埋まらない勘違い。その3。

mimisemi2009-06-10

あ、んで日本に帰ることになったのね。21日に。あと言い忘れてたけどメガネ完成したのよ。セリマのウォーホールのやつね。別に「ウォーホールのやつ」を買わなくても、ある意味でただの昔のデザインのメガネなんだけどね、でもやっぱダメだね。どうしても欲しくなっちゃった。


http://helloblackbird.blogspot.com/2009/05/andy-by-selima-optique.html




見せ方かっこよ過ぎっつーかなんつーか。セリマはこれで二つ目だわ。嬉しいな。マジで。本当に死ぬほど欲しかったからね。エフェクターのMunakata然り。レトロの再現ものに俺は惹かれるらしいっつーかまぁ純粋にデザインだけどね。あーもうたまらねぇーわ。マジで。メガネって一番好きかも。スニーカーとかより好きだよ。マジで。


あとマッシュなんだけど、今回のやつはまぁとりあえず聞いてみて。マッシュアップっつーよりかはもうマッシュルームって感じだから。


http://mushroom.cage.to/mix/gomihiroi.mp3


ってことで続きね。


うん。本当に。全くね。「調子に乗るな」っつーのも日本独特じゃない?上昇気流にある人を下流気流に呼び寄せるっつーのかさ、台風はいらない!っていう態度?調子に乗って何が悪いんだろうか?調子に乗りつつ石橋を叩いて渡る事は可能だよね?それがなぜいけない?エネルギッシュな感じが妬ましいから?自分には持っていないパワーや能力を持っているから?単純に自分が負け犬だから?普通であるということを美徳とするから?どれもこれも全く合理性が無いマイナスなことばかりだよね。学校で褒められているということが小さいサークルの中で行われているというのは自分でも散々書いているようにそんなことは死ぬほどよく分かっている。前から「コミカレレベルだから」って必ず言うでしょ?それを分かっているという態度を見せていたり、言い方をしているのにも関わらず、俺が褒められているということに対して文句を言うということはどうなんだろうな?それは褒められているんだからいいじゃないか。leave me alone!だよね。何もかもが上手く行っているということがなぜいけないのか?


それに乗りつつ人生を觔斗雲みたいに駆け巡ってはいけないのか?ここでやはり久世の言う水は低きに流れるという言葉が頭を過るよね。俺のハイマインドを考慮して政治学のクラスメートだった黒人のおばちゃんが「ビル、あなたの夢は実現されて、そしてあなたは消えるわよ」って言われたんだよね。ようは消されるってことね。まぁ消されるぐらいだったら本望っつーかさ、誇れることだと思うけどね、アメリカにも出すぎちゃいけないっつー考え方があるんだなって思った一節だったよね。このおばさんは嫌味で言っているんではなく本音として言ってくれたんだと思うけどさ、こういうのは嬉しいよね。「俺が消されるだって!」っていう嬉しさね。マフィアとかヤクザに殺されるのは嫌だけど政府とかによって消されるのなら本望だよね。でもまぁあれだけどね、俺は権力志向者になったからむしろ消す側に回りたいっつーのはあるけどね。そこはもうナイーヴなレジスタンスってことじゃないんだよね。


あーこういうのも実現しなかったら全部誇大妄想になっちゃうなー。だからさ、気違いと哲学者の差って無いんだよね。評価されないと狂人扱いされる。水は低きに流れるだけど、英語のことわざと混ぜるとStill waters run deepでありたいんだよね。でもさ、パブリケーションとかさ、パブリックに出るってことが必ずしも必要の無いことだったらさ、俺がそれ自体に取り組めばいいことなんだよね。で、俺に共感してくれる人とかがいたらもうそれでオッケーなんだよね。「耳蝉さんに影響を受けている」とかって言われるとさ、もう人生の目的を果たしたような気分になるんだよねっつーかそういう波が広がる事が俺の夢なんだよね。言ってる事は支離滅裂で繋がっているように見えないんだけど、話を要約するとかなりまともな正論を言っているってことを分かってくれる人がまぁ俺に関心を向け続けてくれるっつーのかな?


