温上げ闘争、その1。

mimisemi2009-02-25

あれだわ、さすがに一括読み派の人もゲンナリするぐらいの量になったんで、今回は分けるわ。ってことで本編です。


ここ最近、調子が良かったんだけど、久々にどん底にヘコむようなことが起こったねっつーのはね、最近寒いんだよね。家の中が。アメリカはさ、基本的に家中にスチームがラジエーターを通して行き渡るようになってて、暖かい・・・はずなんだけど、最近、俺の部屋は寒いんだよ。で、なんで寒いのか?っつーとさ、特に夜中はね、すんげー煩いスチームのボイラーがガーガー物凄い稼働音をたてながら地下室に君臨して俺を悩ませているくせに全くスチームの熱が来ないんだよね。で、このスチームってのはさ、温度設定によって動くようになってて、例えば20度っていう設定にしてたら、室温が20度以下になったら自動的に動くようになるわけね。だからあれなんだ、アパートとかにしたらさっつーか結局、うちもそうなんだけど、温度設定は大家のやり方次第なんだよね。これはドゥルーズ型の環境管理型権力そのものだよね。で、俺はさ、特に最近、前は時間関わらずスチームが稼働してたのに、なんで稼働しなくなったのか?って考えたらっつーか考えるまでもないんだけど、単純に大家がケチってスチームをオフにしてるんだよね。俺はこの大家さんのことが本当に好きだったし、ましてや今まで住宅関係に全く恵まれてこなかったんで、今回の家はさ、立地とか家自体ははっきりいって良くないっつーか、逆に前のアストリアの家に一人で住めるんだったら絶対あっち選んでるわけだけど、でもなんでここにいるのか?っつーと大家さんなんだよね。ようは仮に家が良くても大家が最悪だと色々揉めて大変だから、何気に大家って重要なんだよ。で、俺は大家にだけは今回は本当に恵まれたなって思ってっつーか思い込む事でここにいることを正当化していたんだけど、今回のことで一気にそれが無くなったね。ここにいる大義名分が崩壊した感じ。


っつーか寒いから言ったんだよね。そしたら大家は部屋にある電気ラジエーターを使えと。ただ俺はそんなもんはとっくに使ってるって言ったわけ。これを使っていても寒いんだと。そりゃそうだよ。だって外は氷点下5度とかだよ?ラジエーターで済む話じゃないよね。でも大家は前にいた女の子ですら電気ラジエーターでなんとかなっていたのに、寒いなんていうのはあなたがはじめてだとかって言うわけ。で、俺は法律で大家ってのは夜の10時から朝の6時までは華氏55度を維持しなきゃいけなくて、日中は68度を維持しなきゃいけないっつったんだけど、大家は守っているっていうんだよね。法を。いや、ただおかしいぞと。だってスチームの設定明らかに金を浮かすために変えたでしょ?と。そんな露骨な問い方はしてないけど、でも日中の自分がいないときとか夜中ってのは必要がないから消しているんだっつーんだけど、それじゃー法に触れるじゃない?ってことなんだけど、でも実際、室温を見てみると55度を下回ることはないんだよね。ようはモーターだけノイジーに稼働してスチームがこなくてもね、55度が保てているならそれで問題ないっつーわけよ。まぁここまではっきりとは言っていないんだけど、大家の言う事を解釈するとそうなる。ただこれはインフラの微妙なところで、55度というのがスチームによって保たれていなきゃいけないのか、それとも室温が保たれていればいいのか?ってことなんだよね。アパートでは電気ラジエーターを使えなんて言えないわけっつーのはね、これは実費が使用者持ちになるじゃない?だから最低限の温度はスチームでなんとかしてくれってことが言えるんだけど、今の家の場合、全部込みだから電気ラジエーターを使えっつーのは独自のインフラを自分で勝手に制御して使いたい時だけ使えって話なんだよね。そりゃスチームのほうが暖かくて高いけど、電気ラジエーターは大家にとっては経済的なんだよね。


