行方不明の象を探して。その90。

馬鹿でね、それだけのこと。それ以外のなにものでもありませんな。そしてみんなが語ったりでっちあげたりあるいは引き出すとか説明するとかしようとしたりすることも、やはり誰でもが一目で見て取れたことを確認しただけでしてね、ほんとにただの馬鹿に過ぎないんですよ。ただ彼の場合は自由に歩き回り人々に話しかけ人一倍悩み破滅するだけでしてね、それもいいでしょう。

 

彼は断片的で不完全な知識、それ自体視覚によって不完全に捉えられたつかの間のイメージや、それ自体うまくキャッチできなかった言葉や、それ自体正体のうまくつかめていない感覚を足して一つにしたものから成るあの知識しかもっていず、そうしたすべては漠然として穴だらけ、空白だらけで、それを想像力及び近似的な論理で一連の危なっかしい演繹によって取り繕うと懸命になるのだけど、危なっかしいとはいえ必ずしも間違っているとは限らず、というのももしかしたら全てが偶然なのかもしれず、だとすれば一つの物語の千と一つの解釈、千と一つの顔もまた、というかむしろそれがそのままその物語を構成するからで、なにしろその物語はそれを生きたりそれを傍観したりそれを耐えたりそれを面白がったりした連中の意識の中ではそのようなものなのであり、そう受け取られたし、そのようなものでありつづけたわけで、そうでないなら現実は固有の堂々たる命を与えられ、我々の知覚からも、我々の認識からも、とりわけ我々の論理への欲求からも独立していなければならず、だからそんなものを見つけ発見し借り出そうと試みることも空しく的外れで最後には全然なんでもないものしか出てこないものなんです。

 

しかし全ての意味は混じり合い無益な呼びかけによってもまだその運動を止めない。生き抜くこと。不意に僕は驚きに襲われる。僕はいつも本当の物語がいつでも好きなときに語られるがままに考えていたのだ。遠く一見のうち捨てられたようでありながらその物語は動こうともせず一歩一歩近づいていけるところにあるように感じていた。今でも僕はそれを簡単に定義できると信じ込んでいる。

 

自分の良くするもの、それは僕は一瞬の遅れもなくどんな細部もなしに欲している。それがなんであれ限られたある場所でなにかであることなどは問題ではないし、説明することや確認することが問題になっているわけではない。つまり分離させ遊離させること。

 

もし僕がこのプランを本当に最後までやり通すつもりなら毎日僕は自分の計画と合体する短い瞬間に茫然自失し自分を空虚に感じるほど僕はまず偶然に任せてことをはじめ、しかも作戦をめぐらせてその偶然を減らさなければならないだろう。その結果が毎日の白紙でもプラントプロセスが自明なら問題ない。

 

胃液が逆流してきて夕方に食べたサバの塩焼きの味が口の中に浸透した。またあれだ、なぞるということだ。ギターはあれだ、プラグイン系は空間系とかならやっぱりソフトウェアだなって感じがするけど歪やアンプ関係に関してはアナログのほうが良いというか良いデジタルのディストーションに出会ったことがないというのはどういうことか?

 

そんなことを考えても誰も聴いたことがないような音が出ることはないだろう。そんなものを求めてもしょうがない。音楽は終わっているだけだから。きっかけがぼっちざろっくでもなんでもいい、改めてあれだろう、身体性が音楽に介在することの素晴らしさを実感しただろう?

 

今日もまた練習だ。といってもポロンポロン弾くだけでどこまでが練習でどこまでがただ触っているだけなのかが分からない。日本は住宅事情のおかげでギターを辞めざるを得ないということがあるそうだけどエレキをオーディオインターフェースに突っ込んで、まぁその前にプリアンプでもアンプでもなんでもいいからかましてPCから音を聴けば騒音問題は解決するはずなんだけどな。ぼっちちゃんも多分、そうしてただろう。

 

アコギの人は辛いだろうな。分かるよ。武術の練習場所を探すのに困るのと同じ心境だ。やりたくてもやれない。気がつくと俺の周りはエフェクターだらけになっていた。エフェクターを繋ぎまくっている時に出くわす音というのは一期一会で微妙なバランスとか音量とかどこどこのエフェクターのかかり具合が浅くてこっちが濃くてアンプのゲインがクリーンに極めて近いんだけど若干歪んでいる・・・とか、そういう複合的な要素が偶然重なって「お!」という音が出る。もちろんすぐ録音だ。

 

で、こないだの良かったからまたあの音を使いたいと思ってエフェクターやアンプの設定をしてもこないだの音は出ない。その時の状況をメモっておけばいいんだけどそれはなんだかやりたくない。ルーティンになりそうだから。プリセットを読み込むようになったらもうつまみとかヘタにいじらなくなりそうだからな。

 

意外な発見だ。ファズばっかり持っているというのは前に書いた気がする。だからオーバードライブとかディストーションはどうなんだ?と思って色々調べてみた結果、結局、またかなりの量のエフェクターを買ってしまった。DAWのプラグインを使えば近いことなんていくらでもできるんだけどそういうことじゃないんだよな。個性が強すぎるエフェクターを繋ぎまくるのが楽しいんだ。

 

で、ディストーション。メタル系の音が出るっていうメタル専用みたいなのを繋いでみた。というか前にも持っていたんだけど売っちゃったんだよな。もうギターやんねーやって思った時に。んでメタル系ディストーションを鳴らしたら脳内麻薬が出るではないか!ノイズとかハードコアの延長としてデスメタルとかブラックメタルを聞いていたことはあったけどメタルのギターが良いとは思ったことはなくはないけどそんなにない。でも自分で弾くとこんなに気持ちいいのか!

 

調性音楽悪くないんじゃないか?ロックは簡単だしな。歪ませてパワーコード弾いてればもうそれはロックだからな。ロックは形式によって決まるものではなくてAttitudeで決まるものだ。だからすげーロックなクラシックとかジャズとかってのもありえるわけだ。使うものが楽器であるから調性からは逃れられないとしても音は自由だからな。全く歪がいらない曲をバリバリ歪ませて弾くことだってできる。まぁありそうだけどね、バッハとかのチェロの曲をディストーションかまして弾いてみましたとかね。

 

ただあれはダメだ、クラシックをメタルにするとかって一時期よく出てたやつ。あれは本当にダメだ。俺が好きな音楽の根底には黒人のルーツがあるものばかりでメタルは黒人的な要素が一切ないように思える。でもメタルのギターの音色でブルースロックを弾くことができる。いや、色々とやれることがありそうだな。

 

「これをやらなきゃいけない」というルールがないのがロックだ。ロックは俺にぴったりの音楽だな。なぜ今までやらなかった?俺のギターへの偏見は凄かったからな。なんであんな弦をビーンとするものにみんな夢中になるんだ?とかね、複雑な電子音楽のほうが何百倍面白いだろうって。でも違うんだ。ギターこそまさに究極の電子楽器なんだ。エフェクターを30個ぐらい繋いだらもうそれはモジュラーシンセみたいなもんだろう。