トライアングル終わったんでソウルハッカーズ2をプレイ中。

トライアングル ストラテジー終わったわっていうかロランルート以外全部やった感じなんだけど、読んでないし、あんま好きじゃないんだけどジャレド・ダイアモンド的な「銃・病原菌・鉄」の世界ですよね。面白いのが露骨なぐらい個々の思想が強くて(笑)簡単に書いちゃえばベネディクトは民主主義を標榜するネオコンですよね。凄まじいマキャベリアン。

 

グスタドルフは敵役だから露骨に悪な感じがするけど新自由主義者ですよね。で、ロランエンドは見てないから分からないし、何より女神教がイデオロギーによって世界を統治しようとする捏造されたキリスト教みたいなもんで、本来のキリスト教とは関係ないキリスト教みたいなもんだよね。ローゼル族=ユダヤの人々とは言えないまでも、フレデリカルートは塩ニズムと言わんばかりのモロに旧約聖書的な出エジプトな感じで、面白いのが狙ったのか分からないけど、女神像のところでカンセルと戦いになるときにステージのギミックが塩湖に雷を落とすと塩湖にいるユニット全員に電撃が伝播するって効果なんだけどまぁ別のこのステージだけそうなってるわけじゃないんだけど、凄まじくモーゼを髣髴とさせるよね(笑)

 

特にナルヴが高台から雷を落とすのは武器が杖ってのもあってモーゼそのものだろうという。でもまぁ民を介抱して逃がすのはフレデリカの仕事なんだけど、フレデリカが火の魔術使いなのも出エジプトで木の茂みの奥から遣わされた主の天使が炎のような姿で現れたというのもなんだか俺のこじつけかもしれないけどピッタリでさ、まぁ俺は現代的に歪められたイデオロギーとしてのシオニズムは嫌いだけど、トライアングルの塩ニズムはいいな。ザイオンと塩がめっちゃかかってるじゃん!っていう(笑)ローゼル族は血の塩なのかっていうね。

 

で、ロランはあれかな、エンド見てないから分からないけど目指してたのは難点があっても新自由主義的でも資本主義的でもない社会主義とか平等主義を考えてたんだよね。女神教がそれを実現してるって思いこんでいたって話なんだけど、ただベネディクトルートだと最後に碧眼の僧となって出てくるあたり、あそこからロランを主人公にして、主人公やらベネディクトやらグスタドルフと戦うっていう話を作れそうな感じだよねっつってもイドーと組んでるから女神教に騙されてるんだなってのはあるにしてもね。

 

で、真エンドはベネディクト・ロラン・フレデリカ三人の考えを同時に実現する!って話でまぁまさに真の理想を目指して!って感じなんだけど、話的にはベネディクトルートとそんなに変わらないっていうか、いや、話的には変わるんだけど、その後の国の情勢はどうなるのか?っていうと統治形態が問題になるんであって、なんだろうな、真エンドだとベーシックインカム+新自由主義+民主主義的な感じなんだろうなとは思うんだよね。塩が民に開かれているっていうことで富が格差無く配布されるって感じなんだろうけど、でもまぁ現実的には採掘をできるようなスタートポイントに立ってる金がある貴族とかが有利だから持たざる者が持たざる者のままなんだよね。

 

塩=金じゃなくて石油とかの天然資源ってことだもんね。まぁあれかな、石油王とかがいるドバイとかがもっとあれかな、王族が利権を貪ってる感じじゃなくて、民が資源から来るリソースを享受できている結果、良い生活が送れるっていう感じなのかな。まぁどの道、統治の方法ってことになるよね。

 

でもどの道、またグスタドルフみたいな野心家は出てくるだろうし、女神教の偽りは無くなったのは大きいにせよ、利権争いになりそうなのは目に見えてるよね。だとするとベネディクトと主人公が実質的な世の王みたいな感じになって完全に世界を統治しないといけなくなるよね。

 

