社会人って結局何のことなの?っていう。

mimisemi2010-01-20

社会にコミットしてないくせに政治云々言うな!ってよくある言い方じゃん?これも過去に誰かさんに言われたことあるね。社会人でもないくせに政治とか社会云々言うなって。で、肝心の俺に言うな!って言ってる本人は社会でやってきたんだけどオピニオンゼロみたいな。


社会人って何なんだろうね?会社に属していれば社会人なの?就職すれば社会人?バイトは社会人にならないの?いやさ、社会に出てるもなにもさ、社会に出てたってよ、仮に俺が過去にやってたスーパーのレジのバイトとかを考えてみてもさ、んじゃあ俺が腕を買われて正社員になったとするよね?で、まぁこれは晴れて社会人になるのかも分からないけど別に仕事内容変わらないからね。いや、分からんけど俺が接してたフロアマネージャーとか店長とかバイトの延長みたいな仕事内容で格別レジとの差はないんだよね。ブックオフで言えばそれこそ普通のバイトとちょっと時給が高いフロアマネージャーの差みたいな。


まぁ一般的に正社員ならそれが社会人ってことになるのかもしれないけどさ、元レジうちの男がフロアマネージャーになったから社会について文句を言えたりアンチ企業戦士って言えたりするのか?っていうさ、関係無いじゃん?俺はまぁーなんつーか社会に出てないと社会に対する文句も言えないって本当におかしい理論だと思うんだよね。社会に出てたって例えば田舎の郵便局の郵便局員なんてすげー狭い世界で仕事してるわけじゃん?郵便局に毎日通うのと田舎の街で引き蘢ってるのとなんの差があるの?っていう。差と言えばまぁ前者は郵便局員で後者はニートってことだよね。まぁ引き蘢りっていうタームはやめようかな。ニートにしよう。


社会に出てないとダメってあとはなんつーか社会人のほうが視野が広いみたいなまた勝手な思い込みがあるよね。社会に出てるからこそ分かる事があるみたいなさ、色んな人と接するし社会で揉まれるみたいな。でもこれもまた抽象的な概念でさ、社会に揉まれるっつったって色んなレベルがあるじゃん?バイトでも揉まれまくってる人もいるわけでさ、いやね、バイトだけで社会を判断するな!ってまた言われそうだけどさ、これまたさっきの話と一緒で別にバイトだろうが正社員だろうがそれは関係無いじゃん!って話なんだよね。正社員だからバイトより世界観が広いなんていうことはないわけでさ、仕事によって社会を広く見渡せる人ってそれは職種によるじゃん?


社会ってものが自分の生活圏の中でも他人よりかは広く見えるっていう職種ね。でも社会人でも外の世界がさっぱり分からないっつー職種もあるわけでさ、それがさっき書いた田舎の郵便局員なんだけどさ、田舎の郵便局員がどう社会の事について知るか?って恐らくニュースとかネットとかでしょ?ネットと言えばニートの十八番だよね?もしかしたらニートのほうが物知りかもしれないよね。でも社会の中で揉まれてないからニートの言うことは説得力がないってさ、んじゃあこの田舎の郵便局員は郵便局に通っているから物事を言えることになるのか?ってことだよね。


もっと話を広げるとさ、事柄に関して利害関係を被っていない人間が意見を言えないっておかしいんだよね。確かに俺で言えばまぁワープアでもなければ今の所ニートでもないんだけど、別にワープア問題とかニート問題に関して意見は表明できるじゃん?まぁ俺なりに意見持ってるから書いてるわけだし、それは政治とか社会についても然りだよね。俺が学校とか教育システムについて批判できるのは俺が今学生だからか?って違うよね。別に学生じゃなくたって学校のシステムは批判できるよね。あとは学生じゃないからっつって議論の説得力が弱まるなんてこともない。まぁ強いて言えば俺は目の当たりにしているから改めて思うことがあるってことだけど、別にそれは目の当たりにして改めて思うことなんであって、教育システムに対して批判的だったのは昔からだからね。で、教育論とか見てるとってまぁそんな多くは読んでないけどまぁいつの時代の人もその時代の教育システムについて批判的なんだよね。オートメーション化してるとかさ、学問に対する自発性が生まれないとかね、ホワイトヘッドも「今のイギリスの教育システムは・・・」みたいな感じで批判的なことを書いてた気がするな。1900年代初頭のことだけどね。


