物理的な環境よりも精神的な環境のほうが重要だねってことだね。

mimisemi2009-07-17

実家にいつつさ、あと一週間ぐらいで帰るわけだけどさ、経済的にヤヴァクなってるっつーのは前から書いてきた通りだけどさ、まぁ改めて具体的な話をするとまぁそれがよりリアルになるわけだけど、まぁ諦めるっつー選択肢があるわけないんで、まぁ何がなんでもやるんだけどね、それにしても「なんだかなぁー」って思ったのは実家の疲弊して没落し切った経済状況じゃなくてさ、俺自身ね。俺自身って何気にちょーシンプルでさ、どっかの国で王様とかになろうとしてるわけじゃなくてさ、ただ単純に学問を続けたいだけなんだよね。それなのになんで家を買うぐらいの金が必要になるの?って話だよね。


家は言い過ぎにしてもまぁ高級車並っつーかさ、日本でまともに学問を続けられる地盤が無いっつーんでアメリカでやるしかないっつーのもどうなのかなぁ?って感じだよね。まぁどの道、俺は日本が嫌いだからアメリカに行くしか無いんだけど、でもさ、他の単純に学問やりたい人達って大変だろうなって思うんだよね。それこそ音響やりながら生きていくぐらい大変な事だよね。でも音響よりかはまぁ社会的地位っつーかさ、一応仕事としてっつーかウェーバーじゃないけどさ、職業としての学問みたいなのも無いわけでもないじゃない?でも日本のアカデミアのコラプトっぷりっつったら半端じゃないよね。まぁコラプトっつーか元々ダメだったっつー話もあるけどさ、それにしてもまぁ酷いな。


なんだかねぇー、俺みたいにここまでピュアって自分で言うのもなんだけどさ、名誉心とかさ、カネとかそういう動機じゃなくて純粋に学問がやりたいって人間が食えないっつーかやっていける世界を探すのが大変っつーか海外行くしかないみたいな状況ってどうなのよぉー?って感じだよね。いや、日本が悪いとは言わないよ。俺はどの道、日本でやれたとしても社会がダメだから俺はアメリカに行きたいっつーかあっちじゃないとやっていけないし精神が持たないんでどの道アメリカだからいいんだけどさ、いやね、客観的事実として日本の現状を見ると本当に酷いよなぁーって思うよね。


あとね、話題が変わるけど、今の俺がアメリカのベースメント生活みたいにね、読書とか思索とかにそこまで集中できないのってやっぱ人間関係だよねっつーか家族だよね。いや、家族が邪魔なんだというわけではなくてさ、家族がいることで孤独になれないんだよね。それだけ考えるってことが出来なくなっちゃう。あっちにいる場合、体はオナニーも含む排出か入力しかしないじゃん?物質的なものや観念的なものも含めて出力と入力しかしないからさ、体がちくわ状態になるんだよね。思索を続けるちくわっつーの?葦っつーとパスカルになるけど、俺に言わせればさ、あっちでの俺って考えるちくわだよね。だからこそ高純度とまではいかないまでも、かなり濃密な読書とか思索が出来るんだよね。外に出てもずーっと何か考えてるし読んでるしさ、無駄なことに知的リソースを使わないからなんつーかすんげー密度っつーか強度が高いんだよね。


正直、シュトラウスとかさ、ハイデガーみたいなのをましてやまだそこまで慣れ切ってはいない英語で読むとかさ、今の実家生活じゃありえないもんね。英語=サバイブっつーのもあるけど、それプラスやっぱあれだわ、膨大な時間と集中力っつーか知的リソースの配分だよね。それが出来ないとああいうのばっかに注意を向けるのは無理ね。家族がいてさ、日常会話とかさ、犬の散歩とかさ、テレビとかニュースとかあるとダメね。それで思考が途切れちゃうっつーかさ、モードがふつーの人間モードになるっつーかさ、ただの人間モードっつーか生活人間モードになるんだよね。ずーっと何かを考えてる人間モードにはなれないしなりづらい。


だからやっぱ実家はもうダメだな。仮に親に頼まれてももうここにはいれないなって感じだもん。いや、家族自体は経済的なことを除けば順風満帆で絵に描いたような理想的な家族なんだけどね、でももうダメなんだよね。俺自体がもうそこにいれなくなってる。まぁ苫米地で言うところのまぁコンフォートゾーンがさ、まぁ前にも書いたことだけどアメリカに設定されてるんだよね。あっちでブイブイ言わせつつ思索と読書に耽るっつーのに設定されててさ、その設定が最終目標っつーかデカイ夢に繋がってるから逆を言えばどう考えても今みたいな実家生活が俺のコンフォートゾーンであるわけがないんだよね。いくら物理的な欲求とかが満たされてもダメね。内面がさっぱり満たされないし、平和に過ぎていく日々とは対照的に俺の中の虚しさっつーのは広がるばかりだよね。


