井上日召と血盟団について。その2。

mimisemi2009-06-29

実家にいる感想は?というと去年と一緒であまりに平和過ぎてかなりダレる。友達とはよーこさんと会ったんだけど、まぁ色々話しつつ色々本を借りたりしてさ、んでまぁ家ではひたすら読書なんだけどなんつーか趣味的になるよね。アメリカのベースメントジャックスに潜伏しているときは読書とか語学とか思索とかがイコール生存に繋がっているけど、実家の場合、それが無くなるんで気合いが入らなくなる。放っておいてもメシが食えるし居心地がいい。でもそんな殺人的に平和な環境にいて思うのはやはり今の平和は幻想なんだということに気がついたりするよね。ようは凄まじい平和の中に空虚さがあるのね。アメリカにいるときの上昇志向とかサバイバル感ってのがなくなるんでなんつーのかな?帰還兵っつーの?激戦区から帰って来て平和に過ごしている兵士みたいな感じっつーかまぁ実際の兵士がどうかは分からんけどさ、言ってる事分かるでしょ?ハングリーさとかが無くなるんですげーダラけるわけ。


ようは今みたいな平和な状況を自分の力で作り上げればいいんだけど、これは親が作り上げた平和的環境だし、俺はそれに依存してるんだよね。これは経済的に依存することとは違う。環境に依存するということは精神まで環境に依存するということなわけで、極論を言えば今の実家の平和な生活は精神に悪影響をもたらすね。マトリックスで言えばマトリックス内での平和って感じ。俺はマトリックスの外での本当の平和っつーか生活をしたいと思っているのに実家にいるとマトリックス状態になるんだよねっつっても親は苦労して仕事とかしてて、家で仕事してないの俺だけなんだけどね。妹はバイトやりつつ家事手伝いっつーか主婦だしさ、俺がやっていることと言えば犬の散歩だけね。


で、この生活が楽かと言えばそうではない。ようは先が見えない恐怖が凄いんだよね。アメリカにいると例えば大学に進学するとかさ、グリーンカード取るとかリアルな目的に常に向かい続けているっつー精神面でのダイナミクスがあるんだよね。でも今はそれが無いんでだからある意味で怖いっつーか妙に落ち着かないんだよね。平和だけど落ち着かない。この平和よりかは俺は生きるか死ぬかの戦地にいたいって感じなんだよねっつってもまぁ経済的に依存しているけどあっちでは俺が動かなければ何も動かないじゃない?メシも無いしさ、俺が怠けてたらクラスは落第するしさ、俺が動かないといけないんだよね。でも今は俺が動かなくても周りが勝手に動いて俺がフリーライダーって感じなんだよね。アメリカにいても経済的な意味での状況は一緒なんだけど、あっちの場合、目的があるんだけど、こっちにいるとさ、純粋な意味でのバカンスっつーかさ、すげー楽なんだよね。でも精神的に落ち着かない。正直、早く戦地に戻って戦いを続けたいっつー気持ちがあるよね。今は平和で最高なんだけど、ある意味で最低なんだよね。まさしくぬるま湯というやつだね。


俺はこんな状況にずーっといたわけでさ、昔ね、だからまぁ色々なことに開眼しなかったのもまぁある意味で必然的なのかな?とか思ったね。ニューヨークで自活してないと見えてこないものっつーのかな?環境からじゃないと得られないものってのがあって、それが凄く実家にいると分かるね。ようはこっちでもアメリカで養った魂のあり方を続けないと堕落するんだよね。だからあくまで俺はこっちでは家族にとってもさ、よそ者でいなきゃいけないんだよね。今は変な話、去年もそうだったけど、海外にいる感じだからね。むしろアメリカにアパートがあるんでそれに助けられてるっつーかさ、今の実家暮らしが殺人的な平和で怖くなってもアメリカに住居があると思うと安心するんだよね。ふつーは逆なんだけどね。アメリカにいて日本に家があるんで安心するっつーのかな?それが逆なのね。


まぁいいや。早く帰りたいってわけじゃないけど、なんつーかやっぱあっちの生活のほうがいいね。色々と不便なんだけど精神にとってはあっちのほうがいい。実際、ウォール伝もこっちに来てから何も書いてないからね。たぶん精神がダラけてるんだと思うな。あとさ、よーこさんからもらった苫米地の本にドリームキラーってのが載っててさ、所謂、キャリさんが典型的なドリームキラーだったんだなって気がついてさ、きっぱり完全に縁を切れて本当に良かったなって安心したね。連絡先は教えてないっつーかメールしか無いし、メールは受信拒否にしてるし、スカイプも拒否リストにいれたし、実質、何があろうともあっちが俺にコンタクトを取ることは無理になってるんだよね。もう怖いんだよね。存在が。会う事は無いんだろうけど、それこそ「会う事がありませんように!」って願いたいぐらい会いたくないんだよね。


