地元に帰国完了。

mimisemi2008-09-03

いやぁーまぁようやく地元に帰ってきたわけだけど、帰ってきた日はまぁ疲労のせいだろうけど凄く悲しくなっちゃってね。家に帰った途端「着いたぁー!」ってよりかは物凄い喪失感というかなんというか。家族とか親戚とか友達がすげー恋しくなったりしちゃったんだけどね、まぁ寝たら大丈夫だった。で、まぁあんま心配してなかった時差ぼけが結構ヒドくてさ、寝る時間っつーか眠くなる時間がランダムなのね。あ、ちなみにJordan Ringsを探しにいったんだけど、予想通りどこにもなかったね。恐るべし!ジョーダンの需要!で、ジョーダン探しに行った日なんかもさ、グッスリ寝たから大丈夫だろうとかって思ってたんだけど、夕方の5時ぐらいにすげー眠くなってきたりして、なんかずーっと気分が悪かったね。


あ、でもさ、あれなのよ、着いた日にやっぱこっちがいいなぁーって思ったのは家に向かう地下鉄でターバンのおっさんっつーかおじいちゃんに「丈夫そうなスーツケースだねー」とか言われてさ、スーツケースをコンコン叩いてくるのよ。で、「日本製なんですよー」みたいなありふれた会話がありつつ、なんつーか地下鉄でこういう見知らぬおっさんといきなり会話が始まるとか
ディープキスをしているカップルがいるとかなんとかさ、やっぱ自由の匂いがするよね。アメリカっつーかニューヨーク。で、本がビッシリ入ったスーツケースを持ちながら階段を上ってたらさ、「おいおい!ちょっと待ってろ!おーい!ちょっと来いよぉー!」なんて言ってるギャングっぽい兄ちゃんがいてさ、で、チンピラ仲間みたいなのを呼んでスーツケースを運んでくれたんだよね。地下鉄の階段で。「家はどこなんだ?送って行ってやろうか?」なんて言われたんだけど、まぁいやらしい話、お金とか要求されたらたまんないから「いんやーバスに乗るから大丈夫だよ」とか言いつつ礼をしたんだけどさ、これまたやっぱこっちっていいよなぁーって思っちゃったよね。まぁ疲れてたけどね。で、ウケるのがさ、バス待ってたらね、なんか俺の前に車が止まるわけ。で、クラクションを鳴らしてるわけ。まぁここってよく迎えに来る人がいるっつーかさ、まぁ俺に迎えが来るわけないんで無視してたらその車が行っちゃったんだけど、運転手みたらさっきのターバンのおっさんなのね。家まで送ってくれるつもりだったのかな?とか思いつつさ、まぁこれまたいやらしい話だがお金を要求されたりしたらたまらないので気は抜けないんだけどね、で、気を取り直してバス停で待ってたら同じバスを待ってたおばあさんから「頑丈そうなスーツケースね。汚いけど」なんて言われたりさ、なんかあれなんだよね、他人から話しかけられるわけがない国から話しかけられる国に行くとそのギャップが凄いんだよね。なんつーか気分的に街が総出で俺を迎えてくれてるような感じがしたよね。俺をじろじろ見てくる日本とはえらい違いだよ。


そんなこんなでまぁ時差があったり疲れが抜けなかったりしてさ、また変な時間に寝たりしてたんで今日は起きれなくてさ、3時半からのクラスに行けなかったんだよね。バスに乗ったのが授業が始まった時刻だったからっつーかただですら最初の日を休んでるのにいきなり二日もアブセントなんてマズいよなぁーとか思いつつまぁフレンチの授業には出たんだけど、まぁーそのレベルの低さに唖然としたね。それこそNOVAレベルっつーか、ボンジュール!ボンソワー!なんつーレベルでさ、そんな意味の無い挨拶とか決まり文句を定型文みたいな形でやっててさ、こんなんじゃフランス語マスターするまでには人生が終わっちまうよって感じだったんだけど、クラスのレベルもまぁコミカレだから低いんだよね。「ボンソワー!」なんて騒いでるやつとかさ、楽しそうにくだらない質問を先生にぶつけまくってるやつとかさ、もうクラスが幼稚園レベルなの。先生もまぁなんとなくどうしようもない感じなんだけど、クラスもどうしようもないんで、こりゃー酷いなぁーって感じだったね。もっと言語学的なクラスを想定してたのに、なんつーか英会話ならぬ仏会話学校レベルなんだもん。一応大学だからさ、理論的に英語とフランス語との関連性とかそれこそフランス哲学の得意な差異を説明するだとかさ、まぁこういうのをやったほうがっつーかやらないと言語なんてダメなんだと思うんだけど、なんの基礎も無いままたださ、「こんちには」とか「こんばんわ」とか「元気?」とか「あなたに会えて嬉しいです」とかそんなのをやるレベルなんだもん。これはまじめにやりたかったら自主的にやるしかないなって感じだね。クラスのレベルのままやってたら全く上達しない。ホント、レベルが英会話教室だから。まぁ思うに日本の英語教育も似たようなもんなんだけどね。


