教師は評価師。その3。

mimisemi2008-10-17

はい、では続きです。


だから今の俺にとってまぁこれは去年ぐらいから英語学校に対する文句でも色々書いていたことの繰り返しになるけど、並か並以下の学校ってのは、生徒の将来に関わるグレードをつける権限を持った「教師達」が、その生徒の弱みを握っているという権力を振りかざしてナンセンスな言葉の暴力や行為の暴力を働くところなんだなと痛感しているわけです。あたかも何かを生徒にやらせるのが「良い」ことのように思考停止的に考えている教師が大勢いそうな気がするけど、それは相撲部屋の意味の無いただのいじめのしごきと同じなんであってね、しごきという手法は本来は高度なんだよ。まぁ社会学的な概念の使い方があっているかどうかは別として、しごきというのは俺はパターナリズムだと思っている。それをやることで生徒なり相撲部屋の力士は親方なり先輩を恨むようになるかもしれないけど、親方や先輩はその新米力士のためを思ってあえて非道に見えることやナンセンスに見えることをやるんだよね。それはその力士のことを考えた上で設計されているしごきという名のパターナリズムなのであって、それは育成でいじめではないんだよ。でも実際、そういう概念を理解していない馬鹿の手にかかると、それはしごきの名の下に行われるただの残虐行為なんだよね。しごきという高度な手法を使いこなしていないがために起こる方法論と目的の解離ね。これは俺の学校におけるダメ教師も全く同じ。彼らは教師であるということに一種のプライドを持っていて、彼らが生徒のグレードをつける権限を持っているのは当たり前だと思っている。だからそれを元に「やってこないと落とすぞ」とか「グレード下げるぞ」と脅して意味の無いことまでやらせるんだよね。でも本来のこういった教師の脅しもまさしくさっき書いたしごきと同じで、辛くて大変なことなんだけど、この学問をやる上ではこれはやっておかなきゃダメなんだっつー生徒のためを思った上での脅しであるべきなんだよね。


「お前らはホッブズが好きかどうかは分からないけど、ゲバルトの独占が全ての基本であるという政治学の概念を理解するにはこれを読んでおかなきゃいけないから読んでこい!読んでこなかったら落とすぞ」っつーのは優しい言葉だよね。まさしく温情主義!!こういった目的を達成するための方法として、生徒を先へと進める先導の方法論として、教師という権力を振りかざして脅すというのは有効だし、教師の脅しというのはこうあるべきなんだよ。でもね、ダメな教師は相撲部屋の意味の無いただのいじめをしごきと証するように、全く意味のないことを「お前らは学生なんだからこれをやってこい!やってこなかったらグレードを下げるぞ」っつって意味の無いことを無理矢理やらせるんだよね。だから俺がいつも言うように、こんなくだらない構造の中で上手くやって行けるやつは相当賢くて立ち回りの上手いやつか相当の馬鹿のどっちかだなってことなんだよ。前者はこういった権力的力学を全て把握した上で、むしろその状況を俯瞰しつつ自分でそれを操作するぐらいのことをやってのける。だからプロフェッサーに気に入られたりすることは朝飯目で、どんなに意味の無い暗記でもグレードのためにやってのける。後者は全くそういったことを理解せずにただ昔から教師に言われてきたように、先生が言ったことをやるというのが良いことなんだというような無条件の思考停止的な考えの元に徹底的に従属して権力者に尻尾を振るという生まれつきの犬みたいなタイプね。こういうやつが将来、その従順さを権力者なんかに気に入られて、権力をちょっと分けてもらったり次のポストに配置されたりするとタチが悪いんだー。警察とかね、軍人とかね、官僚みたいなのにこういうのが多いんだろうけど、一番タチの悪い権力者だね。権力を持っていたり振りかざすことに快楽を見いだす倒錯者達なんだよ。そういった意味だと語弊があるけどヒトラーはたちの悪い権力者ではなかった。頭の良い権力者であったし、権力の使い方も分かっていたけど、善悪の判断が彼のねじ曲がった実存に依存しすぎたために大失敗してしまったわけだよね。ただ権力者としては語弊が本当にあるけど超一流だった。彼みたいな上手い権力の使い方を善に使えれば言うことは無い。それは教師も医者も同じ。ただ現実はね・・・・。はぁぁぁぁぁぁぁぁ。辛いなぁ・・・。