こっちに来る前日に会って、んでまぁ喧嘩別れっつーか俺が論破しちゃって相手が怒って帰っちゃったんだけど、本当に良かったなぁーと思ってるんだよね。下手に関係を続けるよりかはブチっ!と切れるほうが良かったっていうかなんていうか。あと恨まれたらダメだね。変な念を寄せるかもしれないんできっぱり切れないとダメ。「もうあいつのことなんて知らない!」って相手が思ってれば最高なのね。まだ相手が俺に何かを言いたいとかって思ってたらダメなんだよねっつーかまぁその縁切りっつーのは引き寄せの法則とは逆に引き寄せないという自分の願いとか念を使って引き寄せないのが一番いいんだよね。今後もああいうドリームキラーとは会わないようにして、結界を張るっつーのかな?本当に危険な人種なんだなっつーのがマジで分かったっつーか、まだ普通に嫌なやつのほうがいいんだよね。下手に理解者とか良い人みたいな仮面をかぶってるドリームキラーだったりするとそれって最悪なんだよね。


ってことで彼女は俺の人生史に残る史上最悪の人物にノミネートされたんだよね。キューティーの姉を越えたのが前のルームメイトで、前のルームメイトを越えたのがキャリさんね。もうこれ以上、最悪人間史を塗り替えるような人物に出会わないことを願うしかないね。本当に怖い。記憶の新しさとかそんなんじゃなくて、過去に嫌だなぁーと思ってたバイトの同僚とかさ、クラスメートとか、ルームメイトとかさ、俺史の中には色々と悪魔のような人物がいるんだけど、どれもこれもキャリさんには敵わないんだよね。彼女の最悪さはある意味で完璧過ぎる。だからこそ寄せ付けちゃいけないし、今後も気をつけないといけないんだよね。そういうのを見抜ける力が無いとマジで人生ダメになるなって感じだよね。これは何事よりも怖い事だよ。ある意味で経済的なこととか病気とかよりも怖い事だね。「あいつは本当に嫌だ!」っていうレベルを超えて「関わりたくない・・・・」って恐怖すら覚える存在って凄いよね。そう。恐怖を感じるのね。凄まじい恐怖。これは最悪トップ1だった前のルームメイトには無かった感覚だね。「街ですれ違いたくもない」って思ってはいるし、シルエットが似ている人がいるとそれだけで嫌なんだけど、キャリさんの場合、もう逃げたくなるレベルね。凄まじいありえないぐらいの負のエネルギーが彼女にはあってさ、それがマジでヤヴァイんだよね。何事も経験だからいいんだけど、マジで神社とかいってさ、自分なりのお清めとかしようってマジで思ったよね。そういうレベル。俺には分かる。だからこれ以上何があっても関わりたくない。


ってことでまぁいいや。こっち来る前に縁が切れて本当に良かったって感じなんだけどさ、ってことでまぁこないだの続きね。


あ、んで滅私奉公と一殺多生は違うのね。血盟団の暗殺メンバーは井上日召によって洗脳されて滅私奉公をしたのではなく、彼らの意志で国体を守るために自分を殺して誰かを殺したんだよね。これがつまりはさっき書いた究極的な生の肯定なわけ。これは生を捨てているのではなく、自分の意志に生きようと思うからこそできる自分を殺すというやり方なんだよね。返り討ちにあっても死刑になっても暗殺が出来ればそれでオッケーという強い意志ね。で、それが反逆罪とかさ、国賊だ!とかって批判されても、それは彼らの信じる国体なり国賊の成敗なわけでさ、だから他人の評価とか気にせずに、逆に国賊扱いされてもやるんだよね。何しろやることが彼らの目的であるし彼らが見いだした生の意味なわけでさ、俺はそこに革命的な魂を感じるね。テロリストっていう響きの悪いものではなく、本当に国を思う革命家の純粋で強い心というか意志を感じるのね。


