ニヒリズムの奈落へ。その2。

mimisemi2009-09-24

いや、話は全然違うんだけどね、デビットカードで残高がマイナスになるような取引を行うとそれにつき10ドルが加算されて、しかもその後5日間マイナスの残高が続くと35ドルのチャージを取られるんだけどね、なんつーかマジで気をつけたほうがいいよ。確か永住権得る時なんかも銀行の履歴とかをチェックされたりするんで、マイナスになってたりするとアウトらしいんだよね。まぁそれじゃあ俺はすでにアウトじゃんって話なんだけど。


でもこのなんつーか金が無いというよりかは残高がマイナスという感覚も結構凄いね。財布にも金は残ってないし、銀行にも無いっつーと結構凄まじいものがあるよね。まぁ俺はクレジットカード持ってるんで、買い物はこれでできるんだけど、まぁなるべく両親から使わないように言われてるのと、まぁどの道、カードを使った分は仕送りから引かれるんでまぁ同じことなんだけどね、これでクレジットカードとか無かったら凄まじいよなって思ったよね。これで仕送り無しで職無しだったらマジでホームレスだなと。


でもさ、ローンとかって結局まぁマイナス残高ってことだよね。サラリーマンの夢のマイホームとかいってまぁ完全にイデオロギーだけどさ、あんなのはさ、何千万の借金を抱えるってことでさ、ようはずーーーっとマイナスの残高を死ぬまで働いて返済していくって感じだもんね。それはなんつーか俺みたいに小銭すらも無いよりもキツいよね。ローンがあるんで仕事もやめられないしさ、本当に地獄だよね。Money as a deptっていう動画があるけどさ、まさしくお金の実体って借金なんだよね。今回のチャージにしたってさ、まぁペナルティみたいなもんだけど、実体が無いものじゃん?マイナスが5日続いたってことでチャージを取られるって銀行が勝手に35ドルチャージできるんだからさ、ようは適当にコンピューター叩いて金を作り出してるわけだよね。で、仕送りがあったらそのマイナス分を払う感じでまぁ俺の残高にお金が上乗せさせられると。いつもは20日ぐらいに入ってるのに今はマイナスでしかも24日になってるのにまだ入ってなかったりして、なんだか凄く不安なんだけど、それはともかくさ、こういう感覚って実家暮らしだと味わえないよね。


いやね、仕送りがあるとかクレジットカードが使えるって意味でまぁ観念的には破産してないんだけど、でもなんつーか物理的に金が無い感じって実家暮らしだと味わえないじゃん?所謂、ニートは小遣いが無いだけで生活費は無くないじゃん?でも今の俺って生活費がゼロっつーかマイナスだから洗濯すらもできないんだよね。こういう感覚がすげーなって思うのね。こういうのを経験してたりするとまぁ精神的にタフになれるんだろうなって思うよね。いや、完全に親の脛かじりでこういうことを言うのもあれなんだけど、でもやっぱ一人暮らしって凄く重要だね。元ニートの俺から言わせてもらうとね。味わえないサバイバル感覚ってのが味わえるからこれって類まれなる経験だよね。あとまぁ全部お金を自分で管理しなきゃいけないんで、浪費とかも押さえなきゃいけないっていうさ、ようは物欲を抑えたりしなきゃいけないっつーのもまぁ学ぶじゃん?


で、今日は昨日の続きを貼るけど、まぁまだちょっと書きたいことがあるんだけどね、いやね、情けないことにさ、いやさ、最近鬱が酷いって書いたけど、残高がマイナスになった日ってさ、70ドルぐらい残高が残ってたんだけど、何を思ったか100ドルぐらい残ってるとか思ってね、んで精神的に相当ヤヴァかったりしてさ、このまま家に帰ったら死ぬなーみたいな気分だったんでフラっとゲーム屋に行ったのよね。で、なぜか前に買って途中で動かなくなったhackの1をまた買ったりさ、あとやけに高いfatal frameの1って零の1とね、あとこれが白眉だったんだけど、DarkwatchっつーFPSのゲームなんだけど、洋ゲーでさ、日本では発売されてないらしいんだけど、その理由ってのがセックスシーンがあるからだとかなんだとか。まぁ詳しくはググってほしいと思うんだけど、まぁなんつーかウェスタンプラスリビングオアデッドみたいな感じ?雰囲気とか敵の感じとかは完全にリビングオアデッドでさ、あのガンシューティングのやつね、で、なぜか世界観がウェスタンっていうね、ただプレステ2FPSやったのが始めてでさ、キーボードとマウス操作なら大抵のゲームは最初から上手くできるんだけど、コントローラーになれてないでしょ?だから最初とか酷かったんだけど、慣れてくると長年のFPSのスキルってのをPS2のコントローラーでも発揮できるようになってさ、んで相変わらずまぁDOOMの時代からやってただけあってFPSは俺は上手いんだけどさ、なんつーかこれゲーム的に凄いのね。凄まじい完成度っつーのかな?