まぁそれはともかくありえないぐらい面白かった。キャラ育成もあるから周回も違うキャラを使ってみたりだとか色々試せるからね。で、ソウルハッカーズ2出たじゃないですか?DLC込みで15000円しましたよね。で、あれだからな(笑)あとズルいよね。ソウルハッカーズの思い出補正で戦闘の曲をソウルハッカーズにできたり、しかも超かっこよくなってるソウルハッカーズのオープニングでしか聞けなかった神曲が戦闘の曲に使える結果、なんかかっこいいという錯覚を感じるんだけど、実際は結構ペラペラな世界だよね(笑)

 

何がダメなんだろうな。俺みたいにメガテン補正があるとやれなくもないゲームなんだけど普通なんだよな。DLC込みのコンプリートバージョンを何年後かに夏とか冬のsteamのセールで5000円ぐらいで買ったら全然いいんだけど15000円は高すぎだなっつってもぼったくってるんじゃなくてそんだけ製作費がかかってるってことなんだろうからいいんだけどね。なんつーかリリースされないよりかはリリースされたほうが良かったっていう感じよね。まぁ信者のお布施みたいなもんか(笑)

 

まぁでも途中までしかやってないけどメガテン5はなかなかの酷さですよねって今更だけどなんなのあの難易度?ノーマルでやると普通に最初から死ぬとかありえないだろうっていうね、カジュアルでも普通にやってるだけだとボスで詰むし、safetyにすると一気にヌルくなるし、その辺の難易度に関してはソウルハッカーズ2のノーマルはちょうどいい感じだよねっつってもDLCでさすがにキャラのレベル上げはやってないけど、若干強力な悪魔解禁とかやってるし、あとまぁ金策とかも入れてるからちょうどいいんだけどねっていうか、あれですよね、メガテン5の変な難易度について調べてたらさ、2ちゃんなのかゲームまとめサイトなのか忘れたけど、ノーマルでバカみたいに時間をかけて仲間とかキャラを強化してボスに挑むのとDLCと難易度をsafetyにして一瞬でボスを倒したりして進むのとどう違うのか?っていう話があってさ、確かにこれってRPGの根幹の部分だよね。

 

古いゲームとかオンラインゲームとかって経験値を上りにくくして内容を盛ってる感じがあるんだけど、最近だとそういうのはクールじゃないか、あとはDLCの稼ぎってのが結構デフォルト化してるから有料で時間かからずにサクサク進めますよってことになるんだけど、そうなるとプレイ時間一気に減るんだよね(笑)メガテン3のスイッチ版のイージーって絶妙でさ、メガテン3っつったらあのローディングの長さとダンジョンの長さと戦闘の長さなんだけど、それがすんげー早くなってるとか、レベルが上がりやすくなってるっつーかDLCとかで稼ぎ放題ってなると楽っつっちゃー楽なんだよね。

 

でもなんでメガテン3はさ、実際、ストーリーリッチでもないしそんなに奥深い感じでもないんだけどなんか面白いんだよね。思い出補正なのかな?だとしたらソウルハッカーズ2はもっと面白くていいはずなのに、そんなに面白くないんだよね(笑)

 

でも考えたらちゃんとソウルハッカーズなんだよね。スタイリッシュな近未来な感じとさ、んでそこにショップがあってあとはダンジョンっていう、んでシンボルエンカウントだから戦闘を強制されるわけでもないからソウルハッカーズよりも全然やりやすいはずなのになんか弱いんだよね。スプーキーズのメンバーって先頭に参加するわけじゃないのにやっぱ存在感あったんだよな。別にソウルハッカーズ2のキャラが薄いとは言わないんだけど、なんか物足りないよね。

 

ファイヤーエムブレムからトライアングルっていう神ゲーばっかやってきたから(笑)物足りない感が半端ないよね。ファイヤーもトライアングルも何十時間とやっちゃうじゃん?でもソウルハッカーズ2はとりあえずこの辺でいいかっつって終えちゃうもんね。また明日にするかっつって(笑)