で、それは短期じゃなくて長期なのね。俺は今みたいなプロセスを死ぬまで続けるわけ。死ぬまで続けても社会に評価されるようなものが出てこなかったらまぁ単純に俺がダメだったかさ、死後に評価されたりしたらまぁ嬉しいけど、やり続けることで出てくるものって未知数じゃない?やってみなきゃ分からないよね。だから俺はキャリアウーマンの人と真っ向から戦わなきゃいけないんだよね。「キミじゃ無理」っつー意見に一切耳を貸さない。無理でもやるんだよ。やってみなきゃ分からない。それが俺のモットーだからね。さっきも書いたようにどうせ死ぬとかさ、無理かもっていうことを考える事をやめるんだよね。それはThe science of getting richにもあることだけどさ、俺はこれをバイブルのように一生扱うね。これを信じなくなったらこのドクトリンもワークしなくなるっつーそういう宗教的な境地ね。ちなみにこの本さ、俺が持っているのはBarnes and Nobleのギフト用なんだけどさ、表紙が黄金比を匂わすようなデザインなんだよね。「うわ!やべ!」って今思ったね。改めて本を取り出して今気がついたんだけど。「もしや!」だよね。


その「もしや!に気がついた人は成功しかしてないんだからさ、信じない手はないよね。実行しない手は無いっつーかなんつーか。だからあれだ、キャリアウーマンの人とは残念ながらもう終わりだな。俺の黄金比の流れを止めるような人とは付き合えないし付き合っちゃいけないよね。色々と買いかぶりすぎていたところがあるんだけど、それはいつもの俺の悪い癖だね。まぁあっちからメールが来て和解みたいになる可能性もあるけど、それは和解ではなくあっちの謝罪でしかそれはありえないよね。俺は俺が思っていたことを言っただけで、批判されるようなことは言っていないんだよね。それがムカつくように見えちゃうんだったらそれはもうさ、水の流れの違いだよね。だから仮に和解出来ても俺はもう真剣に付き合う気は無いんだよね。こういう見切りの付け方も人生では重要ね。これが出来ないと人生ってのは上手く行かないんだよ。マジで。


あと「耳蝉さんに影響を受けています」って書いてくれた人がさ、全てには同意しかねますがって言っているのがまた最高なんだよね!このなんつーのかな?俺の意見がドグマ化しない感じっつーの?全部は同意できないけど所々は言えていると思える部分があるっていうこういう思想っつーと大げさだけど考え方のあり方ね。所謂、常にcontroversialっつー状態ね。それでも意見の逸脱だけを見て批判するのではなく、汲み取るところは汲み取る人がいればそれはもうそれで十分なんだよな。それこそがまさしく俺の最高の幸せだね。一番幸せだって感じることってこのウォール伝でのやり取りなんだよね。新しい本を買うのもスニーカーを買うのも洋服を買うのもメガネを買うのも楽しいことだけど、これが一番嬉しいことだね。良い魂を持った人が俺の共感してくれているというこのプラトニックなレベルでのリンケージっつーのかな?


俺が誰かの頭を占領することなくさ、気に入った人だけ読んでくれているっていうそういうステイトね。これが最高なんだ。凄く。あとはまぁプレゼンで大成功して大歓声とかさ、つまりはやっぱり他者が介在している俺に対するアクセプタンスというか認証なんだよね。それに俺は究極的な幸せを感じているんだと思う。だから引き蘢りだとか隠者だとかって言っても俺は社会無しには生きられないのね。評価してくれる彼らがいないと俺は生きていけない。そういう意味で俺は真に孤独ではないんだよね。家族にもウォール伝読者にも数少ない友達にも支えられて生きているわけ。そんなのは百も調子なんだけど、どうも隠者っていうと誰からの指図も受けずに依存もせずに生きているみたいなイメージがあるみたいでさ、隠者ってそこまで反社会的なのかな?俺はそうは思えないんだけど。