いや、敵の種類が少ないとか、デビルメイクライっぽいっつーかデビルメイクライをちょっと変えただけじゃん!みたいな雰囲気もあるんだけどね、あとはまぁ武器が少な過ぎるとかね、それにしてもそれこそデビルメイクライの1みたいな爽快感っつーのかな?やたら派手な感じっつーの?とにかくバンバン打ちまくることを要求されて、んで色々なものが爆発したり、すげーギリギリで色々なことやらなきゃいけなかったりね、とにかくカオスっぷりが凄いんだよね。敵の数が異様に多かったりね、特にあれなんだよね、難易度をノーマルでやるとちょうどいい感じっつーか他のゲームで言うノーマルとハードの中間ぐらいのレベルがこれにおいてのノーマルなんだけど、このノーマルの難易度のバランスが絶妙なのね。でもまぁ残念なのは最後のほうになるとありえないぐらい難しくなって特にラスボスとか話にならないぐらい強くて難易度下げるしか無くなるんだけど、途中からでも難易度は下げられるし、難易度を下げたことでエンディングが見られなくなるとかそういうのは無いんでまぁやりたいようにやればいいんだけど、なんつーかさ、スナイパー的要素とかデビルメイクライ的なやたら敵が出てきて派手に倒す感じとか、なんつーか今までのFPSとかTPSって言っていいのかな?スカーフェイスとかデビルメイクライみたいな上から見のやつとかの良い要素が詰まってるっつーのかな?悪く言えばオリジナリティが無い寄せ集め的なゲームなんだけど、んでもなんつーかその派手さ加減とか爽快さ加減とか程よいグロさ加減とかがなんとも言えない感じね。


これがすんげー大ヒットだったわけ。俺的に。FPSって最近で言えばそれこそ3年前ぐらいのロードアイランドにいたころに教えてもらったカウンターストライク以来、まともにやってなかった気がするけど、まぁ久々にハマったFPSだったね。まぁ実質10時間ぐらいで終わっちゃうし、飽きるのも速いんだけど、20ドルぐらいだったからなんつーかちょうどいい感じっつーのかな?あまりにこれが良かったんで、他どうでもよくなっちゃったっつーか鬱っぽい時に零も無いじゃん?だからずーっとDarkwatchやってたんだけどっつってもまぁ実質三日ぐらいで二種類のエンディング両方見て完全に終わったけど、すごく助けられたんでまぁ残高がマイナスになっても良かったなっていうのはあるね。将来的な影響が出てくるかもしれないけど、でもマイナスって過去にやっちゃってるからさ、だからまぁもう何を今更なんだよね。1回やっちゃえばまぁ2回だろうがあんま変わんねーってまぁ前科みたいなもんだな。いや、変わるしね、犯罪でも銀行でもまぁやっちゃいけないことなんだけどね、いや、でも言いたいこと分かるでしょ?


