ニヒリズムの奈落へ。その3。

mimisemi2009-09-25

お金が入ったと同時に買い物だよね。数学系の買い物でまぁ洋書は3冊で合計50ドルぐらいだったんだけど、紀伊国屋がやっぱいつも通り高いね。高いっつーか高くつくってことね。でもまぁ送料考えるとフェアな価格なんだけどね。実際、いつも親に薬を送ってもらう時に文庫を二冊とか送ってもらってるけど、送料が1000円以上かかってるからね。数学系が4冊ぐらいで他はちょっとまぁオマケっつーか気になった本みたいな感じだけど、まぁ120ドルだったね。哲学全盛期の頃は最高300ドル近く買ったことがあったな。いや、金があるわけじゃなくて、全部の金を本につぎ込んでる感じだからまぁ生活費も削られてるんだけどね。哲学全盛期の頃はまだ英語で読むのがちょっとまだ大変だった時期でもあるから余計にまぁ日本語の本を頼りにしてたっつーのはあるよね。で、あと出費は重なるもんでさ、まぁ買っちゃえば半年ぐらい持つサプリなんだけど、まぁたまたまいくつか切れててさ、で、ホスファチジルセリンの90カプセルが45ドルぐらいするんだけど、一日2錠とか飲んでたら一ヶ月半に一度買わなきゃいけなくなって高くつきすぎるんでまぁ一日一錠にしようかと。で、まぁマルチビタミン系とか買ってたらっつーかあとまぁ他にもブレインサポート系のコンプレックス系のを飲んでるんだけど、合計が100ドル近くなっちゃったね。いや、でももうしばらくは持つからね、月で換算するとたいしたことないんだけど、色々と一気に切れたりするといきなり出費がかさむってことね。


で、オマケと言ってはなんだけどまぁゲームまた買ったんだけど、他のっつーか本業に比べたらやっぱ控えめだよね。30ドルちょいで三本。一つはblackっつー戦争っつーか対テロものでまぁアメリカ万歳系なんだけど、もっと酷かったのがGunっつーウェスタンのゲームで、ネイティヴアメリカンが最悪な扱いになってて唖然としたんだけど、実際、ネイティヴアメリカンの団体から講義があったらしいんだよね。オープニングのシーンでもうポリティカルコレクトネスがゼロだったりするとやる気が無くなるよね。Blackはまぁ戦争ものでまぁCSみたいなもんなんだけど、やっぱ俺戦争嫌いだわ。FPSやりたい!と思うとバカなアメリカだとまぁ戦争ものばっかになるんだけど、激しそうなのを選んでみたんだけど、まぁ出来はいいんだけどやっぱ戦争嫌い過ぎてダメだな。FPSはギャングものとかファンタジーものに限るね。リアルなやつはダメだな。


あともう一個は今更?って感じだけどヒットマンのブラッディーマネーね。これだけまぁ恐らくヒットマンで唯一やってなくて他では全部コンプリートしてる俺としてはまぁやっておきたいっつーかさ、ずーっとまぁやらないでいたけどまぁやろうかなと。コンプリートってクリアって意味じゃなくて、一回も気づかれないでクリアするとサイレントアサシンだかさ、なんかまぁ称号もらえるんだけど、確か全ステージ完璧にやり切ってたんだよね。まぁ二年前ぐらいだけどね。ヒットマンのコントラクトだかをPCでやってたときにロシアの面だったと思うんだけど、ちょうど年明けっつーかこっちの時間でまさしくカウントダウンって時にこれやってて、んで明けたすぐ後にたまたまだったんだけどまぁ用事があって両親とスカイプで話したんだけど、なんつーかヒットマンっつーとそれのイメージが強いな。年明け両親っていうイメージが。いやーそれにしてもアストリアだけどよくもまぁ我慢して住んでたよなって思うね。今はまぁ駅から遠いし学校まで家からの正味の時間を換算すると一時間半ぐらいかかるんだけど、んでもまぁ我慢できるっつーかルームメイトいないって最高ね。今は最高!って気分じゃなくてこれが当たり前になってるけど、本当にルームメイトってありえないね。本当に。それはルームメイトが悪いっつーよりかはもう誰かと住むというのがありえないってことね。


あれだ、Blackが14ドルでGunが8ドルでヒットマンが10ドルぐらいね。ゲームにはもう前の零みたいな感じの単位のお金は出せませんね。20ドル以下のものなら許すって感じだね。なんでそんなさ、俺の帳簿じゃないけどさ、出費の内容をここまでこと細かに書かなきゃいけないの?って話だけど、そこはまぁウォール伝だけにね、まぁ書くよね。ウォールデン読んだこと無い人にはさっぱりなんのこっちゃだろうけど。


