ビジュアル系ラップトッパー。

mimisemi2008-11-02

http://twitter.com/hysysk/statuses/984969942


やられた!まさしくその通り。俺にとってのコペ転がhysyskさんのコメントだ。いや、実際ポストモダン系のナンセンスで晦渋な文章も言われてみれば、文章そのものが何を述べていないということを文章そのものが示しているわけで、これはMSP的なジレンマというかなんというか、リテラシーがあれば全然問題ないわけよね。


ただなんというか俺が言いたかったのは見せびらかし系のMSPね。素人にわけの分からないプログラミングソフトウェアの画面を見せて満足しているというのはやっぱりね、素人に晦渋な文章を見せつけて「どうだ!俺は頭がいいだろう!」と思わせるっていうのがね、ちょっと頭の良いやつが騙せるレベルの連中を欺くやり方として効果的という意味で欺瞞的というかなんというか、これがどうも俺は嫌なんだな。MSPをプロジェクターで見せる理由が俺にはどうも解せんのだよ。「これだけのことしかやってませんよ」というような科学者というかプログラマーに徹しているような感じでライブをやるというのは良いアイデアだとは思うけど、どうもパッチを見せつけている連中は自慢しているようにしか見えないんだよね。例えばプリセットのパッチを使ってたらそれは見せたくないだろうからね。分かる人には「これ、プリセットじゃん」って分かっちゃうし。手の内を見せるということはやはりその内に自信があるからで、やはり何かを見せつけてやりたいんだろうなって思っちゃうんだよね。


そもそもね、例えばね、シンセのつまみの部分をプロジェクターで映してライブとかっておかしな話じゃない?電気の野球ディスコみたいなインタラクティブなやつならいいんだけど、それだけっつーのはどうも解せない。何のため?と思ってしまう。いや、出来ることなら「あなたはなぜパソコンの画面をわざわざプロジェクターに映してライブをやってるんですか?」って自称演奏者に聞いて回りたいぐらいなんだよ。音楽ってプロセスじゃないよね。まぁこれには色々異論というかまぁ考え方があるだろうからね、プロセスを重視する音楽ってのがあってもいいとは思うんだけど、やっぱり問題は出てる音だよね。肝心なのは出てる音なのに出てるプロセスをわざわざ見せるってさ、自販機じゃないんだからね。最近流行ってる自販機でさ、あれじゃんね、高速のパーキングエリア限定らしいんだけど、コーヒーのベンダーにさ、画面がついててね、で、コーヒーを買うとその作っているプロセスが画面に映し出されるらしいんだよね。で、それは録画とかじゃなくて、実際の内部の様子らしいんだよ。それでまぁ待ってる間も楽しいっつーかさ、まぁプロセスが見えるんで面白いっつーのは分かるんだけど、肝心なのはコーヒーの味だよね。プロセスが見えて楽しくてもコーヒーがマズかったら意味が無い。どうもMSP系のライブの音ってマズいコーヒーしか作ってない気がするんだよな。だったらオヴァルみたいにミュージシャンシップを完全に否定してさ、自分はコーヒーのベンダーと一体ですとかってアナウンスすればいいのに、そこで無駄に作家主義みたいなのを出してくるじゃない?デザイナーズブランドの眼鏡をしながらさ、シリアスな顔をしてラップトップを眺めつつ、後ろにはデカデカとMSPなりラップトップの画面が映し出されてるってさ、完全に衒学趣味だと思うんだよなぁー。俺だったら裸でやりたいぐらいだね。DJも一緒。音がかっこいいんであって俺がかっこいいんじゃないんだよっつーのを知らしめたいよね。音がかっこいいのを演奏者がかっこいいって勘違いするっつーのが本当に嫌なんだよね。俺は。音楽なんて大抵がイカ臭い環境で作られてるんだよ。全然風呂に入ってない感じでずーっとパソコンに向かって黙々と作業をするわけよ。で、タバコ吸ったりなんかしてさ、で、食料はカップ麺とかハンバーガーみたいな感じでね、全然スタイリッシュじゃない。


ライブやるならこのままやれって思っちゃうんだよ。俺は。なんで人前に出るってだけで見た目をかっこよくさせようとするのかさっぱり理解できない。普段みたいにカップ麺とテンガをラップトップの横に並べながらライブやればいいのに、なんで外出用の眼鏡とか洋服とかさ、あと風呂に入ってきたりするのか本当に解せないよね。そこにはやっぱり自分を良く見せようとする態度があるよね。音楽がメインじゃなくて、その音を出している俺を見てくれって思ってる。ラップトップでライブやるならね、まぁ逆にMSPをプロジェクターに映すぐらいなら、本人が舞台にいなくたっていいんだよ。そうすれば俺は納得がいく。あーこいつはシステムに徹しているんだなって逆にクールに思える。でもそこで見せびらかしっぽいような顔つきと格好でラップトップと共に演奏者が舞台に出るとさ、もうそれだけで嫌なんだよね。こいついらないじゃんって。パソコンの操作しかしてないんだから、わざわざ出てこなくてもいいのに。