で、結局、零はさ、2を去年ぐらいにやった俺としてはなんつーかまぁ劣化してるというと変だけど、なんかモロに前作って感じだなって感じでさ、あとまぁなんつーか散々前にも書いてるようにさ、サイレントヒルとかバイオ系のインターフェースって色々なゲームで共通してたりするからもう飽きるんだよね。バイオ系のインターフェースなんてもうある意味で10年以上つきあってるわけじゃん?まぁんでバイオは4で大きな変化をもたらしたけど、サイレントヒルとかもう結構キツい感じだよね。サイレントヒルは雰囲気はやっぱいいんだけど、でもやっぱ飽きるよね。俺は1からやってるけどさ、なんつーかもう歴史が長いよね。バイオもコードベロニカとかもう一個なんだったかあるじゃん?やろうとは思ったりもするけど、まぁどうせバイオだなと思ってやらないよね。サイレントヒル然り。零のおかげで残高がマイナスになったと言っても過言ではない割に全然やらないって何なの?って感じだよね。おまけ程度で買ったDarkwatchが大ヒットだなんてね。


それにしてもまぁゲームかって残高がマイナスって子供じゃないんだからって感じだよね。いい歳こいたやつがこんな風になるなんて本当に情けないなとか思いつつ、んでもDarkwatchに相当助けられたんで、まぁいっかっつーか逆に出会えて良かったなって感じだよね。鬼武者とかさ、ベタなゲームって全然やってないのね。で、デビルメイクライにしてもバカにしてた割にやってみるとすげー面白かったりしてさ、ああいう単純なゲームって気晴らしにはピッタリなんだよね。ってことで鬼武者は123のボックスが出てて30ドルぐらいなんて買ってみようかな?とか思ったりしたね。特に鬱っぽいっつーか何やってもダメなときはゲームに逃げるのが一番いいね。読書とかも全然やろうと思わないって時にゲームがあるとまぁ気がまぎれるっつーかまぁ時間は過ぎていくよね。俺にはやっぱりなんだかんだでストレス解消の方法が全然無いんだよね。もちろん読書っつーか最近では数学系の読み物は楽しいけど、かといってこればっかだと飽きるし、なんつーか別にゲームほど楽しいものじゃないじゃん?まぁ楽しさのレベルが違うけど爽快感は無かったりするじゃん?ひたすら没頭する感じだからさ、没頭できないときはどうしようもないよね。そういう時にまぁゲームがあるといいんだよね。で、ある程度ゲームやってるとゲームに飽きてくるんでんでまたエクリチュールに戻れるっつーかさ、まぁそれはいつも書いてることだけどね。エクリチュールを軸にゲームも気晴らしとして存在するぐらいのものとしてのゲームね。


で、最後に数学の話になるけどさ、まぁ今回の話にもあるようにまぁ数学っつっても興味が無い分野のことも多いんだけど、でもやっぱ興味がある分野に関してはやっぱ哲学並の凄まじい知識欲があるね。で、それは何か?っていうとやっぱロジックとかなのね。あとは集合論とかさ、例えばカントールのさ、0∈x∈1みたいなのがすんげー面白いのね。|N|が最小単位のinfinityとかさ、ようはNは自然数ってことなんだけど、Real numberは小数点も含むものなんで、ようは|N|<|R|なのね。無限は無限でも無限の度合いが違うみたいなさ、で、フラクタルは数えられるんで数えられる無限っていうね、まぁカントールフラクタルを数えれるっつー面白いパターンがあったりするんだけど、こういうのが面白いのね。逆を言えば図形がどうのみたいな話には全く興味が無い。小数点を含むReal numberは数えられないとかさ、まぁ「で?」って言われればそれまでだけど、これ自体が面白いという意味ではまぁ面白いんだよね。無理に数学に面白さを求めているというよりかは純粋に面白いなと思えるわけね。面白いと思えるというのにはまぁ前に書いたように俺にとって知らない領域だから発見だらけで面白いって意味でさ、まぁ色々とある程度知っちゃったらなんつーか今の俺で言う哲学とか政治学とかみたいなある種の落ち着きみたいなのが生まれちゃうのかもしれないけど、でもまぁそこまで行くには時間がかかるだろうってことでまぁまたしばらくは数学にハマってていいんじゃないか?とは思ったね。純粋に興味があることなんだからまぁ別に「で?」とか言わないでとりあえずやればいいじゃんってことでさ、あとはまぁゲーデル不完全性定理を所謂、言葉とか哲学とかっていう概念で理解するのではなくて数学的に理解したいというか理論的に理解したいっつーのもまぁ俺が数学をやりたい大きな理由ではあるよね。ゲーデルっつーのは相当デカイ動機だね。政治哲学で言うところのまぁ俺にとってのシュトラウスみたいなのが数学の世界ではゲーデルなのかもしれない。


