数学しか無くなりました。

オーディオブックのレクチャーシリーズってのを聴いてるって前に書いたけど色々と聴きまくって聴くのがなくなってきたんでサイコロジーとかのを聴いてるんだけどさ、まぁどれを聴いて内容がどうだったとか書くのは面倒だからやめるとして書きたいことだけ書くんだけどさ、あれなんだよね、特にやっぱ脳系の話になるといつも書くように結局は快楽ってことになるじゃん?好きなことがあってもそれが好きっつーよりかはそれをやって快楽が得られるからそれが好きだと思っているっていうさ、だから例えば数学なんかが一時期より熱が冷めてきたなんつーのもやっぱ単純に慣れたからなんだよね。初学者の頃のウキウキ感はないわけだ。だから別に冷めたってことでもないんだよね。慣れたってまぁよく考えればすげーことだよね。数学書を読むっていう習慣をつけよう!なんつって頑張ってた頃のことを考えると今なんてありえないでしょ。快楽のために数学書読むとかありえないよね。でもなんでそういう風になった自分を評価できないのかなー?って気はするよね。こんだけやったんだからもっとディープに掘り下げていくのが一番いいっつーのは結局そうなんだけどワクワク感がなくなってるってのに喪失感を感じるんだよね。


だから思うにそれを喪失って考えちゃいけないって感じはしてるんだよねっつーかそのサイコロジーのやつとか聞いてて思ったのは俺ってやっぱアドレナリンジャンキーなんだよね。常に高揚感がないと凄まじい虚しさを感じるから常にハになれるようなものを探し続けてるって感じなんだよね。んでもこれはやっぱ長く続かないよねぇー。なんかもっとバランスを保てるような感じにしていかなきゃいけないなって思ってて。高揚感がないと虚しいのはそれはそうなんだけど・・・っつってもまぁあれか、これは長所でもあるんだよなぁー。これでバランス取るっつってバランス取るようになったらめちゃめちゃ普通になっちゃうもんな。やっぱなんかその狂ってないといけないと思うんだよね。で、それをなんとかしなきゃいけないって思うのはやっぱ俺が適応しようとしてるってことなんだよね。そのために自分を変えるべきだっつー環境に支配されちゃってるって感じになってるよね。んでもこれってやっぱ奴隷への第一歩だよね。妥協してないつもりでも結局は維持不可能になったり環境に適応するしかなくなったら自分を殺すわけじん?まぁそれが生きていくってことなんだよって言う人もいるけど俺ってそういうキャラじゃないし、そもそもそんなことしたらキャラがなくなるもんね(笑)なんかもう全然魅力なくなるでしょ。客観的にそれはつまらねぇーなーって思うよね。


本人は辛くても客観的に見てて面白いっていう方を取るのか精神的に安定するほうを取るのか?っていうとやっぱ前者だよね。精神的に不安定になりがちでも面白いほうがいいもんね。異様に妙なことに集中したり執着したりとかそれに集中するってまぁようはそれが楽しいからじゃん?でも適応っつーのを取って高揚感ばっか得るっていうアドレナリンジャンキーになってる脳を普通にしていこうっつーと多分変なことに執着しなくなると思うんだよね。「へぇー面白そうだねぇー」ぐらいの感覚になっちゃうでしょう。やっぱそれは違うよねぇー。んでもまぁ結局あれなんだよね、数学にしてもそうだけどある程度やったから分かることってあるじゃん?あとなんつーのかな、自分が思いつきそうなことは大体思いつかれてるし、まぁそれ言い出すと音楽とかにしてもそうだもんね。自分にできそうなことは大体やられてるし、かといってもまぁ別に好きなんだったら誰かがやってるとか関係なくやればいいじゃん!って話なんだけどそこはやっぱ冷めるんだよね。結局なんかあれだもんね、音を作ってるときに自分なりに色々と悩んでて結局まぁ自分が思いつきそうなことは大体やられてるっつーのとあと場合によっては「こういうのが作りたかったんだ!」みたいな「まさにこれ!」っていうようなのを見つける場合もあるよね。だからまぁ俺がやる必然性が全く無いという。なんかこれすげー前にも書いた気がするな。


