攻殻機動隊 -Solid State Society-。

mimisemi2009-03-02

で、まぁようやく攻殻機動隊のSolid State Societyを見たんだけど、これまた凄いね。相変わらずのレベルの高さに愕然としたよ。以下はネタバレになるので見てない人は読まないで欲しいんだけど、これは特に今の日本が抱えている問題をそのまま投影して記号的に様々なものに布置したっていうような、まぁ一種の社会問題へのマニフェステーションって感じだったね。


大体話を要約するとこうかな、まぁあれだわ、政府がっつーか久世がね、まぁ俺の勝手な解釈だけど、久世は恐らく精神のバイナリ化に成功したんだと思うんだよね。それをこの作品が表していたと思う。あの眼鏡のエリート主義の設計者によれば、無意識的因子だか要素みたいなのが顕在化するのは必然だみたいに言っていたけど、俺は恐らくね、まぁ勝手に思う事は地頭だけがやたらと良かった挫折したエリートにバイナリ化した久世のゴーストが憑依したか、もしくは久世の過去の久世の能も含めたデータに見入ったこのエリートが久世に感染してあの社会設計を実行したという感じだと思うんだけど、まぁどの道、あの眼鏡のエリートはただの傀儡だったわけね。傀儡回しと言われていたやつも実は傀儡で、実際、傀儡を回していたのは久世のバイナリ化した精神・・・という内容に俺は感嘆したわけだ。はっきりいって久世と俺の考えている事はほとんど一緒なんで、相変わらずストーリー的には敵であるはずの官僚側に思いを入れてしまったね。っつーかまぁ傀儡回しに操られた官僚って意味でまぁ久世側に思いを入れていたって感じなんだけど、相変わらずこれまた敵/味方といったような単純な二項対立ではない、鑑賞者によっては敵側に感情移入するということもありえるような枠組みが最高だね。


で、その久世の精神が宿った官僚のSolid State Societyっつーのはあれだよね、エリート政治の設計だよね。虐待でどの道死ぬような子を拉致してきてエリート洗脳をして、なおかつ、自分勝手にやってきた今で言う無駄に楽な方法で金を稼いできた団塊世代みたいなのが老人化した貴腐老人の「財産を国に没収されてたまるか!」という身勝手な思いに答えつつ、身勝手に金を稼いできた、言わば富の偏在の再配分をするかの如く、恵まれないどころかしょーもない親によって虐待死する運命にあった子供達に富を再分配して、なおかつエリート教育をするっていうさ、まぁ本当に敵ながらあっぱれな設計だったよね。俺だったらそこに拉致という犯罪的要素があっても同意しちゃうだろうな。それがあのエリートというか久世が乗り移っていたやつが言っていた、結果の良さが目に見えている事柄に関しては目先の犯罪行為など取るに足らないことってことなわけで、まぁ一種のネオコン的発想とも言えなくもないよね。良い結果のためなら行動を選ばないっていうような非情さに天晴というかなんというか、でも実際、そこで殺戮をしていたりするわけじゃなくて、ただの身勝手な老人共の自己顕示欲だのを満たしつつ、犯罪でありながらも死ぬ運命にあった子供達を洗脳という形で救い出して、社会というアーキテクチャを担う車輪にさせるというのはある意味で最高の救済方法かもしれないんだよね。ポリティカルコレクトネスが疑われるながらも、生っちょろい政策によって中途半端に行政にとって救済されるように見える子供達や老人達にとっては、もしかしたら久世のアーキテクチャのほうがよっぽど彼らにとっては良いことかもしれないんだよね。まぁその「良いだろう」というのも過剰な正義感からくるある意味での傲慢さなんだけど、そこがまぁ久世の革命家たる所以だよね。


下部構造に沈殿した無意識的因子が上部構造を担う動機なき者に感染して、上部構造から下部構造への改造が行われてトランジションが行われるというのは下部構造からの上部構造への移行ではなく、上部構造からのシステマティックな介入による下部構造改造による下部構造の上部構造への移行だよね。久世は素晴らしい!彼は未来のマルキストだ!!!俺だったら絶対久世の設計手伝っちゃうと思うもんなぁー。仮にそれが違法であったとしても崩れかけた社会変革に必要なことだったら俺だったら協力しちゃうと思うなぁー。


