耳蝉のレベルが上がった!

mimisemi2009-04-12

というかさ、例のキャリアウーマンの人と会ってグッケンハイムとか行ってきたんだけど、俺って凄く人に恵まれてるなって思うっつーかまぁこの人が凄いまぁ俺の支えなんだよね。頼りにしすぎてもいけないんだけど、なんつーかまぁ凄く頼れる友達というかさ、滅多にいないタイプだと思うんだけど、まぁ俺が窮地なのは変わらないとしても、なんかやっぱ精神的に全然違うよね。こういう友人がこっちにいるのといないのとでは。で、こういう言い方はあれだけど、アメリカ人ではましてや滅多にこういう人はいないと思うんだよね。非常に稀な人なんだけど、前にも書いたようにある種のオカルト的なパワーがこの人にはあるんだよね。オカルトというと失礼だけど、何かの凄いパワーがある人っつーか、この人の話を色々聞いてても結構色々と普通では考えられないようなことが普通にある人でさ、そういう意味でも稀な人なんだよね。まぁいいや。それはともかくまぁ精神的にかなり立ち直れたというか、やはり持つべきものは友だなと改めて感じさせられたわけね。あとある意味で自分の状態より心配していた実家のことなんだけど、幸いなことに親父が転職して忙しいのは事実なんだけど、その転職した先の会社というのが今までの人生に無いぐらい合っている会社で、会長とダイレクトに意気投合しているような感じらしい。


詳細は省くけど、過去の年収が良かった仕事も精神的にはっつーかやりたくもないようなことを永遠とさせられていたという感じがあったわけだけど、この会社では仕事とやりたい事というか自分のビジョンというのがダイレクトに繋がっているらしい。まぁ俺と哲学との関係みたいなもんだね。で、俺はあえて「それは俺を励まそうっていうレトリカルな言い方なの?」って聞いたんだけど、本音らしくて安心した。親父も俺と同じメンタリティの持ち主なんで精神的なダメージがコンスタントに続くと精神崩壊とまではいかないけど、体がダメになっちゃうんだよね。繊細なので。それが俺にとっては凄く心配だったんだけど、親父曰く、過去と比較して、身体的なレベルの疲れはあるけど、精神的なレベルの疲れで言えば全くないどころかエナジーに満ちあふれているらしい。それこそやりたいことがやれていてなおかつくだらない連中と付き合う必要も無いという理想的な環境にいるので、むしろ今のノリにノっている俺のように体調は良いらしい。


いやー安心した。マジで。実家が大丈夫ならオッケーでしょう。俺はなんとかなるわけだから。親父が鬱とかになってもずーっと働き続けるとかさ、そんな環境で俺はこっちで勉強するっつっても道徳的に難しいじゃない?でもそういう一番の心配が無くなったことで凄く安心したね。あとはもう俺の問題しかないわけだから、俺が具体的に解決するしかない。俺が動けばなんとかなる範囲ならやるしかないから心配してもしょうがないんだけど、親父と会社の関係とかって俺ではどうしようもないからね。そこが正直一番心配だったんだよ。それが実際はそんなことなかったってことで凄く安心したね。最近の鬱や不安は実家というか親父に対する不安っていうね、親父大丈夫かなぁー?っつー不安だったわけで、まぁスカイプで色々と話したんだけど全然大丈夫どころか生きてきた中で大変ながらも今がベストらしい。俺と一緒だねーなんて話してたんだけど、まさしくそうだよね。俺も今までは苦労しかなくて、やっと今、輝けてるっつーかまぁ能力を発揮出来ているわけでさ、それが親父にも起こっているっつーのが凄く嬉しかったと同時に改めて意志の力の強さを感じたね。つまりは強い意志を持つことが何かを動かすってことで、それは親父の意志でもあるし俺の意志でもあるわけで、それが相互的に作用し合った結果、今のような状況が生み出されているに違いない。まぁ半分オカルトだけど、ポジティブに今の状況を解釈すればそういうことになるだろう。俺も親父もある意味で崖っぷちである意味での逆境にいることは間違いないんだけど、そのエッジにいるということで輝けているのならそれでいいじゃないかっていうまぁそういう感じだね。ってことで不安材料が無くなったと同時に親父との会話や例のキャリアウーマンの人との会話で新たな力への意志を得たっつーか、また一歩精神的に進んだ感じがしたね。いや、俺の状況は何も変わっていないんだけど、認識のステイトが一個上がったって感じ。


