可愛い子からの批評的な感想。

mimisemi2007-02-21

今日はコピペじゃなくて、ちょっと印象的だったことがあったので、書きますわー。

全く俺についてのバックグラウンドインフォメーションが無いわけだけど、まぁクイーンズの英語学校にいるわけね。
で、前にも書いたっつーか、ここには書いてないけど割と可愛い韓国の子に俺の曲を渡したのね。
いや、無理やりではなく、この子が聞きたがっていたので。で、今日、感想を聞いたんだけど、
割と良くない感じで、なんかね、この子のルームメイトが音大を卒業した人らしく、まぁこのルームメイトと
丁寧に一緒に聞いてくれたわけだけど、感想としては「音がバラバラ過ぎて構築されておらず、散漫な感じ」
ってのと「いきなり展開が変わりすぎてついていけない」ってなわけで「ちゃんと音楽大学に行って作曲を学ぶべき」
なんて今まで言われたこともないような感想をもらったわけね。なんか、こっち来てからも色々機会があって
いろんな人に俺のやつを渡したけど、割と評価が高かったのね。分かりづらい音楽ながらも。ただこの子とこの子のルームメイトの
批評的な感想は意外だった。しかも俺が予期しないような感想だったので。しかも「音楽だけじゃなくて、いろんなアートやもっと
他の音楽に接するべき」なんてのも言われてしまい、ちょっとムカっときたのは言うまでもない。ただまぁこれも前にも書いたことだけど、
電子音楽を知ってる人に聞いてもらうより、そんなの全く知らないっていう人に聞いてもらったほうが、なんというか
ピュアな回答が得られるんだよね。経験上。ただこの子は若干音楽について知っているのと、批評的なルームメイトがいるおかげで、
こんな感想がきたわけだけど、ようはこの子がいいたいのは、イントロ−Aメロ−Bメロ−サビ的な、リスナーへの分かりやすい音の
ディレクションが必要ということなんだよね。ただこんなことをやってしまうとわざとらしくなり、まぁテクニカルに展開をつけることも
可能なんだろうけど、俺はこんなのは求めてないんだけど、やっぱやっかいなのはこういうところで、所謂、普通の音楽の感性と違った音楽の
感性がぶつかった時に共存できないんだよね。俺が特別って言ってるみたいだけど、やっぱり即興音楽にしても電子音楽にしても
特殊な領域だっていうのはこういうときに凄く思うわけね。俺は自分の世界に生きてるんで特殊でもなんでもないし、他の音楽を聴くときでも、
それがいかに極端であっても分かるところは分かるし、理解できるんだけど、これってのはある意味で玄人的な解釈なんだよね。
だから恐らく杉本拓のギターを聞かせても、ほとんどの人がこんなの演奏じゃないっていうだろうし、最悪の場合、ジョンフェイヒィや
デレク・ベイリーみたいなのも音楽じゃないって言われるかもしれない。ただデレク・ベイリーは誰にでも分かる即興演奏をやりたいわけじゃないし、
あくまで自分と即興とギターみたいなのに対峙しているアーティストなんだけど、一般的に理解されない。
自分がデレク・ベイリーってわけじゃないけど、俺の音ってのも極めて内発的なものに端を発している音楽なんで、伝わらない人には
細かすぎて伝わらないモノマネ以上に伝わらない。ただ伝わらないんじゃなんつーか音を作ってる意味ってのも分からなくなる部分があって、
だから俺はなんとなくだけど、音作りにコンセプトや意味があっても、それを長ったらしい文で説明しなくても、
別な形で聞き手が何かを感じてもらえるってのを理想としてるんだけど、悲観的な俺にとってこの考え方は楽観的過ぎるかもしれない。
基本的に「んなもん伝わるわけねーだっててめーが勝手にやってる極めて個人的なことだろ」って言われたら終わりなんだよね。

ある人には自分の曲が「異常な作りこみ」と評価されたりして凄く嬉しい反面、今回みたいな「散漫すぎ」「学理無さ過ぎ」ってのも
一つなわけで、「お前には分かる分けない」って済まさないで、これも一つの意見として捉えなきゃいけないね。
でも正直、割と俺は製作に時間をかけてると思うんで(かけられるので)オーガナイズされてないってのはちょっとショックだったなー。
やっぱ。でも俺がんじゃ聞き手に分かりやすいように提示しようなんて思うわけないし、まぁ思ったことはあったけど、そんなの俺の中の
要素と全く反対のものなんで、そういう意見を一つの重要なものとして捉えると同時に、ぜってー展開なんてつけねーって余計に思うわけね。
っつーか展開はあるんだけどそれは俺の頭の中の展開なんで、一般的な音楽理論や既存のものをベースとした展開じゃないんで
分かりにくいんだろうけど、まぁいいや。ホント、個人的な表現とコマーシャリズムってのはホント、シンクロしないんだなって感じるね。
やっぱそんな意味でも俺のやってる音ってのはアングラ中のアングラの中のアングラっていう認識じゃないとダメだね。
自分が基準になりすぎると世の中とのズレが半端じゃなくなるよね。まぁそんなもんクソ食らえだけど。まぁ世間体みたいなもんね。
あーいいや。もう。ただまぁ俺が「展開が必要」という人と一緒にやっていく必要は無いから「展開なんていらないし、逆に予測不可能で
不確定性を含んだ音のほうが革新的で進歩的」みたいに思ってる人にだけ感動してもらえればいいのかな。でも閉鎖的な世界だね。
そう思うと。俺はオープンなつもりなんだけど、音の世界が閉鎖的。でもさっきも書いたように内面的なものが元になってるものなんて
大抵閉鎖的で分かりにくいものだと思うんだけどね。なんか話題がデカくなりすぎだね。それこそ「表現とは?」みたいな感じだもんなー。
まぁいいや。あんままた考えすぎると脳が疲れて10時間ぐらい寝ないとダメになっちゃうからやめるわ。ってたぶん考えるだろうけどね。

なんかアレだね、分かりやすさって何?って感じね。映画にしても絵にしても音楽にしても。内発的なものってのは、なんつーか
化粧水みたいなもんで、体質に合わないとダメだけど、合えばばっちりみたいなもんだよね。理解ってのが分かりやすさから来ている
ものではなく、自分と似た感性やらものの考え方やら、はたまた経験とか記憶的な色々なものが混ざって、それが理解というよりかは
シンパシー的な、共感、もしくは共鳴をもたらすんだと思うんだよね。で、そんな内面性に物事を求めるんじゃなく、分かりやすさに
重点を置いてるのが、ビックバジェットのハリウッドムービーとかポップミュージックだよね。まーいいか。俺はポップスやってる
わけじゃないし。別にやりたいようにやればいいんだよね。前にも書いたけど、そこで邪魔な要素が入ると音がクズになるんだよね。
もうちょっと考えてみるか。まぁもちろんスキルの無さってのもあるとは思うけどね。KID606みたいなの作れないし。俺。
なんか意味分からない。例えが。そういえば美容室に行ってきて、こっちに来てから定着した感のあるいつもの「いとうせいこうカット」に
しました。ニューヨーク、ディーライト、テイトウワじゃないからね。勘弁してそれだけは。グルーヴインザハート。

One and Many

One and Many