自虐史観回顧展二日目。

mimisemi2008-06-17

回顧展の続きです。これはまぁある意味でプラクティカルだね。女の子に嫌われるためのメールの書き方みたいな意味で。特に今回は第二回にしてもうハイライトです。お見逃し無く。で、俺のメールがところどころ変なのは、オリジナルの不器用な英文を再現しているからなので、痩せ我慢して読んでほしい。

RE: from Bill
差出人: Imako Shunichi (根暗@マスカキ坊や.co.jp)
送信日時: 2008年5月8日 13:35:07
宛先: リア二千 (モテモテガール@ハニームーン.com)


やぁリア二千!


僕はキミの今まで知らなかった映画などに対する態度に極めて共感するよ!こういった態度は人間の教養や感覚といったものを拡張させる可能性が秘められていると僕は思う。僕らの実存の欠落を埋められるかもしれないものは、僕らの無限の好奇心だと思わない?


キミの言葉は僕の英語に於ける自信を増幅させるに十分だったよ。っていうのもね、僕はなんていうか、常に自分自身を英語で表現することに困難を感じているんだ。


ところでAPAペーパーなんだけど、まだ終わってないんだ・・・っていうのも僕は重度の先延ばし症候群を抱えててね・・・ってまぁ冗談だけど、もしキミが手伝ってくれるのであれば、それは凄く嬉しく思うし、キミが選んだ論文を読んでみたいと思うしね。学校であったときにこれについてはまた話そうよ。


それにしてもキミの大学攻略術には驚きだよ!だってまるで全てに関して、どうやってやっていったらいいのか?というのを知り尽くしている感じがするよ。たぶんキミは大学攻略術の原則を開発したに違いないね。とにかく凄いと思うよ。でもね、不可避な疲労については本当に共感できるよ。特に放課後とかに於けるね。疲れた後は完全にリラックスできる時間が必要だよね。ところでね、僕は詰め込み教育みたいなのを信じていないんだ・・・っていうのもね、僕は各生徒は彼らの興味に忠実であるべきだと思っているんだ。なぜなら興味のある学科だったら、個々が持っているケイパビリティや能力などを最大限に発揮できるからね。でももちろん、最低限のリクワイアメントは必要だよ。宿題とかさ課題とかさ、無くせばいいってもんじゃない。あ、でも今のサイコロジーのクラスは詰め込み学習とは程遠いよね。これは凄くいいことだと思うし、僕はこのクラスも教授も好きだな。


あ、それで力動精神療法についてだけど、僕は懐疑的なんだよね。っていうのはね、近年見られるような様々な精神病の症状、例えば不安とか鬱とかアパシーみたいなものは社会的な状況によって作られているというファクターが大きいんだ。これらは難治性のものが多いと思う。というのも、とても複雑に絡み合った現代的な諸要素、例えば人間関係だとか、変えられない社会のシステムだとか、機会の不平等だとか、機関的ヒエラルキーなんかが人々を苦しめているからなんだよ。これらの諸現象を俯瞰してみると数々の精神療法というのは無力だと思ってしまうんだ。なぜなら社会的なシステムそのものが精神病の原因を作り出しているわけだからね。あ、生来的な精神病は別としてね。こういった社会的要素によって作り出されている、ある意味で物理的というか直接的とも言える精神病的諸要素に関しては、例えばサイコロジーにおける、例えば無意識だのなんだのっていうようなタームでは説明できないんだよ。だからね、僕の国における大半の精神科医なんてのはこれらの諸症状に対して極めて無力で、やることといったら対症療法的な薬物療法なんかを行うのみで、その結果、精神科医や製薬会社がぼろ儲けしている・・・なんていう、非道徳的な状況を生み出してしまっているんだよ。もちろん、中には極めて有能な精神科医もいる。ただ残念なことに彼らはマイノリティーなんだよね。大体の精神科医はゴミみたいなもんだよ。


ところでアメリカの状況はどうなのかな?キミの意見を聞いてみたいと思う。でもね、僕は精神療法を否定するつもりはないんだよ。然るべき環境と方法で行われれば精神療法というのは根本治療の可能性を含んでいると思うんだ。・・・んーあれだね、なんというか、僕はちょっと色々と書き過ぎたみたいだ・・・。しかも不器用な英語で!


