フルCGのポルノ映画を見てみたい。

mimisemi2009-10-13

アブノーマルサイコロジーのクラスなんだけどさ、週末なんでね、地下鉄がすんげーイレギュラーになるのよ。いきなり34ストで止まったと思ったらここが終着駅なんで乗り換えてくださいとかさ、淫乱女子高生よりもダイヤが乱れてるわけだけどさ、週末っつーか日曜のこのクラスの先生がフロイディアンのおばあちゃんなんだけどね、なぜか俺の名前をよく覚えててくれてさ、「あら、Mr.今子。また遅刻したのね」なんていつも笑顔で接してくれるんだけど何気にこの人、遅刻にすんげー厳しくて、あんまり遅刻しすぎる人は無条件にFailにするらしく、まぁ俺にはそんなこと言わなかったっつーか気に入ってもらってるのかなんなのか分からないけど、でもまぁあれなんだよね、オールドタイプの人っつーかさ、まぁふつー遅刻ってのはダメじゃん?で、この人の場合、厳禁なのね。ただ俺がいつも思うのはさ、遅刻とか出席とかってグレードと関係無いじゃん?その人がそこで何を学んだか?っつーことによってグレードが決まるわけで他のファクターが介在しすぎるとそれって何なの?って話になるよねっつーのがまぁいつも書いてるディシプリンとしての学校ってことなんだけどね。


ちゃんと学校に来る、遅刻しない、宿題はちゃんとやってくるみたいな諸要素を満たすことでオッケーみたいなさ、まぁそれがいつも書いてる奴隷育成所ってことなんだけど、まぁいいや。普段はまぁ家から学校までの正味の時間で一時間半ぐらいで行けるんだけど、週末は特に女子高生が淫乱だと二時間ちょいかかるんだよね。恐るべし!特にこないだっつーか昨日は二時間以上かかったんですんげー読書がはかどったね。で、なぜか帰りは全然女子高生が乱れないんだよね。ちゃんとコンドーム付けたりとかインフェクション系に気をつけてる感じで。


で、まぁフロイト繋がりでまぁ穴をトンネルとして電車をちんちんとするみたいなさ、シンボルってあるじゃん?先生がフロイト派だからやたらってわけではないんだけど、何かにつけてはアンコンシャスだのさ、シンボルがどうのだのって言うんだけど、前にも書いたように俺はフロイトとかラカンにしても哲学としては好きっつーか精神解釈学としては大好きなんだけど、所謂、サイコロジーとしては本当にクズだと思ってるのね。ようは俺みたいにシビアに長年そういうのと付き合ってきてる人から言えばふざけんな!って話だよね。抑圧だのファルスだのってそんなの関係無いじゃん?もっと先天的な機能障害とかさ、社会的なストレスっつーかまぁ社会的な諸要素+脳機能障害みたいな感じでまぁ複合的じゃん?そこをアンコンシャスだのなんだのって言われるとちょームカつくよね。そんな呑気なことじゃねーっつの!みたいなさ、ましてやエディプスコンプレックスとかを真面目に語ってたりするのを見るとバカバカしくなってきちゃってさ、ましてやこういう理論を振りかざしてる人が精神分析家とか言って高い金取ってるとかって思うとちょーイライラするんだよね。


先生は良い先生なんだけど、サイコロジーっつーかフロイトセオリーのダメさ加減にイライラして、その怒りが先生に向いちゃうんだよね。「何言ってるんだ!このババア!」とかってたまにマジでキレそうになることがある。まぁこれが俺の問題でもあるよね。ただのクラスなんだから流せばいいのにシリアスに捉えちゃって、んでその論点のダメさ加減とかさ、壊れやすさみたいなのが目についちゃうとムカつくっつーかさ、それがまぁ俺が学校で哲学とか政治学とかをやる上での難点でもあるかな?ってのは前にも書いたよね。ようは先生が馬鹿みたいなことを言ってたり、すんげー雑な哲学の解釈とかしてたりすると先生に歯向かっちゃうっつーかさ、反抗的になっちゃうじゃん?そういう講義を聞いてるのがイライラするっつーかまぁ本とかでもそうじゃん?しょーもない本とかってすげーイライラするよね。トンデモ本のレベルなら楽しめるけど、例えばでもそれを講義とかでさ、トンデモ理論みたいなのを永遠と聞かされるのって苦痛じゃん?まぁ学校で教えてる先生がトンデモ理論を展開するとは思えないんだけど、少なくとも俺にとってはそんなに差はないよね。ツッコミどころ満載の解釈とトンデモ理論ってどっちもイライラするっつーかまぁ苦痛なもんだよね。聞きたくないっつーかなんつーか。


昔ならまだしもいまだにフロイトのセオリーとかを真面目に信じてる人とかマジでカルト教団とかとマジで変わらないと思うね。カルト教団の教義を見れば穴だらけでさ、ばっかばかしいって思えるんだけど、んでもそれを信者は信じてるみたいなね、そういう世界だよね。まぁ文句ばっかり書いててもしょうがないんだけどさ、蛇がペニスを象徴してるから、だから人々は蛇を怖がるみたいなアホみたいなセオリーあるじゃん?で、授業中にウケ狙いで「んじゃあホットドッグ恐怖症とかってあるんですか?」って聞こうと思ったんだけどかなり真面目に話を聞いてる人が多いんでやめたんだけどね、でもまぁ休み時間に先生に聞いたっつーかフロイディアンの回答が聞きたかったって意味で聞いたんだけど答えがね、ホットドッグを怖がるってのは非合理的で蛇なら合理的でその恐怖が正当化されるからってことらしいよ。そもそもチンポが怖いっつー意味が分からないんだけどさ、いやね、男性恐怖症がある人はそういうファルスのシンボルを怖がるみたいな話もあるじゃん?でも男性っつってチンポを即座に浮かべる人ってどれだけいるのかな?女って聞くとマンコをすぐ想像するって相当変態っつーかアウトな脳の持ち主だよね?そういうセオリーが一般化されてるのが本当にバカバカしいと思うね。許せないのはああいうのが学問として成り立っていて精神分析とかいって法外な金を取ってるってことね。「いやーそれはきっとエディプスコンプレックスでしょー。お薬を出しておきます」ってマジで舐めんなよ!って話だよね。


