地獄からのメール。そのに。

mimisemi2009-08-24

はいでは昨日の極鬱なエントリーからの続きです。


ネットの威力だよ、キャリさんのメールや意見なんて人には伝わらないけど、俺の拙いブログの文章はさ、質はどうであれ1メンヘラーの切実な思いとしてずーっと残るじゃない?だからネットって凄いんだよね。俺の実存でこういうことがあったというのを社会発信出来るっつーかさ、それは悪口っつーか、「最低な人間だ!」っつーのを多くの人に伝えるということではなくてさ、これが所謂、精神病におけるレイシストの実態だ!っつーのを白日の下に曝す事が出来るじゃない?そういう意味での人間標本なんだよね。


こういう人間は相当アウトだ!っつーコモンセンスは絶対必要ね。だって良いわけないんだから。ただね、あまりにも精神病患者の権利を行使しすぎて逆レイシズムみたいになってもダメよ。普通の人より精神病であるという理由だけで自動的に楽な生活が送れるというのはダメ。それは当然ダメ。必要なのはメンヘラー達が彼らの状態を認知されつつまともに社会でやっていけるというアクセプタンスとシステム的なバックグラウンドだよね。換言すれば誰もが抱える実存的な悩みとかに関しては彼らもまた健常者と同じように抱えていかざるを得ないってことね。そこはもう健常者/精神病者という話じゃなくて人生の話じゃん?ようはプラマイゼロになるってことよ。健常者がゼロならメンヘラーはマイナスだからそれをプラスにしてゼロにしましょうっていう、ようはパレート最適化みたいな話なのね。


でもこういうところにムフ的なアンタゴニズムの核を見るよね。つまりはさ、スピノザじゃないけどキャリさん的な意見って弾圧は出来てもその人が思うことに関してまで規制できないじゃない?そこでさ、ずーっとそう思い続ける人達とメンヘラー達との間に合意なんてのは形成されないんだよね。だってキャリさんみたいな人のねじ曲がった思想を矯正するのってほとんど無理じゃん?だからそこは合意とかじゃなくて、そういう考えを持った人達がいるのはしょうがないけど、んでも制度はそういう人達に開かれてますよっつーさ、制度的なアクセプタンスを敷いておく必要があるんだよね。そうなるとさ、システム的にそういうねじ曲がった考えを持った人がいようがさ、待遇は受けれるじゃない?待遇っつーかまぁ適切な処置ね。あとはそういう言葉のハラスメントを受けたら起訴出来ますとかさ、精神的な疾患を抱えている人にそれを踏みにじるようなことを言うなんてさ、普通のハラスメントのレベルじゃないじゃん?いや、無いわけよ。だからこそたったの一言でも外に出られなくなっちゃうような人が増えるわけ。だからそういうのを法的に取り締まっていかないとメンヘラーは酷くなる一方だしさ、そういう人達が社会でまともにやっていけないままになっちゃうわけよ。


それにしても本当に酷いよな。月1で母が薬を送ってくれるんだけどさ、今日まぁ届いててんで空けたらいつもさ、「体に気をつけて」とかってポストイットとか貼ってあったり紙が入ってたりするわけ。ようはうちの両親が言う「体」って実際の体のことじゃなくてメンタル面のことなのね。「調子はどうなの?」っていうのはWhat's Up的なことではなくてメンタル面での調子はどうなの?っていうことなんだよね。まぁそりゃもう何十年も同じ問題に家族でずーっと取り組んできているわけだからさ、そういうのって習慣化するけど、でもやっぱ俺って本当に俺の両親の元に生まれてきて良かったなって思うわけ。仮に俺がさ、ADDであれギフテッドであれちょっと卓越した能力とか創造力とか知性とか持ってたとしてもさ、仮に両親がキャリさんみたいな人達だったら絶対人間的にダメになってるっつーか、今みたいになってないからね。生得的なものがありつつそれを環境的な要素で伸ばせていけてるのってやっぱ両親がいるからなんだよ。メンヘラー達だってみんながみんな両親の理解を受けているわけじゃないだろうしさ、そう思うとやっぱうちの両親って凄いなって思うんだよね。絶対俺を見限ったりしないし捨てたりしないからね。それは相互的な理解と信頼があるわけよ。・・・とかってことを薬の入った郵便袋を空けつつ考えながらメールを開いたらこれだもんね。まさしく世の中には天使のような人もいれば悪魔のような人がいるということの表れだよね。でもこればかりはしょうがないよね。


