ウンコマンさんへの返信。その2。

ウンコマン 2014/06/15 04:20


いやなんかすみなせん。童貞の話とかでてきたんで変に勘ぐってました。耳蝉さんみたいにコミュニケーションとか消費とかに内在できない人はある種超越してますよね。そうなってくるともう自分でなんかの価値を作らないと満足なんて得られないのかもしれないですね私はそういうとこ勘ぐってるとこがあって「あれ?俺ってうだうだ考えてるけど結局寂しいだけじゃね?」みたいに思う時があります。まあコミュニケーションに内在するって生き方も考えてみれば一つの物語ですよね。「ズッ友」とか「日本代表のチーム愛」とか、欲望されてるんだなぁって感じですし、自分にとってもそういう物語が機能してるのかもしれないです。


どうも自分のためにあえてやる馬鹿に必死になるのってイタイ気がしちゃうんですよね。規模がでかけりゃオウムと同じじゃないですか。オウムで言ったら、「理想の社会」よりも「理想の自分」が先に来てるわけじゃないですか。それってどうなん?っていうのはあります。なんて自分でいいながら「理想の社会」なんてあんまり信じてないんですけどね。オウムで何が悪い?って言われたら、とりあえず僕(と周りの人)には迷惑かけないでねってことしか言えないです笑
旧い世代の人とかに言ったら怒られるだろうけど、社会倫理みたいなものがセキュリティと等価にされるまで自分の中で後退しちゃってるんですよね。


どうせなら「あえてやる馬鹿」じゃなくてほんとに馬鹿になれる価値の為に馬鹿になりたいですよね。っていうかそうじゃないと馬鹿になんてなれないんじゃないでしょうかね。飲み会の相槌が気づけば虚しいって瞬間に捕まっちゃうかもしれないです。あ、いやそうならないってことが本人の中でワークしている物語ってことなのかな。それはそれで物語を構築すること自体が結構シビアな道のりな気がしますね。まあ死ぬよりはマシですか。


いろいろと考えたことを書きましたがずいぶんまとまらない感じになりました。なんだかんだ書きましたが結局私は耳蝉さんのことを尊敬っていったら重いけど一目おいてて、この人がこれから何か凄いことするんじゃないかって期待してるんですよね。考え方とか実践にシンパを感じて、「コイツすげー」って感じてるから、なんか余計ですよね。なんでまぁ、ぼちぼちやりましょう。


いや、本当におっしゃる通りなんですよ。普通は内在できそうなものに一切内在できないんですよね。超越と言うとかっこいいですけど、多分、それはウンコマンさんがおっしゃるように自分で価値を作れたときに超越してるって言えると思うんですよね。いや、自分で価値を作るしかないってここ一年ぐらいでようやく気がついたことで、それはようは色々あるけど「これさえあれば!」的なものを外部に求めるのは無理だなって思ったんですよね。だから本当に自分で作るしかないんです。凄く切羽詰ってますね。


ウンコマンさんは本当に良いことを言っていて、自分のために馬鹿をやるんじゃなくて馬鹿になれる価値のために馬鹿になるってことなんですよねってそのまま引用みたいになっちゃいますが、ここは明文化しないとオウムと同じだって言われても何も言えませんね。言葉が足りませんでした。でもまぁ本当におっしゃるように自分が生きれる物語や価値を作るのって人生のハードモードなんですよね。何らかの自分が内在できそうな所与のものにハマっていればまぁレールの上に乗るみたいな感じで楽ですよね。あと括弧つきの「ライフスタイル」とかもようは模倣できますし、そういう意味だとマニュアルってクソほどありますから楽ですよね。


本当にどれもこれもダメで一般的にエンターテイメントって言われているようなものもダメで「ハマれるもの」みたいなのも結局はダメなんですよね。なぜかというとそれは外部依存だからなんですよね。自分で作り出したもの自体に内在しない限りこのジレンマって永遠と消えないんですよ。で、自分で選択してハードモードを選んでいるのか?っていうと違いますよね。どちらかというと消極的な感じで色々と自分を知っていった中でハードモードしかないんだなってことに気がついたってことなんですよね。