で、まぁ色々と本を読んでいてもなんつーか哲学読み始めの頃みたいなさ、微妙な気分があるよね。哲学読んでる俺ってかっこいい!みたいな気持ちが無くも無いんだよね。自分にとって新しい分野だったりするとそれにコミットしてること自体が自分の中で新鮮になるじゃん?まぁおニューの服とか靴とかと同じだよね。でも馴染むとまぁ日常のものになるじゃん?で、哲学とか政治哲学系はまぁ結構長い間っつーかまぁ実質ここ2年ぐらいだけど今思えば凄まじい密度で読書をしてたんで、そのおかげもあってかずいぶんと馴染みのものになっちゃったなっつーのはあるんだよね。もう当たり前のものとして存在しているので、新鮮味はもう無いっていうね。で、数学には俺の無知故に哲学読み始めの頃みたいな知らない用語とか記号を理解するのに必死だったりさ、哲学だってそうじゃん?読み始めの頃ってさっぱり分からないところが多いじゃん?用語とかあとは誰々みたいな固有名詞が出てきてもそいつのこと知らねぇーみたいなさ、ただまぁ見よう見まねでとりあえず取り組むじゃん?で、結構この仮定で理解できないことに対するストレスはあるんだよね。読んでても理解できないとやっぱイライラするっつーかさ、「意味あるのかな?」とかってちょっと思っちゃったりするんだけど、結局まぁ最初から意味なんて無いわけでさ、まぁそういうのが特に今回は改めてはっきり分かったっつー感じはあるよねっつーのはあるよね。どれにせよ意味なんて無いじゃんっていうね。ただ俺が哲学とか政治哲学にハマった理由ってまぁ無いじゃん?数学もまぁ同じだよね。別に理由なんて無いんだよね。ただ興味深いからっていう理由だけっつーかなんつーか。


で、まぁ自己分析をしてみるとね、やっぱあるよね。知らない分野なんで新鮮味があって面白いっつーかさ、無開拓の領域が広がってる感じっつーのに「わーすげー!」って思う気持ちっつーのかな?あとはまぁちょっとずつ専門用語とか記号とかを覚えていっている自分に満足してるとかさ、まぁブログで徐々に哲学用語をちょっと挟んだりするのと同じ感覚で数式とか記号とかを挟んでいくみたいなさ、ただ使い方があってるか分からないみたいなね、まさしく哲学の出だしと同じだなって感じなんだよね。だからまぁ最終的にずーっと続けてれば自家薬籠中のものになるだろうなって気はするよね。そうなった時の慣性からくる虚しさってのがまた来るのかな?と思うとそれが怖いけど、まぁそれを考えるにはまだ早いって感じなのが今って感じかな。刺激という意味ではまぁさ、ある程度掘り尽くすと刺激って無くなるよね。ポストモダンとかにしてもさ、最初はなんかかっこよくて読んでみたりもするけどまぁクズが多いとかさ、原著読むよりかは要約読んだほうが効率いいみたいな世界でまぁ一瞬で制覇できたりするじゃん?


あとはまぁ知る必要も無いぐらい価値が無いようなやつとかね、まぁ必要ないのが分かってくるんて読むやつが見定まって来るというのは前に書いたことだけどさ、そうなっちゃうと制覇は早いよね。完全制覇ではないんだけど、とりあえずどれもこれもかじってみるっつーことはできちゃうとなんとなく全体像が掴めるじゃない?そうなるともうあとは個々のものを深めるだけでさ、まぁ俺で言うと前にも書いたけど哲学でも取り組まなきゃいけないものだらけなんだよねっつーのはまぁ政治系だとアルチュセールグラムシは相変わらず続けるとして、マッケンタイアとかサンデルとかウォルツァーみたいなコミュニタリアン系とあと何気に著書を一冊も読んでないコノリーとね、あとはまぁフーコーとかさ、あとはまぁ解説書を読んでんでどんどん深読みしていくというものとしてはヘーゲルとカントとハイデガーとヴィトケンシュタインとキルケゴールがあるけどさ、あとまぁズピノザか。まぁこれがようは全体像を掴めてる感じなんだよね。哲学の棚行ってもまぁ大体どれもかじってるみたいな感じ?あとまぁ深読みどころじゃない長い付き合いが必要なのはプラトンシュトラウスだけどね、でもこういうのってもうあとはやっていくだけじゃん?


