行方不明の象を探して。その21。

雨の音を聴きながら生活をしていると外が晴れているのを異様に感じるようになる。天気が良いと気分がいいなどというのはマジョリティの言葉の暴力だ。でもそんな僕も良いなと思える天気の良い日はあるから、そんなもの気分次第だということになる。で、ここで男を出してみる。そうするとまた小説っぽくなるから。

 

朝起きて男は窓を開けて朝日を浴びたと思っていたらもう時間は昼だった。男と言うけど女でもいいのではないか?下ネタではなくマンというのはなんで男なのか?男はそれを考えると憂鬱になってきた。そして雨乞いの儀式をして雨を降らせた。男が普段聞いている雨の音とは違う音がしたが、それでも晴れているよりかは良かった。

 

そういう無秩序からすれば男には彼女がいたから、何でもないことだった。これは霊的リテラシーの話。霊が云々という話をすると霊感商法に繋がるといっても、先祖の霊が祟りを起こすことなど滅多にない。墜落する飛行機に乗り合わせるぐらい滅多にないことだ。

 

そこの飛躍がリテラシー不足だ。もっと霊的な世界のことを知らなければいけないのに話はそうならない。霊格を備えた人物になるべきである。人類が目指すべきはそこだ。でも科学的に霊はいないということになっている。その障害を情熱的に探っていることを男は理解していた。女でも良い男。だとしたら棒人間でもいいだろう。

 

男は手を額に持ってきた。特に意味はなかった。でも大抵の人間は特筆するべきところがないようなことを日々やり続けている。男が手を額に持ってきたのはその一例だ。そういうものの集合体を考えてみよう。人類はそういうものの集合体だ。意味があるないではなくて、額に手を持ってくるようなものが人類なのだ。

 

また「なのだ」を使ったからバカボンみたいになった。他の場所というか遠い場所で俺は語ったような気がするが、どこだったかもう覚えていない。書いた量が膨大過ぎて何を書いたか覚えていない。覚えているけどね。「なのだ」とか「だが」とかは普段使わないでしょ。口語体でいいはずなのにね。

 

こういうのなら永遠に続けられるからまた男を出してこないと小説にならないから男を出してくるけど男女平等の機会を与えたいので次は女にする。女は彼の手が胸に近づこうとしているのを感じた。女は男を憐みの眼差しで見ていた。例のあれだ、ウィスキーを飲んだ後に頭をグルグル回転させて吐いていた男。そのような男だったのだが、この男は発泡酒を飲んで頭をグルグルさせて吐こうをしていた途中で頭を振り過ぎて頭を壁にぶつけた。

 

こういうので死ぬこともあるので要注意だ。女の恐怖は極限に達していた。僕は悲しいです。夜が来るのが。嘘つけ。夜が大好きだろう。朝が来るのが寂しいのだろう。日中の人々のアクティヴィティが磁場になったようなヴァイブスに君は耐えられないのだろう?だから夜を好むのだ。夜は虚構と現実の区別があやふやになる。外は暗いし黄昏、誰?彼?たそがれ?暗闇から来る誰かが男か女か分からない。誰だろう?

 

そんなあなたに技術的なキリスト教の親愛なる家族プログラム、その名もアンドレを提示したいと思います。長い意味不明の校長の喋りで生徒が倒れていく。もしくは長い意味不明の校長の喋りで倒れていく生徒たち。どっちがいい?

 

仮に全宇宙がその感受性を使い果たして、僕に漠然とした自分自身の感覚を与えるこの瞬間を知っていた場合、次の振る舞いや選択はどうなることだろう?もしや、彼女の家賃がどうのこうので、彼女は僕がいないところで、こっそり移動し、僕のお腹に突進してきたのだろうか。彼は物語に飽きたと言う。彼は小さな言葉に憧れると言う。

 

コーヒーを飲みたい? 歩くかバスに乗るかにしよう。何しろ僕は買い物が好きではない。あなたは立っているのが好きではないようだね。ブラックコーヒーとミルクとドーナツを一つずつください。

 

僕たちは、いつもバーで出会うただの友達です。僕はいつも言う、ハニー、あなたが誰であるか教えてください。子供たちは成長し、男はいつも留守で、彼女の周りには日に日にすべてが崩れていく。孤独な女性、昼下がりの孤独な女性、紙ナプキンに折られた宛名の青いラブレターを感じてやってくる、あなたも孤独な女性。

 

あなたはそうです。誰がそんなことを? アハハ、何を隠そう僕です。だから毎日散歩してください。そんな余裕はない?天気のいい日は頭が混乱する。家に帰りたい?ああ、もう限界だ。タクシーで帰ろう。

 

そんなことをベッドに寝たまま考えていた。ベッドから出たくなかったので、そのまま手を伸ばして横のステレオをつけた。リアリティのことを考えると何もかもが億劫になってしまう。それでRene ClemencicのApokalypsisをCDプレイヤーにセットした。

