本を読んでいるので今日は書きませぬ。
Funky Kinky Grooveがいよいよ完成してるっぽい。だけど正直な話、こんな何百時間もかけた大作をネットにアップするだけっていうのも悲しくてイマイチアップする気になれん。ホント、千枚とか限定で豪華なパッケージにしてレコードにしたいぐらいなんだけどなぁ・・・。ただの音声データって味気ないからね。ところで相変わらずゲームの呪縛から離れられないんだけど、こういうのやってて思うのが、本当に虚しいよなって思うんだよね。特にいきなり殺されてセーブポイントからやり直しとかになると凄まじい怒りと虚無を覚える。っつーのもゲームって学ぶことも多いけど、特にイベントこなしたりするだけっていうやっつけ作業みたいになってると何も得るものが無いでしょ。ただ時間が過ぎていくだけ。で、さっきもいきなり主人公が死んで2時間ぐらい無駄にしたんだけど、そこで思ったのは人生ってこんな感じだよなぁーっていうの。イベントをこなすっていうのもさ、ゲームの中で実際無駄なのと同じく、人生でもそれ自体に学べたり喜びを得たりするイベントなんて限られてるでしょ。あ、ブルジョワとか悠々自適の仕送り生活のやつは別としてね(貧乏でギリギリの仕送り生活の人は別)毎日何のために何かのことをやってるのか分からなくなる。今のバイトもそうだけど、3日連続とかでああいう単純作業をやってると何のために生きてるのかさっぱり分からなくなる。人間ってのが活動的に何かに向かって物事をやるのは快楽や欲望を満たすためらしい。だからつまらないことや面倒な事は基本的にやらないんだよね。これが普通。面倒なこととか嫌なことを進んでやる
っていうのはただの物好きか、そう育てられただけ。もしくはそういうことをやって褒められるか耽溺するっていうまぁある種の快楽に向かって嫌なことをやってるわけだ。じゃあなんで世の中の大半の人が嫌なばかりやって生活してるのか。それはズバリ食うためだね。生きるためには嫌なことをやらなきゃいけない。それが世の中の仕組み。ゲームもつまらないお使いイベントとか無駄なダンジョンの行き来なんかをやらなきゃいけないのは、話を進めるためなわけで、楽にダンジョンを攻略できる方法なり、敵が一切でなくなる魔法や道具があれば誰だってそれを使う。それってのは基本的に目的も無く敵と戦うのが面倒なだけだからね。これって人生にも当てはまるよね。別に俺の生活はそこまで苦しくないし、貧乏だけど窮屈ながらも実家なので飯には困らない。いや、もちろん居候みたいな感じだから贅沢な飯を食ってるわけじゃないけど、別に飢えてるわけじゃないし、部屋が暑かったり寒かったりすれば空調があったりする部屋に住んでいる。クソ狭いけどね。はっきりいって幸せもんだと思う。でもね、中身はどうかというとさっぱりそうでもない。まぁ死ぬ思いをしていないから、今の生活に平和が見出せない
だけかもしれないんだけど、この人生観なり人生について考えれば考えるほどセーブデータからやり直しと同じような虚無感を得てしまう。もうはっきりいって基本的に他人に何かを求めないし、人生にも何かを求めないので最初から何も期待して無いんだけど、それが自分の悲しいところでもあり強みでもあると思うんだけどさ。ニヒリズムなわけじゃないのよ。もうそういうもんだと思うんだよ。人生って。もうつまらないことめんどうなこと嫌なことばかり。だから快楽を求めてしまう。で、快楽の中にいたほうが楽だから快楽ばかり求めるようになる。人間って基本的にそんなもんなんだろうね。食べるために嫌なことをやって、紛らわすために快楽を求めるっていうそれだけなのかもしれない。バイトにしたってサボるやつがいるんだけど、サボりたいのは嫌なことや面倒なことをやりたくないだけで当然のことなんだよね。あんなのを一所懸命やってるほうがおかしい。