何かの間違い。

mimisemi2007-02-28

一日のアクセス、100ある。これ、おかしい。でもお前らはまだ分かっていない。だから俺、説明する。

前に書いたクセナキスについてだけど、まぁ俺が説明するのもどうかと思うんだけど、クセナキスってのはまぁザックリ言うと特に初期の作品
なんかはNHKだかの特集にもあるように、流体なんかの動きを解析して、それを数値化した後、図形化して譜面にしたとかって、まぁ凄く
数学的で科学的な作り方で、一見、作家の表現とはかけ離れたような、科学的な音楽のように思えるんだけど、あくまでクセナキスは表現
というものにこだわっていて、数学的な手法とか作曲に図形を使うというのは、クセナキスの表現の出力の方法なんであって、そこが
メインポイントじゃない。だからそこが理論主体じゃないってところね。あくまで表現ありきの理論的な作曲方法。
このポイントってのは近年のデジタル音楽なんかにモロ当てはめて考えられるわけで、例えばプロセッシングが主体になっている
デジタル音楽ってのは、クセナキスに置き換えると、煙の動きをそのまま音にしたかったというだけで、まぁなんつーかオヴァル
ミュージシャンシップを否定してた頃(今も?)みたいなものなんだよね。ようはオヴァルっていうフィルターを通すことによって
全部の音がオヴァルの音になるっていう、ある意味、作曲者が装置になるというような考えね。オヴァルプロセスってそんな感じ
だったんでしょ。ソフトウェアが完成したのかどうかは分からないけど。まぁこれはこれでありだと思うけど、前に俺がオヴァルのことが
大嫌いと書いてたのはここで、そんな作家の主体がないような音なんて意味がないって思ったわけね。ようはソフトウェアが作り上げてる音
なんであって、そこに人間が介在する必要はないっていうような音楽。ただ常々言われているようにオヴァルのミュージシャンシップの否定とは
反対に思えるようなオヴァルの作品の美しさとか音楽性ってのは、やっぱオヴァルはアーティストなんだって思えることなんだけど、近年の
デジタル音楽ってのは悪オヴァルみたいなのが多くて、所謂、ただソフトが出した音そのままをただシーケンサーで切り貼りしただけのやつとか
マックスのパッチになんかの音ネタを流してそれで加工して作っただけとか、イージーゴーイングなのが多い。ここでクセナキスが重要になって
くるのは、あくまでパッチやソフトウェアは作り手が作りたいものを反映するためのツールとして機能するべきで、ツールが音を作るべきじゃない
ってところなんだよね。ようは煙の音を解析してそれを音に置き換えるプロセスの中で作家の表現が反映されているというのがクセナキス
音楽であるように、デジタル音楽もそのプロセスの中で作家の主観性や表現性が必要になってくると思うんだけど、ここら辺がすっからかんに
なってると、すっからかんエレクトロニカの出来上がりってなわけなんだよね。ただパッチが鳴ってるだけっていう。こないだもあるオブジェクト系の
ソフトのプリセットをいじってたら、もうそれはもう気持ちいドローンや電子音楽がこっちの主体性無しに勝手に「オン」にするだけで鳴ったのを
聞いてて、はーなるほどねーって感じだったんだよね。ようはソフトウェアが音を奏でていて、そこに作家は居ないんだけど、もう音が完成されていて
仮に俺が音をいじるとしたら、その音を切り貼りしてちょっとてんかうぃ(展開)をつけてより音楽として聴けるように仕向けるだけっていうような
感じなんだよね。まぁ別にそっから色々アイデアを膨らませて、例えばカルちゃんが言ってたような、アイデアがないまま初めて、作曲ってのが
ソフトを立ち上げたときから始まるっていうような、それは全然いいと思うし、俺も半々ぐらいでそんなのはある。まぁテクノロジーとかソフトウェアへの
依存が怖いけど、依存も何も俺は最初からソフトで音を作ってるわけで、それを言い出したら本末転倒だなみたいな感じなんだけど。

