はじめましてさんへの返信。

はじめまして 2014/07/01 03:08


はじめまして耳蝉さん。ブログ読ませていただきました。在野、アカデミックにかかわらず、ずば抜けて凄い人に初めて会ったという軽い衝撃を受けています。耳蝉さんが書かれてるように、今の時代、ネットの普及によって有名大学の講義が無料で聞けたり、例えば書物などの情報へアクセスがプロ、アマ関係なくほぼ平等に可能であったり、学問の敷居は以前と比べると確実に低くなっているように感じます。それでも機会は均等化されても、個々人の能力の間には間違いなく差別が存在しますよね。耳蝉さんは、大衆は賢くなっていると思いますか?それとも、知というのは機会は均等化されても今でも特権的なもので一部の人間にだけ開かれているものだと考えますか?耳蝉さんのブログを読んで共感し、私のようにコメントを残す人間を、どちら側に無意識であれ意識的であれ分類されているのですか?


話しは変わるのですが、かなり難解な本まで英語で読まれていますよね。英語ができるのとできないのじゃアクセスできる情報量が桁違いだと思いますし、なんとしても英語をマスターしたいと思い学問をするためにまずは語学を勉強するという日々になっているのですが、学問ができないイライラや語学の勉強が底なしに思えて萎えたりで、なかなか集中できなかったりでいます。インフラが整備されててもそこにアクセスできない無能さに哀しくなったり。そこで耳蝉さんの英語の勉強遍歴を教えていただけませんか?難解な原書を言語の問題に煩わされることなく読めるようになるまでどのように語学と付き合ってこられたのでしょうか?よろしくお願いします。


凄く励みになる書き込みありがとうございます!機会は平等でも能力差は変わらないってちょうど最近考えてたことなんですよ。今の状況って食料品がその辺に自生してるんで勝手に取ってきて食べれば食うのには困らないみたいな状況だと思うんですよね。あ、それは情報に関してなんですけど。例えば食料品がなんかのSFみたいに量子レベルでのコピーが可能だとかなんとかで元があればそのコピーを作って冷蔵庫に入れておけば食うのに困らないみたいな状態があればまぁみんな食うのには困りませんよね。で、情報ってまさにそんな状況だと思うんですが、食料品と違うのは食べれば勝手に消化されるってわけじゃないってことですよね。どんだけ素晴らしいテキストや講義や本がタダとか安く手に入ったとしても必要なのは労力なんですよね。ようはその情報自体を得るコストよりも結局はそれに時間を割くっていう労力なんですよね。必要なのは。昔は専門書なんて高かったし講義なんつってもどっかに留学しなきゃ聴けなかったなんつーのが今はどこにいようがそういう情報は得られるということになってもではそこにみんなアクセスするのか?っていうと違いますよね。結局アクセスするのはそういう情報を咀嚼できる人間だけで機会は平等でも知識は平等にはなってませんよねってまぁ当たり前のことなんですけどね。


情報を得まくってアドバンテージを得る人間とそうじゃない人間で二極化が進むって昔から言われてますけどまぁ結局はそういうことなんだと思います。食品のavailabilityと情報のavailabilityは違うってことですね。食品は人間の根源的欲求なのでその辺に弁当生成機とかがあればそれを使いますよね。でも情報はアクセスしなくても死ぬわけじゃないし、誰しもが知的好奇心という根源的欲求を持っているわけでもないので、結局はその人が情報で何を得るのか?というのは元々の知性や知的好奇心に依存してるんですよね。食品みたいにプリミティブなレベルで摂取が強制されているわけではないんですよね。そういう意味で情報のavailabilityと大衆の知性のレベルというのは必ずしも関係するものではないと思います。


まぁこれはでも結局は間接的に知性の特権性を認めるようなことにはなるかもしれませんね。結局はそういった情報にアクセスして情報を得ることが出来るということ自体が特権的行為なんであれば知性自体がそもそもの特権的なものってことになりますよね。まぁでもこれはやっぱり昔からもこの先も変わらないと思いますよね。これは「知性」を「才能」とかに変えればもっと分かりやすいですよね。もう明らかに先天的な才能としか言えないような才能ってやっぱりあるわけですよね。まぁ音楽でもスポーツでもなんでもいいんですが、でも知性の場合は少なくとも才能よりかはもっと平等に分配されているものではありますよね。才能が無くても頭は良いって人はいっぱいいますからね。


