リア二千ミックスを渡すことに決定。

mimisemi2008-04-21

リア二千ミックスなんだけど、やっぱりあれをブラザーに渡すことにした。ただあまりにノイジーだとアレなので、音量を調節したんだけどね。ディーセントな感じに。ってことでこれをアップするわ。アドレスは前と同じね。こっちのほうがまぁ当然ながら聞きやすいね。ってことで前のやつをダウンロードしてくれた人達も聞いてみてください。まぁ俺は前のほうが好きだけどね。


http://mushroom.cage.to/mix/liar2000mix.mp3


でも全然これでやれるとは思わないんだよな。確かにラガだけども、はっきりいってダンスホールとは程遠いラガだから、たぶんダメって言われるに違いない。ただ前にも書いたように自分はサービス業としてのDJをやるつもりはないんで、変にパーティーに合わせたような選曲はしたくないのね。まぁ独りよがりってことだけど、それはまぁいいじゃないの。


そういえばFFXなんだけど、予想以上にクソゲーだった。最初はYunaに欲情していたりして、おかずにしたりしていたけど、慣れてくるとそうでもなくなって、んでまぁ純粋にズリネタとしてのゲームじゃなくて、ゲームとしてのゲームとして楽しもうとするようになるんだけど、これ無理じゃん。いつまで経ってもムービーを見るだけだし、何より一本道過ぎる。特にフィールドが無いってのは痛いね。これはホント、作り手側がゲーマーのことを理解してないと思うってのは、基本的にそれが外であろうが洞窟であろうが、移動できる場所が限られている「ダンジョン」の中だけを行き来するってのは、ユーザー側はずーっとダンジョンに閉じ込められている気分になるだけで、ただですら一本道なのに、余計にその一本道感を増幅させる結果になっちゃうわけね。メガテンIFがいい例だね。あのずーっとダンジョンの中から出られないっていう感じは、ユーザーにバーチャルな意味での閉塞感を感じさせちゃうわけだよ。それはともかくまぁ一本道でずーっとダンジョンでもゲームが面白ければ問題ないんだよね。でもそういう意味でFFXはクズだね。スフィア盤でのキャラクターの成長とか全然良いと思わないし、何よりRPGプレイヤーは経験値というのを渇望して、それを得ることで喜びを得るわけだから、ああいったシステムはRPGの良さをそぎ落としているとしかいいようがない。あと戦闘もクズ。敵の特性に対応した味方じゃないと敵を倒しづらいだなんて、はっきりいって面倒くさすぎる。確かにこういうシステムのおかげで全てのキャラクターが際立つというか、出番があるというのは分かる。例えばRPG史上でもっとも魅力が無いキャラの一人であるWakkaなんて、恐らくほとんどのユーザーは使いたがらないわけだけど、飛行系のユニットを確実に倒せるという意味で使いたくなくても出番があるので、無理やり使わざるを得ないという状況があって、なかなかそのキャラの存在を忘れられないってのはある。でもこれってのは逆に言えばメーカー側の一方的な押し付けなんだよね。構造的なことでユーザーの選択肢をなくしているというか、他の言い方をすれば、構造そのものがユーザーの選択を強要しているって感じだよね。だからWakkaを使う使わないというのはユーザーに委ねられているわけじゃなくて、システム的に使わないとダメなので、使わざるを得ないっていうそこにユーザーの自由意志が反映されないようなファシズムっぽい作りになってるんだよね。むしろRPGの醍醐味なんて、使えないんだけど個人的に好きなキャラをカスタマイズしたり、無理やり強くしたりして使いまくるみたいなところにあるわけで、ソフト側から選択を強要されるなんてのはもってのほかなわけだ。


戦闘の画一化は本当に酷い。敵がエレメント系ならあの妖美な黒魔術師を使うしかないし、硬いやつならあの武士道のおっさんを使うしかない。でも交代が面倒だから他のキャラで無理やり倒そうとすると、何より従来のRPGに比べて敵が恐ろしく強いんで、大損害を被るわけだよね。ただですら一本道なのに、戦闘すらもほぼ選択の余地が無いというのはRPGというシステムにおいては致命的だよね。