まぁそれはともかくさ、あとはなんだろうな?どっかの部族同士の問題とかにしたって部族以外の人が口出しできないってことはないよね?客観的な意見を部族以外の人が言えることだってあるし、まぁ逆もまた然りで部族の人間で利害関係があるからこそ言える強い意見ってのはある。でも別にどっちが良いか悪いか?ってことではないよね。ムスリムガーゼっているじゃん?イギリスの音楽ユニットね。ちょっと前に若くして急死しちゃったけど、この人とか典型だよね。多分イギリスの白人だと思うんだけどさ、なんでこんなムスリム問題にコミットしてるのか?ってちょっと分からないじゃん?客観的に。「何なの?」ってちょっと思うよね。でも別にイギリスの白人がムスリムをモチーフにした音楽ユニットを出来ないなんて理由はないよね。ムスリムとか現地の人じゃないとこういうユニットはやれないし、政治性とかメッセージ性も説得力を帯びないなんてこともないじゃん?ましてやムスリムガーゼに定職があろうがなかろうが全然関係無い話だよね。仮にムスリムガーゼが半ニートでさ、親の財産とかで音楽活動してるとかっつーそれだけでんじゃあムスリムガーゼのメッセージ性とか政治性の説得力が無くなるのか?ってそんなことないじゃん?っつーか彼が働いているか働いていないか?なんて彼の音楽ユニットにおいては関係のないファクターだよね。


ニートガーゼっつー音楽ユニットがあったとしてさ、ニート賛美の音楽ユニットがあったとして、んでそれはニートで構成されてないといけないのか?ってそんなことないじゃん?別にそれこそ括弧つきの社会人がやっててもいいわけだしさ、逆もまた然りでアンチ企業戦士っつー音楽ユニットがあったとして、それがアンチが故に企業戦士によって構成されていれば説得力が増すっていうか、まぁ第三者が納得できるのか?って別にそれって印象の問題じゃん?アンチ企業戦士っつーユニットをニートが組んでたら「社会にもコミットしてない人間が何を言うか!」って一蹴するのもただの印象じゃん?


彼らのメッセージとかリリックとかを読めばそこそこ説得力のあること言ってるかもしれないのにただのニートっつー印象で聞く耳持たないわけだよね?変な話、企業戦士で構成されているアンチ企業戦士っつー音楽ユニットとニートで構成されているアンチ企業戦士っつー音楽ユニットも言っていることは同じかもしれないよね。まぁ異なる観点で同じ結論に達しているっていう。だからと言ってニートのほうがダメで企業戦士は実際、企業で働いているからその言論も認められるものになるとかっておかしな話でしょ?仮に言ってることが実質同じなんだとすれば違いは無いよね?それはコミットしないで考えて出てきた意見とコミットして実地で感じながら考えて出てきた意見っつープロセスの差なんであって結果において同じなのであればそれは差別されるべきではないよね。


政治についてとか社会についてとかさ、内部にいない人間が意見を言うのはおかしいって本当にそれこそそれがおかしいロジックだよね。社会にいるっつったってビデオ屋の店員とかがんじゃあそれが社会にいるのか?って話じゃん?前にバイトしてたコンビにでさ、副店長っつーのがどうしようもないやつだったんだけどヤツの実態を見る限り完全にニートなんだよね。コンビニと家との往復しかしてなくて、んで家ではゲームしかやってないっていう。ただなんで彼がニートじゃないか?っていうと彼が副店長だからだよね。んじゃあ彼が副店長だからっつー理由で威張れるのか?っていうさ、ニートと俺が違うんだ!って言えるのか?って俺は違いは無いと思うね。


違いはコンビニの副店長か否か?ってことで両者に違いは無いと思うね。まぁ別に俺の実体験じゃなくてもいいや。まぁ家とコンビニの往復しかしてなくて休みの日は家に籠ってゲームしかやってないっつーコンビニの副店長がいたとしてさ、んでそいつのニートの差なんて副店長か否か?ってぐらいの差ってことなんだよね。副店長だから社会人として社会を見渡せてるのか?とかさ、広い視野を持ってるのか?とかさ、そんなの関係無いし、彼の仕事っつー要因で言えばコンビニの副店長なんて何の社会的視野を与えないよね。これって俺がさっき書いたレジ打ちとフロアマネージャーの差ってことね。まぁ実際のフロアマネージャーがどんなものか分からないけど、まぁ仕事においてはずーっとスーパーに籠りっきりで仕事をやっているっていう点では別に半ニートみたいなレジ打ちと変わりないじゃん?っていう。


