続・教師は評価師。

mimisemi2008-10-19

後日談。プロセスはあっさりとしていました。あ、授業のドロップね。もっといろいろと文句を言われて授業を落とせないのかと思ってたら、まるで郵便局で郵便を送る時みたいなそっけない感じで手続きが済んだからちょっと逆に心配なんだけどね。ましてや俺って留学生だからさ、1セメスターに最低12だか13単位取ってないといけないからね、あ、でももう金払ってるからいいのかな。やつらは金のことしか考えてないからね。ちょっとずつ授業というよりかは授業料を払いつつ、学生ぶってバイトしたりするのを阻止するために1セメスターに取っておかなきゃいけない最低単位数ってのがあるわけだけど、まぁいいや。今はDue Processなんだろう。恐らく。推定無罪ですよ。


いやね、スピーチとフレンチを落とした後の体から漲るようなパワーは凄かったよ。というか今までの風邪とかね、体調不良とか胃腸とかさ、まぁ短絡的過ぎるかもしれないけど、ストレスだったと考えると本当に全て片付くね。自分でもそれを悟ったもん。やくざが娑婆に出た感じってこういう感じなのかなと。なんつーか凄く嫌なバイトを辞められた後の開放感みたいなのがあったね。で、すんげー体調が良くなって、気分も良くなってきた。あーもうあれだね、抑圧以外のなんでも無かったんだね。フレンチはあの無駄さ加減に嫌気が指していたけど、やっぱり問題はなんといってもスピーチのあのばばあだよな。よく書くことだけど、俺ってバッドな人のヴァイヴってのに凄く敏感なんだよ。だからバッドな人とは関係が無くても同じ部屋とか近い場所にいられない。なんかそういう嫌なものを感じる感覚的なものが鋭過ぎるんだよね。俺。だから体とかも拒否反応を起こす。で、今回もそれを我慢しすぎてホメオスタシスを崩してしまったわけだ。もうあのばばあの顔を見なくて済むと思うと、全てがまだまだ順調に進んでいるように感じられるようになったね。あのばばあのおかげで絶望という名の主観的世界観に埋没しきっていたんだね。もちろんゴミカレへの失望は消えないというよりかは計り知れないよ。でも直接的に俺の実存にまで入り込んで攻撃してくるような物体がいなくなったというのは凄く重要。授業がダメ過ぎて体調崩すっつーのも変な話だけどね。あのばばあの細かさとか神経質さとか上辺だけの態度に耐えられないっつーか、もう見るのも嫌なんだけどね。あとあの俺のブラボーなプレゼンを評価しなかったということは、俺が今後、前回ほどではないにしてもまぁそこそこのプレゼンをやったところで低いグレードをつけられるのは目に見えてるんで、スピーチは続ける理由が無いんだよね。


でもやっぱ気になるのが親だよね。うちは金があって留学してるわけじゃないから、こういうお金に関わることになると俺もそればっかりに敏感になってしまう。で、両親の許可無しに勝手にドロップしたんだけど、スカイプで2時間半ぐらいにわたって状況を説明したら理解してくれて問題が無かった。まぁ全てが俺の主観的な説明によるものだからなんだけど、いろいろと状況を話したら親も俺と同じようなことを思ったらしく、あとまぁ基本的に俺がいつもの単純な嫌々病でドロップしたというわけではないというのは死ぬほど伝わったので本当に良かった。本当に両親と話してて思うんだけど、親が馬鹿だったら何も始まらないよね。うちは両親の頭がいいんで話が全て通じるし、逆に話すたびに学ぶことがたくさんある。心から話し合えるのが渡米後も両親だけっつーのも悲しい話だけど、でもまぁ親って重要だよね。親のクオリティって凄く重要。心から話し合える人はいなくもないよ。こっちにね。