だからここまで書いたから書いちゃうけど、俺の夢の一つに有機的知識人になれるぐらいの知識を得たら、そういった知識を伝達するとともに、その意味や使い方というもっと本質的なことを教えられるような人間になりたいんだよね。教師になりたいというと本当に変だし、俺みたいな気違いが教職に就いたらマズいのは分かる。でもそれが職業じゃないしても、そういったことを伝えられるような存在になれれば本当にいいなって思うんだよね。そこで教師的な権力を持たせてくれれば教えることが楽になるし、それで金ももらえるんだから何も言うことは無いってことで教職に憧れなくはないけどね。ただ俺は気違いだから無理だろう。ここで俺がディーセントな感覚を持った人間だったらある意味で理想的な教育者とか権力者になれるかもしれない。いや、権力者は言い過ぎだな。教育者止まりでいいや。でも俺は気違いだからね、その違った感覚から放たれる何かをまだ何も知らない人たちが浴びてしまうというのはかなり危険なことだよね。少なくとも生徒が「あいつはおかしい。でもちょっとおもろい」って思えるぐらいのリテラシーを持ってないとダメだね。だから条件は限られているね。


それにしてもホント、こういうダメ教師を見てて思うよ。俺にやらせてくれと。お前程度の人間が教職に就いているなら、俺にやらせてくれと。そこは教職なんて大変なことだというアプリオリとも言えなくもないものから思い込んでいたある種の神話が、今の日本を見てもそうだし、こっちのゴミカレを見ててもそうだけど、凄まじく簡単に崩壊したわけだよね。むしろ「こんなやつらでも教師が務まるのか!!!!」という驚きしか無い。だったらその敷居の低さを利用して俺にやらせてくれと本当に思ってしまう。それは前にも書いたようにしょーもないDJとかミックスを聞いてる時に俺のKing of Dicckin'をリリースさせてくれ!とかって思うのと同じね。俺のミックスの方が何百倍もいいのになぁーって思うようなミックスCDが世の中にあふれていると、その敷居の低さから、俺のミックスをCDにしたほうがよっぽどいいよって自惚れ抜きに言えるようになっちゃうわけ。


今セメスターは踏ん張り時だな。っつってさ、ダメ教師からダメグレードもらって転入すら無理でしたとかってなったら笑えるね。笑い死にしちまうよ。もっと笑い死にしちまうのは、念願の4大に入っても教師の質は基本的にはあんまり変わらなかった・・・・みたいな事実ね。そこにあるのはアヴェレージの底上げだけで、基本はあまり変わらないっつーさ、この世におけるバッソ・コンティヌオはアヴェレージの背比べみたいな悲劇的な事実が露呈するだけかもしれないね。ありえなくもないなぁー。だったら本当にちゃんとした優秀な大学に行けるだけの学力を身につけなきゃ!ってことになるんだけど、そうなると一気に敷居が高くなるんだよ。もう一気に文字通りエリートみたいな連中の中で勉強しないとダメってことになるわけでしょ?そこにいて勉強するだけならいいけど、そこにいて凄まじい数の宿題とか課題とかさ、凄まじい学費とか全部やれる気がしないもんな。学費がそんなに高くなくて別に宿題とかなんて全然出なくてようは生徒のやる気次第みたいなエリート校があったら通いたいな。そこには恐らくコミカレのような馬鹿生徒や馬鹿教師はいないか少ないだろうし、ミメーシスが起こるような凄い先生とか生徒に会える確率は高くなるよね。やっぱ俺って言ってることが矛盾してるな。凄い先生がいるところで勉強したいって言ってるのに、そういうところに行くための努力をしてないんだもん。まぁ俺がそういうところなんかに入れるわけないっつー諦めがあるからなんだけど、そこで諦めちゃうと並のしょーもない大学に行くしかなくなるわけで、それで文句を言っててもしょうがないよね。学費とか抜きにしても、とりあえず学力だけでもそれ相応にしておけば?って思うんだけど、それはまぁ普段からやってることだけどね。学科は内緒だけど普段からそういう本は読んでるわけでさ。そうなるとやはり必然的にエクリチュールと英語に行き着くな。そういう場所に行くためには凄まじい知識と英語力が必要になるわけで、だから英文での読書が必須になる。だからくだらない学校の宿題とかやってる場合じゃないってことになって、俺の行動は読書メインになる。まぁ俺なりの合理的なコミットメントなんだけど、言い逃れにしか見えないね。逆を言えばそういうところに行くためにはリアルな数字が必要なんであって、くだらないことでも数字を取らないと先には進めないよってことで学校のことに必死になるっていうやり方もあるんだけど、どうも目先のことが下らなさすぎて全くやる気が起こらないんだよね。


