現実はオワコンという認識からはじめませう。その16。

それは実存的な場の問題でもそうだし刺激にしても性的なものから何からさ、あれなんだよね、バーチャル系の機材ってまだかなり時間がかかるんだよね。完全なる没入をしてしまうようなっつーか俺は逆にそこまで行き過ぎると問題だと思ってるし、そんなもん完全に精神的におかしくなるに決まってるからやっぱりあくまで一つの世界としてなんだよね。で、まぁさ、そのね、グラフィックとか音とかっつーそういう質が上がってきてるからさ、いや、オブリビオンとスカイリムの差なんだよね。4から5なんだけど端的に言えばFF6からFF7ぐらいの差がある。オブリビオンレベルだと相当に好きじゃないと没入できないんだけどスカイリムレベルの自然とか景色の臨場感となるとスカイリム本編に興味は無くても単純に山を歩いているだけとかさ、自然の中を歩いているだけとかさ、そういう感覚が得られるからとりあえずあれって移動してるだけで楽しいじゃん?あれなんだよな。凄まじいプレゼンスっつーのかな?あれはもうゲームと言えないレベルなんだよな。


それこそセラピーとか身体に問題があって旅行できない人とかそれこそ末期がん患者とかさ、寝たきりの人とかさ、そういう人たちに刺激を与えうるものになると思うんだよねっつーかそんなのはもう昔から言われてたことなんだけど実際にそうなってるよね。だから俺はこれをただのゲームと侮るな!ってことなんだよね。ただ俺は別にこれで革命が起きる!とか世界が変わる!とかそういうビッグビジョンには持って行きたくないんだよな。むしろネット系の話で言えばネットはいい話だけじゃないんですよ・・・っていうユートピア幻想を砕くような本とか言説ってユートピア言説が流行った後に多くなった気がするけど実際にずーっとネットを使ってる側の体感で言うとそれこそ本当に変えるんだったらやっぱり根本の人が変わらなきゃいけなくて、単純にネットとかインフラっつー構造が変わっただけじゃそんなに変わらないってことなんだよね。だから俺はユートピア幻想は全く持ってないんだよね。あくまで実存単位の居場所の話なのね。あーもう何もかも嫌になったから山を歩いてくる!みたいなことが仮想現実で可能になるっていうだけなんだよね。だからまぁストレスコントロールとかストレスフル過ぎる現実の中でセラピー的なさ、精神を保てるみたいなそういうポジティブな面だよね。本当にそこなんだよね。ソーシャルなんたらとかそういうのには全然興味ないのね。実際にああいうのって別に対して世の中変えてねぇーし(笑)実際みんな不幸でつまらないままだもんね。


だからそういう意味で俺はテクノロジーとかの進歩を利用して勝手に認識を作り出しちゃってその中に世界を作ればいいんじゃない?って思うわけね。そうなるとせいぜい現実での実態的なものってそれこそ衣食住ぐらいのものになるわけよ。まぁそりゃリア充に越したことないんだろうけど、俺が想定してるのってそれこそ重度の障害を持ってる人とかさ、人と接することができないとかパニック発作がしょっちゅう起こってるとかね、あとはまぁそこまで重度じゃなくても色々あってリア充とは程遠いっていうさ、そういう人たちなんだよね。そういう人たちにもっとリアルと接しろ!っつったって酷な話じゃん?それが無理なわけで。対人恐怖症とかもそうだけど克服しようとして社会復帰を目指したセラピーみたいなのがデフォだから駄目なんだよね。


そういうのをしなくても生きていけるっていうインフラのほうが俺は絶対必要だと思うのね。で、障害年金とかもらえないならそのほかの場でお金が流れるなりなんとかやっていけるようなシステムってのがあればいいと思うんだよね。まぁそういうのってもう色々と実験があると思うけど、まぁすげー受動的な言い方をすればさ、今って過渡期だから期待はできないけど現状を全てだと思って全てに絶望するのは早いんだよね。先を考えて自殺するよりも先になって色々と良くも悪くも進歩してそんな中で本当にだめになったら最悪自殺すればいいわけで今するのは勿体無いんだよね。それこそ楽観的なタイプのニートによくあるような「なんとかなってるだろう」っていうあの感じね。絶望するよりかはそっちのほうがよっぽどいいでしょってことなんだよね。それはもうみんなの問題になってるしみんな不安なんだから本当にだめになるときはみんなだめになるわけだし個人的な凄まじく私的な問題ではないってことなんだよね。物凄く公的な話なんだよな。で、ニートとかってその不安をさ、311の後もそうだったけどネットってのが不安のバッファ機能になってるんだよね。みんな不安だけど結構な数のニートがいるとかさ、ニートと一緒にするのはあれだけど最悪の雰囲気だった311後も誰かは分からないけどとりあえず無事なほかの人間ってのを可視化できるわけじゃん?一人だったら不安だけど不安に思ってる人たちがいるという状態を認識できるだけでどれだけ不安が和らぐことか。