俺がこんだけまぁ色々と書けるのも確固たる自信があるからだよね。どう考えても俺が間違ってるわけないし、キャリさんはどう贔屓目に見てもアウトな人間だってことが分かってるからだよね。それは主観性が8割で客観性が2割の分析でも言えることだと思う。そのぐらいアウトだよ。アウシュビッツと同じぐらいポリティカルコレクトネスゼロだからね。それなのに「私はいつでもキミの味方だからね」とかって言うんだよ?信じられないね。この偽善っぷりと言ったらもう反吐が出る。理解し合えなくても本当にそう思ってるなら今回みたいなメールをわざわざ違うアドレスで送ってきたりしないだろう。仮にキャリさんがこのブログを見ていてもまぁいいんだけどっつーか今後家族とかに「ねー凄いバカなブログがあるんだよー。テヘヘへ」とか言いながら見せそうだけど、それだけ俺の言論の威力があるってことだよね。意味無いただの電波文ならスルーだろうし、ロジックがぐしゃぐしゃで何書いてるか分からないようなものでも相手にされないだろう。気にするってことはそれだけ何かがあるってことだよね。だから批判されるってことは何かがあるってことでさ、何だったっけ?有名な言葉でさ、良い思想ってのは常に賛否両論であるってことなんだけどさ、まぁ思想というと大げさだけど、賛否両論あるっつーのはある一定の説得力を持っているからだよね。それが無ければさっき例に出した電波文じゃないけどさ、根元敬とかの著書の材料ぐらいにしかならないじゃん?


でもなんかこの不毛さっていうか理不尽さってさ、前に書いた金美齢湯浅誠さんに対する批判と同じような感じなんだよね。明らかにそれに関して悩んでいる人がいて自殺したりする人もいるって中でさ、それにたいして「ノー!」っていうことの何の問題がある?ってことじゃん?なのになぜか話を自己責任論とかさ、温室論とかの分けの分からないロジックを出してきて批判するじゃない?本当に不毛だよね。ここにたまに書き込みをしてくれる人でもさ、知り合いでも画家のよーこにしてもそうだけど、精神的なもので悩んでる人っているんだよね。確実にいるんだよ。それはメディアで喧伝されているからとかじゃなくて、もろに知り合いとかっていう俺の生活圏の中で把握出来る中でいるわけでさ、それに対して「そんなものはない。ただの甘えだ」っていうのってもうどうかと思っちゃうよね?何なの?って感じ。もう暴力だよ。これは。


下手するとさ、んじゃあ精神科ってのがあってさ、自分に関しては診断書があります。つまりはエビデンスがあります。それでもあなたは僕のことを批判し続けますか?とかって聞いたらさ、精神科とかもようは無いものをあるものとして仮定して、んでそれに関するもので金儲けをしていてそれが一大産業になっているみたいないい方すらもしかねないもんね。ようは医者とかもグルだと。みんなグルで甘えを精神病扱いして何かをでっち上げて製薬会社とか病院とかが結託して金儲けをしていると。そんなことも言いかねないぐらいの勢いがあるよね。なんとしてでも批判みたいな。しつこいようだけど金美齢は湯浅さん自体が気に食わないんだなっつーさ、もうとにかく批判したくてしょうがないって感じじゃん?ロジックとか放っておいてとりあえず批判じゃん?ああいう不毛な感じをキャリさんにも感じるね。自称繊細組達を許せないみたいな。


