kさんへ返信。

mimisemi2008-06-03

kさんという方が昨日のエントリーに書き込みをくれたんだけど、返事を書いてたらすんげー長くなっちゃって、んでコメント欄に書き込んだらえらいことになっちゃったんで、もうあれよ、一日分のエントリーとして書くよ。ってことで以下は返信用のコメントね。私信をエントリーにするなんて凄いね。マジで。

kさん、書き込みありがとうございます!

というか驚きでしたよ!物凄い偶然ですね。お互い精神的な障害が発生したのが中二だなんて、本当に魔の刻ですね。だいぶ回復してきたとのことで、なんというかkさんについては全然知らないんですが、僕も同じ諸症状を持つものとしては、なんというか嬉しい限りです。


ドッペルゲンガーに関しては本当にオススメなので是非見てみてください!僕の今回の文章を読まなかったというのも僕としては嬉しい限りです。映画の存在を全く知らなかった人がこれを読んで見てみようと思ったとかだったら全然いいと思うんですけど、もう存在を知っていて見るつもりでいた人には本当に読んでほしくない文章なんですよね。まぁ前者も興味を持った時点で必然的に後者になってしまうので、パラドキシカルなんですけどね・・・。


ところで映画解説とかって他人の映画鑑賞の権利を奪いかねない行為ですよね。例えば映画館でパンフレットとかって売ってるじゃないですか?1000円とかで。あれって映画が終わった後に売ればいいのになって思うんですよね。パンフレットとかに誰かがその映画について書いたエッセイなんかがあって、その書き手の主観で塗れた文章を映画を見る寸前の人が読むわけだから、こんな倒錯したことって無いですよね。もちろんそういったことに意識的になって鑑賞者が鑑賞前にはパンフレットを読まないっていうことをすればいいだけど話なんですけど、でも上映前とかにパンフレットを精読したりしてる人いますよね。まぁ映画の見方は人それぞれだからいいんですけど、でもなんだかなぁーって感じですね。僕のドッペルゲンガーに関する文章が、少なくともkさんにとってこの映画パンフレットみたいな役割を担うことにならなくて本当に良かったと思っています。それはkさんがあえてパンフレットを読まないという選択をされたからですよね。


で、リア二千なんですが、簡単に説明すると冷めちゃいましたね。「メールをくれたらいつでも返事するから!」って書いておいてメールの返事を出さないとか、もう僕の中ではありえないんですよ。あるアメリカの様々な事情に詳しい人の話だと、アメリカ人がよく別れ際に言う「I will call you later」みたいなのは「じゃあね」と同意義でリテラルな意味で受け取ってしまって電話や連絡などを待っていると全然来ないんだそうです。あとアメリカの女の子は基本的に自己主張が物凄く強くて自分勝手な子が多いらしいんですが、そういう意味だとリア二千は典型的なアメリカンガールですね。こっちで日本人の女の子がモテる理由の一つに日本人の奥ゆかしさがあります。というかアメリカ人の女の子と相対的に見たときに日本人の女の子はおとなしくて自己主張が強くないっていうことなんですが、僕に言わせればアメリカ人の女の子が極端すぎるんじゃないか?って思うんですけどね。ってことで典型的なアメリカンガールと付き合うことはまず無理ですし、友達にすらもなれないと思いました。ところで白人って老けるのが早いと思うんですけど、でも10代後半から20代前半までの平均的なクオリティは物凄く高いですね。


ところでkさんが店長に対して抱いている感情は僕がリア二千に対して抱いていた感情と本当に似ているものですね。同じようなタイプの人間はやはり恋愛でも同じような行動パターン(妄想パターン?)を持ってしまうんですね。まさしくその「一人芝居」が僕にとってのここ数ヶ月の精神的疲労の原因だったわけです。今はスッキリしたものですよ。本当に。


対人恐怖症の人の歪んだ行動というのはまさしくkさんのおっしゃる通りで、これは他人ありきで存在する症状なんですよね。当たり前のことなんですが、自分が神経質になったり、見た目なんかを異常に気にしてしまうのは、まさしく見られるという感覚を生み出す元である他者ありきで成立しているんです。自分に注いでしまう過度なエネルギーは恐らく自己防衛の表れだと思うんですが、これが極端なので代謝されないエネルギーが自家中毒を起こしているような感じですよね。僕が思うに健全な愛とか恋というのは、このエネルギーを恋人に注ぐことだと思うんですが、僕らはそこで他人にエネルギーを注げず、自分にばかり注いでしまうので、いつまで経っても恋愛というものが成立しないんだと思うんですね。ただこの自分に注ぐ過度なエネルギーを調整できれば僕らは苦労していないはずです。それが出来ないので様々なことで苦労をしているんだと思います。そういう意味だと恋愛というのは僕らみたいな人間にとっては物凄くアドバンスなことなんじゃないか?って思いますね。普通の人が自然にやるような恋愛を僕らは出来ないんだと思います。


ミヒャエル・ハネケという監督のピアニストという映画はご存知ですか?これは僕の大フェイバリット映画なのですが、なぜかというと、この主人公のピアノ教師が勝手に抱いている恋愛への幻想とその喪失に物凄いシンパシーを感じるからなんです。まぁ僕はこのピアノ教師みたいなタイプの人間ではありませんが、主体が抱いている恋愛の世界観が一切成就しないという点では僕もピアノ教師も一緒なんです。だから僕はこの映画にひたすら感動するわけです。で、僕はこれでいいと思っているんですね。僕はそういうものなんだからしょうがないという意識ですが、kさんのように人にエネルギーを注げるようになりたい!と思える意志は物凄く重要だと思います。僕が恋愛に対して幻想を抱きながらも常にシニカルなのであれば、kさんの恋愛にはパッションがあると思います。そこはシニカルになってほしくないので、仮に恋愛が成就しなくても店長への気持ちは諦めないほうがいいんじゃないでしょうか?僕みたいに自己防衛にオブセッシヴになりすぎて、しかも自己防衛に関する原則やパターン認識などを徹底的に合理的に考えたりしてしまうのは人間的につまらないと思います。僕はそれでも恋愛より必死になれるものがあるので、実存の欠落はそういったものでいくらでも埋めれるのですが、逆を言えば、僕にとっては埋めてくれるそれらが無くなったら生きられないということになります。人によってはその欠落を埋めてくれるのがパートナーだったりするのかもしれませんが、それは僕が自分の欠落を埋めている「何か」よりかは素敵なものだと思いますよ。人にエネルギーを注ぎたいという意志があるなら、それを自然に店長さんへと放出しちゃえばいいんじゃないでしょうか?僕はそれが出来ない臆病者というか根暗なのでどうしようもないわけです。今は音楽に変わって学問が自分の欠落を埋めてくれる慰み者になっているわけですが、はっきりいってそういうのは精神的に健全では無いと思います。


なんか勝手なことばかり書いていますが、kさんの思う「人にエネルギーを注ぎたい」と思っている自分の意志を尊重してあげればいいんじゃないですか?その意志があるということが僕には素晴らしいことだと思えるし、僕には出来ないことであるし、僭越ながらkさんに是非やっていただきたいなって思ったりすることです。結果のみを完成形として考える人生観ほど貧しいものはないですからね。と、これは自分にも言い聞かせていることです。


相変わらずですが、一日分の記事のエントリーぐらい長くなってしまったので、この辺でやめますね。とにかく書き込みありがとうございました。またあそびにきてください!

っていうのが返信でした。コメント欄に書くには長すぎるよね。なのでこの場を借りて返信をさせてもらいました。

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イギリス最高ね。マジで。イギリス大好き。ロンドンサウンド。