ところでまぁ半分笑い話みたいな感じだけど、例の画家のよーこがね、お世辞にも良いとは言えない職場の環境っつーか主に人間関係に疲弊している元相方と、カネが無いっつーんでレコードとか本を売りにいって「たいしたカネにならなかったよぉー」とかって言ってる俺の事を寝起きの雨が降っている日の朝に思い浮かべて泣いていたらしい。ウケるね。俺も心ではいつも泣いてる感じだからね。色んな意味で。まぁ今の俺に関しては完全に小遣い稼ぎでレコードとか本を売りにいってるんで、ガラガラを頑張って運んでいることに関しては別にそこまでの悲壮感は無いんだけど、でも実際、大枠のカネをなんとかしないとヤヴァイっつー状況に追い込まれている今の俺はまさしくまぁ名実ともにプロレタリア系の学生になっちゃったわけだね。前はプロレタリアヅラしてるプチブルだったけど、今はマジで実家の経済状況と今の俺の苦学生的な状況も含めてまぁプロレタリア化したって感じだね。


まぁ本当のプロレタリアよりかはまぁまだまだ恵まれているけどさ、でもこの没落感すげーよ。マジで。大変っつーよりかは行き詰まってる感じがマジでヤヴァい。まぁ俺はそれを超えるつもりだけどね。ワトルズのアレさえ実行してれば大丈夫っつー妙な自信があるんで不安じゃないし、下手な不安があの法則をダメにしちゃうっつーのがあるんで、だから変な不安感は抱かないようにしてるんだよね。この心の状態さえキープできればあとはオッケーなのね。問題は色々あってこれをキープするのが大変ってことなんだよね。逆を言えばキープし続けることが出来ればなんでも可能ってことなんだけどね。


面白いのがさ、学問っつーと大げさだけど、好きなことをやってれば自動的に英語力とかさ、語彙とかね、知識とかがエンドレスに増えていくんだけど、まぁこれはいつも書いていることだけどさ、これがようは目標とかとダイレクトに繋がっていてさ、だからまぁこれは苫米地も言ってることだけど、努力の必要がないんだよね。ギリギリだから頑張らなきゃいけないとかじゃなくてさ、ギリギリでも楽しい事を続けるし、ギリギリだからこそ楽しい事を続けないと上手くいかないんだよね。だからどの道、まぁ血がにじまないんだよね。むしろこのギリギリさをもっと突き詰めてさ、より学問と生存本能を合致させるっつーかさ、それこそオブセッシヴに知の体系にコミットするだとかさ、英語を極め尽くすとかさ、そういうことになるじゃない?ハングリー精神ってつまりはこういうことだけど、実体はと言えばっつーかまぁ本当に成功するやり方として言えばようは快楽原則と生存本能を結びつけちゃってさ、それはあたかもセックスと子づくりが繋がっているようにね、俺で言えば学問とか英語力と生存を繋げつつさ、でもそれが快楽のままっていうか、まぁ子づくりが必要でもさ、セックスしなきゃいけないって感じじゃないじゃん?やりたいからやるし気持ちいいんでしょ?たぶん。


まぁ射精は気持ちいいからね。射精してりゃーとりあえず生存本能っつーかまぁ生殖本能か。本能的な欲求がプリミティブな衝動とかで満たされるんだったらこれほど楽なことは無いよね。だから結局楽なんだよ。それを見つけちゃえばね。俺はもう見つけてるから楽なの。だからあとはお金っつーか衣食住と学費だけなんだよね。だからもうほとんど勝ってるっつーとアレだけどさ、もうオッケーなんだよね。大体。でも致命的な部分で結構大変っていうね、まぁこれは前から分かっていたことだけど、改めて両親とかと深い話をするとさ、リアリティを突きつけられるよね。なかなか鬱な展開だよ。ホント。妹の学校が終わればあとはもう大丈夫だからここ2年が山場だっつって2年越えたら前より大変になったってなかなか笑えない展開だよね。マジで。


