象徴的な父なる存在の崩壊。

mimisemi2009-07-22

帰ってきたけどね、自宅に。やっぱ安心する。こっちが自宅で地元って感じがするってのは前にも書いたけど、それにしても今回の帰国は色々と有意義だったというか、まぁある意味で凄くショックだったのがさ、親父の状況ね。もう昔みたいなプランで俺の留学計画を実行することは出来ないっつーのは分かってたし、金銭的なことはもう借金をするぐらいしか方法が無いっつーのは分かってたにせよ、なんつーか親父の疲弊っぷりが半端じゃなかったんだよね。予想以上というかなんというか。


それは俺が留学したから実家の家計を圧迫して親父がダメになったとかってことじゃなくてさ、俺の留学があろうがなかろうがふつーに親父が職を失ったりさ、ふつーに職安とか行って職を探してるレベルだったんだよね。昔は重役っつーか役員っつーかさ、会社の上のほうにいたのにまぁーこれだもんね、リストラサラリーマンみたいな言葉がうちにも当てはまるとは思いもよらなかったね。それは不況のしわ寄せとかさ、会社の不当な解雇とかっていう一般的な話じゃなくて、まぁ色んな意味で親父の選択ミスでこういうことになってるんで社会のせいにはできないんだけどさ、何がショックか?って失望だよね。


正直、うちはプチブルみたいな感じでさ、金遣いは荒かったけど、過去には車を二台っつーかさ、それこそなかなかの高級車を二台ぐらい持ってたりしたっつってもまぁー本当の金持ちに比べたらたいしたことじゃないんだけど、まぁ結構余裕がある家だったんだよね。でもさ、ある金をぜーんぶ使っちゃってたから蓄えが無いっつーかさ、改めて色々話を聞いて分析してみるとすでに家がダメなんだよね。典型的に色々な消費に走って金を失ってるっつーのかな?俺がまっただ中にいたときはさ、そんなことは考えもしなかったけど、こうやって離れてみると日本のこともさることながら、家のことも客観的に見れるようになるんだよね。ようは日本にしても家にしても俺がそこに埋没してないじゃん?だから客観的な視点で見れるようになるんだけどさ、なんつーのかな?全然金遣いが荒い芸能人とかと変わらないレベルなのね。ギャラが良いころの売れてた頃の生活が永遠に続くと思ってんでずーっとそのペースで来たら売れなくなってんで無一文になったみたいなそんな感じ?


家計がさっぱり出来てないのねっつーか出来てなかったのね。そんな中、まぁ詳細は省くとしてもいきなり失業じゃん?しかもさ、2年とかの単位で収入が半分になってるんだよね。転職のまた転職みたいな感じで。その顛末が今なんだけどさ、で、失業っつーのはね、ようはさ、今の会社は平気で人の首をガンガン切るようなところだからいつクビになるか分からないって感じなんだよね。ようはね、全盛期の収入の半分でもキツいけど、それもあればいいって話なんだけどさ、まぁ俺はそう思ってたんだけどさ、失業が普通にありえるっつー状況でさ、なんつーかもう「えー!!」って感じだよね。


で、色々まぁ詳細を書くのはやめるけど、まぁ色々と話を聞いてるとさ、結局は親父に原因があるんだよね。親父が繊細過ぎてだから周りと折り合いがつかなかったり、ストレスでダメになっちゃったりするんだろうとかって思ってたけど、それ以前のダメさがあるのかな?っつーかあるんだろうなっつーのが分かったっつーかさ、それがショックだったんだよね。腐っても出来る人だと思ってたんだけど、むしろ出来ない人だったからこそさ、今までは中の上ぐらいの生活が出来ていたんだなってことなのね。ようはさ、年功序列っつーか面倒見の良い日本の会社のシステムみたいなのが崩壊してさ、その恩恵を受けていただけのおっさん達がクビを切られてさ、んでたいした実力も無いんで再就職しても窓際族っつーかさ、また入ってもクビを切られるみたいなさ、そういう感じのおっさんの一人だったんだよね。うちの親父が。いや、これは俺の憶測だけど、でもまぁたぶんそうなんだろうなって思ったのね。


