埋まらない勘違い。その2。

mimisemi2009-06-09

Tomadさんのネットレーベルから俺の音源がリリースされたみたいですっていうかリンク元を辿ってたら行き着いたので。Tomadさんには本当に感謝!って感じだね。


http://maltinerecords.cs8.biz/43.html


利益無しのCDRレーベルとかもう意味ないね。あえて物理媒体で流通させる必要が全く無い。ネットレーベルっつー存在は本当にそれを知らせてくれるよね。ようはさ、流通費とか媒体費とかさ、物理的な媒体にかかるコストを消費者が払わなきゃいけないんだったらさ、フリーのmp3が一番いいよね。問題はいかにアテンションがある場所からリリースするか?ってことになるよね。ようはディストリビュートがしっかりしているレーベルから出すことが重要なのはさ、それだけ広く流通するからじゃない?


で、儲けとか狙ってないんだったらさ、知名度のあるネットレーベルからリリースさせてもらうのが一番いいってことになるよね。まぁネットレーベルの存在が今後どう発展していくのかは分からないけど、金儲けを目的にやってるんじゃなかったらさ、こういうリリースの仕方が一番ピュアだよね。消費者にも作り手にも優しいっつーの?こういう形のリリースが可能になるとさ、もうさ、CD出すとかって自己満足でしか無いよね。物理的なアイコンとしての音楽アイテムとして商品化させるってことに価値を見いだすようなさ、そういう価値しか無くなるよね。で、Funky Kinky Grooveに関してはこの音楽アイテムとしてのフェティシズムを全面に出したようなリリースをしたいと思ってるんで、まぁいつになるかは分からないけど、自主制作でリリースしようと思ってるのね。限定ヴァイナルで。Funky Kinkyの存在を知らない人はゴメンね。まぁ楽しみにしてて。いつになるか分からんけど。


ってことで昨日の続きね。


あのあれね、攻殻機動隊のソリッドステイトソサエティーのあのメガネのやつの概念ね。自我などを問うことなく、歴史の礎となろうっていうまぁある意味での自己犠牲だよね。まぁ革命家とかもアイデアは一緒なのかな。まぁ昔の俺の夢は革命家っつーか子供の頃は科学者だったけど、青年期は革命家で今はまぁイデオローグでしょ?まぁ3つとも関連性が無くはないよね。子供の頃の感じとしては何かにずーっと没頭しているっつーあり方に夢を抱いていてさ、んで青年期に関してはもうウォール伝に散々書いてあることだけど、基本的にまぁ繋がっているよね。全く違うということではなく地続きなんだよね。分かるでしょ?革命家になりたいっつってゲバラみたいにならなくてもさ、革命家の一人であってもいいんだよね。


ゲバラの側近とかでもいいわけだよ。なのにさ、革命家っていう言葉だけで「お前はゲバラにはなれない」って野望を否定するのってどうかと思うんだよね。さっきの哲学者=ニーチェクオリティーと一緒ね。別にゲバラみたいになる夢を持っていてもいいんだけど、ゲバラみたいになれなくてもさ、例えばその野望が結果的に派遣問題の取り組むNPOとかNGOの構成員になるってことに結実したりさ、野望と結果ってのが必ずしも一致しなくてもいいんだよね。野望という名のドライブを利用して人生を駆け巡るっつーのかな?そういうポジティヴなオーラっつーか意志って絶対良いものに帰結すると思うんだよね。俺は。こういうところはドリーマーなのかもしれないけど、でもそれは俺の考え方だからいいじゃん?俺は失敗はしないけど失敗をしてもケツを拭くのは俺なんだしさ、全部俺の自己責任じゃん?だから俺は頑張るしかないんだよね。


残念なのはキャリアウーマンの人も伯母さんもある程度は俺のこういうコンセプトを理解しながらも「お前には無理」って言うところなんだよね。それはもう俺への否定じゃない?それは俺は受け取れないよね。「ざけんな!」って話。「今に見てろよ」って話だよね。結果を出す事でしかこういう人達に復讐する方法は無いんだよね。ちなみにこういう人達はこの2人だけじゃなくていっぱいいるのね。「今に見てろよ」って思うやつらはいっぱいいる。まぁもっとも俺はそういう負のオーラを活かすような暗黒騎士みたいなやり方はもうやらないことにしたけどね。鏡を見つめて暗黒騎士と戦って聖戦士になれたのが今って感じかな?これってさ、もう勘違いとかさ、気違いとの差って無いよね。これはシュトラウスも言っていたことだけどさ、こういう認識に客観性は無いからさ、その判断が難しいんだよね。だからこそ俺は世の中に問う必要があるんだよね。


