攻殻機動隊とテロの話。

mimisemi2009-02-16

攻殻機動隊のボックスを買ったんだけどね、日本では3万以上するやつなんだけど、こっちのアマゾンではシーズン1がマーケットプレイスで38ドルで、んで最近、エヴァみたいな手法で編集されたやつが映画化されたやつが60ドルぐらい。ありえねー。両方で100ドルぐらいなんだもんなぁー。もちろん定価は両方とも100ドルぐらいなんだけど(それでも安い)アマゾンってあれでしょ?売れ行きとかによって安くなるんだよね。アメリカのアマゾンは特にそう。だからベストセラーみたいなやつが家電とかにしてもありえないぐらい安いのね。っつーか日本が全体的に何でもかんでも高過ぎなんだね。特にCDとDVDの定価は異常だね。狂ってる。逆にDVDがアメリカみたいに安くなっちゃうとツタヤみたいなレンタルビデオの商売が成り立たなくなる可能性もあるよね。一週間で400円とか取られるんだったら大好きな映画とかを2000円前後で買えたら恐らくみんなDVDを買うよね。


それはともかくまぁー一気に楽しんでいるわけだけど、今はセカンドシーズンのやつの途中まで見たんだけど、あれだね、ファーストシーズンの笑い男の最終回とか相変わらず押井臭満載っつーか原作通りなのかもしれないけどやたら色んなところからの引用とかが凄かったね。短時間に。ジガヴェルトフからの引用とか気取り過ぎだろうっていう。これは完全に地上波放送は無理だね。全体的にリテラシーレベルが高過ぎてパンピーにはついていけないようなモチーフの話が多い。まぁ攻殻機動隊全般そうなんだけどね。映画のやつにしても。っつーか最初から鑑賞者を選んでるよね。分かりやすくしてない。原作読んでないから分からないけど、まか良い意味でも悪い意味でも原作に忠実ってことかもね。思うにマトリックスも同じなんだよな。攻殻機動隊マトリックスSF映画として見れるしエンターテイメント的に楽しいんだけど、なんつーか中身はある程度のリテラシーが無いと理解できないモチーフが多いんだよね。


で、今はセカンドシーズンのまだ途中なんだけど、あの自爆テロの定義が凄く気になったっつーか時代性を表してるなっつーのがさ、まぁ2005年作ぐらいなんだろうけど、自爆テロっつーのは「未来に何も見いだせなくなったやつが行う行為」って言われてるじゃない?話の中で。これのメッセージ性がすんげー強いのがさ、まぁ言うまでもなく日本っつーか世界で起きているアノミー型の無差別殺人なんだけど、これはまぁ秋葉原の件とかでも散々書いたから根本の話は繰り返さないけど、「未来を保証できない社会にも原因がある」ってバトーが言うじゃない?これだよね。小室風に言えば急所だよね。


自爆テロっつっても例えばイスラムの過激派みたいなのだと洗脳って例もあるらしいんだよっつーのは英語学校にいたころにトルコ人のやつが説明してくれたのがね、すんげー貧困に陥っているようなやつらを拾ってきて、んで元々ある宗教観をもっと過激にした所謂過激派型の宗教観ってのを植え付けつつ、「お前は選ばれし戦士なのだ。アラーはお前の行動全てを見ている」みたいなアジテーションをしつつ、オウムのアレみたいにLSDとか摂取させて、んで一方的に洗脳するらしいんだよね。で、そいつは特攻隊みたいな「お国のため」みたいな大義名分を与えられてなおかつ死後は家族の生活の保障があるとかでさ、余計に自爆テロの価値を高めるような力学が働いているらしいんだよね。あ、ちょっと待てよ。洗脳まではトルコ人が教えてくれたことで、「お国のため」の話はまた別のソースだわ。


まぁそれはともかくだな、中には洗脳されても自爆を嫌がるやつがいるんだけど、凄まじいのがね、ある自爆テロリストの自爆テロの瞬間を見たって人っつーか生存者が語っていたっつーのがね、そのトルコ人から教えてもらった話なんだけど、手に手榴弾を持って、んであのキーホルダーみたいなのを外すじゃない?で、爆破させるよね?で、すんげー泣き叫びながら嫌がっているんだけど体が勝手に動いてるらしいんだよね。「うわー嫌だぁー!!」とかすんげー嫌がりつつ手が手榴弾にいっちゃって、んでキャップを抜いて自爆しちゃうらしいんだよね。ようは身体レベルでの洗脳が行われているってことなんだよ。過激派の中にはレジスタンスや真性の過激派もいるのかもしれないけど、中には生活のためにそれをやるしかないみたいなやつらもいれば、ただただ洗脳されたやつらもいるわけで、自爆テロと一概に言っても色々あるんだよね。


