風邪なら外に出るな!(テロ防止対策)

mimisemi2009-04-30

あれから学校ずーっと休んでるっつーかさ、今日も休んだっつーかまだ始まってないけど休もうと思うんだけど、たぶん俺の風邪のレベルって二日前はともかく昨日とか今日は社会人だったら出社してるレベルなんだよね。恐らく。たださ、「風邪だと?それは精神がたるんでるからだろ!なんとしてでも来い!」とかさ、「体調管理は自己責任だろ!」みたいな言い方ってあるじゃない?日本みたいな国に顕著だと思うんだけど、このロジックって相当アホだよ。前にも書いたように俺が一貫して思うのはね、風邪の人は微熱でも外に出るなって話なんだよね。職場とかに限らずさ、鼻水ズルズルでゲホゲホしててくしゃみしてるやつがパブリックな場所に現れてくれるなって思う。マジで。風邪のやつが電車に乗るってこと自体がもう病原菌撒きっていう犯罪と捉えていいと思うのね。本人は頑張ってるつもりかもしれないけど周りっつーかそいつの同僚以外にもね、そいつの近くにいた人達全員ってのが迷惑するんだよ。だから風邪の度合いはともかくとして、風邪になっててなおかつくしゃみとか咳があるなら自宅待機っつーね、法律とまではいかないけど、コモンセンスを作ってほしいよね。自己管理論もさ、分かるけど、でもね、例えばずーっと休み無しで出勤とか通学してきた人が風邪になったっつったらそれって許容範囲内でしょ?普段から休みっぱなしとかさ、風邪ばっかひいてるとかだったら分かるけど、そうじゃないと人が自己責任だ!なんて言われるなんてマジでおかしいよね。


いや、これすげー言われたってほとじゃないけど、社会でこういう物言いが通用しているっつーのがあるじゃない?風邪でも頑張るみたいな。そんなのただのてめーのオナニーなんだって俺は言いたいね。あとはそいつが会社とか学校を休む事でそいつ自体の損失にもなるってことで無理をしてでも出社するとかね、これも他人のことを考えないオナニーね。自分の立身出世しか考えずに、他人のことを考えないドアホってことになる。てめぇーは病原菌を外に出てばらまいてるんだよっていうね、そういう自覚が無いとダメだし、考えられないとダメね。だから前に俺が共通善のために学校に行かないって書いたけど、まぁダルいっつーか鼻がズルズルだからね、身体はなんとか動くけど、でもこんなんで学校行ってもしょうがないっつーのもあるし、まぁ単純にそれで休めることで読書がはかどるっつーのもあるけど、やっぱ要素の一つとして他の生徒のことがあるよね。授業中にさ、普通のレベルじゃなくズルズルっていうレベルの鼻汁をすするやつとかさ、そんなやつがクラスにいてほしくないよね?で、たまにくしゃみをするってさ、クラスに窓が無かったりして、んで乾燥してたりしたらもう病原菌の巣窟になるよね?俺がいるクラスは。これを考えると俺は黄金律じゃないけどさ、他人が嫌って思う事を俺はやりたくないんだよね。


だから仮に俺のグレードが下がってもやっぱ俺の今みたいな状態で学校は行くべきじゃないのね。熱の問題ではなく、微熱でも風邪を引いてるってことでやっぱそれは学校を含めて外に出ちゃダメなんだよね。そんなこと言われても休めないっつわれてもね、だったら文句は会社なり学校に言うべきだね。まぁ俺の場合、グレードが下がるだけでそこまで大事じゃないけど、会社とかの場合大事かもしれないけど、それは会社の人間達がさ、風邪の人間が来る事で感染者が増えて能率が下がる可能性があるっつーね、合理的な面からでもそういう判断をしなきゃダメね。風邪でも頑張るとか糞食らえだよ。それはてめぇーの自己満足と勘違いした努力なんだよっていうね、日本って精神性みたいなのが重要視されるから、風邪でも頑張るみたいなのが美徳とされるのかもしれないけど、はっきりいってただのテロリズムなんだよね。これは。歩く細菌兵器ってのがインフルエンザとかに限らない風邪をひいた人達の形容詞なわけでね、だから外でちゃダメね。あとまぁ耳蝉法としてこれは制定したいね。風邪だったら絶対休むべし!っていうね、それが原因で他人に病気をうつしたりしたら罰せられるみたいなね、まぁこれってどう判断するの?ってのが微妙だし、会社を休む理由としてバッチリになっちゃうから悪用されることのほうが多いと思うから、まぁ制定するかはともかくとして、一般ルールとしてあってもいいんじゃないかな?って思うよね。


