それに“価値があるのだ”と強弁することこそが価値である。

mimisemi2009-12-07

詐欺に関してCarchemishさんからコメントをいただいたので1エントリーにするですっていうか返事を書いてたら例によって長くなったので。

Carchemish
2009/12/07 01:15
うーむ、悲劇的だ。

 
人間の輝かしさが、盲目的な熱情とか、物語とか、一瞬のしぐさとかの中でしか生き続けられない虚構でしかない、というのは、私には受け入れがたいことです。しかしそれにはある程度の真実味があって、ムイシュキンは狂ったし、紙っ切れは火にくべればちりぢりの灰だし、人間はみな平等にくたばる。ああまたここにも死の影だ!

 
厚かましいことを言います。私は耳蝉さんにドン・キホーテで居て欲しいと思います。反抗し、立ち向かい、編み上げ構築するという姿勢を貫いて貰いたいのです。たとえそれが狂った騎士道精神だったとしてもです。狂気なんてものはどうだっていいことで、そこに置くべき価値判断の基準なんてものはありません。良い狂気もなければ悪い狂気もない。ただ人間が居る。彼の見据える世界がある。それで十分じゃありませんか。

 
もちろん欺瞞の種は蒔かれすぎていてげんなりします。自分自身に許された生に胡坐を掻きながら、表面上死の側に阿ってみせるような芸術はその最たるものです。彼らは狂気というファッションに価値があると思っている。笑い話ですよ。このところそんなものばかりを見ている気がする。私達はちっとも前に進めていない。そう思わせてくれる苦々しい出来事や事柄が、そこら中でシニカルな顔をして笑っている。

 
だけどそんなはずはないんです。「好きになってあとはlet it goだろ」という彼の言葉の輝かしさは虚構でした。本心であるにせよ、演技であったにせよ、それは虚構でした。浮かび上がり、消費され、そのまま消えてしまったんだから。でもその言葉を掛けられた耳蝉さんはそうじゃない。数学の世界は私には分からないけれど、描かれるものは何処にだってそれとしてある。ただ用いられるリズムの違いがあるというだけで。

 
創造は賽の河原の小石積みみたいなもので、不毛です。でもそれには価値があります。というより、それに“価値があるのだ”と強弁することこそが価値ではないでしょうか。ドン・キホーテがかくしゃくとし続けることを期待します。


本当に悲劇ですね。学ぶことは多かったのですが、騙された後の脱力感といいますか、騙されたと分かってからもう二週間ぐらい経つんですが、今更ながら凄まじく落ち込んでるんですよね。お金はまぁいいんです。良くないけどいいんです。それよりも失ったものが多かった・・・といいますか、善行は掛け値無しに良いことだみたいな僕のナイーヴな信条といいますか、引き寄せの法則然りですけど、そういった自分の仲で信じていたイデオロギーや宗教的なものや信条などが一気に崩れ去ったんですよね。良いことをしていればカルマだのなんだので良いことが返って来るとかって真面目に信じてたんですけど、僕があそこまで彼に尽くしてといいますか、まぁ彼にとっては絶好のカモなんですけどね、あとは彼みたいなのが生きていける世の中というのにも絶望を感じましたね。


あるクラスメートから聞いた話ですが、アメリカの場合、例えどんなに非倫理的なことでも法に触れていなければオッケーなんだそうで、だからタイムズスクェアとかにもぼったくり電化製品屋とかが普通にありますし、ぼったくりタクシーとかもまぁ合法なんでしょうね。そういうのに物凄く虚しさを感じましたね。僕がナイーヴながらも信じていた正義とか、善のエネルギーとか、まさしくただのオカルトというか、ニューエイジに過ぎなかったなって愕然としてますね。


騙されていても善行は善行なのに、ひたすら善にコミットするということが今回はモロに悪く出てしまったというか、まぁ打算もありましたから全てが善ではなかったんですが、まぁここまで報われないと本当に悲しいですよね。ああいうのがまだ合法で人を騙し続けて生きているんですよね。僕はそれを助けてしまったわけで・・・。お金どうこうなんていう物理的な話ではなく、本当に精神的にくるものがありますね。


