高等遊民について。

mimisemi2010-01-16

欲しがらない生き方っつー本があるんだけどさ、まぁあれだ、高等遊民についての話っつーかまぁススメっつーのかな?著者はリタイアした元社長かなんかでさ、すげー激務に追われる日々で胃がんになったり大腸がんになったりしたんだけどまぁーなんつーかあれだ、「何やってんだ?俺?」みたいに思ったりなんかしてまぁ早めにリタイアして高等遊民になったっつーような感じなんだけどね、まぁそのきっかけとかさ、触発された人物とかね、そういうのが述べられてるんだけど、本の冒頭でそんなのニートって言われそうだって書いてあるんだけどさ、著者はニートは甘ったれのグータラ野郎で高等遊民とは違うって書いてあってまぁ俺ももっともだとは思うんだけど、んでもまぁ社会的っつーかステータス的には一緒なんだよね。


高等遊民って夏目漱石の造語らしいんだけど、まぁ夏目漱石の小説に出てくる先生とかがね、定職に就かずにフラフラしてるんだけど知的生活をしている人達みたいな感じなんだけど、まぁ明治から大正の終わりぐらいまでにまぁそういう人達がいたっつーかまぁでもあれだよね、特になぜかテクノとかエレクトロニカとかに多いんだけど、高等遊民的な人が親の支援によって音楽やってるって多いじゃん?多くはないか。竹村とかどっからあの資金来てるの?って感じじゃん?バカ売れしているアーティストではないし、そこそこ有名になる前からすんげー数の機材持ってるじゃん?噂によればフランスのブルジョワが妻でそのヒモみたいな感じで資金源になってるとかって聞いたけどまぁ分からんけど竹村ってまさしく高等遊民だよね。音楽ではやりたいことやったからっつってクレイトアニメとかやりだすのもいかにも高等遊民っぽいよね。竹村はあの佇まいからなんつーかさ、上品な感じじゃん?だからああいうのが許されるっつーか本人にも風格あるじゃん?貴族っぽい人だよね。ああいう人のことを言うわけだね。スタイルだけでやっててもなかなか難しいっていう。ああいう風格は生まれながらの高等遊民にしか無い感じじゃん?


で、俺が尊敬する佐藤優の獄中記にも高等遊民って言葉が出てきててさ、獄中で本ばかり読んでいるのは高等遊民みたいなもんだって言ってるんだけど、まぁなんか俺が地下室に籠って読書を続けるスタイルにすげー近いなって思って共感しながら読んでたんだけどさっつーかまぁほとんど同じじゃん?でも俺の生活を見ても分かるように半ニートとも言えなくもないじゃん?学校行ってるし学問にコミットしてるからニートとは言えないけどでも実際はニート臭いよね。怠けてはいないけど本ばっか読んでて働いてないからニートみたいに見えるじゃん?だから俺はいつも自虐的に自分のことを今でも引き蘢りだって言うしさ、まぁニューヨークで引き蘢りやってますみたいな感じなんだけどさ、結局、この高等性みたいなのを担保してるのって学問とか知性だよね。ようは知的趣味っつーのかな?知的生活してればなんとなく格好がつくんでニートとは呼ばれないみたいなさ。でも実態はニートみたいなもんじゃん?いつも書くけどさ、俺の読書とか学問を代数みたいにゲームとかアニメに置き換えたら本当にただのニートだからね。


ニートは遊民のレベルが低い下等遊民なんであって逆を言えばまぁ高等遊民もブランチとしては一緒ってことになるよね。まぁ欲しがらない生き方も獄中記も是非読んでほしいと思うけどね、いつも俺が書いてるのってこれなんだよね。結局。まぁウォール伝って言わずもがなソローのウォールデンから来てるわけだけど、まぁこの俺の半隠居スタイルって長いんだよね。10代後半で森の生活がバイブルになっててさ、今もまぁそれがニューヨークで続いてるだけなんだけど、問題は収入じゃん?実家暮らしではあのままで良かったけどさすがにもうダメだっつーかまぁ日本が嫌だとかさ、まぁそういうのはいつも書いてるからいいけどねっつーか繰り返さないけど、ようは俺みたいな半隠居スタイルを続けるには生活は今のままで良くて結局は収入源なんだよね。んじゃあこないだ書いたニートの人みたいにネット広告収入とかでいいのか?って話になるじゃん?まぁそれがいいかどうかっつーよりかはさ、いやね、高等遊民だって経済とかから見ればさ、増え過ぎたら困る要素ではあるよね。だってあんま消費しないし収入も少ないじゃん?それでも高等遊民が正当化されるのってやっぱその高等さにあるよね。ある意味で選ばれしものにしか選択できないある意味で一番贅沢な生き方じゃん?でもまぁ実態はニートに近いっつーね。これってどうなんだろうね?