まぁ目的があれば一所懸命にやれるのかもしれないんだけどさ。俺も自分を騙し続けてバイトやってるね。ああいう単純作業をやるのは何かの理由で自分を騙さないといけない。じゃないとあんなもん続くわけが無い。なんだかんだで5ヶ月ぐらい続いてるけどそんだけ自分を騙し続けていられているわけだ。なんて虚しいんだろうか。まぁバイト先に文句は無いのよ。給料はいいし待遇はいいから文句は無いんだけど、俺がいいたいのは人生そのものについてなの。何かをやったことで報われなくても良い経験になったっていうのも半分ぐらい嘘があったりして、虚無感を認めてしまうと何も残らないからね。例えばイベント企画して客が来なかったとかさ、でも企画をやっていくいい経験になったとか納得させられるけど、半分ぐらい虚しいんだよね。そこで虚しさに殺されないのはその人の強さとか人生経験の賜物なわけで、そこが大人なのかもしれないけどさ。学校にしても会社にしても凄く虚しいよね。何のためなんだっていう。楽天とTBSがどうこうって今テレビでやってるけど、全然株とか分からないのよ。俺。でもさ、見てて思うのは凄まじい虚しさだね。何百億儲かるとか損するとかそんな話でしょ。で、何が残るのって話じゃん。まぁ金さえあれば生きていけるからいいんだけど、でも金のためだけに生きてそれがどういう人生なのかって凄く不思議なんだよね。別に生まれてこようが死のうが特に関係ない。そんな意味で人間はやっぱり動物なんだよね。別に路上の野良猫が死のうが生まれてこなかろうが世界的には関係ない。一人一人の人間も一部を除いてそんな感じだろう。でもこれってたぶん人間にとってタブーな話題だからみんな避けるんだろうね。もしくは意識的にならない。そういうことに気がつくと頭がおかしくなったり鬱になったりするんだろう。鬱病がおかしいっていうけど俺は鬱こそ人間のネガティブな部分の集積だと思うのよ。全部マイナスのほうに考えるとかさ、何も出来なくなるとか、ようは廃人みたいになるんだけど、本来そんなもんなんだよね。でも自分を騙したり生きてりゃいいことがあるとか、毎日生きることに必死になることによってそういうことは考えない。でもあるときなんかのきっかけで鬱になると今までの元気が無くなる。で、マイナスの部分だけ物凄く出てくる。でもこれって本来人間が持っている部分が出ているのであって、別にそこまで異常じゃない。鬱の人が死に際にいう言葉とか鬱の人の日記にこそ本来の人間の人生ってものが集約されてる気がする。なんつーかそんなのも踏まえて前にも何回も書いてるけど、俺は人生に何も期待しないし他人にも何も求めない。でもこき使われるのは嫌だし貧乏も嫌だ。快楽を求められない生活なんて嫌だ。だから頑張るしかない。何もしないとただただ落ちるだけなんだよね。悲しいことに。ほっとけば金が増えたり地位が上がるってやつもいるけど、まぁ一部だ。大半の人間は何もしないと落ちる。人間的にも堕落する。だからもがいてるんだろうね。たぶん。虚しいもんだよね。本当に。思うに子供の頃から絶望感ってのを味わったほうがいいんだと
思う。そのあのバカ宅間が言うようなことではなくて、勉強としての絶望感ね。結局子供の頃って上辺だけの幸せとか人生ってのは楽しいもんだっていう風な感じで育つじゃん?まぁ中流の普通に学校行ってるやつはね。第三世界の貧民とかは全然別で。で、なんでこうやって普通にやってきた子供が大人になってニヒリスティックになるのかっていうと、やっぱ理想と現実の
