偶然は必然か?とかって考えてみるのもオツ。

mimisemi2008-06-19

偶然は必然か?とかってエッセイって始まったりするじゃない?こういうキャラにもないような書き方ってのが出来ないんで、一生、ちゃんとした文章を書けなさそうな気がするんだけど、あのね、今のリーディングのクラスで日本人の女の人がいてね、んでまぁ普通っぽい人だったんだけど、放課後にあっちから話しかけてきてね、んでそれからまぁ色々と話が弾んだりして、んで電車も一緒だったんで一緒に帰ったんだけど、なんかね、この人、むかしはBガールだったらしいんだわっつーかヒップホップとかのトラックを作ってたらしい。まぁいいや、この人の話はともかく、話が弾んで、んでまぁ俺が曲作ってるとかミックス作ってるとかっていう話をしたら、まぁ是非聞きたいっつーんで、んじゃあ明日持ってきますっつってさ、まぁ用意したわけよ。今日。


んでね、ただあれなのよね、ガムテープ買わなきゃいけなかったからね、いつもとは違う駅で降りて、んでまぁ遅刻してもいいから、とりあえず引越しのためにガムテープを買わなきゃいけないっつーんでさ、まぁ買おうと思ったんだけど、また例の如くまぁ説明するのが面倒だからやめるけど、ブルックリンまで行っちゃってね、シティホールで降りようとすると大抵Nトレインに乗っててシティーホール過ぎちゃうんだよね。んでもまぁあれだと思ってさ、あれなのよね、なんつ−か家にいても最近はルームメイトが自宅勤務になってて、ずーっと家にいるし、それだけで気が散るから日中は外出ないとやってられないんだけど、あれなのね、読書ってのを生活の中心に仕立て上げるようなシステムを自分で作っちゃうってのは前にも書いたよね?ニュージャージーに住んでたときも家にいるのが嫌だったんで、スタバ行くしかなくて、んであの時はある意味で今よりストイックだったから、ネグリとかを英語で読んでたわけね。いや、ネグリが好きかどうかは別としてね。理解できるわけもないんだけど、とりあえず無理やり英語の本を読ませるっていうような、一方的に物事をインポーズさせるような生活システムを作るのね。まぁこれは缶詰みたいなもんだね。作家とかの例のあれよ。で、あれなのね、基本的に電車に乗ってるときとかね、電車を待ってるときとかもう本を読まないとアウトなのね。それだけでもう減点なの。だから外に出れば必ず本を読むことになるんで、外に出るっていうことは意味が無いって思っちゃうような俺でも読書がはかどると思えば休日でも外に出ようと思ったりするんだけど、これ凄く重要ね。外に出るということに理由付けをする必要はなくて、外で自分の活動をするっていうようなね、家の拡張みたいな感じで外を考えると外に出やすくなるんだよ。出不精の俺としてはね。


あ、んでそれはともかく、ブルックリンまでいっても別に本があるんでそれを読んでればいいわけだし、あと特にお堅いようなやつを電車で読むっていうのは凄く効果的なんだよっていうのは家とかだともっと面白い本があったりして、んでそっち読んじゃうでしょ?ましてや日本語とかだと絶対日本語の本を読んじゃう。なんで外に英語の本だけ持って行って読むってことをすると、それしか選択肢が無いんで、必然的に英語の本を読むことになって、んでそれが癖になるっていうか生活そのものになるっていうね、まぁルーティンのアーキタイプを自分で構築するような感じなんだけど、そうでもしないと英語の本ってあえて読もうとかってなかなか思えないんだよね。明らかに日本語のほうが楽だから。ってことで油断してるとすぐ日本語の本ばっか読んじゃうんで、自分に喝を入れるという意味でもあれなのね、外に英語の本だけ持っていくわけ。


