現実はオワコンという認識からはじめませう。その2。

ku 2013/01/09 06:56


はじめまして。今回は特に共感する面が多かったのでコメントさせて頂きました。私は自分の楽しめる面を現実とみなして生きようと思っていて、その励みになりました。mimisemiさんにとって良い世界が作れる事を祈っています。駄文失礼しました。


書き込みありがとうございます。kuさんがおっしゃる楽しめる面を現実とみなしてなおかつ古い現実が入る余地が無いぐらいそれを拡大できればいいですよね。それが小さな楽しい自分にとっての現実になってしまうと個人が島宇宙化してしまいますよね。それこそエントリーで書いたシナジーが生まれなくなってしまうので、まずはkuさん個人の中でそれをどんどん拡大していってほしいと思います。そうするとワクワク/ウキウキベースの思考になるので自ずと拡大していくと思うんですよね。まぁエンハンスするという感じでしょうかね。分かりきったことを書いてしまっていたらすみません。

でいじ 2013/01/09 08:13


なかなかほんとにエクストリームですね。笑ってしまいました。現実はもう行くとこまで行ってる局面が多々ありますね。例えばTV点けてれば秋元やすしとか課金システムのゲームとか、消費させてナンボの身も蓋もない輩がメディアにデカイ面してるわけですから。こういう輩は欲に忠実で果てしないので、その分だけしぶとく不本意ですが、絶えることはないんでしょう。僕が思うにこいつらは、特に各業界のTOPにいるやつらは別に開き直ってるのではなく、現実を現実として疑わなく、社会が作り出した既存の価値観を独自の価値観と混同して、それで養われた肥大した欲に忠実に生きてきた人達なんでしょう。社会のシステムに忠実なんですから彼らに罪悪感なんかあるわけないんです。「本来世界はこうあるべきだ」なんて元々ないんですしこれも人間の姿なんだという、ただそれだけの事ですね。


話は変わりますけど、仮想現実ってほんとに理想ですよね。比喩表現ではなく肉体が意味をなさない世界って小さいころ憧れました。それは自分でいうのもなんですけど僕は顔のパーツは悪くないほうで(現在は情けない面構えですけど)それがコンプレックスって言ったら大げさですけど、小さい時から周りに「かわいい」なんて言われて何も知らないくせにって感じで、逆に距離を感じていやでしたね。でも中学生あたりからは色気づいてピアスあけて髪染めたりして、それは自分がそうありたいからという主体性があるものではなくて友達に馴染むとか異性を気にしてとかで。つまり秋元やすしと同じで、既存の価値観と自分の価値観を混同してたわけですね。その既存の価値観っていうのは、消費を促す企業が作り出したものが大半なんですよね。その表面的な価値観を疑いもせずに心身ともにステレオタイプな人間はできあがり、その「現実、価値観」は影響しあって強度を増して社会は廻り続け、もしかしたらこの先秋元やすし以上の「昔だったら逮捕だろ」ってくらいの輩が普通にメディアに蔓延る時代がくるかも知れませんん。生活の周りにもそれらに毒された人達が居るわけで。例えで秋元やすしばっか出してますけど別に否定はしないんですそこまで興味もないし、ただ嫌いなだけです。


この前「認知されてこその世界」ってな事を書いたと思うんですけど、こうやってどうしようもない現状を書くのもその現実世界と同じベクトルにいる証拠で、意識すればするほどその現実は自分の世界として強くなっていってるんじゃないかと思うんです。んじゃ目をつぶれって事ではなくて、干渉しないって事で、自分は自分の今を創造するのに専念するといったかんじでしょうか。世界とは現実とはって考えた時にそれは、自分の価値観が作り出しているある局面にすぎないと思うんです。自分の価値観にしたがって今を創造して行く事で、自分だけではなく周りにも影響して観念的だった自分の世界観が現実世界として強く、そして既存の価値観にしたがって生きている世界が、より観念的に見えてそちらが仮想現実化していくんじゃないかと思います。価値観は自分であってそれにしたがって人生を創造しなきゃって事ですね。なんか雑に偉そうに書いてますけど、僕自身、何をやるでもなく愚かにただ時間が過ぎるの待つ生活です。ただ、こないだコメントした後で今回のmimisemiさんのエクストリームな内容だったので今書けることは責任もって書こうと思いました。僕自身の話ばかりで恐縮ですが、生きるか死ぬかの選択ができないまますごしています。ただここに書いてるうちに今自分に自信を取り戻すには何をしたらいいか分かってきました。無駄に長い幼稚な乱文を読んでもらってありがとうございました。