これって微妙なところなんだけどさ、ただね、いや、やっぱり最低限の温度がスチームで保たれていなかったらダメなんだけど、さっきも書いた通り室温を見る限り55度を下回ることはないわけ。これで下回ってたら、どこまでがインフラでどこまでがインフラじゃないのか?っつーのがさ、ようはスチームという根本的な生活の基盤で適切な室温を提供しろっつーのか、各部屋で独自に温度を調整しろってことになるんだよね。電気ラジエーターを使う事で55度以下になることが防げていたら、俺の部屋の場合なんとなくオッケーになりそうじゃない?っつーのはスチームだろうが電気だろうが大家負担っつーかまぁそれも込みで俺は払ってるんだけど、どっちにするか?っつーのは俺は選べないよね。だから大家が選んだ経済的なインフラの形で俺は生活をするしかなくなるわけ。でもさ、氷点下の外から帰ってきて、室温が摂氏で言うところの10度前後だったら明らかに物足りないよね?15度以上は最低ほしいよね?だけどスチームが動いてないからダメなんだよ。「うわーあったけぇー!」っつーアメリカの過剰な室内の暖かさというのを俺は味わえないわけね。物足りなくても少なくとも寄るから深夜の間では55度がとりあえず保たれていれば問題ないってことだったらさ、仮に大家がケチってたとしても、55度がスチーム無しでも保たれてたらそれはオッケーなんだよね。体感温度としては明らかに寒いんだけど。


で、俺が落ち込むのはさ、大家が明らかに設定を変えたってことなんだよね。俺の信じていた大家が俺らの健康を気にせずにてめぇーの金のことだけ考えて設定をいじってるわけよ。で、電気ラジエーターで十分だろっつって外が氷点下の中、俺は10度前後の室温に堪えなきゃいけないわけ。最初はさっき書いたように「良い大家さんに会えた!」つー思い込みっつーか物語を自分で作ってそれを信じる事で多少の不便も我慢するんだよね。それは前のアストリアの時も同じ。キューティー一家との生活っつーか家自体も最悪だったニュージャージーから移ってこれたってだけでもうさ、最高にハッピーだったわけだよね。で、ルームメイトはマンハッタンでバリバリ働いている人で頼りがいのありそうな人だ!っつって自分の新たな場所に関するポジティブな印象を形成させるわけ。で、それを思い込んで物語化して信じ込ませる。ただ宗教でも政治の世界でもこういった張り子の物語というのは脆いもんで、ちょっとしたきっかけですぐ亀裂が走ってんで崩壊するんだよね。前に家で言えば立地とか場所は最高だったけど、ルームメイトが最悪だったっつーのがさ、まぁ俺を1年以上も悩ませることになったんだけど、でも「この立地は他にはないぞ!」って思い込むことでなんとか耐え忍んできていたんだよね。でもそれも限界っていう。リビングで勝手にパーティーやられたら俺は何もできませんよっていう。あなたの性格なんなんですか?っていう。俺の反民主主義論に決定的な影響を与えた人が前のルームメイトなのは少なくともウォール伝では有名な話だね。


で、今回の物語の崩壊だよ。スチーム程度で大げさって思うかもしれないけど、崩壊する予兆ってのはもうすげー早くから感じてたわけっつーのはさ、明らかに問題がある大家の家庭環境っつーかさ、もう息子と大家との口論が凄まじくてさ、引っ越してきた当初はね、で、息子は途中で馬鹿みたいに吠える犬と一緒に出ていったんだよね。で、静かになったのはいいんだけど、でも大家の母っつーかまぁおばあちゃんとも上手くいってない感じなんだよね。このおばあちゃんってのがさ、会うと「ハァーイ」なんてモロ中国訛りな英語で笑顔で喋りかけてくるんだけど、普段の特に娘っつーか大家と喧嘩した後とかすんげー顔してるんだよね。ある時も物凄い形相で地下のリビングで手を洗っててさ、で、あまりに凄い顔だったんで俺は唖然としてたんだけど、そしたら大家がこのばあちゃんに中国語でなんか話しかけた後、パフォーマティヴにあえて俺に伝わるように英語で「なんでここで手を洗っているの?迷惑じゃない!」なんて言うわけ。まぁそうなのね。地下のキッチンは俺と向かいの日本人の使用物だから、基本的に大家は使わないのね。で、この頃は大家と息子の喧嘩が激化していた時期だったから、ばあちゃんも嫌気が指して勢いで地下で手を洗っちゃったんだろう。