それにしてもまぁ修復して白い糊が見えまくってるJumpmanだけどすげーチェックされたね。こっちのストリート系のやつってすげースニーカーをチェックしてくるからさ、こんな骨董品を履いてるやつなんていないから珍しかったんだろうね。美術館の美術品を見るような感じで見てたやつもいるし。まぁ目立ちたくて履いてるわけじゃないんだけど、まぁ直した甲斐があったなという感じ。ヴェブレン的修復ですね。


まぁーそんな感じで今日は学校の行きは本当に酷い気分だったけど、まぁ他のドリンクに比べてカフェインが比較的多く入ってるマウンテンデューを飲んだら若干復活したんだけど、まぁ最初のスピーチのクラスは出なかったから、次のクラスまで時間があったんで、図書室で仮眠を取ったんだよね。そしたらまぁ幾分気分もマシになったかなと。それにしてもまぁフランス語のクラスは凄いね。割とちゃんとしている女の子が授業の途中でさ「ちょっと!みんな静かにしてよね!先生が言っていることが聞こえないのよ!私は自分で学費を払ってここに来ているの!だから
何かを学ばないといけないのよ!」なんてキレてたからね。みんなっつってもまぁー騒いでるやつらって決まってるんだけど、それにしてもまぁガヤガヤしたクラスなんだよな。まぁ学べるものは少なそうだけど、いい気分転換になるっつーかユルユルで緊張しなくていいっつーことを考えると気が楽かな。そういう意味だと最初の社会学のクラスなんて地獄だったからね。先生はリベラルなんだけど、すんげーファシスト的っつーかさ、日野第八小学校思い出しちゃったもん。まぁ慣れたら大丈夫だったんだけどね。


ところで今の家はまぁ大家の家の様子がマル分かりで気が散るっつーのはあるんだけど、四六時中じゃないし、耳栓してればいいし、なによりね、部屋が暗いでしょ。だから前にも書いたけど
読書には最適なんだよね。外界からの情報を完全に遮断しつつさ、部屋の電気はつけずに枕元にあるピンライトみたいな読書用の小さいライトで本を読んだりしてるんだけど、これがまぁいいんだなぁー。もうひたすら没頭できる感じでさ、これを軸にすべてを考えればすべてが許されるみたいな、そんぐらい凄いのね。これ。住み始めてからもまぁこの家での読書感は本当に気に入っていたけど、なんつーか改めて凄いなって思ったね。キッチンはシェアだけどルームメイトがいないっつーのは本当にいいね。これでキッチンすらもシェアじゃなくて、完全に隔離されたアパートみたいな場所だったら俺はもう外に出なくなるかもしれない。