http://www.youtube.com/watch?v=ACP_Ohnlb4o


これも一つのあり方ですよね。今は大半が企業が介入してきて客層がかわったりでらしいんですがそれでも探せばいいRAVEパーティーはいっぱいあると思いますけど。


現実は駄目になるだろうって分かる人たちには前から分かっていたことだとは思うんですがここまで酷いものになるとは思わなかったんじゃないでしょうかね?しかもちょっとずつ駄目になっていっているので体感的にはあまり何も変わらないまま消極的になっていくっていうエネルギーが一部のクソにドレインされるような末期的なマトリックス的状況ですよね。でもAKBとか課金ゲームとか金払ってるのって大衆じゃないですか?システムをpreserveしているのは大衆だし、大衆をスポイルするようなシステムを作っているのも秋元康とか和民の会長みたいな人間ですよね。これが大問題なんですよね。システムか人々か?という問題ではなくて相互的にマトリックスみたいな世界を作り出してしまっているわけですね。で、まぁそれはもう変えるのは無理だってことですよね。むしろそれはオワコンの世界で続いているオワコンの世界観なんであってそれを見て嘆く必要は無いわけですよね。もう住んでいる世界が違うわけですから。


ところで容姿とかの問題ですが、これもまぁ酷い話ですよね。アイドルビジネスを出すまでもなく顔面差別ってのが凄まじいですよね。これもようは物理的なものに現実を見ている古い世界の見方なわけです。この古い世界の世界観こそが差別を生み出しているわけですよ。勝手な世界では容姿とか関係なくて世界そのものが肝心な部分になるので不細工だろうがハンサムだろうが五体満足であろうが五体不満足であろうが勝手な世界にアクセスできれば関係ない話なんですよね。まぁなんかこれはアバターみたいな話になりますけど、でもああいうのをSFとして見るのではなくて新しい世界の構築の素材として見るんですよね。で、「あーこの部分はファンタジーだなー」とか「こういうパラダイムは使えるよね。実際」とか色々と見分けられますよね。


あとあれですよね、いじめ自殺だとかなんだとかああいうのも勝手な世界で解決ですよねってまぁ単純に言い過ぎている感はありますが、ようは帰属する場所を別なところに作るという意味ではその必要性はいじめの被害者でも現実の被害者でも同じなんですよね。だからまぁニーズはもう死ぬほどあるわけですよね。そういう世界があれば救われる命とか精神がもう数え切れないぐらいあるわけです。そもそも現実と向きあわなきゃいけないっていじめ被害者のメンタリティで言うと学校に行かなきゃいけないとか部活に行かなきゃいけない!っていうようなイデオロギーですよね。別にそんなもんやめるなり行かないようにすればいいのにそれしか頭に無いと行くことしか考えられなくなるわけです。で、結果的に自殺とか精神を病むとか、ああいうのを見ると本当に他人事だとは思えなくて凄く切実なものを常に感じますね。じゃあ教育を変えればいいのか?とかいじめをもっと厳罰化すればいいのか?とかこういうのって所詮は対症療法ですよね。根治は無理なんだからもっとラディカルに考えなきゃいけないわけで、新しい世界へのアクセスってもう完璧だと思うんですよね。構築のために引きこもりみたいになる場合もありますが、あくまで構築が目的なら能動的な引きこもりでそれはオッケーですよね。無理して学校行くよりよっぽどいいわけです。僕も不登校だったんでその必要性って凄く感じるんですよね。


ところででいじさんがおっしゃっているベクトルの話なんですが、それが僕の言いたい志向性なんですよね。どうしようもない現状を書くということがそもそも現実をベースに考えているという証拠なわけで、それを自分の中で現実と認めることになるし、それこそでいじさんが書かれているようにその認識をより強めるものになると思うんです。そうではなくて個人のヴァーチューにしたがって個人が自分が認識したい世界を作っていくしかないわけですよね。そういう意味だと現実/観念みたいな二項対立も無意味になると思いますね。そもそも認識している時点で観念ですから、それが現実と呼ばれるものなのか自分の世界観なのか自分の価値観なのか分かりませんがそこに優位性は存在しませんよね。それを個人が決めていくっていうのが最近僕が書いていることのキーポイントなので。


