マイコ。

mimisemi2007-04-03

さわらぎのいって漢字変換しても出てこないんだよね。んじゃNOIでいいか。NOIのシミュレーショニズムという本のなかでこんなんがあったんで書いとくわ。マイク・ピドロっていうニューヨークだかの作家がピカソの絵をそのままに書いて、ピカソのサインだけしないというのを「これはピカソではない」という作品にして出したらしいんだけどね。88年ね。で。マイク・ピドロが言うには自分は常に新しいこととか斬新なことをやろうとしてきて、例えば今度こそって思えるようなアイデアが浮かんでも、色々調べるとそんぐらいのことはすでに誰かがやっていて、しかもそれよりすぐれた方法でそれをやっていて、それってのは調べれば調べるほどそうで、自分が考える「オリジナリティ」だとか「作家性」ってのは、ただの無知の産物でしかないって言ってるんだけど、これなのね。まさしく。俺が常に直面する作家性だとかオリジナリティの限界っつーか、マイク・ピドロが悟ったような、調べれば調べるほど別に自分は天才でもなんでもなく、普通の人だってことに気がつかされるわけ。完全なるオリジナルを作れる=天才とは限らないけど、少なくとも天才的な要素の一つではあると思う。で、前にも散々書いた話だけど、16ぐらいの時に始めてというかまぐれでHDRというのを経験して、とりあえずPCのマイクが届くあたりの音を拾って、その素材を元に、波形編集ソフトで加工して構成するというのをやったんだよね。で、だんだんやっていくと、この音の異化だとか、関係ない音同士をコラージュしたり重ね合わせることで音それ自体が持つ意味やらを全部なくしてしまい、全く新しい
音を作るっていうことに自明的になってくるわけ。で、こりゃ凄いアイデアだと思って、実際、当時の限られた知り合いに聞かせても「分からないけど凄い」とかっていう感想が帰ってきて、有頂天になるのね。で、あるときOHMっていう初期の電子音楽を集めたコンピがあるんだけど、これでシェフェールエチュードを聴いたときにぶっ飛んでしまったのが、俺と同じようなアイデアで音を作ってたやつがいる!しかも半世紀も前に!!!ってことと、次に入ってるケージのフォンタナミックスを聴いたときも、同じ頃にやっていた、高速カットアップも、すでにやられていたってことに気がつくわけ。で、電子音楽を色々掘っていくと、もう俺のアイデアなんてやりつくされていて、何も新しいことなんて自分の中に無いって絶望のどん底に陥れられたわけね。ソフトウェアの一種のバグやエラーなんかを使ったノイズ系の音も同時期に作っていたけど、これもMegoの連中がとっくにやっていて、心底がっかりした覚えがある。しかもヘッカーが、波形編集ソフトが処理落ちした後の処理落ちする前の音声のバックアップファイルがちゃんと保存されていなくて、エラーで音が変わっちゃった音ってのが凄まじく美しいってなんかで言ってたのを最近見て、これで改めてまたがっかりさせられるわけ。俺は当時、これがあまりにも凄い発見で、予測不可能な音の変化をもたらすので、わざとソフトを落すような作業をしてみたりして、色々やってたんだよね。まぁMegoが不接触音だとかバグを使った音を散々やってたってのがわかっただけでもう十分なんだけど、ここまで具体的な方法論までとっくにやられていたかと思うと、もう何も無いよね。だからピドロじゃないけど、才能を過信して、オリジナルだのなんだのって言ってる平凡なやつらは、自分の才能を信じて昔と同じような作品を作り出しているのに気がついてないわけで、んだったら自分は完全なオリジナルなんて作れないんだっていうのを認めた上で創作に挑んだほうがよっぽどいいって話なんだよね。オリジナルというのに固執している平凡な人が作り出すオリジナルスタイルが陳腐なのは言うまでも無いね。よく「誰もやっていないこと」というのに軸をおいている人がいるけど、これは馬鹿げているね。誰かがやっていても、まずそんな情報は遮断するか、自分の中で許容しちゃって、ピュアに自分がやりたいことをやればいいわけね。いろんな情報によって惑わされちゃうと、それだけ選択肢がなくなるし、どんどん閉鎖的になる気がするんだよね。んだったらとりあえずなんでもやってみたほうがいいわけ。