で、ウォール伝に書き込んでくれている人とかってさ、みんな実社会とかで苦労している人が多いんだよね。大体がピュア過ぎて苦労してるって人が多い。そういうピュアな人が書き込みをしてくれるっつーのがさ、つまりは類友でさ、そういう人達を見て俺のあり方にも安心をするんだよね。こんなに頭の良い純粋な人達がこれを読んでくれてたりするんだっつーのに感動を覚える。だから俺はやっぱり間違ってないんだなって彼らとかね、俺のことを褒めてくれるクラスメートとか先生とかを見てさ、そこにまぁ客観的な観点からの自分の価値っつーのを見いだせるんだよね。キャリアウーマンの人からの今回のメールみたいなのを食らうとそれがショックにによって揺らいだりもするんだけど、でも俺にはある程度評価してくれている人がいるんだよね。


で、俺がやるべきことってのはやっぱ読書しかないんだよね。まぁ将来的に学校関係で学術論文みたいなのは書かなきゃいけなくなるだろうから中途半端な知識じゃダメだろうしね、そういう意味でもまぁ読書が必要なんだよね。良く出来ましたっつーエッセイを書くんじゃなくて、ある程度の体裁があるにしても、そこで既存の概念を使いながらもオリジナルな議論を展開していくっつーのが俺の学校でやりたいことなんだよね。まぁ英語力の問題があってかなかなか出来ないことではあるんだけど、あとやっぱ知識が足りなさ過ぎるっつーのもあるね。オリジナルを書くにはまだまだ知識が足りないんだよね。何しろやっぱ俺はスタートが遅過ぎたね。もっと若いときから今ぐらいの強度で読書してれば良かったんだけど、政治とか哲学に真面目に取り組み始めたのってここ2年ぐらいだからね。マジで。だからビギナーもいいところなんだよね。俺。それ以前にも色々読んでたけど、今ほどの意志の高さが無かったんだよね。意志の高さと読書がエンゲージできたっつーのがここ2年ぐらいってことね。歳がなぁー。びみょーだよなー。もうちょっと若ければな。無駄な時間を過ごしてきた時間が長過ぎたのかな?まぁ全てが無駄だとは思えないんだけど、まぁ今はその失われた時間を取り戻すしかないんだよね。10代とか20代前半って政治思想とかってよりかはやっぱ音楽が莫大なウェイトを占めていたからね。


で、思想とかに没頭しようって思ったのがここ2年ぐらいなわけでさ、だからビギナーなんだよね。4大にちゃんと入れてまともな政治学の授業とか受けられればまぁもっとマシなものになるかもしれないけど、俺としては入学前に全部済ませておきたいってのがあるんだよね。とりあえずやりそうなのはもう全部読んでおくってことね。これはだいぶ前から言っていることだけどね。で、学校でやることといったらレビューぐらいのレベルでさ、そこまで頑張る必要が無いっつーか授業についていくのが楽だから、暇を利用してもっと色々な研究を進めるっていうね、こういう作戦ね。基本的に。4大に入る頃にはもう大学院生ぐらいの知識レベルでいたいって思うのね。大学院生っつってもたいした知識は無いかもしれない?っつー話はまぁ置いておいてね。大学院っつってもレベルによっても違うしね。で、大学院に入れるぐらいになるころには準教授ぐらいになってるっつーのが望ましいね。まぁグレードといい特に経済的な面で大学院に入れるかは分からないけど、でもまぁやるんだよね。俺は完全にそういうつもりでいるからね。無理でもやるしかないわけ。


あのあれよ、Re-Animatorであの薬を作るやつがさ、教授に文句言うじゃない?「そんなもの時代遅れだ!」って。ああいうことがマジで言えるぐらいのレベルになっておきたいのね。誰かから学ぶっつーよりかは先生と議論するぐらいのレベルになっておきたい。まぁ先生との議論は去年の哲学のクラスでよくやってたけどね。それでもキャリアウーマンの人は狭い世界だって言うのかな?フーコー先生はモスクワ大学とニュースークルで博士号持ってるインテリなんだけどねぇー。狭い世界だとはとても思えんのだが。ムーア先生にしてもそうだよね。元CIAのお父さんの都合で各国を渡り歩いたある意味ですんげー広いパースペクティヴを持った人があそこまで俺の事を褒めてくれるとさ、やっぱそれって自信になるじゃない?それこそスペインの大学とかさ、ヨーロッパの学校とかに行ってたっつー世界を股にかけてた人の視野って狭くないと思うんだよね。あ、んで先生は俺にAくれたけどね。政治学でね。明らかに数値を計算すればAではないんだけど、恐らく俺の魂を買ってくれたんだと思うんだよね。テストが全部のグレードを占めてたら俺は政治学のクラスでDかフェールぐらいだったと思うんだけど、ムーア先生のクラスで中心人物であったということがさ、シラバスに書いてあるグレードポリシーとかを超越して俺をAにしてくれたんだよね。