他にもさ、普段っつーかさ、キッチンの掃除とかばあちゃんの仕事なんだけど、すんげー顔して掃除してるのね。いかにも嫌ですみたいなさ、娘にやらされてますみたいな感じが凄いの。で、たまに俺と鉢合わせになると一気に笑顔になって「ハァーイ。グランマは掃除中」なんて片言の英語で喋るんだけど、そのギャップが凄いんだよね。普通から社交的な笑顔ではなくて、闇から光ぐらいの差があるのね。で、俺は勝手に母親がこんなんだから恐らく娘っつーか大家もそれなりに問題がある感じに育っちゃって、その結果がまぁシングルマザーなんだろうし息子との不和なんだろうし明らかに問題があって常に人を睨みつけるような顔でいる息子はそういった親によって形成されてしまった可哀想な存在なんだって勝手に思っていたんだけど、今回のことでそれがついに露呈したっつーかさ、普段から俺に良く振る舞っているのはあくまで大家としてのビジネスなんですよっつーのがすんげー分かっちゃったのね。いや、俺は関係がコントラクチュアルなものだとは分かっていたけど、でもなんかさ、基本的に性悪説でいるわりに根本が左翼っつーかヒューマニストっつーか自分で言うのもなんだけどナイーヴなやつだからさ、信じたくなっちゃうんだよね。この人はいい人なんだって。これはソーシャルサイコロジーでもやったんだけど、ファーストインプレッションがもたらすディスポジションってのは相当強いらしいんだわ。最初に良い人だなって思った人の印象ってのは結構長く続くんだって。俺はそれは分かっていたけど信じたかったのね。でもやっぱコントラクトだったなっていう。


本当に良い人だったら俺をこんな寒い環境にいさせることなんてしないだろうって俺は勝手に思うんだよね。自分でも書いてて恥ずかしいぐらいナイーヴなんだよ。こんだけナイーヴだからこそさ、政治的にも実存的にもクールでいたいんだよね。クールっつーのはカッコいい意味じゃなくてドライって意味ね。リアリストってことね。根がアイデアリストだからリアリストになることでバランスを取らないと人生やら自分の思考やらのバランスが悪くなるからね。俺の極左から極右の転向もモロのこういった自分の実存が関係しているわけね。こないだのテロとの戦いの真実じゃないけどさ、思想って大概そうだと思うよね。その考えてた主体の純粋な思想以外の実存的要素が混ざって思想って形成されるんだよね。


まぁそれはともかくさ、まぁこうやって書いてみるとそこまで悲観することでもないんだけど、なんつーのかな?自分で言うのもなんだけど感受性が強過ぎるのね。俺。だからまぁ芸術全般に凄まじいオブセッションを感じるんだろうし、それは知的刺激とかにしてもそうだし、これがそういったところに向かうといいんだけど、人生単位では辛い事だらけなんだよね。人の汚いところとか悪いところがあまりに見えすぎちゃって、んでそれがショックですんげー落ち込んじゃうの。「信じてたのにな・・・」とかって勝手に思うのね。俺って普段からよく批判するじゃない?自分で勝手に信じてただけで、それはてめぇーの勘違いなんだとかって言うじゃない?こういうのってほとんど自己批判みたいなもんなんだよね。自分にそういう傾向があるんで、そういう傾向があるやつとか傾向が目立つものに関しては自分が持っていることだから余計に憎くなって辛辣な批判をしたくなっちゃう。