で、俺は基本的に違いは無いと思ってるのね。少なくとも社会的な観点からニートを問題だって言うなら高等遊民だって問題だよね。半隠居とか言われてさ、社会を半分降りたような人達が増えられても困るじゃん?中島義道みたいな人がおっさんになってから半分降りるならいいけど俺みたいな若いヤツが降りるようになったらそれはそれで困るんじゃないのかな?まぁ降りたくなるような社会をなんとかしろって話だけど、んでもまぁ元々隠居マインドを持った人間っつーのもいるわけでさ、これはまぁ前に書いた分裂病の人達とかと同じでまぁ場所とか人種関係無く一定量存在すると思うんだけどね、まぁでもほんの一握りだよね。でもその一握りになれない知的ではないやつが隠居マインドを持ったらどうなるか?っつーのがまぁ引き蘢りとかニートだよね。まぁ引き蘢りにもニートにも色々種類があるから一概には言えないけどさ、ただまぁ下等遊民ってのはフリーターでありニートじゃん?それが甘ったれかどうかは分からないよね。俺だって甘ったれだってよく言われるわけで。


いや、俺は自分のことをニートだとは思ってないよ。グータラだけどノンエデュケーションではないからね。逆に常にセルフエデュケーションじゃん?それがまぁライフスタイルになってるんだから放っておいてくれって話だけどさ、でもエデュケーションがあればその生き方が正当化されるか?っつーとそうじゃないよね。ようは質とかやってることの違いなんであって実態の差はないじゃん?だから全然ニートがグータラで高等遊民はグータラじゃないとは一概に言えないんだよね。いや、俺は違いは無いとは言わないよ。違いはあるし欲しがらない生き方の著者の意見に全く同意するけどさ、でもまぁ社会的な要素としてはまぁ属性は「遊民」という事でまぁ種類の違いはあれど一緒じゃん?だからまぁ違いは無いんだ!って言い切れないっつーかね、まぁ無いっつわれてもまぁ反論できないよねっていう。


いやさ、でもね、くだらない欲望を捨てて生きるのがいいとかさ、学問に没頭しようとかっていうさ、佐藤優でも欲しがらない生き方の著者の岬龍一郎でもさ、ああいうキャリアっつーと変だけどリアル社会でバリバリ活躍してきてさ、それこそ社会の上ぐらいでやってきた人達が結局は高等遊民的な生き方が一番いいとかって言うとさ、妙に説得力あるよね?それって彼らの老いとか本人達が原因ではない環境的な挫折によるものでもなくてさ、まぁ一種の悟りなんだよね。色々やってきたけどこれが一番贅沢で好きなことだなっていう。そういう生き方がいいなっていう。これって何気にモロにニート属性なんだよね。こないだのネット広告収入の人も有名国立大卒だかって言ってたけど、まぁ彼は高等からはほど遠いけど、でもまぁバカではない人ってやっぱポリシーもって遊民やるじゃん?流されてニートっつーよりかは一応オピニオンがあってニートやってるっつーか。