あとRPGとはロールプレイングゲームの略なわけで、ロールをプレイングしなければ意味が無い。ここでもFFXがクズなのは、ユーザーにロールをプレイングさせる余地というのがさっぱりなくて、ただゲーム内にいるキャラクターを操作して話を進めるっていう、傍観者としてのユーザーという意味でしかゲームに参加できないというのも相当痛いね。まずほとんどの人があの主人公に感情移入が出来ないだろうし、あんなやつの親子関係なんてはっきりいってどうでもいいわけだよね。なのにも関わらず、ただですら魅力の無い主人公を動かして話を進めなきゃいけないなんてのは苦痛以外のなんでもない。これはテクノロジーの発達の弊害なんだよね。今までのゲームではドラクエみたいに徹底的に喋らない主人公やキャラクターなんてのがいたわけだけど、喋らないからこそ、ユーザーがそこに自分のアバターを置くことが出来たりしたわけだけど、FFXみたいにどのキャラもベラベラ喋りすぎると、それはただの映像になっちゃうんだよね。映像を見ているだけというのがユーザーになっちゃう。ところでキャラへの感情移入という意味ではウィザードリーシリーズは完璧でしょう。全く喋らないどころか姿も見えない。だからこそ自分の勝手なイマジネーションによって、そのキャラにアバターを吹き込むことができたわけだよね。例えば魔術師にクロウリーという名前をつけて、ダークな魔術師を自分で勝手にイメージしたり、ヨシツネとかいう名前をつけて最初からサムライにするつもりでキャラを作ってみたり、そこにキャラがいない分、自分でキャラを作れたわけで、実質、想像力という意味ではキャラ作りは無限だったわけだよね。この辺は最近のキャラがたちすぎているRPGが失ってるRPGの本質的な部分の一つだと思う。


まぁそういう意味だとFFでは3以降はどれもキャラがいたわけだけど、あくまでキャラ的な要素はそのシステムを補完する副次的な要素でしかなかったと俺は思うわけ。ようはRPGという枠組みの中でまず先立つものはシステムだったりゲーム性だったりしたわけで、第二にストーリーとかキャラがあったわけ。もちろんストーリーもキャラもRPGの要素の中では重要なものだけど、まず一番重要なものはゲームそのものだったわけだよね。ゲームが素晴らしくて、んでもキャラがイマイチ・・・ということでもゲーム自体は恐らくプレイできる。ただゲームがクズでストーリーやキャラが良かったとしても、それは前者に比べればユーザーのやる気ってのは著しく削がれるよね。ストーリーとキャラがいいだけなら、何かの小説を読めばいいしアニメを見ればいいし映画を見ればいいわけで、日本が誇る世界的な産業であるすでに存在するこれらのものを目の前にしたら、RPGのストーリーやキャラなんて二次的なものでしかないよね。だからこそゲーム性が重要なんだよ。仮に日本に優れたアニメや小説や漫画が無かったらゲームのストーリーやキャラというのもある程度は重要なものとして存在することになるかもしれない。国民はゲームを通じてしか、仮想的なストーリーやキャラに入れ込むことができないのであればゲームの立ち位置も変わってくる。でも実際はそうじゃないでしょ。


だからゲームが海外でウケるとの日本でウケるのとでは、根本的な基盤が違うから意味が変わってくるんだよ。アメリカのカートゥーンしか知らない連中がFFをやったらその日本的なキャラに魅了されると思うんだけど、でも日本人である自分たちから見れば、FFのキャラなんかに頼らなくでも、自分の好きなキャラが他にあったりするわけでゲーム内でのキャラの重要性って諸外国から比べたらたいしたことないんだよね。ましてやFFXのキャラなんて魅力が無いやつらばっかで、余計にたいしたこと無さがヒドくなってると思う。ゲームがナレイティブである必要は全く無いわけ。ゲーム自体が一方的に世界観やらストーリーを押し付けるんじゃなくて、ユーザーが能動的にゲームに働きかけて自分の中で世界観とかキャラの魅力を引き出すのがRPGなんだよね。だからこそロールプレイングなわけだ。