結局まぁ数学でもそうなんだよねぇ。色々と分かるようになったらどうなるんだ?ってウキウキ感が無くなったってさっき書いたけどやっぱこれって凄いことなんですよ。ある程度色々と分かるようにはなったわけだから。んで「で?」っていうことになると「んー」って感じになるんだよね。いや、ちょうどそうですよね。学部でいってもまぁ本格的にやり始めてからもう4年ぐらい経ってるわけだからちょうど大学卒業みたいな感じじゃん?そんぐらいやって色々と分かったこともあるけど自分の力量みたいなのも分かったみたいなイッた後の感じみたいになってるんだと思うんだよね。まぁそういう感じが出てくる時期なんだなってのは凄く実感してますよね。なんかんで予想できるんだよね。自分が人文系でやってきたような色々と読み漁って色々と知るようになるっていうただまぁそれだけっていうさ、数学でも結局同じなんだよね。これだ!っつー分野っつーよりかはとりあえず面白そうなものは大体やってみるっていうさ、んでまぁ理解不可能っていう世界はないんだけど、ただ別に「これだ!」というのがあるわけでもなく、あーこんな感じで惰性でやっていくんだなぁーっつのが見えちゃうっつーのかな?だからもうこうなるとさ、知るということ自体に凄まじい価値観とかを持ってない限り続かないよね。まぁやめるということはありえないけどやっててもまぁどうせこんな感じで分かるようになってこんな感じでまた冷めるの繰り返しでまた他の分野に手を出したりしてみるんでしょ?っていうその繰り返しが予想できるっつーのかな?


まぁ色々読んだって書いたけどかといっても別にすげー詳しいわけでもないからね(笑)だからまぁ中途半端なんだよね。それは別に哲学とかにしてもそうよ。んでまぁあれなんだよね、最近はまぁ結局トポロジーとか圏論みたいなのやつの話を進めていくと超ひも理論とかになるんだよなぁーってのを思っててさ、まぁあれだよね、ウィッティンとかなんだよね。ようはなんつーのかな?数がどうのとか公理系がどうのなんつー話はすぐ詰まるんだよね。まぁ数論は別にしてもんでもまぁ現代数学が物理と密接な関係にあるっつーのもようは現代数学が進歩した結果、物理と同化するようになったみたいな話だと思うんだよね。だから分類自体があんまり意味なくなってるっつーか。まぁあれね、あくまで理論物理学の話なんだけどね。んだからまぁその一方で数式をいじくり返すだけで何が分かるのか?っつー話もあるわけだしさ、でもまぁ別に理論物理学なんて金かからないわけだから勝手にやってればいいって話なわけで。んでだからまぁややこしいからやめるかって思ってたやつに戻った感じではあるんだよね。読破してない「Quantum Fields and Strings: A Course for Mathematicians」っつー本なんだけど。あとやっぱ良いなぁーと思うのが古典力学みたいなのも抽象的な数学で説明されてると分かりやすくなるじゃん?古典力学の本とかっていつも色々と買うんだけどつまらなくてやめちゃうんだよねぇ。こっからの力がどうでんでもここでエネルギーが云々・・・って話がつまらなくてさ、んだから逆に抽象的な数学で説明されてたほうが楽なんだよね。それでまぁ古典力学も理解できるようになるっつーまぁお得感があるっつーのかな。んでもこれに関しても何がお得なのか?って話じゃん?結局俺は何がやりたいんだ?みたいな感じでさ、なんか勝間和代みたいな感じだよね。色々やってるけど結局何がやりたいのか分からないっていう(笑)


