女物のサンダルを履くことと抽象度の関係性について。

mimisemi2009-10-10

HardyのA Mathematician's Apologyって本がどうしても読みたくてね、いや、あの外見もさることながら、数学者が晩年になってその能力を失って数学と自分の人生を語り始めるってすげー気になるじゃん?いつも俺そうだけど何かに入る時ってこういうのから入るんだよね。基礎どうのとかじゃなくて気になる哲学者にしても思想家にしても数学者にしても、そういう人が書いた哲学とは?とか数学とは?とか哲学のススメみたいなやつを読むんだよね。まぁそういうのが前に書いた岡潔のエッセイだったりするんだけど、Hardyのこの本もまぁ数学エッセイって感じだけどなんつーかまぁすげースピリッツみたいなのを感じるよね。


時代的なこともあってまぁ時代遅れになってるような部分もあるんだけどでも根底のスピリッツは揺るがないっつーかさ、数学者とか研究者とかは必読みたいなさ、そういう数学の魂みたいなのが込められてる気がしたね。だからまぁ名著と言われるんだろう。思ってたよりすげー短いんだけどさ、Snowって人が書いたハーディー回顧録みたいなのが前半にあって、んで後半がまぁハーディーの本編なんだけど、別に数学に興味が無くても読み物として普通に面白い感じだねっつーかさ、いやね、俺の悪い癖なんだけどさ、週末っつーか学校が終わったっつって明日休みだっつーので学校が終わった時にまだ夕方だったりすると寄り道したくなっちゃうのね。で、大抵が本屋でさ、で、まだ読んでない本が腐るほどあるのになんか買っちゃうのね。これでいつも出費がかさんで他のものが買えなくなったりしちゃうのね。


特に寒くなってくるとさ、冬物とか欲しくなるじゃん?でも本買いすぎで全然手元に金が無いとかでさ、で、カードで買っちゃったりして、んでその分が次の仕送り分から引かれるんで借金が増えていくみたいなさ、ようは手元にお金が残らなくなっちゃうんだよね。でさ、あまりに気になるっつーか異様に気になるっつーかさ、岡潔の本もそうだったけど、なんかすげー呼ばれてるような感じになるのね。とりあえず欲しいとか買っておくかっていう感じじゃなくて、それが激しく俺を呼んでる感じがするっつーの?で、大体そういうのは買った後にすげー感嘆しちゃうっつーかさ、心からそれを読む感じなぐらい味わいながら読めるっつーのかな?偉人が残した魂のエッセンスが凝縮されているっていうものに俺の魂が惹かれてるんだよね。最高だよね。これって。こういうのがあるから俺は生きていけるし自分の頭っつーか感性とかを信じることができる。


音楽でもそうだけど、自分のミックスにしてもそうだけど聞いてるやつが良過ぎるやつばっかなんだよね。センス良いっつーかなんつーか自分で言うのもなんだけどまぁすげー聞くジャンルが幅広いしさ、なんか自分でも改めて凄いなって思っちゃったりするときがあるんだよね。実家に帰っても大量のビデオのダビングとかを見てさ、エロビデオとかじゃなくて映画のね、よくまぁあんだけダビングしたなと思うと同時にもう10代後半ぐらいで主要の映画とかは大体見ちゃってるんだよね。それがすげーなと思って。引き寄せの法則じゃないけどさ、俺がそういうの引き寄せてるっつーかさ、気になるなーっつって気になるものを集めてたらああなるわけでさ、それが凄い蓄積になるんだよね。俺の知的リソースになったり、その時っていう感性が鋭い時に感性的な映画とかを見て心が揺さぶられるとかさ、ようはそれって魂のバイブレーションじゃん?脳科学的に言えばまぁ単純に脳を刺激するってことじゃん?