フロアマネージャーのほうが社会について口を挟める権限があってレジ打ちには無いっておかしい話じゃん?仮にレジ打ちがすんげー社会とか政治にawarenessを配ってるやつでさ、色々と本を読んで勉強してたりさ、普段も情報収集とかをしてたらさ、仮にフロアマネージャーがすんげーグータラなさ、それこそゲームしかやってないようなやつだったらまぁレジ打ちのほうがオピニオン持ってるよね?レジ打ちのほうが情報量が多いってことが別に意見の正当性とかを担保するわけではないんだけど、レジ打ちがオピニオンを持っていることについてはいいじゃん?で、そいつがレジ打ちがダメってことでクビになって無職になっても彼の社会とか政治に対するawarenessって変わらないじゃん?で、それはそれで続けていけばいいじゃんね?で、意見をブログで主張するなりなんなりするって別にいいことじゃん?意見が全く無いフロアマネージャーよりよっぽど俺は立派だと思うな。それで無職だからっつー理由でお前に社会とか政治を語る資格が無いなんて言うなんておかしな話だよ。


社会に出てるから視野が広いとかね、色々なことを知ってるなんて大噓だよね。社会人でもバカなんていっぱいいるでしょ?社会問題なんて全然気にしてないやつだっているし、単純に興味が無いやつだって大勢いるしさ、いや、日本にそういうやつが多いってことが言いたいんじゃなくて、そういうやつらだっているでしょ?ってことね。逆に自由人のバックパッカーのほうが広い視野を持ってるかもしれないじゃん?フリーターでバックパッカーだから意見に説得力が無いっておかしいよね。すんげー視野が狭いコンビニの副店長は社会人だから意見が言えるっておかしいじゃん?そもそも言論においてそいつのステータスとか仕事なんて関係無いんだよね。何を言ってるか?が問題なわけで、そいつが無職だろうがフリーターだろうが正社員だろうが派遣社員だろうが関係無いわけだよね。そいつはそいつでメシを食ってるから意見が言えるって本当に論点がずれてるよね。


あいつはいい事言うけど親に食わしてもらってるからダメとかっておかしいじゃん?音楽もそうだよね?親に機材買ってもらったからダメか?って関係無いじゃん?そいつがバイトして頑張って溜めた金で機材買って自主レーベルやって音楽やってるってまぁ全部親にやってもらってるとか親の資産でやってるやつに比べたら立派に見えるのかもしれないけど音楽っつーファクターじゃ結局問題は音楽じゃん?機材の出所が親の金だろうがそいつの労働だろうが音楽に関しては関係無いよね。で、それは別に言論も同じだと思うのね。まぁ言論っつーと大げさだからまぁ意見ってことにするけどさ、そいつの背景なんて関係無いよね。まぁ関係あるとすればさ、そいつの実存が出過ぎていて偏ってしまっているとかさ、多角的に物事を見られていないとかさ、そいつの背景がオピニオンに影響したり出てくるってことはあるけどそれはようはオピニオンなり言論に出てきてるじゃん?だから順番としてはまず言論だよね。で、こいつの意見が偏っているのはなぜか?って聞いてみたらそいつの実存がバリバリ投影されてたりするっていうさ、んでもあくまででもこれについては判断基準についてはオピニオンじゃん?


逆を言えば言論からあれだよね、ニートの意見だからリアリズムが無いとかさ、実社会を知らないから青臭い議論になっているとかさ、そういうことは言えるよねっつーかまぁあくまでその青臭さなり無知っぷりが言論に出てたらの話だけどね。逆はおかしいのね。ニートだから意見が青臭いとかニートだからリアリティが無いとかってのはおかしいのね。それは一流シェフだから料理が美味しいって言うのと同じぐらいアホなことだよね。まず料理ありきじゃん?どうも料理が美味しいと思ったら一流シェフの料理だったとかさ、マズいと思ったら素人が作ってたとかさ、判断基準が料理にあればそれはいいんだよね。ただ料理の判断基準が一流シェフだの主婦だの素人だのってところになっちゃうとおかしいってことね。


だからまぁ今回のことで言えば俺がニートを擁護しようが批判しようが俺の現状は全く関係無いのね。確かにまぁ俺は外からモノを言ってるように見えるかもしれないっつーかまぁ物理的にアメリカにいてさ、んでこっちで学生やってるからいかにもな「外」に見えるかもしれないけどそんなの関係ないじゃん?んじゃあ俺が日本でニートやってたらいいのか?っていうさ、ワープアならワープアやってればいいのか?っていう。ネットを言論空間だと規定したときに発言者のステータスなんて関係無いってことだわな。大先生の意見だろうがニートの意見だろうが意見は意見だから変わりはない。大先生が言うことだから正しいのだ!とかニートが言ってることだから説得力が無いとかってそれは言論を見てないってことだよね。そんな判断基準はおかしいわけ。それは本田透喪男の哲学史で自虐的に言ってたことだよね。プラトンとかニーチェが言っていたことと同じ事を俺が言ってもキモメンのデブが何言ってるんだって思われるっていう。でもプラトンとかニーチェが言ったってことになると人々はありがたがって聞くっていうね、まぁ安易なブランド主義とかと同じだわな。