変な話、まぁ観念的な話になっちゃうけど、当時俺が生きててんで血盟団があってなおかつそこにしか生を見いだせなかったら俺は血盟団に入っていたと思うし、暗殺メンバーに選ばれるだけの自信があるね。まぁ机上の空論だって言われればそれまでだけど、彼らぐらいの覚悟があるつもりではいるんだよね。そうは見えないだろうけど。危ないでしょ?相当危ないよ。俺。そんなの分かってるよ。でも政治って突き詰めるとそうなのよ。学者とかが生温い理論とかで語ってるようなロジックのレベルではないパッションがあるんだよね。エロスね。で、そういうのはヤヴァイし秩序を乱すものだとして最初から議論の念頭に置かれないとかね、排除されたりするよね。マッカーサーが武士道精神をヤヴァイもんだと思って禁止したっつーか骨抜きにしたのもそういうことね。マッカーサーは武士道のヤヴァさを分かってたからこそ禁止したわけ。でもいつの時代にもそういうが禁止されていたり、時代遅れでバカバカしいものだと言われたりしている世の中でも真意を読み取って共感するやつってのが少ないかもしれないけどいるんだよね。で、血盟団がどうのって言い出したりするわけ。だから思想って死なないのね。久世と同じ理論ね。


だからといってテロリズムを肯定するか?っていうとそうじゃないけどね、でもこの滅私奉公ではない、テロスのためのテロっつーかさ、テロってのを脱構築すれば人生における死んだ気持ちでやるっつー玉砕覚悟の精神だよね。失敗なんて考えないし、失敗したら死ぬだけだろうっつーのを分かっててもそれをやるっつー根性っつーか強い意志ね。それが今の日本人にはないもので過去の日本人が持っていた魂ね。神風特攻隊は残念ながら滅私奉公になってしまったけど、それはただの結果論で、彼らの精神性というのは侍そのものなんだよね。中には「天皇なんて糞食らえだ」って思ってた人もいたかもしれないよね。でもそれで英雄扱いされるし、家族にもお金が支払われるってことで天皇っつーよりかは家族のために決断したっつー人もいただろうっつーのはようはアルカイダのテロリストを見てもそう思うよね。彼らを悪魔扱いも出来るけど、でも中には神風特攻隊ぐらい切羽詰まった人達というのもいるわけでさ、一概にそれだけを見て彼らを批判出来ないのね。神風で言えば武士道みたいなのをファシズム的に悪利用した軍部が悪いわけでさ、批判の矛先は当時の軍部に行くべきなのね。アルカイダ然り。自爆犯ってのは批判できない。自爆テロをやらせている大元を叩かなきゃいけない。


そこでまぁ俺はある意味でシュトラウジアンとは完全に違った意味でのシュトラウジアンなどは含まない単純な強硬なタカ派のアメリカ外交っつーのを支持出来る部分もあるのね。ようはあれだ、昔の日本の軍部みたいに人間爆弾とか作って暴走してる連中がいるんでとりあえず日本列島空爆しようっつーアイデアね。分かりづらい比喩になるけど、俺が日本人で今と同じマインドでなぜか当時のアメリカの軍部にいて決定権があれば俺は空爆を許可してたと思うね。日本人のくせに何を言うんだ!って話だけど、人間爆弾を作ってるような政府が存在しているっていう現状は一刻も早く変えなきゃいけないっつー全体のヒューマニティからの観点でそう思うよね。それは人種とか国籍を越えた決定ってことね。ジャップを殺せ!って言う意味ではなく、道徳的な意味でも日本空爆はありえるということね。だって神風特攻隊みたいなのを作ってる狂った軍部があるってこと自体がもうさ、それを一刻も早く辞めさせなきゃいけないじゃない?まぁアジア侵略についてはまた別の話になるから置いておくけどね。侵略を促したのはアメリカだっつーロジックもあってそれが結構ワークするんでプラクティカルなレベルでのドクサを展開するのは嫌だからやめるけどね、アレゴリカルなレベルとしては理解出来るでしょ?


そういう意味でアメリカのネオコン的姿勢っつーのは一概に否定も出来ないって話なんだよね。で、それとシュトラウスは全然関係ないのね。ネオコンシュトラウスではないからね。ネオコンの中にはシュトラウス派もいるかもしれないけどイコールではない。にも関わらず俺は二つの違うものとして両方とも肯定出来る部分があると思うっつーかシュトラウスに関してはもうドグマティックなぐらい同意するところばかりだけどね。そういう意味でマルクスに心酔している左翼青年と変わらないのかもしれないけど、左翼青年の場合、マルクスを読んで感化されるわけじゃない?俺の場合は俺の思考があってそれに共鳴するものに感化されるって意味で俺っていう思考の主体ありきなんだよね。だからマルクス青年みたいなドグマティックな状態になることはない。にも関わらずドグマティックに見えるぐらい心酔しているし、考えていることが似ているわけ。もしくはシュトラウスから学ぶってことが多いのね。で、しつこいようだけど、そのシュトラウスの思想とは関係ないところで、ネオコンにはシュトラウスほどではないにしてもまぁ共感を覚えるというところはあるのね。だから二つの違うものなのね。