パッチが音を作ってしまったら、ホント、そこにアーティストなんていらなくなるんだよね。なんか、10年前ぐらいは、そのうちソフトウェアが進化を
遂げて、アーティストがいなくても良い音楽を勝手に生成するようなものが出てくるなんて議論されてたような気がするというか、もしくは俺の頭の中だけで
議論が行われていたのを、俺が勝手に世間一般に置き換えているだけかもしれないけど、とりあえずは特に実験的な音楽に関しては、そのプロセスに重点を
置くような音楽に関してはもうソフトウェアがあれば十分みたいな傾向になってると思う。まぁ相当アナログな手法とか人間的な手法を使わない限り
デジタルプロセッシングの音楽ですみたいなのはもう通用しないと思うんだよね。一時期ミルプラトーがジャンルに「Digital Process」とかって書いてた
時期もあったけど、もう昔の話だよね。まぁ当時は斬新だったかもしれないけど、今は音ネタをソフトウェアでいぢりましたみたいなのは通用しない。
あまりに便利になりすぎてて、プリセットだけでもかなり高いクオリティのものが作れたりするからね。強ち俺の頭の中か、もしくは世間的にも行われてた
かもしれない議論ってのが現実になりつつあると思うわけ。ホント、プリセットのクオリティは半端じゃないよ。それはプリセットの仕組みがシンプルであれば
シンプルであるほどクオリティが高い。ようはいろんな音(ジェネレーターなんかの)のモジュレーションのオートメーションなんて、聞いてるだけで
トリップしてくるし、気持ち良いし、アーティストいらずなアンビエントって感じだもんね。まぁシンプルな音のモジュレーションにクオリティもクソも
ないかもしれないけど、プリミティブな音ってのは凄く綺麗で、なんか人工的に色々音を作るのがバカバカしくなるぐらい綺麗なんだよね。なんか
パラダイムがずれてきたけど、まぁ別にジェネレーター系じゃなくても、グラニュラーなんかで音ネタをいじればエレクトロニカの出来上がりだし、
極端な話、過去にいろんな電子音楽家が巨大な装置を使って作っていた音楽なんかがいとも簡単にシンプルなパッチで再現できたりしちゃう。
まぁそこでシステムというよりかは、表現ありきのシステムなんであって、システムが音楽を作るってわけじゃないわけよ。表現がシステムを作るってのが
昔の電子音楽のやり方だったと思うんだよね。まぁ理論に傾きすぎてるのも多いとは思うけどね。ミュージックコンクレートなんて完全にアイデアっつーか
ミュージックコンクレートっていう発想ありきのものだし、実験的な音楽であっても、そこに確実に人間が存在していて、主体性のある表現があると思うのね。

ただね、近年の誰が作っても同じような音ってのは完全に機械が作ってる音なんだよ。それはエレクトロニカに顕著かもしれないけど、実際は完全にシステム化
されてルーチン化された音楽がはびこっているという点では、いろんな音楽もただただ既存のものの組み合わせにしか過ぎなくて、そこに表現もへったくれもない
っていうのが多いかもしれないよね。まぁオリジナルはありえないっていう議論は置いておいても、オリジナルかどうかはともかく、表現なり作り手の意思というのは
音楽の中に存在するべきだと思うんだけど、どうもここ最近はそういう重要なコアの部分がなくなってきているような気がするんだよね。J-POPなんてありきたりな
エレクトロニカよりも怖くて、あの音ってのは一見派手に見えても、池田亮治以上に無機質でシンプルでのぺーっとしてるわけよ。池田亮治の場合、ポジティブな
意味での無機質だけど、J-POPの場合、ネガティブな意味での無機質ね。それはもうある意味、音楽産業っていうのが商業音楽を作り出すある種の大きなソフトウェアに
なっていて、そのデカイソフトウェアが出力した無機質な商業音楽に一般の人は金を払って消費してるだけかもしれないって思うと、もうそこに芸術性なんて