つまりは何が言いたいのか?っていうと今まではモロに日本の面倒見の良い会社のシステムに親父が守られてきたってことなのね。リストラはされなかったんだけど、自分が実力のある人間だと勘違いして会社を起こしたりなんなりしてさ、大変になっても面倒見の良い大手の会社にいれば生活は保証されてたのに自分の能力と社会状況を見誤って没落したっつー典型的な没落人生になっちゃったんだよね。しかも定年間際だよ?間際は言い過ぎだけど、あと5年でも6年でも我慢して会社にいれば良かったのに、下手に「最後にドカンと一発!」みたいなダメなおっさんが考えそうな発想をそのままやっちゃったんでダメになったっつーさ、もう「なんだかなぁー」って感じだよね。ただまぁ逆にこういう逆境になったからこそ親父も色々と気がつくことがあったし、家族なんかもさ、この悲惨な状況によって色々学んだってことはあるんだよね。俺もそうだけどね。


そういえばさ、画家のね、よーこと元相方に「無限希望生成マシーンだ」みたいなことを言われてさ、ようはいつでも希望に満ちあふれてる俺が輝かしいっつーかよーこも元相方も別に絶望の縁にいるわけじゃないんだけど、まぁつまらない社会とか現実とかと折り合いをつけなきゃいけないときにようは俺がある意味でイデアルな希望を体現したかのような人物として存在しているので彼らの心の支えっつーと大げさだけど、まぁ結構大きな存在らしいんだよね。まぁ半分ジョークかもしれないけど、変な話さ、もっとそうなのが今の俺の実家ね。こんだけ家が傾いててさ、んで俺だけが最後の希望って感じになってるんだよね。まぁ死ぬほど金はかかってるけどさ、逆にね、収入があるころにこっちに来れてある程度の生活基盤を作れたから良かったんだよね。あとはもう自己責任じゃないけど、自分で借金してなんとかやってくしかないって感じになってるけど地盤を作れたっつーのがデカかったと思うんだよ。


タラの肝臓みたいな話になるけどさ、仮に俺があのまま引き蘢りでさ、んで親父が没落してったらもう実家は完全に終わりだったと思うんだよね。息子が精神病を煩ってるニートっつーか引き蘢りでさ、んで親父が失業して母親の収入だけで頑張ってるみたいなね、まぁ妹の話はまぁ置いておいてもね、まぁ彼女は彼女の人生があるからあんまここでは書きたくないんだけどっつーかまぁあんま書く必要がないんでね、あれなんだけどさ、俺が留学してなかったらもう最悪だったわけよね。留学してなかったら諸費用はかかってねぇーじゃん!って話になりそうだけど、これってあんま関係ない話でさ、ようは収入がある頃に出してた費用だからさ、収入が無くなってからそういうことを言ってもしょうがないんだよね。どの道、蓄えられてたわけじゃないんでさ、あるのは絶望だけだったと思うんだよね。そんな中でさ、俺がこっちに来て色々と成長してさ、まぁ経済的な困難がありつつもさ、「希望生成マシーン」になったおかげでさ、家族も俺を励みにして頑張れるようになってるんだよね。なかなか泣ける話だと思うんだけど、そのぐらいまぁヤヴァイってことだね。


まぁ俺が話したかったのはさ、希望生成マシーンとかさ、アメリカンドリームの話じゃなくてね、父の話なんだけど、今回の俺のショックってつまりはさ、経済的なことっつーよりかは親父のことなんだよね。完璧じゃないにしてもまぁそこそこの人だと思ってた親父が実は全然そんなことなかったっつーショックね。口では偉そうなことを言っているっつーとアレだけど、過去に俺が青二才だったときにさ、俺に色々と親父は説教をしていたことがあったんだけど、その説教の数々を思い出しても親父ってさ、色々なことをただ理解してるだけで全然実行出来ない人なんだよね。ようはね、様々な説教でさ、例えばね、「これが会社だったら大変なことになるぞ!」みたいな言い方で色々と俺は説教をされてたりしたことがあったんだけど、今の話っつーかさ、親父の歴史を見てるとそういうのが全部口だけだったんだよね。ようはたださ、面倒見の良い会社っつーののおかげで生かされて良い収入を得ていた親父が勘違いしながら肥大していった自我みたいなのが親父の自我だったんだよね。だから出来るビジネスマンみたいな言い方っつーかさ、説教の仕方みたいなのもするんだけど、原寸大で見ると全然そんなことなかったっつーね、逆に俺が色々と教えてあげないとダメみたいなレベルでさ、本当にガッカリだったんだよね。