あとね、モダンアートのクラスだけどこれもまぁ酷かったね。なんかね、ペーパーの締め切りの時にWilliam Basinski事件が起きて学校に行かなかったでしょ?まぁ行かなくて良かったんだけど。でもどうやらこの日に中間試験の説明があったらしくて、俺はそれを丸々聞きそびれてたわけだよ。で、英語のクラスで同じこのモダンアートのクラスを取っている子がいるんで、英語のクラスの時に「なんかアートのクラスで宿題とかあった?」って聞いたら「明後日テストがあるのよ」なんて聞いたのが三日前でね、「えーなんじゃそりゃー!」ってことでさ、とりあえずこの女の子が中間試験についての書類をメールしてくれるっつーんでメアド教えたんだけど、そこにあるのは現実的な絶望だよね。試験の前日になってもメールは来ずに結局、試験当日はね、オープンノートテストだったんだけど、事前調査が無いと話にならないようなテストでね、俺はテスト無しでエッセイを書いたんだけど、もうこれもあれよ、ホント、ただの記憶のみ。授業でやったことをなんとなく思い出しつつそれをベースにエッセイを書き上げたわけだけど、ただですら英語で書くのも大変なのに、マテリアル無しでやるなんてさ、なんだかなぁーって感じだよね。先生も「これが中間試験についてのペーパーだけど、まぁ今頃これを読んでも助けにはならないと思うけどねぇーハハハ」なんて笑ってるんだけどさ、メール見たか?って聞いたら休暇でカナダにいたからメールは見なかったとかいって自慢するんだよ。カナダにいたんだぁーってことを笑顔で説明するんだよね。それって教師としての役割を果たしてないってことだよね?それを生徒に自慢することかな?こんなこともあろうかとペーパーは印刷したのを持ってきていたんだけど、先生がメール見てたら中間試験の範囲の話とかさ、メールでインフォームしてくれても良さそうなのに、カナダにいたから無理だったって言われてもねぇー。あるクラスメートは事務処理をする人間がハワイにいるんで処理が出来ないっつってその理由だけで
受ける必要のない英語の補習の授業を受けさせられていたからね。頭がバケーションなアメリカンには困り果てるね。どうもこの先生、モダンアートの先生ね、アングロ至上主義っぽい感じなんだよね。常に俺は馬鹿にされたような態度で接せられるんだもん。まぁ思い込みが激し過ぎるのは分かるけど、なんかね、流暢な英語を喋らなくて白人ではないっていう理由だけで軽蔑されるっつーのにどうも納得がいかないんだよね。だから俺の英語へのオブセッションは常に保たれているんだよね。やつらから馬鹿にされないように馬鹿にされないような英語を話せるようになるしか抵抗の方法はないっつーね。これは俺がいつも書くようなグローバリゼーションの対抗策として内側に籠る伝統とかナショナリズムを持ち出してくるグローバリゼーションに丸腰な連中について言うことと一緒ね。やつらに馬鹿にされたくなかったらやつらと同等かそれ以上にならないといけない。英語などの欧米の言葉がドミナントである以上、「日本語の良さ」なんてのに籠るのはグローバリゼーションに丸腰で挑むようなものなんだよ。武器は攻める時だけに必要なのではない。むしろ一番必要な時というのは守りの時だよね。


あ、話が逸れたな。まぁーね、まぁいいや。モダンアートのテストなんだけど、メール送るってた子も来てなかったし、クラス全体としても半分ぐらいしか来てなかったな。彼らはどうするんだろう?受けてないやつもいるんだから受けた俺はまだマシだろうとかって考える自分が、部落の人と自分の極貧生活を比べて自分はマシだって思うような、下部にネガティブなものを押し込めるような考え方と似ていて凄く嫌。本当に石原は最低なやつだな。なぜかうちの父とかおばさんとかが石原を支持してたりしてね、なんだか微妙だね。俺って勝手な反逆児だからね。親が共産党員とかそんなんじゃなくて、勝手に一人でレジスタンスやってるわけだから。これこそまぁアウトノミアのプロセスの一環なんだけどね。構造的な抑圧に抗うことこそ政治なんだよね。最近お気に入りのランシエール先生がそういってました。そうだよ!俺にとっての先生ってのは学校のアホ共じゃなくて世界の思想家達でしょ?書物という間接的なもので授業を受けているわけだからさ、そういう意味だと別にゴミカレに絶望する必要はないんだけどね。俺の本来の勉強は読書で、他はただの生きるための方法なんだからね。だからやっぱ読書に時間を割いて、学校の勉強なんていうくだらないものには時間をかけずに最低限の努力でこなすっていうのは基本的にあってるよね。俺って最近原点を失ってた気がするな。あのばばあのおかげで。