んでもね、あれなんだよね、こうやって認識が変わってもやっぱり空しいもんは空しいんだよね。多分悟りってこんなことなんだろうなと。いやさ、ジョーダンの4のレトロが出ててさ、前から買おうと思ってたのにそれどころじゃなかったから買いそびれてさ、ネットで見たらすげー値段が上がってんのね。まぁしょうがないんだけど。んでもまぁこれなんかもう欲しい!と思ってから10年以上経ってるんだよねぇー。一回ヤフオクで中古を落としたんだけど「聞くのを忘れていたんですけど正規品ですよね」って落札の後に質問したら「そんなの落札した後に聞くことじゃないだろ!」って出品者にキレられて悪い評価を得たっつー嫌な思い出があるね。完全にフェイクだったんだなと(笑)正規品だったら「あ、心配しないでください。正規品ですよ」とかでいいもんね。なんかこういう記憶とかもありのままに残ってるんだよね。記憶力が良いってまぁ良い場合もあるけどさ、悪い面もいっぱいあるのよ。嫌なことを忘れられないわけだから。いや、学問とかだといいよね。それこそまぁなんつーか本を一度読んで理解するってなかなか難しいらしいって最近知ったんだけど、そこはやっぱり俺の記憶力がいいから本をどんどん読めるんだなとか思いつつもなんつーかもうさ、人との比較とかさ、「俺って凄い!」みたいなのがもうないじゃん?そういうの全部卒業しちゃったから優越感とかを感じることも一切無くなったし、なんかもう何をやっても駄目だよね。駄目じゃないんだけどつまらない。


あ、んでジョーダンの話で言えば本当に人生をつまらなくする分析だけど、これって青年期の好きだった!っつー実存の名残じゃん?っつーかスニーカーなんてそんなもんだよね。いや、今は履く機会が無いからコンディションが良いままジョーダンが眠ってるんだけどこういう履いてないやつが30足近くあるんだよね。学校に通ってたころは何を履いていくか?ってのが楽しみだったけど今なんて無いもんなぁー。まぁ別にいいんだけどね。そうなるともう本当にすぐ履けて脱げて汚れてもいいやつっつーような感じになってまぁそれがもうファッションになるんだよね。所謂普段着というやつか。まぁファッションも楽しみだけど外に出る機会がないんじゃどうしようもないしねぇ、メガネもおしゃれなやつが眠ったままなんだよな。俺の潜在的力も眠ったままだと思いたい。まぁそれはともかくさ、別にまぁかまわないよねってことになるんだよね。それでいいと思う。レベルは高いでしょう。でもとにっかくつまらない。なにせ大抵の楽しいことなんてレベルが低いことを馬鹿みたいに楽しんでいるようなことばっかじゃん?そういう意味でゲームもそうだけどやっぱりだめだね。やっぱり空しさを感じるよ。所詮は現実と同じだわな。そりゃそうだ。あれも一つの世界なんだから。まぁ楽しいからいいんだけど。


なんか最近は場を見つけて何かをやれてる人ってのがすげー羨ましく思えてくるんだよね。山中教授の研究室とかいって頭の良さそうな大学生と一緒に写っている写真を見たときにとにかく感じたのはジェラシーだわ。もうとにかく羨ましくてしょうがないんだよね。いくら研究は自分でできるといってもやっぱり俺は孤独に耐えかねてるのかな?とも思えてきたんだよね。だってああいう感じにジェラシーを感じるわけだから。でもそれってまぁ結局は隣の芝は青く見えるみたいな話でさ、まぁめちゃめちゃ質が高い研究室とかならいいけど、普通かちょっと並以上ぐらいのレベルなんてさっつーかなんかまぁネガティブサイドばかり見てもしょうがないけどまぁすんげーストレスフルな環境らしいねってまぁこういうのも調べたり読んだりしてるから知っちゃってるじゃん?


