モラトリアム機関としての大学。

mimisemi2008-06-20

なんかさ、あれなんだって、やっぱ成績がDとかだと転入先で単位って認められなくて、なんかやり直さなきゃいけないらしいんだよね。でも俺っていつも書いてるように興味ないやつは一切できないし、ましてやそれを英語でやるなんて不可能なわけよ。ここで俺の場合「良い成績を取れるように頑張ろう」って思わないで「俺みたいな極端にグレードに差がある成績でも転入できる大学があるのかな?」とかって考えるのね。あれだろうね、だから転入先での学科にもよるんだろうね。例えばサイコロジーを取るとして、コミカレでサイコロジー関係のグレードがCとかDばっかだったらダメっていうね。まぁ別な言い方をすれば自分のメジャーの成績が良ければ、他はそこまで気にしなくていいってことだね。ホント、改めて声帯を大っぴらに震えさせて言わせてもらおう。学校の成績とインテリジェンスは全く関係性がないと。どちらかといえばハードワーカーかそうじゃないかみたいな、そんな差のほうがグレードに影響すると思う。そう思うと俺なんて学校でいい成績が取れるわけねぇーなマジで。まぁどの道、無駄なことには頑張れないから、クオリティのそこまで高くない大学とかでも我慢するしかないかな。まぁ逆にあんまキツくない大学に入って自分で勉強を続けるほうがいいかもね。まさしくモラトリアム期間を買う感じで。大学ってモラトリアム機関ですな。やることが多すぎる大学に入って、自分の読書とか出来なくなったらそれはそれで嫌だからね。マジで。


ところで今回書こうと思ったことは他でもない。なんかさ、今のコースの授業で、文のシーケンスがタイムオーダーで表されるみたいな、まぁすんげーベーシックなことなんだけど、まぁ分かりきったことを授業でずーっとやるわけよね。で、先生は頭がおかしい人じゃない限り人間の脳にはタイムオーダーがあって、それをベースに何かを表すし、それをベースに何かを理解するっつーんだけど、まぁあれだよ、「最初に」「次に」「結果的に」とかっていう物事の順番って意味ね。当たり前でゴメン。英語を勉強しないまま留学するとこういうコースを取らされるんで、マジで英語だけは留学前にやっといたほうがいいよ。で、先生がさ、生徒を指して「何かあなたのことを説明してください」なんていうわけ。ようは人間の脳にはタイムオーダーがあるんだよっつーのを生徒を使って実演させるってわけだ。まぁそれはともかくパムだかっていうニカラグアから来た女の子がいてね、で、まぁふられた話題が「あなたがアメリカに来た理由」っつーんだけど、それが凄かったんだよね。まぁこの子は最初に来たのが1994年ぐらいで、それはまぁ旅行みたいなもんだったらしいんだけど、なんでか分からないけど頻繁に来てたみたいなんだよね。で、お母さんが一人でアメリカで働いてたとかでさ、んでこの子は地元の高校とか通ってたらしいんだけど、なんでかっつーとニカラグアって失業率が半分以上っつー崩壊してる国なんだよね。で、政党は36あるとかでさ、しかもコントラだかっつー革命勢力みたいなのもあって、すんげー政治が不安定らしい。そんなのもあってお母さんは合法かそうじゃないかはともかくアメリカで働いて家族を養ってたのかもしれない。んでパムとその弟もしょっちゅうお母さんを訪ねてたらしいんだけどね、ただこの子の英語が完璧じゃないのと、物凄いスペイン語訛りなんで、聞き取れないところが多くて正確性は分からないけど、まぁ大体こんな感じね。