でいじさんも僕も人間的に終わっているような終わってる人たちじゃないですよね。それ自体は自分たちが一番分かっているわけですよ。終わっている人間たちが旧世界を支配しているだけでそれに関して僕らが悩む必要はないわけですよね。むしろなんでそんな関係ないことに悩まなきゃいけないのか!って逆に認知的な不和を生み出していた今までの自分に腹が立ってくると思うんですよね。あとなんでここまでエクストリームになれるのか?って生活の不安は現実に向き合って生活していようがいまいが解決されないからですよね。生涯安泰みたいなイージーモードは無いわけですからようはサバイブモードですよね。僕はそのサバイブの方法としての世界の構築というのを考えているんですよねっていうかもう認識的に実行しているわけですが。生涯安泰みたいなのも「お金」とか「生活」みたいな古い観念の産物ですよね。それは古いし無いんだからそんなことを考えて不安になったり手堅く生きようとして失敗したりするのはやめてもっと楽しくなるような世界を作り出そうぜ!ってことですね。そりゃみんなやりたがると思うんですよ。だってもうみんなうんざりしているわけですから。


書き込みありがとうございました。でいじさんの書き込みは今回のエントリーみたいなものを書くきっかけになったと思います。とても感謝しています。

sux 2013/01/09 12:24


年齢が年齢だけに諦めたくなる気持ちは仕方がないと思いますが、逃げずに頑張って下さい。


年齢と今回のエントリーってどういう関係があるんでしょうか?いや、僕はまだ若いですけど仮に僕が二十歳だって世の中との関係性は全く変わりませんよね。変えられないことに関して変えよう!と思っても無理なのは別にその人が富裕層だろうが年寄りだろうが若者だろうが全く関係ないですよね。ようはシステムからの疎外なんですよ。それに雁字搦めになっているという事実からは誰も逃れられないわけです。むしろそこから逃れるべきですよね。あと逃げずに頑張ってください的な考え方が特に今回僕が書いたようなことに関しては最大の敵です。共産主義から見たところの資本主義やその逆ぐらい天敵みたいなもんです。共産主義者と資本主義者って話が通じませんよね。あくまで一般論ですが。で、僕はその話が通じない同士だとか、どうしようもないことに対してもなんとかできないものか?と思って色々考えてきたんですが、もう無理だなって完全に分かったんですね。システムが駄目ならまだシステムを変えればいいし、人々が駄目なら人々を変えればいいんですが、この両方が駄目なんじゃもう駄目ですよね。


そんな中で最近は色々なことが本当に駄目だよなぁー・・・と嘆いていてもしょうがないわけですね。もうそれは自明の理にするしかないわけです。永遠と大衆批判とかしててもしょうがないですし、僕はそもそも批判をするために色々と書いているわけでもないので、もっと建設的な方向に思考をシフトしていこうっていうことでもあるんです。特に最近は色々とネガティブ思考になってしまっているし、何をやってもどうにもならないだとか何もかもが意味が無いだとかって感じていたわけですが、それって別にうつ状態だからそういう風に考えてしまうわけではなくて、現実をしっかり見ているからこそ分かる絶望ですよね。だからそれはあっていることなわけです。そこに変な希望を持つというのが害悪だなと思ったわけですね。それで下手に限られているパワーをもう無理なものに費やしてもしょうがないので、もっと建設的なものにパワーを費やしたほうがいいと思っているわけです。そのための世界の構築ですよね。どうなるか分かりませんが、現実なんてもっとどうなるか分からないですよね。あまりに現実がオワコン過ぎるのでまだ僕が言っているようなことのほうがリアリティがあるわけですよ。あとはまぁこれは自分なりの実存の考え方のひとつの帰結でもあるんです。で、問題はやはり存在するということがその存在自体で存在しているわけではなくて、生活圏やら人間関係やら色々な複合的なものと関係して存在が成立しているわけで、で、その存在自体に絶望してしまうような、実存的な葛藤というのは自我の問題もありますが、どうにもならない生活圏の話やもっと抽象的で大きな世界とか国家の問題であったりもするわけです。繊細な人ほど気を病むのはそういうことですね。馬鹿は一生幸せですね。