自分の道を突き進みつつ、最終的には多種多様な知のリソースを持ってマーケットに出るっつーのかな?そういう意味で中島義道は本当に評価出来るね。こういうやり方を体現したような人だからね。まぁもっとも彼の場合、暗黒騎士のままで、彼の哲学に対するペシミズムとかは一切共感出来ないけどね。どうせ死ぬんだみたいなことばっか考えてるっつーのはさ、今の俺にはもう無いね。そういうパラダイムに捕われることをやめたっつーかさ、それはサルトルですらさ、実存主義とか謳いながらもあれはペシミズムでは無かったんだよね。哲学的なパッションはサルトルにはあったと思うんだよね。だからこそアンガージュマンみたいな概念が彼にはあったわけだ。そういうのをバカバカしいって諦めてるのが中島義道じゃん?それは彼のあり方だからいいんだけど俺は全く関心できない。エロスの無い哲学なんて信用できないと思うからね。俺は。


あとさ、純粋さを持っていることが青臭いとか子供とか幼稚っつー言い方も凄く嫌ね。あたかも汚れることが大人になる条件だみたいに思っている人は俺は基本的に信用できない。伯母さんとキャリアウーマンの人はこういうタイプね。残念ながら。ただ伯母さんともキャリアウーマンの人とも罵り合うことなく別にまぁ特に何にも無い関係ではいられるんだよね。特に干渉し合う事無くっていうかさ、悪人ってわけじゃないからね。ただ俺はもう失望しちゃってるから、俺が見切り付けちゃうんだよね。それは残酷であるけどしょうがないことなんだよね。だから俺は友達が少ないっつーかさ、こういうのにもう疲れたからあんま人間関係とか嫌なのね。嫌だ嫌だっつって逃げててもダメだ!って言われてもさ、今回みたいなことがまたあるからようはこういうことなんだよってことなんだよね。いつも人々は俺を失望させるんだよ。卵然り。卵は良いヤツだしすんげー頭のキレるやつだけど俺が思っていたほどの人物ではなかったんだよね。


うちの親父もそうだけど、「凄い」ってファーストインプレッションで思ったりさ、ちょっと気が合う感じだとその人に期待ちゃうんだよね。で、親父はいつもそれで裏切りとかさ、失敗ばっかりしてんの。俺も血は争えないのかな。だからこそさ、孔明が言ってたようなさ、本当に優秀な人はその才能を買ってくれる人の下について忠実になるっていうそういうタイプになりたいんだよね。そういう優秀さでありたい。つまりは才能を買ってくれるような人に会って、その人の下で働きたい。自分で稼げるならそれに超した事ないけど、良いボスを持てるというのもまぁ幸せの一つではあるよね。良い同僚と良いボスってのは恐らく良い家族並に良いものだと俺は思ってるんだよね。だから俺はこういった存在を信じたいのね。つまりは俺が買われるような才能を持ってなきゃダメってことなんだよね。だからまぁ耕すしかないんだよねってまぁいつも書いていることだけどさ。


ニーチェが言う高貴さが妬まれるというのはさ、つまりはあれだよね、言ってることが違いすぎて認められないってことなんだと思うんだよね。「バカかこいつは?」って思われてしまうぐらい高貴だとその高貴さが批判されるっつーのかな?正直、俺は人間で自分以上の高い魂を持った人間に出会ったことが無いんだよね。まぁロバートは良いやつだったかな。まぁあいつは恐らくアスペルガーだから俺と同じような純粋な魂を持ってるんだと思うけどね。ただ俺は普通の人でそういう人と会いたいんだよね。ロバートも俺もさ、雇用されたい側じゃない?そこそこ頭は良くて良い魂は持っているけど、色々なところに問題があるんで中身を買ってくれる人募集中!みたいな感じじゃない?