もちろん僕はドンキホーテで居続けますし、今回のこともまぁドンキホーテが成せるバカ技といった感じではあったと思います。まさしくまぁ風車に突っ込んでJackassみたいになった感じですね。今回は。Carchemishさんがおっしゃってくれていることは本当にありがたいといいますか、そうありたいと思いますが、今回は僕のナイーヴさが全面に出過ぎてしまい、僕のナイーヴさが今回の事件の発端となったと言っても過言ではないと思うんですね。彼の輝かしい言葉の数々をまともに受け入れて「いつかキミと一緒に仕事ができたらいいなー」なんて普通に言ってたわけですからね。泣けるぐらいバカというかナイーヴというか、こんなんでいいんだろうか?ってかなり疑問に思いましたね。ドンキホーテが風車に突っ込んで「俺はこんなんでいいんだろうか?」って痛みやらショックやらでちょっと考えてしまっているって感じですね。


まぁドンキホーテはいいとして、まぁ僕が信じていた原則みたいなものが全て崩れ去ったというのが凄まじく大きいですね。だから変な話、パクられたお金が全部返ってきてもまぁ気晴らしぐらいにはなるでしょうが、根本的なショックは変わらないですね。Carchemishさんがおっしゃる「価値があるのだ」と強弁するということは僕の大好きなモチーフですが、少なくともまぁ良い行いをするというその「良さ」というのは所詮は主観なのであって、変な話、生体エネルギーだとか宇宙エネルギーだとか善のエネルギーってのは存在しないんだなって本当に分かりましたよね。あ、何が言いたいのか?というと「善は良いことである」と強弁するのはいいけど、僕の場合、それがただのお人好しとかナイーヴさみたいなものと違いがないので、逆にそれを信じ過ぎると穴に落ちることがあるんだなっていうのを痛感したわけですね。


もう何もかもが虚しいです。学問が最後の砦ですが、なんか「学問だけか。結局」という虚しさは凄まじいです。それはそれで楽しいけど人生でそれしかないというのは正直悲しいですね。「もう数字しか信じられない」みたいな感じになったら悲しいですね。翻って見れば音楽にしても過去ほどの情熱はありませんし、実際、音楽も過去ほどの盛り上がりは無いんで自然にフェードアウトしている感じですし、映画もまた然りですね。映画はまぁ大体見てしまったということがありますが、僕の人生を支えてきたものって音楽と本と映画なんですよね。この3つが最近は薄くなりつつある。哲学に関しては良くないことですが、ポストモダン的な真理に対する相対主義みたいなものを凄く感じてしまったんですね。僕は今回、主観的に勝手に「善は良いことだ」と思っていたんですが、まぁこれが僕の真理だったわけですが、まぁモロに崩れ去ったわけですね。いや、その善もコンテキストによるでしょっていうような、まぁ真理然りですね。政治は言うまでもないです。アメリカで良い政策がイスラエルで良いとは限らないし、政治的ヴァーチューなども結局はコンテキストに依存する構造的なものなんですよね。政治に関しては自分なりにある程度咀嚼できたので満足はしていますが、結局はまぁシュトラウス的な帰結って悲しくもありますね。


哲学やってハッピーになるというか、ハッピーになるために哲学を読んでいたわけではないのですが、ちょっと分かってしまった感じってのは結構悲しいです。哲学も政治学もいよいよ来たか・・・って感じで、まぁ次は数学ですけどまぁ数学もまぁそんなに時間はかからないでしょうね。その先は僕はどうしたらいいのか全然分かりません。数学研究とかで食えればまぁ職業としての学問をやるつもりでいますが、この心の空洞を埋めてくれるものが無くなったときの恐ろしさと言ったら凄まじいものがありますね。今は本当に頼れるものが数学しかないという感じでかなり悲しいです。


なので僕は彼女を捜そうとしているのかな?とも思いましたね。空洞を埋めるための恋愛といいますか、とにかくまぁ寂しいんでしょうね。詐欺以来毎日が虚しくてしょうがないんですよね。物語とかイデオロギーが崩れ去ったから放心状態になっているんでしょうけど、なんか今の所はどうしていいのか分からない感じですね。昨日なんかはEXニヒロに飲み込まれてベッドから起き上がれなくなってしまったぐらいです。これは客観的に見れば彼が詐欺師だったショックに見えるんですが違うんですよね。彼がトリガーした僕の物語の崩壊が凄まじい精神ダメージを与えているわけです。逆にそれをトリガーしてくれたのだから感謝してもいいぐらいかもしれませんが、ダメージは凄まじいですね。どの道、まぁこれは壊れる運命にあったのかもなというのは思いましたね。