 

音源を取り込んで流しっぱなしにするのは趣味ではないので、買えるものはなるべくCDで買って、その音源を取り込まずに、毎回CDを選んで出してセットしてプレイヤーに入れるという煩雑なプロセスを、それも音楽鑑賞の一環だと考えて、なるべく煩雑なことだと思わないようにしている。煩雑なのはリアリティだけで十分だ。

 

太陽が閉じると同時に、文学の冒険が始まる。見慣れた部屋から一転、雑多なモノで仕切られた薄暗い広がりの中では、何度も通った道から外れないようにと、まだ記憶が働いている。何度も通った道はすぐにわかるし、何度も読んだような物語、何度も書いた話、そういうものは半透明の長方形の窓から直すこともできる。

 

第二は、この空間の表面は全くそのようなものではないということである。もっと正確に言うと、薄暗さが均等に分散していないのである。上部の帯は明らかに暗く、自分に近いはずの下帯は当然ながら上帯よりすでに暗い。遠近感、高低、前後などの概念は全くなくなっているが、それでもある部分は暗くなっている。

 

その中で、非常に白い閃光が、時には非常にかすかな縞模様に似ていたり、時にはもっと太く、ほとんどウジ虫のように、ゆらゆらと揺らいでいたりする。揺れ動き、蠢き、暴れ回り、時には非常にかすかに縞模様に似ていたり、時には蛆虫のようにずっと太く、ほとんど太い。

 

これらの光の閃光、ジャミング、ちょっとでも注意を向けすぎると、フラッシュは目の前で飛び回っているのに、それ以外の部分は存在しないも同然のように思えてくる。実際に感じられるのは存在の糟とか影のようなものだ。凝視した途端、その閃光は消えてしまう。実際、本当に感じることができるのは光の音だけだ。

 

天体の恐怖と潮の干満のおかげで、かろうじて僕は何か曖昧な感覚を持つことができている。朝と共に静寂が訪れてほしい。夜はむしろ精神世界が騒がしいのだから。部屋着のズボンが本の山に埋もれて久しい。だからパンツ一丁で執筆をする。でも執筆ということに言葉負けしている。執筆というと何かたいそうなものを書いてそうな気がする。なんでもないものを書くという言葉を指す言葉は存在しないから、そんな俺がそれを書き続けている。虚構の世界に行っているときにだけ自分は生きていると感じることができる。

 

僕は何か曖昧なものを感じながら自分自身を感じない何らかの存在を感じている。それに名をつけることはできない。そのとき自然数よりも微妙な大きな影と、その縁に沿った神経症的な刻印が小屋の屋根に耳を傾けながら、七つの大罪を志向する頭に編み込む巨大なコウモリのように、混乱しながらも自分自身を見続けることができているようだ。実際に見続けているかどうかは分からない。何しろ僕は神の視点を持っていない。彼とか彼女とか象でもキリンでもあいつでもこいつでも何を考えているかは分からない。

 

だからあくまで記述は表層的なものに留まってしまう。彼らは僕の創作物ではなくて実際に存在するものだから、彼らが何を考えているかなどということが分かるはずもない。だから断片的に教えてもらったり、起こったことから推測して物事を書いているに過ぎない。

 

そんな彼は目を閉じたままマットの上に手足を広げる。このぐらいの頻度で彼とか男を出して置けばとりあえず小説として成立しそうだ。でも物語は全く浮かばない。というより物語など勘弁してほしい。そこは顔のない作家を心の師だと思っている俺から見ても明らかだ。起こったことのみを書いていけばいい。創作する必要はない。創作ほど陳腐なものはない。

 

ああいうのは基本、くだらない。娯楽としてならいいだろう。でもこれはノンフィクションなのだから創作などは許されないだろう。左右には黒い土の舌が聳え立ち、耕作地が広がり、あちこちから太鼓の音や歌声が聞こえ、彼は舟の底に横たわっている。しかし絶望的なまでに太陽のために喉が渇いている。

 

それは壊れた断片を雨のように降らせたようで、他は完全に空っぽの中で彼のほうではなく、僕が夢を見ていた、という疑念が完全に空回りしていることをお知らせしておきます。川まで行くには、最低でも3時間かかる。まずは14分をお願いします。

 

ああ、はい、そしてどのように僕は歩くだろう。3時間も歩くのか。でもとりあえず14分でいいらしいけど太陽が喉を乾かせたままだ。太陽に水をやってくれ。なぜって?そう、その方がいいんです。良いのですが、やはりそれだと、本当に寝なくていいんですね。まあ、そうですね、45kgですからね。

 

並外れた旅人だよあなたは。と褒めた次の瞬間に音のする物体に躓く。金では不可能だそうだ。僕の懺悔を受け入れてください。あぁなんてこった。僕はバター星に耳を傾けるのをやめて、とりあえずコースをマウントさせることに成功した。彼は離れてバックアップしている。予想通りと言うべきか。