ファストファッションについて。

mimisemi2010-01-08

書きかけのやつに書き足したわ。結構なダベリになったわけで。


ファストファッションってあるじゃん?ZaraとかH&MとかForever 21とか。で、何で人気か?ってさ、お洒落な割に安いからってことなんだけど、批判としてはデザインを一流ブランドからパクってるとかって言うじゃん?でも俺がいつも思うのはさ、お洒落って結局なんなのよ?ってことなんだよね。一流ブランドならそれだけでお洒落なのか?っていうとそうじゃないじゃん?不景気を利用して羽振りの良いファストファッションのブランドが一流ブランドのデザイナーをヘッドハンティングしてきたとかだったらさ、実質、一流ブランドにいたデザイナーがファストファッションを手がけることになるじゃん?そうなるとさ、結局あれだよね、リーズナブルな価格でお洒落なのが出回るってことになるよね?


でもさ、普通の人って分からないんじゃないの?違いって。例えば普通のシャツなんてどれも同じじゃん?素材が違うとか言うのかもしれないけどさ、ユニクロとかって品質にはこだわってるっつーしさ、別に安いからって品質が悪いってわけじゃないんだよね。それこそ広告にあんま金かけないとかさ、色々やり方あるじゃん?ようは安く出せるやり方ね。シニフィエシニフィアンだよな。これも。一流ブランドってシニフィアンだよね。一流ブランドっつー名前とかロゴとかでまぁようはさ、シニフィエが変わるわけじゃんっつーか規定されるわけじゃん?同じバッグでもシニフィアン次第ってことだよね。でもさ、例えば一昔前の高校生とかが体を売って買ってた一流ブランドのバッグとかさ、高校生がそういうのを持つようになるとさ、そういうのを持ってた人側から見ると痛いわけだよねっつーかもうさ、特権的じゃなくなるじゃん?高いバッグだけど高校生でも持ってるってなるとアイコンとしては役に立たなくなるよね?それっておかしくない?デザインが好きで買ってるってことじゃなくて完全にシニフィアンで買ってるってことだよね。何々だからっていうことでかっこいいっつーか凄いっつーか富の象徴みたいなさ、実際、フェラーリとかって作りが雑だって言うからね。デザインはともかく品質で言えばその辺の実用的な車の方が勝ってるとかさ、これもまぁアイコンじゃん?


いつも思うんだけどさ、ジーンズとかシャツって同じじゃん?コートだってそうじゃん?そこ特有のデザインとかシェイプがあってさ、それがクールだってことで高くても高いブランドのを買うのなら分かるけどさ、同じようなシミュラクラムが出回ってるこのご時世にさ、あえてオリジナルを高い金を出して買うっつーのもなかなかのはったりっつーかナンセンスだよね。DJカルチャーもそうじゃん?特に90年代後半のジャズDJカルチャーね。何年後かに再発が出るって知らなかったからさ、色んな奴らがこぞってレア盤買ってたわけじゃん?でもレア盤っつったってさ、例えばLes MasquesのBrazilian Soundって一万ぐらいで売ってたと思うけど、だいぶ前に再発出たじゃん?だったら再発でいいよね。でもなんかオリジナル版のほうがかっこいいってまさしくブランドモノと同じ考えだと思うんだよね。


廉価版ってダサイかな?ってことだよね。ようは。明らかなパクリはともかくとしてさ、似たようなシェイプのタイプの洋服の廉価版とかだったら別にそれってダサくないよね?スノッブなやつはロゴ見てさ、あ、なんだあそこかって笑ったりするわけじゃん?真似ブランドかって。俺のはオリジナルだぜ!って。でもそいつはロゴっつーかさ、裏地とかに書いてあるロゴを見ないと分からないんだよね。見た目だけじゃ全然分からない。それだったらどんな違いがあるのか?ってことだよね。誰かが言ってけど一流ブランドのやつが高いのって結局ブランド料なんだよね。イメージを保つための価格なんであってさ、ようは安く出すとダサいみたいなのがあるわけじゃん?それって車とかギターとかでも同じだと思うんだよね。