だってね、俺の風邪の原因だってさ、単純に窓の閉め忘れとかじゃなくてさ、先週の水曜日にさかのぼれるんだけど、英語の授業でさ、それこそもうテーブルにグターッってなるぐらいのレベルの風邪の子がいてさ、正直「来るなよ」って思ったけど、感染要素はあったね。マジで。で、木曜ぐらいから鼻の奥が痛くなり始めて、んで金曜に発熱っつーね、まぁ発熱してたのに学校行っちゃって、んでロバートと永遠話してたっつーのはあれだけど、でも土日でなんとかなるだろうって自信があったんだけど、そう簡単に治らないんだよね。風邪って。いや、凄まじい高い熱とか凄まじいダルさが永遠と続いてるとかっていう酷いレベルではないんだけどね、でもやっぱ全然風邪っぽいっつーかさ、ましてや豚インフルエンザとかが流行ってるこのご時世にこの弱った身体っつーか病原菌とバトル中の俺が外に出るなんて危ないんだよね。怖く無い?だって。死人が出てるようなインフルエンザが流行っててさ、んでまだ本調子じゃない身体で外に出るって怖いよね?それもあって一切外に出たく無いのね。まぁ昨日は買い物には行ってきたけど、やっぱ動くとダルさを感じるよね。家にいるとそうでもないんだけど、動くと本調子じゃないってマジで分かるっつーかあと味覚ね。口の中がなんか鈍い感じっつーの?まぁ完全に風邪なわけだけど、ただまぁ日本的なレベルだと頑張れるレベルなんだけど、俺は風邪で頑張ることは犯罪に等しいと思うので頑張らないのね。いや、内職とかなら全然やってもいいんだよ。まぁ体調と照らし合わせてね、それは自分の裁量でやればいいわけ。宿題然りね。家で出来る仕事なら全然やってもいい。問題は外に出るってことなのね。


ってことでね、会社っつーかさ、みんな病人に対してアファーマティブになってほしいと同時に風邪で頑張るっつーのはヤバいっつーかダメっつーか良く無いことなんだってマジで思っておいてほしいよねって思うよね。会社側っつーか雇用側もさ「とっとと治してこい!」って言えるようなね、「そんぐらいなら大丈夫だろ!出社してこい!」とかさ、病人を責めるような言い方っつーのかな?もうこういうのはアウトね。キツい言い方でもさ「治るまで会社に来なくてよろしい!」って言えるぐらいでもいいと思うんだよね。労働力という意味でも病人が会社に来ないという意味でもさ、そいつにとっても会社にとってもベストなのは何日かかろうがそいつが風邪を治すってことなんだよね。中途半端に治ってもまだダメね。完治してからじゃないと来ちゃダメね。そうじゃないとテロリズムになるから。会社の人間だけじゃなくて電車に居合わせた人間とかね、公の場で細菌兵器を使うことになるわけだから、それは犯罪なわけね。


いや、これも本当に正論でしょ。ウォール伝っつーか耳蝉の正論ぷりって凄いなって思うんだよね。変な事を言っているようでただの正論っつーね、ただ一般的な理解とかルールと違うことがあるんで変に見えるんだけど、実際は大抵言えてるっつーね、これがようはあれなんだよね、ポリティカルコレクトネスじゃないけどさ、既存のルールと照らし合わせてダメなら正論でも言えないみたいなさ、それってダメだと思うんだよね。既存の概念が間違っているなら正しいことを言っていかないといけないし、それが社会に組み込まれなきゃいけないんだよね。ってことでね、いや、マジでね、風邪の人間が外に出る事は犯罪ってマジで気に留めておいてほしいね。そいつが頑張るっつーのはそいつの自分勝手な行動でね、そいつは他人を考えてないってことね。これもポイント。それはえらくもなんともない。病原菌をバラまいてでも立身出世にコミットしたいっつー話なわけでさ、それは自分勝手なんだよ。仮に重要なミーティングとかさ、何かしらの重要なことがあってもそれはただの会社内の事情なんであってね、例えば満員電車とかを考えると分かるけど、一つの会社の事情によってさ、ゲホゲホしてるやつが満員電車で病原菌をバラまく事って許されていいのか?って話だよね。あんな密室でゲホゲホしてるやつがいるってダメだと思うんだよ。