これってホント、教授次第なんだよね。ムーア先生じゃなかったら俺は明らかにCかDぐらいだったと思う。これもまぁ出会いだよね。こういうさ、俺の中での素敵なことも全部、キャリアウーマンの人は「そんなの小さい世界のことだからでしょ?」っつって批判してくるんだよね。もう恐ろしいよ。この人。ここまで冷徹な心を持っている人だとは思わなかったな。温かい心の持ち主だったら、パターナルに俺に諭すにしても、もっと言い方ってのがあると思うんだけど、そういうのを全然感じなかったんだよね。だから本当に失望したんだよ。「あ、またか・・・」って。こういうのが過去に何回も繰り返されてきたから俺は人間不信みたいになってるんだけど、でもそれはただの思い込みだとか逃げだよって言い方は通用しないよね。マジで。繰り返しで悪いんだけど、こういうことが実際起こってるからね。俺が徹底的に他者に失望してしまうような、そして絶望してしまうようなことが大抵起こるんで俺は人付き合いを避けるようになるわけ。これって逃げじゃないよね?経験から学んだ知恵だと思うんだよね。だから隠者ってのは社会を知らないと隠者にはなれないんだよね。引き蘢りは引き蘢ってればなれるけど、隠者ってのは世の中に見切りをつけるだけの社会経験とか色んな人間関係が必要じゃない?そういうのを経た上で隠者になるっつーのはさ、根本的に引き蘢りとは違うよね。見た目は一緒だから見た目で評価されて引き蘢りのレッテルを貼られるんだけどね。


あと社会に出るっていう考え方もさ、結局なんなの?会社に入るってことが社会に出ることなの?コンビニ店長は社会に出てないってことなのかな?俺は日本のコンビニ店長よりかはよっぽど豊富な社会経験を経ていると思うんだけどね。それでもまだ狭いかもしれないけど、そんなのさ、自分が動ける場所なんて限られてるじゃん?その限られた範囲内で活動する事を社会に出るということならさ、学校だって十分社会じゃんね?それはビジネスっていうプロセスを介在しないと社会は経験出来ないって言われそうだけど、なんで会社に入る事がデフォルトなの?ってことだよね。学校のオフィスで働いている人とかはんじゃ社会人じゃないの?っていうさ、凄く疑問だよね。学校のオフィスで働いてる人なんてさ、まぁ俺の学校のオフィスだけどね、すんげー限られてるよ。人間関係。だってあのオフィスと他のファクリティーでしか人間関係がないわけだからさ、他のデカイ企業の重役を接待するとかさ、彼らにそういうのは無いよね。でも彼らは社会人じゃない?だとしたら俺は彼らより豊富な社会経験を持ってるよね。日本で育って日本の腐れバイトをいくつか経験してさ、んでホームステイとかさ、他の国の留学生とかと交流したりさ、まぁ学生ってレベルだけど、でも交流の多様性って会社のそれよりよっぽど広くない?って思うんだよね。なんで会社に入って揉まれることが社会に出ることなのかさっぱり分からないんだよね。本当にバカバカしい定義だと思うよね。