それを俺は本当に昔からよくやってたし、今でも現役バリバリだなって思えるんだよね。結構いい歳になったけど感性とか知的欲求とかは全然昔と変わってない。実際、今回みたいな良い本に出会うとすげー魂が震えるからね。で、HardyのA Mathematician's Apologyに導かれるように行ったのがユニオンスクエアのBarnes and Nobleなんだけどさ、いや、アマゾンとかで買えば安いんだけど、なんつーかさ、結局こんだけ通販とかがシステマティックになるとさ、ディグの快感って得られなくなるじゃん?もう俺はレコード買ってないしさ、ただレコード買う楽しみって探す楽しみじゃん?で、見つけた時に嬉しくてさ、んでそれを聴くのが嬉しいっつーか聞くまでが楽しみっつーかさ、そういう一連のプロセスだよね。ADD的に言えば狩猟民族的なもんだよね。Hunting and Gatheringね。男ってのは本能的にそういうのを持っているらしいから、だから収集家とかには男が多いらしいんだけどさ、まぁそれはともかく俺はそれをシミュレーションして楽しんでるんだなって思ったんだよね。


アマゾンで安くワンクリックで買えるものをわざわざ行ったことが無い本屋まで行って探すっつーさ、まぁ実際は前日に在庫状況とか調べてさ、んでユニオンスクエアに在庫があったんで、んじゃあそこに行ってみるかって思ったんだけどっつーかまぁ当日は思いつきだったんだけどね、前の天文学のクラスの時と一緒だけど、ファイアアラームが鳴ってさ、んで外に出てくださいみたいな感じになって、んでまた戻ってきても時間が無いってことでクラスが途中で終わったのね。で、前に何を買ったか忘れたけど、それを勝手にさ、気になってるものを手に入れる契機だみたいに捉えてさ、んで本屋に行ってそれを手に入れたりするじゃない?なんでアラームと本が繋がるのかさっぱり分からないかもしれないけど、まぁ俺的には繋がってるんだよね。そればっかり気になってて、んで「じゃあ行ってこい」みたいな感じで早めに授業が終わるってまぁすげーじゃん?凄くないか。


まぁいいや。んでユニオンスクエアなんだけどね、滅多に行かないし、あと行くことを決めてたわけじゃないんで住所とか調べなかったのね。まぁ大体場所の検討はついてたけどさ、んでもユニオンスクエア界隈で電車降りないからさ、ちょっと周辺を歩いたんだけどね、そしたらニュースクールとかがあったり洒落たカフェとかビルディングがあったりしてさ、まぁ本当にマムハッタンのダウンタウンって感じなんだけどね、んでまぁ見事に場所を突き止めたんだけど、なんつーか場所がまさしくそこだったんだよね。俺が大体思ってたっつー場所その通りだったんでなんか嬉しくなるんだよね。これもさ、ストリートビューとかで調べて行けば場所が分かるんだけど、自分で歩いて見つけるっつー楽しみじゃん?古本屋巡りとかレコード屋巡りとかってそういう楽しみがあるじゃん?まぁあれだね、松ちゃんの見聞録みたいなもんだよね。


で、今回はそのHunting and Gatheringの白眉を味わったなって感じだったんだけど、ユニオンスクエアのBarnes and Nobleがすんげーデカくてさ、4フロアあって、なんつーか規模的に八重洲ブックセンターとか新宿のジュンク堂みたいな感じなんだよね。Barnesってメジャーな本屋ってイメージでさ、専門書とか置いてないイメージがあったけどこういうデカイ店行けばあるのね。特に驚いたのが哲学のコーナーね。VersoのRadical Thinkersとかが一色にさ、ずらーーーっと並んでたりして圧巻だったりね、ルートレッジの哲学ガイドとかもすげー揃ってる感じでさ、とにかくまぁ凄かったね。もう興奮しちゃってさ、ずーっとニヤニヤしてたね。もう嬉しくなっちゃって。


