攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG -久世の能を体感せよ!-

mimisemi2009-02-17

いやースゲかった。攻殻機動隊セカンドシーズン。何が凄いってあの政治性だよ。それはまぁ昨日のエントリーで散々書いたからいいんだけど、徹底的に政府の腐敗を描くという一貫した姿勢は物凄く評価できるんだけど、セカンドシーズンに関しては言うまでもなく全体的に「憂国」というキーワードがあったよね。で、もちろんこのセカンドシーズンの中心人物は久世ね。なんかもう書きたい事が色々ありすぎるんだけど、まぁ簡単に書くとっつーか一番関心したのが久世の「行為で示す革命」なんだよね。300万人だかの難民達が久世の視覚のチャンネルにアクセスできるっつーのはようは久世の主観を擬似的に知覚できるということだよね。ようはマルコヴィッチの穴の革命家バージョンってな話だ。で、それの何が凄いかって久世が自分の役割を理解していて、んで自分の革命という行為をパフォーマティヴに演じていることね。久世チャンネルの配信というパフォーマティヴな革命行為がありつつも、そこに過去の革命家達に流れていたような激しい血が流れてて、んでそれが他者にもミメーシスを起こすというもう革命家の鏡みたいなやつなんだよね。


そこには配信という事を念頭に置いたアクションがありながらも、根底には自分の革命論があり、その自分の革命論が下部構造であるネットにリアルな形で流れて、それを受け取った物達の意志により結果的にそれらが上部構造に食い込んで行く・・・というのはまさしくグラムシの陣地戦以外のなんでもないわけだけど、そこに久世の実存的なレベルでの無知な大衆への復讐というのがこめられてるというのに凄くシンクロしたね。それが無知な大衆への救済であり復讐でもあるというアンビバレントな感情に凄く胸を締めつけられる思いがしたというかなんというか、ただそこでやはり久世の計算ミスは水は低きに流れるってことで、その大衆の流動性やレベルの低さというのを考慮してなかったっつーか革命家にありがちな人民への過度な期待というのがあるんだよね。革命の意志というのは他者に伝わるもんだっつーか、自分の意志を他者と攻殻機動隊の用語で言うところの並列化ができると思い込んでいる。ただ実際の革命というのはそんなにロマンチックなものじゃなくて、実際は一部の連中が大衆を煽動しているだけなんだよね。「自分は抑圧されている。革命が必要だ」というアジテーションを受けて洗脳されるのはそこに革命を望む主体がいるというよりかは、革命家にアジテーションされた流動的な主体というのがいるわけだよね。だから公私混同して「銃を撃ちたい」とかっていう私的な感情を公的な革命という舞台に持ち込んだり、命令を無視した動きをしてしまったり、つまりはただの人形なんだよね。生身という点でゴーストがあるし、そこに意志はあるのかもしれないけど、強い意志は無い。むしろゴーストがないはずのタチコマ達のほうが強い意志を持っていたりするよね。これが凄まじい無知な人間に対するアイロニーなんだよね。


で、凄いなと思ったのが、まぁ繰り返しになるんだけど、久世が自分の視覚を通して革命家の人生っつーか視点っつーのを他の難民達に擬似的に体験させているということなんだけど、まぁネタバレになるけど結局、久世の革命は本編では成功しなかったわけだけど、久世の革命のコンセプトとしてはリアルな形で成功したんだよねっつーのは言うまでもなくこの物語の鑑賞者が場合によっては久世目線で物語を見ているかもしれないわけで、あの憂国の士の意志というのは鑑賞者が受け継ぐことができるんだよね。そういう意味で久世という存在は常に物語の中に存在する革命家としてすでにアーカイブ化されているわけで、この先、久世に共感するような連中ってのが出て来るかもしれないわけだよね。ようは面白いのは非現実である物語の登場人物の革命の伝達というのが、非現実世界だからこそ描けるスケールで現実世界の我々に問いかけているということなんだよね。これが凄いなと思ったわけ。笑い男事件もそうなんだけど、公安9課というのを主人公にしながらも、どちらかというと鑑賞者ってのは笑い男側だったり久世側に共感を得ながら見ていたりするかもしれないわけで、これってのがさ、ようは物語にありがちな味方である公安9課にほぼ例外無く鑑賞者が感情移入して、んで「頑張れ!」とかって思うんじゃなくて、笑い男事件にしろ久世の話にしろ、これだけさ、敵対し合っている(実はそうじゃないんだけど)もの同士の両方の視点から感情移入できるストーリーってのも珍しいと思うんだよね。