あ、んで何を書こうとしたんだっけか?あ、スカイプで親と話してても親が言うにやっぱ俺の喋りは酷いらしいよ。もうとにかく喋りすぎているらしい。だから2時間半とかになるわけだよね。ウォール伝を見ても分かるように、俺の出力は基本的に脳内のキャパを超えていると思う。いや、逆だったらいいのにな。出力のキャパが脳に追いついてないぐらいだとかっこいいのになぁー。いや、でも脳内から出力してるわけだから、出力がキャパを超えることはありえないよね。でも出力そのものがデリダじゃないけど、パロールなりエクリチュールとして散種されたらもうそれはそれら自体が有機的な存在になるわけで、ある意味でまぁ脳内のキャパを超える可能性もあるよね。まぁそんな話はどうでもいいんだよ。いや、あまりに精神的に疲弊しきっていたからホメオスタシスを保つためにゲームを買ってきた。最近全然金を使わなくなった俺だけど、久々にお金を使ったな。買ったのはサイレンとロマサガFatal Frameっつー刻命館のスタッフが作ったやつとっつーかこのFatal Frameシリーズってアメリカで人気があるらしいよ。ベストホラーゲームの2位になっていたらしい。ちなみに一位は言わずもがなのサイレントヒルだそうだ。で、残りの一本というのがサイレントヒルのオリジンってやつね。弁当じゃないほうね。一応、昔からやってきたシリーズってのはとりあえずやりたくなるよね。バイオとかもそうだもん。あんま興味なくてもやってきたゲームだからやるみたいな変な動機がある。まぁベロニカは買ってきてクリアしてないけどね。もうバイオ的な枠組みに飽きたっつーか。サイレントヒルもボチボチヤバいんじゃないか?と思うんだけど、どうなんだろ?Fatal Frameはちょっとやってみたけど思ったより怖くなかったな。怖いというよりかはあの雰囲気はもう大好きね。基本的に俺って恐がりだけど霊的なものって昔から大好きだし、基本的にオカルト大好きの根暗ですからね。あとロマサガ。これちょー感動。子供の頃の思い出補正みたいなのがかかって、単純にドット絵だったキャラが喋るだとか、マップが3Dだとかっていうのに単純に感動。ミストの3Dやって感動してるようなもんかな。いや、それより差はデカいよね。これって完全に思い出補正なんだよね。ゲーム自体はふつーだけどさ、当時のロマサガをやってた俺の記憶がprovokeされるわけじゃない?これはあれだよね、うちの親父がアースとか今でも聞くとウキウキするのが単純に当時、ディスコに通っていたイケてた自分を思い出すからだよね。あとはカーペンターズのカバーとかを聞いて当時を思い出しながら現代的なアレンジに心酔するようなもんだよね。ようはノスタルジーだよ。こないだ書いた少年愛の鏡像的構造と同じ。当時の風景を現代のそれに投影してノスタルジーっつー観念の世界に浸っているわけよね。まぁちょっと悲しくもあるよね。ジジ臭いっつーか、俺も歳だなって思うよね。今後はもっとノスタルジーが増えるんだろうなぁー。Shy FXのOriginal Nattahぐらい頻繁に焼き増しされまくってたらノスタルジーもクソも無くなるんだけどね。過度な生産性はノスタルジーすらも消すわけですね。恐るべき!資本主義!


ただアルベルトで始めたのはいいんだけど、ムフじゃなくてあのマッチョな女いるじゃない?あの南の洞窟のボスが倒せなくてなんかやる気なくしたねっつーかオリジナルってもっと成長が早かった気がするんだよな。もうガンガンパラメーターあがってたでしょ?PS2のやつって全然上がらないのね。だから進まない。進まないと言えばデジタルデビルサーガクリアしましたよ!っつーかこれって本当に2本で一本だよね。恐らくペルソナで分割商法に目覚めたアトラスもまた資本主義に魂を売った会社の一つと成り果てたわけですね。ゲーム自体はそれほど悪くないのに、足りないゲーム時間を補うための過度のエンカウントと長いダンジョンが質を下げているよね。メーカーってもっとこういうところに敏感であるべきだと思う。だってさ、ユーザーってそれほど馬鹿じゃないよ?エンカウント率を上げることでゲーム時間を稼いで一つのゲームの2分割するなんてさ、そんなの誰でも分かりますよ。だからせっかくそこまで悪くない1つの物語が分割商法によって良さも半減しちゃってるんだよね。アトラスは自分にラクンダとかかけ続けてる感じだよね。そういう意味だとやっぱFF7とかっつーかFF7以前のFFとかは当時は当たり前にやってたけど、今のRPGと比較すると余計に彼らの素晴らしさが際立つね。だから俺ぐらいの世代のゲーマーって評価基準が高いんだよ。俺みたいな世代のゲーマーはこういう2流のゲームで満足する人たちをゆとりゲーマーとかいって馬鹿にするけど、確かにそれは分からなくもないんだけどさ、やっぱ俺らぐらいの世代のゲーマーってゲームの黄金期を当たり前のもののように浴び続けてきたからさ、今のやつにクオリティの低さを感じるのはしょうがないことだよね。特にRPGは顕著だな。90年代中盤ぐらいがRPGの黄金期だったな。所謂、神ゲーの類が多かった。それに比べて今のやつは見た目だけ良くなって中身がないようなのが本当に多いよね。デビルサーガはメガテンの範疇で捉えるとライドウと同じぐらいっつーかメガテンシリーズにふさわしくないクオリティだけど、単体のゲームとして考えればどちらも悪くないんだよ。ただサーガに限って言えばあの2つが1つか二枚組の一つの商品として発売されてね、
しかもエンカウント率とかもディーセントな感じだったらメガテンゲームの殿堂入りを果たしてたと思うんだよ。こんな馬鹿な資本主義に魂を売るようなことをするからゲームの質そのものを下げちゃった。もったいないよね。でもなぁー最後はちょっとねぇー。日本ってタマゴ警察みたいな殉職で感動するっつー根強い風潮があるからねぇー、ガンガン人が死んでいくので涙を誘うっつーのがどうも好きになれないんだよなぁー。カミカゼに美学を感じるなんつーか滅びの美学みたいなのを日本人っつーのは伝統的に持っているよね。だから切腹だとかなんだとかさ、死に関することでもその人の尊厳だとか死の美学みたいなのを凄く重要視するよね。アメリカがヒーローものを好むように日本人は殉職ものを好むんだろうな。こんなステレオタイプなことを言ってたらマーク・トゥエインが怒りそうだけど。