だから俺って人間関係全般ダメなのね。ちょっとしたことでも俺にとっては大事だったりさ、何気に見える人の嫌なところとか汚いところってのがもうすんげーエンハンスして見えちゃうんだよね。そんなの主観的な思い込みなんだから、エンハンスして見えるなんてどうやったら言えるんだ?って言われそうだけど、そのツッコミは凄く的確だけど、これは俺の病気全般に言えることで、俺はあらゆる意味で精神面でも感受性にしても人とは違いすぎるものを持ってるんだっつー気づきがあったからこそさ、自分を対象化して考える事ができて自己分析してここまでなんとかやってこれたわけだし、今の自分がいるわけね。人と違うというのは自惚れでもなんでもなく、色々な人の考えや見方とかを見てきて行き着いた結論なんだよね。そこがまぁ俺のパンピーへの憎悪なんだけどね。あいつらは鈍過ぎるし本当に馬鹿で愚鈍だみたいな賢人気取りみたいな感覚がある。でもそれは後期のニーチェ的な思い上がりではなく、差異という意味では本当にそうなのね。だって人ってそれほど考えてないしそこまで観察してないもん。俺はそこがありすぎるから病気が酷くなるっつーか、それがあるからこそ病気があるんだって分かったし、だからこそ薬とかで治るもんじゃないんだなっつーことも分かったわけよね。敏感という意味だと知覚全般そうだからね。だから地下なのにも関わらず部屋もあらゆるところを閉め切っているし、普段は耳栓をしているか、射撃場で使うようなイアマフをして生活しているわけ。もうノイズがたまらなくダメなの。ハーシュノイズとただの雑音の違いは前に書いたから繰り返さないね。


知覚過敏っていうと変だけど、これはアメリカに来てから分かった事だよね。俺は本当に異常でキテいる人間なんだなっていうのが本当に分かったわけね。地下で全ての音と視覚を遮断して本を読んでるとか何かを作ってるとか何かを書いているとかってさ、完全に変人キャラじゃない?でも俺の場合、変人に憧れて真似ているわけではなく、自分のやりたいようにやっているとある意味でティピカルな変人みたいになるんだよね。ここが重傷なんだよ。ちょっと変人っぷりを楽しんでいるぐらいだったら健全なんだけど、俺は根っこからの変人だから、はっきりいって悩むことのほうが多いわけ。


で、この悩む事ってのが今回の大家みたいな話なんだよね。考えなくてもいいことまで永遠を考えちゃう。おばあちゃんがああで大家がああで息子がああで・・・っつーのが他にも続くんだなっていう絶望とかさ、人間の本質とかね、結局、今回の大家の件でも思ったのが人間がやる悪いことっつーかさ、悪いところこそまさしく人間の本質が現れるんだよねっつーのはさ、良いところっつーのはその人が社交的なテクニックとかキャラ作りでやっているかも分からないわけ。ダブルスタンダードっつーかさ、二枚舌っつーかさ、そういう可能性がいくらでもあるわけ。大司教様が信者に素晴らしい説教をしているっつーのは大司教の社会的な振る舞いで、大司教の本質が現れるところっつーのは、大司教様は隠し部屋で少年や少女に性行為を強要してそれをビデオに撮ってましたってところだよね。ここに大司教様の社会的振る舞いなんてのはなくて、そこには剥き出しの大司教様以前のその人間の実存がある。こういった実存の現れってのはむしろ一般的に言えば負の部分に出る事が多いんだよね。