皆無なわけね。もうデュシャンもビックリなレディメイドがはびこっていて、それはコンセプチュアルアートとしてのレディメイドではなく、似非レディメイドとでも
言うのか分からんけど、一見レディメイドじゃないオリジナルに見えるレディメイドね。実際は便器にちょっと飾り付けをして誇大広告をして売り出しているだけっていうね。
世の中がマテリアリスティクになればなるほどウォーホール的なアートの意味が分かってくるよね。まぁ俺はウォーホールの人間的な部分が好きなんだけど、まぁ
ホント、ウォーホールはいろんな意味で時代を先取りしすぎだったね。大統領が飲むコーラも自分が飲むコーラも同じものだからみんなが平等みたいなのは面白いけど
音楽作品にそんなコーラみたいなことが起こっているわけだ。コーラは単純に消耗品で、まぁある意味で、別に電球にオリジナリティはいらなくて、ただ明るくて
長持ちすればいいっていう意味での電球ならいいんだけど、それが音楽に起こった場合、怖くない?音楽もそんなコーラだとかポテトチップだとか電球だとか
歯磨きみたいな消耗品になってるんだよ。それは消耗品としてのニーズがあるから電球があるっていうライン的な存在と同じようなことが音楽にも起こってて、
こんな音をみんなが欲しがってるからこんな音を作るっていうような、恐ろしい一般化と非音楽化が起こってるわけ。思えばアンダーグラウンドだなんて言われてた
音楽もすっかりこういう商業音楽にスポイルされちゃったり、元アングラだったアーティストが身売りしてメジャー路線になったり、基本的に消費する資本主義のシステムと
本質的な芸術ってのは相反するものなのかもね。だから基本的に本質的な表現をしようとするとラディカルに見えてしまうんだけど、実際はそれが本当の意味での
表現っていう、まぁ変な矛盾が起こってるわけだ。ただ今はみんなに分かりやすいものを作るってのが当たり前みたいな風潮が前以上に蔓延してて、ラディカルさだの
斬新さだのなんてのはいらなくなってるんだよね。分かりにくいものを作るとオナニーっていう認識。でもそれは絶対違うと思うね。アートなんて元々物凄く個人的なものだし
はっきりいって個人的過ぎて世の中に出すっていうことが矛盾するぐらいのものだと思うんだよね。そう思うと本質的なアーティストが左翼的というと言いすぎだけど
反体制的なのは当然で、その胴元の体制というのが資本主義チックであればあるほど、本質的なアートという部分とはぶつかり合うわけね。そう考えるとメイクセンスだよね。
パンクやらフルクサスなんてのはスポンテニアスな表現のいい例だし、表現なんてのは本来、物凄くパンク的なものだと思うわけ。そこに技術やら方法論やらコンセプトやらが
悪い方向で混ざると、本来表現が持っている本質的な部分を削りかねないんだけど、まぁ上手く共存してくと、洗練されていくわけでしょ。ソフィスティケイトって
純粋ではないみたいな意味も含んでるらしいね。まぁそこは建設的な議論の余地がある部分だと思うね。パンク的な衝動的な表現が本来の表現なのか、洗練されたもののほうが
より優れた表現なのかみたいなのはね。ただそこでもっとやっかいなのが、消費社会が表現に絡んで商業主義になっていく音楽なり芸術ね。それはさっき書いた技術なり
なんなりってのが入ってきて、むき出しの表現に混ざっていくっていうのと同じなんだけど、大抵、商業性なんてのは混ざるとロクなもんにならない。ただやっかいなのは
商業性ってのはこっちが求めなくても、もののけ姫の最後の黒いやつみたいに勝手に何もかも飲み込もうとするんで、結果的にどんどん表現を潰していくんだよね。
あと単純に本質的なアートは金にならないんで、そんな無駄なことは諦めて資本主義にコミットしていかないと生きていけないっていう、まぁ誘導的なアートの潰し方も