なんでも抑圧だの無意識だのシンボルだので解決できるなら苦労しないよね。アメリカではフロイトのセオリーがかなりメジャーらしいけどそれだけバカが多いってことだな。こんなのを真面目に信じてるやつの気がしれないよ。フロイトも思えば可哀想だよな。フロイトは心理とか精神を扱ってる哲学者としてなら凄くいいと思うんだけど、こんな感じで学派とかができてさ、んでそれが派閥とかヒエラルキーみたいなのを形成するまでになってるっつーのが本当に皮肉だと思うね。本屋にあるだけなら人畜無害だからいいんだけど、それが社会的な影響っつーかさ、カウンセリングとかにまで適用されてるとかって本当にバカバカしいよね。それはなんつーかさ、実存的な葛藤をニーチェで解消するようなもんだよね。いや、個人的にはそれでいいんだけど、金を取ったりさ、セラピーと称してニーチェの思想をベースにセラピーなんかするなよ!って話じゃん?個人が自分のためにやる分には勝手に本読んでやってくださいってことでいいんだけどって意味でさっき人畜無害って書いたんだけどさ、セラピーとか精神分析とかさ、なんつーかカウンセリングとかね、そういうのになるのはおかしいってことだよね。


科学でも数学でも生物学でもいいんだけど、まぁさすがが21世紀って感じでさ、まぁ文句のつけようがないじゃない?その原理っつーかなんつーかさ、まぁ合ってるじゃん?基本的に。恐らくはね。でも精神分析ってすげー中世臭いっつーのかな?やたら古めかしいさ、中世ぐらいに流行ってたような心理療法とかが今でも適用されてるみたいな時代遅れな感じがあるよね。時代遅れっつーかそれをあたかも科学のように扱ってるっつーかさ、正当性があるものとして扱われてるっつーのが例えば他の進んでる学問とかと比べるとね、それが中世なら分かるけど21世紀に性器は無いだろう!って話なんだよね。認知科学とか脳科学とかって正当性があるっつーかそりゃ脳のことなんだから当然っつーかさ、その正当性はまぁ当然じゃない?それがそうなってるっつーのが分かってるんでそれがそうですっつーのがまぁ科学じゃん?でも精神分析っつーかフロイトのやつとかってただのおっさんが始めた解釈学だからね。それが一般化っつーか広く行き渡ってる意味が分からんってことだよね。


まぁいいや。フロイトの文句を書き出したらキリが無いっつーかあれだな、基本的に俺はやっぱ権力嫌いなんだよね。フロイトのことが嫌いなんじゃなくて、フロイト理論を軸に権力構造ができているのが嫌だってことなんだよね。フロイディアンの大御所みたいなのがアカデミアを牛耳ってるとかさ、いや、実際は分からんけど、例えば俺が研究生かなんかでさ、仮にこのフロイトおばあちゃんがスーパーバイザーだったりしたらさ、フロイト批判とかできないじゃん?っつーか分からんけど、ようはそういうもんなのだって納得してフロイトのセオリーを受け入れなきゃいけないみたいなさ、自由な思考のマテリアルとしてフロイト思想があるのはいいんだけど、それがシステム化されてアカデミアとかに内在していってドグマみたいになっていくのが嫌なんだろうね。フロイトによれば・・・みたいな言い方をすればとりあえず裏が取れてるからなんでも言い切れるみたいなさ、そういうフロイディアン達の怠慢も見えてくるよね。それに疑問を持たずにセオリーとして確立されたものなんで受け入れるっつーかそれをドグマとするみたいなさ、ようはこのドグマって発想とかあり方が嫌いなんだろうな。俺が。


で、ドグマが絡むものはアカデミアに内在されたフロイトセオリー然り宗教然りだけどドグマを軸として権力機構ができあがるじゃん?で、反抗するものはあまりその周辺では受け入れられないみたいなさ、まぁだったら最初から属さなきゃいいんだけど、仮にどっかの大学院がフロイディアンに支配されてたらフロイト批判するってことはイコール村八分になるみたいなことを意味するっつーかまぁ一昔前の左翼と一緒だね。左翼が世界的にアカデミアを牛耳っていたっつーかそれは背後に誰かがいるっつーよりかはそれがタイムリーっつーか流行だったっつーのもあってさ、だからまぁどこもかしこも左翼だらけっつーさ、一部のネオコンがアカデミアに行かずにワシントンに行ったっつーのは当時のアカデミアに保守系の連中の居場所なんて無かったみたいな話もあるぐらいまぁ左翼は強かったわけだね。


ただまぁなんだろうな。俺の場合、基本左翼だからマルクス思想が蔓延してる分にはまぁそんなに嫌じゃないよね。だから政治学のムーア先生のクラスでは居心地は悪くなかったんだろう。まぁもう俺はドグマティックなマルキストではないけど、でも基本的にまぁ根底がそうだからまぁムーア先生がドグマティックな左翼でも反感は覚えないっていうね、まぁ基本的に抵抗してればみんな仲間だみたいな意識は今でもあるよね。


あーもういいや。キリないっつーかまた時間があるときにでもじっくり書くわ。まぁもう書くこと無さそうだけどね。いや、ダイアリーなのだよ。日記程度に書こうと思ったらフロイトの文句を書き始めちゃってもう長くなってるけど書きたかったのはまぁマジで日記でさ、こないだ買ってきて全然やってなかったヒットマンのBlood Moneyなんだけど改めてやっぱヒットマン面白いなと。特にブラッドマネーでは自由度が以前にも増して増してるっつーかさ、初期っつーかコントラクトとかの頃ってなんつーか何やってもいいんだけど基本的に見つかったらもうかっこわるいみたいなさ、ブザーみたいなのが鳴るじゃん?それが「あーやっちゃった」みたいな気を起こさせてさ、それが自由度を無くしてるっつーかさ、天誅とかでもそうだけど、ちょっと見つかっただけですんげー点数下がるとかさ、そうなると神経質になっちゃってゲームが楽しめなくなるんだよね。


で、まぁ別に隠密系って大抵のゲームはまぁフル武装とかできるなら正面突破とかもできるんだけどさ、そこをやっぱヒットマンらしく隠密でクリアするっつーそのディティールを楽しむっつーのがまぁ隠密系のゲームの味わいだよね。で、あとブラッドではなんつーか不審に思われる確立が低いっつーかさ、走ってても怪しまれないとかってまぁいいよね。コントラクトとかだと変装してるのになぜか「アッサシーノ!」とか言ってバレたりするじゃん?なんでバレたの?っていうさ、そのイライラがあったけど、まぁそういうのがだいぶ解消されてる分、隠密ならではのストレスは無くなったよね。なのにも関わらず隠密を楽しめるっつーのはまぁシリーズを重ねた甲斐があるっつーかまぁそこが改良の良さだよね。