ただ悲劇が起こったのが99年ぐらいで、お母さんの喉にガンが発見されたらしいんだよね。で、それは除去できたんだけど、毎年毎年病院に通うってな生活が続いてたらしいんだけど、2年後だか3年後だかに再発して、んで死んじゃったらしいんだよ。お父さんの話が出てこないのを見ると離婚したかなんだかでまぁいないらしいんだけどさ。で、一家の稼ぎ頭を失ったパムはニカラグアにいてもしょうがないので、アメリカに来て職を探して、んである程度基盤が出来たんで弟も連れてきて今に至るってことらしいんだけど、すんげーありえないぐらい大変な話だよね。先生もまさかここまでディープな話になるとは思ってなかったらしく、まぁ俺もそうは思ってないんだけど、クラスが暗くならなかったのは、この子の明るさなんだよね。そんなのが過去に起こったなんて思えないぐらい普段も明るくてよく笑う子でさ、この説明をしてるときも全然暗くならないのね。すげーなって思っちゃった。親が死んじゃったっつーのもあれだけど、国がどうしようもないっつーのもホント大変だよね。で、今はパム一人で弟の養育費とか生活費とかを全部払ってるらしい。で、本人は笑いながら「今までも働いてきたけど、こんなに責任が生まれてしまったことはなかったのよ」なんて言うわけ。ようは自分が働かないと自分も弟の生活も成り立たないっつー状況なんで責任が重いってことなんだけど、ホント、凄いよね。いや、でもね、マジでニューヨークってこういう人多いと思うんだよね。それこそスタバとかサブウェイとかで働いてる片言の移民っぽい連中とか、まぁ決め付けちゃいけないけど、んでも絶対祖国に問題ありでこっち来たんだなっていう人いっぱいいるんだよね。去年も印象的だったのが、アルマーニエクスチェンジかなんかで試着をするときに並んでたんだけど、店員が「やったぜー!グリーンカード手に入れたぜぇー!」なんつって他の店員と騒いでたりしてさ、「あー亡命かなー」とかって勝手に思ってたんだけど、でも凄いよね。ホント、生活かかってるのよ。


アメリカってこうやって移民が増えていくんだよね。ホント、そういうのをリアルに身近で見てる感じだもん。で、彼らの収入がファーストフード店の店員ぐらいであっても結婚して子供を生めばその子供はアメリカンでしょ?でもその子供はまぁ裕福じゃないわな。だって親がマックの店員とか清掃員とかなんだからさ。で、ハングリーなやつはそこで頑張って這い上がったりするんだろうけど、同じアメリカンっつっても、親が白人でちゃんとした仕事に就いてるっつーのと、親が移民でファーストフード店の店員やってるとかって全然違うよね。環境が。で、そういうのが当然、養育に影響してきて、んで移民の子供も金がないっつーんで高校でたら独立しなきゃいけないっつって、んでも肌に色があるとかで差別されたりしてさ、んで行き場が無くなってホームレスになるとか、イリーガルな商売始めちゃうとかさ、暗黒街道歩き始めちゃうとかさ、まぁそうじゃなくで大学に通うとしても、親から金は出ないんで自分で稼ぎながらコミカレ通ったりしてゆっくり卒業するとかね、そんな感じの家庭なんだろうなぁーってやつがいっぱいいるんだよね。コミカレって。だから俺みたいな留学生って最高に特権階級よね。なんつーかこっちの普通の白人の学生より特権階級。特に俺なんてイリーガルでバイトしなくてもなんとかやっていけるだけのサポートを親から得れるし、そんなんだから小難しい本なんかをスタバで読むような暇もあるし、基本的に学問やるやつって親にパラサイトしないと無理だよね。「資本論も読む」っていう本で資本論を読めるのは幸せな証拠だみたいに書いてあったんだけど、まさしくそうね。バイトして大学行って帰ってきてから資本論なんて読む気が起こらないだろうって書いてあってさ、まさしくそうだよなって思うのね。俺みたいに無駄に時間があるやつが読めるような本なんだよ。


だからなんか微妙なんだよね。崇高そうに見えるレベルの高い学問をやってたりしても、それって親のサポートと暇な時間があったからやれたわけで、違う家に生まれてきたら出来なかったっていうような学者って多いと思うんだよね。最近、オススメで載せてる中島義道なんて典型的なパラサイトタイプの学者だよね。30過ぎても親に仕送りをもらってウィーンに留学してたっつーんだから優雅だよなぁー。しかも仕送り額も多いし。ジジェクとかもそうでしょ?家がリッチだったかはともかく、30近くになっても経済的には親頼みだったっつってたもんな。それでまぁ中島もジジェクも遅咲きだけど、あんだけの本を出して売れまくってるんだから全然勝ち組なわけだけど、元々負け組っぽい勝ち組だよね。そう、だから学者タイプってコンビニのバイトとかしてなさそうなんだよね。ようは学問的にバイトと両立できなさそうなのが多いんで、必然的に経済的なものを親に任せられながらやれるっていう条件が必要になるんだよね。だから学校の課題とかやらなきゃいけないこともできるし、自分の研究も出来るわけ。これってホント、パラサイトだよね。まさしく俺もそうなんだけど。だからさ、今のコースで先生にどれだけ褒められようが、ある意味で当たり前だよって思っちゃうのは、俺って仕事してないし、それだけに取り組める余裕があるから、こんな短期間で英語が伸びたわけで、忙しかったら絶対無理だったって思うのよね。だからホント不平等だなって思っちゃう。パムの英語がイマイチなのと俺の英語がイマイチなのってわけが違うからね。