あるかもしれない。潰し方というよりかはアートがつぶれていく世の中の構造みたいなね。まぁそんなところで真の創造性なんて求められてないのかもしれないね。もっと言えば
アートなんて世の中に求められてない。大半の人が求めないんでいらないものになってる。でも大半の人が人類が持っている物凄く重要な部分を無意識的に潰しかけているという
ことに気がついてない。だからたぶん今後はより一層、独立したアーティストは資本主義に飲まれず独立したままやっていくタフさが必要なんだろうね。

ただその点ニューヨークは良いところがあって、ある美術館はアーティストを一時的に雇って場所とメシを与えたりとか、ネームバリューに関わらず才能があれば
世の中に出していけるっていう下地があったりする。メルツバウがヨーロッパはノイズをアートとして捉える土壌があるって言ってたのと似たような感じで、
ニューヨークはアートも重要な部分の一つっていう認識があるように思えるね。まぁ実際、どうか分からんけど。まぁアーティストなんて貧乏だろうけど、
才能があれば出していける土壌があるのとないのとでは全然違うからね。でもなんかここまで偉そうなこと書いてると、んじゃ俺ってどうなの?って疑問が生まれてくるね。
こんなことを偉そうに言えるぐらいのものを俺は作ってるわけ?いやー分からん。ただまぁー「おーっ!!すげー表現主義っすねー!」なんて言われるもんじゃないのは
確かだね。俺としてはめっちゃ作家主義とか表現主義ってのに重点を置いてるつもりだけど、まぁ音には良い意味で反映されてないかもね。でも作家主義ってなんで
映画のタームなんだろうね。音楽にも作家主義ってあっていいんじゃない?音楽ヌーヴェルヴァーグみたいな。でも大人は判ってくれないんだよね。
ドイツ表現主義ニーチェとつながりがあるわけで、やっぱ俺の中でいろんなものは繋がってるわけよ。ヘソの緒で目を擦る男。カミュも要チェックね。
でも表現主義的なアウトプットってのはあくまで無意識に成されるものだと思っていて、そういう意味でも俺の曲を誰かに聞いてもらったときに「陰鬱で暗い」って
言われると凄く嬉しいのね。「あ、俺、成功してる」って思えるわけ。別に陰鬱なものを作ろうと思って作ってるんじゃないんだけど、結果的にめっさ暗いみたいな。
これは自分の曲のフェイバリットの話なんだけど、当時は薬漬けと精神病院の前のバス停で気絶して運ばれたりしてたときに作ったやつで、まぁぶっ倒れた後に
作ったんだけど、てんかんじゃないかとかインチキ精神科医に脅されてMRIやら脳波やらAkiraの実験体もビックリな検査を受けてたのね。で、そこでもう精神的に
参りきってるなかで、ウディアレンの映画みたいに「あーたぶん脳に変な異常が見つかって脳手術して失敗して死ぬんだ」とか思いながらMRIを受けているときに聞いた
MRIの音からアイデアが浮かんだ曲があったのね。で、その後、精神病院を信じられなくなって自ら抗鬱剤をやめたら凄まじい離脱症状が襲ってきたんだけど、その
離脱症状の時に聞こえてきた耳元でなる「シャンシャンシャン・・・」みたいなホワイトノイズも苦しいながらもいいなーとか思ってて、まぁそんなこんなで
出来た曲があって、まぁ今でもそれを聞くと某大学病院を思い出すわけよ。で、第三者に俺みたいな具体的な嫌な思い出ってのは伝わるわけがないんだけど、その音の中で
うごめいている苦しさとか死にたいような気分ってのが稚拙ながらも音に現れてて、それで「成功したな」って思うわけね。そういう意味で無意識の中で成されている
表現主義的な表現っていうのは自分の中で理想なんです。だから人間がただのフィルターになって作るような音楽には全く興味が無いんです。
ただ「あ、俺、性交してる」って思えたことは一度もないね。

そうそう。俺、マルクス主義者って、書いた。でも、勘違い、良くない。俺、訂正する。あのね、前にも書いたことだけど、アホな左翼はアホな右翼以上にバカなわけで