そういえば今日、行ってきたんだよね。返品に。で、なんか返品を一括で受けてる場所があってさ、返品センターみたいな。そこにいたスパニッシュ系2人が最高でさ。とりあえずコントローラーが最悪なんで返品したいって言ったら、パッケージをよこせっつーんで、一応あるんだけど、もうぶっ壊しちゃったってな説明をしてね。こっちのプラスティックのパッケージってなんか知らないけどすんげー開けるの大変なのね。日本のやつだとどっかの一箇所からはがせば開けられたりするでしょ。でもアメリカのってはさみで破壊しないと開けられないの。俺のやり方が悪いのかな?それとも防犯目的とか?まぁそれはともかく奥からアジア系の立場が上っぽい担当者が「新しいのと交換したいわけね?」って聴いてきたんで、「いや、別のと交換したいんだけど」って答えたら、なんだかこの担当者とスパニッシュ2人がどうするか色々と相談してるんだけど、なんかここまで書いてノリがイマイチなんでやめるわ。ようは返品するにあたって、返金は出来なくてクレジットのみのリターンになるっつーんで了解したときに、まぁ俺の名前が必要で、名前を言ったらスパニッシュの片方が「マイコ?」って言うんで「いや、マイコじゃなくて。舞妓っつーのは、あの、まぁゲイシャみたいなもんね」って適当に答えたら、暇してたのか食いつきがよくて、片方のやつが「ゲイシャってあの映画のゲイシャと同じゲイシャだろ」っつーから「そうそう。それ」みたいな。で、その後に舞妓って勘違いしたやつが「I love youって日本語でなんていうんだ?」なんて聞いてくるんで、「愛してる。だけど?」って答えたら「アイシュィテルゥー」とか覚えようとしててさ、「なんでそんなこと知りたいわけ?」って聞いたら、映画のゲイシャのほうが「そりゃーこいつが日本人の女を狙ってるからだよ」なんて言うわけ。で、俺が「そうなの?」って聞いたら「そうだよ。日本人の女は可愛いじゃないか。そう思わないか?」なんて聞いてくるんで「まぁーね」なんて曖昧に答えたらさ「知り合いがいたら連れてきてくれよ」なんて言うもんだから、ちょっとウケつつ「いやーでも日本人の女は気をつけたほうがいいよ。特にオープンなやつは」って警告したんだよね。こいつが「なんで?」っていうもんだから、「フリーな日本人の女は一種のビョーキを持ってる可能性があるからねー」なんて答えたわけよ。そしたらこいつが「えーマジかよ。あーってーのも"フリー"だからだろ?」って言うもんだから「分かってんじゃん。その通りよ」みたいなね。「んだからファックするときは気をつけたほうがいいよ。コンドームつけるとか」って答えたら、映画のゲイシャが「なんだ、こいつら何話してるのか俺にはさっぱり分からねーよ」なんていきなりシモが来たんでちょい笑い気味に答えてたりして、俺は「でもエイズ率が上がってるってーのと、日本人の娼婦みたいなカッコしてる女は娼婦と変わらないぐらいヤリマンだからマジで気をつけたほうがいいよ」って答えたんだけど。そんなよた話をしてたら返品のプロセスが完了したんだけど、最後にマイコのほうが「貴重な情報ありがとよ」なんて言うわけ。なんかさ、前から言ってるんだけど、こういうのがあるのがいいんだよね。前のメンフィスにしても、ドスケベなやつらとかさ。なんかこういうのが地味に地域の共同性を高めている気がするのね。他人とも話すという土壌があるんで、いつも会う人同士が知り合いになる。例えば俺がよく行くKim'sビデオでも、客と店員が知り合いっつーか顔見知りっていうのが多いし、会話を見てるともう昔から友達みたいな雰囲気なんだけど、恐らくただの客と店員なんだよね。何しろこっちではKim'sに限らず、こういうのをよく見るわけ。あと近所のランドリーでもスパニッシュ系の人たちが集まって雑談をしてたり、連れてこられたと思われる子供達同士が遊んでたりして、日本にも昔はあったであろう地域の共同体みたいなのが形成されてるんだよね。「あー田中さんのところのゲンちゃんじゃない」みたいなノリが見えるのね。