結局材料費なんて変わらないじゃん?車なんて元は鉄とかだしさ、ギターだってまぁ同じようななんかのマテリアルの寄せ集めじゃん?服だってそうじゃん?あと最たるもんがメガネだよね。アランミクリって俺も二つ持ってるけどあれが高いのってデザイン料とかマテリアル料だとかって言うけど絶対噓だよねっつーかさ、マテリアル料なんてないだろうっていう。あんなの原価なんてクソみたいなもんじゃん?変な話さ、路上で売ってるサングラスとかと材質が大して変わらない可能性もあるんだよね。いや、そんなことはないけどさ、でもまぁ素材が良いっつったってその差で何万も違わないだろうっていう。2000円のメガネとかあるけどさ、ダサイか?っつーとそうじゃないからね。それこそお洒落メガネみたいなのを真似したデザインのやつっていっぱいあるから見た目なんて分からないよね。そうなるともう別にオリジナルを高い金出して買う理由なんて無くなるよね。


値段の高さ=金持ち=凄い人みたいなさ、そういう構図があるのかもしれないけど本当に馬鹿げてるよね。それを持ってると立派だからとかさ、成功者に見えるとかさ、中身がそうじゃなかったら意味ないじゃん?売春で稼いだ金で立派な服着ても全然それって意味ないよね?なんかさ、いつも思うんだけど値札だよね。値段で買ってる感じ?デザインとかじゃなくて。なんつーかブランドとか名前ってすんげー空虚なシニフィアンだよね。すげー抽象的な概念だよね。だったら無印良品とかで買ったジャケットに一流ブランドのロゴでも入れればいいじゃん!ってことになるよね。そのさ、高いブランドのものがなんでいいのか?っていう納得できる理由を一度も聞いたことが無いんだよね。結局「一流ブランド」っていうシニフィアンを買ってるだけなんじゃないのか?って思っちゃうわけ。通好みだったものも女子高生とかが持ち始めると途端にスノッブな代物になって通達は持つのをやめるとかって完全に状況的なものに左右されてるよね。ようはデザインとかさ、本人達の意思じゃないよね。高くてあんま人が知らなくて通好みって言われてるからそれを持ってたみたいなさ、ファクターがそれなんだよね。それ自体が好きってことじゃなくてその状況なんだよね。そのステータスっつーのかな?ステイトっていうか。


メガネで言うとさ、あの横に細長いやつあるじゃん?あれって今ではもうスタンダードみたいになってるけどさ、まぁ俺もそうなんだよね。あれがスタンダードになったから全然かける気がしない。いや、スタンダードになるちょっと前にかけてたんだ!なんて言うつもりはないけどさ、でも気に入ってたんだよね。でもあれだけ同じような形のが出てきてさ、んでみんながこぞってかけるようになるともう嫌になるよね。これは俺がようはその状況的なものに左右されてるってことだよね。それでもデザインが好きならかけ続ければ良いのに嫌なのは他の人があまりにかけすぎているからじゃん?あとあれね、ナードメガネって言われるやつもすげー流行っちゃったよね。こっちでも見かけるもんね。日本が激戦区だと思うけどあれもあんだけ流行るともう嫌になるね。だから俺が行き着いた先がロイドメガネなんだけど、ロイド眼鏡とかさ、ウォーホールメガネみたいなのまで流行っちゃったら俺の行き場無くなるよね。もう鼻眼鏡とかモノキュラーみたいなのしか無くなるよね。


でもこれって俺もある意味で流行に左右されてるってことだよね。好きだったものが流行っちゃって他と一緒は嫌だから他のを選んでるっていうさ、これも支配されてるっていう一形態だよね。そうなるとどんどんファッションは奇抜になるよね。奇抜にしてるつもりはないんだけど、他とは違うものってことにフォーカスし過ぎてもなんだかおかしいことになるっつーかある意味で他を意識し過ぎてるってことになるじゃん?それって他を意識して流行に乗ろうとしてるやつらと結局同じなんじゃないか?とかって思えてきたりもするよね。例えばやけにデカいヘッドフォンをするのが流行ったりしたら俺はイヤフォンに変えるだろうなって思うもんね。