俺はどうもね、音楽をライブでやる人の理由が理解できないんだよ。あれは単純に目立ちたいからとかクールな自分を見てほしいからっつー理由でやってるんじゃないのか?スタジオっつーか自宅で出来る音なら自宅でやればいいんだよ。で、音源を配布すればいい。なんで同じことを舞台でやるのかさっぱり分からん。ライブでしか出ない音があるっつーんだったら電子音楽に残されている道は実験性しかないよ。ライブでシーケンサー流したって意味が無い。むしろランダムというかね、予測不可能でuncontrollableなものをその場で出ているアウラと共に音を放出するしかライブに目的なんてないよね。人間のカリスマ性なんて音楽には不必要なんだよ。なのにカリスマ性っつーのは音楽の価値の中で結構重要な位置を占めているんだよね。それがロックとかなら分かるんだけど、電子音楽でって全く意味分からないよね。ピタやカルちゃんやハズウェルってのはそういう意味で徹底的にラディカルだよね。予定調和説の中でライブをやらない。なんか予期できないようなことを常にやっている感じがする。まぁKTLとかは別にしてね。特にハズウェルとかって途中で音が止まったりしてるからね。まぁわざとかもしれないけど、ライブの中で実験をやってるっつーのはね、まさしくこれがライブの価値だし、ライブでラップトップを演奏する唯一の理由でしょう。シーケンスを流すんだったらそんなもん音のディストリビューションで十分だからね。ライブの意味は無いしそんなのライブじゃない。


そういう意味で予定調和説の中で実験性のかけらも無いMSPを予定通りに演奏しつつ、その画面をプロジェクターに映して、んでかっこつけながらラップトップを演奏しているっつーのはね、完全にオナニーを公共の場でやってることと同じなんだよ。ロックスターになりたいみたいな勘違いと「俺って頭がいいだろう」という愚かな見せつけと、MSPをプロジェクターで映す
っつー流行に便乗している安易さと、まぁ挙げたらキリがないんだけど、色々なアホな要素がラップトッパーには詰まってるんだよね。相当不健全だよ。ラップトップのライブって。「これだけのことしかやってません」っていうことをライブでやるのはもうオヴァルがやってることなんで、君がやる必要は全くないし、誰も君のことなんて気にしてない。むしろせっかくラップトップでやるならね、何が起こるか分からないようなパッチをコントロールしようとして苦戦しているみたいな、その苦戦自体をライブにしちゃうようなね、そういうんじゃないと意味無いよね。手なずけてあるパッチを演奏したって意味無い。ジェフ・ミルズって即興でDJが出来ないって聞いたことがあるけど、仮にジェフの選曲が即興じゃなくてもジェフのDJってライブ性があるじゃない?まぁライブ性があるように見えるのも全て家で練習してきているんだろうけど、それを言っちゃうとターンテーブリズムとかって成立しなくなっちゃうからね。クリスチャン・マークレーみたいなのは極端な例だけどさ、まぁ俺は音は全然好きじゃないけどコンセプトは大好きなんだよね。あ、でもそうか。今気がついたんだけどさ、電子音楽のライブってもさ、例えばDJにしても究極的に言えばフェーダーとミキサーいじってるだけじゃない?それってラップトップの中のDJソフトでやっても同じとは言えないけど、まぁ実質、操作が同じだったらさ、その両者の差って何?ってことになるよね。こないだのパーティーでもさ、音楽は全部あらかじめ用意された友達の彼氏のI-Tuneの演奏でさ、あれってホント、DJいらずだよね。DJの存在価値ってなんだろうね?ラップトッパーの存在価値も似たようなもんだけど。