正面突破とか隠密じゃなくてもクリアできるっつーのはある意味でゲームバランスを崩してるような感じがするかもしれないけどそこはもうプレイヤーに委ねられててさ、それがいいんだよね。隠密を強制されてないんだけど、まぁ美学として隠密を選ぶみたいなね、そういうプレイヤーの美学が求められるゲームってのがまぁヒットマンだよね。まぁ初期からやってる人は基本的にまぁ発砲がアウトっつーアレはあるだろうね。特に過去にSAとかやってた人ならそれはあるよね。だからまぁ基本的に発砲っつーか銃撃戦とかでは進まないよね。進めるんだけど美しくないんでやらないっていうね。見つかって乱射して逃げるとかってダサいんだよね。まぁ発砲するにしても個室でサイレンサー付きで打つとかね、あくまでまぁヒットマンらしい殺し方をしなきゃいけないんだよね。サイレンサーが無い発砲はダサいんだよね。


いや、まぁ一年ちょっとぶりぐらいのヒットマンだったけど、やっぱなんつーか体が覚えてるっていうかさ、結構すんなりクリアしちゃったよね。まぁ難易度はノーマルだけどね。コントラクトだったか3つ目だったか忘れたけど、ロシアで要人暗殺するやつとかさ、チャイナタウンのやつとか難易度が高かった気がするんだよね。クリアに手間取った記憶があるんだけどブラッドではまぁ全体的に難易度はマシっつーか過酷じゃないよね。シリーズやってきた人なら全然クリアできるっつーかさ、コントラクトでも三作目とかでも後半とかかなり難しかった覚えがあるんだよね。暗闇を見通せるやつあるじゃん?羊たちの沈黙の犯人が自宅に侵入したクラリスを襲う時にしてるやつあるじゃん?あれをしてるやつらが出てきたよね。冬のどっかの倉庫だかで。確かヒットマンだったと思うんだけど。隠密系は結構やってるから色々とごっちゃになってるのかもしれないけど、なんつーかすぐに見つかっちゃってすげーイライラした覚えがあるよね。それだけにクリアしたときの快感は凄いんだけど、んでもまぁブラッドぐらいの難易度が一番いいね。かなりハマってっつーかまぁいつも通り集中的にやったんで二日でクリアしちゃったけどね。ただなんつーか町中とかさ、パレードとかさ、現実味っつーとあれだけど、殺風景な場所とかさ、浮世離れしたようなどっかのアジトとかじゃなくて実際の町中とかでミッションが行われるっつーのが多かったんで良かったよね。パーティー会場とかね。


あとあれなんだ、最近よく映画を見てるって前にも書いたけど本当にそうなんだよね。本ばかり読んでると暗くなるっつーかさ、生活が単調に思えてくるじゃん?それしかやってねぇーっつーかさ、で、映画とかゲームって家にいても世界が広がるっつーかさ、そのときだけ違う世界を知覚してるじゃん?まぁ旅行感覚だよね。まぁストレス解消とかってこういうことを言うのかもしれないけどさ、まぁバランスって必要だよね。本を読んでてもまぁ知的刺激とかはあるんだけど、そればっかだと飽きるじゃない?どんだけ好きなやつでもずーっとやってれば飽きるよね。だからやっぱたまにゲームとか映画見るのって何気にすげー重要なんだよねっていつもゲームやる度書いてるよね。こういうこと。正当化とかってつもりじゃなくて本当の必要性を説いてるだけなんだけど解くと言えばさ、Fermat's Roomって映画を見たのね。


数学がマイブームなんで数学を題材にしたっつーかまぁちょっと関わってる映画とかを調べてみたりしてるんだけど、オックスフォード殺人事件とか良かったかな。まぁ大抵のもんは数学的に洗練されてなくて、数学のエッセンスみたいなのを素人感覚でテーマにしてるってやつばっかなんだけどオックスフォード殺人事件は洒落が効いてるなと思ったのがさ、数学とかに意味を見いだしてるオックスフォードに留学してきているアメリカ人の学生がいるんだけど、本がベストセラーになってるだかで有名になってる名物教授みたいなのが講義でヴィトケンシュタインの話を出しつつ、まぁ真実なんてもんは存在しないっつーかさ、なんだったか忘れたけど、まぁヴィトケンシュタインのモチーフっつーか映画がいきなり戦争のシーンで始まるんだけど、それってのがさ、ヴィトケンシュタインが戦場で戦闘中なのにも関わらず何かをメモに書いてるっつーシーンで始まるんだけどね、んで、その後にその講義のシーンにクロスオーバーしてヴィトケンシュタインのステイトメントと共にかなりニヒルに解釈し過ぎのヴィトケンシュタインの講義が始まるんだけどさ、んでそのアメリカの学生ってのが先生に異を唱えるんだけど、まぁそこで教授からからかわれたりしてさ、所謂、この教授が権威的な人物で質問が気に入らなかったらしくなんかおちょくったりしてるんだよねっつーかもうストーリーの話いいや。今日は酷いな。文章が。普段もまとまってないけど、今日はもう本当にまとまってないって感じがするな。


いやね、んでまぁネタバレになるけど、バタフライ効果とか黄金律の話とかまぁ結構数学に美学を見いだしてるこのアメリカ人の学生っつーかまぁ主役の学生がね、先生に印象を持たせようとしてちょっと歯向かうような態度で講義中に質問したことがきっかけとなって色々な事件が起こったっていうさ、ようは映画の中にヴィトケンシュタインをフックとしてまぁロジックとかさっつーかまぁこれだけだけど、最終的に教授が「これがキミの言っていたバタフライ効果なんじゃないかね?」みたいなさ、「真犯人はキミ自身じゃないのかね?」みたいなさ、実際の殺人事件とかは起こしてないんだけど、因果っつーかまぁcausalityみたいなのを出してくるとそもそもの始まりが映画の始まりのあの質問にあったっていうようなさ、っつーか説明がわけがわからないかもしれないけどまぁとにかく洒落てるんだよ。凄く。「ハハーン」ってなるようなオチっつーかね、映画としては普通なんだけどモチーフが洒落てるっていう感じね。