で、あれなんだよね、話を戻すとファストファッションってシニフィアン無きブランドモノって感じだと思うのね。一流ブランドのシニフィアンはそのロゴによって象徴されるわけだけど、デザインが似ているファストファッションにそういう威力は無いじゃん?でもデザインは似ているみたいな。それってある意味でまぁ純粋にデザインだけってことだよね。シニフィアンとかブランドステータスとか気にしないで純粋にお洒落をしようってのがまぁファストファッションなんじゃないか?っていうさ、まぁ不景気とかもあるしね、80年代のさ、大学生が就職するときは全身ギャルソンで決めるのが普通だったとかさ、そういう馬鹿げたことが無くなってる現在ってのはまぁある意味で過去よりリアルなんじゃないかと。現実がね。現実がよりリアルっておかしな言い方だけど言ってること分かるでしょ?


ファッションって自己満足なのかさ、ヴェブレン的な見せびらかしの欲求なのか分からないよね。まぁ半々ってところだろうな。外に出るっつっても誰もいない田舎でお洒落しても自己フィードバック起こしてショートみたいな感じになるじゃん?都市部に行くからこそ気合い入れてお洒落するわけで、それってまぁ他者無しには成立しえないよね。そうなると完全に自己満足とは言えないけど、まぁあとは優越感なのかな?ここにまぁブランドモノって威力を発揮するよね。高いのを着ているっつー優越感じゃん?他のやつより良い服着てるみたいな優越感ね。ファッションって考えれば考えるほどナンセンスっつーかさ、意味分からないよね。目的がなんなのか分からない。


俺だってモロにそうだからね。こっちに来てから明らかに外に出る機会が増えたっつーかまぁ基本的に毎日学校行くじゃん?そうなると洋服欲しくなるんだよね。着た切り雀じゃ嫌になる。部屋の中でずーっと普段着でいるのはいいのに外に出る時同じ洋服じゃ嫌なのはそこに他者が介在してるからだよね。まぁそういうの気にしないって人もいるだろうけどさ、まぁあと前にも書いたようにまぁニヒリズムを誤摩化すものでもあるよね。永劫回帰的に続く日々の連続する一回性を飾るものじゃん?あとはまぁ消費欲なのかな?仕事頑張って良い服買うとかさ、それで生を感じるっつーのかな?耐久性が無い服をワンシーズン着てあとは捨てるとか環境にも悪いって言われるけど、そうでもしないとものって売れないからね。パソコンとかも昔みたいにぶっ壊れなくなってるじゃん?まぁパソコンがどんだけ売れてるのか知らないけどまぁ壊れないと買わないよね。そういう意味でさ、一生モンじゃないんだけどそこまで適当でもなくて適度にファッショナブルでなにより安くてダメになったら気楽に捨てれるってまぁ資本主義の極北って感じだよね。


捨てるかはともかくとしてそういうものに世界的なデマンドがあるって凄くない?世界が画一化してるってことだよね?グローバリゼーションっつーとベタだけどさ、何らかのシステムに人間が動かされていて行動原理なんかも全てある一定の社会のアーキタイプを軸にして規定されてるってさ、良く言えばまぁコスモポリタンっつーのかな?生活様式の違いみたいなのが無くなるのってどうなのかね?まぁ別に今に始まったことじゃないけどね。


まぁあれだわ、俺が言いたいのはさ、ブランド主義みたいなのが無くなっていいんじゃない?ってことだよね。そういうのより機能主義!みたいなさ、安くてお洒落!みたいなのにアテンションがフォーカスされてるってのはまぁ良いことだと思うよね。ブランド主義って最悪のスノビズムだと思うんだけどこれも世代間の差があるんじゃないかな?若い世代は機能主義的でバブルとか経験した世代とかそういう価値をまだ引きずってた世代っつーかまぁ30半ばぐらいの人とかね、ようは90年代前半ぐらいに20代前半だった人達とかはブランド主義を引きずってそうだよね。そう思うとやっぱ価値観とかって環境的なものにも大きく左右されてるよね。ブランド主義が当たり前だった時代の人ってのはそういうのに影響を受けてるしさ、そんなのが過去のものでユニクロみたいな機能主義の時代に育った人達ってのは機能主義的になるじゃない?まぁどっちがいいか?ってまぁ分からんけどさ、まぁでもいいと思うよね。ユニクロとか。安いからダサい!とか考えないで純粋に機能を考えて買ってる人が多いってことじゃん?それっていいよね。そもそも定価とダサさとかかっこよさなんて関係ないからね。なんかファッションの呪縛ってのが無くなってる気がするよね。すげー自由になってるような気がする。だから平気でデザインパクったりとかしてガンガン出しちゃったりするところも増えてるんだろうな。そういう意味でも自由ってことね。