昔は自分で作らないといけないんだ!って積極的でしたが、今はそれ以外ありえないんだって気がついているので作らないとマジで死んじゃうぞってことになってるって感じですね。まぁある意味で究極のニヒリズムに完全に捕まえられたって感じなのかもしれません。あ、でもそれは違うんですよね。ニヒリズムを選んでるんじゃなくて必然的に考えがそんな風になってしまうっていうこれぞ内在ですね。内在しているので外部的なものでは変えようがないし、どんなに世界をポジティブに見ようにも結局はニヒリズムが勝ちますね。もしかしたら違う場所に行けば全然価値観が変わるかもしれない!とか色んな人と出会えば違うかもしれない!みたいな可能性も無いんですよね。それは最初から無いんだって言ってるんじゃなくて経験的にそう言えるってことなんですよね。何にもやってなくて経験も無いとまさしくウンコマンさんが変に勘ぐってしまうようなタイプの人間になってしまうんですが、実は僕は結構色々と経験があるんですよね。


まぁ普通は偏見で前者に見られるんですけど、ここに書き込みしてくださる方々に関して言えば偏見が無い方ばかりですねっていうかまぁ書いたものを読んでくれているからだと思うし、そういう方々なんで書き込みをくれると思うんですが、でもこれがリアル社会になるとまぁ大抵の人は前者ですよね。まぁそうとしか見られないのはしょうがないと思うんですけどね。そこもまた完全に諦めてるんで期待しない分、傷はつかないんですがまぁなんか凄く自分がドライに見えることがありますよね。でもまぁなんていうか全部論理的な必然性ですね。色々とファジーだったものが経験や知識によってそうじゃなくなった分、もちろん自分が何をするべきか?とか無駄なことで悩むべきではないということなんかが分かるようにはなったんですが、「ただ生きる」ということは自分にとっては不可能なんだって認識しているので、だから若干イタイぐらいに必死に価値を探してたり何かを探してたりしますよね。何にもしなくてもいいけど価値を見つけたほうがいいってことじゃなくて何にもしないということがありえないってことなんですよね。


なので別に自分が仮に3億ぐらい持ってて生活に困って無くても全然実存的な問題の解決にはならないんですよね。これってなかなか理解されづらいことだとは思うんですけどなかなかの無理ゲーですよ。まぁ大抵の人は無理だろうけどまぁ3億あったらなんか色々と解決できそうじゃないですか?全くお金の話なのではないってのが全く希望がないですよねってことなんですよね。まぁお金も結局、外部のものなので内在しているものではないのでむしろお金で解決できるほどのことであればそんなに実存的な悩みは深くないだろうってことなんですよね。まぁお金で悩んでいる人の悩みが浅いとは言いませんが、ようはまず実存的な問題というのがあって、それでどうすれば解決できそうなのか?っていうところでのお金っていうファクターが大きかったらそんなに悩みは深くないんで何らかの既存の方法で解決できる道があるってことなんですよね。


外部的なものでどうにもならない場合は何か本を読んで啓示を受けて解決できた!とか大きい物語として宗教を持ってきた!とかそういうのが一切通用しませんからね。処方箋が一切無いんですよね。何かを目指すとか目標を目指すとかって楽なんですよね。どう行くかは分からないけどゴールがあれば一応方向はわかるってことですからね。そういうのも一切分からないわけだし何かになればいいって話じゃないんですよね。有名になればいいとか俳優になればいいとか映画監督になればいいとかそういうあらゆる「なれるもの」で解決できるわけじゃないし目指せばいいわけでもないんですよね。


だからまぁ本当に悩んでますね。でもこういうことを普通に言っても「世の中では生活やお金のことで悩んでいる人が大勢いるのに何を呑気なことを言ってるんだ」って思われますね。だからまぁネット以外の場所でこんなことを言えるところなんて無いんですよね。まぁ逆にネットがあるんで凄く助かってるわけですね。そういう意味で自分のこの場ってマジで自分の実存を支えられているソースだと思いますね。でもまぁそれだけじゃどうにもならないんですよね。そういう意味で「夢を抱け!」的なパラダイムではないですよね。デフォルトが無なので普通にしているとそれに飲み込まれてしまうのでなんとかしてそれに打ち勝つようなものを自分で見つけるか作るしかないってことなんですよね。仏教的な悟りも一切ワークしませんね。仏教ニヒリズムを対象化できますけど僕の場合、ニヒリズムというか自分のこのどうにもならない感じというのに内在しているので対象化できないんですよね。主観を客観的に見られないって話と同じです。