ギャップが激しすぎるんだと思うんだよね。今の若い人なんて特にそうでしょう。だからやっぱ成人するときじゃ遅いからそんなもっと前に人生ってのはこんなもんだって分かったほうがいいと思う。そういうのを踏まえた人生が送れればそれはまたネクストステップなわけじゃん。俺のさ、今の世間的に見たら全然時間的に長く無い単純労働ですらこう思うんだよ?中には8時間ずーっとレジなんていう人もいる。もう気が狂うね。はっきりいって。で、バイト終わって疲れたから酒飲んで何もやる気が起こらなくなって横になりながらゲームやったりなんかして、で、2時間無駄とかになるとさ、本当に人生の教訓を学ぶ気がするね。そのゲームの厳しさに。だって死んだんだからセーブんところからやり直すしかないじゃん。んだったらその死ぬ先頭の直前からやらせてとかって出来ないじゃん。もうそれはこっちがどんなに怒ろうがゲームは一切認めない。思うに人生ってのもそんなもんだ。まぁよくゲームの比喩で人生もセーブデータからやり直せればいいと思いませんか?なんてのがあるけど、逆説的にその2時間ダンジョン攻略なりイベントをこなした分の時間は戻ってこない。で、それはどうあがこうが
戻ってこないでしょ。もうまたやり直しでしょ。もうこれが人生だと思うんだよね。まぁ人生はそのやり直しが効かないゲームなのかもしれない。そんな厳しいゲーム以上に人生は厳しいんだよね。ましてや死んだらやり直せないし、財産が半分になって生き返るとか無理だしね。いやー凄いよね。サバイバルだ。で、ゲームのイベントってのゲーム内の登場人物なり世界が救われたりするだけで、本人はなんら変わりないどころか時間の無駄になってる。まぁ楽しんでるっていう意味だと快楽だから、まぁセックスが時間の無駄かどうかっていうナンセンスな疑問と同じなんだけどさ。人生のイベントってのはゲームみたいには上手くいかないし必ずしもレベルアップするわけじゃない。それどころか所持品や装備品がすべてなくなって無一文なんて状態の中でダンジョンに取り残されるなんていう状況もある。まぁホームレスってことだ。動いても敵がいて武器もお金も無いのでどうにもならない。街入っても金が無いから何も出来ない。ここでリセットがきけばまだいいけど、リセットきかないからね。いやー悲しい。そんな悲しみや虚しさをチャップリンは教えてくれるね。いや、たまたまね、録画しようとして失敗した映画があるのよ。っつーかNEWS23でやってた愛国心シリーズにタイマーをセットしていったんだけど、恐らく妹がセットを解除して何かとりやがったんだよね。で、ムカついたから録ってたやつ消したんだけど、それがまた凄い見たかったやつでさ、もう大失敗って感じなんだけど。で、あー映画見ようと思ったのに拍子抜けしたなぁーって思いつつ、何か見ようと思って買ってから開封してなかったチャップリンのニューヨークの王様を見たんだけど、いやーこれまた傑作。俺がさっき書いた人生はサバイバルだ的なことはモダンタイムスとか黄金狂時代が顕著だけど、ニューヨークの王様はここぞとばかりにアメリカを風刺しまくっていて、特に最後の法廷で裁判官に向けて水を放射するシーンなんか凄まじくパンクなんだよね。レコード会社や音楽業界のお偉いさんに向かってマシンガンを撃つふりをしたKLFみたいなもんだ。で、また天才少年として出てくる共産党員の子供(チャップリンの長男)の随所に出てくる演説がチャップリンの言葉を代弁しているように感じるねぇ。独裁者ではあの有名な演説でファシズムを一蹴して帝国アメリカから追放されたりなんかしたらしいけど(それがきっかけかはともかく)当時の言論の弾圧の凄まじさがうかがえてならないね。だって最近昔の共産党の人の言論弾圧についての裁判なんかもあったらしいじゃん。よく覚えてないんだけど、もう故人なんだよね。みんな。で、遺族が汚名を晴らそうとしたっつーか、言い方が正しくないけど、戦前の言論弾圧の裁判で有罪になったのを無罪にしろってな訴えだったと思うんだけど、どうだったか。まぁともかくそのニューヨークの王様で天才少年が最初に出てくるシーンで天才少年が言う「マルクスを読んでいるからといって党員ですか?」