で、僕は大昔から一貫してるんですが凄まじく衆愚感が強い人間です。基本的に凄く元々衆愚的なものというか大衆的なものが好きじゃないという好みの問題もあるんですが、あとは個人的な経験から頭が悪い人に嫌なやつが多いっていう印象を持っているのもあって、だから基本的に馬鹿であるってこと自体が原罪みたいに思ってるところはありますね。実際にそういう人間と接して凄く嫌な思いをしてきたので個人的な怨恨もあるとは思うんですけどね。まぁ馬鹿って基本的に他人の立場に立って物を考えるみたいなことができないし、何かを言ったことで人はそれをどう感じるだろうか?というような想像力も無かったりするので、だから永遠と毒を吐いていたり人を傷つけるような行いをやり続けますよね。百害あって一利なしですね。で、馬鹿でも優しい人はいるって反論がありそうですけどそれは僕に言わせれば馬鹿じゃないんですよね。感情をコントロールできたり他者に思いやりを持てる人はどれだけ無知であろうが馬鹿ではありません。ところでアメリカなんかでもレイシストとかって恐らく9割ぐらいが馬鹿ですね。アメリカの底辺ってのは底なしなぐらいダメダメなので本当にあきれ返ります。


馬鹿には啓蒙っていう立場があると思うんですが、そもそも啓蒙できる人たちってのはただ無知なだけであって馬鹿じゃないんですよね。ただの知識の有無なんですよね。でも本当の馬鹿には何も通じないしどんだけこちらが分かり合おうとしても無理なんですよね。僕はずーっと浮世離れしたような生活をしながら読書をしてきたようなイメージがあるかもしれませんが(笑)実際はそんなことはなくて底辺みたいな場所でバイトをしていた経験がありますし、アメリカでもコミュニティカレッジっていうそこをステップアップとする人からただの底辺まで色んな人間が集まっている場所にいたことがあるので色んな馬鹿を見てきてるんですよね。そういった結果での馬鹿への諦めというのはありますね。あとまぁ若干知性があっても例えば全能感に満ち溢れていて根拠の無い自信があって客観的に間違ったことを永遠と自分で信じ続けていてそれを永遠と行使して周りに迷惑をかけているとか、まぁ馬鹿のバリエーションには事欠かないわけですが、そういった意味で色んな馬鹿がいてそれは人口の大半を占めるだろうって思っています。これは偏見ではなくて事実なんでしょうがないことだと思ってますね。でも僕は最初からこうだったわけではなくて人の分類などはせずに自分なりに偏見を持たずに平等に接してきていました。で、色々な経験があって、あとはまぁ色々なものを読んでそういった知識と経験によって今みたいな認識に至ってますね。ようは本だけ読んで頭でっかちになってるわけじゃなくて、特に衆愚感に関しては自分の経験によるものが大きいということです。


で、次に僕に英語遍歴なんですが、ご存知かもしれませんが僕はアメリカに4年半ほど留学していた経験があります。なのでまぁある程度英語が出来るのは当たり前ってことになっちゃうんですが、でも実際に留学していても永遠と英語力が上がらないでずーっと英語学校に通っている人とかもいるんですよね。あ、せっかくなので簡単に遍歴を書きたいと思います。長くなるかもしれませんがお付き合い願います(笑)


僕は留学する前は英語のレベルは中学英語のレベルも無いぐらいのレベルで留学後に英語学校に通っていたんですが一番初級の一個上のレベルからやってました。今思えば凄まじいお金と時間の無駄だったんですよね(笑)なんで勉強してから行かなかったのか?っていう。まぁそれはともかく留学後はまぁ授業は当然英語ですしあとはホームステイだったのとルームメイトなんかもいて何気に留学後に一番英語のシャワーを浴びていてなおかつ喋っていたのが留学直後だったりします。あ、んでなんでいきなりアメリカに行けたのか?っていうのは2年間ぐらい駅前留学をしていた経験がありまして、文法とかは全然ダメだったんですが、クソみたいなブロークンの英語と若干のリスニング力があったので可能でした。まぁ逆にそれが無ければいきなり行くなんてことはありえなかったと思うんですけどね。で、留学したばかりの頃は当然毎日英語学校で英語の勉強だったわけですが、それとは他に意図的にやっていたのは映画を英語字幕を見ながら見るのとシャドーイングと呼ばれる映画の台詞をそのまま真似るみたいなことをやってました。まぁなぜと言われれば答えられるんですが、まぁなぜかその頃はウディアレンにハマってましてDVDBOXを買って時間があってはウディアレンの映画を見ていました。で、あとウディアレンの真似ですね(笑)


で、留学して半年ぐらい経ったときにエポックメイキングな事態がありまして、まぁ凄く啓蒙されたという経験をしまして「このままじゃダメだ!」と思って英語力を上げるために洋書をずーっと読み続けるという習慣をつけるようになったんですね。あ、あとあれですね、留学後は分からない単語があったら虱潰しに調べてその単語をノートに書き写すっていうのは習慣的にやっていました。これをやっていると事実上はわからない単語は無くなるということになりますよね。なにしろそもそも分からない単語に出会ったら調べて分かるようになるわけだからその原理を突き通せば分からない単語はなくなりますよね。まぁ言うまでもないんですがこれは今でも続けています。で、このエポックメイキングなことがあってからは読書に集中できるような場所っていうかスターバックスなんですけど休みの日とかは永遠とスタバで電子辞書と単語ノートを傍らに読書というのを永遠とやってました。なんていうか基本的に留学っつってもやってたのはこれだけですね。そんな生活をしていたのにも関わらず4年半経っても実際の英語力は怪しいままでしたっていうか特に書くのなんかは教師に毎回ぼろ糞言われてましたね。