前とまた同じような話になるけどさっつーか繰り返しになってるのは分かるけど、学部でどうのっていう話じゃないよね。もう勝手に読書って感じじゃん?数学もまぁ段階踏めばそうなるのは目に見えてるけどさ、ただまぁね、いつも言うように学校でやるのと自分がやりたいものの共通点を見つけるという意味で数学はベストってまぁ繰り返しになっちゃうけどさ、ようは言いたいことはね、哲学は自分でやりつつまぁ既存の書かれたものを時間をかけて読んでいくという意味でまぁ考古学的なんだけど、数学ってさ、manmadeなね、人工物という考え方もあるけど、俺はどちらかというとっていうと変だけど、発見だと思うんだよね。法則なりなんなりを発見するっていう感じ?作るというよりかはまだ発見されてないパターンなり法則を発見していき続けることができるって意味でなんつーか無限な感じがするのね。


それこそカントールの無限の概念じゃないけどさ、無限なんだよね。数そのものが。今は無知故に妙に無知なものへの可能性とか広がりってのをナイーヴに期待しすぎちゃう感じはあるんだけど、なんつーか数という分野にも数における哲学という分野があるっていうさ、こんなような質問を今日数学の先生にしたらね、ある哲学者は科学だか数学的なものをやるために数学を勉強してんで数学を教えてたっつー話をしてくれたんだけど、やっぱやるためのツールとしての知識というのはね、それが仮にあまり興味が無いことでも必要なこととしてやらなきゃいけないということはあるって言ってたんだよね。当たり前のことのようで意外と盲点なんだけどねっつーのはまぁ興味ばっかに動機づけられてると盲点になりがちなことって意味での盲点なんだけど、あとやっぱもう一つはさ、これも前にも書いたかもしれないけど、結局、哲学にしても政治哲学にしても個々の意見の差に話が集約されちゃうじゃん?政治で言えばイデオロギーの差とかさ、権力闘争とかさ、哲学にしても実存系の哲学に基盤を持つのかさ、カント的なのかプラトン的なのかさ、で、またその解釈とかも個々によって違ったりするじゃん?そういう違いのあり方こそがもうその学問のあり方を規定しちゃってるようなところがあるんだよね。


それこそシニフィアンの戯れじゃないけどさ、かといって俺が学問的なものに絶対的な真実とか事実を求めているか?っていうとそうではないんだけど、でもなんつーかそういう哲学的なものへのある種の諦めがあるのに対してさ、数学はもう事実は事実でさ、証明されたらもうそれは事実じゃん?実存主義の基盤とかさ、プラトニズムの歴史とか関係無くもうそれは事実じゃん?その党派性の無いところで哲学的なものを展開できるかも?っていうパースペクティヴがあるって意味で凄く可能性を感じるっつーか面白みを感じるんだよね。数学的なものを自家薬籠中のものとした時に頭が勝手に考えてはじき出されるような概念なりなんなりがさ、実際的な数という世界観に立脚していて、んで帰結は事実でしかないみたいなさ、哲学的なんだけど結果は事実ですみたいなね、その枠組みが面白いと思うのね。哲学は「俺の哲学」で終わっちゃうじゃん?「はいそうですか」で終わっちゃうっつーかさ、まぁウォール伝を俺の哲学だみたいに前に書いたけど、まぁこういうことの繰り返しでしかないんだよね。なんつーか体系立てられたものが出てくるとかじゃなくて、日々の思いつきとか発見のメモが永遠と続くみたいなのが俺のやり方でさ、それ以上でもそれ以下でも無いのね。まぁだから全然学術的じゃないし、党派性はゼロとは言わないけどまぁ党派性バリバリのものから言えばすげー自由なんだけど、でもなんつーか俺なりに今のところ行き着いた事実の数々ってあまりにも悲観的なものばっかりなんだよね。いや、悲観的だから悪いってわけじゃないんだけど、なんつーかあまりにそれがリアルにただ概念としてそこにあるだけで、んでまぁどうにもこうにもならないリアリティがそこにあるってだけでさ、展開のしようが無いっつーかさ、まぁこれだけなんだよね。だから。