ってセリフは名言だと思う。当時マルクス主義といったら恐らくレーニンとか現役バリバリの毛沢東だったはずなのに、物凄くリベラルというかヒューマニズム的な観点でマルクスを理解していたと思われるチャップリンが想像できる(気がする)ようは国家だの党だの左翼だのというマルクスではないってことだよね。いやーすげー21世紀な感じだなチャップリンは。その現実の歪み具合とかつまらなさとか虚しさとか苦しさっていうのを見事表現に変えてるんだよね。チャップリンは。で、そこで悲観的になりすぎず、むしろユーモアを含んでコメディタッチにしていたりする。だから一般的に喜劇俳優だの喜劇作家だのと言われるんだろうけど、これはゴダールがそのブラックさ故に喜劇作家だなんて言われたりするのと似ている。チャップリンが悲劇(もしくは悲劇的な現実)を喜劇に変えているのなら、ゴダールは喜劇を悲劇に変えてるような感じでしょ。そこがゴダールはインテリチックでとっつきにくくて、東大生とかが解析して論文とか書いてそうな感じがして嫌なんだけど、チャップリンは政治的なことは抜きにしても楽しめる良い映画として作品を作っているので物凄く尊敬できる。それにしても王様とその執事が少年をかくまっていた時の「この子は共産党員かも」っていうあたふた感は物凄いね。文章力が無いのと説明が下手なので簡潔に言うと戦場のピアニストかなんかでユダヤ人をかくまってるのと同じぐらい恐怖感と戸惑いがあるってことだ。ただの共産党員ってだけでね。ナチスがドイツ人を迫害してたなら、アメリカはアカ狩りと
称して共産党員を迫害してたわけだ。同じ帝国繋がりでやっていることは同じだよね。まぁナチスの度合いは半端じゃないけどさ。俺のオールタイムフェイバリットであるカルネ・カノンはある人に薦めて貸していたら戻ってきてなくてさ、しばらく見てないんだよね。もう見たくてしょうがないんだけど(DVD買えって話だけど)なんか同じ映画として物凄く生きる勇気を湧かせてくれるものとして今回のニューヨークの王様は凄まじいポテンシャルを含んでる作品だと思うね。踊る大捜査線とかやってないで民法でもチャップリンを放送するべきだよね。大体やってるのBSでさ、意識的に見る人じゃないと見ないんだよね。こんなにいい作品なのに。ある意味、反体制・反権力という意味でも自称パンクをやってるバンド兄ちゃん姉ちゃんもチャップリンを見るべきだね。パンク作品としてさ。一般的にパンク的とか言われてるものって上辺だけでポテンシャルが低かったりするのが多いじゃん。映画にしてもさ。チャップリン作品は内面に秘めてるものが半端じゃないわけよ。NEWS23でもやってたけど、若者が右傾化してるって常々言われてるけど、これはテレビでもやってたように世論っつーか世間一般が保守化してるだけだと思うね。決して右翼になってるわけじゃない。これも俺が再三言っている変化を求めない冷め切った若者達ってところなんだよ。キレるだけで実際怒らない子供達ね。みんなチャップリン見て学ぶべきだね。本当に。もしくは罪と罰とかね。途中までしか読んでないけどさ。ところでさっきゴダールとチャップリンを比較したのはあんまりだったと思った。ゴダールは自分で考えすぎて分けが分からなくなって自己矛盾に陥っているけど、チャップリンはそんな小難しいようなことを言ってるわけではなく、人間としての当然の権利を描いていたり幸せについて描いているだけなんだよね。まぁ比べるもんじゃないけど雲泥の差があるわな。特に80年代のゴダールの嫌いなところは自分の読書好きとか現代思想かぶれだとかそんな趣味的なもんばっかカットアップして作品にしてるところなんだよね。方法論は凄くいいんだけど、そのカットアップの素材が現代思想なり抜け道のない政治論だったりして凄くアカデミックでインテリで見てて嫌になる。