まぁ当然、鑑賞者の怒りってのは腐敗した政府に行くわけだけどさ、なんつーかどれだけ物語の真意を理解している人がいるのか?っていうのに関しては結構びみょーだよね。それはマトリックスが世界中でヒットしたのにも関わらずまだ洞窟に籠っている人達が大勢いるっつーアイロニカルな現象と同じで、攻殻機動隊みたいな同じくマトリックス的な啓蒙的な作品の真意を掴んでいる人達ってのは本当に少数なのかもしれないね。それは比率で見た時に分かってない割合ってのが多いって意味での少数って意味なんだけど。なので分かっている人達は大勢いるのかもしれないけど、でも鑑賞者の割合で見ると少数っていうね。セカンドシーズンはファーストに比べてより政治度や宗教性だとか哲学性が高まりすぎていて、ついていけないって人が多そうなのは目に見えるよね。それはまぁしょうがないことなのかもしれないけど、でも理解できないって理由だけで批判とかはしてほしくないよね。


まぁそういう意味であからさまなインテリ向けのアニメではあるよね。特にセカンドシーズンはハードコア過ぎると思う。もちろん良い意味でね。まぁただ世界で見ればインテリアニメマニアみたいなのが感動しつつ興奮していると思うんだけど、でも特にセカンドシーズンに関しては凄く日本に関わる事だからこれってのは日本人が真意を理解しないと意味が無いんだよね。日本人が理解してこそ意味がある作品っつーかなんつーか。なんかさ、俺たちの大和だったか、すげーくだらない愛国映画ってあるじゃない?すんげーマスターベーション的な誰でも理解できる愛国映画ね。でも真の愛国映画っつーか愛国作品というのはこの攻殻機動隊の2nd gigみたいな類のことなわけだよ。理解するのはちょっと面倒かもしれないけど、基本的に愛国ってのは「俺たちの国だから」みたいな単純な理由では理解できるものではないんだよね。もっと哲学的で深くて政治的なものなんだよ。愛国ってのは。よくそれで俺が言うのがアホなナショナリストからは売国奴扱いされてるチョムスキーみたいなのが真の愛国者ってことなんだよね。憂国という言葉は「国を憂う」と書くわけで、それはシステムの腐敗や人々の堕落ってのを許さないっていう立場なんだよね。間違っても「俺たちの国だから」っつって盲目的に国に服従することが愛国なんではない。ここが単純なナショナリストと真の愛国者の差があるんだよね。俺は当然後者なのは言うまでもない。だから思想もどんどん過激になるんだよ。っつーのは許せないことが多過ぎるからね。だからなんつーか久世の極右から極左への転向に見られるような、あの過激でラディカルな政治的な立ち位置ってのは俺が最近よく言う極左と極右の差があまり無いってことと同じなんだよね。まぁ右翼に関してはウィルスだったかもしれないけど、それにしてもまぁ童貞で義体化率が高いっつー条件にウケたけど、でも愛国者っつーか革命家の条件に「童貞」という要素が含まれるなら俺はすんげーポテンシャルがあるってことだよね。思想的にラディカルで童貞なんだからほぼ完璧でしょ。恐らく一生童貞だろうからね。俺。


でもタチコマ達の異常に情報率の高いマトリックスのアーキテクトを彷彿とさせるような一回じゃ理解できないような電脳空間でのお喋りにあったように、ウィルスという因子以外にもそのウィルスにかかる条件ってのにそのウィルスが含まれていた評論に何かを感じるような義体化率の高い童貞達っていう条件が必要だったわけでさ、そういう意味だと元々極右みたいな傾向を持っていた連中がウィルスに感染して様々な行動や最後の自決などに至らしることになったわけだけど、それはウィルスに感染したからじゃなくて、その思想に共感を覚えるような因子を持っていた連中がウィルスに感染してその行動に至らしめたっていうことになるんだよね。だからある意味でまぁ合田のウィルスだったとは言え曲がりなりにも愛国者達だったわけだよね。


で、評論繋がりで言うと、成功しても失敗しても一回きりという意味で能楽と5.15事件を照らし合わせたのが個別の11人の幻の一編なわけだけど、実際あろうがなかろうが、その評論そのものを結果的に体現してしまったのが久世なんだよね。それは久世という視点から描かれる彼の革命家としての人生という一度切りの能を一部の限られた物達にオープンにして上映していたわけで、彼の革命が成功しようが成功しまいがその能が上演されたという事実は変わらないんだよね。その久世の能がある人々を刺激してミメーシスを生むかもしれないし、もしくはそれが運動になるかもしれないし、革命理論が伝達されるかもしれないし、久世の革命家としてのカリスマ性とその方法論という意味では、もうそれ自体で彼の言う下部構造から上部構造へというシフトのきっかけを作る陣地戦の種を蒔くパフォーマティヴな行為としての革命は既に成功しているんだよね。