あとはこれはキャリアウーマンの人のメールにも書いたことなんだけど、その人の人生ってさ、例えば俺のアクションにしてもね、コミカレにいるっていうこととかさ、考えとかにしてもそれだけじゃ本質的なことは判断できないよね。だって人生って色々なものの積み重ねでさ、その積み重ねのプロセスによって出てきたものが俺の言葉であったりアクションであったりするわけでさ、それってのは俺っていうコンテキストの中から出てきたアクションなり言葉っていう所産なんだよね。Raymond Geussっつー人がさ、政治的アクションは政治的コンテキストを理解しないと本質的なことは理解出来ないって言ってるけどまさしくそういうことなんだよね。ようはその政治的アクションだけでそれは理解出来ないのね。その政党なり国なり政治の歴史ってのがあって、んでその中で様々なプロセスで出て来たものが政治的アクションだったりするわけでさ、ようは構成物を理解しないと部分だけじゃ何も理解出来ないってことなんだよね。これってパンピーがやってしまうありがちなミステイクだけどさ、ホームレスにしたってさ、彼らを「レイジーだ」って言うことは可能じゃないっつーかみんな言うじゃん?でも分からないじゃんね?会社から不当な扱いを受けてホームレスにならざるを得なかった人とかさ、いきなり不正に首を切られて路頭に迷っちゃったとかさ、ちゃんとやってきたのにホームレスになっちゃったって人だっているわけでしょ?そういうのがあるかもしれない中でホームレスってだけで卑しい人物って決めるのは大間違いだよね。それは理解がシンプルマインド過ぎるんだよ。一次元的過ぎるっつーのかな?


で、段階の話なんだけどね、俺がスモールサークルのインテリかもしれないけどさ、それが4大で凄いとかビル素敵!って言われるようになることも可能なわけじゃない?次のある程度は今より高いレベルの学校っていう狭いサークルでのインテリっつーかまぁ先生とかクラスメートみたいに今みたいに褒められる人になれるかもしれないじゃない?で、次のステップでさ、次は大学院・・・って感じでステップアップは可能だよね。それが最終的にパブリックでも凄いって言われるようになれば最高だけど、とりあえず現状で言えば、これから行く先々の学校で今みたいな人気とかさ、「あいつ凄い!」って言われたり妬まれたりもするようなレベルを保つっつーか上げていくっつーのかな?そういうのって幻想とかってレベルじゃなくて、リアリスティックでプラクティカルなレベルで実現可能じゃない?それすらも無理って言われるってどう思う?低きに流れる水からの手招きにしか思えないんだよね。なんでそんなことを言うのかさっぱり理解が出来ないんだよね。「それでもキミはたいした事無い。普通だ」って言い続けてくる感覚というのはなんなんだろうか?


こうやって色々と分析してみるとさ、結局、伯母さんもキャリアウーマンの人もパターナリズムっつーよりかはおせっかいって感じがしてくるよね。おせっかいっつーか口出しっつーかちょっかいっつーか介入っつーか干渉っていうかさ、これってパターナリズムじゃないよね。そもそもパターナルだったらやっぱ愛を感じると思うんだよね。厳しい言葉の中にも俺を思ってくれているっていうような言葉を細部に感じるっつーかさ、それが全く感じられない俺への否定とか悪口にしか見えないのってやっぱりただの文句なんじゃないか?って思えて来ちゃうよね。で、俺はその動機がイマイチ分からないわけだ。俺の事が前々から気に食わなかったのか、それとも俺の「甘ったれた」生き方にもの申したいのか、それならそれで分かるけど、かといって「キミはたいしたやつじゃない」ってことを言う理由ってのはなんなんだろう?「文章は下手だし言ってることが矛盾してるよ」とかって言われるのもどうも攻撃にしか思えんのだよね。実際はそこまで矛盾してないからね。文章が上手いかはともかくとして、丁寧には書いてるから伝わるはずなんだけど、それが伝わってないってことはさ、相手が理解してないってだけだよね。俺は少なくとも客観的に自分のメールを見てそこまで支離滅裂だとは思わないんだけど、相手はそう感じるっつーのはどういうことなんだろうか?仮に理解が出来ないのであったら「ここがよく分からないんだけど」とかって具体的なパートを示して聞いてくれてもいいはずだよね?それを一気に文章がヘタクソだみたいなことを言ってくるのって意図的な攻撃だよね。もうもはやパターナリズムという愛ではなく、「勘違いしてんじゃねーぞドアホ!」っていう怒号にしか見えないんだよね。