まぁあとあれだ、学者なんつってさ、フィールドワークとかしてるのかもしれないけど実社会の経験とかゼロな学者とかだっているわけじゃん?最初からアカデミアにしかいないから世間知らずなのに政治学とか社会学やってるっつーさ、でもその先生方の言論ってのは言論で判断されるべきなんであって、実社会を知らない学者達の言う意見だから・・・っていう言論に先行する判断基準があっちゃおかしいってことね。逆にさっきの繰り返しになるけどアンリアルな言論の背後にはこの学者は世間知らずなお坊ちゃんっつー背景があったっつーならいいわけ。言論から世間知らずだなーとか観点的だなぁーとか思って調べてみたら社会経験ゼロみたいな学者だったっていうね。でも判断基準はあくまで言論ってことね。逆を言えばこんなことを書くやつは世間知らずの学者に違いない!って思ったら実は社会経験豊富な社会人が書いたことだったってこともあるわけで。まぁ社会経験豊富って言う言葉も分けの分からない言葉だけどね。そもそも社会経験って何なの?っていう。


恐らくそれって人間関係っていう経験値なんじゃないかな?って思うよね。社会学とか政治学みたいな意味での社会の知識ってのは俺は自分の両親よりあると思うけど、でも人間関係の経験値は彼らより劣るよね。劣るっつーか両親の方が豊富だよね。だから社会のしくみとかについて親から教わったりすることはあまりないけど人生の先輩として人間関係とか人生についての助言とかってのをもらうことはあるよね。でもここに別に仕事っていう要素は介在してないよね。もちろん俺の母も父も長い間働いているから色んな人達と知り合って人間関係やってきたわけだけど、それと社会的発言権ってさっぱり関係無いよね。


彼らが言うワープア問題とかニート問題のほうが現実に立脚していて説得力があるのか?ってそうとも限らないじゃん?特にうちの親父に関してはああいう世代の典型的な意見を持ってるからね。ネカフェ難民とかいって全然努力とかもしないし上に上がろうとかって思わないどうしようもない連中だみたいなね。それが間違っているとは言い切れないけど、まぁ俺は違う意見を持っているけど、そこで俺の社会経験と親父の社会経験がオピニオンの正当性の判断基準にはならないってことね。社会学で言うAchieved Statusね。学生であるとか労働者であるとかクラスメートであるとか友達であるとか、こういった諸要素は言論を判断する上での判断基準にするべきではない。Ascribed Status然り。黒人だからとかラテン系だからとか女だからとか若者だからだとか、こういう要素も本質的に言論の判断基準にするべきではない。


まぁメディアリテラシーって意味だと必要だけどね。保守系シンクタンクが書いてる情報だから保守寄りの意見を書くに違いないっつーまぁなんつーか出元に気をつけるっつーのは分からない情報を識別する時には重要だよね。育毛とかにしても育毛で金を儲けてる会社とかそういう会社の息のかかった研究所の研究結果は100パーセント信じられないっていうね。温暖化にしてもそうじゃん?でもそれとオピニオンは違うよね。メディアリテラシーとかはパブリックなものじゃない?だから発信してる側もパブリックを意識して情報を発信している可能性がある。でも俺とか俺の親父みたいなすげー個人的な意見とかに関してAchieved StatusとかAscribed Statusが判断基準になるのはおかしいよね。簡単に書けば20歳だからってことで若造の意見だからっつって切り捨てるなんておかしいってことね。んじゃあ50代の大先生がその20歳の青二歳と同じ事を言っていたらどうなるんだ?っていう。


まぁそんな感じだわ。書きたい事は書けたかな。最後に社会学のAchievedとAscribed Statusのことを思い出したんで説明が簡単になったな。


で、あれだ、まだ続くんだけど勢いがありすぎて長過ぎになったんで一旦個々で区切るわ。で、あと今更だけど何のコメントも無しにアフィられる本はただ単にオススメの本ってことね。トピックとは関係無いことが多いんで。