で、まとめると結局、こういう人間がいるから迷惑する人達がいっぱいいるってことなんだよね。彼らがどう考えようが知ったこっちゃないけど、患者とかに対して心ない暴言を吐くのだけは本当にやめてほしいって思うね。本当に末人っていうか悲しい人達だと思うけどね。自分がそういうメールとか送ってるっつーのを客観的に見て惨めになったりしないのかな?実際、本人は明らかに不幸せだしさ、その不幸せとか人望の無さとかも全部自分の実存に由来してるっつーのを感じないのかな?いや、そこまで口出しするつもりはないけどさ、とにかく変なメールを送るのだけはやめてほしいよね。朝起きてメールチェックしたらそんなメール来てたら嫌じゃない?なんでそんなことを意図的にするのか本当に分からないね。ブログで散々批判されているというのが気になるんだったらさ、見なきゃいいじゃん?別に個人特定してるわけじゃないしさ、俺はこれらの事例を標本として「困った人達」の分析を行っているだけでさ、それを弾圧できる権利なんて無いわけだよね。逆を言えばキャリさんがブログやっててさ、俺の批判を散々書いててもそれはまぁメンヘラー批判言説として存在することは別に問題ないんだよね。メンヘラー温室論とか名前つけてまぁ色々書いたらいいと思うんだけどね。まぁ彼女ぐらいのロジックじゃ誰も読まないと思うんだけど。


ってことでまぁそういうことでした。本人達のセラピーとか薬物療法がどうのってよりも俺がもっと必要だと思うのは外的要因の可能な限りの排除だね。そういう人達が生きづらくなって自殺してしまったり社会に出れなくなってしまうようなバックグラウンドを築き上げている社会ってのは相当責任あるし、逆を言えばそういった外的要因が無くなれば相当良くなると思うんだよね。状況は。ようはメンヘラーに優しい社会を作るのってさ、バリアフリーとかと発想は全く一緒なわけ。車いすの人でも電車に乗れますっていいことじゃん?盲目の人も就職できますっていいことでしょ?で、なんでメンヘラーはダメなの?って話なんだよね。いや、車いすの人とか盲目の人とかは物理的に分かるから分かりやすいっつーのはあるにしてもさ、そういうことじゃないよね。内在された障害を持った人もいるわけでさ、それを「分からない」ってことで排除するのって相当ダメだよね。


「分からない」で済ます人の特徴に抽象度の低さが挙げられるよね。まぁ想像力の無さというか。どういうことかっていうとさ、基準が全部その人なのね。「あたしはそのぐらいなら耐えてきたよ」とかっていう全部基準が「あたし」でさ、すんげーエゴイスティックな独我論者なんだよね。苫米地用語で言う抽象度を上げればさ、人によって全然知覚は多種多様で想像もつかないものだって分かるじゃん?その人にとって階段を昇ることはへっちゃらかもしれないけど、ご老体にとってはハードなことだよね?それはご老体がヨロヨロだから視覚的に分かりやすいというのはさっきの車いすの人とかと同じ話だけどさ、でも内面だってさ、極端な話、聴覚とか臭覚とかにしてもさ、人によって違うかもしれないよね?っつーか違うよね?音に対するセンシビリティみたいなのは人によって違うじゃん?音によってすぐ気が散るって人は音に敏感じゃん?でも隣で工事してても関係ないって人もいるよね。それは鈍感とも言われるし神経が図太いとも言われるけど、戸塚ヨットスクール型の徴兵制で軟弱者達を叩き直そうって発想はさ、その細い神経に図太さを与えようって話じゃん?でもこれって相当乱暴な議論だよね?繊細な人とかさ、音に対して敏感な人はみんな自衛隊に入って図太い神経を身につけなきゃいけないのか?ってそれってもう人格改造じゃん?ナチスと変わらないよね。


そういうのを障害と看做して徹底的に鍛え直そうって発想は人間の多様性を認めてない証拠だし、全てをある基準の元に画一化しようとするファシズム的な発想じゃん?ヒトラーが精神病の人達とか身体障害者の人達を不具者として処刑してたのとあんま変わらないよね。でも驚いたことにナチスはそれを情けとしてやっていたんだよね。そんな体とか精神に生まれついて気の毒だっつって殺すっていう名目だったらしい。社会が強制的にそういう人間をダメ人間と仮定して自衛隊とかに入れて鍛え直すっつーのもまぁ同じ発想じゃん?か細い神経しやがって!俺が叩き直してやる!っていうさ、ある意味でのまぁ社会的配慮じゃん?乱暴な配慮だよね。矯正を強制させられる感じ?いやさ、先進国に特有なのかもしれないけどさ、しつこいようだけど、ある一定の数にそういう繊細な人達っているわけでさ、そういう人達を全部普通の感覚にしようだとかさ、普通の感覚で捉えるっつーのをやめてほしいと思うよね。