レベルの差はあれ結局でも言ってることは一緒だったりするんだよね。ネット広告収入の人は数年で会社辞めたけどさ、岬龍一郎は病気とかもあってまぁ早めにリタイアしたんだろうし、佐藤優の場合は言うまでもなく国策捜査による投獄じゃん?数年で会社辞めたヤツと彼らを一緒には出来ないけどでも結局、原因と結果が同じなんだよね。会社に入っても毎日クソみたいな生活で食うためだけに生きるなんてまっぴらだ!って感じてパソコンだけやる生活に突入するのかさ、元エリート官僚が国策捜査で投獄されて高等遊民的な生活に目覚めるのかさ、まぁ佐藤優はいっぱい仕事してるからまぁ遊民ではないけど、でもまぁ獄中ではそう思ってたわけじゃん?読書三昧の生活もいいなって。むしろそれが俺のやりたいことだっていう能動的な選択だよね。で、ネット広告収入の人もある意味で能動的なんだよね。だから差はないのね。あるのはレベルの違いね。佐藤優とか岬龍一郎の場合、宣言できるぐらいの裏付けっつーか格好みたいなのがあるけどネット広告収入の人はニート宣言!とかって言えないみたいなさ、でもやってることは一緒っていうね、自由時間を至上のものとして好きなことに没頭するというのとさ、自由時間を持て余してダラダラ過ごすのってまぁ後者のほうに批判は行きそうだけど実質的な差ってあんま無いじゃん?って繰り返しになってるね。ずーっと同じこと書いてるような気がする。


バリバリ働いてきたから引退が許されるってわけでもないよね?むしろ自分を殺してやってきてんで挙げ句の果てが癌とかって悲惨じゃん?で、このままじゃ悲惨だ!ってことでそれを賢く回避した生き方というのがリタイアであり高等遊民として生きるということなわけじゃん?ってことはさ、本にもあるようにさ、忙しいの「忙」って字は心を殺すと書くってことでさ、それこそ忙殺されてるって心を殺してるってことだよね?もしくは殺されてるか。そんな生き方一体何になる?ってそりゃやっぱ思うよね?思わない?俺は思うな。だから俺は最初から半隠居なんだよね。むしろ心を活かして心と向き合って心を磨いていく生活のほうがよっぽど人間らしい生き方じゃん?それを甘えだなんだって批判される筋合いは無いよね。ましてや心を殺してる人達にそんなこと言われたくない。まぁ俺は信念があるしね、こういう生き方は辞めないつもりっつーか一生高等遊民でいるつもりだし、高等遊民でいられなければそんな生き方嫌だからね、まぁもちろん経済的には自立してなんとかやっていくしかないっつー前提は当たり前で親の支援が前提の高等遊民じゃダメなんだけどさ、でもまぁ仮にニートもさ、好きな時にだけ働いてあとは寝てるとかってやつがいたら一応経済的には自立してるってことでさ、ようは親の支援とかを受けてなかったらグータラだけどそれはそれでそいつの生き方なわけでいいわけじゃん?


欲しがらない生き方で葉隠からの引用があるけどさ、ようはね、葉隠みたいな自分を殺して誰かに仕えるみたいなマニュアルの本の作者ですらもね、好きなことをして生きるのが一番良いって言ってるじゃないかってことなんだよね。嫌いなことをやって生きていくなんてバカバカしいと。そこでまぁ葉隠の場合、仏教的なね、この世は全てが幻であるから・・・っつー前提もあるんだけど、葉隠ではこれは自分の秘密の教えってことになっててさ、なんでかっていうと若い侍達に誤解を与えかねない教えだからだって言うんだよね。常朝は実際は寝るのが好きで今は引退して毎日寝ることが許される生活だから今後はダラダラして生きることにしようって宣言してるんだけど、これもまぁあれじゃんね?いつでも死ぬっていう覚悟の元で君主に仕えてきた侍の引退後の本音じゃん?