哲学的なパラダイムもパッチとして利用できるようになったりするとある意味でもう哲学を読む必要は無くなっちゃってさ、あとはもう考えるだけになるんだよね。それこそヴィトケンシュタイン的な哲学のやり方だよね。ひたすら考えてメモを残すっていうね、まぁ彼は明らかな天才だからレベルが違いすぎるんだけど。で、今の俺が読む哲学書ってもうかなり調査的なんだよね。適当にしか読んでないものをもっとガッチリ読むみたいなさ、単純に知識を増やすっていうか深く読むっていうこと自体がもう目的化しちゃってて、だからまぁ文献調査なんだよね。取り組み方が。今までは自分の中で引っかかってたものとかを手がかりに色々とディグってた感じだけど、そういう段階を過ぎるともう深読みだけになるじゃん?残りは。で、全部深読みとかしたら最終的にファウスト博士みたいになるかもしれないんだよね。


散々色々と本を読んできたけど、結局まぁ何も分からないっつーか概念がそこにあるだけっていう虚しい感じは変わらないじゃんっていうさ、まぁようはだから思考力っつーのを哲学的な思考をしたり読書をしたりしてある程度鍛えるともうある意味で読書は必要なくなるってことなんだよね。自分の頭の中で考えたりしているのが一番哲学的であったりしてさ、んでまぁたまに楽しみ程度に哲学書を読むのはいいかもしれないけど、そればっかになってもなんつーかもう空っぽじゃない頭にとってはさ、インプットってそこまでもう必要じゃなくなるよね。いや、俺の知識が十分だなんて言ってないし言うつもりはないけどさ、ただまぁ最近感じるのは改めて俺は別に哲学調査とか哲学研究をやりたかったわけじゃないんだなっつーのは本当に感じたよね。自分の突っかかりを気にしたいだけで、別に哲学とか政治哲学にしてもそれはただのツールだったんだっつーのは凄く感じたよね。まぁもちろん思想へのフェティシズムみたいなのはあるけどね、でもフェチを感じるものってまぁ性的なものと一緒でそんなに多くないよね。脚フェチであると同時に鼻フックフェチでアへ顔フェチでヘソフェチで耳たぶフェチの人とかってあんまいないじゃん?どれか一つだよね。どれか一つが強くてもう一つはそこまで強くないけどまぁちょっとあるかな?ぐらいじゃん?


思想とかになるともうそういうレベルになるよね。だから変な話、己のフェティシズムに忠実であればあるほどまぁ世界は狭くなるよね。まぁ全部を深読みとかはしないしできないよね。そうなると表れてくるのが志向性じゃん?嗜好性でもいいんだけど。そのlikenessみたいなのが結局、高いレベルでも同じ感じで存在してるっつーのにまぁある意味で幻滅するんだよね。それがさっき書いた結局はまぁ個人の考え方なりイデオロギーの違いになるってところなんだけど。まぁ言い換えればフェチの違いだね。俺は脚だがキミは耳らしいね。キミは乳らしいがキミは鼻らしいね。みたいなそういう世界?


で、数学の場合「女は女です」って言っちゃうようなさ、それこそもうジェンダーとかフェチの差とかが無い世界っつーのかな?それが無いからつまらない部分もあるんだけど、逆に高次元に至れば逆に個々のキャラクターとかフェティシズムみたいなのが出てきてさ、その高次元によって出てくる数学における思想的なものというのにまぁ俺は凄く興味を抱いてるわけだね。まぁゲーデル不完全性定理にしてもさ、カントールの無限の濃度の概念とかさ、単純な計算だけしてたら出てこないすんげー抽象的なレベルの概念をシステム化するっていうさ、そのプロセスとか見てもすげーなって思うし、それを辿ることで「すげー!」って思える感動に今はずーっと楽しみを覚えてると思うんだよね。それがまぁ無知故の楽しさね。ただまぁ俺が数学的な才能があるかは分からないっつーのはまぁすげー不安だけど、そんなもんまずは基礎やってからだろって話だしさ、画家のよーこも言ってたことだけど、才能云々なんてまずは10年ぐらいやってからの話だってことなんだよね。