所謂、中身のない左翼ってのが「マルクス主義」を掲げて主体性のない受け売りの思想に従った活動なり思想(思想って言えない)を展開してるんだけど、これも同じく
前に書いたように、共産主義の国とかいって、マルクスっつーか特にエンゲルスが掲げたような、理想的な共産国を築き上げた国は一国も無いし、大半はマルクス
思想を部分的にピックアップするか、誰かの受け売りをしてたりして、皮肉なことにプロレタリア独裁どころか、その正反対の権力者による独裁国家になっているってのは
時代が証明してるわけ。だからマルクス主義ってのは勝手に一人歩きしていて、所謂、失敗したどうしようもないダメ共産を表す言葉がマルクス主義なのかもしれない。
未だに暴力革命とか考えているやつらは電波以下なわけ。でも俺の部分的な考えの基盤はある意味、マルクス的で、さっきの資本主義の話とかもそうだけど、結局
今みたいに資本主義のエッジが極端になれば極端になるほど、資本主義のダメな部分っていうのはあらわになってくるわけ。そこで資本主義に関して批判的に書いた
マルクスってのがタイムリーになってくる感じなんだけど、なんつーか、まぁ俺は資本論読破してないから語る資格ないんだけどね。ただまぁベーシックな部分で
金で何もかもコントロールする資本家とか、権力者に関してだとか、まぁアメリカのブッシュ的なキリスト原理主義だのをバックに置いた権力ゲームだとか、そんなものの
カラクリってのは基本的に資本家と労働者の関係性の応用っつーか、全く上手くかけないけど、権力者と一般ぴーぽーの階級闘争っていうと言い過ぎだけど、さっきの
アートと資本主義が相反するものみたいなロジックで、大雑把に言えばマルクス思想の応用で特に今の世の中のダメっぷりの根源が分かったりすると思うのね。
それは別にマルクス思想を軸に全てを考えるっていう、バカなマルクス主義者じゃなくて、マルクス的な思想は今の世の中にとってヒントだらけだよってことね。
またグラムシに関してもプリズンノートを読破したわけじゃないから語る資格ないんだけど、グラムシマルクスを再読っていうとおかしいけど、物凄くプログレッシブに
理論を発展したわけで、まぁその思想のベースはマルクス理論なわけだ。ここが俺の言いたいところなのね。俺はマルクスグラムシ、もしくはホント、これも部分的にしか
読んでないネグリなんかの思想にちんぱしーを感じるっていう意味での、まぁなんつーかマルクス思想に共感できる人ってことなのね。だからマルクス思想イコール左翼
なんて構図はバカげてるし、特にこっちに来てから気がついたけど、まぁこれは前にも書いたけど俺は凄まじい愛国者なわけだ。だからこそマルクス思想なんだよね。
愛国者イコール右翼ってのもこりゃまたバカげてる。あと一部の右翼の人の意見なんかは俺は物凄く理解できるし、ちゃんと筋の通った所謂、凄い右翼の人っていうのは
本当に国のことを思っているわけで、国を思うっていう点では右翼も左翼も関係ない。Youtubeで見た動画で全共闘だかの学生と三島由紀夫が議論してるのがあったんだけど
三島が「天皇制のこと以外だったら君達と意気投合できるのになー」って言ってたのは象徴的でしょ。そうそう。愛国心っつーか本質的なものが欠けている上辺だけの
ナショナリズムがマズイのは、まずバカが日の丸だの特攻隊だの人のために死ねる民族、それが日本人だの、そういう無知でバカなプチ右翼みたいなのが相当増えていて
前にも書いたように無知なバカが下手に政治思想を持ったりすると最高にタチが悪い。右翼的な考えになるのは大いに結構なんだけど、だったらちゃんとした右翼の人から
学んでほしいわけで、世の中の安っぽい愛国心みたいな風潮に踊らされて愛国だのっていう若いやつはもう最悪だね。そういえば前に書いたっけ?ロードアイランド
途中から一緒になった日本人のルームメイトのオヤジが元ヤクザで、今もヤクザ系の人と関わりがあって、筋金入りの右翼って話。で、まぁこのルームメイトも凄まじい右翼