抽象的な言葉でごまかしたりしてさ、ゴダールを神だとあがめる人はインテリだろうね。恐らく。俺もそんなのも止揚しつつゴダールが好きなんだけど、真顔でゴダールが好きって言われたらひくね。正直。ところでバイト先の高校生と20の青年に飲みに誘われたんだが、いやーすげーな。こんだけ年が違うなんてね。で、飲み屋にはいけないってことで、カラオケだったんだが、まぁ相当時期を先延ばしにしてたんだけどついにこの日が来てしまった。飲みに行くならまだしもカラオケは相当苦手なんだよね。俺。なにが苦手ってあれだけのもんで一時間1500円とか取られるんだからたまったもんじゃない。とはいってもまだ持ち込みOKだったのでいいんだけどね。で、この若い衆が歌っていたのは名前も忘れた今のバンドとかグレイとか名前だけ聞くとデスメタルバンドとかラップグループみたいなエグザイルとか、あとはミスチルとか、まぁバンド名だけは知ってるだけまだマシなんだけどね。この日は起きたときから気が重かった。「今日バイトかぁー」ってのより気が重かった。そんな気分で脂っこいチャーハンを食いながら濃い紅茶を飲んで、ドーンオブザデッドを見ていたので胸焼けした。いや、これはロメロさんのゾンビのリメイクなんだが、全然期待してなかったのね。もうろくでもないリメイクばっかだからさ。でもこれはすげー。とにかくゾンビの数が半端じゃないのとハリウッド系の金のかかり方なんだよね。ロメロは制作費が無かったから演技力の要らないエキストラにゾンビの役をやらせたなんていうエピソードがあるんだけど、こんな金かけてリメイクされるとは本人も思ってなかったに違いない。経済的なゾンビ映画が30年ぐらい経ってハリウッドスケールでリメイクされたわけだ。まぁ天晴れなんだが、内容が良かったから本当に良かった。やっぱ下地がいいからかな。ロメロのほうは途中中だるみしたりつまらないシーンが多いながらも10回は見ていた俺にとって、リメイクは「あーあのシーンね」的な原曲を知り尽くしていてリミックスが楽しめるようなハッピーな気分になったわけだ。ゴアシーンも容赦ない感じだし、なによりゾンビがめっちゃ強い。今までの常識では考えられないような全速力で走ってきて凄まじい脚力で飛び掛ってくるようなゾンビがデモの群集並に襲い掛かってくる。メイクも抜かりが無く愛のあるリメイクだと思ったね。金儲けだけたくらんでるリメイクって多いじゃん?元のカルト的な評価をネームバリューにして手を抜いて儲けるみたいな。そんな感じじゃなく全編にオマージュが捧げられてるような感じで、元とは比べ物にならないサバイバル感と迫力がある。まだ何も手をつけてないバイオハザードのあの怖い感じが楽しめるって言うと分かりやすいかもしれない。何回かやってるとゾンビが出てくるシーンとか場所って分かるじゃん?そうじゃなくてファースト
プレイの時のバイオハザードね。まぁこれは相当楽しめたし、最近のホラーはクズばっかなので、これには恐れ入った。もう嬉しくてしょうがないぐらい良かった。っつっても見た後気分は悪いけどね。そういえばイギリスのシェーンオブザデットっていうパロディも秀逸だった。イギリスのギャグはいいね。やっぱ。まぁそんなんで気分が悪い状態で雨上がりの夜にいつもと変わらない時間でバイト先に行ったんだけどね、で、若い衆は勤務だったらしく、ちょうど終わってからカラオケって感じ。それにしても歌謡曲の広まりの凄さにはこの2人を見てて凄く感じられるね。だって隅から隅まで歌えるんだもん。こりゃ驚きだ。で、コレ読んでる人は相当気になる俺の歌なんだけど、俺は人知を超えた音痴で、曲の音程と歌が超人的に合わないっていうぐらい音痴なんだよね。逆に意図的に合わせてないの?ってぐらい音痴。