極貧の家から言えば元々がありえない展開なんでさ、そもそも留学できてるって時点でブルジョワなんだけどさ、でもやっぱ留学にも留学なりがあるじゃん?特に大丈夫かと思われていたのにダメになったっつーか大変になったって結構本人達は大変だよ。元々大変な家からすればデフォルトだよって言われそうだけど、デフォルトじゃないと結構キツいよ。だからもう親がどうするか?とかじゃなくて俺が家族も含めて導かないといけない感じなんだよね。マジで。俺が金銭面も含めた具体的なプランを立てて設計をしないとダメみたいな感じになってるわけ。親が思考停止状態になってるとまでは言わないけど、前みたいな余裕のあるフレキシビリティみたいなのが一切無くなったから、まぁマジで俺がハンドルを握らないとマジでダメになるんだよね。たださ、なんつーか目的があって向かう事ができるものがあるってすでにハッピーだよね。どれだけ大変でもこれは凄くハッピーだわ。


今までに無い幸福感っつーかやり甲斐だもんね。そもそも命があんまり惜しくないから常に向かい続けられるんだよね。この状態が凄く幸せでエネルギッシュで最高なんだよね。どれだけ大変でもハッピーなのね。まぁ最終的に結果を出して両親にも還元するんだけどね。どれだけ恵まれてても人生の目的が無いってマジで不幸だよね。そういう鬱っつーか不幸っつーか絶望が無いんで俺ってやっぱ結局最高なんだよね。目的とか好きな事とかやりたいことって見つけちゃえばもう半分勝ったようなもんだよねって改めて思うね。俺にはやりたいことがあるんでどんな逆境にも負けないっつー妙な自信があるのね。空元気とかそういうのじゃなくて。


システムとかリアルな状況と折り合いをつけることだけをクリアすればあとはオッケーってある意味楽だよね。大変だけど楽。逆にリアルな状況に問題が無くても目的が無いんじゃそれは楽に見えてちょー大変だよね。ようはもう精神的なあり方っつーか状態の話だよね。幸福とか生き甲斐って。だれだったっけな?自己啓発系の本だったと思うんだけど、中身とか実力があるやつっていきなり裸でどっかに放置されてもやってけるんだよね。で、現状がヘリテージとか親とか所与のもので保たれてるような人だと裸でどっかに放置されたら終わりっつーね、その差だよね。仮に能力が無くても目的があるとそれがもう原動力になるからさ、だから裸でも大丈夫なんだよね。そういう意味であんま才能とか能力って関係ないよね。意志の力のレベルの違いだけっつーかさ、ホント、それだけである意味でシンプルだよね。細部は細かいし個体差が色々あって定義しきれないんだけど大枠では大体同じなのね。


ようはさ、あれなんだよね、楽しい事っつーかやりたい事をやってそれが社会的なものに帰結っつーか繋がるって意味だとさ、分かりやすい例で言うとさ、セカンドライフとかネットゲームみたいなので稼いだ経験値とかお金がリアル社会でも通用するお金とか経験値と見なされるみたいなぐらい楽なことなのね。作業自体は努力を必要としない極めて人間の快楽原則に沿ったものでさ、ようはネットゲームで言うところのまぁ経験値稼ぎとかカネ稼ぎとかさ、まぁそれ自体は単調で退屈かもしれないけど、ネットゲームをやるっつーかそれを楽しむっつーかやるっつー目的とか動機があるじゃない?大変でも好きでやるでしょ?それなんだよね。俺が最近みたいに色々と自己啓発本とかさ、普通の自己啓発本とかとは違った存在である金太郎飴な苫米地とかさ、読む前からまぁ快楽原則と目的とかね、社会的なものを結びつけるっつーのは書いてたじゃない?結局これだよね。


成功本とかさ、自己啓発本とかに書いてあるのも大体これね。こういうことをやりつつエフィカシーっつーかさ、「俺はできるんだ!」っつー自己暗示みたいなね、ようはセルフエスティームを高めつつさ、定立された夢に向かって進むっていうね、ただまぁ苫米地が言っていることは結構重要で夢が叶っている自分を思い浮かべるっつーのが危険だっつーのはさ、脳のレベルで夢が叶ったような生活とか状態が体験できちゃうとさ、そこで終わるじゃない?そこで快楽ホルモンつーか脳内物質とかがリリースされて満足しちゃうじゃん?ようは電脳プラグをメガテンアルカディアに繋げてハッピーになってて自己完結してるみたいな世界に陥る可能性もあるってことね。苫米地が現状じゃとてもじゃないけど叶えられないような夢を定立させる必要があるっつーのはようはそういうことね。措定ね。措定。その措定により現在の行動が規定されてガンガンスコトーマが外れていくっつーさ、まぁそういうシステムね。夢が脳内で叶っちゃったらスコトーマ云々とかってもう関係ないもんね。


