温上げ闘争、完結編。

mimisemi2009-03-01

はいでは3からの続きです。今日が正真正銘の最終回です。


あと前のルームメイトとの間でよくあったんだけど、相手がアホ過ぎて話を理解できないっつーのがあるんだよね。俺が順序立てて話をすると口を挟んできて「いやいやーそれはぁー」とか何も考えずに思いついた事だけ反射的に喋っちゃうみたいなさ、それが永遠と続くと結果的に両者ともイライラし始めて口論みたいになっちゃうんだよね。で、明らかに相手が悪いのに、「君が原因なんだぞ!」って言ったところでまた相手を怒らせるだけだから、あえて自分が譲歩したり妥協して相手に議論に乗るレールを作ってあげないといけないんだよね。でもさ、結局話し合いが済んだ後に「なんでこんな俺が苦労しなきゃいけないわけ?」ってどっと押し寄せる疲労と共に思うわけだよね。で、アホなやつらへの憎悪が深まる。で、それが極端な形になって「俺はバカとは話したく無い」みたいな賢人気取りみたいな言い方になってしまう。でも俺は賢人を気取っているわけじゃなくて、経験からそう言っているだけなんだよね。パンピーへの批判も同じ。個人的経験とかこっちのコミカレとか町中でも見かける馬鹿を見て、「なんて馬鹿が多いんだ!この世の中は!」って思っちゃうわけ。


そこは自分は頭が良いのだというような自惚れから来ているんじゃなくて、単純な自分の観察からくる感情から来ているんだよね。なんつーかプロセスを通したら必然的に出て来るような結果としての感情っていうかさ、そこに「自分は凄いんだ」とか「自分は偉いんだ」みたいな考えは介在してないわけね。恐らく自分は凄いんだみたいなものが介在するのはさっき書いたような秀才タイプに多いと思うんだな。彼らは頭が良過ぎるから他のやつらが馬鹿に見えて当然なんだよね。ただ俺みたいな精神構造から見えてくる彼らの馬鹿さというのは様々な推測とか観察からくる「なんでなの?」っていう疑問だと思うんだよね。「なんでこういう風に考えられないんだろう?」ってナイーヴに考えちゃうっていうかさ、秀才の場合「馬鹿はこのぐらいしか考えられないのだな」みたいな感じでパンピーを見ているよね。それはさっき挙げた人達の中にもそういう態度の人はいるよね。まぁ仕方のないことだと思うけど。


速いスポーツカーに乗っている人がファミリー向けの車を見て「ショボい馬力だ」って思うのは当然だよね。でも感性豊かな人達の場合、彼らの独自の基準でのベッキーがあるんだよね。まぁベキ論って意味なんだけど。彼らの基準が普通とは逸脱しているので、「なんでこういう風に思わないんだろう?」ってそれがスタンダードではない基準から来ちゃうんだよね。それが失望に変わったり憎悪に変わったりするわけ。俺の場合、その基準というのがサイーヴな性善説だからさ、人を信用しすぎたり、自分が良いと思った人を信じたくなるような傾向性が生まれて来るんだよね。いや、でも違うんだぞと思う事がまぁ俺のバランスの取り方だってのはさっき書いたよね。で、大家はさ、まぁそこまで深く考えて温度の事なんて考えてないかもしれないわけ。俺も向かいの人も電気ラジエーターで十分で、単純にガス代が勿体ないからいないときは消しておこうぐらいに思っているのかもしれない。


でも俺にとってはそれが大事でさ、「大家は凄まじい過ちを犯している!」なんて勝手に思い込んで失望するわけだよね。まぁ短絡的な行動という意味ではどの道失望するんだけど、その失望の度合いが半端じゃないっつーかさ、「なんなんだよ!」っつー凄まじい爆発しそうな怒りにまで発展しちゃうんだよね。もはやこれを感受性のようなポジティブなタームで言っていいのか分からないな。ただスキゾなだけどか思い込みが激しいだけとも言えるからね。だから昔から親によく諭されるんだよね。「相手はそこまで深く考えてないよ」って。それは親が俺の深く考えすぎる傾向性を熟知して諭しているんだけど、親は普通の人だから普通の感覚から諭してくれているわけだよね。そう思うとやはり俺の基準ってセンシティブでエッジーで鋭いながらもやっぱズレてるんだよね。良くも悪くも。そのズレが良い方向に働けばクリエイティブになったりプロダクティブになったりするんだろうけど、悪い方向に働くとただの誇大妄想狂とかさ、勘違いとかさ、気違いみたいになっちゃうんだよね。だからバカと天才とは紙一重って昔から言われるんだよ。