こっちで。個人経営のグロッサリーストアなんかでも真昼間っから同じ国の人同士と思われる人同士でたむろしてて店の中で仕事そっちのけで雑談していたり、それこそ前に書いた映画スモークのタバコ屋を地で行く感じの雰囲気があるのね。よく今の子供は人同士のふれあいを求めないし、外で遊ばずにゲームとかテレビとかパソコンとか、一人で室内に篭りきる子供が増えているので、コミュニケーションの仕方を学ばないとか言われてるけど、別にこれはアメリカでも同じ状況のはずなんだけど、恐らく日本ほど問題にならないのは、やっぱこんなコミュニケーションの下地がある
場所で育つんで、コミュニケーションというのが当たり前にあるから、学んでるんだよね。でも日本の場合、そもそも親のコミュニケーションスキルすら怪しいわけで、そんな子供がコミュニケーションもクソもない地域と、そんな親の下で育てば、そりゃゲームに没頭して誰とも遊ばないってのも納得だよね。やっぱこれってのは単純に近年の日本のコミュニケーションの欠落だと思うんだよね。ゲームとかのテクノロジーのせいにちゃいけない。もっと言えば空き地が無いから遊べないとかっていうのも違うと思う。要素としては十分あるけど、全てではない。で、俺は8割ぐらいの原因がこういったコミュニケーションの欠落を受け継いでいるところにあると思う。ホント、あれだよね。街中で目と目が合えばにらみ合うみたいな、そんな感じだもんね。これは俺は日本の文化とか歴史にあるとは思えない。いつも俺って日本の歴史やら文化に結びつけるところがあるけど、これは明らかに近年の狂ったコミュニケーションにあると思うわけ。で、何でこんな現象が生まれたのかはイマイチ分からん。ひそひそ噂するとか、表面上は良い感じに作って、裏で悪口言ってるとか、これみたいな極端に裏表があるだとか、そんなのが多くなれば人だってコミュニケーションから遠ざかるよね。極端に言ってしまえば、日本のネットやらなにやらっていうバーチャルな世界に埋没する人が多いのも、心ではコミュニケーションを求めているのに現実では上手く行かないんで、バーチャルな場でそれを行っているとも言えるかもしれないよね。だから合コンとかしょっちゅうやってる社交的なやつはネットに埋没したりしないはず。まぁネットも出会いの手段として考えてて、基本はface to faceみたいなね。秋葉系のオタクもなんかリアルな女性に幻滅しているような面があるやつもいる気がして、一概に否定できなくなってきてるんだよね。ここ数年。まぁなんで否定できないかっていうのはもう言わなくても分かると思うけど。そのある意味の現実への徹底的なファンタジーの無さに何も求めるものがないので、仮想の部分に自分の理想的な女性を求めるというスタイルはネットのそれとあまり変わらないところがあるかもしれないよね。で、特にこんな秋葉系みたいなのが20代〜30代に多いというのも、なんとなくバーチャル世代の特徴なんじゃないかなーなんて思うわけね。幻想の中に逃避するということは、ある意味で究極のリアリストなのかもしれないというのも、簡単に言えば、現実に何も求めているものがないので、頭の中でファンタジーを作り上げて人生をサヴァイブしていくっていう、二重人格的な要素があると思うんだよね。現実がある程度わかっちゃったんで、それじゃつまらんからファンタジーに埋没するっていう世界観。一概には言えないけど、社会生活や社会でのコミュニケーションのつまらなさという意味では、バーチャルの繁栄はそれこそ反映で比例してるのかも。特に自分が属していて存在を感じられるようなコミュニティーを求めるタイプのバーチャルな世界がマイノリティの世界とは言えなくなってきているような雰囲気がある現代では本当にそれが顕著だと思うんだよね。で、こっちだとそういったネットオタクや秋葉系みたいな雰囲気が一切無いの。もう出来上がる土壌が無い。ギークやナーズっていうPCオタクとか科学オタクみたいなのはいるけど、所謂、病み系ではないような、それこそ人間の一つのタイプみたいな感じの、例えるならスポーツマン、