その人は休みたいと思ってたのに会社が許さなかったとかさ、休めなかったって事情があってもそれは会社の責任でさ、会社としてはそいつを休ませないといけないんだよね。社会のためにね。それで他の人に病気がうつるかもしれないっつーのを考えたらね、一つの会社の利益なんて優先されるべきではないわけ。その会社の利益とかそいつの立身出世よりもやっぱり病原菌を公の場でばらまくってことが阻止されないとダメだよね。あとまぁ極端な言い方になるかもしれないけど、ゲホゲホしてたりね、風邪っぽい人がいたら軽蔑していいと思うのね。「こんな状態で外に出てるなんてなんて非常識なんだ!」ってね、まぁその人を批判しすぎるのもあれだから、まぁこの人が勤務してる職場は何を考えてるんだ!ってね、そんぐらいに思えた方がいい。俺はずーっとそう思ってきたけど、でも意外とこれってメジャーな考え方じゃないよね。でもそうなんだよ。風邪のやつが外に出るってことはそれだけヤバいことなのね。健常者まで風邪になっちゃってさ、んでその健常者の社会生活にまで影響を及ぼすレベルになるともうこれってテロレベルなんだって。五段階あったらさ、サリンとかがレベル5で、風邪は3とか4ぐらいのレベルだと思うよ。インフルエンザだったらレベル4ね。家に籠ってろ!っつーレベルね。そんな体で外に出るな!っつーね、そいつを労るよいうよりかは菌をバラまいてくれるな!っていう考え方ね。まぁそこで同僚も会社側も労るような言葉が言えればそりゃーベストなんだけど、まぁそれは任意ってことでさ、とにかく合理性の面から言っても風邪の人間が外に出るっつーか会社なり学校に来るってことは大損害なんだってね、認識しておかないとダメね。


俺は真面目に「風邪だったら休む」ということを行使するだけで、風邪の流行が防げると思ってるのね。風邪が伝染していく原因って結局人から人でしょ?だったらさ、特に風邪に対して自覚的な症状がある人ってのがさ、病院とかスーパー以外の必要最低限の場所を除いては外に出ないってことをすることで伝染ってかなりの量が防げると思うんだよ。それはマスクをしましょうとかね、手を洗いましょうってこと以前に風邪の人は外に出ずに治しましょうって言うだけでそれって一番効果があると思うのね。流行が防げるというのはあれだけど、でもかなり効果があることではあると思うんだよ。でもさ、日本みたいな社会だとソーシャルプレッシャーがあるじゃない?休んだらクビっつーか迷惑がかかるみたいなさ、仮に任意で休めたとしてもそういう普段からのプレッシャーがあることで休めないみたいなさ、これって負のスパイラルだよね。風邪だったら休むってのが善い事だって認知されてないとこういうことになるよね。仮に嫌なやつでもさ「休みやがって!」って思うよりかは「風邪なのに出社しやがって!」とかって思う分には少なくとも「休みやがって!」とかって思うよりかは全然マシだと思うんだよね。休みやがって!ってのは完全に言えてないっつーかただの中傷なのに対して風邪なのに出社しやがって!は正論だからね。そいつが嫌なやつで思いやりがないやつでもそいつが言ってることは正しいんでしょうがないっつーね、んじゃあ風邪をひいた人が何をすればいいか?って自宅療養だよね。これに尽きる。完治するまで外に出ないというか社会的活動に一切参加しないっていうね、これこそが風邪における最上の選択であるって認知されてなおかつそれが行使されれば風邪って相当予防できるところがあると思うんだよ。菌を持ったやつが外に出ないってだけで相当予防になるところがあると思うわけ。それは会社も社会も学校も積極的に促さないといけないことなのね。


でさ、こっちの学校で矛盾してるのがさ、病欠の場合、医師の診断書が必要だっつーんだけど、病院行くだけで何万ってとられる医療制度でさ、逆を言えばたかが風邪ぐらいで何万も払えるか!ってのがあるよね。診断書が無いとだからどんだけ風邪で辛かろうがさ、治してくるのがベストだと思って休んだとしても休み扱いなんだよね。これがマジでムカつくんだよね。いや、分からなくもないよ。アメリカって宗教ベースの国だから全てが不安ベースで成り立っているんで、基本的に人を疑うっつーベースがあるから「ずる休みかもしれない」と考えるっつーね、詐欺防止のために診断書が必要っつーのは分かるけど、そんなの用意できませんよっつーアメリカの崩壊した医療制度の実体があるわけで、この辺は学校って別に俺が言ってるところだけに限らず考慮する必要があるよね。証明書が必要なのは分かる。でもそれで何万もとられちゃ敵わないっつーね、崩壊した医療制度があるっつー前提でもっと色々と考えなきゃダメだよね。社会がちゃんと回っている上での自己責任論は分かる。でも社会がめちゃめちゃでさ、何もかも自己責任ってそれは政府なりさ、社会がやるべき仕事ってのを全部個人の責任として転化するやり方なんだよね。まぁこれは日本でも顕著だけどっつーか権力者側がよくやることだよね。一人一人を育て上げるよりかは、一人一人がルールとかに沿うだけでなんとか社会が回るっていうようなさ、ダイナミズムを作るだけで、教育とか育成とかっつーのを放棄してるっつーね、育て上げるのが面倒だしコストもかかるっつーんで、適当なシステムを作って投げ出しちゃうっつーね、これってまぁ政府としては最悪なんだけど、大抵の政府にはこういう傾向性ってあると思うんだよね。それは合理化の名の下で行われるのかもしれないけど、実際は社会を担っている個々の力がなくなるってことなわけで、大枠から見ればこれって大損害なんだよね。社会設計の手を抜く事で実際の痛手を食らうのは社会自体っていうね、だから仮にそれが面倒でコストがかかるものであってもやっぱ政府ってやらなきゃいけないんだよね。