最後に。ぶっかけて言うと俺はこの大学に入ったことを心から後悔しています。哲学の授業とかサイコロジーの授業は良かったし、リア二千だとかなんだとかのの出会いもあって良かったけど、こういうのはまぐれだったわけで、実態は今の俺の現状ってことなんですね。だから留学とか検討している人がいたらね、日本でも勉強できそうな並のことをやるためにこっちにこないほうがいいよってことね。どうせやるんだったらちゃんとしたところで学位を取るぐらいのもんじゃないとただの時間とお金の無駄になります。もし金があったらその金を利用して英語をガンガン勉強した後にレベルの高い学校の学部に入った方がいいですね。もし凄まじい努力が出来るなら奨学金もありですね。いや、コミカレっつって一般化は出来ないけど地獄より酷いですよ。マジで。質が。まぁ運もあるけどね。でも大半はダメだって思ってた方がいいね。


俺の亡命どうなるんだろう?ダメ人間の巣窟から出られずに、オーガニック・インテレクチュアル(俺の前のタームだとイデオローグに相当する)になるという夢も果たせないまま人生が終わるのかなぁー?俺は俺でやってるからいいんだけどやっぱ外部からの干渉は辛いですよ。外部からのダメな干渉ね。で、そういうのに悩まされている自分が情けなくて惨めでしょうがなくなるんですね。こんな人間と付き合って行かないとダメな俺って何なんだろう?とかって絶望しちゃうわけね。もう最近だから鬱が酷くて・・・・。恐らく胃腸も神経性じゃないかと疑っているんだけど、まぁこの体と付き合って長いんだから、これがストレスから来ているなんつーのはもう分かりきっていることなんだけどね。カフェインでも水道水でもないんですね。


ってことでちょっと残念なことが続いておりますね。でもまぁ英語のクラスはまだ望みがあるからいいや。だってあれは俺のミスだし、俺の英語力不足に原因があるわけだから、まぁ自分でなんとかしなきゃいけないね。って自分を鼓舞していかないとやってられない。マジで。なんかもうホント、全ての原因は俺の英語力不足にあるんだなって本当に思うね。仮に俺が英語のネイティブだったら今悩んでることの大半は解決しちゃうからね。大体は俺の英語力がネックになってて先に進めなかったりそれが困難になっていたりそれが原因になって相応の場に行けなくなったりしてる。でもね、俺に活を入れてくれたあの偶然にチャイナタウンの激安食堂で会った、名前忘れたけど結構著名なね、元ハーバード大学教授の日本人の人を思い出すのね。「あんたこんな新聞すらも読めないっつって英語学校になんか行ってるのか!ダメなやつだ。あんたなんかその辺のイリーガルなペルーとかコロンビア人と変わらないよ!」「コミュニティーカレッジっていって僕もちょっと勤務したことがあるけど、あそこにいた人は生徒も教師も含めてどうしようもない人が多かったよ」「いやね、あなたはこんな風にプラプラしてるんじゃなくて学位を取って研究者になるんですよ!」「考えられますか?40代にもなって著書も何も無い人生なんて?」っつーパターナリズムを俺に炸裂してくれた教授の話知ってた?二年前の話なんだけどね。これが俺は馬鹿じゃないっていう確信を支えてくれていることであるし、すぐに諦めるようなことはしないっつー信念にも繋がっていることなんだよね。この人、経歴を聞く限り本当に凄い人なんだけどね、こんな人が俺みたいなやつに向かって「あなたは研究者になるんですよ!」って言ってくれたってことはさ、少なくとも相当な数の優秀な学生を見てきた教授の経験から言っても、まぁ素質はあるんじゃないか?って見られたってことなんだなって楽観的に解釈しているんだよね。だって仮にこの教授が本当に俺のことを馬鹿だと思ってたらこんなことは言ってくれなかったと思うんだよね。こいつは馬鹿じゃないって思ったから、こんなハードルの高い目標を俺に突きつけてきてくれたんだよね。それは長年、ハーバードを含む色々な超一流大学に勤務してきたこの教授が俺に何らかの素質を発見したから、あえて凄まじいアジテーションをしてくれたんだなって勝手に解釈してるわけね。別にハーバードだから凄いとかじゃなくて、そういう場所にいた経験豊富な教授が俺にそう言ってくれているということに何らかの可能性を感じたのね。「俺って俺が思ってるほど馬鹿じゃないのかもな」みたいなね。あの日から今も続いている英文での読書の習慣は途絶えていないわけで、俺はまだあの教授の期待を裏切ってはいないんだよ。だから俺はとりあえずやるしかないんだよね。