これはしつこいようだけど秀才みたいなタイプの天才には無いことだよね。むしろ秀才達はその頭の良さを駆使して現実的な問題なんて赤子の手を捻るぐらいの力で解決しちゃうわけだよね。でも特殊な精神構造を持った人達ってのはそこでいちいち葛藤があるんだよね。で、考えなくてもいいことまで細かく考えるような精神的労働があるわけね。で、行き着いた結果はもしかしたら秀才達が1秒ぐらいで出す結果と同じかもしれないんだけど、特殊な人達なりにスキゾに考えた結果がそうだったりするんだよね。もしくはそこですんげー独創的な結果が出ているかもしれないし、そこがまぁ天才か変人かが決まるところなんだろうけどね。


「大家はそこまで深く考えてないよ。うん」って済ませればいい話なのに無駄に色々考えた結果が今回のウォール伝だよ。明日、ソーシャルサイコロジーのテストがあるのにそれどころじゃ無くなっちゃって、んで一夜漬けの時間が無くなっちゃったみたいなね。いつも俺ってそうなんだよね。ただ一個一個自分なりにこうやって考える事で自分なりに色々なことに対して答えを出してきたり、自分なりに解決をしてきたんだから、まぁこれでいいんだよね。で、結局は人間関係っつってまぁ自分が苦労しないような人だけと付き合ってればいいんだよね。まぁ社会に出たらそうはいかなくなるんだろうけど、だからこそ社会に出ても引きこもりでいられるような職に就きたいわけね。俺は。天才だの超人だのって色々書いたけど、最終的に一般的に見ればこれってただの痛い奴でしょ?痛い奴が永遠と考えなくてもいいようなことについて思考して、それをずーっと書き連ねてるわけでさ、だからウォール伝って痛いブログなんだよね。たまにまぐれみたいな良い評論とか哲学的なものが出てきたりするんだけど、その痛さと良さの境界線がブニュエルの映画みたいに曖昧なんだよね。


それこそスキゾにシュルレアリスティックに思考がグルグル回転しながら何かを出力しているって感じでさ、だから統合されてないんだよね。まぁ統合失調症ってことだね。まぁ俺は分裂病って呼び方をしないと言葉の本質から乖離しちゃうって凄く思うんだけど、でもあれって小泉の政策だったんでしょ?本人が昔、分裂病って診断されたんで、イメージが悪いからっつって呼び名を変えたみたいな。まぁいいか。だからね、あれなんだよね、たまにブックマークがついたりさ、星がついたりするやつはもしかしたら「この人凄い!」とかさ「この記事は凄い!」とかって思ってくれた人がつけたものかもしれないけど、それって全部偶然の産物なんだよね。本人としては凄いものとただの垂れ流しみたいなのの差って全然無いんだけど、それを第三者が評価してくれて初めて例えばそこで書かれたものだけが異彩を放つようなエントリーとして見なされるわけだよね。だから全然これは天才ブログでも何でもないんだよね。誰かが「こいつ凄い!」と思えばその人にとって俺は天才になるし、「馬鹿じゃねぇの?」とか「痛い」とか「頭のおかしい人のブログ」とかって思えば俺は馬鹿とか気違いになるわけだよね。まさしく天才と馬鹿が紙一重たる所以ですよ。つまりは天才とは第三者の評価によって成り立つものってことです。