んでもまぁさっき出した本みたいな話ってまぁ色々と進んだ結果、ここにたどり着いたって感じではあるからさ、別にまぁ進歩ではあるんだよね。本自体はおそらく二年以上前に買っててまぁほとんど理解してなかったんだろうけど今はまぁがっつり理解できる感じはあるかなっていうまぁそんなに絶望的な感じはしないんだよね。でもまぁそんなにウキウキするわけでもないっていう。まぁまだ攻略してないもんが残ってるって考えられるだけマシなのか。どの道もうあんまやりたいこと無いんだったらやれそうなことをやるしかないし、あとはまぁなんかに生きがいみたいなのを感じなきゃいけないから自分がやれそうなものでそれにこだわるみたいな世界でしか実存的なバランスが取れなくなるもんね。まぁ今はまさにそんな感じになってるんだよね。なんかでもイメージと違うんだよな。なんかもっとバリバリやってるっていうイメージだったんだけどなんかすげー冷めててただの惰性でやってるっていうさ、ある種の無気力感だよね。もっと能動的にやりたいのにそういう感じじゃなくなってるんだよね。まぁ馴染むってそういうことなのかもしれないけどね。結婚で言えばちょうど夫婦仲みたいなのが冷めてくる時期みたいな感じか。んでもやっぱただの抽象数学やるよりかは断然良いよなっていう感じはあるよね。結局まぁそれがあれなんだよね、物象に逃げるっていう話ではあるんだけどそれが物理となるとちょっと安心できるっつー感じがあるっつーのかな?まぁ金融工学に求めてたような物象性だよね。だったらまぁこっちだろって感じなんだよね。んでもまぁそんなにワクワクしないんですよねっていう感じですよね。


ようはさ、分かるようになるってまぁそういうことなんだよね。結局まぁ数学なんつっても色んなものの形が変わったり組み合わせが変わったりするだけで原理みたいなのって変わらないじゃん?まぁそれが数学たる所以なんだけども。だからまぁ色々と知ることで色々な知識の断片の応用みたいな感じになるんだよね。どれにしても。だからすんげー難しそうなやつにしても結局は原理は数学なわけで、それ自体が異様で難解すぎて分からないなんてことはないんだよね。凄まじい基礎知識を必要とするっていうだけでそれ自体が難解ということはないんだよね。まぁあるとすれば複雑なだけだよね。ごちゃごちゃしてるっていう処理の問題でそれ自体が難しいか?っていうとそれはまた別だと思うんだよね。なんかそれ考えると数学究めちゃうと何でも分かるようになるじゃん!ってすげー!って思うんだけどある意味でまぁ今はそうなりつつあるっていう中で意外とそんなに別に楽しいもんでもないなっつーのも実感してるっていうことなんだと思うよね。結局まぁ何らかのものの応用だったり原理があったりするとそもそも馴染んでるから知らない分野にしても問題は定義なだけでさ、数学そのものってのはそれにフォーカスすればようは単体で研究できるもんだからやりようではいくらでもやれるんだよね。そういうのを繰り返していけば実質的に分からないことっていうのは無くなるはずなんだよね。まぁこんな感じで数学ってまぁすげー経済的なんだよね。分かるまでは大変だけど分かるようになると何にでも応用が利くしっつーかそもそも数学で扱われてるもんだったら大体理解できるようになるわけだからね。


なんか凄い!っていうはずだったんだけどなんでそうでもないのかなぁーっていうね。あ、それはさっきも書いたけど原理が一緒だからそりゃ馴染めば新しさってのは感じなくなるって話なんだけどね。まぁでもなんだろうね、俺が物象って呼ぶものは対象に関しての何らかの意味論を与えるんで抽象的な理論の集積という感じではなくて「これがなんたらの場の何かに作用しているものである」っていう意味づけを与えられることでまぁcontextualな理解が可能になるから気持ち良いんだろうね。理論だけで終わってるとあれなんだよね、いつもの「で、結局これは何をやっているんだ?」っていう不安感に駆られるっていうさ、まぁその点物理とかになるとまぁ物象ってところに甘えられるから精神的に楽だよね。まぁ物理っつってもやっぱがっつりとした物理は全然向いてなくて数学寄りのものしか理解できないけどね。さっき書いてたことと違うじゃん!ってことになるんだけどさ、数学を理解できるようになれば何でも理解できるようになるんでしょ?っつっても確かにそうなんだけど物理数学と純粋数学って違うのよ。やっぱ。まぁアプローチの仕方だよね。で、こればっかりはなんつーのかな?好みっつーか向き不向きっつーかなんつーかそれ言い出すと俺はなんで物理数学とかがあんまり好きじゃなくて純粋数学になると好きなものが多くなるのか?っていうことになるんだけどまぁそれはもうそういう考え方とか理解の仕方とかっていうそういう型の話になりますよね。