で、何が言いたかったのかっていうと、あれなんだけど、ブルックリンまで行ったじゃない?で、大幅に遅れてるわけじゃない?授業に。で、ガムテープを買いに薬局と雑貨屋が合体したような店に行ったわけじゃない?で、学校に向かうわけじゃない?それから。そしたらね、学校に行く途中の道でさっき書いた女の人に会ったんだよ!いや、気があるとかそんなんじゃなくて、この人は今週にライティングのテストがあるとかで、んで全然勉強してないんで、今週は金曜のテストのためにライティングのテストの準備に集中するとかで、今日のクラスはスキップするっつって帰るつもりだったらしいんだよっつーか帰ってたんだよね。だからあれなの、俺が普通に学校に行っててもこの人は休みでさ、んで俺としては「せっかく渡そうと思ったのになぁー」なんて思うわけじゃない?この人も「CDもらうっつってたのに休んじゃって申し訳ないなー」とかって思ってたらしいんだよね。そしたら道でばったり会うって凄くない?仮に俺がブルックリンまで行かなかったとしても会えないし、ガムテープを買おうとしなくても会えないし、ガムテープを買った店のレジが混んでたりしても会えなかっただろうし、何もかもが偶然の重なりなんだけど、その結果、本来だったら渡せなかったCDを道端で渡せたわけだよね。しかも例によって雑談に花が咲いちゃって、んでずーっと立ち話してたんだけど。


こういう偶然ってなんなんだろうね?前にも書いたでしょ?ロードアイランドで仲良かった韓国人のクラスメートの女の子にチャイナタウンのデリで会ったとかさ、しかもこの子達はたった3日間のニューヨーク滞在だったりさ、会う確立が凄まじく低いのに、なんで会うかね?っていうね、それが不思議でしょうがないんだわ。今日ももちろんそうね。もちろんそれは死ぬときもそうなんだけどね。秋葉原の被害者じゃないけど、なんでこんな時間にたまたまあいつが車を突っ込んできた時間に歩行者天国を歩いてたかね?っていうような不幸すぎる偶然ね。あんま運命とかって信じたくないんだけど、でもなんだか偶然って必然的に起こってるような気がするときがあるんだよね。で、仮にこの女の人がさ、俺のミックスとか聞いて、んでやる気出して勉強に集中できて、んで金曜のテストにパスできたとかさ、まぁ本当にそうなるかどうかは別として、俺とこの人が道端であって、んで俺がCDを渡すってことは、この人の生活に入り込んでいることになるんだよね。俺の音楽なりミックスなりがこの人の生活に入り込むようになるわけだから。で、ましてや明日も学校に来ないっつーんで、今日、渡せなかったら、渡すのは来週になってたわけで、その違いってのが凄いんだよね。一日違いだったらまだしも週またぎだと全然違う。いや、俺のミックスがテストの結果に影響するかはともかく、渡せる渡せないの差が凄いんだよね。そんな差が凄いことを、あえてこんな低い確立で起こらせるなんていうのは、何らかの普遍的意識みたいなのが影響してるんじゃないか?とかってオカルト風に思うよね。ハルヒチックっていうか。この人が例えばトイレに行ってたとしても会わないだろうし、逆に俺がトイレに行ってたとしても会わないだろうし、ちょっとの時間の違いであそこですれ違う可能性なんて一気になくなるわけ。なのにも関わらず、お互いのイレギュラーな要素が重なり合って道端で会えたっつーのはなんか凄まじいものを感じるよね。そのイレギュラーな要素ってのが俺の遅刻とこの人の欠席ね。この二つが重なり合わない限り道端で会うことは無いわけだよ。で、この2つというのは滅多に起こらないよね。恐らく俺がこんな風に遅刻するのは今のコースだったら今日で最後だろうし、この人もテストが終わったら今後のクラスは全部出るっつってたんで、イレギュラーもイレギュラーだよね。別に俺が凄まじいような「渡そう!」という気があったわけではないんだけど、んでもまぁ渡そうと思ってたのは確かだよね。だって「明日持ってきます」って言ったんだから、そりゃ用意するよね。まぁいいや、意志が何かに働きかけてそれが偶然のように必然的に起こったとかって考えると宗教臭くなるんでやめよう。特に今回については俺が仮に渡せなかったら自分の命にかかわってたとか、何かのドラマチックなことがあったら別だけど、まぁ別に渡せようが渡せまいがたいしたことはないからね。俺の観念ではさっき書いたように、その人の生活に入り込むわけだから、違いは凄いわけだけどんでもまぁ別に普通に考えたら大事ではない。でもそれにしてもまぁーなんつーか意味づけみたいなのをしたくなっちゃうよね。こういう偶然は。