で、若干虚言癖のある元相方が送別会の時に「俺、だって一日13時間とか本読んでるよー」なんて言ってたんでさ、なんかこれがすげー気になっててさ、で、帰ってきたしいい機会なんで実験してみたのよ。13時間読書。まぁそのおかげで寝る時間がバラバラになっちゃって、クラスをミスっちゃったんだけどね。まぁ実質はなんだろうな、朝の9時ぐらいからその日は夜の6時ぐらいまでまぁ若干の休みを挟みつつ読んでたりして、で、疲れたのか時差なのか6時にすんげー睡魔が来たんで寝ちゃってさ、んで起きたのが12時ぐらいで、んでまたそっから朝の5時ぐらいまで本を読んでたから、これを一日って考えてみるとまぁ一応十三時間だよね。十四時間か?で、感想はっていうと「目が疲れる」ですね。目が赤くなります。異常に。これもあってか余計眠くなったんだと思うんだよね。睡眠って記憶を整理するためにあるらしいから、情報の処理の量が半端じゃなかったんだろうね。で、結論から言うとまぁ無理だろうなってことですね。元相方は何もかも誇張して言う癖があるような気がするんで、おそらく元相方の読書の最長時間が13時間なんであって、普段は無理だろうなっていう。だって学校あるだろうしバイトあるだろうし物理的に無理よ。今の俺ですら無理なんだから元相方にはもっと無理。まぁでもあれだな、ホント、新書3冊とハードカバー2冊ぐらいは読破したかな。この日に。でもなんか気分的に一日ずーっとぶっ通しで映画見てたような気分でさ、一個一個がかなり曖昧なんだよね。記憶が。まぁ本の内容なんてほとんど忘れるんだろうけど、映画にしても一日3本ぐらいが限界じゃない?それ以上になるとごっちゃになるよね。あ、ハードカバー2冊っつーのは嘘だった。量にするとそんぐらいってことで、実際はいろんな本を100ページぐらいつまみ読みした感じね。まぁ合計1000ページ以上は余裕で読んだと思うけど、13時間読書をしてみて思ったのはまぁ読書ってのは時間の長さとか量じゃないなっていう感じね。短時間でもその本に凄まじく集中して時間も忘れて読むってぐらいの読書における強度が確保できて凄まじく内容と頭がシンクロしてたらいいんだけど、それも無しにただ活字を読んでるだけじゃ意味ないなっていうね。まぁ13時間ずーっとまぁ時間を忘れてて強度はあったと思うけど、俺としては一個の本に集中して、で、それが途切れたら頭の中で内容を復唱したり考察してみるっていうほうが実質的な読書の質は高まるんじゃないかな?って気がしたね。ぶっ続けよりかは、ちょっとぐらいインターバルがあったほうがいい。


で、ボーっっと考えてみたりする時間があったほうがいいね。ホント、活字の奴隷になるなんて師匠1ではないが、ただの受動体だよね。これって造語だと思うんだけど。そこにコミットしている能動体が無いと読書ってパッシヴに見ているテレビとかと本当に変わらなくなっちゃう。逆に積極的にコミットしていければ量とか時間なんてどうでもよくなると思うんだよね。その結果、13時間ぐらいずーっと読んでたなってことになるだけで、それはただの結果にすぎないんだよね。んーそういう意味で元相方はどうなんだろうか?彼は視力は俺ほど悪くないし、13時間も本を読んでたら視力は俺みたいになると思うんだよね。だって13時間読んでない俺ですらアメリカに来てからの読書習慣で視力が凄まじく落ちたんだから。俺の視力って0.01とかだからね。眼鏡してないと歩いちゃダメっていうレベル。これは別に読書した勲章とかじゃなくて、さっき書いたような読書の結果なんであって、これ自体はどうでもいいことなんだよね。でも変な話これは結構合ってると思うよ。読書ばっかしてる人は目は悪いと思う。


あ、あとね、気になってたPitaとZ'evのライブ盤買ったんだけど内容は微妙だったな。基本的にKTLのメタルパーカッション版って感じでさ、Pitaがドローンとか電子音を出してZ'evがただひたすらメタルパーカッションを叩きまくるってだけで、まぁ特に目新しいことは無いんだよね。で、Pitaの出してる音がこれまたしょーもない感じなんだよね。KTLの場合、あの微妙なバランスが良かったんだけど、これの場合、Z'evのオマケがPitaみたいな感じでさ、で、Pitaの出しているリズミカルな電子音に触発されたかのごとくZ'evがそれに合わせたかのようにメタルパーカッションを叩くところなんて最高にかっこ悪いんだよね。でもこの不毛さが俺は好きなんだけどね。「なんで?」っていうさ、例えばメルツのアナログ期とZ'evとかだったら大いに意味があるっつーか、すんげー相性が良さそうだし、実際やったのかもしれないけど、ラップトップとメタルパーカッションって相当不毛だよね。


