Philosophical Subversion。

mimisemi2009-07-09

シュトラウスがさ、うろ覚えで手元に今本が無いからチェック出来ないんだけど、哲学ってのはさ、既存の概念とか常識を徳っつーか知識で変えるみたいなことを言ってたじゃない?まぁ帰ったらまたチェックしてみるけどさ、この難しさってさ、しつこいようだけど、キャリさんをまた出しちゃうけどね、キャリさんって自分がやってることが全部正しいっつーか言ってることとかも全部正しいって思っててさ、だから俺に一切謝罪をしないし、自分が間違えてるとかさ、相手に失礼なことを言ったとかって全然思ってないんだよね。だってキャリさんは俺が間違っていると思っているんだから。


でもさ、喧嘩別れみたいになった日にお返しをするつもりは無かったんだけど、まぁ色々と言いたい事があったからタイミングを見計らってまぁある意味でベストなタイミングで言いたい事を言ったんだよね。詳細は避けるけどさ、急所はこれだったねっつーのはね、「そんなことをあなたに言われる筋合いはない」ってキャリさんが俺に言ってきたわけ。そしたら俺がこう返したのね。「あなたが僕に全く同じようなことをしたんですよ」って。諭すつもりは無かったんだけど、結果的に諭したようになっちゃったんだけど、ようは諭されてないのね。ハッ!とするどころか相手は攻撃にしか考えてないわけ。自分がやったことの跳ね返りにイラついてるっつーのかな?もう人間として外道だと思うんだけどね、これがようは不可能性なのね。


つまりはね、知識とかさ、正しいものの見方でドクサをエピステーメーに置き換えるっつーかさ、まぁドクサを知に置き換えるってことなんだけどさ、でもこれって機械のようにはいかないじゃない?CPUを変えりゃいいとかっていう話じゃなくてさ、その人の認識なりで行われる交換という行為じゃない?で、それをさ、ようはさ、攻撃なり批判なりって捉えられちゃうっつーか捉えるぐらいの脳しか無いおバカさんならさ、それは永遠に置き換えられないよね。ドクサを死守してるっつーかさ、バカが考えるバカの考えをバカなりの防衛方法で守るっつーかさ、死守するんだよね。だからドクサがエピステーメーに置き換えられることは無いっていうさ、まぁキャリさんが典型的なんだけど、なんでこれがシュトラウスの話に関係あるのか?っつーとね、この置き換えという行為はさ、哲学の役割とかって言われてもさ、そこに社会があるじゃん?


コモンセンスを共有している民衆なり社会があるわけでさ、置き換えと言っても置き換えということに対する認証がなければさ、ようはね、哲学者の言っていることを「トンデモ理論だな」とかってしか捉えられない大衆が大半ならさ、既存の概念が知識によって置き換えられることはないよね?だってさ、既存の概念なりコモンセンスが大衆のドクサによって死守されてるわけじゃない?まぁそこをシュトラウスはさ、反感を買わないようなやり方でesotericに小乗的に知を流しつつ、それを理解出来るものだけが置き換えにコミットするっていうようなね、知の隠密行動とも言えるべきようなことがまぁ常識とか体制とか社会転覆としてのsubversiveな哲学とか知ってことなんだけどさ、まぁマキャベリもそういう意味で革命的で革命家だったってシュトラウスは書いていたけど、この置き換え行動をどう行うか?だよね。キャリさんの場合はさ「あんな人がいるんだ。しょーがねーな」で縁切って終わりじゃない?頑張って置き換えをしなくてもいいし頑張る価値があるような人じゃないからいいんだけど、社会の場合さ、ダメなあり方とかダメな大衆のあり方を野放しには出来ないじゃない?で、どう置き換えを行うのか?ってのが問題になるんだけどさ、ここがさっき書いた難しさなのね。置き換えを攻撃だとかさ、批判とか抽象としか捉えられない社会とか大衆のあり方があったとすればさ、それをどう変えるか?だよね。それは変えるんじゃなくて知の隠密行動で緩やかに変化させていくものだと思うんだけど、でもどうやって?って話になるよね。