思うにゲームのプレイヤーというのは2000年ぐらいを期に断絶というのが起こっていると思う。断絶というと大げさだけど、ようは2000年以降の、ゲームがよりポピュラーになってから初めたユーザーってのは過去のゲームをやってなかったりして、今の現代的なライトであったり、ナレイティブすぎるRPGがデフォルトになっているから、評価基準が甘いんだよね。ただ俺みたいな古株のゲーマーになると過去の素晴らしいゲームの数々を知っているから、そこで相対化が出来るので、だからこそゲームはダメになったって言えるし、FFXみたいなのにゴーサインは出せないわけ。ダメ出ししかできない。恐らくそれはゲーム業界のマーケティングが変わってきたからなんじゃないかと思う。より一般大衆に受けるようなゲーム作りを目指すようになったメーカーは以前のようなゲーム作りをしなくなって、分かりやすかったり、プレイしやすかったりするライトなゲームばっかを量産するようになってるんじゃないかと思う。特にDSなんて見るとあんなもんゲームじゃないからね。まぁゲームもあるんだろうけど、脳開発だのダイエットだの、あんなもの従来のゲーム感覚から言えば全然ゲームでもなんでもない。でも世間ではウケているんだよね。これがゲームの大衆化の現象というわけよ。


そこでよく古株ユーザーは新しい感覚に馴染めないだの、感覚が古いままで保守的だのって言う意見があったりするけど、俺に言わせてみればそんなもの暴論以外のなんでもない。古株ユーザーはゲームを見る力があったり、それまでの良作のゲームで培われてきたゲーム感覚があるから、今のゲームは劣化したものにしか見えないわけだよ。ただそこで劣化したゲームがデフォルトのユーザー達にしてみれば、評価基準が劣化物なんで、古株ユーザーの意見が懐古趣味的にしか見えないわけだよね。これは前にも書いたように、消費者がゲーム業界の劣化を招くっていう由々しき事態だと思うんだよね。FFXを名作だなんていう馬鹿なユーザーがいっぱい出てきてしまってはクオリティはどんどん下がっていくばかりだよね。ゲームが先にあって、それについてくるユーザーというような、ゲームとユーザーの関係性というのが昔あったとすれば今はユーザーありきのゲームだよね。昔はそれがどんなに独創的で分かりづらいものであっても、それに向かっていくたくましいゲームユーザーってのがいた。でも今はクリエイターありきのゲームというよりかは、ユーザーのニーズに答えすぎたゲームを作りすぎているし、しかもその基準になってるユーザー達というのが劣化物基準の人達なんで、だから相関的にゲームの質が低くなっちゃうわけ。そこでFFXはクズだという人間が大多数ならスクエアエニックスもあんな駄作を量産したりしなくなると思うんだけど、そこそこ評価が高くて売れてるっていうんで、またその劣化物に便乗して同じような質の低いものを作り続けるようになるんだよね。FF9以降ぐらいからFFがどんどんダメになっていくのは象徴的だね。FFはもう完全にセルアウトしちゃって、スクエアエニックス大衆迎合したゲームしか作らなくなったということがあったとしても、それはインディペンデントから始まった映画監督が大衆的なものを作るようになるにつれてダメになっていくっていう、なんというかシステマティックな現象なんだと規定すれば納得がいくというか、仕方が無いことだと思うんだけど、今、ゲーム業界に必要なのは、そのインディペンデントな映画監督なんだよね。最低限売れなければいけないけど、大衆迎合しているわけではなく、ヘビーユーザーに焦点を絞った濃いゲームを作るだとか、若干エゴイスティックであっても、独特の世界観をバリバリ作っちゃってるとか、そういうゲーム会社が必要だよね。ちなみにヘビーユーザーといっても長い時間を費やせるユーザーってのを必ずしも意味するわけではないんだよ。さっき書いたような独特の世界観だったり、ライトじゃないものに対して能動的にコミットしていけるたくましいユーザー達というのがヘビーユーザーなんだよ。長い時間を費やすことがヘビーユーザーという意味なら無駄に時間がかかりすぎるFFXはヘビーユーザー向けということになってしまうよね。