負の部分に関しては二枚舌なわけもないしねっつーのは、あえて人から嫌われるようなこととかあくどいようなことをやる必要ってのはないでしょ?チャリティーってのは社会的振る舞いの意味での善で、実際は税金対策っつーところがあるわけじゃない?で、税金対策っつー負とは言いきれないけど、まぁゲンナリするようなところにこそリアリティって出るよね。こういうことなのよ。人間もそう。で、あえて自分で言うと感受性が強過ぎる俺はこういうところばかりが目についてしまって、実際は本当に良いところもあるかもしれないっつーのが悪によって全部無くなっちゃうんだよねっつーか悪の過剰な一般化があるんだよね。こいつはこういうところがあるからもうダメだって良いところを見ようとしない。もしくは良いところも色々と推理して見せかけだみたいなのを暴いちゃうようなことも多いわけ。少なくとも自分の経験だと自分の推理が間違った事は一度もないんだよね。ちなみに親父もこういうところに長けているのですぐ精神的にダメになるのね。だから頭が割と良いのに社会的に成功しないの。で、根っこからのヒューマニストだから色々な裏切りにあって損をしちゃうわけ。会社の損失のスケープゴートにされたこともあるんだよ。あれは親父の甘さもあるんだけど、プラスに見れば人が良過ぎて利用されやすいってことなんだよね。これは親父の親父の代から続くうちの伝統なんで俺はそんなのは繰り返さないぞ!って思ってる事もあって、リアリストな自分にコミットしていきたいんだけど、ただやっぱ血は争えないよね。明らかに爺さんからの遺伝子を俺は持っちゃってる。だから俺はナイーヴなんだよ。


俺の異常な精神性について色々リサーチしていた頃に親とのスカイプで親戚の話とか色々聞いたんだよね。親父とか母に。でもやっぱ俺は特異なんだそうだよ。爺さんもナイーヴなところはあったけど、でもすんげー自分勝手で、例えば俺みたいな意味でのナイーヴさっつーか精神性を持ってたらできっこないだろうっていうようなことを色々してきたんでまずそれはないっつってさ、それは親父もそうなんだよね。そういうところはあるけど俺ほどじゃない。だから俺は本来的な遺伝の因子と他の因子が強く出過ぎてこんな変な神経系を持った人間に生まれてきちゃったんじゃないか?っつー結論にたどり着いたんだよね。家系的な神経質な気質みたいなのは受け継いでいるんだけど、俺の精神構造っつーのは特異過ぎるってことでもうなんかの事故だろうって感じなんだよね。良く言えば天才とかギフテッドとかになるんだろうけど、それは前にも書いたよね。自分はそうなんだって思う事で自分の異質性も含めて全部肯定するっていうね。でも実際はこんなのは劣性遺伝子っつーかさ、優性とは言いがたいってことなんだよね。あ、劣勢と優性ってのは関係ないか。いや、俺が言いたいのは優れた遺伝子というわけではなくて、むしろ欠如した遺伝子構造だろうってことなのね。だってあまりにバランス悪いんだもん。ましてや本当の天才達みたいな業績なりを残さないと社会的にも変人のままだし本人は大変な思いをするだけなんだよね。これも前に書いたね。何も業績を残している人達だけが天才なんじゃなくて、埋もれているっつーかダメ人間としてしか見られていない天才気質みたいなやつらは大勢いるんだろうなってことね。中には自殺をするやつもいるかもしれないし、そう思うと実際の天才構造を持ったやつらがいくらいるかなんて本当は分からないよね。だからこそ俺は悪しき平等主義から脱却して欧米みたいに日本もギフテッド教育に力を入れるべきだって思うんだけどね。


天才というと自惚れっぽいし言葉が一人歩きしすぎているような気がするからあんま使いたくないんだけど、ある特殊な精神構造を持った人間ってことね。好きな事には異常な興味を示すんだけど、興味がない事には一切集中できないとか、社会性に欠けるとかエキセントリックなところがあるとかさ、ようはマイノリティの人間のタイプね。こういうのがただならぬ才能を発揮して業績を残すと変なところも含めて天才と呼ばれるようになる。従って社会的なサンクションがなければただの変人ってことだ。


ね?別に優れているってわけじゃないんだよ。そういう意味で俺は完全にこの変人のコロラリーに入っているって確信をしたわけね。まぁ去年の話だけど。まぁだから俺は逆にレアな人が求めても得られない精神構造を持っているわけだから、これを神から授かったギフトだと思い込む事で自分を救済しているわけね。


はい。ってことで明日に続きます。