 

でもさ、スレッショルドよね。閾値?快楽とかって閾値が高くなるとそのぐらいの快楽だと物足りなくなるじゃん?で、まぁソウルハッカーズ2の世界って色んなものが飽和してるっていう設定になってるんだけどさ、いや、特に話は続かないんだけど(笑)神ゲー求めすぎるとダメだよね。でもなんだろうな、ペルソナってやっぱシナリオが秀逸だからかな。幻影異聞録♯FEってプレイ感はペルソナと全く同じなのにあんまりシナリオが気にならないから先に進めようと思わないんだよね(笑)

 

んーやっぱこないだ書いたフィクションというか広義な意味での小説っつーか文学って話になるんだろうな。話が気になっちゃってついやっちゃうってのはファイヤーエムブレムもトライアングルも同じじゃん?じゃあ別のルートを辿ったら?っていうのがトライアングルではいちいち気になるからすぐ周回したくなるし、ファイヤーエムブレムも別の学級で周回すぐやりたくなるじゃん?やっぱシナリオなんだろうな。まぁもちろん戦闘も面白いんだけどね。

 

トライアングルが仮になんつーか特にキャラの特性とかがない顔キャラだけどアーチャークラスっつってようはファイヤーエムブレムみたいにキャラによってスキルが違うとかってのがなかったらだいぶつまらないよね。個々がユニークだから面白いんだけど、ファイヤーエムブレムはユニットのユニークさはないんだけどステの伸び方の違いがあるから戦士型だけど魔導士運用してみようとか色々とカスタマイズできるっつーところが大きいんだよね。両方いいんだよね。キャラが固有だと独自の育成ってできないからね。レベル50で完全にステとスキルは決まっちゃうからね。それで。

 

なんだろうな、話があってさ、んでダンジョンがあってそこ攻略すると武器屋が更新されててまた武器を更新するとかってのってまぁRPGの王道だしさ、素材でCOMPを改造するとかってのもいいなぁとは思うんだけど、このキャラのCOMPは割と電撃を使いやすくてこっちは氷結で・・・ってのがあっても、行く先が決まってるからカスタマイズじゃないんだよね。あ、ソウルハッカーズ2ね。

 

キャラ育成要素ってのがあってさ、例えば氷結特化させると火炎が使えなくなるとか、他の強化を取れなくなるとか、あとは物理特化にするとかっていうカスタマイズができると周回で今回は氷結特化にしたから次は物理特化にしてみるかとかってのができそうなんだけど、でもまぁそうするとあれなんだよね、RPG的なバランスが難しくなるんだよね。

 

使役できる悪魔が固定で主人公だけ変えられるってのはアレだから、結局、ソウルハッカーズ2的なシステムに落ち着くのは分かるんだけどね。まぁそれ言い出すとそもそもRPGなんて昔からキャラにそんな個性があったわけじゃなくて固定だったわけだからさ、ソウルハッカーズ2のカスタマイズ性の無さをやり玉に挙げる必要はないんだけどね。ただなんかあれなんだよな、せっかくのパーティー製なんだから魔術系と物理系と完全に分かれてたほうが良かった気がするんだよな。あとまぁ攻撃と回復両方できる系とかね。

 

あとはボリュームが大変になるけど使えるキャラを多くするとかね。ペルソナ5並に。あ、でもペルソナの初期とかだとアルカナとの相性があったから自然に回復系とか氷結系とか分けられた感じはするんだよなっつってもソウルハッカーズ2まだ途中なんで分からないけどね。ただあんまキャラの能力的な個性がないなーと思って。

 

まだでもあれかな、プレイアブルキャラ増えるのかな。まぁでもあんまり尖った感じじゃないってのは明らかよね。ただなんかあれなんだよな、ソウルハッカーズ自体でさ、ビジョンクエストで出てくるサマナーの能力的な個性ってなかったんだけどキャラ的な個性があったのと、あとやっぱナオミよね。ナオミ。