特に引き寄せの法則が今回の件に関して大きく関わっているのが結構恐ろしいんですけどね、例えば僕が欲しいものが全部来たかのように見えますよね?それは前にエントリーで書いたことですけど、数学とか職とか彼女とかお金とかが彼を通して一気に来た感じなんですよね。ここで数学が無ければただの美味しい話でそこまで丸々信じなかったと思いますが、学問とか数学というのがフックになって「これは引き寄せに違いない!」という宗教的な信条が僕を盲目にさせたんですよね。「いや、法則がワークしてるじゃないか!」っておかしいところがあっても法則がワークしていると信じたかったので、怪しい所にはあえて目を瞑るというか、「いや、そんなわけない!これは運命だったんだ!」なんていう空想の物語を作り出していたわけですね。


結婚詐欺なんかもこんな感じなのかな?とは思いましたよね。「結ばれる運命だった」というような宗教的といいますか、スピリチュアルなパラダイムを利用して判断力を鈍らせるというか、まぁロジカルな思考を奪ってしまうというか、まぁハニートラップ全般がそうですが、僕の場合、そのハニーが学問だったわけですね。あんなに綺麗な人が詐欺師なわけない!というのはおかしな話で、それはまぁ今回についても同じなんですよね。あんだけ物知りな人が詐欺師なわけない!ってまぁ別にそうとは言えないですよね。峰不二子みたいなのはまぁ綺麗な詐欺師の良い例じゃないですか?で、僕はまぁ半分ぐらいルパンだったんですよね。多分不二子はマジじゃないけどでも俺はフォーリンラヴしたい!みたいな勝手な自分の欲求がどんどん物語を形成していって暴走したという感じがしました。いや、今思えばまぁルパンがあえて不二子を選ぶほどの理由は無いんですけどね。実際、今考えてみれば思ってたほど頭は良くないし、物知りでもないんですよね。あ、その詐欺師ですね。ただ「物知りなんだ!」って信じたいっていう欲求が勝手に自分の彼の像を作り出していて、んでそれはある意味で自分の理想の投影だった可能性もあるんですね。数学で金持ちになっていて色んな分野に詳しいってまぁある意味で理想的な人物ですよね。今の僕にとっては。この投影を勝手に自分でやっていたというのもありますね。


「盲目的な熱情」は彼にも向かっていましたし、学問には今でも向かっています。ただそれは自分の輝かしさを維持するための生命維持装置なだけかもしれないわけで、実際は虚構かもしれないわけですね。そういう中でしか生きられないのが僕ですね。学問が虚構とは言いませんが、まぁ僕の人生で言えば僕の大きな物語が学問です。秋葉系オタクの萌えが大きな物語になってるのと同じですね。そういった中でしか輝けないし、輝きを見いだせないのは分かっているので、だからある意味で現実逃避かもしれないわけですね。哲学に逃げて次は数字に逃げる・・・みたいな。でも現実ってまぁ大抵が虚構の物語によって形成されてますよね。それが消費であったり彼氏彼女であったりセックスだったりお金だったり名誉だったり・・・。その人の人生を支えている何かってまぁ個々によって違うと思いますが、例えば僕の母が僕に言うのは、妹も僕もまだ自立していないので、まだサポートが必要ということで父も母も必死に働いているのですが、それを動機づけている必死さは子供たちのためということに尽きるということなんですね。それが両親にとっても無意味に思える仕事を有意義にこなせるようになる物語なわけです。それが無ければ定年後も適当に暮らせるぐらいの緩い仕事をやればいいわけで、必死に仕事する動機が無くなるそうです。まぁそういう親はうちだけではないと思いますが、まぁ僕は本当に家族や友達には恵まれていますね。


話が逸れましたが、物語ですね。子供に限らず家族を支えるためという理由だけで生きている人もいるでしょうね。だとしたら生自体は何かに依存することでしか成立しないということになりますね。生をトリガーする動機によってでしか生は支えられない。ただ生きているだけという状態に人間は耐えられないんでしょうね。まぁあんま物事を深く考えない人はそれでいいのでしょうけど、考える人は誰しもが人生に虚しさを感じると思いますね。それが特に生きるためだけの労働などに人生がオキュパイドされているとなおさらそのコントラストが目立ちますね。なんというか僕が贅沢病かというとそうでもないんですよね。凄まじく実存的な悩みといいますか、必死に働いていればそんなことを考える暇もなくなるとかって言われそうですけど、それってまぁ奴隷マインドですよねってのはいつも書いているので繰り返しませんが、なんか常に虚構に気づきながらも物語を作ることでやり過ごすという誤摩化しといいますか、騙し騙しみたいな感じの生き方は常にしているんですよね。だからこそそれを維持するためには風車に突っ込むぐらいのノリというかテンションが必要なんですよね。だからまぁどの道、ドンキホーテってことになるんですけど。