分かったでしょ?一殺多生のイデオロギー。多くの人を生かすために害のある一人ってのを殺すってアイデアはね、何気に色んなところに通念しているアイデアなのよ。で、それが血盟団的に結実すれば最高なのね。ようは彼ら並に昇華した形でそれが現れれば最高なのね。彼らの死をも恐れずに政治的な行動にコミットするというあの覚悟っつーのかな?あれはシュトラウスというかプラトンが言うステイツマンに相当近いっつーかそのものだと思うね。最もステイツマンは統治をする人達だけど、自分を捨てて共通善にコントリビュートすることが彼らにとっての最高の善であるし人生の目的であるっつーさ、その悟性っつーの?これはね、血盟団の純粋なあり方とプラトンとかシュトラウスの言うステイツマンのあり方は同じなんだよね。いや、同じと言えると思う。え?もしかして俺って世紀の大発見をしてる?もしくはトンデモ論を言っているかな?もしくは論文として発表すれば博士号とかもらえるレベルのことを言ってる?まぁジョーダン23はともかくとしてまぁこれは俺の理解ね。


血盟団の場合、それが要人暗殺という形で表出しただけで、彼らのピュアなスピリットはただのテロリズムとして見なされて忘れ去られるべきものではないのね。ステイツマンが持っていなければいけない正しく清い心というのを彼らは持っていたわけだ。それでこそ国士であるし愛国者足りうるわけで、ステイツマンとはつまりは国士であり愛国者ってことと同意義なんだよね。そうじゃないとあそこまでのコミットメントは出来ないからね。で、ちなみにネオコンがダメなのは血盟団ほどの純粋さは持っていないからなのね。同じような正義感があったとしてもやっぱリアルポリティクスというか、政治とは違った要素の金儲けとかさ、利権とかそういうのがありすぎるからだから100パーセント肯定出来ないんだよね。だからネオコンってダメなのね。基本的に。彼らはシュトラウジアン足り得ない。シュトラウジアンだったらそのあり方は血盟団的であるはずだからね。


これ素晴らしい。マジで。自分で書いておいてあれだけど、俺が共感したものとか思ったものが上手いこと繋がってるな!っていう実感があるね。普段からそうだけど、今回は割とウォール伝にしては具体的な例とかがいっぱいあるじゃない?理解しやすいアレゴリーとかもあってさ、だから結構いいじゃん!って思っちゃったね。普段は抽象的なことが多過ぎるかもしれないけど、今回は政治的なものを抽象化しつつ具体的に書けてるっつーのかな?それは血盟団シュトラウスっつーキーワードがあったから具体的に説明出来たんだと思うけどね。それが割と上手いこといったんで嬉しいんだよね。


あ、んでもまだ終わりじゃないよ。一殺多生のイデオロギーをね、かつてのマッカーサーがヤヴァイ!と思って禁止した日本特有の強いイデオロギーとして俺等は受け継ぐべきなのね。それは右翼ラッパーがカミカゼサムライ!とかって言ってるアイコンのレベルではなくて、精神的なレベルで継承するってことね。で、それを政治的に昇華させるかはもう主体次第なのよ。それは書いたようにこの精神性があれば一回死んだ気になって大胆なことも出来るようになるってことなんだよねっつーかさ、つまりは管理化された滅私奉公というダイナミズムありきでのファシズムにコントロールされる主体ではなくて、そういうものに浪人になろうがなんだろうが抗うっつー真のサムライスピリットを持った人間として生きるならね、今までの弱っちい自分ってのを殺して自分の多様な生を育むためにそれを恐れずに解放するっつーのかな?人生のレベルではそうだしさ、これはまぁ前にADDと超人とかで書いたことと一緒だけどね。


俺の場合、最初から守るものが無くて死んだような人間だったから簡単にそれが実行できたっつーアドバンテージはあるけどね。下手に良い感じに育っちゃったらそれらを捨てるのって大変じゃん?それを多生のために殺すんだよね。それが人生における一殺多生のイデオロギーね。まぁ俺のイデオロギーだけども。一番痛いのは「それはお前みたいな気違いだから言えることなんだ」ってことね。「凡人には無理」って言われたらマジでそれまでだけどね、でもまぁ俺は共感出来る人がいたらやってほしいと思うねって要人暗殺ってことじゃなくて、従順で変化を望まない自分を殺すって意味での実行ね。