偶然といえば、なんかの特殊な星にでも生まれてきたんじゃないか?っていうぐらい凄い出会いばっかしてるような人がいるんだけどっつーのは最近話にも出てきてるキャリアウーマンの人ね。この人とは付き合いがあって、んで美術館とか一緒に行ったりしてるんだけど、この人がまた凄いんだわ。まぁいいや、それは今度時間があるときにでも書くね。なんつーか普通の人じゃ一生起こらないような出会いとか事柄が平気で日常的に起こってるような人なんだよね。本人は全然自覚が無いんだけどね。なんつーかドラマツルギーが生まれながらにしてその人の人生に備わってるっつーかさ、そういう人っているんだよね。スピリチュアルみたいなのは信じてないけど、んでもこの人、日本に帰ったときにいきなり道で「あなた!今年物凄いことが起こるわよ!」なんて霊能者だか占い師だかにいきなり呼び止められたらしいんだよね。で、別にこの人は霊感商法とかの詐欺師じゃなくて、本当に能力があるかはともかく見える人だったらしいんだわ。そしたらまぁこのキャリアウーマンの人から物凄いオーラが出てるっつーらしいんだよね。俺は見えないけど、んでもなんか分かるような気がするし、この人の色々な出会いを聞いたりすると、普通じゃないってことが分かるんだよ。こうなるとスピリチュアルになっちゃうけど、でもなんだね、たぶん見えないようなところの要素で凡人とそうじゃない人の差ってあるんだよね。あと詳しくは書けないけど、本人が意識的にやってるかはともかく、一人の若い青年の人生を救ったりしてるんだよ。何気に。偶然とかじゃなくてね。


まぁいいや、飛躍しすぎるとスピリチュアルジャズになるんでこの辺でやめよう。まぁファンタジーにとどめておけば、こういうのっていいと思うけどね。想像的というか観念的というかさ、面白いじゃない?あえてそういうのを信じてみて、そういう風なのを信じているような視点で物事を考えてみたり分析してみたりっていうのもね、そこにあえてという選択肢がある分には全然いいと思う。それがあえてじゃなくて全てになっちゃうとオウムとか創価学会みたいになっちゃうわけでね、それは害悪でしかない。それにしても日本は不思議な国だよね。オウムはあんだけ批判されて創価学会は批判されないんだから。なんつーか空気で勝手に伝わってる「本当のヤバさ」みたいなのを察知して、あえてタブーに挑まないみたいな風潮があるよね。日本って。だから革新的なものから程遠いっていうね、アメリカ以上に保守的な国なんだよな。もうやってられない。


で、俺は今日凄まじくハッピーなことがあったんだけど、まぁこの人にミックスをちょー偶然に渡せたというのもハッピーというか色々と勝手に想像できるような妄想ネタを提供してくれたという意味で面白かったんだけど、学校に遅刻して行ったんで、なんか「これだけのためにわざわざ来たのか?」なんてのがあってね、んでまぁ例のあれよ、8ストで降りていつもの本屋に行ってウィンドウショッピングをしようと思ってたらまぁ例によって読む本がいっぱいあるのに数冊買っちゃったんだけど、その一冊にジジェクのHow to read Lacanがあったんだけど、残りの二冊は秘密として、レジに持っていったらレジの女の子がジジェクの本を持って「これはちょーいいわよ!」なんていうわけ。俺は「は?」って感じだったけど、ようはこの子はこれを読んで「ちょー良い」って言ってるわけよね。で、ちょっと考える間があった後に「え?キミはこれを読んだのかい?」なんて聞いたわけ。そしたら「そうよ。これは凄く分かりやすくて良い本なの!ジジェクは最高ね、本当に。DVDもあるのよ」なんつーから「あ、そのDVDは持ってるよ。あれだよね、ジジェクってADHDだよね」なんつったら女の子が「あーそうねぇーなるほどねぇーアハハ、そうかもねぇー!」なんつってさ、すんげーリアクションが良いんだよね。俺が感動したのはレジの女の子がジジェクを読んでるってことなんだよね。しかもDVDも見てて、んで俺が「ラカンのオリジナルは書き言葉が難しすぎて何がなんだか分からない」なんつったらさ、「このジジェクの本を読んだらたぶん理解できると思うわよ」なんて言うわけ。で、「ラカンのオリジナルは読んだの?」って聞いたら「読んだわよ。4大の時に」なんていうわけよ。ってことは今は大学院にでも行ってるのか?って思ったんだけど、4大でラカン読むってなんか凄いよね。専攻はサイコロジーなのかな。なんつーか俺がハッピーになったのは本屋でこんな会話が成立するニューヨークの密度ね。日本じゃ考えられないよね。それは日本のアカデミックなレベルが低いというよりかは、そもそも本屋で店員とこんなラフな会話が成立するような余地が無いってことね。ましてや成立したところでお互いがジジェクファンで、しかもラカンにも興味があるなんつって話が成り立つなんてことは無さそうじゃない?でもあるんだよねぇー。こっちは。あんな若そうな子がジジェクだのラカンを読んでるなんて感心だな。本当に。おっさんみたいな言い方になるけど、マジでそうだよ。そこそこの大学行ってああいう子がいるようなクラスで勉強できたら最高だよなぁー。プライベートな会話が哲学についてとかサイコロジーについてとか、もう最高だよね。マジで。いや、別にこの子に興味があるわけじゃないんだよ。別に見た目がタイプとかそんなんじゃなくて、ふつーの若い子がラカン読んでるっつーのに感動しちゃったわけね。まぁあの本屋って専門的で特別な店だから洗練された人しか店員やってないっつーのもあるとは思うんだけどね。ブックオフの店員とはわけが違うから。