でもリズム感じゃないけど、曲の出だしとかメロディの上には歌が必ず乗ってるっていう、そこだけを「すげーな」って評価されたことがある。気になる歌ったリストっていうのは、2人が盛り上がりながらグレイ(とはいっても彼らにとっては懐メロ的)とかなにやらを歌ってるときに、まず電気グルーヴの誰だ!。曲が始まったら高校生が「この曲ってこういうイントロなんですか?」って聞いてきてやっぱ曲の概念が違うんだよね。恐らく。誰だ!は電気の曲のなかでも卓球的なトラックモノと歌の合間ぐらいの曲だからまずイントロで驚いたらしい。で、もっと驚いたのがこの曲ともいえない叫びの曲でも超絶的な音痴と歌詞の凄さに驚いてなにやら嬉しがってくれたみたいだけど、そこはやっぱり人間関係ってもんだ。ただつまらなそうな顔をして誰だ!を歌っても盛り下がるし、せっかく誘ってくれたのに失礼でしょ。やっぱ楽しんでるように思わせないと。で、そのうち酒も入って楽しくないのに楽しいって思うことで楽しくなるようにすれば楽しくなるんだよね。カラオケでも。誰だ!のつかみが良かったらしく、どんどん歌ってってことになって選ばざるを得なくなってでも誰だ!みたいなのは他に無いんだよね。で、2時間ある内、最初の二曲でもう電気を歌ってしまうというのは後が心配だったので伝家の宝刀ピチカートファイヴの登場だったわけだ。しかもイッツアビューティフルデイという小西節全開の曲。どこのカラオケでも入ってるし、ちゃんと歌えるのってピチカートか電気ぐらしかない。で、これは野宮さんのチャーミングな歌声だから良い曲なのに下手糞な俺の歌声でもう曲がモンドみたいになってた。録音しておけばよかった。いや、さすがに後になって聞く気にもなれないか。でも彼らはピチカートファイヴの存在を知らず、小西すらも知らないみたいだった。まぁとっくに解散してるし、思えば俺もそこまでリアルタイム世代ではないわけだ。リアルタイムなのは20代後半〜30代前半ぐらいだろ。っつっても俺も数年でそんな歳になるのかと思うと怖くて夜も眠れない。で、この2人も酒を飲んでいて盛り上がっていたみたいなので、俺は聞いてるだけにしようと思ったんだが、それはカラオケでは御法度なんだよな。恐らく。また歌わざるを得なくなって歌ったのが電気のスネークフィンガー。これは93年ぐらいの曲だから知ってるわけが無い。それにしてもいい曲だなって改めて思った。「頑張ったってダメだって。努力をするだけ無駄だって」っていうのが凄く好き。卓球とか瀧ってのはただのコミックバンド的な
バカな詩ではなく、実は相当人生や世の中や事柄に対する鋭い視線が入ってたりして気が抜けない。だから電気のファンにはオタクが多いんだろう。さて、さすがに電気とピチカートの往復だけじゃ芸が無いのでゲイってことでマイケルジャクソンのビリージーンを歌った。まぁすぐ次ではないけど間をおいてね。そういえば洋楽という手があるんだよな。マイケルジャクソンなら特に80年代のやつなら小学生の頃から聞きまくっていたので歌える。っつっても怪しい発音と凄まじい歌唱力なのは変わりないんだけどね。ビリージーンとかスリラーとかこの頃のクインシージョーンズの頃(だよね?)の曲はハズレ曲が無い。今でも相当かっこいいね。あとディスコの頃もいいね。アフロだったころ。ディスコでフィーバーみたいなやつとかさ、ロックウィズユーとかね。何があってもマイケルジャクソンをイマイチ憎めないのは昔の曲のよさにあると思う。ビリージーンを不完全な感じで歌い終わった後、彼らも微妙なリアクションでまた歌謡曲を歌いだすんだけど「これ知ってる?」って言われてもほぼ全部知らない。CMかなんかでサビだけ知ってるってのもあったんだけど、知らないって言いすぎるのもアレなんで「あーこれね」っていうと歌わされるんで答え方に四苦八苦したね。