社交的な人、男らしいマッチョな人、インテリ、で、オタクみたいなタイプの中のオタクはいるけど、病的に無いものに幻想を抱いていたり、架空のものというある種の共通点に対して同じく埋没するようなタイプの病んだオタクってのはあまりいないような感じがするわけね。俺はやっぱ人間ってDNA的なものより、特に人格形成に関しては環境から受けるものが多いと思うんで、こういった病的なオタクを生み出している日本社会ってのは究極的に病んでると思うのね。昔ながらのオタクはそれこそDNA的なものもあって世界各国に共通して見られるようなタイプの連中がいると思うんだけど、秋葉系は明らかに日本社会の産物だと思うんだよね。昔はマイナスのイメージがあって負の存在みたいな感じがしてたけど、メディアが取り上げたりして、例えば一つのカルチャーだとか、最悪な場合、日本のサブカルチャーの一つなんて世界に配信されているというのはイマイチ肯定出来ないわけね。抑圧とか幻滅とかコミュニケーションの欠落とか、どちらかと言えば負の要素が多いようなものなんで、なんつーか本来反省するべきっていうか、それがまた一つのカルチャーになってて、一大産業にまでなってるってのは、なんつーか社会までもが許容しちゃってて悪循環だよね。酷いやつだともう現実の子に一切興味が無いってやつもいるらしいからそりゃ問題だろうに。俺みたいな感じで現実の子に興味が無いのはいいとは思うんだけど、彼らの場合、例えば過去に何も無かったとすれば余計にこういうバーチャルはヤバいんじゃないかなって思うわけね。今の秋葉世代が歳をとって、その下の世代にも秋葉世代が生まれてきたら、深刻な社会問題にもなりかねないと思う。今だけのものだったらいいかもしれないけど、確実に下の世代までに飛び火する可能性ってのはホントあるし、ましてやカルチャーが形成されちゃってたら、可能性が必然になっちゃうよね。メディアも前みたいなネガティブなタームで秋葉系ってのを使えばいいのに、なんだか肯定みたいな動きがあって理解に苦しむね。「うわー気持ち悪い!」って言われるのが当然なのに言われないってのはおかしいね。こっちで秋葉系みたいなやつが日本人のクラスメートでいたことがあったんだけど、自ら「ナーズ」って英語で書いてる帽子をかぶってて、プレゼンでも日本のオタクカルチャーやらコスプレやらを紹介してたりしたやつがいたんだけど、こいつは明らかにオタクってのはポジティヴなタームだと思ってて、一つのアイデンティティみたいに誇りに思ってるところがあってさ、アイドル好きで何が悪い?みたいな。まぁこれってのも極端に言いくるめちゃうと社会に必要な存在なんだけどね。ようはアイドルっていう産業とかオタクっていう産業に大きな利益をもたらす存在なんで、そういう意味で必要ってことね。バカな姉ちゃんがブランド物だとか誰々が着てた何々みたいなのに食いつくっていうサイクルが一つの産業では必要なのと同じなわけ。産業側も一度金儲けの方法を見つけると徹底的にやりだすし、マーケティングと証して拡大させようとするからね。あー怖い。何もかもがキャピタリズムに従属してるわけ。Yahooのバナーとか象徴的だよね。昔は堅気のネット会社みたいな広告だったのに今は腐りきった広告の宝庫でしょう。「秋はこれで決める」みたいなファッションの広告だとか、アイドルの顔を使って何かの宣伝をしたりだとか、Yahooの広告って総合的な広告だけに俗悪度が高いよね。ようは俺が言いたいのは、ファッションだとか映画だとか食べ物だとか旅行だとか、いろんな広告が一つのYahooのバナーの中で繰り広げられてるんでそれが象徴的っていう意味ね。よく思うのがバナーを保存してウォーホールみたいに並べたりすれば、それこそ皮肉なアートになるなってぐらいカラフルでバラエティに富んでるよね。あのイギリスの学生がやったようなやつの見た目ではなく、日本のこういう象徴的で大きめなバナーに限るけどね。マイケルムーアはあんまり好きじゃないけど、例えばバカな白人みたいなタイトルの本を書いてたり、ショーペンハウエルも当時のドイツの出版界と読者の堕落っぷりに落胆してたのを見ると大衆ってのは基本的にバカの巣窟なのかもしれないね。