・・・・ってことでまぁ色々と血盟団関連のお気に入りの文章を張りつつ今日は終わるねっつーか日召についてはまた今度書くね。今は書ける気がしないんで。


「悪意を以って殺すなら蟻一匹殺しても地獄に苦しみ、大慈悲の心を以って殺すなら百人殺すも仏罰は蒙らない」


〈第一線に立つ者は、独身でなければいかぬ。妻子ある者は其情に惹(ひ)かれて革命的になり得ない。之は人情である。革命は戦争とちがう。戦争は戦死しても遺族の生活を国家が補助してくれる。生還すれば勲章、昇進、大もてである。併し革命は失敗すれば逆賊となり、世間の冷視、支配階級の處遇を受けなければならぬ。而して革命の第一線は常に必敗の戦である。飽迄独身でなければ駄目だと井上さんは話された。国家を革命せんとするものは先づ自分自身を革命せよ。自己の生命を革(あらた)めずして国家の革命等はおこがましい。而して我々は日本の為にやるのではなくして、国家の革命を生くるのである〉


「井上さんは、吾々は国家の為に尽くすのではなくして、国家を生きるんだ。吾々を生きるんだ。吾々を生きる道である。是より外に自分は行く道はないと云ふものだけが自分と一緒に来て居るのです。言ひ返せば、国家の為にやるのではない。国家を生きるのだ。自分が革命をやるのでなく、革命を生きるのだ。そうして是より外に行く途はないのだ、と申しました」


「吾人の行く所は国家の反逆児として、乱臣賊子として葬り去られる、其の途を行く。さうして私の心境としては、私の境涯としては、それが即ち成仏の道だ、そう思って居ります」


「乱視賊子として葬り去られ、首を括られ、乱臣賊子としてこの国家の反逆児として立つ者がなければ此の現在の本当の国体を顕揚することは出来ぬ」


「若い時に叩き込んだ剣道で、斬って斬って斬りまくり、その上で切腹するから、そうしたらお前は俺の首を叩き斬れ。そして風呂敷に首を包んで、日召を連れてきたと、警視庁に放り出せ」と、本間憲一郎に頼んだ。すると本間が「うん、そりゃ面白い」


「さて、直接行動がいいか悪いかだが、これは悪いに決まってる。テロは何人も欲しないところだ。私は政治がよく行われて、誰もテロなどを思う人がない世の中を、実現したいものだと念じている。」


・・・・ってことなんだけど所謂、無差別殺人を行うテロと血盟団的というか仏教的なコンセプトで国賊を伐つピンポイントな要人暗殺ってのは似て非なるものなんだよね。血盟団をテロ組織と定義するのは大間違いね。あれは仏教的な政治結社だったわけで、テログループでは無かったんだよね。それにしても意外だよね。仏教と要人暗殺のコンパチビリティ。井上日召イデオロギーは深過ぎるね。もう右とか左とか超越しちゃってる。ちなみに井上日召の自伝のタイトルは「一人一殺」になってるけど、本人は「一殺多生」にしたかったらしいんだよね。前者だとただのテロを指す言葉みたいになるんで、後者にしてくれと。ただまぁ結果的に出版社の意向で前者になったんだけど、幸いな事に元血盟団の小沼正の本が一殺多生というタイトルで出版されててさ、まぁあれだね、両者ともに必読書だね。日本が世界に誇れる国士っつーかさ、命を投げ出す感じが日本ならではで他国ではなかなか真似出来ない仏教的な高みっつーのかな?海外での研究がどう行われてるのか分からないけど、将来的に機会があれば英訳して出版したいってマジで思うよね。


仏教的な悟りが無いと一殺多生のイデオロギーはなかなか理解できないかもね。そういう意味で井上日召イデオロギーはシュトラウで言うところのesoteric teachingなのかもしれないね。秘教的仏教イデオロギーっつーのかな?八紘一宇とかも一般的に言われていることとは違うんだなとかって思ったんで日蓮の本とか読もうと思ってるんだけどね。まだまぁ深いところまで行ってないけど、八紘一宇はある意味でネオコン的かもね。仮にネオコンがね、武力で世界を統一しようと思っててさ、それこそ平等で差別の無いアメリカ的な理念で世界を統一しようと思ってたらこれって八紘一宇と似てるよね。ネオコンが本当にuniversal brotherhood的なコンセプトで戦争とか世界侵略をしているかはともかくとして、八紘一宇ネオコン思想とかプラトン哲人政治とかもかなり繋がりがあるよね。ようは哲学とか概念って形而上学的に深いところで通念しているものがあったりするんだよね。それこそまぁ所謂真理なんだと思うけどね。


まぁいいや。これについてはまぁ機会があったらまた書くわ。


人にはなぜ教育が必要なのか

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