あ、んで改めて出費だけど、んで野菜ジュースとかまた最近リバイバルしている缶スープとかあと唯一の嗜好品であるツナ缶を買いだめしたら45ドルぐらいでさ、もう本当に一ヶ月分の食費しか見事に残らない感じだよね。残りは。まぁ二万ぐらい使えてるからいいんだけどね。一時期のっつーかまぁ過去で言うレコードとかCD代の出費が今はまさしくそのまま本になってる感じだよね。昔、ある友達に俺のエンゲル係数で言えばレコードが大半を占めてるんじゃないか?みたいなことを指摘されたことがあるんだけど、今はそれが本ですね。マジで。一時期よりだいぶ本の出費は減ったっつーか前に書いたように買うようなやつは大体買っちゃったから買うのがあんまり無くなったっつーのはあったっつーところで数学が来たからまた一気にドカーンと色々と来てる感じだよね。まぁただ哲学とか社会科学系と比べれば明らかに出版数が少ないっつーかさ、そんなに多くはないからまぁ必要なやつとか、割とまぁ趣味的な数学のエッセイとかもそんなに多くないからすぐに制覇できそうだけどね。


でもなんつーか俺って高校数学を全くやってないってことでさ、まずは高校数学からやらないとダメな感じなんだけどさ、かといって受験生みたいな勉強の仕方はできないから哲学のときと同じくっつーか今まで通りまぁとりあえずそれがどんなに高度なものであれ読みたいやつから読めばいいんじゃない?って感じだよね。理論を分かって読むっつーよりかはまぁ読みながらなんとなく理解するのが一番いいね。公式どうのっつーよりかはもうイメージでとらえるのが一番いいなっつーのは完全にもう掴んだからね。この感覚で数学を理解しちゃう感じ?こういうのが無かったっつーかさ、俺にこんな能力があったとはっつーかまぁ理解の仕方が哲学とかと一緒でイメージ的なんだけどさ、でも数学ってそんなの無理って気がするじゃん?でもさ、色々とまぁ今日買ってきた本とか読んでみるとさ、微分積分だとか関数だとかさ、幾何学とかさ、興味無いとか思ってたけど、これもかなりイメージで理解しやすいものだよねっつーかまぁ図形系だから当たり前なんだけどさ、いや、でもロジックでもイメージで理解できるっつーかロジック系のほうがイメージで理解しやすいって思ってたんだけど、図形系なんでマジでもっとイメージで掴みやすいじゃん!って思ったね。


公式の理解とかさ、数学の教科書的な理解をしようとするからいつまで経っても数学がつまらないし分からないわけでさ、イメージで捉えちゃえばこれほど良いものはないね。いや、まだどのくらいこのイメージ学習法が通用するのか分からないけどさ、でもなんか完全にイケるな!っていう手応えがあったね。今回の色々な本の収穫でね。


まぁいいや。また長くなるとアレだから以下は一昨日の続きね。


やっぱ結局なんつーかニヒリズムに打ち勝つにはさ、生活できる金と自由が必要なんだよね。さっき書いた隠居してるハリウッド俳優っつーのがある意味で考えられる現世においての幸せを体現してる人達だけどまぁ本のごくわずかだよね。あ、んでニヒリズムに打ち勝つにはそれが必要って言っても必ずしもそうではなくてっつーのがまぁさっき書いた今の俺ね。山奥の豪邸で暮らしてはいないけど自由の多さで言えば全然幸せであってもいい俺が実存的葛藤を抱えてるってさ、これって将来への不安とかもあると思うけど、やっぱそれ以外に一番大きいのって日常の虚しさだよね。そりゃ日本にいるよりかはいいんだけどさ、それにしてもまぁいつも書くようだけど、こっちの生活も慣れるとまぁこっちのただの日常になるじゃん?色々と大変ではあるけど、そういう要素も全ては日常に還元されるじゃん?で、まぁついてくるのは虚しさだよね。今は例えば学校で単位と取るとか、知識を得るとか英語力を磨くってことで満足感を得てるけどさ、なんでそれが必要か?ってまぁ今のところで言えばやっぱ将来のためじゃん?俺がこっちでやっていけるぐらいの英語力とか通用するぐらいの知識とか技能を身につけるってやっぱ由々しき事でしょ?