そういう意味で俺は哲学的にも全然成熟してないしさ、政治にしてもまだずーっと考え続けなきゃいけないし、今は数学だから数学にもう切り替えようってわけにはいかないんだよね。まぁ抽象度の高いレベルでは繋がってるって話は前にしたけどさ、中途半端な段階で哲学とか政治学を投げ出すってわけではないんだけど、まぁリアルに学歴とか学校とかシステムとの兼ね合いとかっていうのを考えたりすると数学専攻というのがベストかな?っていうのは前に書いた話なんで繰り返さないっつーかまぁ今回でも何回も繰り返してる感じがするけどさ、んでもまぁなんつーか学校で数学っつーかロジックとかやってたりするとそれだけ考えることにすげー楽しくなっちゃったりするっつーか没頭しちゃったりするんで、政治的なものなり哲学的なものっつーのが置き去りになる可能性もあるんだよねっつーか最近はそうだからね。だってエントリーが数学系の話ばっかじゃん?まぁ別にテクニカルな数学の話っつーよりかは俺が数学をやることに関しての話ばっかだけどさ、まぁ他を忘れるぐらいハマれたらそれはそれでいいんだけど、んでも逆にそこまでハマっちゃっていいの?っつーのもあるよね。


まぁだからあれだろうね、哲学と政治学と数学がまぁ頭の中で混在してればいいんだよね。偏ること無くまぁ幅広く深められればいいわけでさ、まぁそれだけにハマってたらたまにはまたプラトンとか読みたくなるだろうしさ、逆もまた然りだよね。だからまぁ今はバランスとか変に考えずにとりあえず知識欲に身を任せてたらまた勝手にいつもと同じように色々なことが勝手に身に付くんじゃないかな?とは思うんだけどね。さっき書いた「そこまでハマっちゃっていいの?」っていう話とは矛盾するんだけどね。でもまぁ数学だけに没頭してるからっつって哲学とか政治学の知識が無くなるわけじゃないしさ、まぁ集中的に無知なものを吸収するっていう時期があってもいいよね。怖いのは全部やっちゃって、んで「もっとナンパとかやってればよかったなー」みたいなファウスト博士状態になることだけど、まぁそうなったらある意味で二流ってことだよね。一流はそんなことを思う間もなく永遠と色々と考え続けるわけだから、それは社会的なラベリングはともかくとして、考える人としてまぁ一生一流というクオリティは保たないとなとは思うよね。まぁそれは保とうと思って保つものではなくて、まぁ勝手に保たれるものだけどね。


まぁ何はともあれあれだ、数学楽し過ぎるって言い方はやめようかな。まぁある一定の数学の分野が楽し過ぎるってことだね。全部が全部好きじゃないし、幾何学とか全然興味無いしね。そういうのも専攻するならやらなきゃいけないとなるとまぁ結構キツいなっつーのがまぁ心配ではあるけど、それで言えばまぁ政治学を専攻してもそうだよね。思想だけに興味があっても政府の話とかそんなのもやらなきゃいけないだろうしさ、まぁ実際どうなるか分からんけど、分からんからこそまぁ専攻する価値はあるかな?とは思うよね。逆にやり方分かってたら授業なんて邪魔じゃん?自分でやってたほうがいいわけだから。


っつーか恐ろしく長くなったね。2時間ぐらい永遠とストップ無しで書いてた気がする。いや、そんぐらいなんつーか最近は数学について色々と考えてるわけよ。もう起きてから寝るまでずーっとそうね。いや、それは数学理論についてとかっていうテクニカルなことじゃなくて、さっきも書いたように俺が数学に取り組むということとか、今のところ考えられる数学というものに対する可能性とか見通しとかイメージとかの話ばっかだけどね。


長くなりすぎたんで貼るのやめるかな。うん。やめるわ。書いた量見たら結構長いんでまぁ続きは明日にするね。ってことでまぁ昨日の続きは明日ってことで。