なんつーか映画のロケとかに使えそうな店の雰囲気だったね。英国図書館みたいなハリーポッターとかに出てきそうな雰囲気なんだよね。あの広さとか立ち読み自由で結構な人が椅子に座ったりして本を読んでるの見るとすげー知的カルチャーを感じるんだけどさ、まぁ場所柄もあるっつーか特にニューヨークの頭が良さそうな地域のど真ん中にある本屋だからまぁそんな感じなんだろうけどさ、いや、でもBarnes and Nobleって店によって全然雰囲気違うのね。学校の近くにある店はなんつーか駅ビルとかに入ってる本屋みたいな雰囲気でさ、いや、まぁそんな小さくは無いしデカイんだけどね、んでスタバが入ってるんで入った時に独特のコーヒーとかクッキーみたいな洋菓子が混ざったような匂いがしててさ、それと本の匂いが混ざっててすげー独特の匂いになってるんだけど、あれがすげー好きだね。お洒落な匂いっつーかなんつーか。


で、フォレストヒルズのBarnesは地域密着型みたいな感じでさ、学校帰りの学生とかが地べたに寝転んで本を読んでたりね、家族連れとか子供が多かったりしてさ、なんかまぁ街の本屋さんって感じなんだけど、ユニオンスクエアの雰囲気はマジで凄かったな。イメージしかないけど本当になんつーか大学の図書館!みたいな雰囲気っつーの?いや、もっとデカイか。とにかくすげー頭が良さそうな雰囲気だよね。前に書いたように本自体は変わらないからどこで買っても一緒だけどさ、例えばアニエス買うにしても田舎の駅ビルに入ってるアニエスと青山のアニエスで買うアニエスってなんか違う感じがするじゃん?アニエスと言えば成人した時に記念で買ってもらったアニエス一式のジャケットとコートがあるんだけど当時は大人っぽいシックな感じすぎてさっぱり着なかったんだけど今は本当にヘビロテだな。もうそんなの買えないし、実家もそんなの記念に送れるほどじゃなくなっちゃったってのもあってなんつーか没落貴族の残り物みたいな感じですげー重宝してるんだけどね、まぁそれはともかさ、黒ジャケットっていいよね。


黒ジャケットをジーンズとかに合わせて最初にカジュアルに着たのがウォーホールらしいけど、なんつーかあの便利さは半端じゃないよね。すげーコーディネートが楽っつーかさ、何にでも合うんだよね。青系のジーンズでも黒系のジーンズでも何にでも合うっつーのはマジで凄い。あと前にも書いたけど俺がシャツ好きなのって鳩胸が隠れるっつーのもあるけど、まぁオールシーズン着れるじゃん?すげーエコノミカルなんだよね。着回せるっつーのは凄くいい。だから着回せるやつには出費を惜しまないよね。ヘビロテにする分、気に入ったいいやつしか買わないのね。意外とどのブランド見てもそこまで気に入るのって少ないから逆に気に入ったやつは絶対買ったほうがいいんだよね。


あ、話が逸れたけどさ、まぁいいや、んであれだ、すげー買っちゃったんだけどね、買ったのがまぁハーディーのは言わずもがなだけど、The Art of MathematicsっつーDoverから出てるやつなんだけど、Doverってさ、なぜかアナーキズム系とかね、クロポトキンとかさ、硬派な哲学の本がすげー安価で出てるんだけどね、数学系は凄いんだよね。とりあえずDoverの買っておけば間違いないみたいなさ、数学入門みたいなのにしてもモダンな古典みたいなのがあったりしてさ、で、安いしすげーいいんだよね。で、Sterlingとかはさ、大衆向けのベストセラーになりそうな数学のを出しててさ、数秘術とかが混ざったような一般受けするようなネタっぽい本とか出してるんだけど、凄いのがさ、トンデモ本とかオカルト系っていう話で終わらずに一般向けであるのにも関わらず学術的な価値があるんだよね。一般向けでも全然玄人とかでも唸ることができるようなトリビア満載みたいなさ、まぁ俺は玄人じゃないから分からんけどね、で、俺にダイレクトな数学系の出版が充実してるのがAK Petersっつー出版社なんだけどね、それで本出すか!ってぐらいマイナーな数学のトピックを扱ってるんだけど、割と哲学系とかとクロスしてる感じでさ、知的出版物の雛形みたいなのを出してる出版社なんだけどここは本当にお気に入りだね。お!と思う本にAK Petersのが多いわけよ。