でもそれは僕は許せないんですよね。馬鹿だけがハッピーになれる世界なんてクソですよね。それこそ滅亡したほうがいいと思うわけです。そんなのは嫌なので馬鹿が入れないような、色々なものにawarenessを持った人たちがハッピーになれるような、そういう世界観の構築をしたいわけです。で、そのまず一歩としてくだらない現実のことで気を病むのをまずやめるということと、あと希望を持たないってことですね。希望は裏切られるためにあるようなものですし、期待然りですね。だから期待するなら自分の世界に期待すればいいわけです。そこしかないならそこしかないでしょう?消去法的に言ってそうですよね。だからこれは逃げなのではなく、現実のことばかりに飲み込まれると人間的に駄目になったりとにかくどうしようもなくなるから、だから正気を保つために世界を作るということなわけです。エントリーでも書いたようになんで現実をアプリオリに捉えなきゃいけないのか?ってことですよね。でも現実はこうだああだって言ってもしょうがないですよね。で、なんでそんなに現実というのが人のマインドの全てを占めるほどドミナントなものにならなければいけないのか?って話ですよね。現実の正当性なんてもう無いわけですよ。僕の中ではもう世界は破滅したと思っています。だからもう現実でやっていくなんていう道はないわけです。それを壊したほうが迷わないしやりやすいですからね。だからもう自分でなんとかするしかないですよね。そういう創造のことを言っているわけです。


現実ってのは言わば病みたいなもんなんですよ。ずーっと病のことばかりを気にしている人生って幸せじゃないですよね。病気が気になってどうしようもないっていうまぁもちろん病気に対処することも必要ですが、治らない病なのであれば余生を楽しく過ごしたほうがいいですよね。むしろ生きている間に何か色々とできたほうがいいわけです。でもそれは病からの逃げじゃないか?なんて言えますか?病は気からって言いますよね。病は気からということで言えばその気を病に向けようとするものは何か?ってそれは心の志向性ですよね。心がそっちにフォーカスするから病のほうばかり気になるわけです。だったら単純にフォーカスしなければいいだけの話なんです。フォーカスしないことで病が治るのか?って治りませんが、それは自分の心が絶望にフォーカスしようが、自分の世界にフォーカスしようが、世の中にとってはなんの影響ももたらさないということです。


逆に現実を嘆くという態度がどんどん伝染病のように広がっていってそれこそ鬱が蔓延しますよね。そんな疫病の拡大を放ってはおけませんよね。その疫病の原因というのがそもそも現実という病なわけですよ。キルケゴールの「絶望」の部分を現実に置き換えればいいだけの話です。現実とは絶望に至る病であるわけですよね。じゃあそれが自明だなってことで、じゃあ残りの人生どうするか?ってことですよね。末期がんの患者とかのドキュメンタリーとかを見ると旅行に行ったり余生を凄く大事に生きるようになってますよね。僕が言いたいのはそれなんですよね。そもそも治らないんだから大事に楽しく生きたほうがいいわけです。楽しく生きることで病は治りませんが、じゃあ「俺はもう死ぬんだ・・・」って毎日感じながら絶望を向かい合って生きていくのか?ってことですよね。そんなもんどんな強靭なメンタルを持っている人でもメンタルが崩壊しますよね。そんなのは建設的ではないし何より一番本人のためにならないですよね。


勘違いしてほしくないのはこれは実存の話なのであって、僕自身が人生を諦めるとか現実から逃げるとかそういう話ではないんですよ。諦めるんだったらとっくに自殺してますよね。でも僕は自殺は嫌なんですね。まだやりたいこともあるしやれることもあるけど、でもそれは少なくとも現実を変えるみたいなそんな荒唐無稽な話ではないんですねっていうかそういう大きい話をやめるってことなんですね。これって諦めなんでしょうかね?諦めと不可能性って違うと思いますけどね。国を救うんだ!って言わば自分が空を飛んでみせる!っていうのと同じことですよね。で、思想のオナニー的なところは国を救うんだ!的なマインドでそれを自分のミッションだと思い込んでオナニー的な活動に取り組んだりすることなんですよね。道具も何も無く素の人間のままで空を飛ぶなんてのは明らかに不可能なのにその研究をしたり活動をしたりするわけですね。そのぐらい現実を変えるというのは無理なことなんですよ。お金があっても無理ですよね。っていうかお金とかそういう物質的なものはもう関係ないですよね。そんなもので色々なことが変わるなら凄い楽ですよね。でもそんな簡単なことじゃないってもうみんな気がついちゃったわけですよね。だからどっかに軸をシフトさせるしかないわけですよ。