でもあのコンセプトは好きだったな。全てはデータの産物であるっつーのはスピノザ的だよね。全ては神の御心に人類の存在がかかっていて、その神なる存在に自分達の魂をデータとして神の居場所である太陽に送り込んで神を説得するっつーのはさ、メガテンに一環して流れる超越的なものにメシアが触れることで世界が救われるというか、崩壊した世界でもその世界そのものは破壊されずに済むみたいなね、まぁここにはメガテンを感じたんで良かったかな。ただまぁー流れ的にはイマイチだったけどね。連載漫画みたいなもんでさ、1終わった時には筋書きが書かれてなくて、んで2で無理矢理終わらせた感じだったもんな。俺は1を始めた時にニルヴァーナにあのメガテン2のダレスだかギメルだかあの仮想の千年王国を築いてるやつがいたじゃない?で、ニルヴァーナってのはそういう仮想世界が具現化したもので、現実に疲弊した主人公達が自分たちの呪われた体から解放されるためにニルヴァーナに行くんだけど、そこにあるのはただの思念により作られた仮想世界で、「こんなものは現実じゃない!現実はここにあるんだぁー!」とか言いながら千年王国を守っている大天使みたいなのと大戦争を繰り広げるのかな?
とかって思ってたわけ。悪魔と天使が闘っているんだけど、実際の天使はその悪魔達だったみたいなね、そういう筋書きかと思ってたら、まぁ大枠はちょい似てたかもしれないけど、まぁ結構いろいろと違ったね。ただメガテン的なパラダイムで物語が進行していたんでまぁ許せたかなっつー。それにしても2のさ、あのボスの手前のやつとか強すぎでしょ?メガテン系って大体そうなんだよね。事前にある特定の対策をしておかないとほぼ倒すのが無理みたいなボスが多いんだけど、そういうのって隠しボスとかだったら分かるんだけど、サーガ2の場合、それが普通のストーリーにまで浸食してきちゃってる感じがしてちょっと萎えたな。ボスの手前のやつなんてさ、まず電撃吸収がないと話にならないし、あとあのPower Breakだかっつー溜めるやつとMega Damageを与える必殺技プラスクリティカルとかでやってかないとダメなんだもんね。あと物理耐性とかほぼ必須だし。最後のボスもそうね。全属性の吸収が必須で、なおかつデカジャやデクンダがほぼ必須でさ、攻撃が間に合わないんで、溜め物理必殺クリティカルか溜めLast wordとかさ、ある程度やり方が決まっちゃってるのが萎えるよね。で、Dual Ringを装備させてね。その溜めキャラに。RPGの達成度ってボスを倒す方法論じゃなくて、今まで自分がカスタマイズして強くしてきたキャラが強いボスに勝つということなわけでさ、ある程度、ボスを倒すやり方が決まりきってるやつって好きじゃないね。FF5の全てを知るものみたいなさ、ああいうのがストーリーの中に一つや二ついるぐらいならいいんだよ。あとは隠しボスみたいなやつは強さがいくらでも法外でもいい。でもストーリー上のボスはやっぱりね、純粋なパーティーの強さで倒せるべきだと思うんだよね。いちいち特定のスキルを入れ替えるとか覚えて倒すボスってそれってただの方法で倒してるわけで、キャラの強さとかじゃないよね?そこが萎えるんだよね。