面白い構造はブルジョワ出身の自分勝手なやつが貧乏人をリクルートして実質的な代理戦争をするってことなんだよね。イスラム過激派もアメリカのキリストっつーかエヴァンジェリカルズみたいな原理主義者の中にも貧乏でどーしょーもないっつー環境から宗教ってのをフックにリクルートされてきて、んで洗脳されて人殺しマシーンになるっつー構造が一緒なんだよね。だから宗教嫌いなんだよなぁー。シュトラウスが言うように統治の道具としては便利かもしれないけど、はっきり言ってこれは危険過ぎるよね。恐らくシュトラウスは人々ってのがアホだから宗教を通じて崇高なヴァーチューや倫理や道徳をドグマティックに植え付けるってことだと思うんだけど、そこをネオコンはまぁエヴァンジェリカルズみたいなのを使って戦争の道具にしたんだよね。ホント、シュトラウスを知れば知るほどこれってアホなネオコンに利用されたんだなぁーって痛感するわけだけど、貧乏人を宗教で誘導して国家の道具にするなんて許せないことだよね。もちろんそんなものに誘導されるアホが悪いって言い方もあるけど、やっぱり問題はそこでアホをどうするか?ってことになるよね。そこでいつも俺が書くような民主主義という擬制を利用した国家権力の暴走なんだよね。


ソーシャルサイコロジーなんかを今回取ってるからサイコロジカルな面からも人間を誘導したり操作するやり方って色々あるんだなって思うんだけどっつーかソーシャルサイコロジーって悪用されたら最悪なのが多いっつーかもう色んな資本家とか政治家が悪用してるんだろうし、もしくは資本家とか政治家みたいなのが編み出した手練手管みたいなのをベースに研究してできたセオリーなんかもありそうなんだけど、それはともかく、やり方さえ踏まえれば大衆をコントロールするのって以外と容易なことなんだよね。それこそメディアから何から支配できていればあとは手法を実行するだけでいいんで、あとはその誘導の力学が働くのを待てばいいだけで、ようはなんつーかコンピューターウィルスをシマンテックがばらまいてるみたいなマッチポンプみたいな話なんだよね。いや、実際、シマンテックマッチポンプをやってるかどうかは知らないけど、んでも国家ってそんなもんなんだよな。ホント。


そういう意味で攻殻機動隊はまだ見ている途中だけど合田の政治理論は本当に示唆的なんだよね。難民を仮想敵にするというシュミット式の敵/味方による思想誘導と、そのために法を曲げるという例外状態を作り出してしまうようなブッシュが乱用したsigning statementみたいな話とかさ、結果が手段を正当化するっつーのはアメリカ的ネオコンがやってきた様々な世界侵略やら爆撃だし、ヒトラーが開始した侵略にしてもそうだよね。で、合田が「これはテロリストにも民主国家にも通用する理論だ」と言っているけど、これが示唆的なのはアメリカ的ネオコン国家もナチス的全体国家も民主主義の元でそれらが行われてきたという背景があるからなんだよね。イラク爆撃ってのが国民の総意とは言いきれないのに、そこを国家が総意を代弁したかの如く国家が侵略を開始するわけだよね。「第三者を消費することでのみ成立する桃源郷の再現」っつーのが大きな物語を失った「動機なき物達」の無自覚の欲求で、その無自覚の欲求を代弁してくれる指導者が必要だと言うのは、個別の11人が言う「システムの一部たれ」というような機能主義的な象徴としての指導者なわけで、天皇を象徴として置くことそのものが政治的な機能であるといったような天皇機関説とそっくりなんだよね。ようはあれだ、動機なき物達の無意識の欲求現実界にトランスフォームさせるサイコロジカルなエージェントとしての指導者ってなわけだね。仮に国民の総意がそういった消費社会の桃源郷を求めるというところにあるのなら、もうマルクス的な虚偽意識のような議論は成立しないよね。