ただ夢の定立の仕方は凄く重要でね、ある友達の友人でさ、ありもしない夢っつーのを思い浮かべつつ、その夢と自分とのギャップに苦しんで挙げ句の果てに自殺しちゃったっつー子がいたんだけど、彼女の悲劇は非現実的なね、どう転んでもありえない夢を定立させてしまったことにあるのね。ようはさ、俺が火星人になるみたいな夢を定立させたとするじゃない?でもそれって無理じゃん?俺はホモサピエンスだからね。大統領は可能かもしれないけど、火星人になるのは無理だよね。でも火星人になることを夢見ながら生活するなんてのは馬鹿げてるのね。それは夢とは違ったようは幻想とか妄想っつーレベルなわけでさ、それは現実的なものに繋がらないし結果には帰結しないんだよね、だからこそ現実的だけど凄まじくでかい現状では到達できなさそうな夢を措定させることが重要なんだよね。で、俺の本当のね、イデオローグになるとかさ、先生になるとかそういうことではないもっとデカイ途方も無い夢に関しては口が裂けても言えないっつーか言いたくないのね。リアルに恥ずかしいしドリームキラーに「無理」って言われるのが嫌だからね。


そう思うとクリシェっつーかアメリカのバカな先生とかが言いそうなさ、life is a journeyみたいな考えとかってかなり微妙だよね。実際旅だけどそれは目的地あっての旅だよね。目的地が天竺っつー旅は野垂れ死にとかで終わる可能性が高いだろう。それをロマンだと言えなくもないんだけど、でもそういう夢はさっきの火星人とかと同じレベルだよね。例えば世界一周っつー目的があればその目的のために今やることが見えてくるじゃん?入国が難しい国への入国の仕方とかもリアルに考えることになるじゃん?でも漠然とさ、「自分探し」とか言って旅に出ても探せるわけないんだよね。中田みたいになるのがオチだからね。結局それは俺もいつも書いてるようにさ、海外なんて言ってもそこにあるのはリアルな生活圏とシステムなわけよ。だからさ、環境が変わる事で実存的な問題が解決するなんてことはほとんど無いわけね。むしろ目的があればね、他の違った環境がその目的に対して良い作用をもたらすって意味での違った環境に自分の身を置く事の有用性っつーのはあるわけよ。そこにあるのは何か?ってトートロジーみたいになっちゃうけどようは目的ね。何がしたいか?どうなりたいのか?とかね、そういうことね。


そのイデアなものをいかにリアルな生活環境に具現化させていくっていうプロセスでさ、ようは違った日本以外の環境とかってのが人によっては良く作用するってことがあるかもしれないってわけで、元となるイデアが無けりゃ話にならんのだよね。考えも無く「表現だ!」とか言って何かをやってて、んでエンプティーなアート作品もどきが出来上がるのと同じなのはさ、目的もイデアも無く旅をひたすら続ける青い鳥症候群の人達だよね。彼らの実存が旅で満たされているのなら旅と旅の経験が目的化しているわけだからそれはそれでいいんだけど、旅によって何かが得られるのでは?っつーのはかなり甘い考え方だよね。実存の問題なんて旅とかじゃなくて試行錯誤ならぬ思考錯誤を繰り返さないと解決できないわけよね。それがあって旅とかさ、異文化と接する事ってのが良く作用する可能性もあるってことね。これは思考錯誤ありきじゃない?思考も無くさ、旅に出たってダメよね。だからlife is a journeyってある意味であってるけど、中田的な旅じゃ全然ダメってことね。彷徨うことと旅は違うからね。


ってことで今日はこの辺で。


PS


あれだ、こないだの表現について書いたあれだけど、廣松用語で簡単にサムライズすることが出来るんで覚え書き程度に書いておくわっつーのはね、アートなるものがどうやって感性的与件を越えたイデアルなものとして立ち上がってくるのか?っつーのがね、ようはそれを「アートである」と認識するといったようなね、それがアートとして展示されていたり、アートとして存在しているという存在性そのものが鑑賞者との相関的な形成態を形成して、んでそれが共有可能なイデアルなキャラクターを獲得していくってわけね。


君はグラムシを知ってるか?

君はグラムシを知ってるか?