばプリセットのやつから選んで、80's Hiphopとか
選べばこのブロンクスの連中が作っていた音質を再現できるソフトなりツールがあるわけですよ。まぁEQとかだろうけどね。
あとコンプとか。でもこれってめっちゃイージーゴーイングで、それこそ適当に叩いたような、J-POPの
ドラムからビートを取ってきて、それにこのプラグインをかければ、なんとなくオールドスクールに聞こえるっていう
イージーさが人間の脳を破壊するような気がしてならないんです。ようはただひたすら便利になった音楽環境とか
シュミレーター的なファンクションを持ったソフトだとか、例えば見た目が最高にかっこ悪いヤマハMIDIギターとか
MIDIフルートみたいなもんと同じなんですよ。んだったら頑張ってギター弾けよとかフルートやれよって思っちゃう。
まぁ逆にホワイトノイズをブレスコントローラーを使って演奏するとか頭が悪そうで俺はやってみたいんだけど、
管楽器系のMIDIの打ち込みの時にこれを使うとか、まぁやってるやつがいるのか分からんけど、凄まじく便利な
プラグインやらソフトも含めて、これはなんだか肯定できない部分があるんですね。
で、俺が好きなコンピューターミュージックってのは、あの昔からある例えばGRMとかWDRで研究されてきたような、
あんまし便利とは言えないコンピューターでいかに面白い音を出すかとか、作曲をしてみるとかそういう実験的でラディカルな部分なのね。
コンピューターを音楽を作るためのツールというよりは(ワークステーション的な)一つの楽器として捉えている上での
コンピューターという意味ね。だからここでは色々サンプリングしてきた素材を重ね合わせてダンスミュージックを作るとか、
既存の音楽を作るとか、そういうのではなくて、コンピュータープロセスによる電子音楽なわけね。
だから例えばスーパーコライダーやらMAXで生成された音を元にさらに別のソフトで音作りをするとか、ようはシンセシスとしての
コンピューターというところね。でもどっちかと言えば使ったことないけど、スーパーコライダーなんてわけが分からんし、マックスも
とても自分でパッチを組む気にはなれないわけだけど、言ってることはわかるべ。どっちかといえばMAXで作ったようなやつは
好きじゃないんだけど、ようはコンピューターによる音楽というところね。日本のヤフーでもラップトップミュージックって
検索すると大抵は「夢のワークステーション」だのなんだのって書いてあるんだけど、やっぱ違うんじゃないかなーって
思うんだよね。まぁ定義は人によるけど、俺がいいたいのは、この手のラップトップミュージックというのは
コンピューター音楽ではない人たちが便利なツールに手を出しているだけで、例えばDJがライブでラップトップを使うとか、
こんなのコンピューター音楽じゃない。まぁこいつのライブがテクノだったらテクノだし、ハウスだったらハウスだね。
分かる人は分かると思うけど、ラップトップだけでテクノのライブとかやってるやつはどうしようもないやつで、
かなり昔だけど電気の野球ディスコみたいなやり方でのPCの使い方は素晴らしいわけ。そんな意味でもまともにPCを音楽で
使えている人なんてすげー少ないなって思うわけで、自分もただの便利ツールとしてPCで音を作るようにしないように
常に気をつけなきゃいけないわけ。誰がラップトップだけのライブをかっこいいって言い出したのかは分からないけど、
もう近年良くある、フェネス型のラップトップにギターでライブとかそういう編成に女の子がボーカルで入ってるとか、
女の子の声をPCやらMACで加工してるとか、もう見るだけで胸糞悪いね。いや、音楽が良かったら方法論なんて
どうでもいいんだけど、大抵良くない。もうパソコンでの音作りの悪いところ出っ放しみたいな。

そういやオウテカの新しいやつは一切コンピューターを使ってないそうだけど、あいつらは本当によく分かってると思うな。
テクノロジーとの付き合い方をね。思えばああいうような90年代初頭ぐらいに出てきたオリジネーター達は
分かってる人が多いし、多かったと思う。今は消費者が生産者じゃないけど、良くも悪くも音楽が身近になって、
誰でも作れるようになってきている分、マジでテクノロジーとの関係性を意識しながら作っていかないと、