あ、んで抽象度の話に戻すとさ、「あたしは耐えてきたよ」みたいな言い方って全てを自分の基準に還元しているということだよね?その人は耐えてきたにしても、それに耐えられない人だっているじゃん?日差しで言えばさ、皮膚が強くて耐えられる人もいれば、皮膚が弱くて水ぶくれみたいになっちゃう人もいるじゃん?まぁ俺がそうだけどね。で、またそういうことを言うとさ、外に出てないから免疫系等が弱ってるんだろうとかってまた勝手に定義するじゃん?でも俺は昔から肌が弱いしさ、日焼けする前に赤くなって水ぶくれになっちゃうんだよね。だから日差しはダメでさ、マイコーみたいに日傘とかささないと日光が強い日はダメなのよ。日焼け止めとかもダメね。それを全部さ、「俺は丈夫だ」みたいな考えに還元するって俺を排除してるもんね。俺の肌の弱さを全く考慮してないし想像してない。「じゃあ直射日光はダメだから日が下がってから外に出たほうがいいな」とかって言ってくれるだけで全然違うんだよ?言われる人は。そんなことを言われただけで俺みたいなやつは「理解者だ!」っつってその人を慕っちゃうぐらいだよ。そういう配慮がなぜ出来ないかね?「あたしは女だけど丸一日中日光を浴びながらビラ配りのバイトしてたよ」とかさ、なんなのそれ?って話じゃん?人間の個体差ってのを無視した乱暴な概念だよね。


メンヘラー批判も同じなのよ。「その程度のことで」ってその鈍感な人間には思えるかもしれないけどさ、そうじゃないめちゃくちゃ繊細な人にはどうってことないことでも大事だったりするわけ。所謂、こないだ書いたOEね。で、俺の経験で言うと「私なんてさー」みたいな言い方をするやつは一生精神病にならないタイプだし、デリカシーのかけらもないタイプなのね。人間性とかはおいておいても俺の伯母さんがそうね。理解のある母の妹なんで微妙な気分だけど、まぁでも母が言うにやっぱそういう子供を持たないと分からないよとは言ってたね。実際、うちの母も俺が登校拒否になったときはすんげー鬼のような顔で「学校に行きなさい!」って言ってたからね。で、赤坂クリニックでパニック発作と鬱を診断された時に「信じられない」みたいなさ、呆れたような顔しててさ、先生に反論とかしてたからね。レジ待ちをしているときにドキドキするとか、そんなこと人によっては病気じゃなくてもあるんじゃないですか?とかすげー反論してたもん。まぁそうなんだよね。うちの母だって元々伯母さんみたいな人だったか、それ以上だったかもしれないんだからね。で、俺がこうでこうなって色々と理解が深まって今は二人三脚でやってるわけだよね。だからこっちでのサイコロジカルアセスメントに関してもさ、今の家計じゃ相当苦しいんだけど、でも必要だからやるしかないっつー合意が得られるんだよね。まぁ相当綿密な必要性の説明はしないといけないけども。


だからそういう意味でメンヘラーって第三者の協力がいるのよ。それは金銭面でそうかもしれないし精神面でそうかもしれないし、まぁ変な話さ、億万長者でも相談相手がいなければ自殺したりすることもありえるからねっつーかまぁ実際いるじゃん?そんくらい大変なのよ。金だけじゃどうにもならないっつーかなんつーか。だから俺は理解者というかけがえのないものを持っている恵まれた人間ということが言えるよね。不幸中の幸いというとアレだけど、こんな精神でも協力者とか理解者がいるからやっていける。


情に訴えるつもりはないけど、ここまで切実なことをさ、ただ表面だけ見て温室だの甘えだのっていう精神ってそっちのほうが精神異常だよね。俺に言わせればメンヘラーって人より精神が敏感なだけで疾患ではないんだよね。まぁ日常レベルで支障をきたすという意味からすれば疾患なのかもしれないけど、所謂、癌とか腫瘍みたいな疾患ではなくてさ、内在された固有性だよね。まぁメンヘラー加減にもよるしさ、電波系のスキゾ系とかさ、ベッドから起きられないレベルの鬱とかは別にしても、所謂、繊細系って一生モンなんだよね。薬でどうにかなるもんじゃなくて一生そのsensitivityみたいなのと付き合っていかなきゃいけない。で、それは楽ではないから協力者が必要ってことなんだよね。カウンセラーであれ親であれ友人であれパトロンであれ、とにかく全部自分でやるというのはなかなか大変なことだよ。ワーキングプアと呼ばれる人の中にこういうタイプの人達もいると思うと彼らの地獄の日々はもう想像以上の地獄だと思うね。自衛隊とかに入って精神を鍛え直すみたいな考え方がいかに間違ってるかってのが分かるよ。彼らは放っておいたら地獄の日々に耐えられなくて自殺するかもしれないからね。まぁ実際、自殺者多いでしょ?こんなのがまかりとおっていいわけがない。