消費社会を求めるということは、大半の中流やそれ以下の人々にとってのinterestではなくて、capital vs laborという単純な二項対立で考えれば、それらを求めるという事自体がcapital側のinterestにコントリビュートしてしまうということなんだけど、本質的に人々が本能レベル(つまりは無意識レベル)でそれらを求めているのなら、そういった社会的な枠組みや力学を知るまでもなく、欲求が社会・政治的なものに先立つのであれば、結局は人々は欲望と消費が社会の原動力となる資本主義社会で生きるしかないし、そこに残酷な要素があったとしても、それを人々は求めているってことになっちゃうよね。こういった見せかけだけの「自由」を至上のものとして社会主義的なものを嫌悪するってのはアメリカ国民のDNAレベルできざまれているようなスティグマのようなものだよね。で、追加すると、合田のイデオロギー(国民の無意識の総意)を体現すると、第三国(それは必ずしも合田の言う第三者ではなくて)などの資源や労働力を搾取しながら、自分たちの私利私欲を満たすためだけの間接的殺戮をも厭わない、排他的なナショナリズムで連帯した国民国家の出来上がりだよね。強欲なアメリカとその犬の日本のような国々に国家モデルがそっくり。


話が激しく逸れた。で、マッチポンプの話に戻るとだね「ヤバいっすよー」って誘導させといて、んでウィルスバスターの更新を促すみたいな、その操作のやり方ってのを踏まえちゃえば相当な金儲けができるっていうね、そこで賢い人は気がつくんだけどアホは永遠と騙されてウィルスバスターを更新し続けちゃうみたいなね、Dog eat Dogみたいなスパイラルが永遠と続くんだけど、恐らく大衆と権力者の関係ってウィルスバスターの制作会社と消費者の関係みたいなもんなんだよね。消費者はウィルスバスターが無いと不安だし、ウィルスにかかったときに直せなくて困るし、ましてや感染も恐れるんだけど、んでも実際、どんだけのウィルスが愉快犯によってバラまかれているのか?とか、もしかしたらシマンテックが凄腕のハッカーを利用してマッチポンプ的にウィルスを流行らせてるだとかさ、まぁ陰謀論のレベルだけど、んでもそのディティールは分からないんだけど、とりあえず金を払っておけば安心っつって盲目的にその会社にお金を払い続けちゃうみたいな構造ってすげー国家と大衆の関係に似ているんだよね。


イラク戦争もただのマッチポンプだったかもしれないし、人々が恐れている「テロリスト」なんてのは実際は人々が思っているほどいないのかもしれないし、本当に過激な活動をしている一部の宗教過激派みたいなのは勝手に世界の敵にされて困ってるかもしれないんだよね。でも「誰がそんなことを知る事ができるんだ?」っつー構造がウィルスバスターのマッチポンプ説と似ているんだよね。チョムスキーみたいにすんげー脳を駆使して情報を収集して分析すれば答えは出るのかもしれないけど、まぁ誰もやらないっつーかまぁ一部の学者とかはやってるのかもしれないけど、パンピーは手がかりになる情報が手に入るような環境にあったとしてもやらないんだよね。時間がないしそこまでの脳が無いのかもしれないし関心が無いのかもしれないし。


その結果がまぁ権力の暴走を許すわけだね。偽の社会契約をさせておいて、んでリバイアサンは暴走をし続けるっていうさ、そういう意味でまぁシュミットの言う例外状態ってのが世界的にまぁ半ば永続的に続いているのが昨今なのかもしれないよね。まぁこれはアガンベンが言っていたことだけども。


私利私欲のために動くリバイアサンと不安に怯える民衆達って半ば世紀末的な図式だよね。まぁ歴史ってのがそうだったのかもしれないけど、まぁそこで革命とかが起こって変わってきたんだと思うんだけど、まぁ何も俺はここで革命論を唱えるつもりはないんだけど、でも怖いよなぁーって思ったのは人々のテロなんかに対する物理的な不安や恐怖や排他的態度と、社会が安定していないという原因から来る自分の将来への不安や恐怖っていう精神的な恐怖ってのが合わさって、んでもうどーしょーもなくなって「むしゃくしゃ」して本来の敵ではない同族を大虐殺しちゃったりするんだよね。ここでまだ人々が「あいつらが悪いんだ!」っていうような意識を持っていれば、テロにしても要人暗殺とか政府的な機関への直接攻撃とかになるんだろうけど、実際はそういった恐怖の根源が政府にあるんだっつーのを分かってない虚偽意識満点な人々が増え続けてしまうと、見当違いな無差別テロってのは増える一方なんだよね。