まぁ逆を言えばそれだけ俺が成長したとも言えるんだけどね、でもそれ以前にやっぱね、そこそこ凄いと思ってた親父が実はたいしたことなかったっつーのが一番ショックだったよね。フロイトっつーかさ、サイコロジー的にやっぱカッコ付きの父って大きな存在じゃない?それが実はたいした事なかったっつーかさ、虚構だったっつー事実を知った俺の驚愕ね。象徴的な存在としての父が完全に今回の帰国で崩れ去ったよね。それは歳を取ったから親父がくたびれてきたとかっていうことじゃなくてね、色々な状況によってたいしたことなさが露呈しちゃってね、「なんだ・・・そうだったのか」っていう認識に至るみたいな話なんだよね。サイコロジカルだよね?


親父が俺の精神的な支柱であったことは無いし、正直まぁ留学後もドライな言い方をしてしまえば経済的なものを握る存在としての父だったんだけどね、それ以前に象徴的な怖い存在としての父もあったじゃん?で、それがさ、経済的なものも象徴的な父としての存在も今は失ったわけでさ、逆を言えばね、象徴的な父としての存在が無いと分かっても、経済的なものがあればやっぱ畏怖ってあるじゃん?完全に甘えだけどやっぱ俺が稼げないような金を稼いでるっつーのは手放しに凄いみたいなところがあると思うんだけどさ、それすらも無くなるともう完全にエンプティーだよね。


唯一、経済的なものがある意味でのシンボリックなものにも繋がっていたという存在にとってのね、象徴的なものを表す一つであった経済面っつーのが不在になるとさ、その象徴感の没落って凄まじいものがあるんだよね。見たくもないただのくたびれたサラリーマンとしての親父を見つつさ、そこにまぁ父なる象徴の不在を感じるわけじゃない?まぁ細かいディティールはともかくとして感じるんだわ。でも経済的な裏付けがあればさ、やっぱまだ違うのよ。くたびれててもそこそこ稼いでればやっぱ父の存在ってあるんだよね。まぁそれは俺が経済的に実家に依存しているからこそ出て来る感覚ではあるんだけどさ、それすらも無くなるとね、結構ね、ヤバいよね。


経済的なことはなんとかするとしても、俺の親父の象徴性ってもう一生取り戻せないだろうなって思うね。まぁ元々が虚構だったから、その実際の存在が面倒見の良い会社というものが無くなって露呈してしまったというのはあるにしてもさ、あんま知りたくなかったかなっつーのはあるね。かなりショックだもん。だって。うちの親父って飲んだくれみたいなさ、典型的なダメなタイプじゃなかったからね、むしろアメリカ的なさ、良い家庭を支えるパパみたいな存在だったんだよね。アメリカの理想的な中産階級のパパの像ってあるじゃない?ああいう感じ?でも実はそれが面倒見の良い日本の会社とそのシステムっていうのに立脚してたってだけだったっつー話なんだけどね。