正直、あそこまで俺の事を否定してるメールって今まで無かったんだよね。それがあのキャリアウーマンの人から来たってのがショックでしょうがない。本当に。友達を仲違いで失ったとかっていうレベルじゃなくて、「勘違いしてんじゃねーぞ!ドアホ!」みたいなレベルで色々なことを言われたってのが凄く辛いね。相手は完全に俺の事を誤解しているし理解をしていないからああいうことが言えるんだろうけど、でもさ、やっぱ突っ込んだことを言うのもマナーって必要じゃない?土足で家に入る前にも靴を綺麗にするとかさ、土足で入ってくるなりにマナーってあるよね?そういうのが明らかに欠如しているのが全くもってショックだったわけだ。俺が凄く好きだった人だったからショックなんだよね。「こんな心無いことを言う人だったんだ!」っていうショックと絶望ね。喧嘩が高じてこうなったんならわかる。ただ俺は自分のポリシーとか哲学に対する思いを語っていただけなのに、こういうことになっているっていうのが凄く理解に苦しむね。まぁ世の中にコミットする価値がないとかって言うまぁいつものウォール伝調子のことも色々書いたけどね、世の中にはクズが多いとかね、でもこういうのも以前に似たような話をしていたからさ、俺が一方的っていう意味ではなく、お互いそういう話をしていたのね。まともな人に会える確立が低いみたいな話を散々していたのに、なんでこういう結果になってしまったんだろうか。本当に残念だ。


だからやっぱ人間関係って少なくとも俺にとっての人間関係って期待を裏切る絶望と絶望と後に来る憂鬱しかないんだよね。そういうことばかりが多いんで、もう人間関係がそういうイメージになっちゃってるし、実際、今回みたいなことも起こるんで、「やっぱりか。まぁ慣れっこだからいいけどね」っていうようなことになっちゃうのね。で、第三者が見るとさ、「喧嘩したの?」とかって言ったりするんだけど、俺は自分の意見を述べていただけなのに一方的な攻撃を食らったっていうのって喧嘩じゃないじゃん?でも「仲直りしなきゃダメだよ」みたいなバカ臭いアドバイスとかってるじゃん?「いや、これは喧嘩でもなんでもなくて・・・・」ってもう説明することすらも面倒になっちゃうみたいなね。こういう煩わしさがもう俺は嫌なので。ドクサから生まれるドクサの連鎖ね。こういうのに俺はうんざりしているわけ。会社っつーか職場とかってこういうバカなことがいくらでも起こるじゃない?俺はそういうのがもう本当に嫌なのね。だから頭の良い人がいる場所で働くか、それが無理だったら人が全くいないところで働きたいね。


なんつーかさ、的を得てない勘違いだらけの指摘なり攻撃に答えるって相当疲れることだよね?そこで俺は相手に理解を求めるっつーかさ、言葉で説明してそうじゃないんだって言うことも出来るんだけど、根本の勘違いが凄過ぎるとさ、それって右翼と左翼みたいなもんで言葉では埋まらないような相違があるんだよね。で、俺が色々なことを言っても、それは相手には言い訳か、ムカつくようなことにしか見えないっていうね、ここでもうダイアログが終わっちゃってるんだよね。沸点は100度なのに沸点を80度だと信じている人の沸点80度で実験を進めている人に対する批判とかってさ、的を得てるわけがないじゃん?で、そういうのが永遠に続いてもそれってさ、根本の勘違いからくる会話のフラクタルなんだよね。だからそのフラクタルの細部を分析しても全然意味がない。なぜなら根本的な間違いは沸点を80度だと勘違いしている人の認識にあるんだよね。だからね哲学が甘えん坊の学問で、なおかつ精神病はただの言い訳っていうのを信じている人にさ、違うんだよって説明するのって大変だしさ、相手が聞く耳持ってないともう諦めるしかないよね。これがまさしく伯母さんとキャリアウーマンの人みたいな人達のことなんだけどね。


やっと折り返し地点に来たって感じ?まだまだ続く感じだけどね。

Sacred Geometry: Deciphering the Code

Sacred Geometry: Deciphering the Code