まさしくそこで僕は「この生き方自体に価値があるんだ」って信じるしか無いわけですね。価値など自分で作るしかないわけですから、Carchemishさんがおっしゃることに全ては集約される気がします。


・・・・とまぁ返事はここまでなんだが、結局それに尽きるよね。いつもCarchemishさんは良い書き込みをしてくれるけど、今回のは今の俺にとっては特に響くものだったな。創価って書くとカルトみたいになるけど、まぁ価値創りだよね。それが作りじゃなくて創りなんだよね。makeというよりかはcreation。今回みたいに風車に突っ込んでもJackassの連中みたいに笑い転げながらまた何かに突っ込んでいくしかない。止まったら終わりだよね。俺。止まることができない人間だから本当に止まったら終わりなんだよな。明日は数学科のChair personに会って正式に数学への専攻の変更と今後のアドバイスを受けるんだけど、これってまぁ良いスタートじゃん?まぁやることは変わらないっつーかまぁ学科が数学になるだけなんだけど、でもなんかジョブチェンジってウキウキするじゃん?実際そうなんだけど、でもそれと今回の虚しさって関係無いんだよね。そういうことがあっても根本的な今回みたいなことによって改めて気がつかされた虚構って変わらないんだよね。所詮は全てが物語になっちゃうっつーか、例えばお金が戻ってきてもさ、俺がやることっつったら多分新しい洋服を買うことなんだよね。これってモロにマテリアリズムじゃん?消費っつー名の資本主義における物語だよね。洋服なんて必要なだけあればいいのに好きだからっつって欲しいっつーのは単純に消費という物語だよね。だからお金どうこうじゃないんだよね。まぁ欲しかった冬物が買えなくなったのは残念だけど、仮にお金が戻ってきても違いは冬物を買えるか買えないか?と俺の借金が無しになるかそのままになるか?の差なんであってあくまで物理的な差だよね。


どうでもよくないよ。金が戻ってくれば欲しかった洋服をまとめて買って憂さ晴らしとかできるよね。それはそれで楽しいよ。でも虚構って常にあるじゃん?「で?」っていう虚構ね。EXニヒロだよね。だから今回ってお金どうこうじゃないんだよね。全然。お金は欲しいし戻ってきたら最高だけど、お金が戻ってきたら全部解決か?っていうとそうじゃないのね。


例の詐欺師は恐らく二人ともロマンスを利用して女性を騙すらしいけど、これは元相方に言われたことなんだけど、まぁこれは一種の恋愛だったんじゃないか?って。まぁ彼が言うには彼も俺みたいなやつと出会えて嬉しかったんじゃないか?って肯定的なことを言ってくれたんだけどね、まぁ俺は彼を知ってるからそうじゃないと言い切れるんだけど、でもまぁパラダイムがさ、恋愛ってのが恋だとしたら今回って学問っつーパラダイムの中の恋愛みたいなもんじゃん?ありもしない虚構って意味でロマンスだよね。それは別に物事を美化したいわけじゃなくて、ある意味で彼の典型的なスキームの一つに俺が見事に引っかかったんぢゃん!ってことだよね。あとあれね、アスペルガーってことでさ、ちょっと遠回しに「俺、あんま昔から友達がいないんだよね・・・」みたいな雰囲気を醸し出させてさ、んで同情を引くんだよね。これもまぁロマンスじゃん?系統は違えど俺も似たようなものを持ってるものとして理解できるから助けてあげよう!って思うっつーさ、そこまで彼が計算していたかはともかくとして、まぁ彼にとっては思いもよらない絶好のカモだったんだよね。結婚詐欺だったら弱い所をあえて見せて、んで守ってあげよう!って思わせるみたいなさ、まぁスキームだわな。そういうのもまぁプラトニックな産物じゃん?本物は美しいけど偽物はただ虚構を信じているやつの頭の中にあるただの概念っつー産物だよね。それを勝手に作り上げさせるのを促すっつーのも技の一つなんだとしたら完全にやられてるよね。もう完敗過ぎる。だからムカつくけど敵ながら天晴なのはそういう理由なんだよね。あまりに完敗過ぎて何も言えないよね。


まぁいいや。ちょっと最近疲れ気味だからもうやめるわ。俺って今まで夢を見ててんで現実に戻ってきたからガクーンとしてるだけなのかな?いや、違うんだよな。虚構がprovokeされた感じだよな。今回は。彼を通して虚構の姿がクッキリと見えたってのが正しい言い方だと思うんだよね。まぁいいや。これに関してはあとちょっと続くので。