で、今は俺がさ、ある意味で実家の父なるものの不在を埋める役割を果たさなきゃいけなくなったんだよね。それはまぁ男根的っつーかさ、マスキュリンな意味での「男」としての役割を俺が担わないといけなくなったって話ね。アレゴリカルに見れば理想的な世代交代に見えるけど、ちょっとまぁタイミングが早過ぎたんじゃない?っつーのはあるよね。俺もまぁふつーの感覚で言えばとっくに自立してなきゃいけない歳なんだけどさ、でもまぁ俺って色んな意味でイレギュラーだからアレにしてもさ、でもまぁなんつーか経済的なバックグラウンドと、なんだかんだで頼れる存在としての父を失ったのは大きいね。仮に父が逆境にあってもさ、「うちの親父のことだからなんとかするだろう」みたいなのって漠然とした信用としてあったんだよね。で、今回帰国してみて全然そんなことがなかったっつーね、今までもそんなことはなかったんだけど、リアルなところで色々向き合ってみるとまぁ見えてくるものってのがあるじゃない?それが露になったって感じね。


最初から日本に帰るつもりは無いんだけどさ、でもなんだかんだで帰れば安定した生活が送れるみたいなのが完全に無くなったっつーのはまぁ結構強烈だよね。残酷で強烈な後押しだよ。もうホント、俺ってこっちでやってくしかねぇーじゃん!っつー話だもんね。「ダメになっても帰れば大丈夫」なんつーセーフティーネット的な考えは無かったけどね、でも実際そのネットがバリバリに破れてたってのを見たらさ、それはそれで生々しいじゃん?頼りにしてなかったにせよ強烈だよね。最初からそんなものが無い人達は最初からタフでさ、そんな俺みたいな甘えみたいなものは持ってないんだろうけど、俺ってバリバリプチブルの家の出だからさ、没落を目の当たりにするとショックだよね。プチブルでした、はい、没落しました。では今からプロレタリアですっていう切り替えが一瞬で出来るわけじゃないからね。そう思うとやっぱ俺ってなんだかんだでさ、崖っぷちだとかなんとかって言いながらもセーフティーネットみたいなのに期待してた部分もあるのかもね。帰れるけど帰るつもりは無いのとさ、帰れないし帰るつもりもないって似てるようで結構違うもんね。その違いがあるよね。


やっぱまぁ甘えだよね。親父が飲んだくれだろうがさ、会社立ち上げて成功するだとかさ、借金して学校行くとかさ、そんな人はいっぱいいるわけだけどさ、まぁ俺はあまりこういった意味での個々の事例の比較とかは意味が無いと思うからね、やりたくないんだけど、ようは今回俺が書きたかったのは崩壊ね。経済的な崩壊はもう予兆できていたというか、それはまぁある意味で世の中の不景気と同じなんだよね。不景気になるっつーのは予兆できてたしさ、ずーっと冷え込んでるじゃない?みんな不景気だからうちだけじゃないんだ!苦しいのは!とかっていうことじゃなくてね、予見可能だったという意味でたいした驚きにはならないって意味での不景気ね。アメリカの高い失業率然り、ニューヨークのホームレスとかさ、イリーガル移民とか見てれば経済のリアル感覚なんて身にしみて分かるからね、それはそうとさ、あれなのね、今回のことのまぁ要約みたいになるけど、象徴的な父なるものの存在の没落ね。


没落というか虚構が露呈したという意味ね。親父がダメ人間だとかって言いたいんじゃなくて、まぁフロイト的に言えば当たり前なのかもしれないけど、大いなる父としての存在が俺の中で勝手に肥大してたんだっつーのを原寸大の父を見て実感したってことね。うちの場合、父が父らしい父だったから余計にその不在感が強烈なわけ。一生その厳格な父としての父みたいなのが続く人もいるじゃん?俺も続くかな?とかって思ってたっつーかまぁ思ってないにしてもここまであっけなく崩れさるとは思ってなかったからね、まぁそういう意味でショックだったわけ。


親父が死んだってわけではないんだけど、まぁ今までのイメージとしての親父は完全に死んだよね。書き換えられたというよりかは死んだ感じ。今いる親父は全然昔とは違う親父でさ、まぁなんつーかだからね、変な言い方するけどさ、昔の怖かったっつーかある程度畏怖していた親父が死んだっつーのが俺の中でショックだったのかもね。決して好きではなかったけど、まぁ死んだわけだから肉親として悲しいみたいなね、話がイデアル過ぎるけどさ、言ってる意味分かるでしょ?