でもちょっと感じるのがさ、装飾品ってやっぱブランド主義強いよねっていう。こっちは酷いよ。本当に。いや、どこもそうなんだろうけどさ、特に眼鏡がみんなバカなんじゃねぇーの?ってぐらいドルガバなんだよね。ドルガバの横に長いやつね。今のスタンダードみたいになってるやつ。まぁあんまチョイスが無いっつーのもあるのかもしれないけどさ、ファッションの横並び主義って恐らく世界共通だよね。日本人はみんな真似!とか言ってられないっつーかなんつーか。あとバッグとかもそうね。それはまぁ具体的にどこってのは無いけどさ、バッグだけやたら高いブランドとかって多いよね。目立たないところは安物でアクセサリー類だけブランドモノみたいな。これもまぁアイコンだよね。さっき書いたシニフィアンね。まぁ記号ってわけだわ。で、あんま気にしてなさそうな人達は決まってノースフェイスね。やたらバリエーションが無いんだよな。なんでみんなあんなに一緒なんだろう?ニューヨーク=ファッションって明らかに誤解だね。そう思うとロンドンとかパリも一緒だと思うね。何気にやっぱ東京が一番お洒落だと思うな。あのバリエーションは凄い。前に散々みんな横並びだって批判してたけどアメリカはもっと酷いなって感じだよね。ニューヨークスタイルなんつっても画一的だしさ、とりあえずモノトーンでシックみたいなのってマニュアル的じゃん?


「アメリカ」っていうとまぁちょっと一般化し過ぎだけどあのポリシーの無さは凄いね。本当に。かぶき者が全然いない。だから俺がロイド眼鏡とかしてるとすげージロジロ見られるわけ。いつも書くけどさ、まぁどこでもジロジロ見られそうだけどさ、いやね、いつも書くけど特異な感じに耐性が無いんだよね。ニューヨークって変なヤツが多いってイメージがあるけど全然そうじゃないんだよね。前に書いたけど変なヤツ属性に入ってるやつじゃないと認められない。ジャンル分けされてない新しいっつーか変なものには耐性無いんだよね。まぁ「その眼鏡いいね!」って褒められることは多いけど、それと同じぐらい「なんだありゃ!」っていう反応も多いわけで。


まぁいいや。そんな感じで。ロゴが全面に出てるやつって知性の欠片も無い感じを与えるからマジでやめたほうがいいよってことだね。どんなブランドにしても。高いブランドって意図的にアホな大衆を騙すための大衆用のやつって明らかに作ってるよね。元々そういうのを買うぐらいのレベルのクラスの人達とは別枠のパンピーが喜びそうなバカ向けのプロダクトって絶対作ってるよね。ああいうの見るとなんつーかさ、上のやつが「ハハハ!バカな大衆共め!」って言ってるのが見えるのと同時に騙されてる大衆もバカだなって思うよね。まぁベタな詐欺に騙された俺が言うのもなんだけども。


あ、んで詐欺で思い出したんだけどさ、いやね、一般化するわけじゃないんだけどユダヤ人って金にせこいってイメージあるじゃん?金儲けが上手いみたいな。で、サイモンもユダヤ人だったんだけどさ、いやね、ちょっと気になって調べたらさ、まぁ「ユダヤ 詐欺」とかで検索したら偏ったサイトが出てくるのはまぁ当然なんだけどあるんだよね。いやね、サイモンどうこう以前にユダヤって教典とかにせこい金儲けの源流があるんじゃないか?って思ってたんだけどまぁ適当に調べただけだけどまぁあるんだよね。タルムードだったかは選民思想丸出しでさ、ユダヤ人以外だったかイスラエル人以外だかはみんな偽物だみたいなこと言ってるんだよね。