読むジャンルが増えると好きな出版社も増えるよね。まぁいいや。あとあれね、ホワイトヘッドのProcess and Realityってやつがさ、難解とされてる本なんだけどまぁありえない長さなんだけどね、読んでみたらかなり俺の脳とシンクロするような感じだったんだよね。難しそうだけど頑張って読んでみるか!って感じじゃなくて、おー!なるほどねぇー!っつーようなシンクロを感じたっつーのかな?いや、こんなに未読の本がたくさんある中でこんな大著を買ってる暇ないんだけどあまりにハマったから買っちゃったね。で、エディターによると元がミスタイプとかね、用語の使い間違えとか句読点の間違いとかが結構著しいらしくて、長年まともなものが無かったらしいんだよ。アメリカとイギリスのエディションでは全然違いがあったりさ、そういうのもあってまぁややこしい本っていうイメージが流布したのかもしれないけど、手元にあるやつはCorrected Editionってやつで78年に最初に出版されたやつらしいんだけど、まぁちゃんと直されててね、読みやすくなってるらしいんだよね。で、読んでみると確かにまぁ分かりやすくはないけど、ラカンとかハイデガーとかカントとかヘーゲルの文体に曝されてきた人なら全然難しいとは感じないレベルっつーかさ、あとまぁ内容に興味があるんだけど読みづらいのにグラムシがあるよね。


こういう連中の本をちょっとでも読んだことがある人なら全然オッケーなレベルどころか俺にとっては分かりやすく感じたね。それはちょうど今みたいに俺が色々経由してプラトンにたどり着きつつ、哲学的なアプローチから数学に入ろうとしている身でホワイトヘッドみたいなプラトニズムと数学の融合っつーかまぁ元々この二者はほとんど同一なんだけど、この思考のフレームワークに俺の今の思考がすげー合ってる感じでね、だからまぁシンクロしたんだと思うよね。で、簡単に読み通せる量じゃないんで時間をかけて読もうと思うからなんつーか早く片付けないと!みたいな感覚もないっつーかさ、ちょっとずつ読んでいくしかないなみたいな感じになれるから逆に文字の多さに圧倒されないのね。長く付き合って行く感じっつーのかな?で、すげー頭の良い人なんだなってのが文から伝わってくる感じだね。ポストモダニスト系の文章が欺瞞的でペダンティックであるのに対して、ハイデガーとかシュトラウスとかホワイトヘッドみたいなのは簡単ではないんだけど文章からその知的水準の高さを垣間みれると同時に、文章に独特の魔力っつーか魅力みたいなのがあるっつーかさ、引き込まれるような感じがあるんだよね。シュトラウスは特にそれが強いけど、ホワイトヘッドもそういう感じがある気がするし、ハイデガーはやっぱりアリストテレスのやつは特に凄いと思うね。まぁまだ読んでないけど。


そういうのを感じるか感じられないか?ってもう感性とか知性の問題じゃん?だから俺はそういうのを感じられる素質があるんでだからいつも自分のことを信じられるし、こういうのがあるから独学でやっていけるって思うんだよね。逆にこういうのがあるから大学っつーのが無駄にしか思えなくなる。あ、あともう一つRemarkableだったのがハーヴェイ・マンスフィールドって人のMachiavelli’s Virtueって本ね。シカゴ大学出版だし、ユニオンスクエアのBarnes and Nobleの膨大な哲学のコーナーにある本でも一際シュトラウス臭さがあるっつーかさ、俺に「お!」って思わせる雰囲気があるタイトルと本の雰囲気でさ、政治哲学系はとりあえず今は数学があるからお休みにしておこうと思ってたんだけど、元々あるものを休みにすることはできないよね。オナニー禁止っつってもセクシーな姉ちゃんが通りがかったらチンポは反応するわけでさ、まぁそれと一緒だよね。で、中身見たら内容が最高っつーか散々まぁ読んだ感はあるけど、一連のマキャベリの著書のイントロダクション的なものがありつつ、コメンタリー的なものとか、あと特に特出すべきはシュトラウスのThoughts on Machiavelliに関するチャプターがあったのね。これはもう買うしかないなって感じでしょ?読みたくてしょうがないんだけど、とりあえずこれは今買わなくても欲しくていてもたってもいられなくなるだろうってことで手元に置いておくって意味でも買っちゃったね。