だから一部のインテレクチュアルは「世論はどうなんでしょうね?」ということをよく言う。これってのは裏を返せば「俺はあんなバカとは違うよ」っていうことなわけで、世論ってのが一種のショーペンハウエルが述べていたような「愚かな大衆」の塊なんだよね。だから世論ってのはバカな人間の群れの象徴みたいな感じで使われることもあるわけ。で、「世論は流されやすい」とか「人々が流動的な流れに逆らえなくなっている」とか、まるでバカみたいな扱いを受けるけど、実際、大半がバカなんだからしょうがない。マイケルムーアショーペンハウエルを同等に語るのはアレだけど、なんつーか俺が言いたいのはどこの時代、どこの国でも大衆ってのはバカの巣窟だったんじゃないかなって思えるわけね。だから賢人政治があって、人々はそれを信じて謳歌してたっていう時代が無い。まぁ俺が無知なだけかもしれないけど、知ってる限り賢人政治が行われていて人々の意識が高かったみたいな時代は無いような気がするっつーか、あったとしても歴史全体で見れば限られてるよね。恐らく。大抵は権力に取り付かれた暴君か、コントロールするのが上手いやつが国を牛耳ってて、人々はただそれに従ってたみたいなのが多いでしょ。本当に。ただ従属を強いられてたような、ある種の恐怖政治みたいなのがあったり、人々の教育のレベルが政治の次元までいかなかった時代とかは別なんで、一言では言い切れないんだけど、それに比べたら今なんていくらでも知りようがあるのに人々はバカか昔よりもバカみたいになっているのを見ると、結局「大衆」ってのはいつまでたっても変わらないのかなー?って思っちゃうわけね。

そうそう。養老さんの本にも書いてあったんだけど、バブルぐらいかそれ以前ぐらいの需要の限界が来てて、それ以降の供給なんて、供給側が利益を求めたいんで作り出した、虚構の供給なんじゃないか?みたいなことが例えば今書いた「誰々が着ていた」だとか「秋葉系」だとかの実際は何の価値も無い産業なんだと思うんだよね。一見、意味が無い供給でも、文化レベルが高いものなら、それは文化レベルと直結するんでいいと思うんだけど、特に日本のこれみたいな余白を埋めるかのような無駄な需要と供給はポルノ以上に下劣で俗悪なもんばっかで、本当は何が必要で何が必要じゃないのか?ってが露骨に浮き彫りになっているはずなんだけど、それこそ需要があるってことは情けないけど、そんな下劣なものを求める大衆がいるわけで、もう諦めるしかないって感じ。それはアメリカのメディアでも、「なんでこんなクズを放送するんだ?」ってのに対する答えが「そりゃ人々が求めるからさ」ってなのと同じで、どこもかしこも俗悪で下劣なものを求める俗っぽさとがめつさってのは同じなんだよね。面白いことに911以降、元々右やら保守に牛耳られてたメディアによって洗脳される人が増えて、それまでそうじゃなかった人まで、姜さん風に言えば、全く政治的じゃなかった人たちが急に過政治化するじゃないけど、そんな傾向があって、日本も同じく変な右傾化が始まって久しいし、悲しいことにそれが安易で感情的な愛国心だとかに象徴されるような愛国なんでかなりタチが悪いというか、無知が引き起こす政治性なんて害悪でしかないなという典型だなって感じだよね。で、ほとんどの原因ってのが国民の無知から来ているので、改めて教育やらの重要性を認識させられるんだけど、その教育問題に取り組んでいる政治家ってのもしょーもないのが多かったりして、大丈夫か?って感じだよね。取り組んでいる人にはいい人もいるかもしれないけど、一向に良くなる兆しが無いどころか悪くなっているような感じさえするでしょ。こうやって無知な教育が生んだ無知な子供たちが無邪気に愛国心だのと言う時代がくるのかなーって思うと日本に未来を感じられないわけね。だから今は過渡期であってほしいね。「このように右傾化した時代もありましたが、我々はここから学んで・・・」みたいになってたらいいんだけど、そうなる確立が低そうだよね。まぁキチガイネット右翼とか右翼政権ってのは長くは続かないと思うけど、リベラリズムが来るのかってーと相当無理臭い。それにしても2ちゃんねるで見られるような変な右翼は凄いね。あと石原を地で支持してる文章を平気でブログに書いているやつとか、ちょっと唖然としてしまうものがあったりして、本当に日本が嫌になってしまうけど、今は心底「日本に居なくてよかった」って安堵しちゃうのね。こういうのを見ると。でももしかしたら日本の右傾化なんてただ顕在化しただけで、元々顕在化するぐらいの絶対数がいたんだとは思うけどね。そういう国でしたよ。今はメディアが発達したんでそれが露骨に見えますよってな感じで、別に今始まったことではないという。