ところでMegoでコラボと言えばやっぱHeckerと刀根康尚のやつでしょう。これはおそらく刀根康尚のサウンドソースをHeckerが編集したって感じだと思うんだけど、まぁ本当に相性の良いコラボっつーかね、Heckerのトリートメントによって刀根康尚の音もさらに良くなってるんじゃないの?っていうような感じなんだけど、まぁでもあれだけどね、バイナリをサウンドで出力してるノイズなんで良いも何も無いだろうって感じはするんだけど。でもホント、この手法って刀根康尚がオリジンなんだよね。一時期ラップトップノイズとかいってさ、このバイナリをノイズとして使うようなのが流行ったじゃない?まぁ波形編集ソフトがある人はやってみるといいけど、例えば容量が多めのシステムファイルなんかを波形として読み込んでみるとホワイトノイズになったりグリッチノイズみたいになったりするのね。まぁこれが刀根康尚の手法なんだけど。刀根康尚の場合は万葉集やら詩経やらの漢字をメタシンセみたいな画像を音で再生するみたいなファンクションを持ったソフトで再生したり、あとはまぁ万葉集のデータをバイナリとしてCDに書き込んで、んでそれにテープを貼ってランダムなスキップノイズとバイナリのノイズを重ね合わせるみたいな感じなんだけど、カルちゃんとあともう一人名前忘れたやつがやってたDatestreamってやつあるよね。ORから出てたやつ。CDRだったかな?まぁ聞いたことないんだけど、Wordファイルをバイナリデータとして読み込んだ音ってことらしいんだけど、これってすんげー観念的な音楽だよね。例えばヘーゲルの大論理学のテキストデータをバイナリとして読み込んで出力すればその出力されたランダムなノイズはヘーゲルの思想であるみたいなさ、刀根康尚のコンセプトがそうかどうかは分からないんだけど、出てるのはただのノイズだからね。だから俺はこれを聞いて思ったんだけど、ズリネタをバイナリで読み込んだノイズは俺のズリネタノイズじゃないかってことなんだよね。昔、そう思って実行したことがあったんだけど、画像ファイルとかって軽すぎてノイズストリームにならないのね。まぁズリネタ画像をメタシンセみたいなので再生しちゃえばいいんだけど、同じようなのをアトウタナカがやってたね。あれ。あの真ん中のボッチが出ない。ことえりだと。あの真ん中の点よ。外人の名前とかの間にある名字と名前を分けるボッチ。まぁいいや。アトウのは荒木の緊縛写真だったと思うんだけど、これまた観念的だよね。こういうのって嫌いじゃないんだけど、完全に現代思想入ってるよね。ガチガチに凝り固まった観念的で哲学的なコンセプトによる音楽って嫌いじゃないけど、まぁでもどうかな?とは思うね。俺は好きだけど、そういうのを享受している自分に気持ち悪くなったりしたりもするね。こういったことに関する鋭い批判がAmazon刀根康尚のCDのレビューにあったんでよろしかったらどうぞ。あ、勝手に引用しちゃおうか。

7 of 7 people found the following review helpful:
Thought-provoking, but not entirely successful artistically, June 26, 2008 By Steward Willons


I put off reviewing Yasuano Tone's infamous "Solo for Wounded CD" for a long time for a number of reasons. First of all, it's not the sort of music that you can hear and immediately connect with on a meaningful level. It requires some thought and revisitation over a period of time. Second, it has taken me some time to research Tone and his aesthetic goals, which is absolutely necessary, as this CD functions as much as conceptual art as it does musical art, if not more so. Unfortunately, after doing the above, the only conclusion I've drawn is that I am still undecided and will likely remain so.


Tone's roots are in the Fluxus movement that he helped to start, and this provides the primary key to unlocking the deeper meaning of "Solo." Tone is interested in surrendering a measure of control to a system he cannot precisely manipulate. In an interview with turntablist Christian Marclay, Tone notes the difference between vinyl and CD. Where you can, with practice, see the grooves on a record and drop the stylus with precision, you cannot do this with a CD player. You can manually control the tone arm on a record player, but you can open up your CD player and drag the laser around. Even if you could, the grooves on a CD are so dense that only the most relative of positioning would be possible. Thus, Tone sees a malfunctioning CD player as a "de-controlled" (his term) performance.


This is all well and good, and it's thoroughly precedented in the music of John Cage. Think of Cage's "Imaginary Landscape No. 4" for 12 radios: the performers control tuning and volume, but they cannot control what comes over the air waves. Cage was fascinated with the idea of controlled chaos, as were many of his Fluxus collaborators. Here we arrive at a key difference. Radio is, I think, a medium better suited for this sort of goal. One will never be able to control the content on the radio at any given time, but one will always be responsible for the content on a CD. It doesn't really matter if it's all Tone's composition or a collage or what. Once the CD is recorded, it can't change.