ホントにただの便利なツールを使った音作りだけになっちゃうからね。ツジコノリコは音楽的には
一部分も好きではないけど、方法論ややり方はマジでいいと思う。あれこそMACで音作りをしながらも歌も生きていると
いういい例だろう。なんというか全部ひっくるめてあの音楽といういい例。悪い例はかつてその機材がシーケンサーなりMTR
だったものがMACに変わり、同じようなスタイルで若干可愛い女の子を正面に立たせて歌うとか、ナルシストがフェネスぶって
ギター弾きながらラップトップで演奏してるとか、そういうレベルなんだよな。まぁこれはこれでテクノロジーの変化で、
楽になった部分がよい部分もあるけど、ラップトップみたいな言葉が独り歩きしているような感じになると、マジで本物のコンピューター
ミュージックと、普通の音楽でラップトップ使ってる音楽との差別化はマジで必要だと思うね。認識として。
本当の意味でのコンピューターミュージックなんてめちゃめちゃマニアックな世界だからね。それこそオリジンがカールストーンとか
キム・カスコーンみたいな世界だからね。ルーツで言えばベル研究所のマックス・マシューだもんな。
だってMAXのネーミングってこの人からだもんね。でもこの人って元々はベル研究所だけあって電話関係(AT&T)の研究者
だったんだけど、時間が余ったときに遊びで研究所の機材を使って作ってたらしいんだよね。
これがまたコンピューターミュージックが俺をひきつける理由なんだよね。観念的にだけどね。
とにかくこのマックス・マシューの顔は最高なんだよね。こんなおっちゃんがコンピューターミュージックのゴッドファーザーだと
思うとコンピューターで作らざるを得ないわけよ。それはフィールドでもリュックフェラーリの顔が良さ過ぎるというのと同じ。
もちろん両方とも自分の内発的なアプローチからやっているけど、二次的にこういった影響はデカイわけ。
だって基本的に俺が好きだって思ういい音を作っている人たちってのはいい顔の人たちが多いんだよね。
キューブリック2001年宇宙の旅でHALが歌う「デイジーデイジー」ってやつのキュートさはもうその辺の自称キュートポップの
キュートさをはるかに超えているわけよ。Computer Music CurrentsっていうWergoから出てるシリーズは
まさしくヒストリーオブコンピューターミュージックなんでチェキってみてほしい。俺がなぜこんなにも平凡な連中が便利だから
という理由でラップトップをライブで使っているのか、機材として使ってそれがラップトップミュージックになっているということに
憤りを感じているのか物凄くよく分かると思う。ちなみにComputer Music Journalっていう雑誌も最高だ。
まさしくこれこそが違いなんだよ。コンピューターミュージックとコムピューターミュージック(こっちが偽)の違いね。
やっぱそういう意味だとマニアックすぎるがORをチェックしなきゃダメだな。なんかで見たけどハズェル主催なんだってね。
もしくはプロデューサーとかディレクター的な役割?ここから出てるOR Some Computer Musicというやつは
音楽的には正直言ってクズなのも多いけど、ようはコンピューターミュージックとして聞けば当然全部聞けるわけだ。
でもなんかで読んだんだけど、このコンピを買って聞いてみたら「限りなくクズに近かった」という感想があったんだけど、
まさしくその通りだと思う。普通に聞けばクズが多いね。こっちでもすげー中古でよく見かけるし。
ただやっぱコンピューターっていうところに着眼点を置かないとダメなんだよね。
なんか完全に音楽性と別の方向に行っちゃってるような気もするけど。そんな意味でもクズに近いという意見があっていて、
元々本当の意味でのコンピューターミュージックなんて支持されるもんじゃないんだよね。そりゃWergoのシリーズだって
音楽的には退屈なのばっかだからね。ただやっぱそういう不憫で不便な感じのところに何かを見出すっていうか、
そこが限られたコンピューターの中でやるコンピューター音楽なわけで、コンピューターなんて万能じゃないんだよ。
まぁ近年はそれを万能として音楽に使うのがラップトップミュージックらしいけど、本当の意味でのラップトップミュージックは