他にも気になる本がかなりあったけどね、いや、アマゾンとかじゃなくてさ、ああやって物理的にバーっ!とアーカイヴが広がってる感じって凄いよね。ネットは草薙素子的な感覚で「情報は膨大だわ」って抽象的に感じるしかないのに対して、本屋っつーかまぁ図書館は俺は利用しないから分からないけど、ああやって本が膨大にあるっつーのはさ、物理的なレベルでの情報への接触が許されるじゃない?それを手に取って本の表紙から書体からフォントからページ数から一気にチェックするじゃん?あああいう時にやってる脳がアーカイヴを検索する感じってレコードをディグってるときと似たような感じがあるね。お!って手に取ってジャケ調べて録音時期とかさ、パーソネルとか楽器とか編成見て中身を想像するじゃん?本は物理的に中身をチェックできるけど、んでもまぁ大体サーチするって意味でジャケと裏ジャケチェックぐらいのスキャンな感じだよね。で、スキャンしてる時っつーかディグりつつ気になるのがあったらスキャンする時に感じるあの高揚感っつーかさ、アドレナリン出まくりの感じがすげー好きなんだよね。


多分まぁ相当客観的に見れば異常でさ、多分行きつけの本屋とかだったら店員とかは俺のこと覚えてると思うぐらいまぁ異様だとは思うんだけどね、でもまぁこういうオブセッションを感じてる時ってもはや感じてるっつーよりかは本当に文字通り何かに取り憑かれてる感じだよね。レコードが好きならミューズみたいな属性のペルソナが俺に憑いてるとかさ、本とかの場合も学問の神とか知の神みたいな属性のペルソナが俺に憑いてるんじゃないか?って思うぐらいまぁ凄いオブセッションになるよね。そういう感じで本が溜まっていくんで、どんだけずーっと本を読んでても読み終わることが無いんだよね。読む本が無いんで何か買いに行こうってなったことはもう少なくともこっちに来てからは一切無いよね。こんな生活続けてるから寡黙になるのはある意味で当然かもしれないし、人付き合いなんていう抽象度が低いものはどうでもよくなっちゃうっつーのはまぁ必然的にあるかもしれないよね。逆を言えば高い抽象度が保てるからこそさっきのホワイトヘッドみたいな本に俺が反応できるっつーのがあるよね。


岡潔も晩年になって講演とか講義でスケジュールが忙しくなった時にね、全然数学の研究が最近できてないってことでね、数学研究に戻るのも時間がかかるだろうって言ってるんだけど、これってのは本当に抽象度のあり方をよく表してると思うよね。井上日召にしても、三徳庵での修行の時期なんて凄まじい抽象度なんだよね。あそこまでのレベルになるから神通力みたいなのが身に付いたり霊的体験をしたりするんだろう。ようは修行僧が修行によってやることってようは抽象度を高めることじゃん?いや、まぁ修行によるんだろうけどさ、岡潔も身なりかまわない感じで木の枝とかで地面に数式を書いたりして思索に没頭するっつーのもさ、んでそれを子供たちがからかってやいのやいのと取り囲んだりするっつーのもさ、日召のそれとそっくりだよね。日召も三徳庵の修行時代には身なりかまわず乞食みたいな見た目になってたんで気違いがそこに住んでるとかって子供たちの間で有名になったらしいけど、この現世と繋がってない感じっつーかさ、抽象度が高過ぎるが故の厭世的な現世での自身の表れっつーのかな?ようは観念の世界に住んでるんで見た目とかかまわなくなるんだよね。で、近所から気違いだの乞食だのと言われる。この狂人的な厭世観って抽象度を保つ上で凄く重要だよね。