あ、んで全然置き去りになってたフェルマーの部屋だけど放題がキューブ・レッドとかになってるらしくてさ、相変わらず邦題をつける日本の配給会社のバカって昔から質が変わってねぇーなって思うんだけどっつーかまだ見てないんだけど、Smilla's Sense of Snowって映画があるんだけど、タイトルは詩的じゃん?でも邦題を調べたら確か陰謀の時だったかなんだかさ、「は?」って言うようなタイトルなんだよね。本当に邦題はもっと考慮したほうがいいと思うね。タイトルってすげー重要だよね。なのにキューブレッドとかさ、所謂、キューブがカルト映画として有名なんでそれに引っ掛けてキューブレッドにしてるのかもしれないけどキューブの続編か?とかって思った人は勘違いするよねっつーか原題が仮にCube RedとかだったらCube側から文句が来るだろう。なのに邦題の改題ではそれが許されるっつーかアテンションを引くためにそういうのが許されるっつーのもまぁ変な話だよね。これは絶対フェルマーの部屋っつーダイレクトなタイトルそのままでいいのにな。


で、トライベッカ映画祭とかでちょっと話題になってたような注目作品だったらしいんだけど内容のほうはまぁたいしたことないんだけどね、これもさっき書いたオックスフォードのそれと一緒で洒落が効いてるのね。数学度は高いっつーか数学者の名前とか数学的なモチーフとかはいっぱい出てくるんだけど、まぁ相変わらず全部素人レベルでさ、特に笑っちゃうのがね、その肝心のフェルマーの部屋とやらなんだけど、簡単に書くとまぁネタバレになるけど、その部屋に閉じ込められるとね、部屋がだんだん縮んでいくっていうね、まぁ実際は縮んでるっつーかそれこそSawの仕掛け部屋みたいな感じでまぁキューブとSawを足して二で割って回し蹴りを食らわせたような感じなんだけどね、まぁ高田純次だけども、閉じ込められた部屋で何をするのか?っていうと携帯に問題が送られてきてね、んで一分以内に解かないと部屋の壁がどんどん迫ってくるっていうような仕掛けになってるんだけど、笑っちゃうのが一流の数学者達がなぜかその部屋に招待されてるのにも関わらず問題のレベルがすげー低いっていうかキヨスクで「脳内パズル」みたいなタイトルで売られてそうな数学的な問題っつーよりかは数学的なモチーフのただのなぞなぞみたいなのが出るんだよね。


まぁ高度な問題出しても見てる側がさっぱり分からないだろうし、まぁ誰にでもそれが問題だって分かるレベルだからまぁいいのかもしれないけどさ、それにしてもまぁすげー矛盾っつーか笑っちゃうよね。一流の数学者がなぞなぞやってるってかなり笑える。で、部屋が迫ってきているのにも関わらず問題を解かないで口喧嘩したり喋ったりしててさ、「は?」って思うところ満載でしかもストーリーとかにもかなり無理があるんだけど、最後にね、その部屋をどう出るか?っていうことになってね、まぁ詳細は省くけどさ、自由になるには?っていうことで部屋でなぞなぞを解くのに使ってた黒板をぶっ壊すんだよね。そうしたらその黒板の後ろに脱出用の箱ぐらいのサイズのエレベーターみたいなのがあってんで出れるんだけどさ、話がね、ゴールドバッハ予想だかを35年かけて解いたっておっさんがいるんだけどっつーかこいつが犯人なんだけどってまぁ完全にネタバレだけど、それを解いたって若造は10日ぐらいでやっちゃってさ、んでそれが悔しくて殺してやろうと思ったみたいな日本のむしゃくしゃしてやったレベルの動機なんだけどさ、また笑っちゃうのがその10日で解いたってやつは彼女の気を惹こうと思って解いたフリをしていたとかいってさ、いやね、解いたっつって数学雑誌とかに載ってるのにも関わらずそれが噓だったって言うんだよね。若手監督なんだろうけどまぁこういう穴だらけなんだけど、んでもそういう雑なところには目を瞑って大枠を見るとさ、ゴールドバッハ予想を巡るおっさんの葛藤と若者の噓っていうようなさ、誰が最初に発表するか?みたいなさ、そういうのでとにかくまぁ頭がいっぱいっていうようなまぁ現実で言うとポアンカレ予想がそうだって言われてるよね。


関わったものはみんな私生活で不幸になるみたいなさ、そういうのがモチーフになっててね、んでそれがきっかけとなって集められて殺されそうになった数学者達がどう部屋から出るのか?っていうのがようは黒板を壊すってことでようは数学なんて忘れちまえ!みたいなさ、このややこしい問題が全部の原因なんだからそんなもん壊しちまえ!っていうようなね、そのシンボリズムとしての数学者達の部屋からの脱出ってのがまぁすげーアレゴリカルに作用してるわけよ。それがまぁ洒落てるってことなのね。映画的にはまぁつまらなくはないけどまぁディティールを言い出せば雑さ加減はキリがないんだけど、んでもテーマっつーかモチーフは良かったって意味で良かったなって思えたのね。こういう映画って意外と少ないよね。いや、数学を全面的に扱ってるって意味じゃなくて映画とかストーリー的には雑な部分が多いんだけど、テーマとかシンボリズムとかアレゴリーが洒落てるんで細かいところの雑さには目を瞑れるっていうさ、これってある意味映画的に強いよね。


で、最終的にまぁね、本当にゴールドバッハを解いたっておっさんが持ってた問題の証明をその噓をついた若者が脱出後に手に入れててね、んでもこれを自分の名前で出してもアレだし、あのおっさんの名前で出してもアレだし・・・みたいなまぁこういうところもまぁ数学っつーかロジックのジレンマみたいなのを表してると思うんだけど、そういうのに悩んでるときにね、まぁボートの上なんだが、他の数学者が「これが答えだ」っつってその証明の書類を湖に捨てちゃうのね。本当の数学者が見たら噴飯ものっつーかまぁ数学者じゃなくても笑えると思うんだけど、これってのはようは大枠のテーマとかアレゴリーとかを表す素材としての数学とか数学者なんであってさ、だから細部の数学的な矛盾っつーか数学的な矛盾っつーとあれだけどまぁ問題がなぞなぞレベルだとかね、一流の数学者のくせにみんな凡人並の脳しか持って無さそうに見えるとかさ、そういうのはまぁどうでもいいのね。あとまぁ素人は騙せるじゃん?数学者っていうとあー数学者なんだーって思ってそれでスルーみたいなさ、まぁそこまで気にするやつはいないだろうってところでまぁオッケーみたいなね、モチーフを描くこと自体に問題は無いだろうみたいなさ、そこがまぁこの映画におけるremarkなんだよね。数学だけに。数学を扱ってる映画のくせに数学的に相当雑なのにも関わらず数学とか数学者の葛藤っつーテーマを題材にして物語を描くことには成功しているって意味でまぁ俺の中の評価が高いのね。