まぁ話を戻すと明らかな風邪で休むことで自分を責める必要は全くないのね。それが会社とかで批判の対象になろうが、自分は正しい事をやっているし、社会にとって善いことをやっているっつー自覚をすればいいと思う。風邪は風邪なんだからそれはしょうがない。治すのがベストだし外に出て人にうつさないということがベストなのよ。だから自宅療養ってのは最善の選択なわけね。熱が出たってことでイライラしたり「なんで熱が出るんだよ!」とかって思う必要はないのね。まぁあまりの高熱だったらともかく微熱って体が菌に抵抗するために発熱しているわけでさ、そこで頑張ろうと解熱剤とか鎮痛剤をガンガン飲んだり打ったりして会社に行くとかって大間違いなのね。本人は楽になっているかもしれないけど、風邪の菌はバリバリそいつの体にいるわけでさ、そいつはもう病原菌保有者なのよ。もう毒ゾンビみたいなもんね。でも医者ってアホだからさ、熱が出たっつーんで解熱剤を出すとかさ、下痢してるっつーんで下痢止めを出すとかさ、発熱も下痢も原因あっての体のレスポンスとしてのものなんだから、それを止めるって相当ダメなんだよね。菌を出すためになっている下痢を止めちゃったら菌が体にいるままになっちゃうじゃない?で、最悪腸炎とかになったりさ、病気が悪化したりする可能性ってあるんだよね。医者っつってもバカな医者が多いし、そういう意味で精神科も含めて俺って医者ってさっぱり信用してないんだよね。それこそ風邪から精神病まで独学でやったほうが全然いいし、風邪になったときの対処法マニュアルみたいなのを個々が持っておくといいと思うんだよね。


いや、それでも例外はあるよ。インフルエンザとかね、明らかに処方箋が必要な病気とかってのもあるけど、でもそれってさ、もう体が分かるレベルじゃない?ありえない発熱なんでそりゃー病院行った方がいいよね。でもふつーの風邪なら自分で治すべきだよね。医者なんて大抵が分かってないわけだしさ、ましてや風邪なんてカオス理論的で原因なんて突き止められないのよ。症状から問診するしかないわけだから、まぁそんなの自分で出来るんだよね。でも医者は長い専門的な教育を受けてきているって意見がありそうだけど、俺の経験だと医者って大抵がたいした診断しないっつーか「そんなの分かってるよ」ってことしか言わないんだよね。意味ねぇーじゃんっつーね、まぁ日本の場合それでもまぁアメリカとかと比べれば医療費の負担が安いからいいんだけど、これでアメリカとなるともう誰も病院に行かなくなるよね。どこ言っても同じような診断で結局、療養をしてくださいっつーような診断で何万もとられるなんてありえない話だよね。だとしたらやっぱアメリカみたいにさ、個々が健康に対する意識を持って自己管理するしかなくなるよね。だからアメリカってサプリメントが凄いのよ。あれはアメリカ人が健康マニアなんではなくて、医療制度が崩壊しているという現状から来ている現象なのね。アメリカ人にヘルスコンシャスなやつが多いのも自己管理の重要性が高いからなんだよね。だからヘルスってことが一種のカルチャーになってるわけね。でもこれはまぁ良い事だと思うね。自律ってこういうことでしょ。医者とかを頼らず自分で健康管理をして、風邪とかも自分の知識で治すっていうね、こういうまぁアメリカの市場主義的っつーとあれだけど、まぁこういう傾向っつーのはいいと思うね。自治と自律を促す自由主義の最たるもんっつーかさ、やっぱベストなのは個々が政府とかなんかの機関に依存することなく生活できるっつー社会なんだよね。で、まぁ俺は自治と自律を促すイデオロギーとしての新自由主義的な考えっつーのにはまぁ大賛成なんだよね。でもまぁその前段階としてまずは社会の崩壊を直さなきゃいけないっつーんでまずは社会主義的政策が必要っつーね、まぁこれに関してはいいか。