ホント、小難しい本を読むとかってマジでパラサイトじゃないと出来ないと思うね。本当にそう思う。ふつーなやつがふつーに大学行きながらバイトとかしてたら本を読む時間なんて無いと思うんだよね。それこそふつーだったら友達づきあいとかもそこそこあるだろうし、外に遊びに行くとかっていう息抜きも必要だろうし、バイトと学校が無い日は家で読書だ!なんて思えないと思うんだよね。そこを俺みたいな根暗は時間があると本を読むわけで、だから知識が増えていくわけだけどあんまり健全じゃないよね。でも健全だったら読書なんて出来ないと思うね。新書程度を適当に読むならあれだけど、そこそこある難しい本とか古典なんかをじっくり読むなんてパラサイトじゃないとできない。だからこれって凄いことでもなんでもないんだよね。本当に。難しそうなことが崇高かというと全然そうじゃない。むしろ暇人だから出来るのであってさ、哲学なんてものはその最たるものだよね。


あ、んで短めに回顧展の続きをやるね。リア二千からメールが来なくなって心配した俺が出したメールです。

Are you ok?
差出人: 耳蝉。 (耳ジェイ@コール.co.jp)
送信日時: 2008年5月14日 11:59:04
宛先: リア二千。 (リア二千@サイコロジー.com)


やぁリア二千!


キミがクラスに来なくなってから、僕はキミのことを心配しているよ。特に何もなかったことを祈るばかりだよ。とにかく大丈夫だったらメールしておくれよ。

この「おくれよ」って表現が気に入っちゃってさ、すんげー間抜けさが出るよね。戸田奈津子の翻訳ぐらい馬鹿っぽいっつーか。次回は最終回ね。リア二千からの気の抜けた返事が来ます。


ところでジジェクのHow to Read Lacanなんだけど、さっぱり分からなかった。半分ぐらい読んだんだけど、文体が独特で、んで語彙も色々あるんで、俺の英語力じゃまず無理でした。映画とか政治とか身の回りのありそうなことでラカンのセオリーを説明しているのは分かるんだけど、ディティールが分からないんで理解できないんだよね。理解がなんとなくレベルで読んでて気分悪くなるんだよね。読んでて理解できないと本当にイライラするでしょ?内容っつーか語彙なんだよね。あとストラクチャ。やっぱまだまだシンプルなやつしか読めないからね、難しすぎるのは英文だと全然まだまだ無理ね。あと俺って人間的に杜撰な割に妙なところに完ぺき主義的なところがあって、それは音楽と読書に顕著なのね。音楽は言うまでもないけど、読書も「なんとなく理解した」っつって読み終わったりするのは絶対ダメなの。読後に覚えていようが覚えていまいが、とりあえず読んでいる場では書かれたものを完璧に理解していないと気がすまないのね。だからあやふやな理解でとりあえず読破ってことが絶対出来ないんで、だから英語の本はツンデレになってるようなのが多いわけ。これが出来るのもパラサイトのおかげだけど、でもなんか理解しないと本って意味無いと思うんだよね。字を追っかけるだけだったらそれって時間の無駄でしょ?あとなんとなく理解とかね。大枠をなんとなく理解して、あたかも自分は読んだっていう風に衒学的に振舞うヤツって相当いるじゃない?で、その人が俺みたいな暇人だったら分かるんだけど、そこそこ仕事もやってて人との交際なんかもやってる人が大量の本を読んだかのように振舞ってたりすると相当眉唾なんだよね。そんだけ読んでたらふつー他のことをやってる暇なんて無いぐらい読書に時間をかけないと成り立たないでしょ?って思っちゃう。だからこういう人がいると「全部の知識が表面的で入門書レベルなのだな」って勝手に想定しちゃうんだけどね。入門書を大量に読んで、あたかもオリジナルを読んだかのように振舞うことだったら、暇人じゃなくてもできるからね。オリジナルを読むことがそこまで重要だとは思えないんだけど、でもやっぱ大枠だけの理解じゃダメだろーって思っちゃうんだよね。だから思想とかに足を突っ込むと時間がいくらあっても足りないわけ。そこを何らかのエクスキューズで誤魔化すことはしたくないのね。俺。だから今は特に英語の本は分からないのが多くても、続けてればいつかは理解できるようになるだろうって思ってて、だから自分の読書を今までのように何よりも重要なものとして考えていくわけで、それを思うと学校なんて本当にどうでもいいんだよね。俺の読書の時間に比べるとただの雑務だよ。あんなもの。だから一生懸命になれないわけ。で、ヘルスでDとか取っちゃうんだけどね。でもまぁいいんだ。興味ないことと意味無いことは一切やらない主義だから。あとこっちで読書をするってのもいいね。紀伊国屋で買うと高いから、紀伊国屋とかジャックで買うのは新書とか文庫ばっかで、日本語でハードカバーで出てそうな、あんまその辺に売ってないか、売ってても高そうなやつは全部英語で買ってるのね。英語だと一気に手に入るのが多いし経済的にいいんだけど、英語レベルが低くて読めないっていうね。でも他の選択肢が無いから英語で読むしかないんで、頑張らなきゃっていう、そういう動機付けが出てくるわけ。これもまぁ昨日書いたような読書システムの一つだね。んじゃあ俺って学校行かなくていいんじゃない?とかって思ったんだよね。こないだ。別に自分で本読んでればいいわけでさ、学校行ってやっつけ仕事をこなす必要ってないよなとかって思っちゃった。まぁこっちでやっていくには大学出ないといけないんで、まぁそういうあれもあってまぁ当然辞めるわけにはいかないんだけどね。哲学のクラスの先生も哲学を勉強するには自分で本を読むことだって言ってたもんな。哲学とか思想って大学行ってやるようなもんじゃないよね。はっきりいって。だからこの先生の俺へのアドバイスって「Keep reading」だったからね。ってことは今の生活を続けてればいいわけかって話でさ、大学行く必要ないんだよね。まぁいいや。話がこんがらがってきたから今日はこの辺で。

