井上日召と血盟団について。

mimisemi2009-06-26

井上日召血盟団について前に書いてたやつを貼っておくねっつーか長いんで二回ぐらいに分けます。あと井上日召の「一人一殺」を読破したんで、それについてなんか書くかもしれない。っつーか帰国してからもずーっと読書ね。基本的に生活が変わらん。習慣ってのは作られると強いもんだなってつくづく思った。


山ちゃんがガキの使い辞めない感じかな?俺がいくら外から「死ね」とか「つまらねぇ」とか言われても「俺の生き方やめへん」っていうようなね、その辞めへんで感覚だね。それを最近は凄く感じるね。頑固に自分の考えを守るというのではなく、これが俺の土台なんで辞めたら生きていけないっていうさ、山ちゃんにしてみればガキの使い辞めたら致命的じゃん?そういうことだね。血盟団の古内榮司氏の言葉。「吾人の行く所は国家の反逆児として、乱臣賊子として葬り去られる、其の途を行く。さうして私の心境としては、私の境涯としては、それが即ち成仏の道だ、そう思って居ります」同じく血盟団古内榮司氏の言葉。「乱視賊子として葬り去られ、首を括られ、乱臣賊子としてこの国家の反逆児として立つ者がなければ此の現在の本当の国体を顕揚することは出来ぬ」


これらは極めて政治的な発言っつーか当たり前だけど、これは人生全般に言えると思う。他人を気にして社会からの評価ばかりを気にしているものが本当の生を生きられるのか?自分たちの生を肯定できるのか?愛国に関して言えば右翼とか愛国者を自称するものならみんな彼らを見習わなきゃいけないね。だから言ってるでしょ?俺は基本的にずーっと革命家のマインドでいるって。イデオロギーの差はあれ根本は変わらないんだよね。で、人生に関してもさ、パラフレーズするとね、常識とか既存の概念みたいなものに反逆児として立たないとさ、現在の本当の生ってのは見つけられないんだよね。


これは恐らくさ、俺が逸脱してるっていうよりかは基本的に普遍的な概念なんだよ。でもリスキーなんで誰もやらないんだよね。国体を顕揚するためのテロリズムにコミットするかはともかくとして、自分自身を高めるためにリスクにコミットするってのはさ、逸脱ではなくて挑戦だよね。それをやらない生などに価値があるのか俺には理解出来ないね。まぁそこでまぁいいんだ、俺はダイナマイトとして生きることに決めてるからさ、「そりゃーあんただから言えるんだろ」って言われたらそれまでだからね。俺は何回か死んでいるような感じだから、ここまでの覚悟があるわけだね。死を恐れずというよりかは覚悟して不可能性に挑むって恐らく人間が出来る究極的なコミットメントなんだよね。そこに合理性や論理性などは必要ないわけ。ただ燃えたぎるエネルギーとしての自分が自分自身を生に向かっていくみたいなさ、そのダイナミズムに対しての合理性とか論理性っていらないんだよね。「よく考えてみ?確立低いよ?」とかそういうのいらないんだよね。もちろん計算も必要だけどもっと必要なのは意志でしょう。


俺のニーチェのね、力への意志ってまさしくこういう解釈なんだよな。んじゃあ何かい?それはテロリズムにも利用されるってーのかい?ってツッコミがありそうだけど、生を究極的に肯定する思想にはね、ナチズムやファシズムテロリズムといったような、ある意味で凄まじいエナジーを必要とするようなものに流用される可能性はいくらでもあるんだよ。いや、ニーチェ=ナチズムって考えは馬鹿げてるんだけど、その力強さというか、恐れを知らない感じはテロリズムにも繋がるわけでさ、俺がやってるのって恐らく被害者が出ない俺の人生の中でのテロリズムなんだよね。テロスに向かうテロリズムっていうの?「やめとけよ」「無茶なことするな」ってことをやりたいと思ったらやるんだよね。だからあれかも、いや、気がついていなかったけど、深夜のマンハッタンとかを歩いてて変なやつとかいても怖くないのはこういう覚悟があるからだと思うんだよね。マジで死が怖くないんだよね。いつも書くように本当に怖いのは監獄にいることでさ、つまりはレールに乗ってルーティンワークに忙殺されてるような状態ね。人生における地獄というのが一番怖いわけだ。


