ブラック・マシン・ミュージックを再読。

ちょっとした予知っていうんですかね。あの例の原因不明の急に悲しみが押し寄せて泣き続けていたっていうものの正体が俺なりに分かったのがその翌日に長期で預かっていたワンちゃんの一人が永眠したんだよね。母方のおじいちゃんが無くなったときも小学生だったんだけどソワソワして寝れないってのがあったんだけどまぁ今回は泣き続けて翌日に死を知ってまたさらに泣いて・・・って感じで泣きっぱなしですね。マジで。

 

まぁそんな感じでストックから電気の虹やったやつがあるんで今日のアシッドはそれな感じで。

 

soundcloud.com

 

というわけで本文なんだけど野田努の「ブラック・マシン・ミュージック」を5年ぶりぐらいに再読してるけどまさに今俺が感じているファンクに目覚めた後にアシッドに目覚めてアシッドを深く聴いているうちにアシッドにファンクネスを感じて・・・というコンテキストがそのまま書いてあるような本だよね。

 

ブラックマシンミュージック ディスコ、ハウス、デトロイトテクノ

ブラックマシンミュージック ディスコ、ハウス、デトロイトテクノ

  • 作者:野田 努
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/10/09
  • メディア: 単行本
 

 

増補版も出てるらしい。

 

ブラック・マシン・ミュージック: ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ

ブラック・マシン・ミュージック: ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ

  • 作者:野田 努
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/05/26
  • メディア: 単行本
 

 

これって「論」じゃなくて事実なんだよね。前にも書いたけど俺が好きなシカゴハウスっていうかディグってた時期に買ってたダンスマニアの何がいいか?ってあのRawさだったわけだしシンプルなファンクネスなんだよね。ファンクも1コードのループなんだけどグルーヴ感が凄いっていうようなファンクの45とテクノの12に共通性を感じるっつーところなんだけどまぁ白人っぽいUKテクノとかね、Warp系とかそっちも好きではあるんだけどやっぱり根源的に好きなのは根底に黒さがあるものだよね。

 

曲作りの合間にテクノばっか聴いてるからブルースとかソウルのレコードを聴くんだけどすんげー癒される感じがするんだよね。本業はアシッドで音楽鑑賞ではルーツのブラックミュージックを聴いているっていうんでまたその音楽体験の中で感じる黒さをアウトプットできるっていう感じだよね。まぁあくまで俺なりに・・・だけど。

 

ファンクをどんだけ好きになってもファンクはできないしファンキーに生きることはできるけど音楽としてのファンクってのは無理だなって思ってたんだけど俺が好きなRawなテクノって言わばファンクの進化形態の一つなわけでさ、一人ファンクみたいなもんなんだよね。黒いテクノって。

 

別な黒さで言うとブラックメタルがバンド編成にも関わらず一人だったりするのとなんか似てるよね。別にメンバー集めなくてもできるっていうなんか直感的にロックとかになるとバンドメンバー募集しなきゃ!ってなるしファンクやろう!と思っても仮にサンプリングでやったりしても本家のファンクをサンプリングしまくったようなどす黒いダウンテンポとかヒップホップとか現在形のFlying Lotusみたいなのとかに黒さで敵うわけがないよね。

 

なんかそういうのもあってよく俺が言うのは自分がトラックモノ作ってもそれ以上に良いのがあるから作っても意味ないって長年思ってたんだけど今ようやくトラックものを作る動機づけが出来た気がするんだよね。そのファンクネスとか黒さってのを何で表現するのか?ってのがまぁ演奏者ならそれがギターだったりドラムだったりするんだけど俺はベースマシンというね(笑)

 

だから曲はそのベースマシンを鳴らすための枠組みにしか過ぎないっていうね、あと相変わらず音を弄ってて思うのが自分ってまぁ音響マニアなんだよね。まぁ音響的なもんばっか作ってて結局今もそういう感じではあるんだけどその303の実験とか試行錯誤のプロセスとかをトラックとして記録するっていうさ、極めつくした後に曲として残そうってことじゃなくてwork in progressなものをサウンドダイアリー的に残していくっていうね、まぁギターの時と同じですよね。

 