Since the fundamental recording can't change, it becomes an important element. Again, Cage skillfully avoided this issue by using the medium of radio, but since Tone is working with CDs, he must deal with it. From listening, it seems that Tone uses deliberately noisy material as his base (i.e. before he "wounds" the CD). I have to question this because if something is already difficult to identify as music, how much more damage can one do to it? It's easy to tell when a CD is skipping because our listening is following certain assumptions (e.g. the V usually leads to the I, the 4/4 groove will probably continue in the next bar, the violins are building up to a cadence), but when those assumptions are useless to begin with, how can you confound them? It's a bit like dropping a guy in the middle of a foreign country, and then spinning him around until he's dizzy, just for a little added disorientation.


The use of non-traditional base material seems to weaken Tone's goal of a de-controlled performance. From his perspective, he is losing control, but from an average listening perspective, it's difficult to distinguish between lost control and simply noisy sound. Cage's music works so well because things are done to sound that we unproblematically identify as music. I cannot say the same for Tone.


Since this has all been very theoretical, maybe it's time to talk about what the music actually sounds like. If I wasn't fascinated by the concepts behind it, I doubt I'd have the patience to sit through the entire CD. I love experimental music. I love noise music. I love a challenge, but the challenge must be rewarded. Simply, there are not enough interesting sounds on this disc to sustain me through its 48-minute duration. I can easily listen to a 48-minute Merzbow track, but its sounds are more interesting and more varied. Because I don't feel much musical gratification from "Solo", it leads me to think of it as a primarily conceptual work.


The thing about conceptual art is that you don't necessarily need to experience it first-hand - reading an account of it is usually sufficient. While it would be great to see Kosuth's "A Four Color Sentence" in person, I can understand its genius without seeing the actual art object. Is the same true of this CD? Now that you have a description, do you really need to hear it for yourself? I suppose I would still argue that, yes, it's important to hear it, but only as important as seeing a photograph of Kosuth's piece, as I can imagine what it would look like from a description.


Finally, there is the aspect of craft. In this sense Tone's work is very interesting. He uses a CD player from 1984, which predates the sophisticated error correction that we're used to today. It does have an error correction, but it's not nearly as powerful. Tone has experimented with actually scratching and painting on the disc, but this is evidently too much, even for his CD player. His method involves scotch tape and lots of little pin pricks. It's just enough to force his CD player to behave erratically without ceasing to function. The machine will sometimes get stuck, in which case Tone shakes it. You can hear this clearly in the music and those parts are interesting aurally, as well as conceptually. In one sense, Tone's "instrument" is totally generic, but in another sense, he can't use just anything to get these results.


I'm not sure if I can recommend this or not. On the one hand, I don't enjoy listening to the music. On the other hand, I love the discussion this CD creates, as well as the thought it encourages. While I don't find it completely successful artistically, it's an interesting catalyst for debate. If this sounds like something you're interested in, you'll probably enjoy it, to an extent. If you're on the fence, I'd probably recommend picking up some Cage or some Marclay instead, as it will be more rewarding conceptually AND musically.


引用元


http://www.amazon.com/Solo-for-Wounded-CD/dp/B000003YU8/ref=sr_1_6?ie=UTF8&s=music&qid=1220419224&sr=8-6


まぁ要約するとこういった音楽は観念的で作者の美学的観点を理解しないと理解しづらいのと、そのコンセプチュアルな出力の結果が音楽的に成功していないので音楽的にアウトってことなんだろうけど、このレビュワーが言うクリスチャンマークレーとかケージのほうがコンセプト的にも音楽的にも成功しているっていう考え方はあくまで主観だよね。あくまで観念的なものは観念的なわけでケージもマークレーも刀根も同じってことだよ。音の好き嫌いはここに委ねられるわけよね。まぁ音楽とかアートなんてそんなもんなんだろうけど、ただこのレビュワーがマークレーかケージのほうをおすすめするっつーその理由が気に食わない。だってレビュワーの主観なんだもん。もし気に入れば刀根でもいいけど、ダメだったらマークレーとかケージのほうがいいよっつーその比較が気に入らないってことね。書き忘れたけど。芸術的に成功していないっていうその理由がよく分からない。俺にとってはマークレイのほうがよっぽどつまらんからね。いや、好きだけどね。