タイプといえばコステンコね。タイプじゃないって書いたけど、長く教室にいると飽きてくるんで、綺麗な人を見たりして気を紛らわそうっていう風になるんで、クラスメートに好意を寄せやすくなるんだなっていう、なんつーかシステマティックな力が働いてるんだなって本当に思ったね。街で会ってもまぁ綺麗だなとかは思うだろうけど、好きにはならない。でも教室っつー限られた場で同じ時間をシェアしてたりするとクラス全体の親密度というのも高くなるし、それによって人の見方も変わってくるんだよね。最初は他人だったクラスメートが本当の意味でクラスメートになるんだよね。あれは凄く不思議。最初とセメスター中ごろのクラスメートの印象って全然違うんだよね。そんなのがコステンコにもあって、俺のお気に入りになってるね。ホント、俺って惚れっぽいよね。惚れっぽいっつーかたぶん限られた環境の中で綺麗な人がいると男だったら誰でも反応するんだなって思うよね。それは軍隊とか監獄で性の捌け口が無いんで男同士でやっちゃうようなもんね。限られた場所というのは欲望を増幅させる効果があると思う。もしくは欲望が限られた対象の中に移りやすくなるっていうかね。オフィスラブとか学校での恋愛とかってまさしくこれだと思うね。で、ウケたのが言うまでもないアレなんだけど、マルクスのTシャツを着てったのね。今日は。共産系がギャグ以下みたいなアメリカで共産系のTシャツを着ることはリスクなんだけど、でもまぁ着るんだよ。俺は。No Gods No Mastersとかって書いてるTシャツも着る。これが原因で撃たれても文句は言えない。で、マルクスTシャツを見たときのコステンコの反応ね。なんつーか「何それ?」みたいなさ、微妙な顔をしてたんだよね。それが可愛いのなんのって。彼女としてはやっと自由の国アメリカに来て自由な空気を吸いまくって自由な生活を謳歌しているのに、ロシアどころかソ連を連想させるようなTシャツを着てくるやつがいるなんてなんてことだ!ってことなんだろうね。ここに来てマルクスの面を拝むことになるなんて思わなかった・・・みたいな反応をしててマジで受けたんだよね。政治とか宗教とかがタブーとかって言われるじゃない?アメリカって。だからあえて政治臭いTシャツとか過剰に着たくなるんだよね。そんなの糞食らえ!とかって思って。あとマルクスへの偏見っつーか共産主義への勘違いとかも酷いからね。アメリカ。だから目を醒ませっていう意味でもいいよね。まぁ別に俺が広告塔になる必要は無いんだけど。まぁいいのよ、反抗という記号が働いてればオッケー。そこにアメリカニズムへのアイロニーもあれば、帝国主義への抵抗もあれば、ステレオタイプへのジョークもあれば色々あるわけで、別にそこに政治的な反体制のメッセージがこめられているならマルクスだろうがなんだろうがいいわけ。そういうのをファッションに取り入れるってのが俺のポリシーなのね。絶対どっかで反体制してないとダメ。だから俺のおかっぱもまぁワッキーとか山ちゃんって邦生のほうと原西みたいな、ハゲ隠しをユーモアにやるっていうようなハゲがユーモアに先行している髪型ではあるんだけど、まぁでも一応反体制のつもりなのね。他のヤツと違うというのがポイント。あとマッシュルームってことで60年代の反体制カルチャーを表面的に体現しているのもあるし、藤田嗣治みたいな亡命者になりたいっつー自分の欲望みたいなのもあったりするんだけどね。ケージがマッシュルームに熱中してたってのは、ケージみたいな反体制的な音楽を作ってた人が反抗の象徴ともいえるキノコに現を抜かしてたわけだからこれまた偶然とは言いがたいよね。必然的な偶然というか、偶然的な必然というか。