こういうところにルーツがあるコンピューターミュージックなんだと思うんだよね。音も限られてるし(人次第だけど)
コンピューターだから使う音とかあえて出す音ってのがあるわけで、そういったもので構築するものがコンピューターミュージックな
はずなんだけどね、今はごっちゃだよね。そういう意味でシンセを使えば全部電子音楽なんかい?っていう疑問と同じなのね。
同じようなことを96年ぐらいに気がついたわけよ。当時、猿のように聞いてたYMOのカセットを聞いた後、テレビでシャ乱Qが演奏しており
あのグラサンのキーボードがセンスゼロのシンセを弾いていて、「あーこりゃ今はなんでも電子音楽だー」って思ったわけね。
で、その後、垂れ流しになってるCM音楽やポップスなんかを聞いてても、電子音を使ってないほうが稀なのね。
で、余計に気がついたわけね。ジョンケージがオーケストラの演奏をレコードで聴いたらそれは電子音楽だって言うのと同じ感じで。
ただまぁ違うでしょ。ケージ的に言えば今の音楽は全部コンピューターミュージックだけど、核は各で違うわけ。テクノだったり
ポップスだったり、はたまたロックだったり・・・。それが全部同じようにラップトップを使用してるんで
ラップトップ音楽ってなってるだけで、全然コアは違う。

そこでやっぱ勘違いをするべきじゃないし「エレクトロニカの台頭」なんて言葉は馬鹿げてるわけだ。音響然り。
そこでなんでエレクトロニカというタームがなんかマイナスでつまんねーものになったのかっていうと、
この辺を履き違えて適当にブームに則ってデジタルな音使いをしてみたり、オヴァルチックな要素を取り入れた
表面的な電子音楽が溢れたせいでネガティブなタームの代名詞になったわけだ。いかにミーハーでスノッブな連中が
多いというのを表しているよね。ただ実際は本当の意味でのエレクトロニカなんて数少ないはずだし、
そんなに支持されるようなもんじゃない。支持されてるのは流行のタームだけを借りたコマーシャル音楽と
全然変わらないわけね。オヴァルみたいなCDスキップの手法がやるとみんなやりだすし、坂本龍一がChasmで似たような手法を真似して、
それを真似する坂本信者達って感じで、基本的になんでも消費されるんだよね。元のオヴァルにとっちゃーいい迷惑だよね。
まぁ別にそれが侵害になってないのは、真似はただのマネでコアがないからね。それ言い出すとこれ自体が刀根のオリジナルなわけで、
オヴァルがフォロワーになるけど、こりゃ違う。それにしてもタチが悪いのは、普段はDJカルチャーやサンプリングカルチャーみたいなのを 
あざけ笑いつつ流行として取り入れたりしている、自称作曲家達なんだよな。ようは自分が楽器を弾けて譜面を書けるという意味での
作曲ができる連中ね。こういう連中はなぜかこういうものを技術力がないただの手法だけど面白いみたいなツールとして取り入れたりして、
自分の曲で使ったりするんだよね。同じ手法を。で、作曲という部分で自分が完全のコンポーズしているつもりでも、実際はサンプリングしている
連中よりよっぽどサンプリングしているわけだ。もはや盗作に近い。サンプリングというのは、その部分を残酷にぶった切って新しい音楽の
マテリアルとするためのものであって、盗作とは全然違う。それはヒップホップとかハウスを見れば明らかでしょう。まぁ盗作臭いのもあるけどね。
でも基本的に作曲家連中がサンプリングはしないんだけど、手法や方法論や流行を自分の作曲に取り入れるということは、
こりゃ完全にサンプリングだし、俺が書いた新しい音楽のマテリアルとしてのサンプリングというのは大きくかけ離れた、
同じ音が作りたいんで取ってくるっていうのと変わらないし、こっちのほうが知能犯的でたちが悪い。思うにちょっと作曲に
こなれた連中が原理的でラディカルな初期のエレクトロニカ系の音に感心して自分の音楽に取り入れた結果、
今みたいな結果のつまらないエレクトロニカになったんだと思う。

例えば池田亮治(漢字あってる?)的なパルスビートとかミニマルなサイン波とかっていう方法論を取り入れて、割とポップな音楽に
「ラディカルな実験性」みたいなつもりで、この池田りょーじの雰囲気を使ってたりするのがあるけど、これこそつまらない
エレクトロニカの典型なんだよね。誰とまでは言わないけど酷いやつが数人いるね。今の頭の中で。それこそ池田りょうじを薄めて