でもね、アメリカのアマゾンって日本と違ってこういうような高度なレビューがあるから凄いよなって思うんだよね。日本のアマゾンのレビューって本当にショボくてさっぱり参考にならないのばっかでしょ。2ちゃんレベルのレビューが本当に多い。これは前に書いたアメリカと日本のネットレベルの差だと思うんだよね。ネットレベルというよりかは市民レベルなのかもしれないんだけど。

まぁいいや。ちょっとあれだわ、寝るわ。明日も学校あるし。まぁあれだね、アメ公を批判する前にまずアメ公に追いつかないとダメってことだね。なにもアメリカを目標にする必要はないんだが、日本の体たらくっぷりは酷いからね、あれじゃあ他の国を批判できないよね。だから独立も出来ない。


あ、あと書き忘れたんで書くけど、まぁあんま興味無いリアルポリティクスだけど、上履き首相が辞任したらしいね。いや、いいことだと思うよ。こういうのを機会に人々の政治不信が高まって、「ヤバくない?これ?」っていうような雰囲気がもっと蔓延するといいと思う。ここまで露骨にやられると鈍感なやつでも「ヤバいな」って思うだろうからね。でもなんかさ、「麻生さんにやってもらいたい」みたいな意見があると「あ、やっぱダメだな」とかって思っちゃうんだけど、結局それって小泉みたいな人でもいいってことでしょ。やっぱパンピーに政治は務まらないな。そんなことを言うやつの一票が一般意思として扱われるなら、そんなもんはいらない。あとね、日本にいたときにテレビタックルとか見てて思ったんだけど、リアルポリティクスの批評とかさ、論争ってほどでもないんだけど、まぁそういうのってただのトトカルチョなんだよね。競馬予想見ているような感じでさ、ホント、どーしょーもないんだよね。もっと長期的な目線でもっとシリアスに政治ってのを考えたらもう暴動とか起こってなきゃいけないレベルだよ。本当に。日本人はおとなしいから暴動とかしないって言うけど、それは政治的に鈍感なのと無知だからなんだよね。関係ないって思ってるんで誰も叫ばない。だからいつまでたっても政治が変わらないんだよ。ある意味で自民党独裁みたいになってるのも民主主義による民意によるものですからね。まぁ立派な民主主義ですこと!まだマシなアメリカに帰って来れて俺は幸せですよ。日本にいるだけで日本沈没してほしいとかって思っちゃうからね。いるだけでストレスなんだもん。あそこ。ゴメンなさいね、愚民列島のみなさん。


PS


追伸の追伸って感じだけど、Russell HaswellのSecond Live Salvageさ、なんでLPなのか分からないんだけど高過ぎだよね。28ドルとかだよ?ヘルマン・ニッチェじゃないが、ノイズマニアは限定ヴァイナルに弱いんで、高い限定版を出しても売れるだろうっつーか高い限定版のほうが売れるだろうっていうような、JNR的ノイズ商法が見え隠れしていると思うのは俺だけじゃないはずだよ。なんかその値段の高さと付加価値をヴァイナルという形でつけているのがどーも気に食わん。あと真ん中のボッチだけど/を変換すると・になりました。めでたしめでたし。


PS2


寝ようと思ったんだけど寝る前にシコろうと思ってシコったんだけど、シコった後にハズウェルのことがやっぱ気になりだしちゃってさ、で、改めて試聴してみようとか思って試聴してみたらやっぱいいんだよね。このイージーな感じがたまらん。ちなみにヴィトケンシュタインは数学の問題のことを考えながらシコってたらしいよ。アマゾンで完全防音が出来る引きこもりイアマフを買おうと思ってたんだけどベストセラーでさ、33ドルが安くなっててんで18ドルとかなんだよね。これじゃあ送料無料にならないじゃん!とかっつってハズウェルがなぜかアマゾンで売ってるんでハズウェル買えば送料無料だわ。どうしよう?防音イアマフにノイズのレコード同時注文か・・・。


http://www.boomkat.com/item.cfm?id=110277


http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B00009LI4K/ref=ord_cart_shr?%5Fencoding=UTF8&m=ATVPDKIKX0DER&v=glance