で、そのんじゃあやっていくものって何なの?っていうとまぁ言わずもがな俺の場合学問ぐらいしか無いと思うんだけど、そういうことでまぁ今日の最初に書いたニヒリズムの話になるんだけどね、結局、まぁ哲学も政治学もオナニーで終わるっつーかさ、元々アクセプタンスとかさ、そういうのを求めてるわけじゃないんだけどなんつーか結局まぁ現実から乖離してるっつーかまぁそれで食えれば文句は無いんだけど、それ自体の意味ってのを問うと凄く難しくなるよね。それこそメタ哲学みたいな話になるじゃん?フィロソファイズすることってつまりはどういうこと?みたいなことね。ここでまぁそんなの必要ねぇー!っていう人の意見も分かるって書いたのが、俺が天文学とかに感じてるような意味の無さってのを哲学とかに感じる人は多いわけでさ、で、まぁ俺はある意味でそんなニヒリズムの極地で究極的なそれ自体で完結してるものとしての数学というものに興味を得たわけだけどさ、まぁ哲学の延長だけどね、でもさ、最初に書いたように結局、ゲーデルとかにしてもさ、不完全性定理だっけ?ああいうのってまぁ現実とは全然関係ないもんね。


今の数学の授業もそうだけど、集合論にしてもロジックにしても全然現実と関係ないっつーかさ、関係なくはないけど、別にあってもなくてもいいって意味でまぁ哲学的な意味の無さってのがあるどころかさ、哲学の場合、それ自体でそれに意味があって本人が理解して納得する感じだけど、数学の場合、ただ事実を知るということに終始するよね。既存のシステムなり新しいシステムなりパターンなんかの発見っつーかさ、そこをまぁね、数学を未知のものに対する発見とするのかさ、人工的な制度としてのシステムとするのかはまぁ本人次第だけど、なんつーか「凄いねー!パターンがあるんだね!」で終わるって意味でまぁこれも哲学とマジで変わらないなっつーかさ、まぁ全部が全部そうだとは言わないし、それは政治学然り哲学然りだけど、なんつーが俺が興味を持つのって大抵が浮世離れしていて思考的で抽象的なものばかりでさ、「で?」と言われるとどうしようもなくなるのが多いんだよね。それでも例えばまぁ哲学研究というと大げさだけど、まぁ読もうと思ってるんだけど読んでないやつとかを読むってことは続けるけどさ、数学において俺が興味ある分野ってすんげー限られてるんだなとも思ったよね。


っつーのはさ、今日ね、そんな虚しさを感じて数学の全貌を明らかにするために本屋に行って手当たり次第数学の本を立ち読みしてきたんだけどさ、数学と言えどことごとく興味が無いところが多過ぎて絶望的になったね。所謂、俺が興味あるのってロジックとかさ、純粋な数学理論みたいなのばっかで、例えば幾何学とかさ、まぁ幾何学とかも数学理論になるんだろうけど、図形が出てくるやつとかさ、長さを測るだとかっていう算術系とかさ、まぁ数学理論を研究するために必要な基礎ってのが徹底的につまらないんだよね。まぁそれは今まで俺が感じていた数学のつまらなさそのものでさ、ようは俺にとっての数学の考え方が変わったって、例えば集合論とかロジックとかをかじったからそう思ったっつーか数学でも面白い分野があったんだ!ってことだけでさ、まぁあとゲーム理論とかもまぁ面白いとは思うけど、あとはまぁトポロジーとかね、かといってこれらってまたことごとく観念的で意味ないのばっかだよね。ゲーム理論集合論とかまぁビジネスとか政治とかにも使えるだろうけど、まぁ別に利用価値があるかないかでやるつもりはないんだけどさ、なんつーか無駄につまらないことが多すぎだなとは思ったよね。