お、いい感じでまとまったんで今日はこの辺でっつーか明日のソーシャルサイコロジーのテスト大丈夫かな?テスト勉強の時間を全部これに費やしてしまった。あと最後にもう一つ思いついたのでっつーか、行動全般なんだけど、特殊な精神構造を持つ人達にとっての行動って本人達にはそれに理由があったりそれなりに彼らなりの合理性があったりするんだけど、普通の人が見ると奇抜なものだったり逸脱した行動に見えたりするんだよね。最悪なケースが特殊な人がよかれと思ってやったことが普通の人に理解されないってことね。理解されないだけならいいけど「あいつは何してるんだ!」みたいな風に捉えられたら最悪なんだよね。本人達はそういうことの一個一個に過剰に傷ついていって、んでどんどん人間不信になっていくわけ。もしくは日本みたいな社会の場合、自分を押し殺して普通の人の感覚を学んだりしながら、それを自分の中でエミューレトしてやっていくことになるわけ。


秀才の場合、他人が自分の事をどう思うか?というのが見えるんでパフォーマティヴな行為が得意なんだよね。それ故に奇抜に見せる事も計算では可能なわけね。奇抜さを演出してその頭脳の良さと結びつけて自分は天才だ!みたいに見せる事も可能なのね。まぁただ天然の人達からは「あいつは嘘つきだ」って丸見えなんだけどね。だからどうも秀才って嫌なやつが多いんだよね。鼻につくやつが多いっつーか。だから俺は個人的に憧れないし凄いとは思うけど尊敬しないし秀才じゃなくて良かったって心から思うわけ。特殊な人達に共通しているのは山下清みたいなピュアでイノセンスな感情だよね。それ故に悪魔化することもあるし、自己中になることもあるんだけど、それって本人のコントロール次第なんだよね。凄く良い原石は持っているんだけど、それをどう磨くかは本人達次第っつーか。それを磨き上げた人達ってのが俺は本当に凄い人達だなって思うわけね。まぁ山下清が実際ピュアだったかどうかは分からないけど、まぁ比喩としてね、ピュアさとかイノセンスさの擬人化としての山下清ね。ただまぁしつこいようだけど、世の中には特殊な精神構造を持った人達の中にもまた色々な種類があるから、まぁ山下清型みたいなのはその一つなんだけどね。なんつーか結局、社会っつーと大げさだけど、何かを大きく動かせるパワーを持った人達ってこういう中でしかあり得ないと思うんだよね。


歴史がそうであったし、今後も人類が続く限りそうであり続けると思う。そこがやっぱサリエリモーツァルトみたいなね、秀才と天才の差なんだと思うよね。秀才は歴史に埋もれるけど天才は歴史に名を残すわけ。たまに秀才と天才みたいな両方を兼ね備えたやつもいるけど、歴史に名を残しているのはこういう両方タイプが多い気がするな。ようは誰もが認める天才ってのは秀才タイプと特殊変人タイプの要素を同時に持っているってことね。ただあくまでそれは変人という枠組みの中で秀才といったある種の能力が備わっていただけで、あくまでコアの部分は特殊タイプなのね。特殊タイプのCPUと秀才タイプ並のメモリって感じかな。逆を言えば秀才タイプはCPUはパンピーと一緒でメモリがやたら多いってことになるのかな。だから普通の人も頑張れば彼ら並の知識は得られるかもしれないわけね。彼ら並の頭脳は逆立ちしても無理だけどね。あ、もっと良い言い方を思いついた。特殊型はOSが違うってことね。秀才タイプはOSはパンピーと一緒だけど、ハードウェアの質がやたらといいって感じなのね。だから処理能力とか計算能力とかロジカルなものが得意なわけ。


特殊型はOSが違うんで何が出るか分からないっつーね、ただ誰もが認める天才っつーのは特殊なOSの中で、秀才タイプ並の優れたハードウェアや周辺機器を持ってるってことね。まさしく鬼に金棒だね。ただOSが特殊であるが故に不安定でクラッシュすることが多かったり、自分で勝手にショートしたりすることもあるっていうね、なんつーかそのOSのイメージとしてはバグだらけの4次元的なものって感じかな。エラーをエラーと見なさないとかさ、バグをOSの要素として持っているとかさ、なんかそういう危なっかしい感じね。普通の人が使っても使い物にならないようなOSね。そういうOSを特殊型の人達は生まれつき持っているわけ。このコンピューターがショートしていく自滅的な感じってのが映画のパイではよく表されてたりさ、コンピューター基盤張り付いているネチョネチョとか蟻とかが記号的にシュルレアリスティックな天才の精神の構造の境界線の曖昧さみたいなのを示唆してたりするよね。で、最終的に空を見つめてボーッとできるような人が一番良いみたいな帰結は言うまでもなく示唆的だね。ようは特殊型は常にラビリンスみたいな世界観で生活しているから生活の強度は高いんだけど疲れるんだよね。本人達はそれを疲れとは感じないんだけど、それが原因で自滅していくと人生自体は結構惨めなものになるよね。