 

ポイポイカプセル(古いな)みたいなのに悪魔の力を入れて使うとかっていう、なんかああいうのが欲しかったな。キャラごとに必殺技があったりさ、まぁこの辺はFF的な感じでね、まぁあれかな、トライアングルとかファイヤーエムブレムみたいなカスタマイズと育成の鬼みたいなゲームやってきたから凡庸さに呆れてるのかな。

 

別にね、ペルソナとかでもキャラの個性ってそんなにないんだけどね。あ、あの初期ね。罪と罰ぐらいまでだと誰でもペルソナ付け替えることができたけど、でもやっぱキャラ事に魔法使い方と物理型ってステの伸び方で違いが顕著だったからね。

 

やっぱでもキャラが何かに特化しててピーキーな性能を持ってる方が面白いってのはRPGでもシミュレーションでも共通してるよね。タンクとか魔法使いとか戦士とか回避系のステルス系のキャラだとか遠距離キャラとかね。

 

まぁでも結局、なんかやっぱ値段なのかな(笑)セールで今後も出るかもしれない追加キャラとか追加エピソードのDLCとか神曲追加のDLCとかも全部入ったコンプリートバージョンをセールで5000円で買えたらこんな文句は出ないですよ(笑)信者とはよく言ったもんで金出しちゃうんだよね。好きなシリーズには。ましてやソウルハッカーズの続編なんて!って感じでしょう?

 

あと細かい話になるとあれなんだよね、トライアングルとかもそうだけど攻撃の演出とかサウンドとか質感が凄いでしょ?質感と言えばフロムゲーとかだけどさ、なんだろうな、モンハンの大剣って大剣を振っている思い感じがあるのが音とか動きとか質感で感じられるんだけど、God EaterとかCode Veinってイマイチですよね。ペラペラなんだよね。アトラスゲーってモロにこの系譜だよね。ペルソナだと他の面白い要素があり過ぎるから気にならないんだけど、ソウルハッカーズみたいにほとんどの時間を戦闘で過ごすってゲームになるとやっぱ戦闘シーンの楽しさって重要なんだよね。

 

アマゾンのレビュー見るとあらゆるところでセンスを疑うレベルとかっていうレビューがあったりするけど(笑)確かにソウルハッカーズの洗練された文句のつけどころがないセンスと比べると目立つのは荒ばかりだよね。初代デビルサマナーなんて硬派中の硬派で逆に今、あのぐらい硬派なものを今のグラフィックでやりたい感じなんだけどさ、デビルサマナーからソウルハッカーズになったのですらもだいぶアニメ寄りになったなぁーって印象があるのに今となっちゃー名作ですからな。あれは。

 

ソウルハッカーズ2はペルソナと一体になった混合物って感じでかろうじてシリーズの伝統を残しているのが業魔殿とかCOMPとかDLCのBGMって感じで、逆にシリーズファンならそれだけで飯が食えるからやれるんだよね。だから俺もやれるんだと思うわ。

 

まぁ総評はっていうか総評なんてするつもりはなかったんだけど、フルプライスのDLC込みが高すぎるからアマゾンのディスクでDLC無しで7000円ぐらいなら文句なし!って感じだね。いやーたけーよ。14000円は・・・。そんな値段するんだから相当中身も詰まってるんだろうなって思ったらそうでもなかったからな(笑)全体的にあれなんだよな、物足りなさがGhostwireに似てるわ。すげー良いところまで来てるんだけど惜しいっていうね、でもつまらないわけじゃないっていう。Ghostwireも強化が一本道でカスタマイズ要素ゼロだからね。まぁそれ言い出すとFar CryとかもそうなんだけどFar Cryはダントツ面白いから気にならないんだよな(笑)

 