今は数学に燃え始めてるから今までつまらないと思っていたことも面白くなるだろうとかって思ってたら全然そんなことなかったね。速さがどうのとかさ、質量がどうのとかマジでどうでもいいんだよね。まぁ俺もね、哲学読み始めのころはさ、刺激的なポストモダンとかさ、政治学にしても左翼系とかアナーキズムとかさ、派手なのばっか読んでて、んで最終的にまぁプラトンとかさ、シュトラウスとかホッブズとかシュミットとかに落ち着いたっつーかまぁ政治的にはすげー保守じゃん!って話だけどさ、そういう意味でまぁ読みはじめのころはホッブズにしてもさ、特に授業でやったプラトンにしてもすんげーつまらなく感じたからね。どうでもいいおっさんの立ち話を永遠と聞かされてるようでさ、アリストテレスにしても本当につまらないと思ったよね。カントとかヘーゲルとかハイデガーに至っては全く眼中に無かったね。今はモロにあるんだけど。そんな中でまぁ知識欲に身を任せてると色々とまぁディグるようになって自然と色々と身に付いたんだけど、果たして数学にそれがあるのか?っつーとかなり疑問に思えてきたっつーのはあるかな。面白そう!って思うところも多い一面でクソみたいにつまらなさそうなところっつーか特に基礎とかはそんなのばっかでだからすげーつまらない感じが全体を覆い尽くす感じってのはあるよね。あとはやっぱり数学の「で?」って感じは哲学以上のものがあるよね。まぁ日常の思考とかに数学的思考が影響を及ぼす可能性はあるから、まぁ面白くもあるんだけど、でもまぁ役に立たないのばっかっつーかさ、「それ知ってどうするの?」っつーのが圧倒的に多くてまぁ圧倒されたね。2時間ぐらい色々と立ち読みしてたけどさ、凄まじく虚しい分野だなとは思ったね。それこそやる側が価値観を見いださないとまさしく究極の無の世界だなっていう。


そこにあるのは哲学とかと違って数学的事実だったりするけどさ、でもやっぱ「で?」っていう感じは変わらないよね。でも哲学とかも少なくとも読む側はさ、ものによってはまぁそこに真実なり事実を見たりするわけじゃん?だからまぁ意味論的なものが主体に形成されやすくなるとは思うけど、そういう意味でまぁ数学って哲学以上の変態趣味的なフェティシズムがあるなって思ったね。パターンフェチとか記号フェチとか定理フェチとか解きのアートみたいな偏った価値観とかさ、あとはまぁ数的なものに関する美的感覚とかね、そういうのが凄まじいね。でも今のところ俺が興味あるのってゲーデルかさ、あとはまぁ記号によって何かを表すものとかさ、逆を言えば別に数学なんて勉強しなくても文章で書けば書けるみたいなことを記号でやるみたいな世界で結局は哲学を記号でやりたいだけなのか?俺は!とかって思ったりもしたよね。記号とか数式っていう概念が目新しいもんで飛びついただけで、結局は数学的な言語で哲学をやろうとしてるだけなんじゃん!って意味でまぁなんつーかそれは数学というよりかは本当に哲学に近い感じだよね。


なんだろうな?社会的なものとか政治的なものってさ、イデオロギー関係無くまぁ名前とか出てきたら調べたりしてさ、そこまで関心が無くても読めるっつーかさ、ようは社会学でも特定の分野に興味があるんだけど、社会学と呼ばれているコロラリーに入っているものであればちょっとはやっぱり興味が無いものに比べたら興味があるものってやっぱ多いわけだよね。政治学然り哲学然りね。ただ数学の場合、自分の興味の外のものになるともう異物というかさ、全く妙味が無さ過ぎて困っちゃうぐらい興味が無くて困っちゃうっつーのかな?でも数学的なものをやる上で必要な基礎とかがあってさ、それを避けたらできないみたいなさ、そういうのが多過ぎる気がしたね。いやね、哲学なら学科でやってもハズレは無しなんだよ。特定の哲学者についてやらなくても哲学全般のことなら興味があるっつーか関心があるんでできるけどさ、でもまぁ哲学は言わずもがなだけど、学科としてやってもしょうがないじゃん?全体に比べればそりゃ圧倒的に少ないにしてもまぁ既存の知識もあるしさ、ましてや誰が好きで誰の本が読みたいとかってもう興味の分野が完全にしぼられてるような段階でundergraduateの哲学やるって相当微妙でしょ?まぁそれはそれで知らないこともいっぱいだから得られるものは多いんだろうけど、それにしたってまぁどの道、学科でやっても意味無いっつーのはあるわけでさ、だからまぁ選択肢には無いよね。