もちろんそれは物語内の難民達や久世の視覚チャンネルに繋がっていた人達だけじゃなくて、現実世界を生きる我々にもそれは伝えられているわけだよね。そのメッセージを要約するならやはり「憂国」という言葉に尽きると思う。そんな憂国の士の久世の能ってのが2nd gigの大きいメッセージの一つだよねっつーかまぁ俺は勝手にそう思って感動していたわけだけど、それはこの作品がメディアとなって散種されているというこの現実がこの先、少数かもしれないけど色々な鑑賞者の心を打つっていうきっかけを作っているわけだよね。それはもう極端に言えば俺はガンダムのような物凄い濃度の政治性とかメッセージ性を今回のこの2nd gigに感じたわけね。っつってもまぁガンダムオタクっつってその政治性に感動しているっつーよりかはまぁ東浩紀が書いてたような物語のファンっていうよりかはそこから独立したキャラのファンだとかロボットのファンだとかってのが多いわけだけどね。俺は攻殻機動隊全般にガンダム並のアニメ媒体という素材を使用した政治的芸術作品としての価値を見いだしているんだけど、これは全然誇張でもなんでもないんだよね。ここまで凄いアニメってのは他にはなかなかないだろう。


それはガンダムがそうであって、今でも伝説的なように、恐らく攻殻機動隊もこの先ましてやネット社会というのが当たり前になって、それに加えて様々な社会情勢の変化や人々の実存的問題というのが剥き出しになっていけばいくほど攻殻機動隊の存在というのは大きくなるっつーか一種のマイルストーン的作品としてそれこそ金字塔として輝き続けると思うんだよね。これはもう時代に埋もれる作品じゃなくて人類史で語り継がれていく作品だと思う。それは100年後の社会学者とかが当時の日本情勢を分析する素材として使われたりする可能性もあるってことで、なんつーか時代の切り取り方が絶妙という意味でも年代関係なく評価され続ける作品になっていくと思うんだよね。で、特に俺はこの2nd gigにえらい感動したというわけだ。まぁ映画版とは比べられないんだけど、でもはっきりいって攻殻機動隊の1とかイノセンスとかも含めた全体で見てもこのセカンドは俺の中ではトップだなっつーかパラダイムを広げれば映像作品という意味で自分が大好きな映画とかと並ぶレベルの個人的評価の高さなのね。ジャンルは違うけど時代性とか総合的な部分でのレベルの高さという意味だとペルソナ4の特出したクオリティみたいなのと並ぶものがあるね。ようは他のものが並ぶ事ができないぐらい特出してるってことね。


あれもいいけどこれもいいなぁーっつーような迷いが無いっつーかもう他と比べる余地がないぐらい特別っていうかさ、そういうのって音楽にしても映画にしても誰でもあると思うんだけど、俺にとってはこのセカンドGigがまさしくそういうものだよね。こういう作品が存在していて世の中に流通しているという事実がもうたまらなく嬉しいっつーかさ、まさしく後生まで語り継がれる作品っつーのはこういうもののことを言うんだろうね。恐らくいつの時代でもリテラシーレベルの高いやつがその真意を理解して感動するというきっかけがいくらでもあるという凄まじく作り込まれた作品ってことだよね。それはシュトラウスが言うような奥義としての哲学伝承に似ているかもしれない。分かるやつだけにしか分からないけど、それこそがまさしく哲学の本質なのだと言ったようなコンセプトは哲学的な作品である攻殻機動隊みたいなものにピッタリ当てはまるものかもしれないよね。ベタ褒めし過ぎかもしれないけど、いや、これは恣意的なもんじゃないよ。もう心から言っていることだから。それはペルソナ4の時と同じね。俺は恐らく普通の人の何倍もゲームとか映画とか映像作品全般見ている人間だけど、そんなギークなやつが特別褒めたてているわけだから半端じゃないってことだよ。


何が言いたいのか?っていうと世間知らずだからなんでも新鮮なものに感動するのだといったような無知から来るような新鮮味っつーか感情じゃなくて、腐るほど色々と見てきた人間がここまで褒めるっつーのはそりゃ凄いよってことなんだよね。また馬鹿みたいなやつに「ばかじゃねぇの?」とかって言われそうだけど、まぁでももういいや。馬鹿は気にしてないし馬鹿を気にしてたら何も書けなくなるからね。Esoteric teachingの真髄ここにあり!といったような作品が2nd gigです。だから鈍感なやつとかパッションが無いやつとか馬鹿なやつには一生分からない作品ってことだね。いや、それでいいと思う。元々そういう作品だと思うから。正直、映画とかとは比べられないんだけど、んでもあれだよ、世界一だと思うよ。これ。色んな意味で。あらゆる意味でトップだと思う。これ。分かりやすさというのが必ずしも作品の善し悪しを決める要素ではないってことだね。


で、最後に。分かりづらい隠喩ながらも凄く重要なのが「能面=久世の顔」ね。


リチュアルズ

リチュアルズ

  • アーティスト: ニコラ・コンテ,キム・サンダース,フィリップ・ワイス,ホセ・ジェイムズ,キアラ・シヴェロ,アリーチェ・リチャルディ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2008/09/17
  • メディア: CD
  • 購入: 2人 クリック: 10回
  • この商品を含むブログ (16件) を見る