で、まぁ帰国することになってもまぁ基本的に洋書を読むのがデフォになっていたので英語で何かを読むというのは永遠と続けていたっていうことになります。で、帰国後の1年後ぐらいですかね。いや、ホントに2年前ぐらいなんですがようやく洋書を抵抗無く読めるようになってきた!って感じになってきましたね。ガッツリ英語をやり始めて6年も経ってるってことになります。駅前留学期間を含めればもっとですね。こういう積み重ねがあったので難解な本なんかもようやく読めるようになったっていう感じですかね。実際に難解な本は留学してすぐのときにも英語で読んだりはしていましたが多分2割ぐらいしか理解できてなかったでしょうね。映画もそうですね。英語字幕があってもなかなか全部を理解するというのは無理でしたね。いや、映画にしてもほとんど内容を理解できるようになったのってここ数年なんですよ(笑)「は?4年半も留学してて?」って話なんですが。あ、まぁようは映画の程度にもよりますけどね。ようは話がややこしい金融とか法廷サスペンスみたいなのも違和感無く理解できるようになったのがここ数年って感じですね。単純な映画はそりゃ楽なのでもっと前から普通に見れるようにはなっていましたが。


あとはまぁ英語で言うとゲームですね。洋ゲーを英語でやるっていうのでまぁ例えばミッションとかって当然理解しないと進めないので「どこどこに移動せよ」っていうその場所が分からない場合、その場所に相当する単語を調べるってことになるので単純にボキャブラリーが増えるんですよね。あとは自分が普段接しているものや読んでいるものとは違ったような、普段自分が接しないような世界のことに関する単語なんかについてもゲームから学べたりしますよね。例えばまぁ軍事用語とか生物学の用語とか地政学的なことだとかなんだとか。まぁあと軍隊モノとかだと軍隊系のスラングとか喋り方とまた違った英語に接することができますよね。あと高い日本語版とかを買う必要が無いのでコスパが半端じゃないっていうメリットがありますね。


まぁこうやって書いてても思うんですが英語三昧ですよね。今の生活でもそれは変わっていないのでただ生活が日本になったってだけで中身はほとんど変わってないんですよね。だから今でも分からない単語もあるしそれを調べて理解するっていうプロセスは永遠と続いていますし、まぁ生涯学習みたいなもんですよね。まぁようはそういう積み重ねがあったっていうことです。まぁだから僕の場合、凄くもなんともないですよね。卓越した語学力ですね!っていうよりかはさすがにずーっと英語やってればそりゃできるようになるだろうっていうただの必然です。ましてや留学してたので当たり前ですよね。もうなんかこればかりは時間を費やすしかないと思いますね。あと王道は無いですね。本当に積み重ねと慣れとしかいいようがないっていう感じです。


あ、んで今ですらも知らない分野のものに関しては邦訳の本を読んだほうが読みやすいということはあるんですよね。まぁそれは普段も書いてるんですが、漢字の場合、分からない用語でも漢字自体が意味を含んでるので聞いたこと無い用語でも察しがつくってのがありますよね。まぁそりゃ虱潰しに調べればいいんですが、基本的に未知の分野に関しては漢字っていうのは直感的で凄いな!って思いますね。まぁ悔しくもあるんですけどね。英語も母国語と差がないぐらいナチュラルなものにしたい!とは思ってるんですが、そういうレベルには至ってませんね。はじめましてさんはインフラにアクセスできないことの無能さを感じるとおっしゃっていますが、忘れないでほしいのは僕みたいにいい歳こいて留学して英語漬けになって特に何も成すこともなく帰国してきてその後も英語に接し続けているのにも関わらずマスターには程遠いってことなんです。英語で学問するとなると「なんとなく分かる」みたいなレベルじゃダメで確かに敷居は高いんですが、でも英語で難なくやれるようになるとほとんど何にでもアクセスできるようになるみたいなマスターキーを手に入れるみたいな感じになると思うので凄く価値があることだと思うんですね。


例えば元がドイツ語だったりフランス語であっても大体英訳があったりあとは喋ってるのがドイツ人とかフランス人であっても一応英語が公用語なんで英語でプレゼンしてたりしますし、英語が母国語じゃない人たちの著書も母国語ではなく英語で書いたりもしますよね。あとはまぁ大体何にしても英訳がありますよね。まぁとにかく英語で理解できることによるアドバンテージは凄まじいので諦めずに長い目で取り組んでみてください。基本的に「知りたい!」って情熱があれば何でもやれるようになりますよ。


とまぁそんな感じで長くなりましたがこんな感じです。何かあれば是非、返信ください。