だからまぁ俺は今、最善の選択をしているわけね。まぁ学校の宿題とかミスってるだろうし出席に傷がつくからまぁ学業的には良く無いんだけど、社会的には善い事をしているわけね。あとはまぁズルズル行くよりかは完治させて復帰したほうがいいわけだよね。一週間休んで完治させるのと一ヶ月ぐらい薬を飲みながらズルズル風邪を続けるっつーんだったら効率から言っても一週間休むのがベストだよね。学校も社会もこういうなんつーか欠席っつーかさ病欠の余地って残しておくべきだと思うんだよね。デフォルトで病欠無しっつー設定がそもそもおかしい。病欠枠ってのも作っておくべきなんだよね。で、その範囲内を越えちゃったら医師の診断書なりさ、本当にこれはどうにもなりませんっつーような証明書を必要とするみたいなね、それでいいと思うんだよね。まぁ病気じゃないのに病欠枠を悪用するってことも出来るけど、それはまぁ個々の裁量次第だよね。明らかに悪用してるやつってのがいたら退学にすればいいしクビにすればいいわけでさ、その辺はまぁチェックアンドバランスだよね。


まぁあれだよ、風邪なのに解熱剤とか鎮痛剤を飲んで仕事するってのはマジで馬鹿げてるわけね。熱が出ているのはそれなりの理由があるからで、体がダルいのもそれは「無理するな。休んでろ」っつー体のサインなわけよ。それを無理矢理誤摩化してなんかやるっつーのはさ、シャブ打って飛行機に乗って戦艦に突っ込むとかさ、シャブ打って組に乗り込むとかさ、そういうレベルなのね。そんなことが体にとって良いことなわけないっつーね、そんなのを前提とする社会があるとするならそれはもう酷い奴隷社会だよ。病人にシャブ打って働かせてるわけだから。もしくは病人がシャブを打つって選択をするしかないような社会ね。そんなの糞食らえだよ。社会ルールってのは一人一人の意識が変わってくれば変わるものなわけでさ、例えば俺みたいな考えを持ったやつが会社の会長っつーかまぁ取締役だったとするよね?で、まぁ風邪出勤は絶対許しませんってルールを決めたらさ、まぁそれが社風っつーか会社のルールになるよね?そうなってくるとさ、社員の意識も変わるわけ。前の会社っつーか上の世代みたいなのはシャブ打ってでも出社してこい!みたいなのが当たり前だったのに、今の会社だとそんなことは許されないんだっつね、その意識の変化がさ、また変化の意識をもたらすわけ。


例えばその社員の子供がいたとしたら、その子供に「風邪だったら休みなさい」って言うよね。恐らく。中には風邪ぐらい根性でなんとかしろ!みたいなバカなことを言う親ってのもいるかもしれないけど、でもそういうのを変えていくのって個々の変化なんだよね。だから根性で治すっつーイデオロギーを親に植え付けられた子供でも、成人化した後にリベラルな社風の会社に入ってイデオロギーが変わるってことも十分にあり得るんだよね。変革ってのはこういう移行なんだよね。スローな以降っつーかさ、病理的な上の世代の悪い価値観を無くしていくっつーね、これがまあ社会全体の向上につながるわけね。俺みたいなさ、社会的プレッシャーをあらゆる意味で無くしていってもっとオープンで居心地の良い社会にするっつーイデオロギーが広まればさ、それって政府どうこうっつーよりかは個々の考え方とか振る舞いとかルール制定みたいな形で具現化していってさ、縦の力に頼る事無く価値観っつーかあり方って変えていけるんだよね。で、そういうリベラルな校風の学校が増えるとかさ、会社とか組織が増えるとかさ、それって個々の変化によってもたらされるものでさ、お上が上から受け付けるイデオロギーではないんだよね。まぁ上からそういうイデオロギーを植え付けられればいいけど、上からのイデオロギーって大抵ダメなのばっかだからさ、やっぱ横の繋がりだよね。連帯っつーとまぁちょっと古い言葉になるけど、イデオロギー的連帯ってやっぱ重要だと思うんだよね。


で、俺みたいなやつのイデオロギーによって作られた会社とか組織みたいなのってリベラルだから出勤時間が自由だったりさ、風邪でも問題なく休めたりさ、そういうことでようは既存のガチガチの体制の会社とかではやってこれなかったようなやつらがそういうところでやっていけたりさ、引き蘢りだったやつが便利でフレキシブルな会社のシステムによってそこで仕事をし始めるとかさ、社会政策の白眉ってそういうことだと思うよね。引き蘢りもリベラルな社風の会社が増えれば相当な数は就職すると思うんだよね。ただ結局さ、ドロップアウターだっつって凄まじく厳しい介護の仕事しかないとかさ、それってもう最悪なんだよね。介護の仕事は必要だけど、ドロップアウターなりさ、引き蘢りにとっての仕事が低賃金のバイトか誰もやりたがらないような大変な仕事しか無いっつーのは本当にダメだよね。


