「なぜ俺は5年前ギターに挫折したのか・・・」
「飽き性だからでしょう」
彼女は空きのグラスを傾けながらそう言った。空きというよりも最初から何も入っていないし、そもそも彼女なんていない。小説っぽくするために適当に「彼女」を作るんだ。
「ジャズをやろうとして挫折したんだ」
「ご愁傷様」
彼女の吐息混じりの声はドリーミーだ。声自体に音楽的な質感がある。
「だってさ、ロックだろう?コードを押さえてジャカジャカ鳴らすだけで気持ちいいのがロックだろ。5年前の俺はまだ頭が固かったんだ。今はあの時の俺より歳を取っているはずなのにより全てに対してオープンになっている」
「何が言いたいのかしら?」
「なんていうかさ、そのさ、アンプに繋ぐことは重要なんだ。マーシャル社はアンプは楽器だと言っているけど、君もそう思うだろう?」
「ギターの音色を決定するわけだから当然ね。それがエレクトリックギターの良いところなんでしょ」
エレキと言わないところにエロスを感じる。
「どう音を増幅させるのか?という単純なところに凄まじいロマンがある。それを追い求めるのは悪くない。あとギターはさ、弦がビーンとなって音が出ているのはアコースティックギターの話なわけで、エレキ・・・エレクトリックはピックアップの磁石がギターの振動を電気信号に変えている。アナログシンセ以上にプリミティブな電子楽器だと思うんだ」
「あなたはやっぱり電子音楽の人間ね。何より電子音楽を愛するのね。人よりモノよりなによりも電子を愛するの」
「ただ歳を取ってロックに目覚めたのではなくてね、エレキ・・・エレクトリックギターは電子楽器だという認識によってまったくロック形態の音楽に対する聴き方が変わってしまったんだよ。5年前もそうだったはずなのに現在の俺のほうがなんで感動しているんだろう?」
「歳の功じゃないかしら?歳を取るのも悪くないわね」
彼女の顔半分がバーカウンターの鏡に映る。イルなヴァイブスだ。視覚的な音楽。
「そういう風にね、あなたはギターの仕組みを知れば知るほどギターが愛おしくなるのね。デジタルのプラグインの歪で満足する人間じゃなくてよかったわ。だってそうでしょう?あたしにとってはそんな人ね、話す価値ないもの」
「価値が無いとは極端な言い方をするね」
「そうかしら?」
「君も言わば電子楽器のようなものだね。過剰に分節化された言葉が枝になって鳴り響く」
「音ってそういうものでしょう?ギターだってね、広義な意味ではテルミンみたいなものじゃないかしら?」
「そうだね。音の強弱やピッチを手で操作するわけだし、何より音はそこから出ていない。電気信号が増幅されて出ているんだ。言わばエーテル楽器だね。もちろん5年前にもその認識はあったはずなんだ。でもここまで深く考えなかったんだろう?」
「他にもっとやりたいことがあったんでしょう?今と違って」
「慢性的な倦怠ね。顔のない作家もデュラスも、あと名前は思い出せないけど自分が好きな作家って倦怠がテーマの人間が多いんだよ」
「倦怠と増幅ね」
「うん。倦怠を増幅によってかき消す」
「ピックアップと増幅の関係はレコードと針の関係に似ているわね。あなたみたいなレコード好きにはたまらない仕組みなんじゃない?」
「そんな仕組みで音が出ているということに気がつくだけで好きになれるわけだからね、シンプルだよね」
「シンプル?」
「いや、言葉を間違えたかもしれない」
「あなたは何でもシリアスに考えすぎる癖があるのね。ギターなんて挫折するものじゃないわよ。おもちゃみたいにね、ゲームみたいに好きなときにやればいいのよ。頑張り続けるなんて誰も続かないわよ」
「うん。それは分かっているつもりなんだ。でもね、なんかその、例えばディストーションをご褒美みたいに考えてしまうんだよね。ちゃんと練習したら歪ませて弾きまくっていい、みたいな。ギターの歪が生まれたエピソードがとびきり好きなんだ。それまでアコースティックだったりしてさ、絶望的に他の楽器と比べて音が小さかったギターをエレキ化したらさ、アンプに繋ぐようになるだろう?そこでアクシデント的にボリュームを高くし過ぎたらそこで「歪」が生まれた。これは本当に不思議なんだ。本来のアンプとギターの使い方とは違う使い方をしたら「歪」が生まれたんだよ」
「その不思議っていう感覚は分かるわ。だって他の楽器を歪ませても不快な、ただ聞きづらい楽器の音になるのにギターは違ったのよね。違う楽器になった」
「そう。あと飽きもあるんだよ。例えばね、オシレーターをエフェクターに繋いでギュインギュインやっても30分ぐらいで飽きるんだよ。まぁ仮にハマっても三か月ぐらいで飽きるだろうね」
「その飽きってつまりは倦怠なんじゃないかしら?」
「そうかもね。とても楽しいという状態から平常に戻る。つまりは慢性的な倦怠に戻る」
「あなたにとってギターがその慢性的な倦怠から逃れ続けられる方法なのかもしれないわね」
「Escapismだね。でも音楽ってあらゆる意味でさ、少なからずそういう面はあるんじゃないかな?」
「あなたの言うEscapismという意味で?」
「うん」
「そうね。人は倦怠の中では生きていられないものね」
「アナログレコードの人気が続いているのもそういうことじゃないかと思うんだ。聞き流すのではなくてレコードだけを聴くという時間が倦怠からの逃避になる」
「あなたはやっぱり音楽が好きなのね。喋っている時に目が輝いているわよ。なんていうか、事実かどうかは別として、そうあって欲しいっていう願望のようなものを感じるの。あなたの言動から」
「僕の言動か・・・」
「そう、あなたの言動」