なんかこれだけ書いても大家の一件が頭から離れなくて寝れなさそう。だから睡眠薬と安定剤を多めに飲んだ。明日試験があるからね。「睡眠薬」とか「安定剤」ってのを出してきてまたボーダーラインな天才チックな雰囲気を作り上げようとしてるんだろ?とかって誰かが言ったような気がしたんだけど、いや、だからこれは天然でやっているから本当の気違いみたいな生活が生まれるわけよ。ガーッ!と何かを書いたり作ったり何かに没頭した後、頭が興奮しすぎて寝れなくて、んで睡眠薬とか安定剤が必要になるっていうね。で、耐性がついてきちゃって、んで薬の量が多めになって、結果的に睡眠時間が物凄く増えて、んで起きがけに妙なことをまた思いついて、んでまたそれをずーっと書き出すみたいなね、まぁ睡眠薬飲めばいいってわけじゃないんだけど、ただですら多い睡眠時間がさらに薬で増えるみたいなさ、なんかまぁこれをまぁ俺は勝手に昔からアインシュタイン脳って呼んでて、俺はアインシュタイン脳を持っているなんてすんげー昔から書いてたんだよね。まぁ半分ジョーダン23だけど。「いや、ガーッっと書くのはいいけど、書いてること自体はたいしたことないじゃん」とか言われたらもうパン・茶・宿直ですね。えねちゅちゅ勃起なマイコー寝ます。


そして朝勃起、朝勃起、ポゥー!とショタネタでイッた後、「アニー大丈夫かい?」「あっ!カーペットに精液のシミがっ!」と言いながらムーンウォークしながら家を出て学校に向かいます。学校で出されるテストはウォール伝のおかげで惨敗です。パンとお茶でスムースに宿直リミナルしながら、天文学の授業でクリティカルの子を思い出してあじゅ勃起、あじゅ勃起、「キミ、頭大丈夫かい?」「爆笑レッドカーペットに精液のシミがっ!」と言いながらムーンウォークしながら教室を出て家に帰ります。帰宅後、大家との温度上げ闘争は続き、また無駄なことをして宿題とかができないままパンとお茶でリアルな難題を濁しながらえねちゅちゅマイコー寝ます。そしてまた朝勃起、朝勃起、ポゥー!とショタネタで抜いた後、「アニー大丈夫かい?」・・・・のルーティンが永遠と続くのが耳蝉の生活って感じですね。まぁ別にそんなショタネタばっかで抜いているわけじゃないけど、大体合ってます。ところでクリティカルシンキングの抜ける子の名前を付けたいな。栗子ってどう?クラスの名前プラス、俺があまりにこの子をオカズにマスカキすぎているんで栗の花のイメージでいっぱいという意味も含めての栗子。


あ、賃上げ闘争の続報なんだけどっつーか色々書いてたら朝になっちゃったけど、驚いたことにあの煩いボイラーとスチームはどうやらリンクしているようでリンクしてないみたい。動いてないんだったら煩いだけだし消しちまえってことで温度設定を最低にしてボイラーを動かさなくしたんだけど、6時半になっていきなりスチームが来たよ。どうやら大家の生活体系に応じたセッティングがされてるみたいね。朝の6時半ぐらいに起きるんで、その時間にセットして、家を出るぐらいには切れるようにしておいて、んで家に帰ってくるぐらいの時に入るようにしておいて、んで寝る前ぐらいに切れるようにしておくってわけか。狡猾だな!大家!自分だけが暖かけりゃいいって寸法だな。こんなケチなことやってるから家庭が崩壊するんだよ。あ、また振り出しに戻りそうなんで今日はもうマジで寝るわっつってもまた怒りで寝れそうにないけどっつーかこの怒り自体も客観的に見ると馬鹿げているんだけど、でもなんかさ、温度設定をすればスチームが来るもんだって思わされていた俺って情けないね。