もし時間があったら返事をおくれよ!


ビル。


本当にKYこの上ないメールというか、改めて読んでみると無駄に長くて語彙もおかしくて、しかも読み気が失せるようなセンテンス・ストラクチャが多いんだよね。くだけたメールをやるってのはある意味で技術的で、全然メールとかやらない俺がメールで自分の意見を書いたりするとこうなるんだよね。下手に固くてフォーマルチックな割に上手くかけてないっていうか、メールにふさわしくないっていうか。ちゃんと書けてればいいけど、ちゃんと書けてないからね。それにしても本当に気持ち悪いメールだよね。俺がこんなメールもらったら返事出さないと思うもん。全編にわたって痛いのは相変わらずだけど、致命的なのが力動精神療法についての件だよね。相手の親が精神科医で、しかも本人もこれから精神医学を学んでいこうって思っているのに、精神療法の無能さと医者と製薬会社がぼろ儲けしている実体をバッサリ批判してるんだからさ、もうちょっと考慮するべきだったね。まぁ俺はそう思ってないけどね。自分の意見を曲げたり変えてまで相手に合わせてコミュニケーションしようなんて思ってないから。


それにしてもやっぱりこのなんというかメール全体を覆っている気持ち悪さに尽きるよね。全く人間的魅力を感じないというかなんというか、ただひたすら気持ち悪いだけっていうね、まぁ自虐史観回顧展なんで、気持ち悪くなるように脚色しているけどね、でも元が帯びている本来的な気持ち悪さがないと、ここまで気持ち悪さは表れないよね。あとやっぱ相手が嫌になるぐらいの長文を平気で出すってところに尽きるね。さっきも書いたけど、それが上手く書けていればいいんだけど、下手糞な英語を使ってわけの分からないことを全編にわたって書いているわけだから、読む側としては毒電波受信以外の何物でもないよね。


いや、でも傑作だな。マジで。カルボナーラを作った後、フライパンを洗ってて思いついたんだけどね。この自虐史観回顧展。なんか個人的に大成功だね。翻訳してここまで気持ち悪くなるとは思わなかったっていうか、まぁ想定はしていたけど、思った以上に上手く行ったんで満足です。続きは微々たるもんですよ。何しろこのメールを送った後に連絡が途絶えたわけだからね、落ち込むも何も無いよね。てめぇーがこんなメール書いてるから返事が来なくなったんだよってな話でさ、マジでウケるよね。でも送った当初は必死だったわけで、返事が来なくなったのに関して落ち込んでたっていうか怒りすら感じてたわけだよね。いや、おめぇーのメールが原因でしょっていうね。むしろ改めてこうやって見てみると、リア二千からのメールって好印象だもんね。それをモロに引き離したのが俺のこの返事って感じでさ、リア二千を責められないよね。まぁリア二千の親が精神病患者をネタに稼いでるような精神科医だったら同じく攻められないけどね。基本的に医療ってシステムが病んでるよね。