特に最初の布石が素晴らしいと思ったのが、まぁもうネタバレしてるから書くけど犯人と犯人の知り合いがチェスをしててさ、んでその知り合いが犯人に「カントールと谷山豊とゲーデルの共通点は?」って聞くのね。んで犯人は「えーっとまぁーその三人は数学者で、んでえーと各人が数学史に名前を残していて・・・」みたいに言ったらさ、その知り合いが「いや、違う。三人とも最終的に狂ってしまった人達だ」って言うわけ。いや、これも完全に素人解釈っつーかさ、ゲーデルは別に数学をやりすぎて狂ったんじゃなくて、元々鬱があったり情緒不安定があったりしただけで、数学との関係性は全く無いし、それはカントール然りだし、谷山豊然りなのね。共通して言えるのは三人とも地頭が良過ぎて葛藤することが多かったってことで数学をやりすぎて狂った人達ってことじゃないんだけど、まぁこれも事実はどうでもよくて、映画のテーマを描くための布石としての話なんだよね。で、35年ゴールドバッハに取り組んでいてんで若造に先を越された犯人がさ、数学者は自殺したりするやつが多いみたいな話の中で、自分も最近そう思ったことがあるみたいなことを言うのね。で、最終的にそれがまぁエピソードとして明かされて、んでまぁ結局原因が数学とか数学の難問じゃねーかっていうね、葛藤とかって全部そっから来ててさ、だったら最初からそんなのやらなきゃいいじゃん!とかね、もっと自由になろうよ!みたいな意味でまぁ黒板壊して外に出るっつーのがアレゴリカルに表れてるわけだけど、こういう大枠が見事なのね。


細部で言うとこの数学者3者の話からすでに間違いなんだけど、んでもこれもさっき書いたように物語を描く上では致命的なミステイクにはなってないのね。まぁ数学にしてみたらまぁ数学に対してまた謂れの無いレッテルを貼るみたいなさ、数学=狂気とか数学者=狂人・変人とかってまぁステレオタイプじゃん?ステレオタイプのことをステロタイプって書く人がいるけど、あと檜垣なんたらっていう哲学研究者もジャーゴンのことをジャルゴンって書くよね。スペイン語訛りのやつがジャーゴンって言ったときのジャーゴンの発音みたいっつーかまぁそれは置いておいてさ、まぁそういうことね。そういうことって何が?いや、数学とかよりやっぱウォール伝が一番狂ってるよね。その自信は俺にもあるよね。いや、あいつが火星人でなんたらビームを発していて・・・・みたいなのが永遠に書かれているわけではなく、ある程度普通のことが書かれているようでかなり頭の構造がおかしいってのが文章を通して分かるみたいなさ、あとかなりの割合で妄想とかが入ってるとかね、まぁ俺は自覚的にやってる部分もあるけど、書き続けていくとスキゾな俺の脳内構造の形そのものみたいなのがウォール伝に表れてたりして、落ち着いてるときにウォール伝読んだりすると「こいつ狂ってるなー」って思うよね。良い意味で狂ってればいいんだけど、なんつーか手に負えない困った感じで狂ってるからなんか苦笑いモノだよね。たまにまぐれで良いことを書いたるするんだけどそういうののバランスがさっぱり自分でも分からんね。


数学が狂ってるんじゃなくて、ちょっと変な人が数学者に多いってことで数学自体に原因が無いっつーのはウォール伝で言えばブログで長文を書くこと自体は狂ってないけど、長文を書き続ける人には変わってる人が多いっつーか、俺が狂ってるからこんな長文ばかり書くっていうのもあるよねってことで別に文章を書くとか長文を書くということ自体に別に狂気は存在しないんだよね。その辺をまぁごっちゃにしてるからステレオタイプとかって生まれるんだろう。あ、数学の話ね。そういう意味でフェルマーの部屋は素人の数学とか数学者に対する偏見の塊みたいなものなんだけど、かといってだからといって映画自体がダメってことじゃなくて、むしろそのステレオタイプから出てきそうな偏見が上手いこと描かれてるって意味で俺的に評価が高いのね。まぁ大枠だけ見ればパイも一緒だけどね。ただパイが良いのはさ、ここが監督の凄さで数学的な雑さが見えるとダサくなるからマックスがやってる数学理論の具体的な話とか一切出てこないじゃん?ソルがマックスに言うこととかもさ、この世はカオスでパターンなんて存在しないんだ!みたいなジェネラルなことなんだけど、ソルもどんな本を読んでるのか?とかどういう数学をやってたのか?とかってさっぱり分からないじゃん?


マックスも何理論で有名なマックスなのか分からないしさ、そこがいいんだよね。ナラティブじゃないことでそれが鑑賞者の想像にまかされているってところが上手いんだよね。何やら凄いことでこの世の真理が分かる数学理論らしいけどまぁ具体的なことは分からないっていうこの描き方自体が上手いんだよね。パイでもさ、その数学理論がなんなんだか分からないから映画自体がダメだってことにはならないじゃん?そんなものは存在しないっつまぁSF映画なんだけどでもリアリスティックにそれが描かれてるっつーさ、そこが本当に凄いよね。パイは本当に凄い映画だと思う。引き蘢りの天才数学者の葛藤とか内面とかをすんげー描けてるしっつーかあの白黒の映像とかさ、チャイナタウンの無国籍な感じとかさ、マンハッタンではあるんだけど、んでもまぁどこだか分からない抽象的な感じがよく出てるんだよね。そういう意味でなんつーか現実世界を題材にしたSFっつー一見すると矛盾したような構造が成り立ってるんだよね。あとはなんと言ってもテクノね。サウンドトラックではなく既存のテクノの曲から選んできたトラックが見事に映像にマッチしてるんだよね。それがあの頃のテクノの盛り上がりっつーかテクノのピークみたいなのもよく表してるしさ、いや、これってマジで凄いことだと思うね。