「変える」のではなくて「作る」という方向にシフトするわけですね。あと変えるために頑張るというのがいかに精神的な疲労を生み出すか?ってことなんですよ。やれる人はやればいいと思いますが、僕みたいにメンタル面が弱すぎて無理な人も大勢いるわけです。そんな人たちにまで頑張れ!って言い続けるなんてうつ病患者に頑張れ!って言い続けるぐらい酷いことですよね。僕はそれをやり続けてきてしまったし、ここにも書き続けてきたわけですよ。後悔はしていませんし、いろいろと考えてきた結果なのでプロセスは必要だったと思いますが、とにかくエネルギッシュなパワー系の話とか意志の話とか超越論的な話とか超人になれ!みたいな話とか、そういうのは何も生みださないどころか疫病を撒き散らす原因になるわけですよね。まぁパワーがありあまってる人はそれをやればいいと思いますし、それができる人は否定はしませんけど、できない人のほうが多いわけですよね。なのに頑張れ!って言い続けるなんて拷問みたいなもんですよね。


あとはオルタナティブライフ的なものも僕に言わせればクソみたいなもんです。セミリタイア生活だとかなんだとか、あんなもん能力があったり社会的にお金になるようなスキルを持っている人たちのみが謳歌できるライフスタイルですよね。それをあたかも一般性があるスローライフのように提唱するなんてこれも疫病蔓延に加担するような話です。成功者然り能力がある人たち然りですが、彼らが彼らの基準で物事を語るというのは凄く一般にとって迷惑なことですよね。「こうすればいいじゃない」と言われても普通の人たちが実行できないことだったら全く意味ないですよね。ブルジョワがあそこにいくためにはヘリをチャーターすればいいじゃないって言ってるようなもんなんですよ。これは数学の影響もあると思いますが、この一般性って凄く大事なんですよね。特殊から一般へって話です。僕のアプローチで言えば特殊な自分というケースから初めてうまくいけば一般化を目指すってことになるわけです。結果的に僕しかできないようなやり方が見つかってそれはどう考えても一般化不可能だったとしたら一般化の夢は達成できないことになりますがとりあえず自分の人生は安泰ですよね。まずは自分の人生なり実存から始めることなんですよ。それを永遠と絶望しているままだと何も始まらないんですよ。そもそも作り出すとかブレーンストーミングするとかそういう発想すらなくなるわけです。そんなもの百害あって一利なしですよね。少なくとも自分にとっての現実はそういうものなわけですね。


あとは優位性って言うんでしょうかね?さっきも書いたことですが現実の優位性っておかしいですよね。どうしようもないし絶望的だけどこれが現実だと言われてなぜ志向性をその現実に向けなければいけないのか?ってことですよね。それがなぜか世の中のルールになってますよね。でもまぁそんなもんは時代遅れだ!って言い切っちゃっていいと思うんですよ。でもそんなこといってもやっぱり無理だよねーっつってもそれは分かりきっているんですよね。世界の構築が仮に無理ならまた現実に引き戻されるということなわけですが、まぁ別にそれって昔のデフォルトに戻るってことですよね。僕は戻りたくないので必死に作るつもりですけどね。あとはレジスタンス的な発想もやめですね。現実がクソだからそれに抗う!的な感じも無駄なエネルギーです。どんだけ抗っても個人の力なんてたかが知れてますからもっと建設的なことにエネルギーを費やしたほうがいいですよね。で、結果、そのエネルギーが社会に還元されて古い現実が崩壊していけば万歳!ってことですよね。まさに無血革命です。でも無血革命を目的にすると破壊的になるし破壊が目的にもなりかねないのでそれもあってやはりまずは個人問題から始めるわけですね。あと破壊が目的みたいなそういうのも古いんでそれも無しですね。そういうのは通用しませんからね。