つまりはあれかね?若者がなぜかアプリオリに頑張らなきゃいけないのってさ、実際は好きなことだけやって生きるのが一番だっつーことを教えちゃうとみんな寝て過ごすとかさ、趣味に生きるようになっちゃうから社会的に困るからっつーんでいつでも仕事のために死ねる侍を大量生産するためにそういうことをあえて言わないってことになるのかね?それじゃあマズいから若者達よ頑張ってくれよと。社会を担ってくれよと。でもその結果ワープアだのさ、「働けているだけ幸せです」なんて安月給でも我慢して働いてる若者が若者の鏡だみたいに言われるとかさ、そういうのってモロに奴隷じゃん?奴隷が奴隷であることに生き方を見いだしてるって最悪じゃない?ましてや他と比べて自分は正社員だみたいな相対的な価値観で「自分は幸せです」とかって言う若者とかさ、そんな若者が増えるほうがニートが増えるより問題だと思うんだけどな。そんな連中絶対上に立てないじゃん?社会を率いていけないじゃん?社会を担えないじゃん?だってただの奴隷だからね。だからニートと変わらないとは言わないけど、俺はまぁそういう奴隷マインドを持った連中は別に偉いとは全然思わないのね。湯浅誠さんみたいな人が俺は偉いって思うわけでさ、労働力になるってことイコール偉いなんて馬鹿げた考えだよね。そんな生き方をしてもろくなことにならないって先人達は言ってるわけでさ、あ、んでその先人っつーのは偉人達も含むけど、ようは人生の先輩達も言ってるじゃん!ってことね。


大志を抱くのも隠居するのもその人次第でさ、みんなが例外無く大志を抱いて頑張るなんてのがデフォルトなんておかしいよね。なんでそんなアプリオリに社会に取り込まれるっていう前提が規定されてるんだ?って話なわけで。社会人として振る舞えないからダメとかさ、ダメな若者が増えてるって言うけどさ、でもそのダメかダメじゃない基準って大体まぁ会社でやっていけるかどうか?ってことだよね。自分をアピールしてプレゼンが出来るか?とかさ、社会人らしいコミュ力があるか?とかさ、でもそんな基準だけでダメかダメじゃないかのレッテル張りするっておかしいよね。なんでそんなので人間性が規定されるんだ?って話じゃん?それがデフォルトであるってのが俺は許せないのね。だから就職活動がヘタクソな若者が増えているとか言われても全然何とも思わないのね。なんで就職活動が出来なきゃダメなの?って逆に問いたいぐらいで。


生きていくためっつーか社会人として生きるために当たり前でしょって言われそうだけどさ、でも社会人って大半が自分を殺して食うために生きてる奴隷じゃん?そういう奴隷になるってことが良いことなのかね?ってことだよね。あとなんで企業みたいな枠組みの中だけで何か新しいことをやるとかさ、社会を率いていくみたいな基準が生まれてるの?ってことだよね。なんでそんな会社が基準なんだ?っていう。ヒッピーのコミューンとか作ってサンラみたいな音楽活動をする集団がいてもいいわけじゃん?定職に就かず放浪ばっかしててたまに放浪記みたいなのを出すビート族みたいなのがいてもいいわけじゃん?こういう生き方のほうがよっぽど人間らしいと思わない?会社に入ることがデフォルトって相当怖い話だよ。よく考えてみてほしいよね。なんでそんな画一的な生き方を最初から決められてるんだ?って話でしょ?


もちろんだからといって学力低下とかも別にかまわないとは言わないけどね、でも別にあれなんだよね、学校の勉強でも企業でもさ、やりたいやつだけやればいいんだよね。のし上がってやる!とかさ、大金持ちになってやる!とかさ、会社を立ち上げるのが夢だ!とかさ、そう思ってるやつらは自ずと頑張るじゃん?でもそうじゃないやつらもそうじゃないやつらなりに生きていける世の中じゃないとダメだよねってことだよね。そういう画一的なレールから落ちたらもうドロップアウターでダメとかってどんだけ排除的な社会なんだよ?って話じゃん?漢字すらもかけない、割り算は二桁になると出来なくなるとかさ、そういうやつがいてもいいよね。別に。それが理由で高校中退したっていいじゃん?でもそれが原因で生きていけなくなるっつーのがおかしいんだよね。そうなったらもう自己責任で飢え死にしかないとかってふざけた社会だよね。