でもさ、あとショックだったのがさ、まぁ結局、俺の事を要約するとこの人を見よ!的になるのは分かるんだよね。狂った後のニーチェみたいになるっつーのかな?俺はあれは狂ってるとは思わないけどね。なにしろ元々狂ってるから。で、この人を見よ!的な傲慢さとか慢心を感じちゃうとさ、「お前は実際はただの負け犬だ」って言いたくなっちゃうんだよね。だからそれは分からなくもないんだよな。結局、ダイレクトに言っていなくてもさ、色々なことをまとめるとこういうことにもなるよね?ってシェイプが見えてくるっつーのはあるじゃない?まぁ俺は普段から大半の人間はクズだって言っているけどさ、その大半側はやっぱそれを認めたくないんだよね。で、クズだっていうお前のほうがクズだって言いたくなるっつーかさ、お前はそれだけの傲慢なことを言える立場にあるのか?っていう言い方をしたくなるのね。実際はただの引き蘢りじゃないか!って言いたくなるっつーのかな?それ言い出したら哲学者なんて大体奇人ばっかで引き蘢りばっかじゃんって気がするだけどね。


で、ニーチェ気取りか?隠居と言えばスピノザ気取りか?って一気に敷居が上がるのね。何も隠居しながら哲学に没頭するということがつまりはニーチェとかスピノザ並のクオリティを持っていなきゃいけないということではないんだよ。彼らみたいな生活をしながら哲学に没頭することがつまりは哲学者なんだよね。まぁ哲学者って言い方にも色々あるけどね。コジェーヴは哲学者になるには教育者であったりある程度学者っぽくなきゃいけないみたいなことも言ってるしさ、ペダゴギックっつー言葉は恐らく知的スノビズム的な皮肉もあるだろうからね、つまりは隠者的な哲学者って一般的な哲学者のイメージとは違うんだよね。いや、逆もあるか。コジェーヴが言うような学者っぽい哲学者っつーのは隠者的な哲学者のあり方とは違うもんね。まぁいいや。名前なんてどうだって言いからね。


こういうのを哲学者気取りだっつって批判してくるのが嫌なんだよな。だから恐らく哲学的に振る舞わないほうがいいんだろうけどそれやってるとさ、例えばあのクリティカルみたいなああいうことが起こるわけよ。黙ってばかりいたくせに実はよく喋って物知りだみたいなことが分かるとそれが一気に反感を買うっつー感じね。別にね、天才レベルってわけじゃないんだよ。ただスマートじゃん!っつーレベルでさ、ただそれを表に出さないっつー感じがまたムカつかせるのかな?って思っちゃうんだよね。だからずーっと黙ってたほうがいいっていうね、然るべき場所じゃないと能力は出しちゃいけないってことになるよね。ただ妬まれるだけだからね。


ただ俺はそこで岡本太郎的に常に出る杭でありたいんだよね。妬みを恐れて隠すっつーのもさ、ある意味で傲慢だしさ、表面上、普通の人に合わせるっつーことを意図的にやるのも嫌みだしさ、だから常に自分は自分であっていいんじゃん!って思うんだよね。それに対して批判があってもしょうがないっつーね、妬みを恐れてたりさ、出る杭であるということを恐れていたらさ、それ自体がもう負け犬っつーかさ、ヘタレだもんね。全然ダイナマイトじゃない。こういうさ、隠すとかってことをあえてやることがつまりは処世術で俺にとってはそれは迎合とか妥協なんだよね。だから色々言われても妥協しないでやってくしかないのね。常に爆発してないとダメなの。そうじゃないと自分の活力が失われる気がするしね。


でもなんなんだろうな?こういう上昇気流にあるやつを「勘違いするな」って諭すのってさ、本当にパターナルなのかな?自分は普通だからお前も普通であれみたいな普通の魔の手を俺は感じるんだよね。パターナルであったらさ、ウチの親父みたいにさ、それこそ文字通りパターナルってことだけど、「分かった。とりあえずやってみ」って言うと思うんだよね。で、両親っつーか特に親父は俺のことだからまたへこたれてすぐ日本に帰ってくると思ってたら違ったっつーんでさ、まぁ俺を見直したわけだよね。これこそパターナリズムの結実なんじゃないか?って思うよね。どうせ無駄だけど旅をさせる。色々息子は苦労する。でもそこで息子は成長して親父を越えるみたいなさ、そういうことをウチの親父も言ってるのね。俺がお前ぐらいの歳にはそんなことは考えられなかったっつってさ、色んなところでお前は俺を越えたって言うわけ。