まぁでもいいや。あ、んでも最後の合体後のサーフだかセルフだかの悪魔変身後のダサさとか考えられなかったけどね。ライディーンウルトラマンみたいな感じだったもんな。しかもさ、悪魔とかも全部メガテン3からの引き継ぎだもんね。KOFとかもそうだけど全然書き直ししないんだもん。なんか金子さんが悪者のように思えてくるね。KOFはさすがにクレームが来て書き直ししたらしいけどね。最近。でもRPGって一旦アーキテクチャを構築させちゃうと結構楽だよね。それで成功しちゃうとさ、スライムとはぐれメタルみたいなのはもう定番キャラクターとしているわけで、新しいモンスターとか作る必要ないんだもんね。それにしてもサーガは主人公達の悪魔がどれもこれもかっこわるいね。なんか下手なアメコミみたいなデザインなんだもんな。Capcom VS Marvelousとかに参戦できそうな感じだもんね。サーガは本当に勿体ないところが多過ぎるな。基盤は悪くないのに。


あとあれさ、デジタルデビルストーリーっつーかデビルサマナーか。あの葛葉の元祖のやつ。レイとかがブサイクなやつね。あのさ、葛葉の最初のタロットのやつとか最高にかっこいいじゃない?あれリメイクしてほしいよねっつーかリメイクあるんだよね。媒体が何だったか忘れたけど。メガテン系の良さって程よいリアリズムなんだよね。普通に場所が新宿とか渋谷とかでさ、そういうところに悪魔が出てきたり、変な研究所とかがあったりしてね、で、そこから徐々に超越的な存在へと近づくっつーのがね、日本におけるハレとケみたいなのを表してると思うんだよね。神々は超越的なものなんだけど極めて土着的に自分達の周りに存在しているみたいな汎神論的世界観が凄くいいよね。俺が神社マニアだったりするのもメガテンの影響だからね。メガテンやるともろに日本の八百万の神みたいなのを日常的なものに感じるようになるんだよね。まさにDistribution of Sensoryですね。こういう話が出来る友達がいないから俺は書くしかない。でもこんな話を出来る友達なんているわけがない。何しろ話題がマニアック過ぎる。まぁだから一人でいいんだけどね。別に。結局一人が一番楽しいな。こんな風に嫌なことを忘れてというかちょっと解決してリラックスしながら趣味的なことばかり考えているときが一番楽しいね。その趣味的な思考の素材として俺は本を読むんだよね。だから基本は学問というか趣味。学問というのはただの言いがかりというか、大げさな言い方だね。社会的サンクションを得るためのパロールのマジックです。


こういう安易な哲学用語の乱用とかって嫌う人大勢いるだろうなぁー。俺はアイロニーとしてやってるんだけどね。哲学なんて基本的に言葉遊びで解体しちゃえば趣味的なものになるんだよっつーことだよね。だから伝統的な哲学用語は独立しすぎていて日常用語に馴染まない。でもありふれたことのレトリックの塊みたいなポストモダン系の思想のジャーゴンっつーのは普段の言葉遊びとして使いやすいっつーのはそれらが元々言葉遊びによって作られたものだからね。アイロニーとして使うことにこそ衒学的な哲学の価値っつーのはあると思うね。俺は基本的に現象学だとかさ、堅い系統の哲学が好きなんだよね。ポストモダン系はただのファッションね。それを分かった上で用語なり概念を乱用してればこれこそポストモダン的だと思うんだよね。そしてそこにあるのは究極のイロニーですね。いや、別にパロールって喋り言葉って意味のフランス語なんだけどね。


腹減った。もうやめよう。また書きすぎた。今日は3行ぐらい書いて終わる予定だったのに。

SOUTHPORT WEEKENDER Vol. 7: Mixed by Jazznova, Mr Scruff

SOUTHPORT WEEKENDER Vol. 7: Mixed by Jazznova, Mr Scruff

DJ Kicks

DJ Kicks

メインかと思われるJazzanovaというよりかはMr Scruffが芸術的に生音です。こういう生音ミックスはたまらんね。日本で言うとMuroみたいな生音を扱えるDJって一流だと思うんだよね。で、打ち込みと絶妙に混ざってたりするともう言うことなし。そういう意味ではVikter DuplaixのDJ-Kicksは金字塔だね。あれでアップルトークが入ってなかったら完璧。でも内容が良さ過ぎるんでアップルトークに我慢できるわけね。