まさしく思考と人間関係と環境が揃った三位一体による認識の高まりだね。それは思考だけでは得られないし、思考無き人間関係や思考無き生活からは生まれてこない。全てが三位一体となって作用する事で生まれてくるのが認識の高まりなんだよね。だから俺は思考する人間として引き蘢ると同時に凄い人達と会話をする必要があるし、様々なものと関わっていく必要がある。どれが欠けてもダメ。それはアリストテレスが言っていたように哲学という孤独を必要とするものですらもそれは人との対話や関わりによって得られたほうが好ましいし、もっとも好ましいものはそういった条件から生み出されるものなんだよね。幸せ然り。幸せってのは他者との関わり合いを無くした完全な孤独からは生まれないんだよね。それは家族とか友達とか恋人とかとの関係によって生まれてくるもので、それは常に相互的なものなんだよね。もちろんさっき書いたように主体性というのが無ければ幸せというのは生まれてこないわけ。思考する主体が様々なものと関わり合う事で自分が満たされるということがつまりは幸せってことだよね。で、それは孤独な生活によっては得られるものではないっていうね、それがまぁ恐らくアリストテレスが言っていた人間は政治的動物であるということの定義であると同時に、幸せという、まぁ状態というよりかは何かをすることで得られるという感覚ということなのだっていうつまりは定義のことだよね。だからマリファナで幸せな気分になってるときは脳がハッピーなんであって、それは多幸感という作用なんであって幸せなんじゃないっていうね、幸せってのは様々なものの相互的な関係によって満たされることで得られる感覚ということなんだよね。それがさっきも書いたように人間というのが政治的存在であるということと同時に、幸せの最大の条件というか定義でもあるわけね。


まぁ何も俺の状況は変わってないんだけどね。銀行残高は40ドルしかないし、学生ビザの問題とかも全部残っているわけだけども、でもまぁ俺は今は凄く幸せな気分だねっつーのは自分の意志というか心みたいなのを誰かとシェアできたり交換出来たりする事で得られたものだから、これこそが幸福なんだよね。それは親父との会話やキャリアウーマンの人などとの会話によってでしか成されない幸福で、一人では得られない幸福なんだよね。だからこそ人との関わり合いというのは実存のレベルでも不可欠であるし、自分を高めるという目的に関しても不可欠なんだよね。もちろんそれは取るに足らない人との会話ではなく、コミュニケーションの価値が生まれる人達との会話によって得られる何かね。それは学校でも卵とかロバートとの会話の間に一種の多幸感を感じるというのも、つまりはアリストテレス的な政治的実存としての幸福を俺はその時に感じているからだと思うんだよね。それは何にも代え難い幸福であるし、マテリアリスティックなものや独りよがりなものからは得られない種の幸福で、これこそがまさしく本当の幸福なんだと思うよね。


なんとなくまぁ良いことが書けたような感じがするんで、今日はこの辺でっつーかマジで安心したしよい経験をしたね。マジで。示し合わせたようにキャリアウーマンの人とのデートっつーとあれだけど、まぁグッケンハイムミーティングがありつつまぁスタバでの会話とかがありつつ帰ってきたらダイレクトに両親とのスカイプってなんか俺のレベルアップの条件が本当に奇跡のように組まれててさ、なんかまぁまたオカルトチックになるけど凄いな!って思ったね。当初はキャリアウーマンの人と会うのが昨日でさ、まぁ偶然今日になったのもなんかマジで今日だったから良かったっつーか今日以外あり得なかっただろうっつーさ、偶然の重なり合いなんだけど、なんかポジティブな意味で妙なものを感じたよね。恐らくまぁ引き寄せの法則やらThe science of getting richのセオリーってのはこんな逆境でもワークしてるに違いないって改めて思ったよね。全てをこの2つに還元する必要は無いんだけど、まぁこういう出来事が結果的にある種の証明になっているというかなんというか、まぁそれが俺には奇跡に見えるのかもしれないけど、実際は必然なんだよっていうね、まぁ宗教的だけどまぁ俺はこれを信じるかなぁー。力への意志ってのはこういうところからしか生まれないと思うんだよね。唯物論的っつーか論理的に全てを理詰めでやっては得られないものっていうのが、恐らく今、俺が得ようとしている何かなんだと思うよね。まぁもう得ているだろうし、あとはこれをもっと膨らませることに全力を集中したいなって思うんだけど。耳蝉教万歳ですね。マジで。自分の宗教が自分にワークしてるってある意味最強だよね。これ以上の宗教は無いだろう。恐らく。まぁなんで宗教か?っつーとちょっとまぁ不可知なものが介在しているという意味で哲学足り得ないっていうことでまぁあえて宗教って呼んでるんだけどね。


The Being of the Beautiful: Plato's Theaetetus, Sophist, And Statesman

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