アメリカでもさっつーか特にこっちなんかで酷いのが、ホームレスとかさ、あんま金払えないような人が病院行くとね、医者がすんげー量の薬を出すんだよね。それこそ両手が完全に塞がるぐらいの量の薬を出すらしい。で、なんでこんな量の薬を出すのかっていうと、ようはモルモットなのね。医者は患者が訴えてるような症状に対応する薬を出しているっていう名目になっているけど、実際は治験的に薬を処方してね、あ、貧乏人にね、まぁだから人体実験をしてるわけね。で、その薬を飲んだ患者は意識が朦朧としたり、最悪の場合、倒れて病院に担ぎ込まれて、んでそのまま薬漬けっていうか治験漬けになって死んじゃうっていうようなのがね、平気であるんだよね。あ、これは精神病とかじゃなくてっつーか精神病とかでもあるんだろうけど、まぁ普通の病気ね。腹が痛いとか頭が痛いとか、そんなんでも貧乏人はモルモットにされるわけ。で、それで死んでも医者はなんとでも書けるじゃない?元はただの偏頭痛とかだったのかもしれないのに脳腫瘍とかさ、脳出血とかさ、で、患者も家族もいないようなホームレスみたいな人とかさ、そういう人をわざと選んでやってるから、家族がおかしいぞ?とか思って告訴できたりしないようになってるのねっつーか告訴のしようが無いような人を選んでこういうことをやってるわけ。ただですら貧乏なのにボランティアで治験やってさ、んでモルモットにされて捨てられるなんて最悪だよね。なんかあれなんだよね、こういうのってなんかの記者とかがさ、取材して暴露してほしいよね。


精神科も似たようなもんなんだよ。まぁこのアメリカの医療みたいに酷くはないんだけど、でもまぁアメリカの医療ってこんなんだから精神病系なんかも同じようなもんなんだろうなって思うんだけど、でもまぁあれだよね、医療のシステム自体が腐敗するように出来てるっていうかさ、あえて手を抜いて生殺しにして完治させないで飼い殺しながら金ズルにするとかさ、患者って知りようがないからね、自覚が無いままカモになっちゃうわけよね。精神科も同じ。根治できないんだけど、でも精神科医はこれを飲んでみてくださいっつって薬を出すわけじゃない?で、患者は無批判に受動的に薬を飲み続けるっていうさ、ましてや精神病系の薬って依存性があったり勝手にやめると離脱症状があったり、あと耐性がついちゃったりして、酷い人はどんどん薬の量が増えていくってのが珍しくないんだよね。だからもう医者は儲けまくりよ。心療内科の乱立の背景にはこういった医療のシステムの実態ってのがあるわけね。まぁ薬漬けにして飼い殺すってのが医者に委ねられてるって意味だとまぁ医療全般がどれもこれも似たようなものって言えなくも無いけどね。特に精神病なんて原因が特定できてなかったりさ、俺がリア二千へのメールでも書いたような、社会のシステム自体が原因だったりするわけで、まぁ治しようが無いっつっちゃー治しようがないんだよね。


秋葉原の連続殺人なんてまさしく社会的な病理が生み出したアノミーの産物以外のなんでもないよね。ただまぁ俺に言わせてもらえれば何で根本の原因になってる自民党に突っ込んでいかなかったのか?ってことね。まぁジョーダン23だけどね。自民党に突っ込んでいくべきだったなんて書いたら有害情報だのなんだので捕まっちゃうもんね。いや、どの道、俺はテロなんて一切肯定しないよ。でもまぁこういうアノミーに陥って関係ない人を殺傷する連中に共通しているのはオツムの弱さと政治的な鈍感さというか無知加減ね。なんで自分がこんな状況になっているのか?という原因が掴めてないんで、勝ち組だの普通に暮らしている人達ってのの象徴をその辺の街行く人として勝手に主観的に定義しちゃって、んでそれを敵とか原因と見なして突っ込んでいくんだよね。その街行く人もまたネオリベ的政策の被害者かもしれないのに・・・って気がつかないのはやっぱり政治的に鈍いからなんだよね。市民社会でこういうことって起こっちゃいけないと思う。それはそういったアノミーを生み出す社会環境を作り出すような政治もそうだし、それに何かを言いたがってた人間がその無知さ故に間違った対象を敵とか「やつら」と見なして破壊する・・・なんていう教育レベルの低さも由々しき事体だよね。