僕が言っていることは現実がどうしようもないからそこから逃げるために安易な方法に逃げるとかっていうことではなく、むしろ現実を人一倍見据えてどうしようもなさや複雑さやさまざまな不可能性を理解したうえで誰でもやれるシンプルなやり方で創造を始めていくということを言っているわけです。だからそれにはまず現実を理解するというプロセスが不可避だし絶対必要条件なのでむしろ逃げとは全く逆のベクトルにあります。まぁでも見た目は変わらないかもしれませんけどね。実際に現実逃避で逃げている人も大勢いるし、仮に僕が提唱しているようなやり方で自分の世界の構築を試みようとしていても見た目には何の差もないでしょうね。まぁまさしく見た目とか世間体なんてどうでもいいわけです。そんなもの全部現実という病から発生している疫病なわけです。そういう意味での旧世代や旧人類とは対立するわけですが、そこを争ったりしないってことですね。それはもう完全に無駄なんですよね。完全に無駄なエネルギーなんですよ。そんなんで言い争いとかしてると結局は現実の世界に足をすくわれることになるわけです。そんなの自分にためになりませんよね。だから徹底的に現実に関しては省エネモードでいくわけです。で、自分の世界で自家発電ですね。結果的にそれが他の人ともエネルギーをシェアできるようになれば理想的ですが、何回も書いているようにまずは個人からなのでまずは実存からですよね。あと連帯とか他人との繋がりみたいなのを言い過ぎてもやり辛くなるしなんかイデオロギー臭くなるので、自分の中でも一番しっくりくるのが自分の実存なんですよね。だからまずは自分の世界からってことになるわけです。


・・・というわけで色々と書き込みをいただいたので返信を書いていたら長くなったので続編として貼ることにしたわけだけど、まぁぶっちゃけあれですよね、ようはただのインフラじゃん?今の世界ではお金とかインフラが現実世界を中心に回っているというだけで逆を言えばそれ以外に現実に立脚する必要性って無いよね。世の中にはビッチな女が多い。で、俺には脳内嫁がいると。でもそれじゃ駄目だ!ビッチ女ばかりではないので恋愛にコミットしなさい!って大きなお世話だよね。結婚なんてなんのメリットもないでしょう。老後の自分の世話とかなんとかそんなことを言う人がいるけどそんなの自分でやれ!って話だよね。老後の世話をさせるために嫁さんを貰うのか?って話じゃん?家政婦じゃないんだから。もっと人として扱えよ!って話だよね。


まぁそれはともかくインフラ以外での現実の重要性って何があるわけ?って話でしょ?スキルを磨くとかそういう抽象的な話もなしだね。そんなもん何年後かに自動化されてる可能性とかあるし、そもそも仕事を生み出すとかなんだとかさ、そういう発想をやめたほうがいいよね。これもまぁ現実に立脚した考えでなおかつ凄まじく非現実的な話なわけだ。だって何をしたところで先は分からないわけでしょ?今は食えるけど先は分からないって人ばっかりなわけだからさ、だったらもっと長期的な意味での確固たるインフラを自分の中に築いたほうがいいじゃん!って話だよね。いや、現実の中で嫌なことだけど重要なこととかあればそれはやるべきだよ。そんなものがあるなら恵まれてるからそれをやって現実から何らかの恩恵を受けたほうがいいでしょう。俺はそういうのが全く無くて何の選択肢も無いように見えているって人たちの話をしてるわけね。まぁ主に俺だけども。現実を軸に考えるとマジで何も無いのよ。もう原爆落とされた後ぐらい何も無いよね。それを嘆いていてもしょうがないわけだ。だから爆心地を離れて別のところで生活を始めるみたいな話だよね。まぁ移住か。それは爆心地からの逃げじゃないか!って言われても何も無い爆心地に住む必要性ってありますかね?無いでしょ?


あとあれですよ、自分の世界の構築って芸術とかも当然含まれるからね。でも現実やっていけないからなぁー・・・的な話に対してあなたの芸術と現実は全く関係ありません。個々が独立した存在なのであなたはあなたの世界を追及するべきだし構築していくべきですってことなわけだ。食えないからやめるとかそういう発想は現実という病に犯されている発想なわけよ。そもそも小説書きたい!とか絵を描きたいとかそんなのあればどんどんやるべきなのね。それを現実と繋げるのをやめよう!ってことなのよ。まぁ現実と繋がることで可能性が開けるみたいな人はどんどんやればいいけど現実との折り合いがつかない人でも折り合いがつかないから芸術やめるってそれはおかしいわけよ。むしろ自分が表現したいものがあるとかそんな凄い世界観とか才能を持っているわけなんだからそれはやらなきゃ駄目です。やってください。