一殺多生というアイデアはまさしく俺のような人間のためにあるようなもんだね。いや、俺がテロリストになるという意味ではなく、一殺多生というのを脱構築すればさ、ようは俺の場合、特に殺さなきゃいけない害というのが俺自身だったんだよね。つまりはさ、世間体とか気にする自分とかさ、ディーセントな人生を送りたいとかって思うような自分ね。ようは誰もが思う守りたいと思う自分だよね。それを多生のために殺すんだよね。それは俺が自分を殺して他人のために自分を捧げるという意味ではなく、何かを守ろうとしたりしてイマイチ決断が出来ていない弱気な自分っていうのを殺すことで生まれる生の可能性なり多様性なんだよね。


膠着状態に陥ったネバネバしたドロドロの既成概念だとかさ、社会のルールとかね、それはまぁ人を殺さないとかっていうのは当たり前にしても、おかしいことにはおかしいって言ったりさ、自分が納得いかないものには立ち向かうとか戦うっていうような意志ってある意味でテロリスト的じゃない?そのためには自分の命も捨てる覚悟があるっつーのかな?そのぐらいの覚悟が無いと解放された人生って生きられないと思うんだよね。俺の場合、元々そういう反逆気質みたいなのが強くて、それを後天的に色々と考える事でシステマタイズ出来たというのがあってさ、あとはまぁ膠着状態になってしまうような既成概念というのが元々嫌いだったっていうのもあってさ、それを半ば生来的に感じていたので実行可能だったっつーのがあるにせよ、これはシステマタイズ出来ることだと思うのね。


ようは方法論足りうる考え方ね。で、俺は血盟団の特に井上日召によって暗殺実行に選ばれた20人ってのはさ、仏教的に昇華してた人達なんだよね。で、歴史を考えるとってほどまぁ歴史に詳しいわけじゃないけど、ここまでのテロリストってのはもう尊敬もんだよね。あの人間のあり方っつーか愛国のあり方っつーの?「 さて、直接行動がいいか悪いかだが、これは悪いに決まってる。テロは何人も欲しないところだ。私は政治がよく行われて、誰もテロなどを思う人がない世の中を、実現したいものだと念じている。」っつーのはまぁ井上日召が言っていることでさ、ようは俺も彼らと同じマインドを持ってるだけなんだなってまぁ「だけ」って言い方は変だけど、ようは井上が言うさ、一殺多生ってまぁ仏教の教えだよねっつーか分からんけどさ、仏陀の話がかであるじゃん?船に盗賊が乗ってて、んでそいつが他の船の人達に危害を及ぼしてたら全体のためにその盗賊を殺す事は悪い事だとされないみたいなね、必要な殺生っつーのかな?これをテロリズムと呼ぶかどうかは微妙だね。テロリズムとか必要な殺生ってポリティカルコレクトネスの名の下に無視されたりさ、そもそも考えに入らないってことがあるじゃない?でもそんなことないんだよね。殺人=悪という概念はそういう意味で単純過ぎるしそれは本当じゃないよね。家族を守るために殺したとかさ、襲いかかって来たから殺したとかさ、そういうのって正当化される殺人じゃない?それは殺人という言い方をされずに正当防衛って言われるよね?でもまぁ殺人だよね?それと仏陀の船の話とどういう差があるの?って話なんだよね。


で、ネオコンに話を続けるとまぁそういうことなんだ。彼らはシンプルに「アルカイダ=悪」って思ってるよね?アルカイダの実体があるないとかも置いておいて、とりあえずありそうなところを爆撃して殲滅しなきゃいけないっつーのはさ、彼らがようはよく言われるように世界警察的なロールを担ってると思っているから出来ることなんだよね。つまりは船で言う仏陀ね。で、盗賊はアルカイダだと。だからその盗賊がいる周辺は一般住民がいたとしても、そいつらの殲滅という意味でやらなくてはいけないというさ、ね?これって一殺多生のコンセプトと一緒だよね。もっとも彼らの場合、血盟団のようなヴァーチューは無いけどね。その裏には利権とかもあるかもしれないし、金儲けって理由もようは報酬的であったとしてもあるかもしれない。ようはそれをやることで儲かるし敵も殲滅出来て万事オッケーだね!っつーシンプルマインドな感じね。