問題はそれが世代交代によってもたらされるものなのか?ってことね。ある程度の良いリベラル加減ってのが新世代によってもたらされるものなのか?っていうね、これってのはさ、いつも書いているように今の社会で上手くやってるやつの中には上の世代にごまをするっつーか適応してそのルールでやっていくことで上手くやってるようなやつもいるっつーかそういうやつが大半なわけでさ、ただそのルールを守らなきゃやってけないっつーんでしょうがないだろう!っつーエクスキューズがあるんだけど、でもこれって結局、悪しきものも含めた悪いシステムの温存になっちゃうよね。やってけるやつっつーのが旧来的なシステムに適応っつーか妥協してやっていけるやつだけってことになるとさ、新しいシステムのインストールって結構難しいよね。これがまぁジレンマなんだよな。新世代のジレンマっつーかさ、新世代も旧世代のシステムに適応しないと社会でやってけないんで変革とか言ってられないっつージレンマね。それこそ旧世代のシステムっつーのがバイオポリティーク的に機能してるっつーかさ、その人の生活ってのが旧世代への適応ということで成り立ってるってことで、旧世代のシステムっつーのが若者の生活レベルにまで及んでいるっていうね、これって若者の精神を蝕む原因の一つでもあるよね。新たなスタートではなく、既存のシステムへの適応でしか社会に出る事ができないっつーね、まぁこれは悲惨だし、これを繰り返してたら文字通り日本はもう完全にダメになるだろうね。世界からも取り残されるっつーかさ、それこそ多国的植民地みたいになると思うね。そこにあるのは古いシステムだけでさ、人々は流動性の高い労働力に成り果てるっつーね、結局、誰かがシステム設計なりを出来ないとこういうことになるよね。一部の古いシステムを守る連中と、古いシステムへの適応のみを求められる使い捨てられる労働力としての人々ね。こうなっちゃうともうホント、ダメだよね。革命でも起こらない限り中世の封建社会みたいなのが永遠と続く事になるよね。奴隷社会とまでは言わないけど、奴隷社会の次の段階ぐらいのレベルの社会ね。こういうのがさ、俺みたいな変わり者が発する警告っつーレベルじゃなくて、マジなレベルで起こりうるっつーのがマジで怖いと思うんだよね。価値観は世代交代が起これば自ずと変わってくるって簡単に言えないのが凄く怖いと思うわけ。


あとね、それこそ社会政策のレベルでさ、年中風邪防止政策としてさ、社会が病欠に対して寛大であるべきでさ、なおかつシステムが病欠も考慮した上で成り立っているっていうようなさ、まぁ社会に病人ばっかがいるってわけじゃないんだけど、まぁ具体的なことは言えないんだけど、例えば病欠でもさ、作業出来るぐらいのレベルだったら家で出来る仕事があるとかね、スカイプを利用して会社と何かしらの仕事が出来るとかさ、そういうシステム設計って必要だと思うよね。ようは社員が無理に出社しなくても良いようなシステムね。これが結果的に風邪の連中の外出を阻止できるわけでさ、これって社会全体に役立つと思うんだよね。役立つっつーかまぁ風邪の蔓延を防ぐ一つの方法っていうね、風邪の時期に風邪にかからないためには人ごみを避けるとかってよく言われるけどバカじゃないの?って思うよね。人ごみを避けるっつってさ、学校とか会社があるやつはどうすればいいの?って話じゃん。そんなのニートにしか通用しない理論だよね。だから考え方が逆なんだよ。人ごみの中に風邪の人を置かないっつーやり方なんだよね。風邪の人は家で休みましょうっつーアナウンスね。それを政府とかが言えばいいわけ。結局、それが一番風邪の蔓延を防ぐわけだからさ、まぁ二次感染というかね、まぁポジティブな意味での隔離だよね。まぁ本人は休めるしゆっくり出来るしさ、休む事に気負うこともないしさ、まぁ高熱とかだったらまぁ寝てるしかないだろうけど、微熱とかでも風邪なら風邪っつって休めるっつーのは健全な社会を維持する上で必須のことだよね。風邪になると大変だから風邪を予防するっつーのも大事なことなんだけどね、まぁ風邪になったらもう終わりだ!っつー危機感から厳密な体調管理が始まると言えなくもないけど、そもそもそんなの最低限人々がやることなのよ。風邪にかからないように生活するなんて当たり前のレベルね。風邪になったら学業なり立身出世に影響が出る!みたいな危機感が無いと自己管理が出来ないやつなんてもうダメだよ。デフォルトでダメっつーか。健康管理は当たり前のこととして、んじゃあ風邪になっちゃったらどうすればいいの?ってのを考えることが重要だよね。それは今の無職っつーか派遣切りにも同じ事が言えるね。彼らの経緯はともかくとしてのたれ死んでるやつとか自殺するやつとか体を壊す奴とかがリアルにいるわけで、彼らをどうするか?っつー観点で物事を考えないと解決できないことだよね。