そこでまぁさ、グラムシ的なさ、"「倫理的-政治的」形態の支配力としてのヘゲモニー"になるわけだけどさ、まぁグラムシヘゲモニー理論と哲人政治のコンパチビリティの話に関しては色々書いたから繰り返さないけどさ、高度な上部構想的形態をどう立ち上げるっつーか作っていくのか?だよね。それはさ、偶発的に立ち上がるようなものでもなければさ、必然的に何らかの所産で立ち上がるものでもないじゃない?相当な意識的行動が必要だよね。で、この不可能性っつーかさ、ゲンナリするぐらい大変な感じっつーのがなんつーかさ、キャリさんの腐ったドクサをエピステーメーに変える作業ぐらい大変ってことなんだよね。


キャリさんの意識構造を変えても全然見返りが無いっつーか価値があるとは思えないけど、社会の場合価値があるじゃん?でもどうやって?ってのがあるよね。イマイチ俺はこれに関する具体策が立てられないんだよな。理論レベルでは「こうすればいい」みたいな大雑把な概念があるんだけど、実行性っつーかさ、可能性を考えた時にね、どうもつっかえるんだよね。イマイチこれといったものがないっつーかなんつーか。それが啓蒙とかじゃないのは明らかだけど、でもんじゃあそうじゃない大衆に語りかけないやり方での高度な政治的な支配力としてのヘゲモニーを樹立させるためにはどうすればいいのか?っつーのがさ、イマイチ分からんのよね。強制ではなく緩やかにそれを行うってかなり大変なことだよね?まぁでもやらなきゃいけないんだけど、なんつーかイマイチだなぁー。これといったものがない。


まぁいいや。ってことでまぁ難しいんだわ。良い意味でのsubversiveな哲学を実行するのってね。それはともかくさ、トランソニックにハマってるんだけどね、妹がなぜか一枚持っててさ、unrealってやつなんだけど、絶妙な90年代中盤のベタなシンセ使いが良くてさ、すんげーマイルドで聞きやすいのね。で、気に入って妹と金を出し合って色々とトランソニックのCDを買いそろえたんだけど、結局、unrealがベストだったんだけど、俺的に凄い発見だったのがfantastic explosionね。新しいミックスの最後に入れたけど、俺が言っているのはハウス期じゃなくて初期のわけの分からないリッジレーサーのサントラみたいな質の低いムンベね。


ヌーキーとかブケムのアートコアってほど質は高くないし、それこそリッジレーサーそのものなんだよね。すんげーベタっつーかSFCとかのゲームのサントラみたいな音なんだけど妙な味わいがあるのね。ベタにネタをやってるのか、ネタでベタをやってるのかさ、それとも素でネタ的なベタをやっちゃってるのかさ、分からんのよね。永田一直の良いとは言いがたいコンポーザーとしての力量っつーかさ、すげー中途半端で素人臭い感じがたまらんのよね。それこそmidiシーケンサーでベタなコード進行のパッドの音をそのまんまならして適当にドラムンベースのビーツをならしつつ、ありがちなムンベ系のベースを入れてるだけっつーようなトラックがあったりさ、ありえないぐらいダサい打ち込みのリズムにホーンセクションが入ってたりさ、意識的にネタ的なことをやってるっつーのが明らかじゃないところがまた良いんだよね。分かっててやってるのか素でやっちゃってるのかが分からない感じが凄くいい。