本当はやりたいんだけど卒業後どうにもならない率が高くなるんでやめたほうがいいっていうまぁリアルな話だよね。政治学の場合、俺がやりたい政治理論とかばっかやってるわけにもいかないだろうってことでさ、まぁ政治哲学史とかでもいいんだけど、これってようは哲学と政治学がクロスしているところをやろうとしてたんだよね。俺は。哲学よりかは卒業した後もマシで、んでなおかつ哲学的なものをキープしたまま割とプラクティカルなことができるっていうさ、分からないけど恐らく学位も哲学よりかはまだマシっていうさ、そういうリアルな理由で選んだけど、なんつーかまぁ結局、もう俺の中で答えが出てるじゃん?結局なんでも「エリート統治」に繋がるだろうなって分かるもんね。これもある意味で哲学と一緒で自分の中で答えっつーか考えとかがもう完全に形成されていてなおかつ研究を続けたい特定の思想家とかがもう自分でも分かってる状態なんであえて学科でやる必要も無いっていうさ、あとある程度読んでみて現代思想寄りな政治哲学とかにうんざりしたっつーのもあって、なんつーかまぁ結構だいぶ前に書いたことだけど、必要ないものってのが分かってくるんだよね。言い方を変えれば読むべきものが分かってくるんで教師がいらなくなるわけ。


もう自分の中に膨大な読まなきゃいけないリストっていうある種のreading assignmentsみたいなのがあってさ、逆に変な宿題とか出されることで自分の読書がはかどらなくなるとそれが無駄にもなるわけでさ、教師に期待できることは少ないってことが分かった以上さ、まぁ逆を言えば今まで何を期待してたんだ?って話だけどさ、前にも書いたけど、ハーバードなりプリンストン大学の教授とかのレクチャーのmp3とかポッドキャストとか本とかがいくらでも手に入る今みたいな状態でさ、誰でも入れるような普通の大学の哲学とか政治学の授業に何を求められる?ってことなわけじゃん?いつも書く事だけど、結局、学科でやることってすでに書かれていることをやるだけでさ、大学のレベルの違いはあれど、例えばプラトンやるのにプラトン以上のものが大学から出てくるってことはないじゃん?あくまでやるのはプラトンだからさ、そのレクチャーがヘタクソで役に立たないのがまぁ普通とかレベルの低い大学のレクチャーなのだとすれば、まぁ俺が持ってたりyoutubeとかでも見れるような有名大学の教授とかのレクチャーだとさ、まぁ当然レクチャーが上手いしさ、これ以上のものは望めないなって感じのものがあるじゃん?まぁ大学名を見てだから凄いと言うわけではないんだけどさ、少なくとも俺がやりたいというか研究したいサブジェクトにおいてはもうその筋の研究者の文献とかレクチャーとか解説本とかが手に入るしさ、手元にあったりするし、ようはもうこれ以上のものって無いじゃん?入り口はもうとっくに過ぎたからあとはそれこそ大学院生とかと一緒で自分でやるだけでしょ?だから政治学も哲学も俺の関心があるものに関しては教師いらずなんだよねって繰り返しになるけど。


で、右も左も分からないのが数学なんであってさ、んでその必要性とか大学でやることにおいての効率の良さについては前に書いた通りだけど、でもなんつーかまぁ大半が興味ないのばっかだなっていう感じではあるんだよね。いやね、最小限の基礎だけやればあとはやりたい分野の抽象的な数学理論とかをやれますよっていうかさ、まぁ具体的に言うとチャイティンみたいな数学っつーのかな?ただゲーデルにせよチャイティンにせよ数学的知識がゼロな俺にとっては完全に理解するのって無理なんだよね。数学用語とか記号とかが分からないっつー単純な理由があるんで、そういうのは勉強しなきゃなっつーのはある。あとはまぁカオス理論とか確率論っつーのかな?probabilityね。それは前にも書いたラプラスみたいなああいう感じのやつね。まぁかなり概念的でしょ?まぁある意味でやる前からやりたいことが決まってるっていうのはあるんだけどさ、逆にそれはやる上で都合の良いことかもしれないんだけどさ、でもね、なんつーかそれこそ「数学専攻」みたいな世界でガッツリやるとなると興味が無い分野のものも必要性に応じてかなりやらなきゃいけなくなるかもしれないってことで恐ろしいってのがあるよね。


ってことで多分明日で全部終わると思いまする。


っつーかさ、ハーディーって人の写真が最高過ぎるっつーか生涯に一度は「これだ!」っていう決定的なショットみたいなのは欲しいよね。哲学者とか数学者とか物理学者にしてもなぜか完全の決まりのショットってあるんだよね。本の表紙とかにしても通用するぐらいキマってるショットがあったりする。中にはマグショットレベルの写真しか無い学者とかもいるけどさ、でも大体大物はお決まりの決定的なショットがあるよね。ってことでハーディーの写真貼っておくね。ポーズとか表情とかメガネのズレ具合とか完全に意図的にキメているとしか思えないんだけど、それにしてもあまりにも完璧過ぎるっつーかさ、こういう写真あるといいね。マジで。