なんだけど、ちゃんと物事を考えた右翼なんで、言ってることが分かったり共感できる部分がある。3時間ぐらい俺の部屋で日本のことやらを話していたときは
極左と極右の対談みたいな感じだったけど、それこそ核の部分がしっかりしてれば、思想の違いなんてたいして問題じゃない。もちろんここでは書けないようなことばっかり
話してたりもしたけど、今の日本はダメすぎるんでなんとかしなきゃっていう気持ちは一緒なのと、お互い柔軟性があったんで、右翼的だろうが左翼的だろうが、
そんな偏見無しで語り合えるわけね。はっきりいって世の中で起こっているステレオタイプな右翼と左翼の思想の違いのぶつかり合いみたいなのは、ゴダールの中国女に
出てくる学生達の型にはまった軸を持たないディスカッションと同じなわけで、それこそ「修正主義者!」だのって罵倒してるそんなレベルだよね。ホント、馬鹿馬鹿しい。
まぁ中国女はコメディみたいなものだし、ああいう学生のイカ臭さをモチーフに青春の一コマみたいなのを描いたって思ってるんで映画的にはいいけどね。パリの五月革命
次の年に起こるとかいう状況を考えても勃起してくるものがあるし。ただね、今の時代、ステレオタイプな型にハマったような思想なんて有効なわけがないのよ。
いろんな状況が多様化しているし、なにやらのメソッドで解決できるような問題じゃない。まぁ昔からもそうだったんだろうけど、今はそれが顕著で、みんな気がつける
時代だと思うんだよね。ようは思想に染まるんじゃなく、応用できるというような考えね。まぁ思想なんて主体性ありきで存在するもんだと思うんで、何々主義者ってのが
そもそもの間違いだと思うんだよね。だから原理主義的なのは俺は完全に否定するね。そこに人間の主体が無いでしょ。まぁさっき書いた音楽と同じね。主体性を帯びてない
作品や思想なんて、からっぽなわけよ。まぁ偉そうなことを言う前にグラムシのプリズンノートを読破して、ちゃんと理解しようと思いますね。一番タチが悪いのは
思想書やら政治哲学の表面だけをピックアップして、あたかも理解したかのように振舞っている衒学的なやつね。俺はこんなのには絶対なりたくないんで、苦痛が伴っても
本は読まないとダメね。しかも英語なんで理解できるのかどうかも分からんけど、日本語で読書をしたらこっちにいる意味が分からないからね。あくまでそこは英語に
こだわるね。たまに頭痛くなるけどね。もう脳がフル回転なんで。文も読みづらければ、語彙も分からんし、ましてや内容が難しいなんて、脳疲労の原因なんだけど
でも読まないと。やっぱり。

そういえば今日、面白いことがあったんで書くわ。例の批評的な韓国の女の子と学校の帰りにクイーンズのある駅まで一緒に帰りつつ色々喋ったんだけど、まぁこれだけ
書くと青春真っ只中って感じだけど、俺の頭の中ではひたすらUPSのことが浮かんでいたのね。というのもこっちのまぁクロネコヤマトみたいなUPSっつー宅急便が
あるんだけど、不在が3回続くと、カスタマーセンターにブツを取りに行かなきゃいけないのね。今回は特に再配達指定をするのを忘れてたんだけど、それにしても
UPSは汚くて、3回は来なきゃいけないのに、2回目でもう3回来たことにしてやがって、てめーで取りに来いって魂胆なんだよね。こんな話もこの子と喋ってたんだけど
この子も同じような経験があるらしく、「やつらは2回ぐらいしか来てないのにそれ以上来たかのように振舞う」って言ってたんで、俺の場合も恐らく2回しか来てないね。
で、俺は素晴らしきアストリアに住んでるんだけど、なぜか俺のブツはアストリアにあるUPSカスタマーセンターに来てなくて、もっと他のクイーンズの南側の営業所に
あるみたいなのね。で、最悪なことにそこは地下鉄が通ってないようなところで、どうやっていくの?ってな雰囲気の場所なんだけど、まぁかなり歩くのを覚悟しなきゃ