なんかあとまぁ自分が普段作ってるやつもそうなんだけど別に名曲を作ろうとしなくていいわけでカジュアルになんか思いついたらそれを形にするってだけでいいんだよね。そのクオリティを限界まで高める!なんつって1トラックに一か月かけるとかそんなの俺は絶対無理だしなんか思いついたらもう大体決まってるから前にも書いたけどやるのってただの作業じゃん?正味のかかる時間というのが作業時間なわけで音色を決めたり音のバランスを決めたり・・・みたいなことじゃないんだよね。

 

まぁ作りながら考えることもあるんだけど大体まぁなんかフロー状態にならないともう上手くいかないからそれはもう待つしかないよね。んでなんかのきっかけで一気に出来上がるんだよね。んでそれをさらにクオリティを高めるということはできるんだけどそれに時間を費やすならまた別のやつを作った方がいいっていう感じだよね。

 

今って音のバランスが後になって気に入らなかったらシーケンスデータ読み込んでまたマスタリングしてファイルの置き換えできるから別にそんなに気合いれなくてもいいんだよね。んであと良いと思ったらもうそれ以上いじらないってのは鉄則だね。それやりだすと答えが出ないし気がおかしくなるし永遠と前に進まない感じになるからね。

 

あとやっぱ重要なのはラフさとRawさだよね。じっくりマスタリングに時間をかけるんじゃなくて勢いで作ってほとんどそのままの状態でアップしちゃうっていう、でもまぁそれが一番な気がするんだよね。ギターウルフとかのスタジオ録音が全部一発録りみたいなのと同じだと思うんだよねっていうかロックにハマったおかげでそういうスピリットがすげー生きてる気がするよね。

 

なんかもう結局テクノの究極系ってベースマシン担当とリズムマシン担当が即興でJamしあってる中にたまに上物のシンセ係みたいなのもいてそれがStoner系のロックみたいに永遠と続くみたいなものかもしれないよね。めっちゃプリミティヴで細かいことをやらないんだよねっつっても最初に書いた野田努の本でデリックメイがリズムマシンだけでDJやることがあったとかそれで言うとリッチーホーティンなんかもそうだけど結局テクノってそこなんだよね。

 

打ち込み音楽なんだけど凄く動的というかPhutureのAcid Tracksなんかも最初のバージョンが最高で二分ぐらいなんだけど本当にリズムマシンと303だけなんだよね。んで最初に「フォーウ!」みたいな声が入ってるだけっていうね、んでまぁそれを13分ぐらい永遠にやるのがフルバージョンなんだけどアルファにしてオメガって感じだよね。

 

プリミティヴな出発点のようで終着点でもあるんだよね。EDMみたいなド派手な展開があるものって本当にダサいと思うから永遠にミニマルなグルーヴがただ続くだけじゃなくて揺らぎながら微妙に変わっていくみたいなのが究極のグルーヴ感だと思うんだよね。それってファンクがそうじゃん?「ベイベー!」って歌いながら同じミニマルな構成を演奏し続けるだけなんだけどその中にグルーヴ感ってのが内在されてるんだよね。

 

んでまぁ商業的なファンクはやっぱり音楽らしく展開をつけなきゃいけないんだけどアングラな45になると派手な展開も無く最小限の演奏で最高のグルーヴを生み出してるんだよね。でもそれは色んなものが進化してある種飽和化した後に引き算の美学みたいになる意味でのミニマリズムなんじゃなくてプリミティヴなミニマリズムなんだよね。

 

それはあんま高度なことが出来なかったっていう技術の問題かもしれないし機材だのなんだのっていう話かもしれないんだけど逆にそれが普遍的なグルーヴを産む結果になっているっていうのがファンク的なミニマリズムと初期テクノのミニマリズムに共通点を感じるんだよね。

 

結局まぁただセッションとかと一緒ですげー演奏してた人がなんかJamとかで調子悪くてダメな時とか相性が悪いとかってのでグルーヴ感が出ない時とかあるけどそれはテクノ然りよね。やり始めたはいいけどなんかあんまかっこよくないっていうかまぁ普通の出来になっちゃったっていうただもうそれはそれでしょうがないんだよね。だからすげーかっこいい!みたいなのって毎回まぐれよね。

 

上物はこういう感じで…とかって言うのがあり過ぎると全部同じになるから時間めっちゃかかるけど色々試すわけじゃん?んで「うお!これだ!」ってのを見つけたときにもうそれはかっこよくなることを約束されてる感じだよね。結局それって音色のチョイスだったりするわけで極めてDJ的だよね。メロディだのハーモニーだのじゃなくて音がかっこいい!っていうそこにバッキバキのビートがあれば最高だ!とか逆に606みたいなレトロなリズムマシンでテケテケさせるとかさ、まぁその組み合わせ次第なんだけどある意味これってメロディとかありきの音楽よりバリエーションあるよね。