他は偽モンで元々のproperty的なもんは元々は全部ユダヤのものだったから他からいかなる手を使ってそれを奪っても正当化されるみたいなね、すげー酷くない?俺はエリーティストだけど自分がエリートってわけじゃなくて政治的なエリート主義でさ、こういう選民思想は大嫌いなんだよね。ベストな人間が統治することで良い社会が育まれるならいいんだけど、一部の民族以外は全部抹殺とかさ、それって全然根拠無いじゃん?っつーか電波じゃん?能力主義という意味でのエリーティズムは正当化されるし、それによる格差社会はしょうがないけどこんな選民思想なんて狂ってるよね。で、まぁ偏った情報ではあるんだけどヒトラーユダヤ人を大虐殺した理由にユダヤ人に詐欺師が多かったなんて理由もあるとかないとか。とにかくまぁステレオタイプなレベルにせよ中にはえげつないやつがユダヤ人にいるってことだね。


なんとなくユダヤ人が嫌われる理由ってのが分かってきた気がするな。前はなんでさ、むしろあんな優れた人達が忌み嫌われてるんだ?って疑問だったんだけど歴史的な観点から見ると全員がそうじゃないにせよ高利貸しだのさ、せこいことして金儲けしたりとかさ、そういうやつもいたってことでステレオタイプが形成されたとは思うよね。マルクス自身もユダヤ人だったのにユダヤ人をなんとかしなきゃダメだ!みたいなこと言ってたような気がするしさ、まぁだからといって反ユダヤ主義になるわけじゃないんだけど、ようはね、俺が言いたいのはユダヤの教典にまぁなんらかの根拠はあるんだろうなってことだよね。


教典にとんでもないことが書かれてたらさ、10人が読んで1人は真に受けて実行するやつもいるかもしれないじゃん?そんなのが教典になってたとしたら危ないってことだよね。いや、絶対あると思うのね。金儲けとか詐欺的発想とユダヤ教典の繋がりね。まぁ完全に調べたわけじゃないけどさ、元々のものが全部ユダヤのもんだから他から盗んだりしても問題ないとかってマジでありえないよね。まぁ反ユダヤ的なサイトがタルムードの極端な部分だけピックアップしてあげてるサイトも多いからあれなんだけどさ、俺がまず思ったのは「サイモンの行動原理そのものじゃないか!」ってことだよね。で、アンチロスチャイルドな人達はそれを根拠に「彼らはタルムードの規律通りに行動している!」とかって書いてるけどさ、それはまぁともかくとしてサイモンってユダヤ教の経典とか読んでる人だったからね、いや、中にはユダヤ人でもそんなの読まないとか親がもう教えないとかさ、それは悪いから教えないってことじゃなくてある意味で古いしきたりだからもうやらないみたいなさ、そういう家もある中でまぁヤツはハードコアなユダヤ人だったからさ、まぁ恐らく勉強してたよね。


で、あの双子の歪んだ信念とプライドとユダヤ人としての誇りみたいなのがタルムードの教典の一部分の選民思想的なところとシンクロしたらまぁそれってMaking of詐欺師になるよね。ようは状況とか場合によってはせこい金貸しとか選民思想的な人間とか詐欺師を生み出す可能性があるかもしれないってことね。そういう要素がユダヤの教典にあるから昔からそういうやつが多いとは言えないけどまぁユダヤ人にいたんだろうなってのは容易に想像できるよね。それが1000人に一人でも目立つじゃん?だから目立っちゃったんだろうなっていう。他のせこくないユダヤ人達はそれに迷惑してたりさ、それがベースになってる差別に迷惑してるとかさ、そういう色んなややこしい要素があるんだろうなって思ったけど、まぁこれに関しては特命リサーチを続けることにしよう。


いや、でも凄いよね。非ユダヤからなら何でも奪っていいってさ、サイモンは良心の呵責なんて感じないだろうな。仮にこういう行動原理で動いてたらね。むしろ教典通りの正しいことじゃん?それって。ようはマキャベリで言えばマキャベリの悪の処世術みたいなところだけをピックアップしてそれを教典としたらそれこそただのマキャベリズムになるってことだよね。ヴァーチュー無きマキャベリズムなんてただの権力主義じゃない?あとなんかさ、社会性を保つためにそういうのは剥き出しにしないけど心の奥底では選民思想が渦巻いてるとかさ、そんなのがあったらヤヴァイよねっつーかそれって分からないよね。そんなの子供に読ませちゃダメだよな。良いことが95パーセント書いてる本でも残りの5パーセントが悪の処世術みたいなことに費やされてたらそれはオミットするべきだよね。そこは削除するべきだよね。