そう。そうなのねぇー。その人の感覚がデフォルトって人多いんだよね。この人はこれにたいしてどう感じたり思ったりしたか?っていうその違いを想像できない人が多いんだよね。それは映画にしたって音楽にしたってそうじゃん?同じ音楽でも捉え方とか感じ方が違うから違った解釈とか意見とかが出てくるわけでさ、それを自分の感覚だけで考えてね、それを基準として考えて全部を判断するって頭の悪さにもほどがあるよね。大抵こういう人間は他人に迷惑をかけることが多いんだよ。鈍感だから平気で暴言とかサラッと吐いちゃったりする。他人を傷つけるという感覚を理解できない。こういう人間ってようはさ、法的に暴力を許容されてるような存在なんだよね。恣意的にナイフで人を指しても裁かれませんっていうね、そういう人達なんだよね。


でもやっぱ怖いのがさ、前にも書いたけど、うちの親父もそうだけど人を信じやすいのね。「今度こそは良い人に出会えた」って今まで人間関係で良い経験をしてないから、ちょっとでも良さそうな兆しがある人を信じちゃうんだよね。で、親父の場合、その見込み違いを30年ぐらいずーっとやってきたって感じ。俺もモロに今回の場合は特にそうだよね。前のルームメイトにしても同じ。「尊敬出来る人だ」とかさ、「凄い人なんだよ!」とかさ、当時のブログとかに書いてあるだろうけどさ、その信じ方のナイーヴさとその後の失望ってのが半端じゃなくて典型的に俺も親父と同じマインドを持ってるんだよね。だからこそ本当に気をつけないといけない。俺の場合、プライベートで関係を切って終わりだけど、親父の場合、それが仕事だったりしたわけで、切るにも切れないみたいなのが永遠に続いてた時期とかもあるわけで、それを考えると地獄だよね。マジで。


でもさ、本当に猫をかぶるとかいうけどさ、騙されちゃいけないね。ああいう人達って自分の内面が黒いのが分かってるから猫かぶるわけじゃん?前にここに書き込みをしてくれた人がさ、「僕は内面が黒くなってしまいました。それこそ耳蝉さんの言う悪魔みたいな人間なのかもしれません」って書いてたんだけど、こういうことを書ける人が悪魔なわけないじゃん?過酷な環境にいて内面が荒んでくるというのを実感してるからさ、そんな自分に自己嫌悪とか感じるわけでさ、そりゃーピュアな証拠だよね。地黒じゃない証拠っつーかなんつーか元が白いから黒くなっているということに意識的になれるわけじゃない?


んじゃあさ、白く見せるっつーか良い人間に見せるのってまさしくdisguiseじゃん?変装というか偽装だよね。元が黒いのが分かってるんでそれを地でやってても誰もついてこないから善人ぶるっていうかさ、可愛い子ぶるっつーかさ、ぶりっこってそうだよね。天然とぶりっこの違いみたいなもんだよ。で、キャリさんは典型的な地黒なぶりっ子っつーのかな?偽装された笑顔とか素振りとかの合間に見えるどす黒い地顔とか表情とか雰囲気とか仕草があったのにも関わらず俺はスルーしていたわけで、そういうのもさ、「そんなわけない」って俺が思いたいからなんだよね。でもさ、親父も妹も同じようなことを言うんだけどさ、合間合間に見えるそういう瞬間って絶対噓は無いんだよね。それがその人の本性っつーかなんつーかさ、そういうのを捉える力っつーか観察力がある人っているんだけどさ、前に2ちゃんまとめサイトのやつを貼ったと思うんだけど、「おかしいな?」って思ったらその直感を信じるべきなのね。大抵そういうのはあってるわけ。それこそ動物の勘だよね。どんだけ野性的なものが鈍っていても人間ってやっぱ動物だからさ、ある人にはあるんだよね。残ってるっつーかなんつーか。そういう直感みたいなのは絶対信じた方がいいし大切にしたほうがいいよね。マジで大体あってるから。