一時は客観的に見られるようになったって思ってたんですけど凄まじい勘違いでしたね。誰も主観からは逃れられないんですよね。唯一逃れられる術が死だと思うのでだからまぁ非常に危険なんですよね。自分がメイド付きの豪邸に住んでても全くそういうのとは関係ありませんからね。そういった物理的なものでどうにかなるものじゃないんですよね。だから世捨て人になるみたいな選択肢も当然無いんですよね。あとかなり自分は一般的な意味とは違った意味で社会的な人間なので世捨て人はありえないんですよね。大体宗教とかって悩みがこういうところまで来ると処方箋が祈ることとかお経を唱え続けることとかっていうそういうところに逃げるんですよね。そういう意味で完全にこういったものが解決できたものって発狂した後のニーチェ以外ないですよね。物理的に脳腫瘍とか出来れば解決できるみたいなそんな話なんですよね。まぁそんなの解決でもなんでもないわけですが。


the pathとか道っていう概念がありますけどこういうのでもないんですよね。これも道というものをあると過程する一種の錯覚なんですよね。これも物語の一種です。だからまぁなんていうか本当にどうしたものかねぇーって感じなんですよね。あと精神分析とかでよく言われるようなものとしてこういうものってのは実際は悩みでもなんでもないことを悩みとして捉えて病んでいるみたいな説明がありますけどまぁそういう人もいるんでしょうけど自分の場合は違いますよね。明らかに見える傷ってのがあってそれが化膿して腫れててズキズキと痛むっていう物理的な痛みを「無いもの」として捉えることはできませんからね。


まぁあとは飲んだくれて忘れるとかドラッグにハマるとか直に意識を操作するみたいな方法しかないでしょうね。でも自分はそこまで破滅的ではないのでそれは大丈夫なんですけどね。飲んだくれるぐらいしか方法が無いって分かったらまぁ死にますよね(笑)こういう意識を操作するものって意識を止めることで悩み自体に意識を向けさせないっていうことですからね。全く夢や希望が無い人がクラックとかやってジャンキーになるってのも防衛本能として当然なんだと思いますよね。


もうキリがないのでこの辺でやめますが、あとは方法の一つとして薄々気がついてはいるけどずーっとごまかして騙し騙しやっていくっていうのがありますよね。僕はこのごまかしってのができないのでこれも無理なんですよね。まぁドラッグにせよ宗教にせよごまかしにせよそれで解決できたらそれを選択するのか?って絶対選択しませんから、結局はやっぱり能動的に自分はこれを選んでいるんだってことになりますよね。でもこれって論理の主体性みたいな話なんですよね。論理自体に選択も何もないだろうっていう。数学でも選択公理に関する議論がありますけどこれと同じですよね。ただそうなっているのか選ぶから出てくる必然なのかそれは分かりません。ただまぁとりあえず自分にはそれが「ある」ということしか分からないし、出所が何なのか?ってのはそんなに気になりませんよね。逆にその存在自体が大きいので出所が分かったところでどうにもならないってのは明白なので。


いや、なんかマジで長くなってしまいました。まぁそれだけ一言では言い尽くせないようなまさしく文字通りの長い話なんですよね。だから長くなってしまったわけですが、とりあえず今自分は過去にはこれほどなかったようなレベルで悩んでますね。別に日々凄く辛い!ってことではないんですが、間違ってても「これが方法だ!」って思えているときは悩んでても楽ですよね。それを目指せばいいんだ!って思えばいいわけですから。でもそんなものは無いんだって分かっちゃったらじゃあどうすればいいのか?って話ですからね。まぁそれが簡単に分かれば苦労することもないんですけどね。今は過去にずーっと続いてきた連続性みたいなのが断絶されてますね。いや、それは良い意味でなんですけど。これがスタートだって言えばスタートなのかもしれませんがハードコアモード過ぎる!って感じですね。なんかこうだんだんとレベルアップしていっていけば・・・みたいなのは無いのか?って感じなんですよね。まぁそれもそうじゃないって分かったんでレベルアップはゲームの中だけでやってますけどね。まぁそれとは別に自分自身のレベルアップは好きなので育成はやっていますが育成だけでは生き延びることができないんですよね。だからどうしたものか?ってことになるんですけど。


長くなりましたって書いてからもまた長くなっているのでこの辺で失礼します。ウンコマンさんから色々と期待されていることに関しては自分の財産ですね。生きる糧ってまさしくこれです。意志のおける糧ですね。そのほとんどを僕はこの場から得てますね。