でも一殺多生を概念的には理解出来る俺としてはそのネオコンのシンプルなマインドって理解出来ないこともないんだよね。ウォルフォウィッツがさ、学生時代にさ、なんで政治学を学ぼうと思ったか?っつー理由の一つにさ、前にも書いたけど「僕が核戦争を止められると思ったから」っつーなんつーのかな?青年の純粋な正義感っつーのがあるんだよね。それは暗黒のプリンスと言われるパールにすら感じるわけ。パールは世間的に言われるほど悪魔じゃなくてさ、ある意味でファンダメンタリストなんだよね。ジェファーソンのさ、アメリカが世界の秩序を担わなければいけないみたいなアイデアを純粋に信じて理解して実行してるだけなんだよね。もちろん背後に金儲けや利権なんかもあるんだけど、俺にはどうもそれだけだとは思えない何かが彼らにはあるって思うのね。ようは俺に通念しているようなナイーヴな正義感というのを彼らにも感じるのね。だから彼らが彼らの行為をその正当化としてジェファーソンとか中東の民主化という言葉を出してきて正当化しているだけだとは思えないのね。彼らはマジでそれを信じてるし正義だと思ってると思うのね。


仮にこれでアルカイダが殲滅出来てたら彼らは英雄扱いだよね。血盟団もそうじゃん?本当の国賊を葬り去ることが出来てなおかつそれが人々に認識されれば彼らは英雄扱いだよね。革命家ってのはそういうもんだよね?なんでゲバラが英雄なのか?って人々に認識された革命家だからだよね。実際、やってることはただのテロでさ、だからアメリカにもゲバラなんてただのテロリストだって言うヤツ多いよっつーかまぁ多くはないけど、でもアホなコンサバとかはマジでそう思ったりしてるからね。その革命的行為を国家単位で軍隊とかを使ってやっちゃおうじゃないかっつーのがまぁネオコン的発想だよね。そういう意味での民主主義の種を武力で蒔くというやり方に完全に反対は出来ないんだよね。仮にさ、中東でさ、他の宗派の男とファックしたからってだけで死刑になってるようなケースがあったとするじゃない?


で、それを先進国の人達は野蛮だってまぁ普通は思うよね?中国でも報道されてないらしいけど、中国政府の役人が経営に関わってる闇売春組織みたいなのが摘発を受けて売春婦だった貧乏な田舎から出てきた女の子が死刑になったりとかさ、これって明らかにおかしいじゃん?これはその経営に関わったとされている役人が裁かれないといけないよね?それを末端の何も知らないさ、ましてやヘタクソな国の運営のおかげで極貧になっている田舎エリアのウブな女の子が身売りして実家に送金してたとかさ、泣ける話だよね?逆に。それをスケープゴート的に「体を売ってるあいつ等が悪い」っつって死刑にするなんてとんでもないことだよね?なんとかっつー気功塾みたいなのに対する弾圧もそうね。あんなもの許されるものではない。こういう行為が許されないというのは文化的相対主義とかじゃないのね。「それは彼らの価値観や文化だから」って容認できない範囲の行為ってあるよね?そういったものにアメリカ的な帝国が介入してそれを無理矢理止めさせるってアイデアに俺はそこまで反対出来ないのね。


話し合って分からない人達でさ、話し合ってる間にも野蛮な行為が行われてるなら、行ってる連中と戦争をしてでもそれを止めなきゃいけないっつーアイデアに俺は賛成できるんだよね。それを戦争=悪だと決めつけるのはちょっと単純過ぎる。そういった野蛮な行為を止めさせるための戦争だったらそれは聖戦足りうるわけだ。この異なる聖戦の概念の対立がまぁイスラム原理主義とアメリカのエヴァンジェリカルズみたいな宗教的な対立になるんだけど、でもまぁこれの場合、イスラム原理主義の場合、ビンラディンみたいなイデオローグというかボス猿がいてさ、それに追従してるだけのアホが大半なんだよね。もしくは聖戦に参加すれば家族が養えるみたいなリアルな話ね。アメリカも同じでしょ?バカがネオコンに動員されてっつーのはさ、ネオコンそのものは右翼を利用してるんだよね。右翼を騙して右翼を通してエヴァンジェリカルズを洗脳してるって感じでさ、やってることはまぁビンラディンと一緒なんだよね。軍隊のリクルート然り。