まぁそんな感じであれだわな、結局まぁ数学ぐらいしかやりたいことっつーかやれそうなことが残ってないっつーのとまぁそういう意味である意味でまた再度数学ってもんにコミットメントするということを決めたらそれでどうするの?っていう話になるわけだけどまぁそこで攻略してないQuantum Field TheoryとかM Theoryなんかを数学のアプローチでやってみるっていう感じになるのかな。まぁこれも数学的にやってる先駆者がいるから後追いで勉強できるんだけどね。なんでも理解できるなんつってもリソースありきだからやっぱ分かりやすく書かれてるまとまった本とか無いと無理ですよね。それがもう手元にあるからやる環境は整ってるって感じだよね。んでも「よしやるぞ!」じゃないんだよね。つまんないっつっててもしょうがないから今の環境でやれることをやっていくしかないでしょっつー消極的な理由だよね。まぁ「よしやるぞ!」だと途中で燃料切れると終わりだけどある種のニヒリズムに立脚したもんだと「無駄に時間を過ごすよりこれをやってたほうがマシ」みたいなダウナーな感じでダラダラ続けられるっつーのはあるよね。まぁ頑張らないっつー感じだよね。頑張るつもりもないし。


前は理解できそうにないから頑張らなきゃ!っていう気合が必要だったけどある程度基礎ができるとそれの応用だから別に気合とかいらなくなるって話なんだと思うよね。あとまぁ本にしてもテキストとかも読むの無くなるんだよね。興味あるのが一通りそろっちゃうっつーのもあるし包括的に扱ってる大著みたいなのばっか買うから事足りちゃうんだよね。相当別な分野のものをやらない限りそんなに本はいらなくなるんだよね。まぁだから全然最近本買ってないんだよね。読みたい本は大体読んじゃうしあとはまぁオーディオブックの存在も大きいけどさ、あと数学系の本にしても一般書とか読み物っぽいやつとかも昔みたいに楽しめなくなるからね。知ってることだらけで。あーまたユークリッドから始まる数学の冒険みたいなやつかーとかさ、そもそも数学自体の出版ってそんなに多くないから読むのなくなるよね。そりゃ。だから余計に「もうこれぐらいしか残ってない」っていう感じになっていくんだよね。そう思うと2年前とかまだ読みたい本だらけだったから色々と散漫だったよね。


今はなくなっちゃったからある意味で数学やるのに良い環境ではあるのかもね。数学書しか読めない監獄に永遠といる感じだよね(笑)前は意図的にそういう環境を作り出してたけど今は色々とやり尽くしちゃってデフォでそういう環境になっちゃってるっていう感じだよね。それがいいのか悪いのか分からないけど。まぁでもあれなんですよね、時間が経つって怖いからね。何の進歩も無く時間が過ぎてったらもうそれは最悪なわけで。だからやっぱなんかやってないと不安になるんだよね。以前の自分では理解できなかったことが理解できるようになったとか前だったら読破できそうにない本を読破できたとかさ、そういう進歩がないとただ歳取ってくだけだからね。別にQuantum Field TheoryとかM理論とか分かったところで何にもならないんだけど。あとまぁそれが物理学的にどうなの?っていうところとも関係ないのは強いよね。俺はただ数学の延長としてやってるだけだからね。だからそれが抽象的になり過ぎてうさんくさくなってきても原理的にそれが数学なんであれば全然オッケーなんだよね。かといってもガチのごちゃごちゃした理論物理学なんてのをやるつもりはなくてあくまで数学寄りの物理だよね。で、物理っつっても抽象数学を色々とやってきて物理とリンクしてきた数学なんであって新たに物理をやり始めるって感じではないんだよね。まぁ新たにやろうと思ってた時期もあったけど明らかに向いてないってのは分かったし。まぁこれって面白いよね。物理駄目でも抽象数学経由である種の物理ができるようになるんだから。こうやって書いてみるとまぁこれって数学の面白いところだよね。


まぁそんな感じです。んじゃまた。