ってことでFFXには予想以上の大失望をしてしまいました。まぁYunaがエロいんで抜けるというのはあるにしても、ズリネタ以外の利点というのは全く無いね。たまに過去のゲームがよいと思えるのは、過去の多感だった時期にやったゲームという、個人的な実存が関わっているからこそ主観的に良いと感じ続けちゃうのかな?って思ったりしたんだけど、まぁそうでもないらしいね。FF7は今やっても面白いし、別に過去を思い出さなくてもそれはそれでいいゲームだよね。もちろん個人的な過去にやった記憶というのは絶対消せないけど、でもゲームを独立したそれとして考えたとしても、やっぱりクオリティが高いと思うんだよね。クオリティという意味だと8はクソだったからな。あれはシステムが本当にダメだね。あと主人公の主体性がさっぱりない。ただ周りの何かに振り回されて適当にそれに参加しているわけで、冒険自体の主体性がさっぱりないんだよね。膳立てされたストーリーに主人公が布置されているだけっていう感じだったと思う。あと召喚が無制限で、キャラを強化しない限りほぼそれに頼りっぱなしだったような印象もあるので最悪だったね。召喚獣に頼りっぱなしの主人公達。敵がこっちに合わせて強くなるというのも全然良くない。やっぱりRPGはあくまでドラクエ的なアーキテクチャを保持したまま独創性を保たないといけないと思う。特にFFみたいのだと、そのアーキテクチャをいじっちゃってダメになってるような要素が本当に強いから余計にそう思うね。逆にそれをいじって良いゲームを作れるならいいよ。でも良いゲームが作られた例が無いでしょ?だったら最初から中途半端ないじり方をするなって話よ。やるんだったらちゃんと作れよって話。メガテンとFFだとキーマンがいなくなってるというのも相当影響してるのかな?FFは何以降だったか忘れたけど、メガテンは岡田さんが独立しちゃったんで、ほぼ金子さんの絵と岡田さんのアイデアの死骸だけで持ってるような感じだもんね。ペルソナ3FESがこっちでは22日に発売されるんで一応買うけど期待はしてないんだよね。金子さんの絵だけを見る感じで買うもん。基本的に俺ってメガテンの影響でバリバリ神話とかオカルト大好きだから、国津神とか天津神とか天使とか悪魔とかいろんな神話からの神々がごった煮になってるってだけで点数高いんだよね。ましてやライドウなんかを見てもそうだけど、その神々をただのキャラとして置き換えて作っているのではなくて、ちゃんと神話的な文脈も押さえつつ使ってるからいいんだよね。逆を言えばライドウは金子さんのキャラと神々がいなかったらただのクソゲーだからね。あれで敵がスライムとかゾンビとか大王イカとかで、主人公もドラクエみたいなファンタジックな感じだったら最低だと思う。あれは逆を言えば、さっき書いたような二次的な要素でゲームが成り立っていると言えると思う。まぁストーリーはたいしたことないけどね。


ってことでなんかPS2買ったはいいけど、ソフトがイマイチなのばっかっつってもちょっとしかやってないけど、そのちょっとの数々がダメなものばっかりなんてなんか他は大丈夫なの?って気分になってるよね。あと前に書いたようにその辺の店に行っても全てが簡単に手に入るわけじゃないんで買うのが面倒なんだよね。本当にその辺の店の在庫は酷い。アメリカチックな表面的なものばっか。まぁこればかりはこっちに住んでるから文句を言ってもしょうがないんだけどね。ちなみにFFXは竜の巣みたいな雷が鳴りまくってるところの後のちょうちょがいる森で挫折ね。もうつまらなさに耐えられなくて。ってことで今日はこの辺で。

羅生門 [DVD]

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