その社会変革へと導くただの媒介者としての人生というのはまさしく政治を担う者にとって必要不可欠な精神性なんだよね。そこに主体などというものはなく、ただ社会変革にコントリビュートする媒介者としてのまぁある意味での道具としての自分がある。そういう精神性を持ったやつこそ真のエリートであるし、シュトラウスの言うようなヴァーチューがある政治家なんだと思うし、真の賢人なんだと思うよね。違法ということで公安9課は設計を阻止したわけだけど、広大なネットに散種された久世のような革命家の精神性というのはすでに至る所で偶発的にミメーシスを生んでいるかもしれないわけで、一媒介者だった眼鏡のエリートの計画がダメになったところで、それは氷山の一角にしか過ぎないんだよね。


公安9課の敵というのが社会変革を望む者達というのがアイロニカルだよね。いや、実際はまぁ敵じゃないのかもしれないけど、恐らく所与のコモンセンスやモラルといったものの表れが公安9課なのであり、草薙素子なんであって、そこが彼らを辛うじて物語の主役にしている記号論的要素なんだよね。ただ実際は俺みたいなポリティカルコレクトネスが無いようなやつが見ればむしろ敵側に共感することも多くなってしまうわけで、ストーリー的には法やモラルの記号的表れである公安9課が勝利するんだけど、実質は敵側の思想が明らかになってそれが実行されかけていたというところに作品の恐ろしさというか素晴らしさがあるよね。敵側がヒトラーみたいな気違いなんではなく、かなり賢い社会設計を目論む連中なんだとしたら、そいつらは敵とは言えないんだよね。そこになんか合理性とか政治思想VS法やモラルといったような、政治を考える上で常に問題になる対立した概念の衝突ってのがあるんだよね。2nd Gigから続くSolid State Societyも含めた攻殻機動隊にはこういった政治・社会思想の要素が凄く含まれているよね。


ってことでSolid State Society最高でした。素子ももしかしたらバトーも根底的には久世を悪の存在だとは思えない微妙なところが描かれているのが良いよね。彼らの仕事は公安9課なんだけど、でも久世がただの誇大妄想狂だと言いきれないような、一種のシンパシーのようなものがあったりするのが良いよね。もしかしたら素子もバトーもその他の公安9課のメンバーも官僚もリゾーム状に広がったネットワーク上に散種された所与のアイデアという傀儡回しに操られているただの傀儡なのかもしれないよね。そこには実体のない傀儡回しという名の人々の意識のあり方を規定するイデオロギーやコモンセンスといったものが強力に主体を構成する力学になっているかもしれないという問いが、人間の主体性のあり方や実存性への問いにまで発展するよね。我々はただのシステムの所産なのか?それとも?ゴーストって一体なんだ?っていうね、これは前にノイズミュージックと主体性ってやつで書いたのと同じ内容になるんだけどね、ただそれはモーツァルトだかも言っていたように、冷徹な音楽理論マシーンと化した人間が素晴らしい音楽を生むのではなく、ゴーストの囁きが素晴らしい音楽を産むんだよね。エジソン然り。だからエジソンはゴーストの囁きが無いものはいくら努力しても無駄だと言っていたわけで、そういう意味だと完全に擬体化している、ある意味で身体性などある意味での人間の自分の体に対するフェティシズムだと割り切っているような素子のような精神そのものを構成しているのが素子のゴースト、ようは素子の魂なんだよね。久世にも素子にもゴーストの囁きがある。だから彼らがいかにサイボーグチックで冷徹に見えても、そこにある意味で対照的とも思えるような人間性みたいなのがあるんだよね。これがまた凄くアイロニカルでいいんだわ。


ってことで今日はこの辺で。魂(精神)もバイナリ化できたら俺は精神だけネットに放っちゃって、んで体は捨てるかもな。衣食住いらなくなるし、色んなデータに直接アクセスできるわけだから、これほど良いものは無いよね。身体というある意味での人間の限界性みたいなのを規定している要素が人間の意志にとっての実質的な鎖として働いているなら、それって見方によっちゃーただの邪魔なコストのかかるハードウェアって感じだよね。人間的な欲に対して愛着が無いものにとっては、身体ってのは邪魔なものなのかもしれないね。




いや、こりゃ最高だな。ゲンズブールとかフランスギャル好きだったら絶対気に入るよね。今までチェックしてなかったのが惜しいぐらい。

フランスギャル以上にフランスギャルっつーかなんつーか不思議だわね。ちなみにアメリカ人です。

http://en.wikipedia.org/wiki/April_March

元ネタということでもう一個。