こういう意味での能力主義っつーのは本当にダメね。排除が基準の能力主義なんてそれこそただの選民主義なわけでさ、今の日本が自己責任の名の下に能力が低い連中を自分たちが悪いっつーことで切り捨ててるって完全に選民主義だよね。格差社会はいいんだよ。格差があってその下には下の社会があって仕事があってコミュニティとかがあればいいわけでさ、そういう意味での能力主義はいいわけ。だって能力があればいくらでも這い上がれるしさ、最初から無理ならまぁその場所に留まりつつまぁそれなりの人間らしい生活ができるっていうね、まぁ俺は普段ね、高校中退の割り算とかも出来ないやつがホストとかの子供産んでシングルマザーとかで俗悪な環境で子供を育ててんでまぁそういう低いレベルの遺伝子がまた高校中退とかして子供産んで・・・っつースパイラルが質の低い人間を生み出すようになってっつーかまぁそういう貧乏子だくさん的なスパイラルは昔からあったとしても、今みたいな世の中だとそこそこ知性がある人が考えて子供を作らなくなるから、こんな社会でも生まれてくる子供達はバカ親の子供達が多くなるっていうようなね、まぁ優性学的な考え方を持っているし、まぁこれはある程度事実だからしょうがないしても、だからといってそういう連中が飢え死にする社会ってのを許しちゃダメよ。そりゃ。


セックスしか能がないような連中だって生きていけなきゃいけないわけよ。だから俺はそういう事実は認めるにしてもバカ親が子供を産むな!とまでは言わないよね。だってそれってもう結局虐殺の思想だからね。バカが増えるのは困ることだとは思うけどバカを殺していいとは一切思わない。でも今の日本っつーかまぁアメリカとかもそうだと思うけどバカはバカに生まれてきたことを恨むしかなくて自己責任で貧困の中で暮らしてくださいって言うのはさ、それって直接的には言ってない最悪の選民思想だよね。頭が良いやつとか能力があるやつしかやっていけない社会って最悪の排除がベースの社会じゃん?貧乏子だくさん原理は認めるにしてもだよ、そういうドヤ系の貧乏で遺伝子的にもイマイチな連中が生きていけない社会を作るべきだ!なんて死んでも思わないからね。バカはバカでいいんだよ。だからまぁ別に下等遊民もいいわけ。遊民は高等じゃないと認められないなんて条件はおかしいわけで、質が悪くたって別に生きたいように生きれればいいわけよ。ダメな生き方なんて無いわけ。まぁ人を殺したり騙したりっつーのは当然例外としてもね、まぁ普通にやっていく分には「こうしなきゃいけない」なんてルールは無いわけだからさ、個人個人が自分なりの生き方を模索していけばいいわけよ。


そんな意味で俺が思うのはね、高等遊民ニートと違うんだ!っつーのもまぁ排除がベースの選民思想だと思うんでそれは認めたくないってことなのね。違うのは事実だし一緒にされたくないしレベルの低い遊民は個人的に大嫌いだけどんでも彼らの生存権を奪うなんて出来ないわけっつーか彼らの存在を認めないなんてことは出来ないのね。そこにあるのはレベルの違いで生き方はまぁまったり型って事で一緒ならブランチは一緒じゃん?そのロジックで高等遊民は違うんだ!っていうのはまぁ能力主義じゃん?頭が良いやつはいい。バカはダメっつーロジックじゃん?それは許せないね。だからなんつーかあれね、俺は別にニートの味方をするつもりはないしね、政治的な振る舞いなんて一切するつもりはなくてね、本音しか書いてないわけだけど、ようはまぁ何が言いたかったのか?っていうとニートってのは下等遊民なわけで高等のみが遊民として認められるっていう考え方は人間ってことに置き変えれば高等な人間は生きていく価値があって下等な人間はダメだ!っていうことになるんでまぁそれはダメだよってことね。


だからまぁもっと話を広げちゃえば自由時間がたんまりあるセレブとかが肯定されたりね、憧れの的になったりするんだったらそりゃーお前らは基本的にニートを肯定してるんだよってことになるわけよってことが言いたいわけ。富裕遊民ってのはようは貴族じゃん?貴族なら生きていく価値があって貧乏だけど遊んで暮らしてるやつらがダメっつーのはおかしいよね。パーティーしかしないセレブも遊んでるわけでさ、遊民という属性は一緒なんだよってことなんだよね。だからその最下層に属するであろう下等遊民であるニートの存在が否定されるのはおかしいよってことなんだよね。そりゃー選民思想だよっつーかまぁ本当の意味での優性学的見地だよっていう。金があったり頭が良かったりしたら遊んでてよくてバカなら遊んで暮らしちゃいけないっておかしいでしょ?バカもバカなりに自己責任でバカな暮らしが出来るならそれは誰にも批判できないんだよってことね。親がいつ死ぬか分からないってそんなのセレブで言えばさ、いつドラッグで捕まるか分からないとかさ、いつ転落するか分からないってまぁ一緒じゃん?セレブってまぁ俺が言いたいのはパリスヒルトンみたいなおバカセレブね。ブリトニーとかね。彼女達は経済的に社会に貢献しているからいいっつーロジックはおかしいわけね。遊びは遊びだよっていう。で、遊びは遊びで何がいけないの?って話ね。