ゴーストタウン化した田舎とかさ、食えてない有色人種とかをさ、ベテランになった後の保証とかさ、学校がただになるみたいな理由っつーかようはベネフィットで人を釣るんだよね。で、赤木さんみたいなのがマジで軍隊に入っちゃうわけね。まぁ赤木さんほど頭が良いやつは滅多にいないけど、逆を言えば赤木さんのような頭が良い人もああいうロジックで軍隊に入る可能性はあるんだよね。戦争の正当性とかはともかくとして、食えるし大学タダになるし貯金増えるしリスキーだけどネカフェよりかはマシだっつってイラク戦争に参加しちゃうっつーのかな?まぁ大半は正当性を信じて入ったりしてるんだけどね。懐疑的でもベネフィットを考えればペイオフどころか得るものが多いっつーんでましてや生活っつーのが死活問題だから参加してしまう。こういうリクルートのやり方はアルカイダと一緒だよね。まぁアメリカは自爆テロなんてのを兵士にはさせないけどさ、窮地に陥っても人道的行為とか道徳を逸脱することで得られる武力ってあるじゃない?それがまぁ神風だよね。自爆テロとか自爆するってことは下手すれば戦車一台より武力的には凄いことかもしれないわけ。だから賞賛するってわけじゃなくてね、当たり前だけどさ、でもこれは事実なのね。


で、神風が出てきたんでついでに書くけど、城さんのさ、「3年で辞めた若者達はどこに行ったか?」っていうベストセラーになると後日談系の本が出版されるっつーのはもう定石だけどさ、それを読んでて思ったのがね、ようは日本の社会モデルって神風なんだよね。社会モデルっつーのは言い過ぎにしてもさ、物語を信じて自分というよりかは家族のためにとかさ、滅私奉公する感じ?滅私奉公っつっても得られるものがあればシリコンバレーで億万長者を目指して頑張るアメリカ人みたいに死ぬほど働けるんだけど、それって滅私奉公じゃないよね。城さんの本の受け売りだけどそれは目的があるじゃない?億万長者になるためっつー目的がある。で、目的が無いのにさ、会社のためっていうとあれだけど、首切られたらたまらないからっつーんで自我を殺して徹底的に尽くすってファシズム的だよね。


それは企業がそういうモデルで動いているというのがあるにしても、ふつーの感覚っつーか例えば欧米人の感覚じゃやるわけがないってことをマゾキスティックにやるのが日本人なんだよね。よく文句を言わないねっていうレベル?俺はコンビニのバイトの時に無言の了解みたいになってたサービス残業に対して、当時は今ほど自身が無くて精神的にも弱かったのにも関わらず、やっぱり本来の気質で「おかしいんじゃないですか?」って言ったんだよね。まぁ聞いてもらえなかったけど。あれはああいう日本のファシズム的抑圧というのを利用した経営術だよね。空気を読んでそういうのに従わないと首になるっつーか店長から気に入られないっつーのがあって無言の了解をしてサービス残業をしてるやつらにも責任があるんだよ。そういうファシズムを温存させているのはまぎれも無い彼らなわけ。だから俺みたいにボイコットしちゃえばいいの。「もういや!」っつって俺は無断欠勤して首になったけど、当時は後悔したっつーか、大人としての振る舞いが出来てなかったなって後悔してたんだけど、今思えば、あんな不正が横行している場所とそれに追従する人間に嫌気が指して当然っつーか人として当然の感情を持ったまでだなって思っててさ、全然正しかったって思ってるんだよね。ああいうのも知識があれば相手を論破できるじゃない?


それこそ今の俺ぐらいの考えとか知識があれば当時の俺はこの店長を論破することが出来てたはずなんだよね。でも無知だったから無断欠勤とかで首になるしかなかったっつーとあれだけど、まぁこういう結果で決別することになったんだけど、俺の後悔としては正論を面と向かって言えなかったということがあるよね。勢いで言い負かされていた弱い俺というのがあった。そういう女々しさっつーか情けなさは今でも後悔するね。だからこそ今ではまぁ気が強いわけだけどね。俺の場合、元々気が強かったのを色々あって弱くなってそれが弱くなりすぎたのを反省してんで元に戻したどころか元々のを活かしてもっとそれを強くしたっつー複雑なプロセスがあるけどさ、あ、なんの話だったっけ?


・・・ってことでちょっと飛んだところで今日はこの辺で。続きはまた明日。


あと参考程度に以下のurlなんかをどうぞ。上は鈴木邦夫さんね。


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2007/shuchou1001.html

http://utusemi-web.hp.infoseek.co.jp/page56.htm


「右翼テロ」っつーレッテルがいかにおかしいかが分かるね。彼らは国士で革命家だった。愛国や国士に右も左も無いという良い例が彼らね。現代の日本の若者が学ぶ事が多過ぎると思う。


一人一殺 (1972年)

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一殺多生―血盟団事件・暗殺者の手記 (1974年)

一殺多生―血盟団事件・暗殺者の手記 (1974年)