そういうのが俺の言うシナジーに繋がるので。ここ一年ぐらいの俺のありようをみれば分かるように現実に振り回されて気を病んでいては人間は完全に駄目になるわけですよ。そんなんで本来もっとできることとかやれることとかやりたいことがやれなくなるなんてもう完全にファックですからね。そんなのマザーファッカーですよ。マジで。現実がマザーファッカーなんだよね。マザーファッキンリアリティだね。だからマザーファッキングレートリアリティを作るしかないわけね。とにかく現実という論理に振り回されないように!ってことですよ。俺みたいに本当に駄目になるからね。俺は今後はリハビリをしていくわけですよ。で、どんどん調子が良くなってきたらそれは恐らくあってるってことでしょう。やり方が。でもそれは刹那的な快楽に身を委ねることで癒されるみたいなことではなくて、インフラ設計を進めるっていうミッションがどんどんと進んでいくから調子が良くなるわけでしょう?それは実存問題なわけでそれでメンタル的にかなり改善されればそれは効果ありなんですよね。誤魔化しとかではないサバイブ術ですよね。


そんなのその場しのぎでしょって言われてもさ、んじゃあ長期的な安定が見込めるようなことってあるんですか?ってことだよね。俺は色々考えた末に無いって思ったんで諦めてるわけよ。そもそも世の中にそんなものもう滅多に無いでしょう。だから諦めるって当たり前ですよね。それでも生きていくわけよ。ってなわけでやる気が出てきててさ、早速なんかバーチャルリアリティ論みたいなことが書いてある本をいくつか買ったんだよね。それこそ凄く現実的な仕事をゲームみたいなフレームワークでやるみたいなさ、そういうのって結構アメリカでは普通にあるのね。意見というかやり方として。それが凄く有効なんじゃないか?って結構前から言われてるみたいね。まぁ別にゲームに括る必要はないんだけどゲーム的なものもひとつですよね。ようは俺は宗教的なメンタリティとか超越論を言いたいわけではなくて現実に即したインフラ作りをまじめにしたいわけね。


まぁだから極端な話、バーチャルリアリティ的なことで何もかもが満たされればボロアパートとかでも永遠と電脳と繋がっていればそれでよかったらもうそれでオッケーなのよ。豪邸に住んでいようがボロアパートだろうが楽しいもん勝ちだからね。金持ちって全然幸せそうじゃないじゃん?みんな欲求不満で社会的認証に飢えてるよね。で、ネット住民のほうがよっぽど社会的認証を得られているような人たちが多かったりして、ようは差で言えば富の差だけだよね。だから繰り返しになるけどお金とか社会的地位とかそういうくだらないことを軸に考えるから駄目なのよ。だから色々やっててもニートみたいな生活をしてるって思われたら嫌だなぁーとかさ、そんなくだらないことで思い悩むわけでしょ?生活形体がニートみたいであろうがようはそこで何をやってるか?じゃん。そこで2ちゃんとかばっかやってたら終わりだけど、そこで創作なり自分の好きなことなり何か没頭できることなりってのをやってればとりあえず今はオッケーだよね。それ以外にもう何もないんだったらそれしかないでしょ。そんなんじゃ食っていけないよって諭すような人が多分何年後かに食っていけなくなってたりするわけで、もうだから全然そういうのは関係ないよね。思うに食える食えないみたいな話が強すぎるんだよね。人生って食えるか食えないか?だけじゃないのに現実側の言い分ってそういうどうしようもないレベルの低い話とか突っ込みばっかじゃん?だからもうそんなのに付き合わなくていいのよ。そんなの何の正当性もないわけだから、なんつーかそういう現実側の意見で自分を責めたりするのはやめましょうってことだね。それは自分を労わりなさいみたいなことではなくて、俺がやろうとしていることに関してめちゃめちゃ害悪なことだから是非やめてほしいのよね。本当に何も意味ないですよ。そういうことで悩むのは。


あ、もう長いから明日にするわ。っつーかこんだけ久々にすげー勢いで書けてるって時点で多分あってることだよね。現実に関して言えばもう書くことが無くて鬱っぽいことしか書けないわけで、だからそんなのを書いててもしょうがないから、だからまぁあれだ、世界構築モードでいきますよ。で、色々とヒントを得るためにさっき書いたようなバーチャルリアリティ論とかね、あとビジネス書っつーか組織論みたいなのとかもすげー有効なんだよね。だからそういうのも色々読んでるんだよね。そりゃそうだわな。世界を構築するわけだから耳蝉Incみたいなもんじゃん?あ、この耳蝉Incっていいね。


ってことでじゃまた。