きっかけは勘違いであれなんであれ、それが無差別テロ的な社会的現象として現れてしまうっていうような社会状況がすんげーヤバいわけよ。そうなってくると人々は他人すらも信用できなくなってくるんだよね。むしゃくしゃしてるやつらが増えるんだから。でもその「むしゃくしゃしてやった」みたいな犯人の供述すらも政府が人々を恐怖によってコントロールするためのねつ造である可能性も否定しきれないんだよね。「怖いですねぇー」っつって恐怖を煽るってこと自体がリバイアサンが権力を暴走させるための方法の一つなんだとしたら、例えば日本とかアメリカみたいなのってすんげー権力者側が人々をコントロールするのに成功してるんだよね。むしろ自爆テロ無差別テロ万歳ってことになるよね。そういうのが起こったほうが政府に都合がいいこともあったりすると、むしろそういう風な殺伐とした社会にしてコントロールしていたほうが楽ってことで、そういう風な社会に意図的にするか、そこまで計算高くなくても便利だから放置しておくみたいなのが無くもなさそうだよね。


だからこそなんだよなぁー。エリート独裁が必要なのは。凡人みたいなのに権力を握らせるとデモクラシー以上の酷い政治になるんだよね。その結果がダメネオコンみたいなやつらなんだよ。そういう意味だと権力者の座にどうしようもない権力者が居座っているという状況下だとやはりまだデモクラシーのほうがマシってことで、人々がそれに抗うという必要性が高くなるんだよね。恐らく現在みたいな状況下においてデモクラシーが必要とされているのはデモクラシー以下の統治が行われているから、まずはそいつらを引きずりおろさないと話にならないぜっていう市民社会以前の段階なんだと思うんだよね。市民社会っつーか近代化以前の話ってことね。特に日本みたいな国はそうね。まず満足いかないながらも憲法に書かれているようなことを国家が守るっていうような最低限のことが成されていれば、そこからまた違う政治が始まるっつーかそこでデモクラシーってどうなの?とかっていう次の次元の話題に行けると思うんだけど、今って冷静に考えてみると俺が最近言っているような反民主主義っていう段階じゃないんだよね。まずは腐敗した権力をぶっ壊すっていうフランス革命時代みたいな段階なんだよね。腐敗したシステムなり官僚なりがいなくならないと社会状況って深刻になる一方だからね。マジで。そこでリアルに人々の命が色んな要素で失われていくっていう風な状況になるともう人々は政治的にならざるを得なくなるよね。だって社会をマシなものにしていかないと自分も食えないし、お先真っ暗なやつが自爆テロを起こすかもしれないわけでさ、それだけ社会が疲弊していくってことは他人事じゃないってことなんだよね。


その結果がアメリカの場合、一時的な盛り上がりかもしれないけど、オバマへの熱狂とかさ、日本の場合、質はともかく政治的な活動や政治的なものに対する不安から来る意識とかさ、あとはアホな連中の不安から来るナショナリズムだったりするわけだよね。ポピュリストに利用されてるとも気がつかないアホ達はどんどん右傾化していくわけだけど、まぁとにかく権力を監視しなきゃいけないってことに尽きるよね。そうしないとマジでヤバいことになるわけだからさ、例えば自民党みたいなのに政権握らせていくわけにはいかないわけよ。ただそれでもまだ警察が再三注意しても振り込め詐欺に引っかかる馬鹿みたいに、再三色々なことが起こっているのにまだ自民党を支持していたり共和党を支持していたりする連中がいるんで、まぁーやっぱ馬鹿はダメだなと思うと同時に世の中に馬鹿が多いとなるとマジョリティの法則で馬鹿の意見が民意と見なされてしまってんでさらにまた国家権力の横暴は続くっていう負のスパイラルに陥っちゃて、んで結局いつまで経っても社会が変わらないってことになっちゃうんだよね。


どうすればいいんだろうね?エリート独裁にしてもヴァーチューのある連中が政治家になれるような健全なシステムが無いと話は始まらないわけでさ、そこで恐らく反民主主義者にしても民主主義者にしても腐敗した権力者を引きずりおろすという目的では一致しているからイデオロギーに関わらず共闘はできるよねって前に似たような話をまぁ極左と極右は共闘できるみたいなパラダイムで書いたと思うんだけど、とりあえず今回はあれだ、今みたいな政治のフェイズだと反民主主義者も民主主義者と共闘できるってことだね。「デモクラシーだ?ふざけるな!」みたいな罵り合いをする前にまず「あいつらを引きずりおろすという利害関係では一致しているな」ってことで一緒にやってかないとダメだね。今は。