おっさん補正とかじゃなくて結局、今楽しみなゲームってドラクエ3のリマスターですよ(笑)元々ドラクエファンじゃなくて昔はドラクエ派かFF派か分かれてて明らかにFF派だったんだけど今は関係ないじゃん?(笑)んでまぁドラクエ3なんて何回やったか分からんぐらいやってるんだよね。オーソドックスなのになんであんなに面白いのか。話も分かり切っててベタで何の深みもないのにな。なんかやっぱドラクエって凄いよね。でもあれなのかなとも思うのがさ、幼少期にドラクエは神ゲーっていう洗脳をされてるから面白く感じるように頭が反応してるっていうか、すぎやまこういちのメインテーマ聞くとテンション上がるようになってるとかっていうアンカリングが働いてるってのはあるにせよ、ただ面白いよな。

 

だったらFFだってそうじゃん?メインテーマ流れたらテンションが上がるはずなのに見る映画になってからクソゲー化が著しくて良かったリメイクも何部作になるんだ?ってぐらいいつ終わるの?ってぐらい収拾つかなくなってるしっつってもリメイクは悪くないんだよね。あれが酷かったからな。FF15ね。金がかかったダメゲーの典型で広いだけのオープンワールドで最近のFFらしい中身の無さと薄っぺらさで、ホストみたいなやつらが戦うっていう最悪のコンビネーションですよね。戦闘も楽しみようがないんだよね。

 

そう思うとあれなんだよな、いろんなRPGを良い意味でパクッた龍が如く7が面白かったんだよな。ホストが戦うっつってリアルにホステスだっけ?ヒロインの職業でキャバ嬢だったっけ?んでキャバ嬢のアイスサービスだかドリンクのアイスを投げつけて氷結ダメージとかってのがあったり各キャラごとに個性があって楽しいっていうね、最近のRPGだとダントツあれが面白かったな。全職業コンプしたくなるしね。ああいう育成要素ってやっぱ大事。あ、それで言うとオクトパストラベラーはいいよね。別にスクエニがダメなわけじゃないからね。

 

ただまぁ最近書いてるけど良い和ゲーが復活してるじゃないですか?んで洋ゲーの主要タイトルが飽和状態にあるからさ、時代は和ゲーなんだよね。モンハンにせよ凄いことだよね。日本人しかやらなかった超ガラパゴスゲームが世界で大ヒットするタイトルになったわけだから。

 

そう言えば春ゆきてレトロチカもやったんだった。書いてなかっただけで発売してすぐやったんだけど、なんかさ、428とか街みたいな実写系のサウンドノベルって出ないのかな?シュタゲとかひぐらしとかもいいんだけど実写系って実写系の良さがあるじゃん?忌火起草がグラフィック的にも機種的にも最新ってことを考えるとっていうか多分そうだよね?いや、ビジュアルノベルっつーインディーズゲームがいっぱい出てるのは知ってるけどチュンソフト系の実写系のがっつりとしたやつがやりたいんだよな。428はとっくにやってたんだけどsteamで買いなおしてやったらやっぱり今やっても面白いんだよね。

 

今まぁ文学研究みたいなこともやってるわけじゃないですか?で、文学史に組み込まれてるのかどうかはともかくとしてサウンドノベルって画期的なんだよなって改めて思ったんだよね。ああいう文章の読ませ方があるのか!っていうね、弟切草にしてもさ、例えばミイラのママが「デデーン!」って出るところとか超怖かったけど、あれってサウンドとビジュアルのみだもんね。で、フリは文章っていう。凄くない?これ。

 