いけないんで、明日は学校休むわ。しかも俺の荷物をキープできる期限が明日までなんだよね。全然人気がないところで、ドラッグディーラーとかがうろついてたら
どうしよう・・・。まぁその時はドラッグディーラーから買えばいいのか。オッケー。治安面は問題無しね。で、UPSの話をしているときに、この子に
「なんの荷物なの?」って聞かれたんで「あーAmazonで買ったやつ」って答えたら「何買ったの?」って言われたんで「いやー本さっ」ってデュランみたいな感じで
答えたんだけど、実際は「抜け毛防止用、頭皮シャンプーとコンディショナー」なんだよね。いやー自分でもウケるな。とことん俺は俺だなって思えて、
そんな自分が大好きね。もうちょっとオチが強ければすべらない話に認定できそうな感じ。この子も明日抜け毛防止用の頭皮シャンプーとコンディショナーを
地下鉄が通っていないドラッグディーラーがウロウロしてそうな場所にわざわざ学校を休んで取りに行く男と話してるとは思ってないだろうね。
だから俺はやっぱ女の子とこうやって話したりメシを食ったりするぐらいはいいんだけど、付き合ったりしちゃ絶対ダメなのね。もうありえないぐらいダメ男だからね。俺。
学校に10分遅刻してきて、先生に「地下鉄がなかなか来なかったんで・・・」って言い訳してるけど、実際はオナニーしてたから遅刻したとか、そんな感じだからね。
しかも中間テストの日にオナニーしてて遅刻したんで、つくづく俺ってグルーヴィーだなって思ったね。クラスメートも「あ、オナニーしたんだな」って誰も思ってないよね。
でも俺はオナニーしたんだな。こんなところもひっくるめて「貴方最高よ!」って言ってくれる女性がいれば俺は結婚したいぐらいだけど、まずいないと思うんで諦めてるのね。
なんつーか女性に失礼でしょ。普段は割と普通に振舞っているけど実際はダメ人間だったなんて、俺が逆の立場だったら殺したくなるね。ただ今は正直、ちょっとトボけた
ところがあるクラスメートのポーランドの人妻がちょっといいなって思ってるんだけど、なんか俺ってとことん北欧系の顔が好きみたいね。アンナカリーナってデンマークでしょ。
特に前に書いたポーランドの姫の例を出すまでも無く、俺はフランスとかポーランドとか、あっち系の人が相当好きみたい。もしこっち系の人と付き合える機会があったら
俺がダメ人間でも付き合いたいけど、まぁ無理ね。もうグレード違いすぎ。オーガニックの卵と薬品だらけの卵ぐらい違いがあるね。

まぁそんな感じで明日は俺の本と偽ったブツを取りに行くことにするよ。ただこれが育毛シャンプーだったらマジで個人的にも引くんだよね。こっちに来てから抜け毛が
ヒドくなったんで、頭皮の状態を改善するためにわざわざAmazonで薬品の入ってない完全にハーブのやつを買ったんだけど、これが薬用の育毛剤となると、なんか
「抜け毛が気になってる貴方」から「ハゲ」になる感じがするんだよね。ハゲるかもしれないって勢いで髪が抜けてたんで、すっかりハゲキャラを自分に定着させようと
してる俺だけど、まぁ基本的にそこまで心配しないでくださいね。見た目は全然フサフサで髪が多いぐらいです。ただ実際は抜け毛が多くて困ってるみたいな感じなんで
このまま行くと髪の絶対量の平均値が明らかに少なくなるなっていう計算なのですね。あーハゲたくねーよー。遺伝とかだったらまだ諦めがつくんだけど、こっちに
来てからってのもあって、なんか二次的な原因がありそうで怖いんだよね。食生活は改善したからアレだけど、やっぱこっちのシャンプーってのは洗浄力が強すぎたり
オーガニックっつっても実際は全然違ったり、怖いのばっかなんだよね。それは前にニキビがありえないぐらい悪化したのと同じ感じ。今は気持ち悪いぐらいスベスベだけど
ニキビ痕が沈殿しちゃって、レーザーで治さないとダメみたいな雰囲気なんだよね。あーあー・・・・髪が多くてありえないぐらい美肌だったこの俺が・・・こっちに