場の雰囲気を良くするアイコンとしてのアイテムか?ボードリヤールみたいな話になってきたな。お洒落な服を来たキザな兄ちゃんがボサノバをかけているっつーさ、そのキザでお洒落なイケ面兄ちゃんが場に必要なのか?ラウンジDJなんてさ、ほぼミックスしないし即興性っつってもフロアのそれとは大違いだから、はっきりいってI-PodとかI-tuneで代替可能だよね。極端な話、ちょーキモメンだけどセンスの良いラウンジDJが選んだ珠玉のトラックが詰まったI-TuneなりI-Podがあった場合さ、そのDJが直接回さないほうがラウンジでは効果的なわけだよね。やっぱり見た目じゃん!なんだよー!見た目かよー!DJも見た目がかっこいいからなんじゃんね。相当なプロはともかくアマチュアレベルだとちょっとセンスの良い人が選んだmp3集を流してたほうがいいんだよねぇー。I-PODシャッフル師みたいなのが出てきてさ、I-PODのフェードインフェードアウトの曲の移行を利用して、そのセットに入っている曲だったら、どう転んでも良い感じにミックスされるみたいなね、そんなのをプログラミングできるI-PODシャッフル師がいたらさ、ラウンジDJは商売上がったり射精前に金玉上がったりだよね。いや、実際、結構前だけどアメリカだとそんなビジネスがあるらしいんだよね。その良い選曲を売りつけるみたいなね、レストランとかバーとか美容院とかでね、それってDJの技術をデータとして売りつけているわけだよね。そこにDJがいなくても自動的にミックスされるようなシステムを売って、本人のシミュラクラみたいなのを売りつけているわけだよ。本人はそこにいなくていいし、レコードとか持って行かなくていいし、タンテもいらないし経済的だよね。いやーでもやっぱレコードがいいんだよー!って言う人がいたらね、その理由を述べてほしいね。俺はヴァイナルジャンキーだからレコードの良さなんて死ぬほど知ってる。でもI-PODのシャッフルで済んじゃう話をね、わざわざタンテとかDJセットを全部現場に運んでさ、なおかつ重いレコードを持っていって、んでセッティングして・・・・っつー手間を考えるとどうしてもI-PODになるよね。DJインフラが済んでいる場所ならいいよ。バーとかでもDJブースがあるようなのってあるからね。でも無い場所だとホント、シャッフルだよね。シャッフルマスターが必要になるよね。ホームパーティー程度でいちいちDJセットを運ぶなんてバカバカしいしさ、I-Tuneで済むならそれで十分だよね。DJをやる予定だったやつが選んだ選曲のデータを送ってもらえば十分。もしくはCDRだとかDVD-Rだとかに焼いちゃうとかね。まぁ違法コピーになるか。これは。


音楽のアウラってどこにありますか?DJが直接ヴァイナルをスピンしている時ですか?ロッカーがギターをかき鳴らしている時ですか?ラップトッパーがMSPのスライダーを動かしている時ですか?インキャパが痙攣している時ですか?マゾンナが暴れ回っている時ですか?ライブの醍醐味が視覚にあるなら、やはりラップトッパーはロックやアナログノイジャンには勝てない。ライブの醍醐味が身体性にあるならね、機械の出る幕じゃないんだよ。だったらクラフトワークみたいな人形を作って、人形が自動演奏しているように見せればいいんだよ。クラフトワークがライブで人間性を出さないのってロボットが演奏しているみたいなコンセプトがあるんだよね。まぁサービスで後半とかノリノリになるけどね。ラップトッパーはこの辺のエンターテイメント性に関しても欠けまくりなんですよね。なんで欠けているのか?っていうとやっぱり自分のことしか考えてないからなんだよね。いかに自分をかっこよく見せるか?っていうところに重点を置きすぎているので、サービス精神が欠けている。こんなライブは無いほうがいいよね。