でもさ、キャリアウーマンの人とか伯母さんとかは、それもさ、身内の甘やかしって思うんだよね。なぜなんだろうな?んじゃあ外に目を向けてみよう。学校で先生に褒められたりクラスで目立ったりしているということはどうなんだろうか?これもさ、小さいサークル褒められつつで親とかに励まされながら勘違いを続けているナイーヴな俺ってことになるらしいんだよね。なんでそんな虚像を俺に渡そうとするんだろうか?全く理解が出来ない。これは別な意味での足の引っ張り合いだよね。「お前は超人なんかじゃない。自分を知れ」っつって普通っつー泥沼に引きずりおろそうとしているとしか思えないんだよね。だから結局、俺はさ、パターナルな愛情なんだと解釈しつつも背後にあるある意味での無意識化における悪意みたいなのを感じるんだよね。


どんどん暴露になっちゃうけどさ、これは悪口じゃなくてね、いつものように俺の実存で起きたことを対象化して客観的に語って分析しつつ、それを一般的な概念で語るってことなのね。ようはなぜそういうことを言う人がいるんだろうか?っていうことね。それはイデオロギーなのか?それとも悪意なのか?っていうね、俺のフレームワーク脱構築することはいくらでも可能だし、そのままスライドできるような人もいっぱいいるだろう。だからこそ俺は語りたいのね。語る意味があるっつーかさ、愚痴にはならずに客観的になれるっつーのかな?まぁで話を進めるとさ、「パイロットになりたい!」って言っている子供に「パイロットなんて今時流行らないよ」って言うことが果たして良いことなのか?ってことだよね。


リアリスティックであるということは夢を捨てるということと同意義ではないんだよ。そのパイロットの夢を大人になったマインドでどう実現するか?ってことでしょ?パイロットにならなくても、あの頃のパイロットになりたかったっていうような夢とか野望っつーさ、さっきも書いた生におけるポジティブなエンジンっつーのかな?その感覚を忘れずに何かに向かうんだよね。それがなぜいけないのかな?いけないことなの?批判されるようなことなの?俺にはね、夢を持っている人間への僻にしか思えないんだよね。怨霊が幸せな人間達を妬むかのような負のオーラを感じるのね。結婚式のビデオに浮かび上がった怨念の姿とかあるじゃない?ああいう負のオーラを感じるんだよね。


ウェディングケーキに入刀しているカップルに「結婚は人生の墓場だ」なんて言う必要がどこにある?それは彼らが決めることじゃない?自分が離婚経験があるとかさ、結婚は墓場だったっていう経験を新しい夫婦に植え付ける必要は無いんだよね。仮にそうだったとしてもそれは彼らが彼らの結婚生活を通じて認識すればいいことでさ、人から教わるようなもんじゃないよね。思うにね、ポジティヴなマインドを持っている人もさ、世俗と関わると汚れるんだよね。結局。ようはピュアな野望とか夢みたいなのを打ち砕くような怨念がいっぱいいるんだよね。だからさ、俺みたいなうち砕かれないぐらい強い意志を持ったやつじゃないと夢が達成不可能になっちゃうのね。


だから本当のアーティストとか哲学者とかって滅多にいないのね。それだけの強い意志と感性と信念を持っている人が非常に少ないからだね。大抵は自分に負けたり他人にそういったような囁きに惑わされたりね、我が道を行けなくなるんだよね。我が道を行けなくなる要素が自分にも他者にも社会にも多分にあるっつーのかな?だからこそ負けやすいのね。みんなポテンシャルはあるんだけど、みんなリアリズムとかさ、大人とかさ、そういう言い訳を使って夢を諦めるんだよね。そういうのこそ俺に言わせれば青二才の甘ったれだと思うんだよね。社会っつー慣習とかさ、既存の概念だとかさ、右にならえみたいなダイナミズムに寄りかかって思考することを忘れてるっつーのはさ、最高に甘ったれだよね。


自分も低きところに流れる水の一部になれば問題ないっつー逃げがあるじゃない?それは人生とか実存からの逃げだよね。人生とか実存というものと向き合うのが辛いんで、だから何かの寄りかかれるシステムなり慣習なりに従いたくなるのね。それは自分が無かったり中身がエンプティーだからそうなるのね。そういったエンプティーな連中によって組織されてるのが社会なんだよ。だから俺はそういう虚無に抗わなきゃいけない。社会=エンプティってことではないけど、社会にはエンプティな要素が多分にあるよね。政治然りメディア然り、そんなものは社会の表出物を見ていればすぐ分かる。凡人の空っぽな頭と生活を見ていればよく分かるでしょ?