文学が停滞してるのって紙媒体で偉そうで権威がある高尚な芸術みたいな思い込みがあるからなんだよね。いくらでもマルチメディア展開ができるし活字離れしてても活字をつい読んでしまう方法なんていくらでもあるはずなんだよね。あとはまぁ前にフィクションの話で書いたように何も小説とか活字という媒体に限らず広義な意味でのフィクションは小説で文学なわけだからさ、まぁそれでもやっぱあれなんだよな、あとあれか、いかにもアニメ化されそうな、元々アニメの原案として書かれたような小説とか映画の脚本みたいなエンタメ小説もあるけどさ、まぁ世間的に小説っつーとそういうもんだけど、また話長くなっちゃうけど文学って意味だとやっぱベケットとかカフカとか、なんかマルチメディア展開とか他の媒体でどうにかなるもんじゃないのが文学だと思うんだよね。この辺の文学観ってやっぱ保坂さんの影響が大きくて書き始めの頃に「小説 書き方」って調べると保坂さんの本が上位に来るから必然的に読む感じになるんだけど、保坂さんの文学の定義っていい意味で凄く狭いよね。

 

俺はあえて広くしてるけど実際の純文学になると保坂さん的な定義以外ありえないと思ってるわけ。ようは小説とか文字でしかありえないことね。ドラマ化できるわけじゃないしドラマ化するならなんかの改変が必要でそれやっちゃうとただの別物になっちゃうとかさ、あ、んでメジャーどころですげー好きな本があってさ、それがカズオ・イシグロの「充たされざる者」なんだけど一般的に失敗作とされてるらしいけどめちゃめちゃ面白いんだよね。カフカのパクりでしかないんだけど、それをもっと過剰にした感じっつーか、永遠とホテルマンの無駄話が続くだけとかね(笑)ゾフィーとは何年も口を聞いておらんのですのくだりとかめちゃめちゃ面白いんだよね。まさに映像化不可なんだよね(笑)

 

なんか台本とかエンタメの観点から言うと完全にカットするべき余計なところだけで構成されてるようなもんでさ、村上春樹が地でやっている無駄な、なぜかそれが気の利いた喋りだとされている無駄なところみたいなのを意図的にやってるっつーのかな?でも別に気が効いてるわけじゃないし村上春樹を意識してるわけじゃなくて絶対カフカだと思うんだけどね。

 

いや、ただ村上春樹をまさに「充たされざる者」みたいに読むと面白いっていうのを発見したって前に書いたじゃん?って前に書いたときには「充たされざる者」の話はしてなかったけど、くだらない意味がないところって最高なんだよね。町田康は鳴り物入りでデビューしたころは尖ってるっていう感じだったけど近年の特にホサナみたいな、無駄に長くて永遠とつまらない話が続くとかってあれって一個の境地なんだよね。

 

宿屋めぐり的な芸風ではあるんだけど現代劇でしかも本人の分身みたいなのが主役で永遠とバーベキューと犬の話をしてると思ったら光の柱が刺さってバーベキュー場を焼き尽くすんだけどそれは起こったのか起こらなかったのか分からなくなってるっていうか、ホサナはちょっとずつ読んでてまた戻ったり読んだり放っておいたりして通読してないんだよね(笑)漂うものっていう感じで、保坂さんが定義している小説ってまさにこれなんだよね。生活の中に漂うものっていうかさ、「よし読もう!」とか映画みたいに「よし観よう!」じゃないんだよね。朝ドラみたいに生活の中に浸食するんだよね。だからあんま終わってほしくないわけ。

 

俺の小説の読み方ってそうなんだけどさ、何十冊ってのを同時読みするんだよね。だから半年前に買った本が本の中に埋もれてて買ったことすら忘れてて途中まで読んでたのが半年前だからまた最初から読んで、ただ新しく買った本もあるからそっちも読んでってことで平行するものがどんどん増えてどれ一つとして終わることがないのね。これが小説なんだろうなと。

 

これって絶対小説ってフォーマットじゃなきゃ無理だもんね。映画なら最後まで見通せる力学が映画の中にあるし、ゲーム然りだけどエンドがあるでしょ?小説も終わりはあるけど途中でやめてまた読みだして・・・っていう読み方のほうが読みやすいものがあるよね。カフカとかベケットってまさにそんな感じだよね。カフカを適当に読んだ後にカフカの日記とかノートの断片を読んでまたカフカ読んでカフカは一旦やめて他のを読んでまたカフカに戻って来て合間にベケット読んだりして・・・っていうので永遠に読み終わることがないのね(笑)