それってイデオロギー全般のぶつかり合いに言える事だよね。馬鹿な保守どもはともかくとして、政治についてシリアスに考えているやつらならとりあえず「今の政権はダメだな」っつー点では一致するはずだから、その共通した利害関係の中での共闘が必要だね。そういう意味だと極がつかない右翼も左翼もとりあえず共闘できるはずなんだよね。イデオロギーのぶつかり合いっつーのは基本的に社会がちゃんと回っていたり、国家が憲法を守るみたいな、基本的な社会のレイヤーが保全されてからの話だからね。まずちゃんとした政治的な話し合いができる環境を作らないとダメだよね。意外な盲点は今の世の中ってそのベースすらも作られていないということなんだよね。まず人々がちゃんと暮らせる環境ってのが必要なんだよね。そういった前提無しに高次元な政治の議論とかをしていても無駄っつーかあんま関心持たれないよね。「あーまた学者同士がやり合ってる」みたいな感じになっちゃうわけじゃない?ポストモダン系の思想家とかってそういう傾向があるよね。どうも現実社会とか現実的な政治に立脚してないっつーかなんつーかあの地に足の着いていない感じね。


まぁ結論はシンプルだね。悪政に対しては蜂起が必要で、そこにイデオロギーのせめぎ合いは無いって話だわ。アメリカの独立で言えば、とりあえずイギリス政府に税金を払うのが嫌なんで、蜂起するっていうことにイデオロギーは必要ないってことで、そこにあったのはただの人々のニーズなんだよね。あれは別に農民がロックとか読んでたわけじゃないんだよね。悪政や理不尽なシステムに対して「ノー!」って言うことに必要なのはイデオロギーではなくて、人々の抗う力ってわけで、まぁようはそれはすんげープリミティブな次元の話ってわけよ。


で、結局俺は何が言いたいんだ?蜂起しろと?まぁ共産党の選挙ポスターみたいな言い方になるけど「Stop 悪政!」って感じですかね。最後は意外と普通に落ち着いた感じだな。ただ問題は「蜂起」という言葉が左翼的なタームでの空虚なシニフィアンになっちゃっていることなんだよね。「抵抗せよ」と言われたところで人々は具体的にどう権力に対して抵抗していいのか分からないわけね。結局まぁんでいつもみたいな帰結になるけど、結局は陣地戦なんだよね。グラムシの「市民社会の諸組織=ヘゲモニー装置」という概念を敷衍しつつ、そこから俺のショタコンサバティヴに話を繋げると、これまたヘゲモニーの主要な契機である「知的・モラル的指導」とショタコンはコンパチブルで、権力掌握以前の状態からも政治的なヴァーチューを持ったエリート達がヘゲモニーを目指すという活動はありえるということになるわけだ。問題はその社会に点在するエリート達の連帯を促す知的蜂起をどう実現させるか?だよね。恐らく俗物アカデミシャンのような連中とは一線を画したレベルで存在する(と信じたい)知的エリート達は政治的シニシズムに陥りやすくなるんだよねっつーのは恐らく世の中の馬鹿の多さと社会・政治機能の不能っぷりに呆れ果てて、んでブッタだかが言ってたような行動を起こさない「口を噤んだ」隠居者のように生活をしているわけだよねっつーかまぁそういう人達が多いんじゃないかと勝手に思うわけだけど、そこは個々の実存レベルの問題で、そこに政治的なものにコミットするような価値を見いだせないと誰もやらないんだよね。


「お前がやれ」なんて誰も言えないし、誰も定義できない。そこが政治的シニシズムの問題点なんだよな。頭が良いやつだと連帯を促す空虚なシニフィアンの構造なんかも理解しているだろうから、余計に運動や政治的なものに対してシニカルになってしまう。で、挙げ句の果てに「リアルポリティクスなんかを考えたらもうそこには絶望しか無い」とかって言いだしちゃうんだよね。まぁあってるけども。だからそこで前に書いたような民間セクターでの政治機構みたいなのが必要になってくると思うんだよね。資本や権力側に依存しない民間の政治セクターっつーかなんつーか、やはり何らかのオーガニゼーションが必要になるよね。まぁアナーキズム的に言えば中間団体ね。


もういいや。いつもの調子になってきて話が重複しそうなんでこの辺でやめるわ。


PS


登場人物では荒巻が一番好きなんだけど、俺のお気に入りの台詞ね。


http://mushroom.cage.to/aramaki.mp3


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