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

↑こういうのって探せばいくらでもあるんだよね。大学行かなくても著名人の講義っつーかトークなんていくらでもネットで聞けるんだよね。あとpod castとかも物凄い量あるし、なんつーか昔みたいな「あの大学に行けばあの教授の授業を聞ける!」みたいな貴重性みたいなのが情報化によって薄らいできてるわけよね。そのうち通信教育なんてのがもっとメジャーになると思うね。それこそ授業を動画で配信するみたいなさ、まぁ学歴とかをそれで取れるかどうかは別としてっつーのは、ようは世界中からアクセスがあっても、世界中から宿題を集めたりレポートを集めたりは出来ないじゃない?そういう意味でまぁ大学は学歴装置として機能するんだけど、根本的な学問という意味だと、ネット化が進めば、それこそ講義なんていくらでもネットで聴けるようになると思うんだよね。それこそ生徒側としても有利だよね。ノートを必死に取らなくても講義がデータになってるんで、いつでも見返すことが出来るし、いつでも要点をチェックしなおすことができるし、自分の好きなときに講義を見れるわけで、スケジュール的な難点も克服されるしね。夜中にしか勉強できない人も夜中に講義のデータを再生すればいいわけでさ、まぁそのうちそうなってくるとは思うけどね。やる気のある人だったらこんな方法でいくらでも勉強できるよね。ただ強制力が働くシステムとしての大学というのはレイジーなやつらには永久的に有効だよね。やることを具体的に与えられるってのは主体性のないやつにとっては最高のことでしょ?だから学校で良い成績を取り過ぎるやつって馬鹿が多いわけ。主体性があったら学校で与えられた勉強なんてやってられないはずだからね。逆にこの辺を理解してる大学の先生が多かったらいいんだけど、今のところまぁ俺の勝手な印象だけど、まぁコミカレだけど、やっぱあれね、宿題を一生懸命やってくるとか、テストをしっかりやるとか、そんなのばっかに重点を置いてる先生が本当に多いね。凡人エリートってこういう先生になるんだよね。学校で「優」だった人が先生になるとこういうことになる。だから学校を変えていけるのってアウトローしかいないし、それはまぁ社会にも言えることだけどね。日本ではポピュリズム的な要素があるのかもしれないけど、映画監督が大学の教授もやってたりさ、ジャーナリストが教授やってたりね、こういうのは凄くいいね。職業的教師というのは本当にダメなのが多いから、もっと実践的な人材を教育に使っていくべきだね。宿題をやってくることがいいことだなんて信じてる教師は残念ながら本当に馬鹿だと思うな。そう思うと大学のシステムって学問と両立しないように出来てるんだよね。マジで学問やろうと思ったら独学か、良い師匠につくことが一番だからね。