 

こうやって書いてみるとさ、俺は一流の小説読みになったなって思うのね。小説を心底楽しみたい!生活の中で浮いた存在にしたくない!ってのがあったんだけど、いつの間にか我流でこういう方法が定着してて、これが一番良い読み方ってことになってるのね。で、つまらないやつはパラパラ読んですぐ実家の俺の書庫送りにするという。

 

いや、小説書くのってここからですよねっていうかまだ小説読み歴が足りないと思う。まず読むことだよね。だから今は全く書くことにフォーカスしてないんだけど読んでると勝手に色々と浮かぶからそういうのを全く考えないで適当にパパーッと書いてっていうかこのウォール伝みたいに書くのね。で、止まったらそれでもういいやっつってゲームやったりAudibleでベストセラーの類を聞きながらゲームやったりするっていう(笑)

 

「書くこと」が無くなるんだよね。いや、前にカフカみたいに日記をつけるようにフィクションを書くのが理想だって書いたけど、なんとなく近づいてる気がするよね。書けない時に無理に書いてもしょうがないし書けるときはおしっこ我慢しても「あーあとこれだけ書かせて!」ってぐらい書いちゃうわけじゃん?で、後は放置でいいんだよね。急に中学の頃の登校拒否になる前に中1ぐらいまでは通ってたんだけど変な先輩がいたのを思い出して、その顔と佇まいと異常性が異様に面白くなって書きたくなって書いちゃったとかね、そんなんで書いてるとどんどん書けるんだよね(笑)実話と虚構を混ぜて混ぜて勝手に話が出来上がっている。

 

もうこれでいいんじゃないかと。まずあれだわ、好きになることだよね。いや、実際、音楽にしても作ってる時間と聞いてる時間とってまぁ作り始めの頃とかに色々聞くわけじゃん?圧倒的に勉強のためも含めた聞く時間が長いからね。その中でちょっとだけ作る時間がある。小説も恐らくそうなんだと思うわ。というか小説ですらないんだよね。なんなんだ?変な先輩の話?有閑階級の理論を買おうと地元の書店に行ったらその変だった先輩が店員だった話?とかね、なんだか分からないんだよね。これって要件満たしてるよね。映像化不可(笑)イメージの万華鏡・・・というほどクリエイティヴでもない何らかのもの。

 

保坂さん保坂さん煩いかもしれないけど(笑)保坂さんによれば小説の訓練って小説とかフィクションについて考えることってのが一番の訓練なんだそうで、それって哲学と同じだよねって前にも書いたっけ?例えば膨大な読む量があって考える時間があってさ、うんこしてるときとか髪を乾かしてるときとかに考えたりして、膨大な考えたことの蓄積があって、んで「俺はこう思ったんだよね」ってのをウォール伝で書いたら5000字ぐらいで話は済んだんだけど、まぁそれでいいんだよね。そう思えたことが重要なんであって量じゃないからねっつってもまぁウォール伝の分量って多いとは思うけどね(笑)

 

やっぱりこのウォール伝の一瞬で一万字書いちゃうっていう威力が小説に向かえば最強なわけですよ。でもウォール伝も別に毎日一万字書きたいことがあるわけじゃないわけでね、でもまぁそれでいいんですよね。それが俺のスタイルだから。ただタイピングしてると気持ちいいんだよね。脳と指が同時にマッサージされる感じとあと抜いてる感じね。溜まった精液を放出するような抜きの感じがある(笑)

 