特にここ数年の出来事だし、俺がずーっとアメリカにいるっつーのもあってさ、徐々に変わっていったならそれは書き換えというか移行っていうぐらい緩やかなものだったんだろうけど、接していないでさ、直にその変化を見せつけられるとなんつーか死ぬんだよね。過去のイメージが。それが経済的なものとかね、親父の疲れっぷりとかさ、それこそ不幸なサラリーマンが定年間際に感じる「俺の人生なんだったの?」みたいなのを親父も違う形で経験してるっつーのを見るとさ、やっぱまぁエンパシーとして悲しくなるよね。それってどうなのかな?不服なことをやりつつ収入がありつつも実存に欠如みたいなのを感じるのって割とどこでもあると思うことだと思うけど、親父の場合、収入も実存も失った感じがして最悪って気がするんだよね。本当に惨めとしかいいようがない。それは俺の留学云々が親父のせいで台無しになる!みたいなことではなくてね、ダイレクトに親父の人生を見ると悲しくなるのね。経済的なことはまぁ俺が借金するなりさ、色々とまぁ立ち回りでなんとかすればいいじゃん?でも親父のことってどうにもならないからね。それが悲しくしてしょうがない。最後に一旗!みたいな夢も潰えてさ、んで休日無しでぼろぼろになりつつ働いてる親父を見るとマジで悲しくなったね。


で、俺の状況が呑気に留学というよりかはさ、最後の望みになってるっつーまぁ結構アイロニカルな状況なんだよね。家が大変なんだから俺がすぐ戻ってヘルプ!とかって出来ないじゃん?良くて派遣社員ぐらいのレベルだと思うからさ、親父以下の人生を送る事になるよね。ましてや経済的にそんな足しになるようなこと出来ないし、だったらまだ望みがあるこっちでリスクを背負ってでもやったほうが合理的だしいいんだよね。そこまで計算してなかったっつーか計算できるわけなかったけど、でも結果的にそうなったんだからまぁしょうがないよね。俺がこっちにいてなんとかやっていけているというのは不幸中の幸いだとも言えるっつーか少なくとも実家において唯一の望みになっているのならそれはもう幸いでしかないと思うね。


呑気なモラトリアム的留学がここまで切羽詰まったものになるとは両親も俺も思ってなかったよね。マジで。で、俺が出来ることって何だろう?っつーとやっぱり英語だよね。英語さえなんとかなればもうオッケーっつーのはいつも書いてることだけどさ、快楽原則と必要性を結びつけるっつーのはまぁ成功の法則だけどさ、ある意味でこういう逆境って最高な力学を生むんだよね。辛くてお先真っ暗に見えるからこそ現実逃避したいじゃん?現実と向き合わないでさ、夢の世界にでも行きたくなるじゃん?楽しい事ばっかりしていたくなるじゃん?それが逆境であればあるほど可能になるのはさ、今は色々な意味で大変だからこそさ、気が滅入るじゃない?


で、俺の大好きな読書とかさ、英語の勉強とかしてれば気がまぎれるじゃん?所謂、俺は前から書いている社会的行為と快楽的行為をイコールにさせるという方法ね。ようはさ、ゲームとか映画とか見てるよりこっちのほうが安心するんだよね。将来のためになって、なおかつ現状を打開するっつーかまぁ夢を叶える道を一歩一歩進むことになるじゃん?だから満足度もあるしさ、快楽にふけった後の虚無感も無いのね。「いやー今日は本当に楽しんだな!」っていう満足感しか残らないのね。苫米地も書いてるようにこれが「はぁー今日は頑張ったな・・・」じゃダメなのね。楽しまないとダメ。それは逆境を楽しむということじゃなくて、逆境の中で夢を追い続ける楽しみという行為を続けるということね。「夢を見ていたい」っつーのもようはさ、夢に進んでるわけだからそれって夢を見ているどころか一歩一歩実現していることになるじゃん?だからコンパチビリティが凄いのね。絶望と幸福って。まぁ絶望と快楽然りだね。快楽原則を社会的行為に結実することが出来ればね、もう勝ったも同然なのね。負けるわけが無いわけ。で、残念ながら親父はこれが分かっていても出来ない人なんだよねっつーかまぁ分かっていても出来ない人はいっぱいいるだろうな。だからワトルズとかも有名なのにも関わらずずーっと秘教のままなんだよね。