だからいいなーとか思いつつも幸せそうな研究室なんてごく一部だよなっていうさ、現実的になればなるほど何もかも無くなるよね。んでもやっぱりなんかさ、プリンストン研究所とかのさ、まぁ昔の人の手記とかに出てくる色んな分野の人たちが談話してるみたいなああいうサロンみたいな感じってやっぱあこがれるよね。でもそれってもうハリウッドスターに憧れてるみたいなレベルでさ、だったらプリンストン研究所に行けるように頑張ればいいじゃん!っつってもそういうレベルの話じゃないじゃん?現実的に考えてまぁーねぇー・・・数学は恐ろしい世界だから。才能あるやつに「お前才能無いね」なんて言われた日にゃー本当に自殺すると思うね。結局まぁ自信が無いってことなんだよね。あとはまぁ現実の現代数学の恐ろしい世界を知っているからそれと自分を照らし合わせていけるかいけないか?ってやっぱり現実的に考えられるじゃん?そうなったときに「やればできる!」とは言い切れない凄まじいものがあるんだよね。まぁ物理学とかもそうなんだけど。


あんな世界でしのぎを削るなんて強烈な世界だなと。むしろそんなのに耐えられるのか?ってことだよね。で、そこまでいかなくてもほどほどでもいいじゃんっつーのが変にプライドが高いから中途半端が嫌なんだよね。だったらやらないほうがマシだ!っつーかなんかつまらない論文を書かなきゃいけないという義務で書いている自分が想像できるのよ。まぁ書けるだけマシなんだけどね。でも本当に数学なんてさ、すげー有用でさ、純粋数学ながらも色んな分野の謎が解明できる一つのきっかけを与えるような、そんぐらいのもんが書けないとやる意味ないんだよね。まぁ別にやりたい人は勝手にやればいいけどポストのための論文なんて絶対書きたくないんだよな。もうなんかすげー負けてるもんな。最初から勝てない勝負はやらないって話だわな。


だってさ、数学者の自伝とかさ、色々読んでて思うんだけど完全に人間じゃないんだもんね。努力して云々って世界じゃないんだよね。本当に。んでもその一方で概念さえあればあとはそれを数式にするだけっていうさ、逆に今アイデアがいくつかあればそれはやる価値があるんだけど、なんつーか書くのが恥ずかしいぐらい途方も無い話なんだよね。だから書けないんだよ。恥ずかしすぎて。いや、リーマン予想を解くとかそんなんじゃないしもっと小さいものだけどまぁそれでも途方も無いことなんだよね。そんな得体の知れないものを追い続けてさ、で、なんかもうそんな研究があって終わりつつあるとかさ、まぁそれを知るだけでもいいんだけど、あとは誰かがやってたとかさ、まぁでも今それを調べられるほどの数学力はないんだよね。すでに出たアイデアだった!ってさ、哲学とかだとしょっちゅうだけど数学では無いよね。まぁ無いことはないか。むしろ自然に理解できることはそもそもの概念の把握ができていれば全て自明なことだからだからまぁブルバキとか自然に頭に入ってくるんだよな。いや、ブルバキと相性がいいってだけでまぁ素質があるっつーのはそんなのは自分でもよく分かってるよ。でもやっぱりね、数学者を目指す!って決められないんだよな。あまりにも厳しすぎて。んでもまぁやっぱり夢ではあるよな。何にも無い現実の中で唯一の夢といってもいいぐらいかもしれない。


ってことで続きはまた今度。なんつーか改めて読み返して見るとさ、あれなんだよね、現実がオワコンだと認識することと全てを諦めるということは全然関係ないってことね。オワコンの現実に対してどう対応していくか?っていうあくまでサバイブ術なわけで。だから俺の場合、現実から独立するっていう道を模索するって話なんだよね。現実世界になるべく依存しないで自分でやっていける方法を探すってことだよね。しつこいようだけど現実を軸に考えるとどうにもならなくなるから建設的な考え方をしよう!ってことなわけで。


んじゃまた。