ところで彼らとのジェネレーションギャップ的なものはほぼ無いと思う。というのも俺が歌謡曲を聞かなすぎて、歌詞があるやつだとさっき書いたようなのしか歌えないってのがあるだけで、溝が深まるばかりって感じだったけど、ある程度俺が変わっている(という言い方も変だけど)というのは彼らも知っていて、その変わりようとか面白さに惹かれて誘ってくれたに違いない。まぁ面白がられてダシに使われるようなことは無いし、俺もそこまでバカじゃないので。で、次はさすがに困った。サクラ大戦の帝国華劇団(漢字違うっぽい)の曲があったんで歌えそうだったけど、これは相当オタク度が高いし、俺も流行でやっていたとはいえ、世の歌謡曲が披露されている中でサクラ大戦は無いだろうと思って却下。しかも相当前だし。あ、でもこれは流行っただけあってゲーム的に優れているというのだけは言うまでも無い。それにしても彼らは結構俺と年齢が違うのに凄まじくフランクに接してくるんだよね。っていうのもなぜか俺はわかっていて、俺の貫禄の無さと童顔が手伝ってより一層仲間の一員になっているんだろう。まぁ若いってことでいいし変に敬語使われるよりいいけどね。でも高校生のほうはわきまえていて、相当エリートな高校行ってるのもあって(関係ないか?)俺には敬語だね。さすがに。でも敬語って必要ないと思うね。縦社会とか上下関係が嫌いな俺にとってああいう態度は凄く嬉しいし接してて嫌じゃないね。まぁ何十歳も違うわけでもないし。行く前に勤務先のスーパーで酒とか食料を買い込んだんだけど、店の人に「中学生の集まりみたい」なんて言われて、俺も中学生か?ってな感じだった。せめて高校生ぐらいにしてほしかったな。中学生とはこれまた驚きだ。中学生を連れている新米教師とか先輩には見えないらしいね。あくまで仲間のメンバーの一人にしか見えない。んーいいのやら悪いのやら。なんか年輪のオーラが出てる人に対しては敬語使っちゃうじゃん?でも実際若かったりして。そういうオーラが全く無い俺って言うのはいいなって思うっていうことが言いたかった。話がそれたけど、彼らが歌う曲の大半は知らないか、スーパーのMIDI打ち込みBGMで流れてて曲だけは知ってるってのが何曲かあった。「あ、これスーパーで流れてるやつね」っていうセリフが何回か出てきたね。カラオケ内で。ところで彼らが盛り上がっていたので盛り下げることなく俺は何気に選曲してなかったんだけど、さすがに歌わなさ過ぎると彼らも「次入れた?」って言ってくるんで必死になって探していたね。曲を。で、探しているときも彼らが歌っている曲にノッっているふりをして曲リストを見ていたけど、まぁそのうち慣れてくるもんだね。歌謡曲ってのも。まぁいっつもあの凄まじいMIDIのBGMで流れてるんで慣れてはいるけど、そこまで苦痛でもなかったね。なにしろノッってない仏頂面で酒だけ飲んでても、クラブにいるマグロと同じなんでこれも御法度だと思うね。思うにイベント的なことでこういったことは絶対避けるべきだろう。必要以上に合わせることもないけど、ブスッっとしているのは良くないよね。当然。で、苦し紛れに歌ったのが不思議の国のアリス。今までの選曲を見るとまるでウケ狙いのようだけど、実際歌えるのがこれぐらいしかないわけだ。ディズニーっていうリストがあって、大抵は歌えそうだけど、アリスが馴染み深いのでアリスにした。さすがに「あれれ?今子君?」なんて言われたけど子供になったつもりで歌いきったね。躊躇してしまっては盛り下がってしまう。やはり迷いも無く歌いきるというのは重要。あと彼らと同じぐらいの数を歌っているというのも重要。ようはバランスね。どれが欠けてもダメだね。とはいっても俺が何百回と見ているアリスのテーマ部分の日本語版とは微妙に違ったので最初は戸惑ったけど、まぁ歌えたね。「アーリース。