まぁいいか。今日はこの辺で。昨日の分は取り返せた感じかしら。デイザーはサザエさんの曲がディスコに聞こえた時に作った、それこそ「ネタモノ」なんだけど、フレンチハウスとかで素でディスコのベースラインとビートだけで12inch出しちゃったりしてたやつがあったりなんかしたディスコハウス全盛期はすでに懐かしい時代になってますね。こういうのを12inchで買うとマジでヘコむよね。「これだけ?」みたいな。で、1300円とかするからね。もうどーしょーもない。こんなリスクも背負わなきゃいけないなんて、ダンスミュージック系のDJなんて出来るわけがないし、経済力に依存するなんてやってられないんで、ハウスとかテクノのレコードを買うのはやめましたね。この頃に。なぜジャズとかサントラとかモッズみたいなのとかムード系のDJが良いのかというと、一つの理由に単純に経済的というのがあります。合理化というか。ってーのもジャズやらサントラやらってのは家で観賞用としても機能するんですね。テクノとかハウスとかムンベの12inchなんて酔狂なやつを除けば、ほとんどDJツール的なものとしての機能でしょう。でもジャズやら生音系ってのは観賞用としてあって、その中からDJがクラブトラックとして発見したものがクラブトラックになるわけで、その音の異化も面白いわけですね。本来はクラブ用じゃないのにクラブ用にしちゃえみたいな。まぁ滅多にDJなんてやることない俺ですが、やるときはなるべくDJがすでに定義をしたクラブトラックじゃないやつばっかかけますね。でもダンサンブルでクラブ向けのやつを。でもさっきのマイク・ピドロの話じゃないけど、知れば知るほど「俺トラック」であっても、誰かが回してたり、ミックステープに入れてたりして、もうヘコむわけです。だからもう発掘されてないトラックなんてほとんど無いわけ。もう相当変わったのをかけるしかない。合いそうなのは大抵もう回されてるからね。そうなってくるを奇を衒ったようなエキセントリックな選曲になっちゃってつまらないわけ。知り合いにこういうやついたもん。後追いは嫌だからとかいう理由で誰もやってないようなことをやってるんだけど、それがつまらないわけ。んだったらありものでも自分のセンスで構築されたDJをすればいいのに、後追いって理由でやらないのね。それってのもなんだかオリジナリティだとか奇抜的な部分で勝負してる感じで、同じ土俵で戦うと他のセンスあるDJにかなわないんで逃げてるみたいに感じて、こいつってのがすげー反面教師だったわけね。あー凡人が追い求めるオリジナリティなんてなんて陳腐なんだろう!って。だから結局、さっき書いたように、まず自分がやりたいことやればいいのね。DJでも手垢にまみれたトラックだろうが自分が好きならかければいいわけね。まぁでもあんま思い入れのある「俺トラック」とか「俺レコード」を他人に知られたくはないけどね。それがすでに知られているものだとしても。あーもう俺、すげーいいDJするのに、なんでヤレないんだよう。カルネのおっさんの「なぜかヤリたいと思う女とヤレない」みたいな心境だわ。まぁ何も動いてないからヤレないに決まってるけどね。でももターンテーブル触りたくてしょうがないってことは、やっぱDJやるべきなんだよね。俺。生活の中であるべき要素なんだよね。なによりレコードが大好きでミックスするの大好きだから。まぁそんな感じで。

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