 

メロディとかスタイルありきだともう出尽くすわけじゃん?で、どれも似通ったものになる。でも初期テクノとかってさ、本来だったらハイハットの部分の打ち込みかな?っていうようなフレーズっつーよりリズムのシーケンスをサンプラーにトリガーして具体音を加工したやつをリズミカルに鳴らしたりさらにその上にまたリズミカルな声ネタを乗っけたりしてっていう基本リズムなんだよね。

 

まぁそれも2000年前後に出尽くしてどん詰まりにはなったんだけどその方法論と精神性と実験性っていつまでも受け継がれると思うんだよね。何よりやっぱり俺はシカゴハウスの良い意味での手抜きな感じとかこれでもうかっこよくなったから他は最低限でいいや的な感じとかさ、最近はもっと遡って80年代Traxとかのを聴いてるけどラフさがヤバいよね。

 

今聴くとすげーアヴァンギャルドに聞こえるんだよね。90年代だと時代を感じるプリミティヴで稚拙なんだけどかっこいい感じってのがあるっていう雰囲気だったと思うんだけど今聴くと逆に新しいっていうかDAWとかの機能とかもあってもっといじりたくなっちゃうだろう!っていうところを当時はいじりようがなかったってのもあってそのままになっているっていうのがストイックなミニマリズムに聴こえるんだよね。

 

大げさな音色とか展開ってことではないシンプルさに内在するファンクネスとグルーヴ感だよね。逆にこういうのって複雑になればなるほどグルーヴ感って消えて行くと思うんだよね。だから良い意味でそこそこ天然のバカの部分が必要っていうかさ、インテリってそこを徹底的に作り込んで凄いは凄いんだけど勢いとか初期衝動みたいなのが無くてよく作られ過ぎてるから最初は凄いと思うんだけど何回も聴いてると飽きるんだよね。

 

でも初期のハウスとかテクノってシンプルさの中にあるグルーヴ感のみで成立してるような感じだからハマると永遠と聞いていられるんだよね。悪く言えばどれもこれも同じって感じなんだけどそれで言うとファンクの45とかもそうだもんね(笑)

 

あとまぁベーチャンですよね。もしくは地下室に籠ってるようなテクノナードだった頃のリッチーホーティンだよね。ズラなのか地毛なのか分からないけど金髪のナルシストみたいになってから一気に音がダメになったよね(笑)あの歳にして重篤なオタクからパリピっぽくなってただその代償は大きいっていうね。

 

女の子と笑顔で映ってる写真とかプラスティックマン時代には考えられない感じだけど(笑)大型フェスとかで回すようになって金回りが良くなってから人間性も変わったようでニューヨークのクラブで暴力事件を起こして出禁になっただとかって話もあるしあらゆる意味でテクノって退化してるよね。

 

だからこそ色んなものをJackしまくる初期のハウスとかテクノの精神性なんだよね。もしくはデトロイトテクノ的アティチュードだよね。「ブラック・マシン・ミュージック」を読んでると本来のテクノって元々の黒人音楽に飽きたホアン・アトキンスみたいなやつがクラフトワークとかYMOとかにファンクネスを感じてそれを融合させたっていうさ、エレクトロがマシンビートなのに異様にファンキーなのもそれだよね。

 

だからそういう意味で黒人パンクという感じがするよね。特にURになるとガチで商業的な囲い込みとかでメジャーに騙されたっていう経験もあるからよりインディペンデンスを維持しつつ大きなものに飲まれないようにするっていうリアルパンクだなって思ったんだよね。パンクって形だけだったり形骸化してたりメジャーに取り込まれてただのショーみたいになるのばっかで実際のパンクってパンクと呼ばれるものの中の1割ぐらいでしょ?

 

まぁテクノもそうなんだよなっつーところだよね。音楽の形式の模倣をするよりも思想の継承をしたほうが結果的に良いものができるっていう感じだよね。だからまさにデリック・メイが言うように良くなるというより良くなるものはよりアンダーグラウンドになるっていうことだよね。

 

ってことで今日はそんな感じでんじゃまた。