おーしーえーてー」って部分が英語なだけで、他は似ていたので。抽象的だった俺の歌声がちょっとは想像できそうな気がしてくるでしょ?こうやってかぎ括弧で書くと。ところでこの曲はビルエヴァンスも何回か取り上げて好んで演奏している曲で、凄まじく良い曲なんだよね。まぁ俺が日本語で歌うことでモンドになること必死だったけど。あのカラオケ店はこの前もこの先もアリスが選ばれる事は無いだろうね。それにしてもアリスにしてもピチカートにしても打ち込みのテクは半端じゃないね。もう職人レベル。アリスなんて驚いた。カラオケも進化してるんだな。まぁ競争社会の中で今までのMIDIじゃやっていけないんだろうな。ポストMIDIってな打ち込みと音色のニュアンスの出し方だった。凄い職人技。カラオケ屋のほかの部屋でも歌謡曲が流れる中でアリスが流れたのはそれだけでモンドだったけど、俺の歌声はもうインクルディブルなストレンジミュージックだったに違いない。単体で聞けば美しい曲だけど、カラオケ屋で流れるとモンドなのは、やっぱ曲ってのは場所とか雰囲気とか映画のシーンとかありきなんだよね。ハードロックカフェでジャズが流れるのはおかしいのと一緒で。まぁそんな感じでもう歌える曲が無いんで帰りたかったんだけど、彼らは盛り上がっていたので延長になってしまった。内線がかかってきて「あと五分なんですけど」「あ、もう出ます」って即答だったんだけど、彼らは30分延長って言い出したので延長せざるを得なかった。まぁ滅多に無いんでいいけどね。で、俺が歌ったのでは最後になった曲はまたピチカートで東京は夜の7時。なんだかんだでカラオケに行くと必ずさっきの曲と東京は夜の7時を歌っているな。まぁこれぐらいしか歌えないんだよね。あとはスウィートソウルレビューとかベイビーポータブルロックとかとても男が、ましてや音痴が歌うような曲じゃない曲ばっかがレパートリーになってる。まぁそもそも俺は歌うべきじゃないんだよね。カヒミのハミングが聞こえるとか歌いだしたら終わっていたに違いない。あとは電気か。あとジャズのLet's Face The Music and Danceとかダイナショアが歌ってるピアノだけのやつのMy Funny Valentine、あとジョー・スタッフォードが楽団で歌っているSome Enchanted Eveningとナットキングコールが歌っている慕情、あとメルトーメが楽団で歌ってるブルームーンとか。こう書くと意外と歌えるのが多いんだけど、このジャズ系のやつはムード音楽寄りのばかりで覚えようとして覚えたのではなくよく聞いてたら覚えちゃったのばっか。ましてやカラオケなんかであるわけない。あ、Let's FaceはVic Damoneのやつね。微妙にアレンジが違うと歌えないのはその曲で覚えてるからなんだよね。とはいってもあるカラオケ屋ではMy Funny Valentineとかナットキングコールにいたってはリストまであったりして歌うヤツいるのか?って感じだったけどまぁいるんだろうね。まぁでも俺が怪しい発音で歌ったらどの曲もいくらムーディーな曲でもモンドになることは最初から分かっているけど。そんな感じで盛り下がることなく爆発的に盛り上がることもなく無事終了したわけね。もう一切俺をカラオケに誘わなくてもいいからね。マジで。とはいいつつも帰ってからピチカートの歌詞を確認したり聞きなおしたりするのはご愛嬌ってとこで。
これが一年ちょい前か。なんて不毛な毎日だったんだろう。体の調子が悪くても今は柔術してていいな。デイザーはなしで。ザーメン、尽きてきたんで、今後はチョコボール向井の三発目みたいな感じで絞るように小出しにしていきます。
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