本当に良い人とか可愛い子ってそのままにしてて可愛いわけじゃん?すっぴんで可愛いっつーか素で可愛いっつーか二面性が無いっつーかなんつーか。良い人然りじゃん?別に良い人って良い人ぶってるわけじゃなくてその人が良い人だから良い人だって感じるんだよね。んじゃあそういう風に見せようとする偽善者とかぶりっ子みたいなのってさ、そうじゃないから変装するんだよね。だから恐ろしいわけ。いかにも!って感じじゃなくてさ、それはアイドルとかと一緒でまぁある種のプロじゃない?そういう人達って。だからさ、気をつけてる人でも騙される可能性はあるんだよね。だから本当に気をつけないといけない。


で、まぁさ、俺が提唱する健全な社会ってこういう人間の一掃なんだよね。レイシスト然り。イデオロギーの自由はあるけど、そういう好ましくないイデオロギーなり性格を持ってる人は疎まれるという社会が俺は健全であると思うわけ。そこに相対主義的な価値観って無いじゃん?レイシストとかさ、障害者差別とかって明らかに良くないじゃん?それは相対的な価値観ではなく、ある種の真理だよね。良くないに決まってるっていうことに関する一種の真理っつーのかな?だからそれは排除していし排除しなきゃいけない思想なんだよね。そういう人間が跋扈しているから世の中は余計生き辛くなるし、特にメンヘラー達はマジで苦労してるんだって。嫌なやつがいない世の中って無いけどさ、でも仮に嫌なやつがいない社会って考えたらさ、仮に失業率とかが高くてもだいぶマシじゃない?社会的な生き辛さはあるにしてもさ、気分は楽だよね。


誰も理不尽なハラスメントをしてこないんだから。これがまぁ俺が思うね、アメリカと日本の違いなんだよね。アメリカのほうが嫌なやつが多くないとは言わないけど、やはり俺の主観で言えば比較的マシな気がする。少なくともニューヨークに関してはメンヘラーに寛容な感じだしさ、diversityってのがあるじゃない?誰でも生きる権利があるっていうジェファーソンか分からんけど、なんつーか建国の理念みたいなのはブッシュ政権とかがあったにしろ基本的に根っこにあると思うんだよね。障害者には優しくしなきゃいけない。だから障害者とか老人にはみんな席を譲るしさ、「温室は幸せだと思うよ」なんて憎まれ口をわざわざ別にメアドから送ってきたりしないわけよ。そのダークなさ、真っ黒いねちっこさが日本にはあるっていつも書いてるじゃん?陰湿な感じ?なんでか分からんけど、日本は陰湿の激戦区だよね。


「おい!ジャップ!」とかって言われたほうがマシだよね。「味方だからね」とか言いつつそんなこと微塵も思ってないでさ、んでいきなり豹変してっつーか本心が出るとこういうハラスメントをしてくるって何枚岩だ?って感じじゃん?レイシストが「ヘイ!ジャップ!」って言うのは一枚岩じゃん?あーレイシストだな、で終わるけどさ、キャリさんみたいな陰湿なタイプっつーか何枚岩もあるタイプって本当に嫌だよね。虫酸が走るっつーかなんつーかさ、で、怖いのがさ、嫌なやつランキングが年々更新されていくんだよね。やっぱ今までで言っても小学校の頃のある同級生に敵うやつはいないけど、でもその都度さ、クリーニング屋のバイト先のババアとかさ、精肉やってたころの店長とかさ、コンビニでバイトしてたときの他のやつらとか特に店長とかさ、スーパーでも二人ぐらいいたけどさ、そんなのが全部マシだな!って思えてきたぐらい憎たらしかったのがキューティーの姉じゃん?