んじゃあ教育レベルが高くて、自分のアノミーを政治的に判断して、原因を作ったと思われる特定の政党を敵と見なしてテロを敢行する・・・っていうのが良いのか?というとそうではない。これにイエスと答えてしまうとテロの肯定になっちゃうけど、でもテロってそういうもんでしょ?911が仮に本当にアルカイダによるものだったら、あれはまさしくテロの象徴だよね。テロリズムの定義そのもののテロ行為というか。でも秋葉原のやつの場合、アルカイダアルカイダを対象にテロをやっちゃったみたいな馬鹿さ加減があるよね。アルカイダの敵はグローバリズムであり、アメリカ的なものであり、自分たちの境遇を悪くするような諸要素なのにも関わらず、「あーもうイヤー!」っつって自分の国で仲間を相手に自爆テロを敢行したようなもんだもんね。今回のって。だから俺が思ったのは、秋葉原の事件はもちろんこういったアノミーを生み出す社会もそうだけど、標的を間違えるようなドン臭いノーフューチャー予備軍が少なからずいるんだろうなっていうことね。個人的には今の日本社会みたいなのがアノミーを生み出すというのはとっくに自明で、俺もそんなアノミーに陥ってた一人だったわけで、それはとっくに分かっていたことなんだけど、今回みたいな事件が起きると、まあその別の負の側面っていうのが露わになっちゃたんだよねっていうのが、その標的を間違えるってことね。それは基本的にみんなそうだけどね。会社が嫌になったっつって関係ない人を殺すんだったら、社長なり自分を苦しめている上司に当たればいいのに、それをやらないんだもんね。それをやることはテロになるけど、でも社会的な効果は無くはないんだよ。


今回の秋葉原の事件が若者のアノミーを改めて象徴的に露呈させたという意味でテロが成功してしまったように、自分を苦しめていた相手に直接その怒りの刃を向けるというのは、それ自体が政治的な行為なわけだよ。それが大勢になるとクーデターになったりするわけじゃない?あ、しつこいようだけど、俺は暴力を一切肯定しないからね。ただまぁ正直なんだかなぁー・・・ってのがある。そういう社会の犠牲者が同じ社会の犠牲者を相手に自爆テロを行うなんてテロ以上に許せない。だったらせめて自分を人間扱いしてこなかった派遣先の上司だの自分の給料をピンハネしまくっている派遣会社だのってのに刃を向ければいいのになって思っちゃう。それでも人が死ぬわけだから肯定はできないんだけど、少なくとも全く関係ない人を殺傷するよりかはマシで、尚且つその行為自体が政治的になってメッセージ性を帯びてくるわけでしょ?関係ない人を殺すというのは本当にダメだね。頭が悪いテロリストほどの悪は無い。世界中で起こっているアノミー的大虐殺はアルカイダ以下ですよ。マジで。アルカイダはある意味でレジスタンスとも言えなくも無いけど(もちろん肯定はしない)同じ社会の被害者の仲間を無差別に殺傷する彼らはただの悪魔だよね。害悪以外のなんでもない。正直、こういう無差別殺人が起きて心底悲しくなってしまうのは、もちろん被害者の悲惨さというのもあるし、こういったものを生み出す社会の杜撰さというのもあるんだけど、それ以上に容疑者の矛先の勘違いね。大学で人を殺しても、それが社会に対する復讐なんてものにはならないんだよ。なんでそんな状況が生まれているか?というのを考えれば矛先は自ずと違ってくるはずなのに、勘違いして仲間を殺しちゃうんだよね。あ、んでしつこいようだけど、改めてテロはダメね。基本的にやっぱダメ。正当性だの理由だの動機だのってのは関係無しにテロはダメ。


なんか今回は改めて政治的な感覚についての重要さを痛感させられたって感じだよね。政治的な感覚の欠落というのがいかに危険か?というのが本当に露呈してしまったという感じがする。なんかゴメンね、面白いはずの企画ものが、かなりシリアスなテーマになっちゃった。次回は恐らく回顧展の最終日です。

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