実は大家が狡猾にプログラミングしていただなんてさ、民主主義みたいね。「温度設定によってボイラーは動き出してスチームも動き出します」みたいなことを信じさせられていて、んでこっちは温度設定とかをいじってスチームの恩恵にあずかろうとするんだけど、大家がこっちが勝手に温度設定をいじるとかって思ってるからプログラミングという予防策をもう打ってでていたんだよね。まさしくスチームとボイラーという名の擬制じゃないか!これは!実際は全部、大家の利益のためにスチームもボイラーも動いているわけだね!俺たちのことなんて全然気にしてないってことですわ。酷いねぇー。投票っつーか温度設定をいじるってことで大家が嫌がっていてもボイラーは動き出してスチームは来るだろうって思わされていた大衆がさ、実はボイラーもスチームも全部見せかけだけで全部プログラミングされてますなんてまさしく不法な政治の手続きだよね。民衆が触る事のできない根底のシステムをあっちがいじっているんで手の出しようがないっていう。ここでソーシャルサイコロジーみたいな枠組みで話をすると、動物っつーか人間って望みがなくなるともう何も行動しなくなるのね。


Learning Helplessのなんたらっつーんだけどテスト勉強してないんで名前忘れちゃったよ。ようは温度設定をいじっても根底のシステムをあっちがいじってるからどうしようもないんだなって思ったらもうこっちがやれることは無くなるから、寒さを我慢するってことね。まぁただそこは人間なんだから闘争をしなければいけないよね!よしまた明日から温度闘争だ!あとあれだ、書き忘れた、怪しいなと思っていたのがね、様々な諜報活動によって得られた情報なんだけど、なんかね、深夜の完全にスチームが切れている時間には洗濯機とかがあるボイラー室全般の電気が来てないのね。ようは元を切っているわけ。豆電球みたいなのがあるんだけど、それがつかないんだよ。夜中に。


これを知った時に完全に大家がコントロールしてるなって思ったんだけど、せこいよね。電気の元切っちゃえば動かなくなるってシステムにスチームはどうやらなってるみたいね。でもそうなると昼間はどうなんだろう?昼間はさすがにずーっとスチームが来ているのかな?電気の元をタイマーかなんかで切るってよくそこまでやるね。そこまでしてお金を浮かせたいのかね?何しろ俺とか向かいの人はスチームも含めて払ってるわけだからね。やっぱ納得がいかないな。っつってもあれか、また最初の話に戻るか。まぁ55度以下にならない限り俺は文句を言えないのか。今日はこまめに観察していたけど、一回も55度以下にはなってなかったしな。でも大家がこれまた狡猾な手を使って55度以下にならないように計測器をいじってたらどうなるんだろう?「55度以下にならない方法」みたいな大家のテクみたいなのがケチな大家の間で広まってるのかもね。そうなると俺が温度計みたいなのを買ってきて部屋の温度を測るしかないのかな。そこまでやるかね?温度上げ闘争のために。まぁとりあえずあれだ、計測器は55度以下になってないから、もう一個、電気ラジエーターみたいなのを借りるしかないな。


結局最後は気違い的な終わり方でしたね。ってことで宿直。あ、んで格言みたいなのを思いついたので。「期待は裏切られるためにある」っつーか長過ぎです。これが一回分だったわけでさ、1から今日のやつまでね、恐らく一回に書いたやつだと最長だったんじゃないかな?あとソーシャルサイコロジーのテストなんだけど、Cプラスでした。まぁ100点満点中70点って感じ。全く準備してなかったのにそこそこできたのはやっぱり興味のある学科なのと、こういう社会学的っつーかサイコロジカルな概念をちょっとかじってるから頭に入ってきやすいんだよね。だからこういう学科だと授業に出ればそんなにまぁ無茶なテストでも無ければ割とマシな点数は取れるんだよね。まぁ実際はBマイナスぐらい欲しいところだけど、まぁ俺の頭ぐらいだったらCプラスぐらい取れれば十分かもね。4大に転入できれば問題ない。ようは学校の成績っつーよりかは自分の好きな学科だけやることが目的だからね。

できそこないの男たち (光文社新書)

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