PV的な映像っつーかさ、既存の曲から色々と選んできて映像にハメるとかってすんげー脱構築的っつーかパッチワーク的っつーかそこがなんつーか数学的でもあるよね。パイもまぁある意味で天才数学者=狂人みたいなステレオタイプを利用した映画ではあるんだけど、それに留まってないところがいいね。フェルマーの部屋はステレオタイプに留まって、んでステレオタイプながらもそのステレオタイプを元にした偏見がよく描けてるって意味でステレオタイプ内に留まってるんだけど、パイは独立してるよね。映像作品的な詩的な感じとかさ、まぁデヴィットリンチっぽいところとかさ、いや、俺が当時始めて見たときに思ったのがサイバーなイレイザーヘッドってことだったんだよね。でもまぁ結構言えてるよね。イレイザーヘッドもアメリカのどこかではあるんだけどなんか現実味が無いって意味でSFじゃん?SFってほどSFしてないしリアルではあるんだけどでもSFなんだよね。アロノフスキーとデヴィットリンチの両者のデビュー作にして最高傑作なのが両方ともローバジェッドで作られててモノクロなんだけど、その全ての要素がクオリティに結実してるって意味で芸術的な機能美があるんだよね。両者ともに文字通りまぁ映画史の残る名作だよね。何十年経とうがその地位は永遠に変わらないしそれってまぁ凄いことだよなってことなんだけどね。


あと映画と言えばCG映画を立て続けに見たんだけどっつーのはファイナルファンタジーバイオハザードとEXマキナなんだけど、本当に俳優入らずっつーかさ、こんだけリアルに色々と描けるとさ、特にSFとかって俳優いらずになるっつーか実写でやる必要がなくなるよね。いちいちセットとか作らなくてもCGでこれだけリアルなものを作れたらさ、実写の必要性無いよね。90年代の後半ぐらいはこんなことを言われてたっつーかそれがまぁ未来では全部CGで映画が作れるみたいな話なんだけど、リアルに実現してる感じだよね。特にファイナルファンタジーとか映像が凄過ぎて唖然としたよね。いやさ、細かい演技とかね、そういうのはやっぱ俳優でしょーってことになるからまぁヒューマニズム系とかはやっぱ実写でしょーって話にもなるけど、それってもうさ、技術力とかがあればさ、それこそ作者の表現力次第だよね。


これだけ表情とかがリアルに作れるとなるとさ、本当になんつーか将来的にゲームの映画化とかで実写でやってたみたいなのが笑えてくる時代が来るかもねっつーかまぁサイレントヒルとかミラのバイオハザードとかは別にあれはあれでいいんだけどゲームが原作かどうか関係無くなんつーか実写だから失敗したみたいなやつってあるじゃん?実写だからショボくなっちゃったみたいなやつね。お金がなかったとかね。そういうのがCGとかだと無いっつーか将来的に個人個人がこんぐらいのもん作れるようになったら凄いよねってまぁリアルにあるだろうな。効果音セットとかさ、音声合成システムとかさ、効果音ジェネレーターみたいなやつとかさ、そういうのを選びつつカットとかセットとか何から何まで自分でやれるみたいなね、そうなったときに映画自体の意味が変わってくるだろう・・・・とかって思ったんだけど結局そうでもないのがさ、技術が発達して誰でも音楽を作れるようになったとかっつってまぁみんなが音楽作れるわけじゃないじゃん?技術的にはそんな高度なことじゃなくなったんだけど作れる人なんて多くないっていうさ、ただまぁ音楽はやっぱなんつーか、スタジオとか楽器とかバンドとか無くても作れるようになってるおかげで良いのを作れれば誰でもデビューできるっつーと変だけど、まぁ音楽はリリースできるじゃん?


ようは俺が言いたいのは過去では大掛かりだったものが物質的なものは技術の発達によって例えばパソコンにスタジオが入るような感じになるんで誰でもスタジオを使えるみたいなことになってまぁ実質誰でも音楽を作れるようになるっつーのと同じような感じで映画も作れるようになったら面白いなってことなんだけど、まぁどの道、誰でもってことはないよなってことね。でも音楽を作るってのがそんなにビッグディールじゃないような今みたいな音楽の感覚で映画とかも作れるようになったら面白いよね。非営利目的で実写映画の完全CG再現とかが個人でできるようになったりしたら面白いよね。まぁ著作権の問題とかがまたややこしくなりそうだけど。映画って大掛かりだから簡単に作れないってのがあるじゃん?そういう物質的な障害とかが無くなったら面白いよねってことだよね。そうなったら俺も映画作りたいって思うもんね。


いや、CGで映画を作るのが楽なことだって言ってるんじゃないよ。そうじゃなくてそれこそPC買ったらついてくるような付属のソフトぐらいのもんでムービークリエイターみたいなのがあってさ、そういうのでまぁ作れるようになったらまぁ実質、誰でも映画作りにアクセスできるってことになるってのがまぁ面白いってことだね。ポルノとかも凄いことになりそうだよね。それこそ二次元マニアが妄想で作ったような同人誌のCG版みたいなさ、それこそさっきあげたようなCG映画三作みたいなクオリティでポルノ映画作れるようになったらすげー面白いよね。あとはスプラッター映画とかね、最近ホステルっつー映画見たけどさ、やっぱ残虐ものって限界があるじゃん?まぁAugustみたいなのもあるけどさ、やっぱ特殊メイクとか大変だしさ、本当に内蔵がぶちまけられたりはしないじゃん?まぁホステルにしても何にしてもまぁ凄くよくできてはいるけどさ、でもようはCG映画が凄いのって実際その作品の中で人物を殺すことができるってことだよね。ようは演技とか特殊メイクとかじゃなくてマジでそのキャラクターを八つ裂きにしたりとかさ、まぁそれができないが故にカメラで見せるっつーホラー映画の技術ってのがあるんでまぁそれはそれで面白いんだけど、まぁやっぱCG映画立て続けに見て思ったのはそれだよね。エログロだよね。エロとかグロをああいうCGのレベルでやったら凄いなってことだよね。