俺は穀潰し的に学問を続けてるけど、最初にも書いたようにこの学問を「豪遊」とかに置き換えたらロクデナシになるじゃん?ニューヨークで遊んで暮らしているのに実家は疲弊してるって殺されそうなぐらいダメじゃん?んじゃあなんで今の俺の生活が肯定できるか?ってまぁそれは勉強してるからだよね。まぁ勉強してるって意識は無くてまぁ好きなことしかやってないけど、俺の場合、その好きなことが学問で社会性とのコンパチビリティがあるんで許されるってさ、まぁ俺もその辺は意識してやってるけどでもまぁ金がかかってるって意味じゃ遊んでるやつと変わらないとか言われても反論は出来ないよね。俺は遊んでないけど遊びだって言う人もいるわけでさ、あとは逃げだとかね、まぁそういうことを言うやつらって少なくとも俺の経験で言えば例外無くみんなバカだから気にしなくていいんだけど、でもまぁ彼らがアホなロジックを使って俺のことを批判するのもまぁ分からなくもないかなって言う。その見た目だけのさ、単純なフレームワークだけで考えれば一緒だって思えなくもないじゃん?


まぁ短絡的に考えれば一緒じゃん!って考えちゃうのも分かるっていうか思考がトレースできるっていうかね。そこをなんつーか学問を暇人の遊びだとしか考えられない短絡的な人達にとってはまぁ遊びにしか見えないってことなんだよね。それで言えばまぁ学者も高等遊民もみーんなニートってことになるよね。学問を批判するやつって信じられないんだよね。あいつらのロジックが。役に立たないことをやってるとかさ、本当に頭が良ければお金を稼いでるはずだとかさ、信じられない思考回路してるよね。で、自分に理解できないことは全部遊びとか意味無いって言っちゃうのね。意味あることっつったら仕事とかさ、やりたくなくてもやらなきゃいけないことをやるのが美徳っつーか偉い事だみたいなさ、バカ奴隷のロジックって似てるところがあるんだけど、そんなロジックで批判されたんじゃたまったもんじゃないよね。本人達それで幸せじゃないしね。好きな事を見つけてコミットしてる人に文句を言いたいってこないだも書いたように自分に好きな事が無くて羨ましいっつーか妬ましいっつー心の現れでもあるじゃん?そんなのをベースに学問に限らず自分と向き合う生き方を遊び扱いされたんじゃたまったもんじゃないよねっていう。


あ、んでちょっと付け足すけどまぁ終わりっぽく結びの言葉を書くならまぁあれだわな、自殺サークルのなんたらっつーユニットあるじゃん?子供のユニット。で、あのリーダーみたいなのが最後に「勝手に生きろ」って言うじゃん?それね。自殺するも死なないも遊ぶも遊ばないも勉強するしないも全部そいつの勝手。社会が画一的な価値観を強要したり、それが出来ないやつをダメ扱いして排除するなんて絶対ダメだ!ってことね。自由に生きていることに自由の差なんて無いわけで自由は自由なんだからそれでいいわけ。自由時間を崇高なものに費やすのも寝ながら過ごすのもそれは全部自由の名の下に行われるその行為者のコミットメントなわけで誰も文句は言えないのね。どれが優れているとかダメとか無いわけ。


予想以上に長くなったけどまぁ書きたい事は書いたかな。まぁとりあえず今回言及した本二冊についてはオススメを貼っておくんで読んでみてくださいな。んじゃあまぁ今日はそんな感じでこの辺で。


獄中記 (岩波現代文庫)

獄中記 (岩波現代文庫)