なんか話が広くなったけど、まぁそういうことね。風邪でも出社してこいとか言うのはもう気違い沙汰ってことね。人員がアクシデントによって不足したら取り返しがつかないことになるような脆弱なシステムでやってる会社とかも全然アウトね。一人や二人病欠でもなんとか回るっつーようなシステムでやらないとダメでしょ。だから雇用って重要なんだよね。最低限の人数を確保することではなくて、会社の維持のために多めの人数を確保するっていうね、それが結局、雇用対策にもなるしっつーか元々、会社っつーか組織ってそうじゃないとダメなんだよね。人件費とかがかかるっつーのは分かるけど、んだったらさ、上層部とかの給料を減らしてでもそれは会社の存続に関わることなんだから、多めの人員配置は不可欠だよね。給料云々とか人経費削減とかって言ってる場合じゃないわけ。無駄にもらいすぎてるやつの給料から見直すとかさ、人間を切る前にやるべきことっつーかやれることっていくらでもあると思うんだよね。あとは上のやつでも会社に来ては寝てるだけで良い給料もらってるやつとかさ、知り合いの話だとマジでこういうのって50代とかでいるらしいんだけど、こういうやつらを切るとかさ、仕事をさせるとか給料を減らすとかさ、それって全然難しいことじゃないよね。若い人が上の世代にある意味での憎悪を持ってるってマジで分かるんだよな。ダメなシステムを温存してるのが上の世代だからさ、彼らの怒りは分からなくもないよね。これってもう最悪なんだよ。ジェネレーションギャップ以前の問題でもう世代間の連帯が完全に失われちゃってるってことだよね。そうなるともう社会が断片化するのは目に見えてるし殺伐とするのも目に見えてるよね。社会が回らなくなるのは当然だよね。マジで。世代間の有機的連帯の断絶っつーのもマジで由々しき事態の一つなのね。俺はアナーキストっつーか中間団体主義者だからそれは余計にそう思うわけね。


ってことで今日はこの辺で。


PS


あとあれね、風邪でも頑張る根性みたいな間違った価値観も正される必要があるわけね。風邪でも無理して頑張ってるやつがいてそいつを褒めちゃうとそれって間違った事実に基づく精神性への評価システムってのが自動的に出来上がっちゃうじゃない?で、例えば俺みたいなのが評価する側にいたら「大バカもの!貴様はそうやって咳やくしゃみをすることで菌をバラまいているんだぞ!とっと家に帰って風邪を治してから来い!完治するまで出社は許さん!!」って言うよね。まぁここまで厳しく言わないだろうし、もっと優しく言うけど、でも風邪でも頑張るって精神でやってたらその曲がった精神性を正すためにも厳しく言うかもしれないね。こういった間違った評価システムとか認証システムを壊していくというのも変革への重要な要素ね。間違った評価システムをベースに認証に向けて間違った行為をしてしまうというのが負のダイナミズムなわけで、こういうのは徹底的にぶっ壊していく必要があるね。まぁ俺みたいなやつが上司っつーかさ、風邪のイデオロギーに関しては人間を管理する側はポジティブでアファーマティブなバイオポリティークとしてこういったことに対して自明である必要があるわけね。