それはマトリックスという名の現実なんだよね。ジジェクみたいになるけどさ、マトリックスが幻想なんではなく、マトリックスは現実の上に構築されたシステムなんだよね。だからマトリックスを否定してしまうと現実が存在しなくなる。だから人々はマトリックスなりなんなりっていう神話や物語を必要とするんだよね。俺は徹底的にマトリックスは虚構だって言い過ぎるんで、だからマトリックスの中に生きているサイファーのような人間に物凄く嫌われるんだよね。それは無知ゆえのことかもしれないけど、逆にサイファーみたいに分かってるけど幻想のほうが心地いいんだからお前が否定するな!って言いたくなっちゃうのね。残念ながらキャリアウーマンの人にはこのサイファー的な態度を見ちゃったんだよね。もちろん俺は彼女を説得する必要はないんだけど、ただ俺はひたすら彼女からのナイーヴな攻撃を受け続けなきゃいけないんだよね。それもリミットがあってさ、そこまで俺はタフじゃないからさ、そこまで付き合えないんだよね。だからサイファーとは付き合えない。


またジジェクになるけどさ、ジジェクが言う3つめのピルってのはさ、幻想の裏にある現実とかではなくてさ、幻想の中に存在する実際を体感できる現実だよね。つまりは俺のマインドのあり方そのものだよ。これこそがまさしくサードピルなんだよ。プラトンの洞窟の比喩にあるさ、洞窟を出た人間をまた客観的に見る人間なんだよね。洞窟も洞窟の外もエポケーして、自分の幻想を現実に投影することに人生をあり方を見いだすっつーあり方だよね。まぁこのプラトンの比喩は俺の勝手な意見でジジェクとは関係ないけどね。サードピルを飲んだ人が体験している世界も見た目はマトリックスの世界にいる人と変わらないよね?そういう人がマトリックスの住民とは異なったことを言う。で、それをマトリックスの住民側はよく思わない。っていうこういうことだよね。サードピルを飲んだか飲んでないか?なんてそのサードピルの凄さをマトリックスの世界で表さないとお前はただの負け犬だっていうのが伯母さんとかキャリアウーマンの人の意見だよね。つまりは純粋にマトリックスで頑張りながら汚れてきた人達の意見ね。


で、俺としてはそんなことが自明なのに誰がこれ以上マトリックスにコミットするんだ?っていうわけなんだけどさ、彼らはそれを好かないんだよね。お前は苦労していないとか自立していないとかマトリックスと戦っていないっていう色々な理由をつけてマトリックスの住民になることを要求するんだよね。でもサードピルをすでに飲んだ俺としてはさ、そんな話聞けるわけがないんだよね。傲慢とかではなく、それはサードピルのおかげでそうなのね。つまりは認識のあり方でしょ?差はそれだよ。ただそれはチンパンジーとホモサピエンス以上の差があるんだよね。ウェイキングライフに出てくる比喩だけども。だから高い魂のあり方というのは滅多に達せられない。繰り返しになるけど、元々持っていても穢れたり堕落したり没落したりするんだよね。だから社会とか人々のあり方ってのは基本的に没落なんだよ。まぁんでツァラトゥストラじゃないけどさ、十分な認識と知のリソースを持った人は彼らと同じような没落をしなきゃいけないんだよね。それは精神的なレベルではなく物理的なレベルでね。ソクラテスのマーケットの話と一緒ね。それこそが俺は哲学者を最終的に哲学者足りうるものにさせる要素であると思うわけ。つまりはツァラトゥストラ的な没落ね。


まだ俺は誇大妄想狂かな?言ってることはニーチェとかショーペンハウエルとかソクラテスとかプラトンとかとあんま変わらないはずなんだけどなー。それは本田透も言ってるようにさ、キモメンの男がそれを言ったところで「キモーイ」って言われるだけでさ、ニーチェとかプラトンとかがそういうこと言ってるとありがたがられるんだよね。本田透の葛藤は凄くよく分かる。俺は割とモテているから彼とは違うのかもしれないけど、彼のような喪男感っつーのは俺も持っていると思うし、本質的に俺は喪男だと思うんだよね。だから本田透とかとあんま変わらないわけ。まぁ彼の方が全然哲学に詳しいけどね。レベルでは並ばないけどあり方としては似ているってことね。


ってことでまだまだ続きまする。