っつーかそろそろ寝るわ。眠い。滞在は2週間を切ったな。マキャヴェッリの拡大的共和国っつーすんげー良さそうなマキャベリの研究本っつーか博士論文だかを本にしたやつとね、ハイデガーを劣化無しに分かりやすく説明した世界内存在っつー本を買ってきたんだけどこの2つだけで一万円いくじゃない?凄いよね。だから今日は本を売ってきたんだよね。ブックサーカスっつーところなんだけど買い取り価格がありえないぐらい良心的なおかげでまた色々と本が買えたわけ。ワトルズの本でさ、あるフォームの様々なバージョンが様々な存在だっつーけどさ、それがよく分かるのがこのサイクルね。ようは過去に絶大な投資をして買ったレコードとか本をさ、今必要としている本を買うために売って新しい本を買うっていうのはさ、つまりは俺のニードみたいなね、ニードっつー粘土みたいなのが形を変えて俺の手元に常に届いてるっつーか存在してるって感じだよね。過去ではそれは凄く欲しかったレコードで、今は凄く欲しいっつーか読みたい本っていうさ、まぁレコードとか本も仕方なく売ってるっつーのはあるにしても聞かないレコードとか本を大量に実家に置いててもしょうがないじゃない?だからそれをお金に変えて新しい本を買うって実に建設的でさ、ワトルズ的だよね。昔買って死ぬほど大事にしてたレコードとかを何かに放り投げてさ、んでそれがガッシャンガッシャン音をたてながら何かをしていて、んで俺の読みたい本ってのをそのレコードをマテリアルに生成してるって感じ?ワトルズのあの概念と凄く似てるんだよね。本当に。


俺の血肉だったっつーか体の一部だったようなレコードコレクションを売ってまで手に入れた本ってこれまた俺の体の一部だし血肉になる知識としての書物じゃない?それは物質なんだけどさ、まぁ商品なんだけどでも物凄く肉体的なんだよね。体に必要なものを蓄えてるっていうさ、まぁ栄養とかと同じ感じだよね。で、去年と比べて買ってる本のレベルとか明らかに上がってるんだよね。もう哲学の入門書みたいな類のやつは一切読む必要が無くなったしさ、今は深いところをディグってる感じだよね。ちゃんと手順を踏んで深いところに行ってるんでいかにも難しそうな分厚い本とかも全然理解出来るんだよね。つまりは全然それらは難しくないってことなんだよね。見た目とかはちょー難しそうなんだけど、俺の中に知的リソースとかがあるんで全然難しくないのね。むしろ手応えがあったほうが知的刺激を受けたりするっつーさ、まぁ最高の知の循環だよね。まぁ有閑階級みたいな浮世離れした生活をしていないと味わえないっつーか保てない抽象度が極端に高い状態だけどさ、でもこれって極まれば凄いよね。マジで。日本語でも英語でも昔じゃまず理解できなさそうな本とかが簡単に理解できるようになってるんだからこれは凄いよね。でもこれの凄いところは俺の頭の良さとかじゃなくて必然的な所産ってことなんだよね。


さっきも書いたけどある程度の色々なプロセスを経てきたから、こういったレベルの高そうな本を理解出来るようになるっつーのが必然っつーことね。だからあんま知能指数とかって関係ないかもね。まぁ関係あるんだろうけどさ、でももっと関係あるのって思考力とかさ、読解力とかさ、ようは後天的に身につける知的アビリティだよね。難しいとかって言われる本とかを問題なく読めるっつーこれ自体のことはさ、俺が凄いんじゃなくてただの結果なんだよってことなんだよね。ずーっと筋トレしてきたんで重いと言われるものも重いとは感じないっつーそれだよね。元々の体質もあるかもしれないけど、でもやっぱこれって筋トレの所産じゃない?知的なことも恐らく一緒だよね。まぁようは後天的な要素が物凄く重要ってことね。


ってことでもう寝るわ。


TRANSONIC ARCHIVES 1997-1999

TRANSONIC ARCHIVES 1997-1999

TRANSONIC ARCHIVES MIND DESIGN 1991-1994

TRANSONIC ARCHIVES MIND DESIGN 1991-1994

TRANSONIC ARCHITVES

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FANTASTIC EXPLOSION 2

FANTASTIC EXPLOSION 2

Return of Fantastic Explosion

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IN THE’90s

IN THE’90s

UNREALってのが特にオススメ。ファンタスティックはネタとして最高。