でもマジで思うのは小説を読むのって小説を読むことに頭が慣れるっていう訓練が必要で数学とかと似てると思うんだよね。文学に興味はあるんだけどイマイチ頭に入ってこない・・・っつってもよくよく考えれば当たり前のことで、普段は人として視覚情報を当たり前のように視覚情報として認識している自分が文字で誰かの主観による視覚情報なり考えを読むわけだから、そんなものは異様でしかないわけですよ。俺みたいに学術書を浴びるように読んできた人間でも小説は全く読めないって人は結構いるんじゃないかと思う。まぁ俺がそうだったからね。んでまぁこの半年ぐらいすさまじい量を読むようになって、んで読めるようになったかなと思ったらまた違う波が来て・・・なんてのを繰り返してたら今ぐらいの本当にナチュラルに読めるぐらいのレベルに達することができたってことなんだよね。

 

だからさ、そっから書くんだよね。いや、まだ書くには早いかもしんない。書きたいっつってどうやって書くか?ってよりまず読め!って話なんだよね。それも今の俺みたいに小説漬けになるっていうね、起きてる時間は小説を読んでいるかゲームやってるならゲームの音声オフにしてAudibleで小説を聴いてるか、あとはトライアングルの長いイベントのダイアログとかを聞きながら小説を読んでるとかね、ここまで来ると曲芸だけど、音声で小説を聴きながら文字で本で小説を読むということも可能なんじゃないかと思ってるのね。特に片方が英語だったら余計にやりやすいと思う。なぜかゲーム内のイベント進行のダイアログが耳に入っているほうが小説を読むのが捗るっていうね(笑)思えばながら聴きの逆をやってるだけなんだよね。

 

ゲームの音声をオフにしながらAudibleで小説を聴くってのはゲーム内のメッセージを音声無しで読みながらAudibleで小説を聴いているわけで、最近はそれの逆をやっているってことだよね。ゲーム内のイベントシーンの音声を聞きながら小説を読むってことね。なんかそんなことやってるから小説の平行読みの数がどんどん増えてるのかもしれない。かといって書き手としてそれでレベルが上がっているのか?というとそれは別問題だけど、ただ読み手としてはレベルが上がってるんじゃないかと思うわ。

 

特にゲームの場合さ、映像があるじゃない?それ言えば映画もそうだけどさ、いや、テレビつけっぱなしにして小説読む人っていると思うんだけどそれをちょっと高度にした感じだよね。映像の部分でも物語が流れていて小説の中でも物語が流れていてその中で会話があったりなんかして、でも両者が混ざることなく、むしろ同時だから頭に入ってきやすいってのがある場合もあるってことだよね。いや、これすげー面白いんだよね。

 

読める量が段違いに増えるし眼精疲労がエグくなるのと全く外出しなくなったり現実のことを忘れたりするのが難点だけど(笑)フィクション三昧になるとそれが中心に人生が回っている感じがするからつまらないクソゲーみたいな主観から逃れられる究極のEscapismでもあるんだよね。小説の機能として歴史的にもフィクションが持っているEscapismって凄いんだよね。それは現実がつまらないからフィクションに逃げるという理由だったり、それが創造性に転化すれば、現実になんらかの不満とかつまらなさを感じているからフィクションを書くっていう書くことの動機付けになるんだよね。

 

別になんかさ、普段の生活が楽しかったら小説なんて読む必要ないもんね(笑)俺みたいに現実のオワコン加減に人生からも脱却してしまいそうだっていう人間の最後の砦なんだと思うね。フィクションってのは。いや、もう終わりだ!って思ってたら文学があった!っつって崖から落ちるのをせき止めてもらってる感じね。ちなみにプライベートで「もう終わりだ!」と思うほどのことが起きているわけでもなんでもなくて、つまらなさが限界に達しているというここ数年の悩みですよね。それがもう限界に来ていると。そこでフィクションの凄まじい力ってのを凄く感じてるわけね。

 

まぁいいや。そんな感じでんじゃまた。

 

あ、んで書き忘れたけど次にやることが英語で小説を読むことね。これも洋書を読んできたんだから当たり前に読めるだろうと思うと違うわけで、これもまた訓練が必要になると思うんだけど、洋書の小説なんてほとんど持ってないから(笑)なんか適当なのを読もうとは思ってるんだけどね。