でもエクリチュール原理主義者って必ずいるじゃん?聖書なら聖書に書かれている通りのことを信じるみたいなさ、少数にせよそういうのはいるわけで、そうなるとまぁ多くはなくてもタルムードの悪の部分も疑問を持たずにドグマティックに信じてたりするやつがいればそいつが高利貸しになったり詐欺師になったりしてもおかしくないよね。それがまぁ過去からずーっとあったんで嫌われてきたっつー理由ならマジで分かるわ。それは悪いけどタルムードが悪いよね。ユダヤ人は悪くないけどね。ユダヤ人=高利貸しってイメージはここから来てたんだろうな。恐らく。まぁもうちょっと調べてみるけどね。一般化は出来ないし、だからといってユダヤ教とかユダヤ人=悪にはならんのだが、教典の少しでもそういう要素があったらそれは危険因子を孕んでるってことだよね。それはまぁあらゆるドグマに言えることだけども。


その対立がまぁ宗教戦争だったりするわけじゃん?アメリカのエヴァンジェリカルズとイスラム過激主義って両方とも教典を誤読してバカなことやってる連中だけど、それはタルムードにも言えるってことね。だから別にユダヤに特化した話ではないってことね。それで言えばマルクスだってそうじゃん?革命思想だけやけに取り出してきて全部ゲバルトだ!みたいなさ、そういうのがまぁポルポトのクメールルージュみたいなのを生むわけじゃん?赤軍とかね。頭のおかしさで言えばタルムードベースの詐欺師とか聖書ベースのブッシュ親子とかアメリカの田舎とかコーランベースのイスラム過激派とかまぁ全部一緒だわな。同じ気違いって意味では共通してるしそれが世界共通の問題を生み出しているってことがよく分かるよね。つまりはイデオロギーが人を支配してるってことだ。イデオロギーをprovideする側もドグマに洗脳されてたりするわけでさ、ただ元の教典見ると全然そんなことはないってそれはマルクスも聖書もコーランもタルムードも共通してると思うんだよね。でも変なところだけピックアップしてそれをアンプリファイして凄まじく変な出力で世界に迷惑をかける連中ってのはいるわけでさ、まぁカルトもそうじゃん?基本的に。カルトはまぁ教典からして狂ってるからまぁ身もふたもない話だけどさ、聖書とかコーランに限って言えばそんなことないじゃん?でもバカな読者がいればそれは危険思想にもなりかねないわけでさ、それはタルムード然りってことなんだよね。


で、一時期言われてたのがシュトラウス派もそんな感じのユダヤ主義的エリート集団なんじゃないか?ってことだったんだけどね、まぁそりゃシュトラウスを読めばそんなことないってすぐ分かるんだけど読んでない人達がまぁまた変な噂出すもんだからそれが主流の見解みたいになっちゃったみたいなね、ちなみにシュトラウスシオニズムになんて全然コミットしてないからね。ユダヤ的要素なんて全然漂ってない。まぁユダヤ系の研究はしてたけど本人からユダヤ的な思想の香りがするか?っていうとそんなことないわけで。


で、ドグマと言えば闇の貴公子とか言われてたベールもそうね。悪の政治家の権化みたいなやつだけど単純なアメリカ主義の人なんだよね。この人。ジェファーソンが言ってたさ、アメリカが世界の平和を守るみたいなさ、ようは他国に世界の平和を脅かすものがいたらそれを調停するのがアメリカであるみたいなね、ようはまぁこの名の元に侵略なんていくらでもできるんだけど、ベールはジェファーション主義っつーとおかしいけどさ、アメリカの理念をある意味でもろに守ってるかもしれないんだよね。もちろん利権とか色々あるにせよ信条の中にはジェファーソンもあるみたいなさ、そう思うとびみょーじゃない?ベールを動かしてた動機がジェファーソンだもんね。


