行方不明の象を探して。その80。

だって俺がそうしてんだろ?あー塩っ気があるやつ食べたいな。風景とか音とか身体感とか何もかも毎日同じだから違いを求めるのは味とかになるよね、でも別に食欲って満たされるとまぁ性欲みたいなもんですからね、満たされる欲望なんてのは大した欲望じゃないんですよ。

 

あのドアにはひょっこりしたやつがいるからそいつによろしく伝えておいてくれ。さっきまで従順だったのに急に我が出始めたね、そういう性格の悪いやつだったんだ、知らなかった、残念っていうよりもうこんだけ生きてるとさ、そんなことばっかで慣れちゃうんだよ、象が蓄音機に対して「これだ!」と思った理由はその構造にある。骨董店の店主に説明してもらった蓄音機の録音の構造を象が模倣できると考えたからだった。

 

しかし骨董店で売っている蓄音機は再生専用のもので、ラッパと同じ構造の録音ができる蓄音機ではない。それでも象にとってはそれは天啓のようなもので、録音できなくても、同じ構造のもので、なおかつ最高級品のものを手に入れるのを心から望んでいた。

 

象がやろうとしていた模倣は、その蓄音機をまずオツベルさんの家か実家の部屋かのどちらかに置くかは後で考えるとして、長くその蓄音機を眺められる場所に設置した後に、椅子から立ち上がって伸びをして、全身をくねらせながら体中を揉み解した後に、全裸になって、鏡の前に立って自分の身体の部分部分を丁寧に観察する。そして蓄音機に対するモルフィズムが可能かどうかを判断する。

 

「ダメだこりゃ」という結果になったとしても、そこは投資とか投機の覚悟が必要で、モルフィズムが成功するかどうかの保証はない。必ず成功する方法があればみんなそれに飛びついているはずだ。だから必ず成功する方法などありえない。象はそのモルフィズムに人生をかけていた。だから割と裕福な実家に住みながらも、オツベルさんの飼い象というバイトをこなしていたし、それ以外の時間は調教の登録サイトに登録して、連絡があれば相手を問わずに調教をこなしていた。

 

諸君は蓄音機が目の前にあれば、例えば買わずとも、しょっちゅう下北沢の骨董店に通ってモルフィズムが可能かどうかをその蓄音機を眺めながら検討すればいいと思われるかもしれない。しかしそれはブルセラショップと同じような仕組みがあり、例えばブルセラショップで売っている使用済み下着や靴下や制服をその場で使ってオナニーできないように、蓄音機も購入して部屋に置いて、蓄音機を置いた場所の前に椅子を置いた後に、一旦、椅子に座って考えて、そこから立ち上がって、先ほど書いたプロセスを踏んでからモルフィズムが可能かどうかを検討する必要があるのだ。

 

これが骨董屋で出来ることではないのは明白である。仮に骨董屋に骨董品の全身鏡があったとする。それを店主にバレずに全身鏡を使って自分の身体を点検しながら、蓄音機と照らし合わせてモルフィズムが可能かどうかの検討をすることは可能かもしれない。

 

必要な椅子も「座ってみていいですか?」と買うような素振りを見せて、売り物の高そうな骨董品の椅子に座ることも可能なので、蓄音機の前に椅子を置いて座りながら「うーむ、いい蓄音機だ」などと言いながら「でも高価だから購入に迷ってしまうな」などと言いながら、立ち上がっては鏡をチラチラと見て、一連のプロセスをこなすことはできるかもしれない。

 

しかし問題は全裸になることと、たまにビールを飲んでは身体をくねらせるように揉み解す必要があることで、そんなことを品のある骨董店でやったら出禁を食らってしまうに違いない。しかも最高級の蓄音機は象の知っている限り、その下北沢の骨董店にしか売られていない。だから店主との関係性をこじらせてしまったら一巻の終わりである。巷で売られている夢を叶えてくれる象の本のように何冊も本を出すわけにはいかず、少なくとも象にとっては一巻が終わってしまえば、次はない。

 

だからどうしても象にとってはその蓄音機を手に入れる必要があった。そしてモルフィズムが可能だと分かった暁には、自分の鼻を蓄音機のラッパ型に改造し、リアルタイムに象の回りの音を収音する象として「収音するゾウ」という名前で自分を売り出そうと考えていた。これは象にとっては画期的なアイデアだった。音を収音できる生き物はいないし、仮にいたとしてもラッパ型の構造を持っている動物はそんなに多くはない。

 

象の限られた動物の知識の中では、ラッパ型と言えば象ぐらいしか浮かばないので、自分しかいないと自負すらしていた。そのリアルタイムに収音された音の波形を心に刻み付けて再生すれば永久機関の出来上がりになる。歩く録音機の存在など寡聞にして知らない。鼻で録音した音を同じ鼻で再生出来たらどんな動物や人物や、というより動物や人物に限ったことではなく、全ての音真似が録音の許す限り可能になる。そのためコンサート会場への出入りは禁止になるかもしれないが、そんなことは象にとっては些細なことだった。

 

「パオーン!」

 

象はそのことを考えただけで興奮し、象の一物は屹立していた。音が体内に刻まれていく快楽、そしてその音を鼻から再生する快楽・・・。調教プレイをする必要がなくなっても、例えば調教プレイの音を収音の鼻で録音して、リアルタイムに再生することだって可能だろう。しかしスピーカー兼マイクというものがあったとしたら、まるでそれは構造的に成り立たないだろう。ジミヘンも驚きなぐらいのフィードバックノイズが鳴ってしまい、さらにそのフィードバックノイズが鳴り響く中で、象が「パオーン!」と叫んだりすれば、世界が数ターン立ちすくむことになるだろう。

 

そうなってしまえば夢を叶えられた象としての失望のみが残ることだろう。ついに叶えられた希望を前にした享楽がそうであるような、そうした相対的な失望ではなく、それ自体が積極的な機能と体系とをそなえた、つまり希望の不在や消滅によって定義されることのない、そして、それ自身が生成の原理をそなえた確固たる失望が、そこに具体的に生み出されるのだ。生成と共にその希望を取り込んでしまうという鼻の失望は、享楽と失望の間を行きかう観念の現象である。

 

主体がどこにある?こないだ言われたのは向いているからやるっていうよりかは自分が何がやりたいか?が重要なんじゃないか?って。でもそんなのもう残ってねーよ。大体やり尽くしたって言ってんじゃん。チョコにリキュールが入りすぎていてフラフラする。こういう感じだとアレですな、もう酒飲んだらアウトだな、だって医者から言われたでしょ?体液検査だとかっつって抜いてくれる女医さんがいたらいいんだけどそうはいかなくて注射する前にアルコールで拭くとそれだけで皮膚が真っ赤になるってことはもう絶対アルコール飲んだらダメな体質だって。

 

でも酒大好きですよね。もうそりゃね、大好きだ。飲めないってのと下戸がセットのやつもいるけど俺は下戸なのに大好きで浴びるように飲むでしょ?結婚しているんだっけ?だったらなんで誘ったのよ。勘違いするじゃん。もう絶対嫌だな、暇でもさ、そういう勘違いとか「好きかも」みたいなところから来る気分が虚構を支配する時間が勿体ないんだよ。

 

で、その余った時間を何に使うのか?ってのは使うものがないんだけどそりゃ俺が10億つかわないのとおなじだよ。別に無理に使わなくてもいいじゃん。