死と隣り合わせだからこそ来るパワーっつーかさ、意志って血盟団井上日召とかも書いてることじゃん?ああいう意志の強さね。力への意志だよね。俺の場合、それが哲学的エロスに帰結してるからいつでもハッピーなのね。まぁ状況的に色々なことに一喜一憂したり失望したり落ち込んだりすることはあるけど、意志の根幹が哲学的エロスに支えられてるからさ、挫けることが無いのね。これは凄い強みだよね。ちょっと前だったら「あーもうダメだー」って落ち込みまくってるだろうなぁー。俺も成長してるね。年々。この成長の実感がまた人生を豊かなものにさせるんだよね。だからまぁ結局、下手に物質的に恵まれてないほうが幸福になりやすいってことだね。これは俺がプチブルのままだったら絶対到達してないだろうっていう認識の領域だからね。アメリカでの地下生活ありーの、人々への絶望ありーの、アメリカに来ても感じるシステムへの疎外感ありーの、膨大な読書と思索の時間ありーの、実家の没落ありーの、経済的保証の崩壊ありーの・・・・みたいな色々なことがあって今みたいな認識の領域に達することが出来たんだよね。


まぁーだからまぁーもう大丈夫なんじゃないかなぁー?人間的にもうオッケーだから、あとは英語とかさ、お金とかさ、システムとの折り合いだけだもんね。人間的にオッケーっつってもいつまでも修行と鍛錬は続けるよ。そりゃ。ただね、ある程度はもうオッケーだからあとはもう物理的なことだけだからなんとかなるんじゃないかな?ってことね。逆にそれが無いとさ、ちょっとぐらい物理的にとか経済的に安定してても不安感って消えないからね。そういう実存的な不安感がほとんど無くなったっつーのは本当に大きいし俺の最高の武器であり防具であるよね。だから妙な自信があるんだよな。それは慢心するような自信じゃなくて、「俺はオッケー」っつー自己信頼ね。苫米地の言うエフィカシーにも近い。


いやーやっぱ地下だと色々書けるね。帰ってきて疲れ果てて寝て起きてこれだからね。やっぱ地下だなっつーかアメリカだな。お金も食うものもあんま無いのにこの安心感ってすげぇーな。日本とは対照的だね。実家の場合、食うものはいくらでもあるし、何もしなくてもメシが出てきてふつーに生活出来るんだけど、実存的不安がずーっとあるじゃない?ようはあっちでやってくっつーことがありえないから、そういう物理的なニーズが満たされてもずーっと不安なんだよね。こっちの地下一人暮らしだとそれが無いんでだからすんげー安心するんだな。決して恵まれた環境とは言えないっつーかさ、ちょーストイックな生活なんだけど、それがいいっつーか、それはエピキュリアン的な消去法の結果としての快楽ってことでもないのよ。ようは希望だよね。俺の目標と繋がってる場所だから安心出来るんだろうな。まぁ苫米地で言うコンフォートゾーンがようはこっちってことなわけだね。ライドウの新しいやつを久々にやろうと思ってプレイしてたらさ、ハラハラしてくるのね。ようはさ、ちょっとでも俺の人生と関係ないこととかしてるともう精神的に落ち着かなくなるんだよね。なんのためにもならないことが出来ないぐらい精神状態が定まっちゃってるのね。それが全然苦しくないっつーからまぁー最高だわな。「ゲームなんかやってる場合じゃない!!でも・・・・ちょっとだけやりたい」みたいなのが一切無いのがマジで自分でも凄いなって思うな。


ってことで今日はこの辺で。ビバ地下生活。

国家論 日本社会をどう強化するか (NHKブックス)

国家論 日本社会をどう強化するか (NHKブックス)