これもまぁドグマの解釈次第じゃん?ちなみに俺のジェファーソン解釈というほどでもないし、そこまで読み込んでないけどまぁジェファーソンってエリーティストなのよ。モロに寡頭政治を賞賛してるようなところがあるんだよね。そんな意味でガンガン飛躍しちゃえばアメリカの寡頭制も元は建国理念によって支えられてたりしたらまぁどうしようもないよね。ソ連や中国がマルクスエンゲルスならアメリカはジェファーソンですみたいな話じゃん?でもジェファーソンって革命思想も持ってるわけでさ、Versoからマイケルハート監修でジェファーソンとか出てるけど、まぁこれも解釈次第じゃん?シュトラウスが引用するジェファーソンとかアメリカ建国系の文章はエリート主義のものが多くて、んでハートがジェファーソンを監修すると革命思想のところばっかになるっていうさ、ようはピックアップと解釈次第でまぁデリダみたいな話になるわけよね。エクリチュールと差異みたいな話ね。


記号参照に常にまとわりついてくるずれね。デリダ用語で言う差延だわな。まぁデリダに依拠するかはともかくとしてエクリチュールの現前性って常に主体によって生まれてくるものでさ、エクリチュールそのものじゃないよね。主体の意志とか解釈を通してそれが初めて存在するものになるわけでさ、つまりは主体のフィルターを通さない限りエクリチュールってのは解釈されないんだよね。当たり前のことだけどさ。そう考えると翻訳とか時代とか人間とか文化とか色んな違いによってエクリチュールが多種多様に解釈されるなんてむしろ当たり前のことじゃん?それが一個の意味作用として働くなんてことはむしろないわけで。だから解釈学って昔からあるわけじゃん?そんなシニフィアンの戯れの中で過激な思想が作り出されたり詐欺正当化思想が育まれたりしてもおかしくないよね。ソースはエクリチュールなわけでソースを消さない限りシニフィアンの戯れって常に起こるわけじゃん?で、タルムードの場合、いや、まだ読んでないから分からないけど、まぁ変なこと言ってるところもあるわけでさ、そんなものを教典として教えるのは間違ってるでしょってことだよね。


そりゃー現代的なポリティカルコレクトネスに照らし合わせて読まないとダメでしょっていう。まぁ聖書もコーランマルクスも大虐殺思想を生むわけだから、なんかさ、佐藤実が言う「思想とは殺すものである」ってのがまた違った意味での説得力を帯びてくるよね。俺の解釈では思想は極めれば思想信条により他者を殺すことを厭わなくなるってなことでまぁ彼の国家論のコンテクスト上ではそういう意味だろうけど、またコンテキストから外してきてさ、ここにこうやって「思想とは殺すものである」って持ってくればまた違う意味が出てくるじゃん?これもまぁシニフィアンの戯れの一種だわな。思想の曲解や誤読も極めれば殺すものになるってことで基本的に「思想とは殺すものである」っていうテーゼはワークしてるもんね。


意外と長くなったっつーかファストファッションの後半ぐらいから本領発揮になったなっつーか今日書いた文が本領発揮だったな。書き始めると色々あるもんだね。まぁサイモンとユダヤ教に関しては年末ぐらいから考えてたことなんでまぁ思いつきじゃないんだけどね。いや、エクリチュールって恐ろしいよねってことだよね。どの道。サイモン云々は別としては今日書いたことみたいなのはそういう可能性はあるし、まぁ実際それが原因で戦争とか起きてるわけでさ、思想って凄まじいよね。思想とか信条ね。行動原理をシェイプするんだもんね。洗脳が受動的に成されるのに対して読んでいくって能動的に洗脳されるってことだもんね。ましてや意図しないところですでにドグマに捉えられてる場合があるわけでさ、それって自覚的にならないと分からないことだもんね。でも行動原理ってまぁそれが主観性みたいなもんじゃん?そうなると客観性って何なの?ってことになるよね。主観にどう客観を介在させるのか?って分からないよね。本当に。マックスウェーバーが言うvalue freeっつーのが無理っていうのもまぁこういうことでしょ。社会学的な分析ですらも絶対主観が介在してその主体の思想なり信条なりが介在してしまうっていうね。


まぁいいや。今日はそんなところで。