ポップで割ってさらに割る2みたいな音。ビールを水で割って氷入れて飲むみたいな感じね。前にも書いたけど池田りょーじとか
ニコライ君みたいなのはさっぱり好きじゃないんだけどさっきのツジコと同じく、方法論や姿勢はまさしくリスペクトできるし、
本当の意味での電子音楽だったりコンピューター音楽だったりするわけで、軽い感じのタームの
エレクトロニカではないだろうね。本当に。電子音楽なわけよ。そういえばSub Rosaから出てる電子音楽の歴史みたいな
コンピはいい例だね。それこそクロノロジカルに色々並べつつもカルちゃんやらメルツバウが違和感なく入ってたりするのは、
これらが昔の本当の電子音楽と変わらない純粋な電子音楽っていうのを表しているよね。このコンピに軽い感じのコマーシャルな
エレクトロニカなんて入ってないでしょ。ここが電子音楽エレクトロニカの違いじゃないかな。現代の電子音楽で言うと
Alva Notoなんかも入ってるし、オウテカやらキム・カスコーンなんかも入ってるね。で、ラリーズが入ってたりSPKが入ってたりも
するんだけど、チョイスが絶妙なのは、なんというかこの電子音楽感なんだよね。どれもピュアな電子音楽的な要素を持っているものばかりで、
所謂半端にクロスオーバーした音楽は全く入ってないってのが特徴ね。ただ何点を言うとAmazonで見たレビューで、
このコンピにも収録のローリーなんたらっていう、綴りがイマイチ分からない女性作曲家の曲が勝手に使われてるらしいんだよね。
この人によると、Sub Rosaから最初は丁寧な感じで未発表の音源を提供して欲しいという要望があったので送ったんだけど、
送った後、一切連絡が取れなくなり、ライセンスやお金のことなんかを話そうと思っても一切の連絡が無くなったらしい。
同じことがエジプトの作曲家のなんたらっていう人にも起こってて、ライナーではシェフェール以前に手法は全く違いながらも
コンクレート的なアプローチをした最初の人とか書いてある割に、やつらは金を払っていないらしい。こりゃ最悪だな。
すげーSub Rosaのイメージ悪くなったし、このコンピも買う気が起こらなくなってくるんだけど、なぜか買う気が起こるのはその安さなんだよね。
このアーティスト群でこの安さはなんだ!っつったら一部にライセンス料を払ってないから詳細なライナーと凝ったパッケージと
二枚組みでも14ドルとか15ドルで売れるんだろう。いやーSub Rosa汚ねぇーなー。著作権切れのジャズのコンピが
100円ショップで売られているのと同じやり方だよね。100円ショップはほぼフリーでジャズの録音を聞かせるっていう
まだ若干なんというか消費者のベネフィットもある気がするんだけど、Sub Rosaはいい感じの値段で売っててもろにメイクマネーしてるのが
相当汚い。勝手な予測だけどね。ただ少なくとも2人、ライセンス料を払われてないのにリリースされたという人がいるわけで、
これは紛れもない事実なんだよね。だから安さがこういうやり方から来てるっていうのも納得っていうかね。ギャラ無しで無名のアーティストから
楽曲を募ってコンピを作ってる「自称レーベル」って多いからなぁー。ホント、今まででたぶんこういう自称レーベルに10曲以上は提供したと
思うんだけど、現品を送ってきたレーベルなんてめっちゃ少ないからね。あとはリリースする前にやめたとか、レーベルの活動停止とか
わけわからん。まぁSub Rosaと比べてもしょうがないんだけどさ、こういうクソマイナーなノイズとか実験音楽で金儲けをたくらんでる
なんてある意味でポップス業界より性根が腐ってるよね。100枚プレスして100枚売れたら儲かるよね。普通に。パッケージングを
やったとしてもCDRだったら儲け出るべ。まぁ小遣い程度だろうけどね。一枚100円もしないCDRを1000円で売るわけだからねぇー。
凄いよね。バイバイゲーム売買ゲームじゃないですか。

それにしてもこれ、編集でのプレビュー画面と実際の文字の並びが全然違うね。もうバカみたい。面倒だからいいや。

Anthology of Noise & Electronic Music 3

Anthology of Noise & Electronic Music 3