憎さで感覚が主観化されすぎているのが怖いからさ、なるべく客観性を保ちつつ第三者っつーか親とか友人にキューティーの姉の話をするとまぁどれもこれも「酷いね」っつーかさ、「騙されてたんだね」ってことになるんだけどさ、でも今思えば全然マシだけど、キューティーの姉を当時は越えていたのがその後の例のルームメイトじゃん?あの厚顔無恥っぷりっつったらさ、デリカシーのかけらもないじゃん?当時も書いてたけど、キューティーの姉がマシに思えてくるんだよね。それは時間差もあるって思うかもしれないけど、そんなのは承知の上で考えてるんだよね。記憶が今のほうが鮮明だから今感じている嫌なやつのバッドなヴァイヴが最強に感じられるって思うかもしれないけどさ、そうじゃないのね。キューティーの姉なんてさ、まぁ汚いやり方はされたけど、なんつーまだ同情の余地があったっつーかさ、まぁ細かい話はしないけど、まぁ細部のディティールで性格が歪んじゃったのもしょうがないかな?って思えるところがあったしさ、まぁ別に人間的にはそこまで最低でもないんだよね。今思うと。


で、もっと最低なのが前のルームメイトだけど、前のルームメイトなんかもさ、最後のほうで「精神病があるんです」ってカミングアウトしたらさ、理解はしてたからね。俺の振る舞いがたまにおかしいのも気分障害とかがあるからだから、そういったところで無礼があったかもしれないみたいなことはさ、引っ越す前に謝ったんだよね。散々批判してた前のルームメイトだけど、意見とかを言わずにさ、ひたすら我慢し続けて何も言わないでさ、ずーっと黙ってるとかって相手も分からなかっただろうなっていうところはあるっつーか自分にも非を認められるんだよね。勝手にパーティーやられようがさ、やっぱ嫌なら嫌だって言わなきゃ分からないしさ、「いいですよ」って言っちゃったらそれまでじゃん?なのに内面で怒ってたり葛藤してたんだけど、それってまぁ俺が許可を出しているのにも関わらずさ、まぁね、許可無しでやられたこともあったけど、でもまぁ半分ぐらいは許可ありだったんだよね。で、最初は誘ってくれたりしてたけどさ、俺のアンソーシャルな感じが伝わったのか、誘われなくなったんだよね。


まぁそれはともかくさ、今まではなんつーか俺にも非があってんで仲がこじれてた部分が無くもないんだよ。それに俺の複雑な内面まで相手に理解してくれって言えないじゃん?それでもまぁ前のルームメイトは一応理解はしてたよね。でも今回にあたってはさ、俺は何の非も無いのにさ、打ち解けてきたから深い話をしようと思ったらいきなりああいうこと言われるんだもんね。大人になれだとかなんだとか。で、色々とメール見てたらさ、普通に一緒にどっか行ってたときとかもずーっとそんなことを内面で思いつつ付き合ってたらしいんだよね。付き合ってたって恋愛じゃなくて友達ってことね。で、今思い返してみるとさ、内面で「なんてダメなやつなんだ」って思ってたからこそああいう回答なり仕草なりさ、ちょっと「あれ?」って思うようなさ、俺が恥ずかしいような夢を語ると一気に顔を暗くして「でも大変だよね」とかさ、遠回しに「キミじゃ無理だよ」とかさ、俺みたいなやつを過去にいっぱい見てきたみたいな話をするわけよ。ようは俺みたいな動機とか意志とかでニューヨークにきて、んでまさしく俺みたいな喋り方とか考え方をするやつが夢を見ながら身を滅ぼしていったみたいなのを私は散々見てきているからあなたもそうなるって言い切れるよみたいなことをわざわざメールで言ってくるんだぜ?ドリームキラーにもほどがあると思わない?


「学校のプレゼントかが上手くいって自信とかがついてきたんです」みたいなことを言えばさ、「そんなもん引き蘢りだった青年がちょっとチヤホヤされていい気になってるだけ」みたいなこと言うわけよ。もう考えられないよね。なんか悪質にも程があるっつーかここまでのことを言われた事なかったよ。マジで。悪口ならいくらでもあるけど、割と上手くいってるとかさ、良かったことにたいして「そんなことない」とかって言われた経験無いっつーのかな?「凄いじゃーん!」とかって言ってくれなくてもいいよ。別に。そこまで凄くないのは自分でも分かってるんだから。でもさ、そういう話とかをしてさ「上手くいってるようでいいねー」とかって話し合えるのが友達じゃん?元相方とかよーことかと会ったときはずーっとこういう感じだったよ。俺がちょっとまぁ自慢話みたいなのも調子に乗ってしちゃってもさ、ずーっとなんつーか温かい感じで「良かったね」って感じで言ってくれるっつーのかな?まぁキャリさんと比べるのは酷だけど友達ってそういうもんだと思うんだよね。嫉妬し合ったりもしないで認め合うじゃない?元相方は俺より知識があるしさ、文章上手いし、やっぱ勝てないなってまぁ競うつもりはないんだけどさ、やっぱそういうの認めてるじゃん?直接言わなくても認めてるよね。よーこの才能然り。認め合えるのが友達だと思うわけよ。