あ、んでいきなりだけど、俺が今のところやりたいバンドは、ディーセントっていうまともなことをデス声で歌うデスメタルバンドと、Mっていうテクノを全部人力でやるバンドと、あとマーシャルダッチアンプっていう反体制派のキノコをモチーフとした電子ロックバンドね。テクノを人力でやるってのは、例えばジェフミルズのChange of lifeとかをキーボードで弾いちゃって、んで打ち込みのドラムとかも全部生で、もちろん4つ打ちのキックとかもぐっさんのヒクソングレイシーパート2みたいなバスドラの人力で、キーボードがエフェクターに繋がってて、フィルター担当とかいって、フィルターハウスとかも全部生でやっちゃうようなバンドね。なんでMかっていうとメインレパートリーがモーリッツォのMシリーズだからなのね。「ディルンドンディルンドンディルン」みたいなMシリーズのベースをベースギターで生で弾いちゃって、ハンドクラップは生なんだけど、ハンドクラップ担当のマイクからはエフェクターに繋がってるんで、さっき書いたフィルター担当がディレイをかけたりするんだけど、もちろん「ドンツードンツー」みたいなテクノのドラムも生ね。ドラムンベースも生でやったりするんだけど、これはテクノ以上にダサいんだよ。ベースはキーボードで弾くし、何よりドラムンブレイクビーツが全部人力だからね。声のサンプルとかも全部生。ようは生でサンプルっぽい声ネタを再現しながらやるってことね。ダサすぎ。マーシャルダッチアンプのほうはプリペアドピアノと小オーケストラプラスドラムっていうロックバンドで、メインレパートリーはジョンケージの曲ばっかね。あとメンバーの調子が悪いときはレディメイドとかいってメンバーのサイン入りの楽器をステージに置くだけっていうライブをやったりね、凄くラディカルなの。基本的にメンバーが全員メンヘラーなんで、全員揃うことが珍しいバンドなんだよね。活動も精神的にも不安定なバンドなの。


まぁとにかく普段から長いものに巻かれない癖をつけておくっていうのはいいことなんじゃないかなって思うのね。人と同じじゃないといけないということを強いられてきた反動ってのもあるんだけど、今はホント、髪を青に染めてパンクのファッションしたりするようなやつよりたちの悪い反体制になってるね。俺。これがもっとプロフェッショナルに反体制になると、国家にとって本格的にマズい人間になったりするわけじゃない?それが俺の目標だよね。引き篭もり期に抑圧してきたものを、アメリカ人には迷惑かもしれないけど、こっちで発散させまくるわけね。特に政治学のクラスのエッセイとかでアメリカ批判するのが楽しみでしょうがないんだよね。先生がコンサバとかだったらしょっちゅう口はさんで文句を言ったりね、先生が左翼よりそっちのほうが面白いかもしれないな。でもやっぱ批判するにも素人が表面的で聞きかじりの知識でやってもしょうがないから、だからやっぱ国家にとってマズいぐらい理論的にも言えているようなことが書けないとオナニーになっちゃうんだよね。そういう意味でプロフェッショナルになりたいし、そういう意味でまぁイデオローグになりたいって言ってるわけで、そこまでジョーダン23でもないんだよね。なんつーかデモとかに出て自己満足してる左翼と、本格的な言論で国家とか権力を批判しまくる左翼の違いっつーかね、俺は後者になりたいんだよね。今はマジでデモに出てビラとか撒いてるレベルだからね。俺。いや、それはレベルの例えで、一切政治的な活動はしてないからね。そういうの興味ないし。


偶然の話から革命的な話になったね。今日は。ホント、傍から見れば日本を脱出したキチガイが親をスポイルしながらアメリカで革命ごっこをしてるって感じだよね。俺。滑稽すぎ。まぁまとめるとあれだね、クラスに可愛い子がいると学校に行く気力が湧くよねってことだね。コステンコで抜いているわけじゃないけど、コキネタを稼ぎに学校に行くことを
ヌケルコ・サンディカリズムと言うってのは前に書いたよね。日本にもサンディカリスト的なオナニストが増えるといいね。むしろ日本が聖地なのかな。まぁいいや。今日はこの辺で。回顧展の続きはまた今度ね。書くことが無くなったらやっつけ的にこなすと思うので。

↑Mはこれを人力でやります。で、メンバー全員がM字ハゲです。