思ったより長くなったけどっつーか相変わらずのことだけど、hysyskさんが言っていることは基本的に正しい。だから聴衆はリテラシーを持たなきゃいけないってことだよね。「あんなのただオシレーターいじってるのと一緒だよ」みたいなことが分かればラップトッパーのライブなんて誰も行かなくなるよね。でもまぁーねー・・・それが出来てればポストモダン思想なんて流行らなかっただろうし、ラップトッパーのライブも流行らなかったんだよなぁー。一定の支持を集めてたっつーのはどういうことを示すのかというとやっぱり騙されてた人が多かったってことなんじゃないかなぁー?そういう意味で俺は人を騙すような態度で思想なり音楽にコミットしているやつらは許せないわけね。自分を良く見せようだとかっていう理由で音楽とか思想に限らず、色んなアクションにコミットしている人間っつーのが基本的に大嫌いだね。親切も人に自分を良く見せようとしてやっているとかね、ブリっ子とかね、かまととぶるとかね、こういう表面的なことが大嫌いなんだよ。俺は。そういうのを俺はラップトッパーに感じるんだよな。だから基本的に大嫌いなんです。彼らのことが。俺もラップトップっつーかPCでしか音を作ったことがないけど、っつーかまぁ中学の頃はシンセとか使ってたけど、まぁそれはともかくね、俺がライブをやる意味って全くないんだよね。分かるでしょ?でも俺みたいなダメな自称アーティストがライブをやると大惨事になっちゃうんだよ。だったら身の程を知ってね、自分がやれることだけテメーのラップトップでやってればいいわけよ。そういう意味で俺はもうもはやね、アーティストの作家性なんて音楽に全く無くていいんじゃないか?って思っているわけね。特に電子音楽の類ではそうね。これはまぁ前にも書いたことだけどね。いや、いいんだよ。フェネスみたいな印象派電子音楽家がいてもね。それは大いに作家性があって結構。ただそういうのがいらない音楽もいっぱいあるわけ。なのにも関わらず出たがりなアホはライブに出たがるんだよね。で、パッチをデカイ画面で見せつけたくなる。これは完全に自己権威欲と表現の混同だよね。混同ってことでさ、そういうやつのことをこれから「スキン顔」って呼ぶことにしよう。「あーあいつイタイライブやってるな。あいつスキン顔だな」みたいなね。スキン顔って元ネタはフルメタルジャケットのあの鬼教官なんだけど、これについてはまた別の機会に書きたいんで今日はパスね。


ってことでスッキリしたんで筆下しをしたいと思います。あ、んで追加。すんげー簡単で便利な例を書き終えてから思いついた。見た目で付加価値を出すどころか見た目がほとんどを占めているような芸能音楽の類、つまりJ-POPだのね、アイドル音楽だのね、ああいうのは音楽がメインなんじゃなくて、音楽が付属品なんだよね。あいつらの見た目を出すための道具が音楽ってだけで、メインは見た目。だからブサイクが歌った歌は売れない。例え上手かろうが歌詞が良かろうが売れない。だから詩が書けるなら裏方に徹するしかない。本当に酷い話だね。ラップトッパーにナルシスト系が多いのはね、ある意味で古いけどビジュアル系に通じるものがあるんだよね。だから俺はMSPをプロジェクターに映しつつ、かっこつけながらラップトップを演奏するやつを「ビジュアル系ラップトッパー」と呼ぶことにするよ。まぁもう根絶したかもしれないけどね。みんな飽きちゃって。とにかく俺はラップトップ音楽は大好きだけど、ライブは大嫌いなんだよ。だからまぁ行かなきゃいいだけの話なんだけどね。行かなきゃいいっつーか俺なんてほとんど外に出ないから最初から関係ない話なんだけどね。


あ、んでね、また思いついたことがあるんで追加するんだけど、仮にね、ラップトッパ−擁護するならこれに尽きるねっつーのはね、全てが電子化されると単純に例えばカムイ伝脱穀機を発明したやつが脱穀の作業をしていた農民の反感を買ったようにね、全てがラップトップで済んじゃうとさ、そこに人間がいらなくなるんだよね。技術が発達して必要とされていた職が無くなるなんてのは産業革命から散々あったことだけど、ラップトッパーを擁護するならね、彼らの悲壮感すら漂う「俺を見てくれ!」っていう叫びはね、プロレタリアの叫びかもしれないんだよ。「全てが電子化されていてもう俺は必要なくなった。でも俺を見てくれ!」みたいな悲痛な叫びかもしれないんだよね。そう考えると哀れな連中だよな。あ、全然擁護してないな。ラウンジDJもI=PODで済んじゃうってことになるとさっきも書いたように金玉上がったりだよね。それでも俺のかっこいいサングラスを見てくれ!って叫びたいがためにわざわざDJセットを運んだりヴァイナルのボックスを運んだりするのはこれまさしくプロレタリアートの叫びだよね。ってことで宿直。スムースにクリミナルできたかしら?


PS


今、このPSを書いているのは2009年の二月だけど、「hysyskは正しい」ってhysyskさんのことをタイプミスかなんかで呼び捨てになってたんでさんをつけておきましたっつーか本当にhysyskさんすみませんでした!呼び捨てにするつもりなんて全然無かったんです。たまぁーに過去のウォール伝をスキン民具してると酷い誤植が見つかるんだよね。ちょっとしたやつなら放置だけど、今回みたいにあまりに酷いやつがあったりなんかしたらその都度、そこだけ直しておきますんで今後ともよろしく。「ケルベロスが仲間になった」


Yasunao Tone: Noise Media Language (Critical Ear)

Yasunao Tone: Noise Media Language (Critical Ear)

↑ちょーオススメ!英語読めなくてもCD付いてるんで全然オッケーです。

ブーツフェチについては改めてまた今度書きますね。