それをなんつーのかな?友達ヅラしてドリームキラーでいるってもう最悪じゃない?死神みたいなもんだよね。そう思うんだったら付き合わなきゃいいのになんでわざわざメールとかさ、会おうとかって言ってくるのか本当に謎だよね。さっきも書いたけどまぁ結局、友達が俺ぐらいしかいないからさ、寂しいんだと思うんだけどね。でもそんな寂しさを紛らわせるツールとして利用されたんじゃたまったもんじゃないしさ、ましてやそんな中傷をしてくるって酷いよね?なんのために付き合ってるの?って思っちゃう。完全にincomprehensibleだよね。


そういった意味で今までに無いダークさとタチの悪さだったんで今までの悪人異常にスティグマ化しちゃってるんだよね。存在が。前のルームメイトにしても同じような風体のアジア人を見ると怖くなるんだよね。本能的に「ビクっ!」として怖くなっちゃうっつーかさ、スタバとかでも偶然に会うわけないんだけどさ、でもわざわざ顔とか確認して「違ったー」って安心しないと怖いぐらいなんだよね。そんぐらい怖いんだけど、もうキャリさんに関してはそういうの越えてるね。怖過ぎる。怖さの度合いが違う。人生の先輩には「世の中色んな人がいるんだよ」って言われそうだけどさ、それにしてもまぁ俺も色んな人と関わってきたし、自分なりもまぁ会ってきたとも思うんだけどさ、それでもなんつーか人知を越えたレベルの人っているんだよね。で、こういうのが余計に俺の社会恐怖とか対人恐怖とか人間不信とか人間性悪説を助長させるわけ。こんなのが少なからずでもいたら俺はそんなやつと一切関わりたくないという意味で怖くて外に出れないぐらいになっちゃうっつーかさ、外に出るのはいいにしてもさ、まぁ別にキャリさんみたいなのが襲いかかってくるわけじゃないじゃん?でも関係性が生まれるとさ、相手の暴力性ってのが剥き出しになるじゃない?そういうのを垣間みつつそういう暴力を受けるのが怖いのね。軟弱もの!とか言われようがやっぱ怖い。



ってことでまだまだ続くんで、続きはまた明日ね。まぁ怒りだよね。キャリさんに限らずああいう人間に対する憎悪とかさ、害毒をまき散らしているから結果的にああいうのは害悪で迷惑してる人達がいっぱいいるんだっつーのをさ、まぁ叫びたいわけね。まぁ十分今までも叫んだと思うけど、今回の件でまた叫びたくなったんで叫ばせてもらうわ。マジででもさ、あれなのね、迎合しないでほしいのね。こういう人達と戦ってほしいと思うよね。こういう人間をのさばらせちゃいけないのよ。いい気にさせちゃいけないっつーかさ、そういう掃除を一人一人が担っていかないと永遠と変わらないと思うんだよね。こういう連中って一方的に物を言ってそれで終わるじゃん?で、弱い奴らは傷ついて泣き寝入りするしかないっていうかさ、そういうのやっぱダメだと思うわけね。こういうのが彼らの保全を促してるわけだからさ、なんつーか具体的な戦い方はともかくとしてさ、とにかく迎合だけはしないでほしいね。黒くなるのが一人前になる条件だなんて大噓もいいところだから。


ってことでまた明日ね。


PS


昨日のエントリーの量と比較してみて出力が少なかったんで増量しました。このペースだと多分明日で全部終わると思う。


倫理学としての政治哲学―ひとつのレオ・シュトラウス政治哲学論 (叢書フロネーシス)

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