通りすがりの者さんへの返信。

mimisemi2010-01-09

いや、返信してたら長くなったので1エントリーにしようかと。

通りすがりの者 2010/01/09 14:05
文脈を理解できないことがどれだけ不幸なのかということにとても共感します。


共感ありがとうございます。しかしながら問題は特に大昔の文献においてはポリティカルコレクトネスが現在の社会と照らし合わせて見ると明らかにズレているといいますか、アウトなのが多いのにも関わらず、それを教典とするような一派がエクリチュールをドグマティックに受け止めてしまい、そこから得た知識による行動原理を現在の社会で実行してしまうということにあると思います。


それは必ずしも文脈を理解しないということではなく、明らかに過去に書かれた現在と照らし合わせると道徳規準などがズレているものをそのまま理解してしまうということに問題があるわけですね。それが括弧付きの教典だと言われていると盲目的に良いものなのだと信じてしまい教典を文字通り理解してしまうということですね。


近代的なテキストではそのズレは太古のものと比べれば微々たるものだと思いますが、なんといいますか時代が新しくなればなるほど文脈を理解しないということが由々しき理解の欠如になっているという気がするんですね。それに比べて太古のテキストの場合、現代の読者が書かれていることを鵜呑みにしてしまい、現代の道徳規準とは相反する思想を持ってしまうというところにあると思います。なのでまぁ圧倒的に宗教とかが多いわけですね。


宗教とかの教典をドグマティックに理解する人達というのは実例を見れば分かりますが大抵がバカなのでしょうがないかなという気はしますが、そういう意味でもまぁ読者の知の欠落というのは不幸ですね。文脈を理解しない読み方というのもまた理解の一つであるので結局原因はエクリチュールに帰依するわけですね。それが存在する限り誤読もされうるという意味で解釈は人の数だけあると言えます。


そう考えるとハビトゥスの元は恐らくはエクリチュールですよね。日本なら神道だとか仏教だとか、アメリカならキリスト教だとかプロテスタンティズムだとか、人間の行動様式を規定しているものは過去に書かれた何かだったりするわけですね。仮にこのハビトゥスが何かの誤読によってもたらされたものだとしても、例えばイスラム過激派などはその誤読と曲解により行動原理が規定されているわけで、少なくともその小集団においてはそれが正しいことになるわけですよね。ではその誤読を訂正するのは何か?というとちゃんとしたイスラム教理解なのですが、テロリストにとってのイスラム教理解が存在して、それがハビトゥスになっている以上、それもまた一つの解釈や思想となりうるわけですね。なので「誤り」という言葉はあまり適切でなくなってしまいます。


むしろそれに対して「誤りだ!」と訂正することがおせっかいになったり言論や思想の自由を脅かすものとなってしまう可能性もあるわけですね。なので誤読がベースになっている危険思想もそれが思想である以上、思想なわけですね。映画とか文学とかに一個の解釈しか存在しないということが無いのと同じことですよね。


誤読が左翼運動を引き起こしたり詐欺を引き起こしたり戦争を引き起こしたりするのを見ると、まぁエクリチュールといいますか、イデオロギーというのは恐ろしいもんだなって本当に痛感しますね。マルクス的なタームで言えばイデオロギーとは政治的なものですが、僕が思うに恐らくこれは行動原理を規定する思想や信条という意味で全然政治に限ったことではないと思ってるんですね。アルチュセールが主体とはステイトの産物であると言っているのも恐らくはイデオロギーというのが人間の行動原理をシェイプするものだと解釈しているからだと思います。


僕が今回まぁ色々と思ったのはそのダイナミズムが必ずしも縦の力によって生まれるものではないということですね。非常に困った行動原理が一人の人間のエクリチュールの誤読なり思い込みで生まれることもあるわけで、イデオロギーというのは偶発的に生まれる非常にランダム性が高いカオスの産物なのだということがよく分かりました。例えば僕が勝手に思い描いている不幸な詐欺師サイモンのライフストーリーで言えば、小学校や中学校の頃は優等生で何かの賞を取ったのにも関わらず、恵まれない家庭環境のおかげでグレてしまい、父親からの酷い扱いのおかげで人格が曲がってしまった結果、世を拗ねる癖がついてしまい、彼の中途半端なインテリジェンスも加わって彼の都合の良い曲がった選民思想主義的ユダヤ教解釈が彼の行動原理に繋がった結果、ああいう哀れな詐欺師が出来上がってしまったという感じですね。ある意味で彼はまぁ究極の能動的ニヒリストであり、宅間やら秋葉原の連続殺傷事件やらコロンバイン事件やらヴァージニア事件の犯人と共通点があるということですね。世の中や他者へのフランストレーションを物理的なもので昇華させるのと、詐欺という行為で昇華させるのと、まぁ手法の違いはあれどカタルシスという意味では同じということですね。非常に哀れな害虫です。


これは凄く偶発的なことですよね。全てがエクリチュールに帰依するのではなく、テキストを読む人間の環境や人格なども加わった結果の混合物としての解釈という思想が生まれるわけですよね。これは全く予期できないという意味で非常にカオス的だと思うんです。生まれついてのクズや殺人鬼や詐欺師もいれば、環境的な要素によって作り出された害虫もいるわけで、原因が簡単にトレースできないという意味で非常にやっかいですね。政治思想に関して言えば時代の流れなどもあるわけで、現存の思想や既に解釈されてきた思想も今後の時代の流れにより、偶発的にどこかの国家や社会で今までとは違った読まれ方をして新しい解釈が生まれる可能性もあるわけで、そういった意味で思想というものは相対的ですよね。ここで相対主義に陥る必要はないのですが、思想というものは数学や科学のように一つの意味を意味するものではないので、それが言語によって書かれたものだとしても普遍的な一つの解釈などありえないということですね。数学が普遍的言語だと呼ばれる所以は少なくとも数学的事実に対する解釈は一つしかないからですよね。それは様々な解釈が存在する思想や歴史と照らし合わせるとその普遍性が際立ちますね。逆を言えば言語というものが必ず一つの普遍的なものを意味するものではないという事実から数学の普遍性が見えてくるのかもしれません。


・・・・とここまでが返信のつもりだったんだけど相変わらず話が逸れて長くなって誰に書いているのか分からなくなってきたよね。まぁ今日はそんな感じで。