ファイナルファンタジーとかだったらティファとかユフィとかがありえないぐらい可愛いじゃん?所謂、二次元らしい可愛さじゃなくて実写のモデリングって感じじゃん?クラウドとかあのセフィロスが乗り移るやつとかってなんか一昔前のビジュアル系のバンドのボーカルみたいな顔だしさ、まぁ二次元なんだけどベースが実写じゃない?そういう意味で実写的なイメージでティファとかユフィとかが犯されまくったりしてたら凄いなって思ったんだよね。それこそ実写のポルノが二次元に敵わなくなるだろう。で、あの映像が前に広がるっていうメガネあるじゃん?映画とか映像とかが目の前に広がるっつーさ、名前忘れたけどあれとか凄いなって思ったよね。男目線のポルノとかフェラものとかあるじゃん?ああいうのをあれで見たら凄いなって思うけど、もっと言えばさっき書いた写実的なイメージの二次元で好きなキャラクターにフェラしてもらえるとかさ、そういうキャラクターのモデリングとか動作ファイルとかがイリーガルでネットで出回ったりなんかしてさ、そうなると倫理的に相当マズくなるよね。バーチャルで人を殺すようなのがリアルなレベルでできるようになったりしたらマジでヤヴァイよね。Wiiみたいなコントローラーで「The 殺人」みたいなゲームがあったりっつーか個人レベルでそういうのが作れるようになったらかなりアレだよね。


あとは過去の女優とかさ、いや、AV女優とかって意味じゃなくてね、もう死んでる女優の若い時みたいなのをCGでモデリングしたりとかさ、そんなのが個人で勝手にできるようになったら凄まじいことになるよね。色んな意味で。まぁ子供は減るだろうな。明らかに。快楽のためのセックスは別にそこまで生身にこだわる必要が無いみたいなさ、昔から言われてたようなヴァーチャルセックスみたいなのがマジでできる時代が来るっつーかもうすでに来てるよね。時間の問題っつーかなんつーか。


まぁ俺はエログロに期待したいところがあるね。特にファイナルファンタジー見て思ったのはあのままティファとかユフィのファックシーンとかがあったら見てみたいってことだよね。そんなのがあったらバカ売れするだろうな。マジで。オナニー受容って人類が続く限り永遠と変わらない受容でまぁ食料とかと同じぐらいの絶対性を持ってるじゃん?そういう意味で俺って常にポルノを信じてるよね。信じるっつーと変だけど、それこそ携帯とかパソコンとか冷蔵庫とかテレビとかと同じ次元でポルノってあるじゃん?もう生活に根ざしてるものとしてあるよね。で、ポルノがテクノロジーと繋がった時に起こる革命ってまぁ物凄いものだと思うんだよ。マジで。まぁ俺が今やりたいのはあの映像をメガネで見れるやつでAV見ることだね。あの一人称フェラものとかファックものね。何百万とかするわけじゃないんで買えなくもないっつーのがすげーなって思うよね。バイブと連動してる立体映像メガネ専用のAVとかも出てきたりするだろうな。プレステとか見ればそれは分かるじゃん?バイブが映像に連動してるっつーのは全然AVに適用可能なわけで、なんであれをオナホールとか電動バイブとかに適用しない?って話だよね。


でもまぁ見苦しいオナニーだよね。X-Menみたいなメガネをして口を開けながら映像ソフトと連動してる電動オナホールでオナニーしてるって凄いよね。まぁオナニー自体元々人に見せられるようなもんじゃないからまぁどの道まぁ一緒なんだけどさ、エロ朗読ものとかをアイマスクとヘッドフォンで聞きながらオナニーするみたいなののもっと進化したようなバージョンだよね。そうなると妄想とかでオナニーする必要が無い時代が来るってことだな。気になる女の子とかがいたら写真を元にモデリングしてそれでオナニーするとかさ、そういうのが可能になったら人類史上続いてきたであろうオナニーの歴史が変わるってことだよね。そういう転換期にいるっつーのは凄いことだよね。それって俺が生きてる時に体感可能だから楽しみだよね。だったらセックスすればいいじゃんって話だけどそれは違うんだっつーのはまぁ分かるでしょ?俺のことだから。


あとあれだわ、立体メガネと言えばやっぱある意味廃人を増やしそうだなって思うのがセカンドライフね。セカンドライフ的なものがもっとよりリアルに体感できるようになったりしたらコミュニケーションの意味自体が変わってくるよね。それこそソウルハッカーズのネット世界にエミッサが直接そこに実体としてアクセスするみたいな感じをリアルに得られるようになったらまぁ凄いこっちゃな。旅行とかもそれでできるようになるよね。ソフトで「イタリア」とかがあったらさ、それでもうイタリア中回れるみたいなさ、まぁグーグルアース的な360度の空間が永遠にそのソフト内にあるって感じだよね。で、時代とかも設定できるようになったらバーチャルなタイムスリップとかも可能になるよね。こんな風になったらリアルライフなんてどうでもよくなりそうだよね。バーチャル度の高さに応じてセカンドライフ的なものの受容が大きくなったらそれ自体でビジネスが成立するようになるもんね。セカンドライフ内でビジネスやってるとか教師をやってるとかマジで可能だもんね。そうなると留学とかも全然意味なくなるっつーかまぁ意味なくなるとは言わないけど、例えばどっかの大学の講義にバーチャルでアクセスできるようになったりしたら凄いよね。実体がそこにいる必要は無いという意味でのアクセシビリティは半端じゃないよね。