レベルの差はあれど俺も特に地下室では同じような感じになるんで、だから例えば隣の人とたまにキッチンとかでバッタリ遭遇してもすげー無愛想になったりしてるからね。失礼なぐらい驚いちゃったりさ、失礼なぐらい無視してる感じってのがすげー良くないなと思いつつも、でもこれはもうしょうがないんだよね。こういう日々を送るからにはもうしょうがないっつーかさ、あと自分でもすげーなと思うのがね、キッチンとかに行くときはサンダル履いて行くんだけど、いつも使ってたサンダルがダメになっちゃってさ、鼻緒っつーのかな?取れちゃったのね。で、サンダルが無いっつーんでさ、元々ここの家に置いてあった備品としての新品の女物のサンダルみたいなのがあってね、それはまぁずーっと当然ただ放置してるだけだったんだけど、今はそれ使ってるのね。で、基本的にトランクス一丁なんですげー見た目が気持ち悪いんだよね。


上はなぜか長袖なのにしたはトランクス一丁でサンダルは女物なのね。で、それがまぁコンビニ行く程度ならバレないかっていうぐらいのユニセックスなレベルじゃなくて、完全にトランスベタイト臭がするぐらいのなんつーか娼婦とかが履いてそうなサンダルでさ、すげー気持ち悪いのね。でも思えば向かいの人とも大家さんとかとも会う可能性があるキッチンでパンツ一丁ってかなりアウトだよね。でもさ、抽象度が上がると食べ物とかの味も気にしなくなるわけだけどさ、見た目もマジで気にしなくなるね。ただまぁ外に出るときは別だけどね。ただ家の中ではマジで何も気にしないっつーかさ、だから無愛想になるし部屋は散らかしっぱなしになるし、洗濯物も溜まる一方でさ、すげーダメになるのね。ただその一方で抽象度が一番高いのって家に籠ってる時なんだよね。逆にこういう時の意志のレベルじゃないとシュトラウスとかホワイトヘッドとかハイデガーぐらいのレベルの本は読めないよね。


シュトラウスに関しては本当に一時期没頭しすぎて他のことがマジでどうでもよくなってたからな。宿題とか本当に全然やらずにさ、授業中もずーっとそればっかり気になってるっつーかさ、ああいう時の意志が書物に向かうレベルっつーか強さって凄まじいよね。ああいう時にOn Tyrannyっつーシュトラウスのマスターピースを読んでたんでまぁそりゃ凄かったね。文学青年が多感な時に読んだ文学作品みたいなさ、書いてあることは変わらないんだけど、読んだ時期とか年齢とかがすげー関係あるっつーか、そういうのによって深くなるってあるじゃん?そんなことを考えつつ英語のクラスの女の子のサンダルが目に入ったら俺とまさしく同じようなやつで驚いたね。っていうか俺と同じようなのを女の子が履いてるってのがおかしいよね。それは女の子がおかしいんじゃなくて俺がおかしいんだよね。「あ、俺のやつと一緒だ!」ってそのサンダルに対して思う俺って凄くない?もはや客観性とかがどうでもよくなってる良い証拠だよね。だから自殺とかも怖くなくなるんだろう。ようは身体的なものとかっていうそういうレベルのものが全部どうでも良くなるんだよね。