来てから何もかもがダメになってる感じがする・・・。特に去年は激動の一年だったから、まぁ体調を崩すのも無理はなかったかなって感じだけど、かなり代償はデカイね。
こうやって女以上にコスメ系に手を出して勉強しなきゃいけないなんて思わなかったからね。ただ俺は信じてるよ。ちゃんとご飯を食べて、健康で信用できる食品だけ
口にして、オナニーをほどほどにして、美顔系の洗顔フォームで顔を洗い続け、頭皮に良いシャンプーを使い続ければかつての俺が帰ってくると。
でも肌と髪に気を使うことが結局健康を気遣うこととイコールになってるわけで、皮肉にも色々あった去年は一回も風邪をひかなかったし、今に至る現在も体の不調ってのは
一回もない。こりゃ凄いね。ただでも去年、髪が抜けたりニキビがヒドくなったりしてるのはストレスだろうね。いやー去年はヒドかったなー。マジで。もう徹底的に健康に
気遣うようにしよう。去年は体を痛めつけすぎたね。マジで。ホント、去年に比べると肌がありえないぐらい元に戻ったよね。俺。でも痕も自力で治すつもりなんだよね。俺。
髪は分からんけど。遺伝の線もありうるからね。老後はブランド王ロイヤルの社長みたいにリーゼントにするのが夢だね。奥さんはポーランド人で。
とりあえず今後も変わらず童貞力をバネにして、色々な苦難や物事を乗り切っていこうと思うよ。そういえば女性を性の道具として見ないのが童貞の特徴ってDTに書いてあったけど
俺って童貞力物凄いよね。紳士って言い方もできるけど、俺の場合、完全に童貞。そういえば髪をマッシュルームみたいにして、デカイ黒縁のメガネをかけていると俺の童顔が
一層際立つらしく、ある人から「高校生かと思った」って言われたね。嬉しいね。高校生で童貞ってのはある程度メイクセンスだ。でも童貞の定義によるんだよね。ホント。
でも真剣に一回もやってないっていう意味だと俺は童貞だけど、コトに及んだ経験があるという意味では童貞じゃないんで、恐らく神的な存在が曖昧な存在を生み出したいがために
俺にこんなわけのわからない課題を与えたに違いない。でもマッシュルームカットで音楽狂で読書が好きで部屋に篭るのが好きでデカイメガネをかけているってナードな
童貞の要素を満たしすぎだよね。でも秋葉系のダメナードではなく、書店に勤務してるようなナードって感じで、まぁ気持ち悪くはないから安心してほしいね。まぁ気持ち悪かったら
さっき書いた韓国の女の子もわざわざ俺と一緒に駅まで帰ろうって思わないでしょ。また今日も嬉しかったのが例のインテリな先生から「あなたは物凄く批評的なシンカーだわ」って
言われて嬉しすぎたんだけど、前に書いたように今までさっぱり褒められたことがなく、ただただダメ人間と言われてきた俺にとっては今はやっぱ相当幸せだね。例え井の中の蛙
あっても。でも思想家ってのが日本語にすると大げさなんだけど、英語でthinkerっていうと、まぁよく物事を考える人ってニュアンスだと思うんで、まぁ別にたいしたことじゃ
ないんだけど、物凄いギャップだね。日本に居たときなんて、ありえないぐらいロクなこと無かったからね。日々悶々として過ごしてるだけっつーか。こっち来て学ぶことが本当に
多いし、なによりここまで悲観的な俺が「人生は意外と悪くないかもしれない」って思えるのは物凄くポジティヴだと思わない?悲観的というのも、やっぱりノーフューチャーな
環境と、何もそこまで不幸じゃなくても・・・っていうような波乱万丈の幼少期や青年期が今の俺の人格を作ったんだろうけど、DTの"「若い頃から女にモテてきた男の想像力は
犬以下である」ニーチェ"じゃないけど、若いときから問題無しでモテてたら、中身がスッカラカンかもね。見た目がいいやつって相対的に頭が悪いっていうのも、こうやって
チヤホヤされる環境もあるのかもね。って思わないとやってられないってのはあるよね。

D.T.

D.T.