それは実質的に今でもポッドキャストとかYoutubeとかで色んな講義がタダで見れるからどんどん大学の意味が無くなってきてるってことなんだけど、バーチャル学園みたいなのが可能になったら余計にそうなるよね。引き蘢りとかでも学校に行けるって意味で社会的な意味もありそうだよね。あとはまぁ障害者とかさ、福祉的な意味でもまぁコントリビュートが多そうだよね。いや、俺ね、セカンドライフ的な意味で言うとまぁギメルのアルカディアみたいなのも想像するけど、俺はやっぱプラトンのアカデミアだよね。単純に知識欲が旺盛なやつとかがやたら集まってディスカッションしてるとかさ、講義を聞いてるとかさ、そんなのがいくらでもあるっつーバーチャルな空間があったらすげーなって思うんだよね。ハーヴァード大学には行ったことはないけどバーチャルハーヴァードの学歴は持ってますみたいなさ、そんなのとかってマジで可能だよね。それこそ宿題やらなにやらなんて全部ネットでできるわけだしさ、リアルに可能だよね。通勤通学がいらないって意味でまぁ身体的疲労も少ないしさ、好きな時に受けられるし、やる側も好きなときにできたりとかするしさ、フレキシビリティが凄くなりそうだよね。そうなると前に書いた場所ブランドみたいなのが良い意味でなくなっていいんじゃないかな?って思うよね。大学のポストに就いているってことだけで出てくる社会的地位みたいなさ、何々大学の教授で部屋がありますみたいなさ、あの教授の偉そうな感じあるじゃん?実力無いしそこまで頭が良くないくせにポストにいるってだけで偉そうなやつね。そういうアカデミアの腐敗とかも防げるよね。もっと純粋に能力があるやつが教えることができたり大学に参加できるようになったりしたら学問の可能性って広がるよね。バーチャル学園はマジで夢だな。まぁ俺が学長になる必要は無いんだけど、そんなのがあったら面白いなーって思うんだよね。知的格差とかの差が富の差とかで出なくなるっつーのがすげーいいと思う。西成の公園からハーバード大学の講義にアクセスできるとかさ、そんなのが可能になったら凄いよね。留学とかに無駄に金がかからなくなるってのがまぁ凄いと思うよね。英語さえできればどこでもいいみたいな。


でもそうなるとテロリストとかの組織がネットにスペース作ってやり取りをできるようになるって意味でまぁやっぱ規制が必要になるね。それこそそんぐらいオープンなヴァーチャルスペースがあったらビッグブラザーは絶対必要になるな。まぁいいや。今日は寝るわ。これについてはまた勝手に色々と妄想してんで何か思いついたら書くわ。いや、でもさ、そういうヴァーチャルスペースでのテロリストのやり取りとそれを追う公安とかってマジで攻殻機動隊みたいな世界だよね。あ、あとライブだな。コンサートなりライブをバーチャル鑑賞できるようになったら凄いね。もちろんまぁタダってわけにはいかないんでまぁさっきのヴァーチャル学園にしてもヴァーチャル学園の生徒としてのまぁ授業料とかはそりゃ支払わなきゃいけないしさ、いや、タダになるってことではないんだけど、んでもまぁ物理的なものが介在しなくなるとコストが安くなるじゃん?大抵がまぁ場所代とかだもんね。その場所がネットになることによって鑑賞者なり学生が純粋にその音楽なり講義のみにお金を払えるようになるってのがまぁすげークリーンで良いシステムだと思うよね。私立大学なんで維持費が大変なんで学費が高いですみたいなこととか無くなるじゃん?NYUのビルディングとか見ると無駄に金がかかってるんだけど、ああいうのとか見るとすげースノッブだって思うよね。NYUって建物を見る限りとても頭が良い大学だとは思えないよね。ああいう無駄な装飾に金をかけてるんだったらその分スタッフにもっと金払うとかさ、学費安くするとかさ、やりようはいくらでもあるよね。結局だからまぁブランドなんだよね。一流ブランドが良い場所でブティック経営できるのとかってやっぱ利鞘が凄いからじゃん?ブランド名ってだけでベラボウな金額取れるんでそれで成り立つみたいなさ、大学までそうなってるってのがマジで腐ってると思うよね。


シャネルとかディオールとかアルマーニとかなんでもいいんだけど、ブランド名のロゴが入ってるやつとかってまぁそこでしか買えないからスノッブウケはするよね。だってマジでロゴが入ってるだけで全然ふつーのジャケットとか鞄と変わらないってのすげーあるじゃん?ロゴのために何十万も払ってるっつーさ、それがまさしく大学だよね。NYUだのコロンビアだのっつーブランドネームで実際は前にも書いたように学問としては経済学にしても政治学にしても科学にしても基本的にどれも変わらないんだけど、それを一流大学で勉強してそこの学位を得るってことがまぁ社会ステータスに結びつくみたいなさ、これって完全に洋服のブランドビジネスと一緒だよね?それは前にも書いた帝国ホテルのカフェで読むケインズとさ、汚いアパートで読むケインズケインズケインズじゃん?洋服ブランドで言えばまぁ素材の差とかはあるにしてもそんなに別にさ、例えば一流ブランドのものだからっつってすんげー持ちがいいとかさ、素材が格別丈夫ってことでもないじゃん?丈夫さとか持ちだけで言えば別にブランドものじゃなくたって良いのはいくらでもあるよね。そういう意味で別に一流ブランドで買い物するってまぁデザインとかが気に入れば別だけど、同じようなジャケットとかシャツとかだったら別にそんなに高いブランドのを買わなくてもいいよね。


でさ、なんか話によると今みたいな世の中だとハーバードとかMITとか出てない限りそこを出れば絶対仕事があるみたいな安泰な感じって無いみたいよ。だからあれなのね、超一流大学に行かない限りは別にどこもかしこも変わらないってことなんだよね。だったら自分で勉強して実力を身につけたほうがよっぽどいい。無駄に高い私立大学に金を払うなんてバカバカしくなるよね。学歴っつーブランドが通用しないんじゃマジでそういうところって意味無い。だとしたら技術とか知識とか論文とかそういうので勝負したほうがいいよね。ってことでいつもの帰結と一緒になるんだけど、まぁ大学ってマジでいらねーなってことなんだよね。お墨付きをもらうだけの場所だからね。マジで。


あ、もう絶対やめる。絶対寝る。明日学校だから。一コマしか無いけど行くのよ。これはもう俺の義務だと思ってるから内容とか気にしないのね。行くことで義務を終えるっていうそれだけだよね。だからどんだけ意味が無いクラスとかでも行くよね。まぁこっちは出席とかが厳しいからどの道、出なきゃいけないんだけどね。


PS


まとめ系サイトで良いのを見つけたので。


http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-2298.html


特に


「日本の奴隷は鎖を自慢するどころか鎖を外そうとする奴を迫害しはじめる 」


っつーのがなんつーか俺がいつも批判してる日本的奴隷精神そのものでさ、なんか俺と同じようなことを違う人が言ってるのを見ると嬉しくなるよね。まぁこのスレッドが世の中の縮図だとは思わないけど、でも既存の日本のシステムとかに疑問を持つ人がガンガン増えればいいと思うね。ヨーロッパみたいにガンガンストとかデモとか暴動やりまくって鎖をどんどん外していくべきだよ。