まぁプラクティカルなレベルでそりゃー衣食住って意味で付き合っていかないといけないんだけど、本質はイデアにあるんでさ、逆を言えばイデアに住めなくなった俺ってもう存在価値がないんだよね。だからなんつーか俺って改めて思ったのがさ、日召で言うところの三徳庵での生活ってのを永遠と送りたいんだなっていうね、岡潔で言えば山に行って思索に耽るみたいなさ、そういうのを永遠と続けたいだけなんだよね。ただ今は脛かじりだから独立してそれをやれないか?っていう模索だよね。アカデミアとかで活躍するとかってのがマジでどうでもいいんで、だから良い意味でどんどん本流から外れていくんだろう。学校のグレードとかどうでもよくなるとかさ、一般的に言われているようなその学問をやる上で必要な基礎とかがどうでもよくなるっつーかさ、自分の興味にしか興味が無くなるんだよね。


まぁその結果がそのサンダルを履くということなわけですよ。女装趣味なんて無いのにも関わらずそのサンダルでオッケーになっちゃう。それは大家さんにも大家さんのお母さんにも隣の人にも目撃されてるし「なんだそりゃ!」ってまぁトランクス一丁だけでも十分異様なのにそこに女物のサンダルときたもんだから凄いよね。でも俺的にはそこまで他人を気にしなくなってるっつーのがすげー良いなとは思うね。厭世的にはなるけど、そもそもこれもまぁ他人には一切期待しないっつー結果の表れでもあるよね。まぁ閉じてるわけじゃないんだが、まぁ基本的にどうでもいいっていうね、かといって世界系みたいな世界観になるわけじゃなくて社会とか政治のレベルではすげー気にしてるんだけど、個人間のレベルではどうでもいいっていうね、自分としてはこのおかげで気分が楽になったっつーのはあるよね。他人を気にしなくなるっつーのは俺みたいなやつには健全な精神をもたらすよね。あとまぁ他人との関係ってレベルだとつくづく狙ったかのように俺の人間不信を煽るような人物が出てきたりするんでさ、もう無理だなって気はするよね。


こういう生活を続けて行くと浮世離れしていくわけだけど、別に抽象世界に生きることが何も悪いことではないからね。むしろ学問的には極めれば王者じゃん?ただ極められないとただの狂人か変人なんだけどさ、極めれば凄いものになるっつーのは分かるしね、そもそも抽象度が低いレベルでの生活なんてやる気は無いんだから、まぁこれを極めていけばいいことだよね。数学を勉強してきたやつは抽象世界にどっぷり浸かったやつらなので就活は良いリハビリになるでしょうみたいなことを言ってるのがネットであったんだけど、俺に言わせればふざけんな!だよね。なんで基準が社会なのか?って話じゃん?なんでそこにみんながこぞって合わせなきゃいけないの?っていうさ、合わせるのがデフォルトって最悪だよね。で、俺が一番嫌なのはね、抽象世界で生きていけるほどの地頭とか才能が無かったんで、妥協するしかなくて抽象世界に生きることを断念するみたいなあり方ね。それでやっていけるほどのものではないんで抽象度が低い世界で結局はやっていくしかないみたいなのってさ、F1レーサー崩れみたいなもんじゃん?F1ビザだけにF1崩れみたいな感じでバイトを続けるとかさ、そんなの真っ平ゴメンだよね。だったら女物のサンダルを履きながら外に出るほうがまだマシだよね。で、他の女の子のサンダルを見て「俺とお揃いだ!」って思えればお墨付きの抽象世界の住人の一人ってことになるわけで、抽象度が低いレベルの生活を続けるよりかはそのほうがいいのね。


ってことで今日はこの辺で。


PS


イメージ用に似たようなサンダルの画像を貼ろうと思ったんだけど無かったのでなんつーかまぁイメージ用に言うとだね、サンダルの先の部分だけが編み目になってるっつーか部分ストッキングっつーか先端網タイツみたいになってるサンダルね。こうやって改めて書いてみると気持ち悪さが実感できるっつーか、早く新しいサンダルを買って来ようって思ったね。そうでもしないとこのサンダルに安住してしまいそうで怖いな。