PS2


昨日のエントリーの民主主義の話の続きね。


っつーのはさ、ビジュアルバムでのゲッタマンが民主主義の良い例だわ。一応、全員に何かを選ぶ権利ってのが分配されているんだけど、実際は監督と原作者の思惑通りっつーかさ、監督と原作者の好みによってその権利の度合いってのが決められるっていうね、主役であるはずのゲッタマンがマスクとブリーフで、裏方であるキムとか途中で帰っちゃう板尾とかがゲッタマンのパーツを持ってるっていうね、映画製作という観点から言えばゲッタマンがゲッタマンの衣装を使うべきなのに、なぜか俳優も裏方も混ざって衣装を民主主義的に取り合うっつーね、あのナンセンスさね。衣装決めなのにおはぎを食べるのもありだし、それは全部選択者側に委ねられてるっつーね、でもなぜか嫌われてるやつは「そりゃーお前おかしいだろ!」みたいにさ、監督と原作者に言われたりして、自由意志があるように見えて操作されてるっていうね、そもそも俳優も裏方も全部混ざって衣装を取り合うっつーのはおかしいのに、それをあたかも自由のように勘違いするのが民衆なんだよね。ようはまぁフェアだなって感じるアホ加減っつーかなんつーかさ、ああいうゲッタマンみたいな理不尽なシステムで回ってるのが今の社会っつーかまぁ民主主義ね。与えられているものは自由でもなんでもなく、ただの権力者のフレームっつーね、ゲッタマンで言うところの衣装の取り合いをじゃんけんで決めて、みんな平等に取り合うっていうね、それがメイクさんであれ照明さんであれ俳優であれ関係ないの。みんなで衣装を取り合うっつーのをあたかも政治的平等のように勘違いしてるのね。そもそも衣装の取り合いをしている時点でおかしいのにそれに気づかないのね。で、結果がブリーフ一枚と下の部分だけのマスクのゲッタマンとブリーフ一枚の毒アゲハ人間のこっけいな戦いっつーね、これがまぁ民主的プロセスによって作られた映画ってことになるね。まぁかなりの理論の飛躍があるのは認めるけど、まぁ大枠としては大体分かったでしょ?だからちゃんとした俳優と監督と原作者がいないと映画製作って成り立たないのよ。民主主義的におはぎを食べてる場合じゃないっていう。ただあの松ちゃん扮する原作者の「一旦脱ぎましょう」っていう概念はロールズの無知のヴェール的でいいね。ただその後がアウトだなっていうね、まぁだからこそゲッタマンは面白いんだけど。圧制者が支配する社会ではゲッタマン扮する東野みたいな常識人の意見が封殺されるっつーまぁ圧政下での言論弾圧みたいなのもまぁ示唆的だね。監督と原作者がダメだとああなるっていうね、まぁこの場合、監督と監督業にも口出しをするダメ原作者という名の圧制者だけどね。選ぶ側っつーか民主的な意思決定を与えられている側もバカだとああなっちゃうっていうね、東野だけが常識人でもそれはマジョリティルールによって封殺されるっていうね、まぁアイロニカルな構造だよね。


あと松ちゃんと言えば芸人的ヒエラルキーを尊重しながらも理不尽なものに関しては批判してるっつーところが良いよね。あの京丸の話とかさ、都・・・とかね、ダメ芸人が芸歴だけで先輩面して偉そうに業界に君臨しているってまさしくあれって日本社会の理不尽なヒエラルキー批判そのものだと思うんだよね。まぁ松ちゃんは芸能界だけだったかもしれないけど、俺にとってはヒエラルキー全般批判に思えるな。新規参入者も君臨している師匠クラスの芸人に従うしかないっつーさ、で、あのダメなシステムが温存されるっつーね、これはまぁ今日の話と繋がるものがあるよね。あと底辺でもそれなりの価値っつーか面白みがあるっつーのが餃子のミックスとか荒城の月ね。堕落しきってから見えるものがあるっつーのは坂口安吾堕落論に似ているところがあると思う。荒城の月ね。ミックスはまぁ東洋片岡的プロレタリアートを描いているっつーかさ、それなりにまぁ彼らにも生きる価値があるっつーかさ、彼ら独特の温かさっつーね、あとダメ人間なんだけど芸事に詳しいとかさ、俺がよく言う下手な知識人よりホームレスのおっさんのほうが良いことを言ってたりすることもあるっていうような良い例がいきなりダイヤモンドね。ぐーさんは基本的にダメ人間なんだろうけどでも芸事に関してはめちゃめちゃ詳しいんだよね。で、一緒になった囚人達をいつも勧誘してるんだけど、いつまで経っても出れないっつーね、まぁ拡大解釈するなら、暗部にも光る才能を持ったやつがいるみたいなことだよね。でも彼らは牢獄から出られないんで漫才師にはなれないっつーさ、これまたまぁ示唆的ね。マニュアル化社会批判みたいなのがんーこれー!のやつね。プログラミングされたようなバカな幼稚園児と先生を突き落とす岩のゲームのやつ。言われた通りにしか行動できない、何も生み出さない、同じ事を繰り返す、マニュアスに沿ってしか行動出来ないみたいなタイプの人間への苛立を感じるよね。で、最終的にゲーム自体の設計がダメで永遠と変身後の先生を倒せないみたいなクソゲー批判もあるような気がする。まぁ批判っつーかカリカチュアライズね。


ってことでした。