あーまた痛い感じになっちゃった。嫌なことがあると大体、それをぶちまけてカタルシスを感じて自分を癒すっつーサイクルがあるよね。こないだの自己カウンセリングみたいなもんだな。だから文も長い。学校のエッセイやらなきゃいけないのにこんなことやってるんだから俺。まぁーいいけどね。別に。でもやっぱ大変だよ。ダメな場所にいるダメなやつにダメ扱いされたってそれはダメなやつが言っているダメなんだからダメじゃない、みたいなヴィトケンシュタインの世界みたいな話になるんだけど、でも辛いよ。やっぱ。あそこまで否定されるとね、辛いね。それが凄い教授に「お前は何をやっとるんだ!」って言われたならいいんだけど、しょーもない人にダメ扱いされて、ゴミを見るような目つきで見られたりするとその惨めさってのが半端じゃないんだよね。そこでさ「あーやーめた。転入しょーよーお」っつって切り替えが出来ればいいんだけど、俺って嫌でもなんでもこの授業を受けなきゃいけないんだよね。もうほぼ拷問に近いものがある。この状況が凄まじくストレスフルなんだよなー。まぁ会社やらバイト先やらで苦労してる人も同じようなもんだろうけどね。自分はこんなもんじゃないんだけど、こんな会社にしか就職できなくて、んでダメな上司に理不尽なことを言われているんだけど、それに耐えないと明日から路上生活が待っているんで、それに耐えなきゃいけないっていうようなね、俺は路上生活者にはならないとは思うけど、でも日本には帰れないという意味だとまぁ崖っぷちだよね。常に。かといった背水の陣で挑む敵がゴミカレなんで崖に落ちるも敵と戦うもどちらも同じ・・・・みたいな悲観的な状況になっちゃってるわけだけども。


まぁそんな感じで今日はもう早めに寝ます。エッセイは明日早めに起きてやろう。今日はもうダメだな。朝からほとんど何も食えないんだよね。そんぐらい疲弊してるのね。精神的に。あ、んで英語の授業だけどさ、構造的には一緒ね。授業でなんにもやってなかったり映画とか見せるだけで何もしないのに「こんなエッセイを書いてこい」とかって注文してきてさ、で、出来上がったエッセイを採点したり文句を言ったりするだけなのね。フランス語もそうなんだけど、「お前らもう分かってるだろう?」みたいな前提で話が始まってるんだよね。それがどうもおかしい。まぁ高校からの地続きのネイティブから見ればどうってことないことなのかもしれないけど、地続きじゃない、ましてやまともに高校行ってない俺みたいなやつからみると凄まじい認識論的断絶がありますね。それにしてもすげーな。エッセイの添削。添削ってほどの添削もせずに「第一にこれはエッセイではなくただのパラグラフである。第二にセンテンスが分かりづらく混乱を招く。最後にお前にはチューターが必要だ」なんてのが最後に書いてあるだけなんだよ?酷いよねぇー。教師の人格が出てるね。このおっさん、全くユーモアのセンスが無くてさ、ちょっと生徒がおもしろおかしくしようとすると、そんなに怒らなくてもいいじゃん!ってぐらいシリアスに怒るんだよね。ユーモアのセンスの無さってただのインポだと思うんだよ。知的欠落だと思う。


・・・・っていう1〜3までを一気に書いたわけね。長過ぎでしょ?困ったもんだよね。で、後日談があるんだけど、それはまた今度ね。

民主主義への憎悪

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